「……お客さん、こないですね~」
カウンター席に座るウマ娘がぼそりとつぶやく。曇天の空は今にも泣きだしそうな雰囲気で、店内は薄暗い。
《珈琲館》という安直な喫茶店が俺の職場であり自宅でもある。
「雨、止まないですね~」
眼前のウマ娘はウチの唯一の従業員である。競走ウマ娘ではない。競走ウマ娘というのは、生まれた時から名前を持っているらしい。サラブレッドは生まれた時からサラブレッドということだ。
彼女は名前を持っていなかった。つまり競走ウマ娘ではなく、ただのウマ娘である。とはいえ、人間より脚は速いし、パワーもある。ウエイトレス兼用心棒として雇っている。
「雨が止んだら客が来ちゃうじゃねぇか」
「……店長は時々おかしなことを言いますね~」
やれやれといった感じでため息を落とす。二十代で
舞台が現代では知識チートなんてできるはずもない。そもそも前世知識なんてのは、カンニングか前借りのようなものだ。俺は別に地頭が良いわけでもないので、
その後、2階行きの権利を買い、さらに稼いだ。もう少し稼いで、あとは不動産でも買って不労所得でぬくぬくと暮らす、というのが人生の目標である。
前世であくせく働き過ぎたので、今世はこれくらいでいいだろう。思えば趣味なんか競馬くらいしかなかったな。
「少し早いが
ウマ娘はよく食べる。普通のウマ娘でも3人前くらいは簡単に平らげる。だから賄いの出る飲食店で働くウマ娘は多いらしい。
そして人間以上に運動欲求がある。デスクワークのウマ娘はジムに通ったりジョギングしたりして解消していると聞く。
そんなことを考えていると、不意に視線を感じた。この店にはふたりしかいないので誰の視線かは一目瞭然である。そちらに目を向けると彼女の皿の下絵が瞳に飛び込んできた。言葉で催促しない辺りは奥ゆかしいと言えなくもないが。
(俺の3倍の量があったはずなんだがな……)
なんとなく無視する気にもなれず、一切れだけを手に取って、残りを渡す。彼女は1オクターブほど高い声で礼を言って食事を再開した。
午後になっても天は泣き止む様子もなく、結局雨宿りの客が3人ほど来ただけだった。夕方5時、定刻通りに店を閉める。たったひとりの従業員の退店を見送り、店の電気を消そうとスイッチに指を置いたところで、扉が軽くノックされた。
クローズの看板が見えないのか?
さりとて無視するわけにもいかず扉に近づく。そしてガラス部分から見えた顔は見知った顔であった。というか山田さんだった。
とりあえずロックを解除して扉を開ける。
「こんにちは。すまないね、こんな時間に」
「その口ぶりでは、たまたま立ち寄ったというわけではなさそうですね、山田さん」
「そうだね。少し話せるかな?」
「コーヒーくらいしか出せませんよ」
「かまわないとも」
どうやら引く気はなさそうだ。まあこの雨の中追い出すのも気が引ける。用心棒は帰してしまったが、こちらに危害を加えたりはしないだろう。
カウンター席に案内してコーヒーの用意を始める。その間、山田さんは口を開く素振りはない。コーヒーが出来上がるまで待つようだ。
そして数分後、挽きたてのコーヒーを山田さんに提供した。
「うん。悪くないね」
悪くないってのは褒め言葉なのかね。普段余程いいものを飲んでいるのだろう。素人に毛が生えた程度の俺の腕じゃあ、そんな評価もやむなしか。
俺も自分用に淹れたコーヒーを飲む。うん、まあ、悪くない。
「で、お話というのは? というかよく俺の店が分かりましたね」
「不愉快かも知れないが、調べさせてもらった」
もしかしてストーカーか? 爺さんに好かれても困るのだが。
「まずは自己紹介をしよう。私はこういうものだ」
名刺を手渡される。聞いたことのある会社だ。確か出版社だな。そこの……会長? 予想はしてたが、やっぱりお偉いさんか。しかし会長ってのは、どっちなんだろうな。社長よりも偉いパターンか、それともただのお飾りのパターンか。
「会長様が私に何か御用でしょうか?」
いかん。思わず畏まった口調になってしまった。根っからの小心者だな、俺は。
「砕けた口調で構わんよ。会長といっても大した実権はない。少しキミに頼みたいことがあってね」
「はぁ、何でしょうか?」
会長はもう一度コーヒーを飲み、俺の目を見つめてきた。
「キミは菊花賞でセイウンスカイが勝つと予想したね」
「そうですね」
「秋天のときは予想屋に来なかった」
「体調を崩しまして」
沈黙の日曜日だったからな。あといないはずのエルコンドルパサーもいたし。普通にエルコンドルパサーに賭けても良かったが、配当もそんなに高くなかったしスルーすることにした。
「キミも知っていると思うが、ウチは月刊トゥインクルという雑誌も出していてね」
