副業
チッタ・エナテール市内
栄えあるサディア帝国の中心たるこの町で、思わず2度見をしてしまうような美女と食事を摂っている冴えない中年のアジア人を見かけたなら、きっとそれが私だろう。
私の名前は『カツラギ』。
重桜海軍の士官にして、階級は中佐だ。
そしてテーブルの向かい側にいるのは私の妻。
明るめの茶髪に、素敵な笑み。
到底私にはふさわしくないように思えるかも知れないが、それでも彼女は私を受け入れてくれた。
彼女の名前は『ザラ』。
重桜の指揮官の1人がなぜサディアの街角でザラ級重巡洋艦のネームシップとランチを楽しんでいるかといえば、それにはちゃんと理由がある。
そもそも、それは私がサディアの駐在武官として派遣された経緯から話さねばならないだろう。
数年前から始まったセイレーンとの戦闘は、人類側に多大な犠牲を強いた。
奴らのチカラは強大で、いかに一等国の海上戦力を持つ重桜といえど苦戦は免れない状況だ。
当然のことながら優秀な海軍軍人は前線の陣頭指揮へと回されていく…つまるところ、私がその時期に駐サディア大使館の駐在職員に選ばれたのは、私が少なくとも指揮能力に於いて平凡以下と見られていたからだろう。
たしかに私はたまたまサディア語を話す事ができたし、読めたし、書くこともできた。
ただし駐在職員に相応しい人間なら他にも腐るほどいる。
私は特に選抜されたわけでもなく、海軍部の人事リストの中から上位者を削り取っていった結果でしかない。
何のことはない、私の他に軍人は私よりサディア語もできるが軍人としての能力の方が秀でていたがために引き抜かれていったのだ。
平たくいえば、"戦時昇任"とでも言ってしまった方がいいだろうか?
ともかく、私はサディアに赴任した。
無論、ウキウキもウッキウキで。
セイレーンとの第一線に派遣されることもなく、尚且つ官費でエウロパに行けるというのだから何を迷う事がある?
サディア、サディア、素晴らしきサディア。
せっかくのサディア赴任なのだ、ナポリを見ずして死ぬ理由もない。
私がザラと出会ったのは、赴任した最初の週くらいは旅行者気分を隠しておこうと大使館近くの美術館に向かった時だった。
個人的には重桜海軍の制服というのがどうにも気に食わない。
あの白い生地に汚れは目立つし、それに詰襟のせいで息苦しいのだ。
ともかく私はその日、致し方なしに嫌っている制服に身を包んで美術館へと向かった。
いつの日にかナポリを見物するにしろ、その前菜くらいはあったっていい。
ところがその道中で2人の若々しい別嬪さん2人とぶつかってしまう。
その内1人は手にピスタチオのジェラートを持っていて、私の海軍制服の白地に緑の帯ができてしまった。
この日出会ったザラ級重巡洋艦姉妹のうち、私の制服をキャンバスにして砂糖のピスタチオのアートを拵えた方がザラだ。
「………ねえ、あなた。デザートにジェラートを頼んでもいいかしら?」
「…うん?………ああ、もちろんだとも、ザラ。ただし、今度ばかりは身の回りに気をつけて。」
「あっははは!あなた、まだあの事を根に持ってるの?」
「大変だったんだぞ?クリーニングに出してくれたのは良いが、君らの部屋のフレグランスな香りが制服に染みてしまってね。着任早々女にだらしない男だと思われてしまうところだった。」
「あははははは!それは大変だったわね!…でも、こうして一緒になれたんだし。」
「そうだな。今思うと"怪我の功名"ってヤツかも。」
もし私が遥か昔の戦国大名なら、この"怪我"に褒美を目一杯与え、家老として重用するレベルの"功名"だ。
彼女とは、ピスタチオのジェラートと白い制服のお陰でその後何度もやりとりをする仲となった。
更にいえば、ザラのジェラートがもたらしたのはそれだけではない。
私は今、ザラの紹介された仕立屋で調達した特注品のスーツを着込んでいる。
この店の価格設定は上流階級に向けられていたし、店の駐車場には我々がここまで使ってきたサディアの誇る高級車が止まっていた。
目の前にあるミラノ風のカツレツも素晴らしいが、通常、海軍のいち将校がこれだけの金周りを確保するのは考えられない。
理由を述べるとするならば、私は副業を行なっている。
とても稼ぎのある副業で、それも元はと言えばザラと知り合えたからこそできること。
昨日こうして海軍制服ではなくスーツという服装を選んだのは、その副業に関する仕事だからだ。
2番目のメインを食べ終えて、デザートとコーヒーを楽しんだ私達は店を出る。
駐車場に向かい、私よりもよほど運転が得意なザラが車のエンジンをかける頃にはそれまで微塵も感じていなかった緊張感が急に胃を圧迫し始めた。
そんな私を見たザラは、やはりクスクスと笑っている。
「緊張しすぎよ。あなたはキチンと仕事をこなしたんだし…何を恐れる事があるのかしら?」
「そうは言っても緊張するさ。"叔母様"に会うんだから。」
車はチッタ・エナテール随一のホテルへと向かっていく。
腕時計で時間を確認すると、我々はここまで時間に正確にスケジュールをこなす事ができていた。
駐車場に車を止めると、我々はホテルへと入って行き、フロントでアポイントメントを取ってからスイートルームへと向かう。
エレベーターを最上階で降りてフロントに案内された通りに直進すると、その扉の両脇でスーツ姿の屈強な男達に出迎えられた。
