とある転生者の遊興日記   作:乾燥海藻類

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第六話

私が留学生として日本に行った時のことは鮮明に覚えている。わずか1年足らずの時間だったが、トレーナーとしてのキャサリン・クラウドを形成する大きな一助となった。

 

私の世話係であり、友人でもあった東条ハナという女性とは、今でも連絡を取り合う仲だ。

彼女の担当するウマ娘たちは、自国(フランス)のウマ娘たちと比べてもなんら遜色のない逸材ばかりだった。その中でもひと際目を引いたのは、シンボリルドルフというウマ娘だった。はっきりと、フランスでもこれほどの逸材はそうはいないと思った。

 

彼女が日本のダービーレースで優勝したこと、そしてそれに類するレースをふたつ獲得し、クラシック三冠という偉業を成し遂げた時、私は彼女がいずれフランスにやってくることを確信した。

その時、きっと我が友人は彼女の世話係に私を指名してくれることだろう。そんな期待を胸に抱いていた。

しかし、そんな未来はやってこなかった。凱旋門賞を最終目標に、その前段階として遠征したアメリカで彼女は故障し、フランスの土を踏むことなく帰国した。

 

それから数年後、やってきたのはエルコンドルパサーというウマ娘だった。ハナから送られてきた資料やレース映像を見るかぎり、シンボリルドルフに負けず劣らずの傑物だというのは分かった。

だが時期が悪かった。今年はフランスダービーとアイリッシュダービーを制覇したブロワイエがいる。すでに欧州最強とも謳われる彼女の相手は、中々に厳しいものがある。

 

それでもハナの期待には応えたい。私にできる限りのことはしようと思った。まずはこの欧州の芝に適応させることだ。

日本の芝は、良く言えば綺麗に刈り揃えられていて、手入れが行き届いている。悪く言えば、人の手が入りすぎていて、お上品にすぎる。

欧州の芝はもっと無骨で荒々しい。丈が長く、地面は全くと言っていいほど整備されていない。まずこの走り難さに彼女たちは苦しむことになる。

 

エルも例外ではなかった。

車で例えるなら、スピードタイヤからオフロードタイヤに切り替える作業に、エルは大層戸惑った。

特に降雨の日などは、フォームがめちゃくちゃに乱れていた。レース映像を見るかぎり、悪路は苦手ではないと思っていたが、やはり勝手が違うらしい。

しかし次第に、そうしたバ場に合わせた走法へと変化していき、それに伴い筋肉の付き方も変わってきた。

適応能力には目を見張るものがある。もしかしたら、と思わせるウマ娘だった。

 

去年に世話をしたタイキシャトルもなかなかの逸材だったが、彼女は生粋のマイラーであり、凱旋門賞は視野に入れていなかった。実際1レースだけ出走して帰っていったしな。

 

一ヵ月ほどトレーニングを積み、たたき台となるレースに出走させることにした。ロンシャンレース場にて開催される、1850メートルのGⅠレース、イスパーン賞である。

これを提示すると、エルは二つ返事でうなずいた。

正直に言おう。私はこのレース、エルは惨敗すると思っていた。私が確かめたかったのは、敗北から立ちあがる屈強な精神を有しているかどうかだった。

しかし、私の期待は良い意味で裏切られた。彼女は健闘するどころか、勝利に指がかかるほどのレースをやってのけたのだ。

そして彼女は、レース後にぞくりとする言葉を放つ。

 

――大体分かった、もう負けない

 

その時、私は初めてこのウマ娘を見て鳥肌がたった。笑顔の裏に隠された勝利への渇望、その執念。それはもしかしたら、シンボリルドルフよりも、ブロワイエすらも凌いでいるのではないかと思った。

 

事実、イスパーン賞を終えてから、エルの状態は急速に上向いていった。エルはようやく自分の身体を欧州仕様へと作り変えたのだ。

そして次走サンクルー大賞で、エルは完全に覚醒した。サンクルー大賞には全欧の一線級のウマ娘が揃い、近年最高のメンバーという評だったというのに、エルはそれをものともせずに優勝した。

興奮が抑えきれなかった。改めて認識した。彼女は凱旋門賞に挑戦するためにやってきたのではない。凱旋門賞で優勝するためにやってきたのだということを。

 

しかし予想外の事件もあった。日本では審議対象となるような激しいあたり(・・・)も、欧州では平然と行われる。エルはその洗礼を受けてしまった。幸い大怪我にはならず、打ち身や擦過傷程度の軽傷ではあったが、エルの負けん気が悪い方向へと発揮されてしまう形となった。

いや、ここで引いてしまうようなウマ娘では、海外挑戦など考えなかったのかもしれないな。

 

トレーニングは多少ずれ込んでしまったが、スケジュールに大きな変更はなかった。凱旋門賞の前哨戦として、常道通りフォア賞へと出走する。このレースは凱旋門賞と同じ距離、コースで行われる。

エルには本番と思ってレースをしろと指示した。だがこのレース、出走者が3人という少人数でのレースとなった。

そこにはイスパーン賞で先着を許したウマ娘もいた。だが、同じ相手に負けたことはない、との言葉通り、エルは雪辱を果たした。

その後、最終調整を経て、好調な仕上がりで凱旋門賞へと臨む。

 

 

 

ここらでそろそろ、もうひとりの客人についても触れておこう。エルを追ってやってきた記者、レイのことだ。

個人的な見解だが、マスコミというものは利用する人種であって、深く付き合うべき者たちではないと思っている。国は違えど、マスコミとはそういうものだろう。しかし、ハナからくれぐれもよろしくと頼まれている手前、無下に扱うわけにもいかない。

滞在中はトレーナー室の使用許可を申請した。後は好きにやるだろう。鬱陶しいようなら、ハナに抗議してやろう。トレーニングの邪魔をしないことを祈るのみだ。

 

しかし、私の危惧する事態にはならなかった。この男、どうにも記者らしくない。気になるであろう、出走するレースについてや、トレーニングの進捗について、まるで訊いてこないのだ。

ふらりと練習中に現れては、世間話をしつつ、何枚かの写真を撮っていく。それだけだった。オフの日などは、エルと出かけたりもしているようだが、気分転換になるのなら、あの男にも利用価値はあるということだろう。

立場上、私はエルと馴れ合うわけにはいかないからな。

 

サンクルー大賞の後、彼の気安さには助けられたと思う。療養のため温泉にも行った。日本ほどではないが、フランスにも温泉地はあるのだ。ただ飲泉はあまり日本人はやらないらしいが。

その後もふたりはシャンティイ城やエッフェル塔などの観光地に行ったり、シャンゼリゼ通りで買い物や食事を楽しんでいたらしい。

良い療養になったと思う。

そのお陰かどうかはわからないが、秋のフォア賞は快勝した。

 

彼がらしからぬ行動に出たのは、この後だった。凱旋門賞の枠順も決まり、ブリーフィングを行った時だ。私も絆されていたのかもしれない。部外者であり、記者でもある人間をブリーフィングに参加させたのは迂闊だった。

 

「今、なんと言ったのかしら?」

 

自分でも信じられないくらいの低い声が、私の喉から発せられた。

 

 

 

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