とある転生者の遊興日記   作:乾燥海藻類

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第七話

俺がエルコンドルパサー号に魅了されたのは、彼のデビュー戦だった。スタートで出遅れて、最後方からのレース運びになった時、多くの者は諦めただろう。だが最後の直線、エルコンドルパサーは脅威の末脚で、最後方から一気に先頭へと躍り出た。しかも2着に7馬身差をつけた圧勝だった。

 

エルコンドルパサーはその出生から話題にはなっていたのだ。インブリードによって生まれたエルコンドルパサーは、その強すぎる配合に賛否両論あった。

否定的に捉えた者は危険な配合、肯定的に捉えた者は比類なき配合と言った。

そんな中で生まれたエルコンドルパサーは、特に気性難でも虚弱体質でもなく、言ってみれば普通の馬だった。

 

しかしその実態はまるで違うものだった。続く2戦目も、不良馬場をものともせずに9馬身差の圧勝。これはとんでもない馬が現れたと騒がれた。

本来ならばクラシック路線に期待するところだが、当時は規定によりクラシックレースには出走できなかった。

こちらの世界では何故かダービーに出走して、しかも優勝しているが。

 

とにかく、俺はデビュー戦で彼に魅了され、2戦目で虜になった。馬を追いかけて競馬場に行くというのは、生涯で初めてのことだった。

しかし世界を渡り、彼が彼女になった時、俺は以前ほどの熱意を向けられなくなっていた。何故かは分からない。結果を知っているということも、無関係ではないのかもしれない。

 

しかしひょんなことから、彼女の密着取材をすることになった。その時俺は、もしかしたら彼女を世界一のウマ娘にできるかもしれないと思った。

彼女がダービーを制覇したことからも、この世界は俺の知る世界に沿って進んではいるが、決して忠実に再現しているわけではないらしい。

だから俺は、彼女の未来を変えられるかもしれないと、思ってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今、なんと言ったのかしら?」

 

キャシーの声色は固い。マンガなら恒例の怒りマークが額に描かれているだろう。しかし一度言葉にしたことを取り消せるわけでもない。

 

「ただの展開予想ですよ」

 

エルはフォア賞で逃げ勝った。逃げて差すという強い勝ち方だったが、フォア賞は3人という少人数でのレースであり、感覚的には併走に近いんじゃないかと思う。

それを引きずったまま、凱旋門賞で流されるまま先頭に立てば、マズいことになってしまうのではないかと言ったのだ。

 

逃げには大別して2種類ある。能力でゴリ押しする力技の逃げと、知略を巡らせてレースを支配する逃げだ。

前者がサイレンススズカで、後者はセイウンスカイ。他にもいるが、直近で代表的なのはこのふたりだろう。

 

そして逃げという脚質は、脚を酷使する戦法だ。だからこそ逃げは王道ではないと言われている。事実ふたりとも故障している。いや、セイウンスカイはまだ無事だが、多分これから故障する。

だから東条トレーナーは逃げを敬遠している。チームリギルに逃げ脚質のウマ娘がいないのはそのせいだろう。

マルゼンスキーは能力が高すぎて結果的に逃げになっているだけで。

 

「確かにアタシは逃げの練習なんてしてませんデシタが、なんでそんな話になるんデス?」

「最内枠だからな。スタート次第では逃げる形になるんじゃないかと思って」

「でも逃げウマ娘がひとりいるわ。その()が飛び出してくるんじゃないかしら?」

 

確か競り合わずに引いたはずだ。多分こっちでもそうなる。ならない方が話は早いんだが。

そもそもこっちだとモン……ブロワイエとの関係が不明なんだよな。同じトレーナーではないようだけれど、それに同じトレーナーだとしても、ブロワイエを勝たせるために走れなんて言うかね。

 

「別に公言しているわけではないでしょう。最近は悪天候が続いてます。当日のバ場はかなり悪いと考えた方がいい。そこで慣れない逃げという形になるといたずらにスタミナを浪費しかねない」

「その懸念は分かるけれど、じゃあなに? わざとスタートを遅らせろとでも言いたいのかしら?」

「いえ、さすがにそれは悪手でしょう。俺が言いたいのは、最後の直線で余力を残す展開にしたいということです。エルの魅力は末脚だと思っていますから。ダービーのときのような」

「ダービー? えっと確か……」

「スペちゃんを差したときのことデスね。まぁ、差し切れはしなかったんデスけどね~」

 

キャシーは思い出すのに一時かかった様子だったが、エルは瞬時に思い出し、合点がいったようだ。

ブロワイエとの最終的な差は半馬身だった。それがわずか半馬身なのか、それとも大きな半馬身なのかは分からないが、蝶の羽ばたきひとつで覆る可能性はある。

 

「単純なカタログスペックでは、エルはブロワイエと同等か、凌駕していると思う。けど能力で勝っているからといって、必ず勝てるというわけでもない」

 

それが通じるならシンボリルドルフが負ける理由なんてないわけだし。

 

「ホームアドバンテージ。そしてバ場の状態も、おそらく相手の有利に働く」

 

先ほど言った通り、これから劇的に天気が回復するのは期待できない。つまりバ場状態は良くて『重』、悪ければ『不良』となる。

史実だと過去数十年で最悪の、極悪馬場とまで言われたんだよな。

エルは悪道が苦手なわけではないが、日本の悪道とフランスの悪道はやはり違うだろう。ならばブロワイエに多少の利がある。

 

俺にウマ娘の機微は分からない。体格がどうだとか、肉付きがどうだとか、そういった表面上のことならまあ、分からなくもないが、それ以上のことや、心機となれば全く分からない。

 

それでも関係者たちや現地の目の肥えたファンが、今回の凱旋門賞は2強対決だと言っているのだ。

凱旋門賞に出られるだけで超一流のウマ娘には違いないのだが、どうやら彼ら彼女らの目にかかれば、ブロワイエとエルのふたりが頭ひとつ抜けているらしい。

 

「一記者の戯言ですが、考慮に入れていただけると幸いです」

 

やんわりとキャシーに告げ、エルへと視線を移す。

この世界の主役は彼女たちなのだ。所詮俺が出せるのは口だけだ。安全に2着を守るか。一か八かの勝負に出るか。決めるのは俺じゃあない。

 

「まあエルなら、普通に走れば(・・・・・・)2着には入れるよ」

 

俺がそう言うと、エルは一瞬目を丸くし、その後プクッとほほを膨らませた。

 

 

 


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