私はそのうちの1人に、可能な限り落ち着いて話しかける。
「どうも、こんにちは。"叔母様"に、カツラギが会いにきたとお伝え願えますか?」
「…身分証を」
IDカードとボディチェックを受け、我々はようやっとスイートルームに通される。
黒スーツのボディガードに引き続いていくと、そこに"叔母様"がいらっしゃった。
美しいプラチナブロンドに、豊満なスタイル。
上品という言葉では表現しきれないほどの物腰の中に、たしかに覇気というものを漂わせた女性………彼女はKANSENで、その名は…
「お久しぶりです、"叔母様"」
「はぁ。その呼び方はやめなさい。」
"叔母様"…ヴィットリオ・ヴェネトがため息混じりにそう言って手を振った。
我々を案内してきたボディガードは部屋から出て行き、ついで"叔母様"の近くにいた恰幅の良い男がヴェネトに尋ねる。
「僕も…席を外した方がいいかな?」
「そうですね、ポンペオ。あなたは海軍の軍人としては優秀でも政治には無頓着でしょうから。」
「おやおや、これは手厳しい。」
「あなたのことは愛してますけど、だからこそあまり巻き込みたくはありません。」
「分かったよ、ヴェネト。それじゃ私は退散しよう。」
ヴィットリオ・ヴェネトの指揮官、ポンペオ・カルルッチ海軍中将が部屋から退場すると、我々は彼女の対面のソファへと促される。
「…さて、カツラギさん。重桜での作戦は上手くやってくれたようですね。」
「光栄です、"叔母様"。」
しまった、と思った。
ついいつも癖でまた彼女のことを"叔母様"と呼んでしまう。
しかしながら彼女も彼女でこのことについては慣れてしまっているようで、少しため息をついただけで本題を続けた。
「あなたのおかげで海軍部統帥派の首領を処理する事ができました。既にこちらの情報筋では、皇室派との緊張が高まっていることを確認しています。」
「統帥派を構成するのは軍の中堅将校連中です。奴らは今回の件を皇室派による謀殺だと決めつけることでしょう。人事を無理矢理にでも変更して、皇室派の要職者を下野させる腹積りかと。」
「皇室派は更にその先を狙う…ここまでは私の狙い通りです。ただ問題は…」
「そうです、叔母様。この先が問題となります。統帥派と皇室派の衝突はいずれ表立ってくることかと思います。我々がそれを先回りして潰そうというのなら、直接に介入できる戦力が必要です。」
「それについては心配なく。既にジュゼッペと話をつけています。」
「パレンティ大佐と?」
「ええ。あなたはもうサディア大使館の駐在職員ではなく、海軍部の中央にいる。作戦の指揮を取るには最適な位置かと思いますが?」
私はギョッとして叔母様の方に顔を向ける。
ヴェネト"叔母様"はあっけらかんとしていらっしゃるが、彼女のいう通りにするならば、私は火薬庫の中を松明を掲げながら行くことになる。
「…叔母様、しかし」
「ジュゼッペの兵隊を動かすためには現場で指揮する人間が必要です。彼を動かしても、私が出向いても、どのみち重桜当局に目をつけられてしまうでしょうから。」
「つまり、私たちの手札で重桜の内部に潜り込んでいるのは私の指揮官だけ…そういうことね?」
「そうです、ザラ。カツラギ中佐の立場なら重桜軍部内の情報が…それも正確な機密情報が迅速に入手できると踏んでいます。そしてあなたにはそれを成し遂げる能力がある。」
「叔母様、買い被り過ぎですよ。私はそんな…」
「もちろん、あなたがどうしても固辞したいのであれば構いません。仮にも私たちの仲間と結ばれた指揮官を追い出すような真似もしないと約束しましょう。…これは……あなたの副業の依頼主として命令しているのではなく、ザラとあなたの関係を取り持った立場にある者として"お願い"しているのです。それに、これは必ず重桜にも利益をもたらすでしょう。」
私はとびきり酸味の強い梅干しをかまされたかのような顔をしているに違いない。
叔母様のご依頼を成し遂げるとすれば私はとびきり高いリスクを抱えることになる。
それに、別に重桜がどうなろうが…正直言ってどうってことはない。
あの国と国民はどのみち終わってる。
セイレーンとの戦いが、重桜国民を浮き足立たせてしまっていた。
彼らは今やユニオンすら敵でなしと豪語する有様なのだから。
しかし隣にいるザラが優しく私の手を握ってきたので、私は引き返せる最後の地点をあっという間に…そしてあまりに軽やかに通り過ぎてしまう。
そう、これはどちらかというとザラや叔母様のサディアにとって重大な作戦なのだ。
サディアが助かれば、もしかすると重桜も助かり、私達はまた平穏な日々を楽しめるかもしれない。
その強力な誘惑は、リスクを傍へと追いやってしまう。
「…かしこまりました、叔母様。」
「良く決断してくださいました。ただ今より、私たちの作戦の極東方面での指揮権をあなたに任せます。連絡はサディア大使館の者を通じて行いますが、間違っても直接出向くことはないように。」
「はい、叔母様」
「………あなたは重桜の首都のど真ん中で、海軍部の要人を見事に処理したのです。私の見立てが間違っていないことを、どうか証明してください。」
「ええ、叔母様。ご期待には必ず答えます。」
ザラのためにも、そして自分のためにも、私に選択肢はない。
叔母様のご期待に応えるためにも、私はその日の夜には重桜行きの飛行機に乗っていた。