「……そうでしたね」
忘れてたわ。雑誌名は知ってたが出版社までは覚えてなかった。というかこの世界はウマ娘関連の本が多すぎるんだよな。さすが世界的なエンターテインメントだけはある。
「キミの眼には何が見えているのか気になってね」
山田さんが俺の眼を覗き込むように凝視する。
俺は基本的に
そして珍しくメイクデビューなどを見に来たと思えば、あっさりと的中させる。それが不可解に映ったのかもしれない。
結果的にそうなったとはいえ、ダービー同着という100年に一度レベルの珍事さえ的中させたのだからな。
「単刀直入に言おう。キミに記事を書いて欲しいのだよ」
「月刊トゥインクルの記者になれと?」
「キミが望むのならばそれもいいが、あそこは激務だからね。余程の熱意が無ければ続かないと思うよ。私としては偶に記事を書いて、それを売ってもらえればそれでいい。トレセン学園の取材許可証も用意しよう」
「随分と買ってくれているようで」
トレセン学園は入場の厳しい場所である。記者にも厳しい制限があり、一般人の立ち入りはほぼ不可能に近い。年に一度開催される聖蹄祭も招待状がなければ入場できない。
「不定期のコラムでも構わない。どうだろうか?」
コラムか。正直言って興味はある。掲載されるのがメジャー誌なのは少し緊張するが。
結局、山田さんがコーヒーを飲み干すまで悩んだあげく、俺はその依頼を引き受けることにした。
◇
11月某日。俺は月刊トゥインクルの記者である乙名史悦子氏と共にトレセン学園に取材へ行くことなった。
ご丁寧に名刺と最新型のデジカメまでプレゼントされて、もはや逃げ場なしといった感じである。まあ逃げるつもりはないけど。
「私はチームリギルの取材に行きますが、北川さんはどうしますか?」
「俺は適当にぶらついてますよ。これがあれば不審者には間違われないでしょ」
首から提げたゲスト用カードを振ってみせる。ただでさえ男は目立つ場所だ。こういうのはちゃんと見せておいた方がいい。
「誰を取材するのかは気になりますが、まあいいでしょう」
「そちらはリギルの取材ということですが、ジャパンカップ関連ですか?」
「そうですね。リギルからはエアグルーヴさんとエルコンドルパサーさんが出走しますから。それとウィンタードリームトロフィーについてもですね」
「ならひとつお願いがあります。エルコンドルパサーの写真を多めに撮っておいて貰えませんか?」
「なるほど! 北川さんの推しはエルコンドルパサーさんなんですね。分かりました。任せておいてください」
そう言って乙名史さんは自分の胸をドンと叩いた。別に推しというわけではないが、まあいいや。殊更に否定することでもないし。
そうして俺たちは三女神像の前で別れた。
スマホを操作して、会長から送られてきたデータを眺める。それは今期にデビューしたウマ娘、そしてデビュー予定の有力ウマ娘たちのデータが詳細にまとめられていた。
「やっぱアドマイヤベガかな。テイエムオペラオーはリギルだし」
アドマイヤベガは翌年のダービー馬だ。テイエムオペラオーは皐月賞を勝つが、その後がいまいち振るわない。テイエムオペラオーが覚醒するのは
テイエムオペラオーだけではなく、チームリギルが取材に対してかなり厳しいのだ。フリーライターは当然のように弾かれるし、各社ひとりずつの専属記者が付いている。月刊トゥインクルでも乙名史さん以外は取材ができないらしい。つまり俺が同行しても、俺はカメラマンに徹するしかないのだ。
というわけでアドマイヤベガを取材しようと思うのだが、扱いはかなり気を遣わなくてはならない。俺の知るアドマイヤベガは、本来は双子だったが、片方の胎児をつぶされて生まれてきたというエピソードを持つ。
こちらのアドマイヤベガも似たようなものらしく、さすがにつぶされはしなかったが片方が死産だったと聞いている。
そしてメイクデビューでは圧倒的な強さを見せつけたが、熱くなりすぎて斜行し、1位入線したものの、4着降着となった。
よって世間の評価は『強いが気性難』である。
「さて、アドマイヤベガのチームルームは……」
学園地図で場所を確認する。この学園、デカすぎるんだよなぁ。まあ生徒だけで2000人近くいるらしいし、それも納得なんだが、地図なしだと絶対迷いそうだ。
「こっちだな……ん?」
進路を変更して一歩踏み出したところで、言い争うような声が聞こえてきた。女の子の声。いや、それよりも気になる単語が飛び込んできたのだ。
「ウオッカ……だと?」
声の聞こえた方向に歩いていく。角をひとつ曲がったところで、彼女たちはいた。ふたりの女生徒。何やら言い争っているようだが、本気の喧嘩ではなさそうだ。そして俺に気づいたのか、口論がやみ、ふたりの視線がこちらに向く。
