とある転生者の遊興日記   作:乾燥海藻類

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第九話

あの激闘から数日後、エルはキャシーのトレーナー室のソファに座り、気の抜けた顔で天井を眺めていた。

 

渡仏した彼女の面倒を見てくれたのは、今も隣の執務机で仕事をしているキャサリン・クラウドというトレーナーだった。彼女は日本に留学した経験もあり、日本語は堪能だった。トレーニングは厳しいものだったが、むしろそれは歓迎すべきことだ。なにしろこちらは、世界最高峰のレースで優勝を目論んでいるのだから。

 

それよりもエルを悩ませたのは言語の壁だった。カタコトのフランス語しか喋ることのできないエルでは、友人を作るのも難しい。持ち前の積極性で何人かのウマ娘と友好を深めることはできたが、日本の学友たちとはやはり違う。最初の頃は心細さも感じていた。

 

(カイチョーもこんな気持ちだったんデスかね~)

 

ふと、取材の時に零した令の言葉がよみがえった。完璧超人に見えるシンボリルドルフにも若い時代はあったはずだ。その頃に渡米した彼女はどんな生活をしていたのだろうか。英語には苦労しなかっただろうから、交渉や雑務なども自分で行っていたのかもしれない。

 

(チョット信じられまセンね~。アタシはトレーニングで手一杯デス)

 

エルはトレーニング以外のことは、すべてキャシーに任せていた。トレーニングに必要なものの手配や、レースの出走登録など。日本では東条ハナがやっていたことを、こっちではそのままキャシーが行っている。

 

(割と似てマスよね。あのふたり)

 

その手腕や雰囲気など、東条ハナに近いものを感じた。一時期リギルのサブトレーナーをやっていたと聞いて、エルはその時に影響を受けたのだろうなと勝手に思っていた。

そして洋芝のコツを掴むのに苦労している頃に、あの男がやってきた。

良く言えば柔和な顔で、悪く言えばとぼけた顔で。

常に気を張った顔をしているキャシーとは正反対のような顔だった。

 

(今思えば、あのとぼけた顔にけっこう助けられたんデスね~)

 

緊張状態が長く続けば、精神にも影響が出始める。令はそれを上手く解してくれた。トレーニングが終われば気遣うような言葉をかけてくれて、差し入れなどもあった。オフの日には買い物や観光にもつき合ってくれた。最初は誘われるばかりだったが、次第に自分からも誘うようになった。

フランス語を忘れて会話できるというのも、大きな安らぎとなった。

 

(ああ見えて意外と気が利くんデスよね)

 

歩道を歩くときは必ず車道側を歩くし、ベンチに座る時はハンカチを敷いてくれる。これをキザと取るかは相手次第だが、悪い気はしないだろう。アメリカではレディーファーストの文化があるため然程珍しくもないが、日本人でこういったことをやる男性は珍しい。

エルは自分でも気づかぬうちに、好意に近いものを感じるようになっていた。

 

(あんまり記者っぽくもないデスしね)

 

彼は取材らしいことをあまりしなかった。その代わりとばかりに写真はかなり撮られた。新しい服を買ったときは、必ずと言っていいほどだ、もっとも、そのデータを貰ってグラスワンダーに送っていたのだから、エルも悪い気はしていなかったのだろう。

 

(悔しいデスが、おハナさんの手のひらの上でシタか)

 

シンボリルドルフ(前回)の二の舞を演じないように、とのことだろう。彼女は令に清涼剤としての役割を期待した。キャシー(ムチ)に対しての(アメ)を用意したのだ。

結果を見れば、彼はその期待に見事応えたといえるだろう。

 

「おっと、そろそろ始まるな」

 

黙々と書類仕事をしていたキャシーがリモコンを操作してテレビを映す。そこに映ったのは、神妙な面持ちで記者会見を始めるブロワイエの姿だった。ソファーでだらけていたエルも前のめりになって画面に視線を向ける。

 

記者会見が始まった。最初は当たり障りのない質問から。そして今後の予定を聞かれたブロワイエの口から飛び出した思いがけない言葉に、キャシーは目を瞬かせた。

 

「ジャパンカップに出る……だと?」

「え? ジャパンカップに? ブロワイエが?」

 

ジャパンカップの開催まで、残り二ヵ月もない。調整期間としてはかなり短いだろう。

 

「負けっぱなしは性に合わない。彼女のホームでリベンジする、だとさ」

「……それって、アタシに出てこいってことデスよね?」

「だろうな。だが、まだ疲労は抜けてないだろう? 無理に付き合う必要はないと思うがね」

 

と、キャシーは至極真っ当な意見を口にした。相手の都合に合わせてレースに出る必要などないのだ。

 

「条件は相手も同じデス! それにアタシ、挑戦するのも好きデスが、挑戦されるのも嫌いじゃないデスよ。キャシー、日本行きのチケット、ふたり分よろしくデス!」

 

そう言って、エルは部屋を飛び出していった。残されたキャシーは嘆息しながらも、素早い手つきでスマホを操作し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住めば都とは良く言ったもので、フランスでの生活は悪いものではなかった。用意された一室も、さすがはフランス随一のトレセン学園だけあって快適だった。

言葉の問題はあったが、半年も暮らせば日常会話くらいなら何とかこなせるようになった。人間の学習能力というのもバカにできない。

 

激闘の凱旋門賞から一週間が経った。

エルは一ヵ月ほど休養して日本に帰ることになるらしい。

 

エルにアドバイスをするかどうかは、実際に言葉にする直前まで悩んでいた。何故なら変えた未来がより良いものになる保証などどこにもなかったからだ。

もしかしたら、2着にすら届かず惨敗するかもしれない。

もしかしたら、転倒するかもしれない。

もしかしたら、大怪我をするかもしれない。

そんなことを考え出すと、軽々に口にすることが憚られたのだ。

 

俺が口を出すということは、エルはともかくキャシーにとっては間違いなく腹立たしいことだろう。

例えるなら野球観戦をしている素人が「ヘボ采配め! 俺に監督やらせろ!」とのたまうようなものだからだ。

 

最初の頃にこんなことを言っていたら叩き出されたかもしれないな。

半年の成果ともいうべきか、自分で言うのもなんだが、採用はされずとも、一考に値するくらいの信頼は築けたと思っている。

だからこそ、あの時ブリーフィングに呼ばれていなければ、たぶん俺はレースが終わる頃まで悩んでいただろう。

 

「まあ、結果オーライと言うべきかな」

 

無事に勝ったのだから、それで良しとしよう。

凱旋門賞の記事についてはすでに編集部へ送ってある。半年間の密着取材については、増刊号でまとめることになっていた。

俺は今その推敲をしているところだ。とそこで、BGM代わりに点けていたテレビに、ブロワイエの記者会見が映し出された。

 

フランス語だったので詳しくは分からなかったが、ジャパンカップという言葉が聞こえて、なんとなく察した。

フラグは折れていなかったらしい。

俺はそのまま仕事を続けていたが、その作業をノックの音に邪魔された。客人は見知った顔で、現在フランスで最も有名になったウマ娘だった。

 

「エルか。どうした? 俺は密着取材のまとめと"栄光の3日間"の準備で忙しいんだが」

「居残る気マンマンじゃないデスか。ワインはもうたらふく飲んだデショー。早く日本に帰るデスよ」

「なんでそんなに慌てて帰るんだ? 休養はどうした」

「……ブロワイエの会見を見てたんじゃないんデスか?」

 

なに言ってんだコイツ……みたいな目をエルが俺を見てくる。ブロワイエがジャパンカップに出るのが関係しているのか?

 

「直接言葉にはしなかったみたいデスけどね、あれは挑戦状デスよ」

「そうは言ってもな。ジャパンカップには出ないはずだったろ」

 

レース後の記者会見で、今後の展開を聞かれたエルは、休養を挟んで有記念の出走を目指すと答えた。日本の記者からジャパンカップについての質問もあったが、未定と答えた。

 

だが未定というのがマズかったらしい。ネットを探ってみると、気の早いニュースサイトにはブロワイエのリベンジレースなどといったことが速報で書かれていた。

 

「でもここで引いたら勝ち逃げしたと思われるデスよ」

「そっちはスペシャルウィークに任せればいいんじゃないか?」

 

それが本来の流れだし。

 

「ん~? でもスペちゃん、この間の京都大賞典で7着でシタよ?」

 

そういやそうだったわ。何やってんだよスペちゃん。そこまで忠実に再現しなくてもいいのに。

 

「グラスはメキメキ強くなってマスけどね~」

 

グラスワンダーって今回のジャパンカップに出てたっけ? 記憶にないってことは出てないか、出てたとしても連に絡まなかったか。

俺の記憶違いの可能性もあるが、グラスワンダーって強いけど隙あらば怪我してるってイメージなんだよなぁ。トウカイテイオーほどじゃないけど。

 

「それでもアタシ(主役)がいないと盛り上がりに欠けるってもんデスよ。それにジャパンカップは賞金的にもおいしいレースデスからね」

「ほう、意外だな。エルはそういう理由でレースは選ばないと思っていたが」

「日本の偉い人が言ってたらしいデスよ。こんなん(お金は)なんぼあってもいいデスからね~って」

 

それホントに偉い人か? 間違った情報渡されてない?

 

「稼げるときに稼いでおくデスよ。レイは収入よりやりがいとかを優先させそうデスからね」

「なんで俺の収入に話が飛ぶかわからんが、俺には大儲けの種があるからな。来年には大金持ちさ」

 

なにせこの世界ではウマ娘レースは世界的なエンターテインメントだ。しかも凱旋門賞ウマ娘の、プライベート(オフの日の)写真満載の写真集じみた特集雑誌である。月刊トゥインクルのバックアップもあるし、発売前から勝利が約束されているようなものだ。これで印税がガッポガッポという寸法よ。勝ったなガハハ!

 

「そういうのは捕らぬタヌキの皮算用って言うデスよ」

 

エルが言いながらジト目で俺を睨んでくる。お金の話になったからお金の話を返しただけなのに、解せぬ。

 

「そんなことより! さっさと帰って日本仕様に脚を戻さなければなりまセン。40秒で仕度するデス!」

「40秒はキツいぞ。せめて40分くれ」

 

そもそもなんで俺まで慌てて帰らなきゃならないんだ。まあ取材対象(エル)がいなけりゃ俺に滞在理由なんてありゃしないんだが。

ため息を吐きながら、部屋を見渡す。

来るときはカバンひとつであったが、半年も暮らしていればそれなりに物は増える。まあほとんどが日用品なので、持ち帰って荷物になるよりはキャシーに処分してもらった方がいいだろう。

 

本来ならば、エルはジャパンカップどころか有記念にも出走することはなかった。

ここから先は、俺の知らない完全なもしも(IF)の世界。

この世界に生きる彼女たちの運命は、まだ誰にも分からない。

 

 

 





終わりっぽいですが、あと一話だけおつき合いください。
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