「トレーナー……じゃねぇよな」
「バカね。首に記者カード提げてるじゃない」
「バカって言うな!」
そして睨み合うふたり。どっちがウオッカだろう? あるいはウオッカの噂をしていただけで、どっちもウオッカじゃないパターンもあるな。まあ聞けば分かるか。
「はじめまして。月刊トゥインクルの
そう言って名刺を渡す。嘘ではない。名刺にもちゃんと月刊トゥインクルの契約記者と記されている。
「おおっ! 一流雑誌じゃねぇか。俺の取材とは分かってるな、アンタ」
「バカねウオッカ。アンタじゃなくてアタシを取材しに来たのよ」
ウオッカはこっちのボーイッシュな方か。しかしこの世界、ホントに世代がおかしいことになってるな。ウオッカの登場はもっと先のはずだろ。
「出来ればふたりとも取材させてほしいな」
「もちろんいいわよ。何でも訊いてちょうだい」
「俺も構わないぜ」
「なら基本情報から。名前とクラス、目標をお願いします」
「アタシの名前はダイワスカーレット。ジュニアAクラス。目標はもちろん1番になることよ。1番速くて、1番強い。1番みんなに認められるウマ娘になるの!」
こっちはダイワスカーレットかよ。宿敵と一緒にいるってのは、何か因縁めいたものを感じるな。
「俺はウオッカだ! こいつと同じジュニアのAクラスだぜ。目標は誰よりもカッケーウマ娘になること。だからダッセーことはしねぇ。覚えといてくれよな!」
ビシッとサムズアップで答える。本人は格好つけてるつもりだろうけど、まだ可愛さや幼さの方が大きい感じだな。
その後、色々な質問をしたが、ふたりは張り合うような返答が多かった。それがギスギスしたものではなく、どうにも微笑ましくてつい言ってしまった。
「良いライバル関係だね」
ふたりは一瞬あっけにとられ、すぐさま反論してくる。
「違うッ! コイツとはただの腐れ縁よ」
「そうだぜ! しょうがなく付き合ってやってるだけだって!」
「しょうがなくってなによ!」
「ホントのことだろ!」
なんか米国のカートゥーンアニメみたいだな。
「最後に写真いいかな?」
俺がそう言うと、ふたりはピタリと喧嘩をやめた。ダイワスカーレットはコンパクトミラーを取り出して髪の毛を整え始め、ウオッカはポーズの確認を始めた。この辺りは年相応だなぁ。
◇
俺の書く最初の記事。対象にしたのはエルコンドルパサーだった。さすがにウオッカとダイワスカーレットは、今の段階では知名度が低すぎる。
エルコンドルパサーを題材にしたのは、やはり史実でのジャパンカップの勝者だからだ。
現在の戦績は7戦6勝。負けたのは唯一サイレンススズカのみ。これで世間の評価は少しだけ下がった。だが逆に、関係者や"濃い"レースファンはエルコンドルパサーの評価を上げた。というのも、この時のサイレンススズカは5連勝中で乗りに乗っていた。対決した毎日王冠でもサイレンススズカは絶好調だった。そんな彼女に、エルコンドルパサーは食らいついたのだ。
だから俺は褒めた。メチャクチャ褒めた。エルコンドルパサーは素晴らしいウマ娘だ。世界に通用するウマ娘だ。ダービーに続いてジャパンカップも勝つだろう。ジャパンカップを勝って世界に羽ばたいていく。そんな記事を書いた。
が、どうやら褒めすぎたことが問題になっているようだ。
ジャパンカップで惨敗したらどうするつもりだと。かといって、ジャパンカップを勝った後に出してもインパクトは弱い。個人サイトで好き勝手書くのと違い、業界で1、2を争う雑誌なのだから、慎重にもなる。
「私は良い記事だと思います。愛が伝わってきます!」
乙名史さんはフォローしてくれたが、別に愛はない。
「まあ、採用するかどうかはそちらに任せますよ」
こっちとしては書いて提出したという事実があればいい。これで義理は果たせる。ダメなら俺には向かなかったということだろう。
まあ結論から言えば、俺の記事は掲載された。しかもほとんどが採用された。他のジャパンカップ出走者が2ページ、多くても4ページの紹介記事なのに、エルコンドルパサーだけは8ページの特集だった。
そしてその記事の影響があったのか定かではないが、エルコンドルパサーはジャパンカップで1番人気に推された。
実は、分からないでもないのだ。史実ではエルコンドルパサーは1800メートルまでのレースしか経験がなかった。要するにジャパンカップは距離の不安があったわけだ。だがこの世界のエルコンドルパサーはダービーウマ娘である。場所もダービーと同じ東京レース場。1番人気も納得だ。多分、俺の記事なんかなくても1番人気になってたと思うよ。
当然というか、エルコンドルパサーは勝った。
俺も儲けた。
ありがとう、エルコンドルパサー。