「あら、ようやく来たわね。……え、昨日も来た?」
「また、また私だけ?私だけここに取り残されてるの?ああ、嫌になるわ」
「……なによ、急に立ち上がっちゃって。なに、抱きしめようと思ったって?やめてちょうだい。ちょっとだけ不安定になっただけよ」
「……あなたの事が嫌いなわけじゃないわ。それでも、私はこの距離感が心地良いの」
「読書の邪魔になるくらいペチャクチャ話すわけでもなく、たまに話して、2人で読書して、感想を言い合う。気まずい沈黙じゃなくて、心地いい静寂の時間。その時間が好きなのよ」
「……なに嬉しそうにしてるのよ。別にあなたの事を好きと言ったわけじゃないでしょう。それでも、ってあなたも変な人ね。……まあ、そんなあなたと付き合ってる私も大概変な人なんでしょうけど」
「変な人じゃないって、変な人から見たらそうでしょうね。普通の価値観と異なるから変なんて言われてるわけですもの。この場には私しかいないのだけれど」
「それで、今日は何をしに来たの?また本でも貸しましょうか?」
「そうね、私からのおすすめは……」
「なによ、SFが嫌なの?ああ、でもそうね。私はいつもSFを勧めていたわね。……もしかしたら、私はSFが好きなのかもしれないわね」
「本しかない狭い空間、私を閉じ込める檻。こんなところにいるからこそ、せめて物語の中でくらい宇宙に、別の惑星に、想像上にしかないところに飛び立ちたいって思うのかしら」
「現実の話だと……私は想像するしかないから。あなたみたいに具体的な光景を想起することができないから。あなたに同じように想像するしかないという感覚を味わって欲しいっていう願望が出てるのかしら」
「はあ……。つくづく嫌になるわね。あなたを自分と同じ感覚に落としてその事に悦に入る。私って嫌な女じゃない?」
「そりゃ自虐的にもなるわよ。私はまだ衝動を抑えきれてないのよ。全て壊そうだなんて思ってたあのときほど過激じゃないけど、それでも自分をあげるんじゃなくあなたを下げることで自分と同じだと感じていたんですもの。」
「それはわがままなだけ、ですって?……あなたが言うならそうなのかもしれないわね」
「吐き出したことで心が軽くなったわ。一応感謝するわ。……ありがと」
「いつか、あなたに言った通りね。誰かに語ることで初めて自覚出来ることもある。あの時も私は自分もそうだって言ってたわね」
「私が成長してないってことなのかしら。……ああ、ちょっとしたジョークよ、ジョーク。あまり真に受けないで」
「ところであなた、今日なんだかソワソワしてないかしら?」
「……やっぱり、あなたの世界ではバレンタインなのね。あら、やっぱりの意味を知りたいの?」
「……本しかないと思ってたここにね、キッチンが出来たの。調理器具一式と、チョコレートの材料。ここがなんなのか、私はまだ分かりきってないわ。囚われた場所かもしれないし、名前をつける必要のない閉じた場所かもしれないし、常に自分とは何かをとい続ける場所かもしれないし、その全てかもしれない」
「ただ、ひとつ言えるのはここのことは誰にもわからない、ということかしら。だからこんなご都合主義みたいなことも起きるのかしら」
「作ってないのかって……一応作りはしたけど、食べたいの?」
「料理ーーこれを料理と言っていいのか分からないけど、何かを作ったことなんてないし、正直あんまり美味しくないわよ」
「それでもって……やっぱり、変な人ね」
「……お世辞は辞めて。美味しくないでしょ?私の手作りだからって……あなたって、ほんとバカね」
「でも、うれしい。本当はね、美味しくないって言われたらどうしようって思ってたのよ。こういう贈り物は初めてだし、あなたがチョコレートを嫌いだったらどうしようとか思ってた。でも、そう言ってくれるとうれしいわ」
「私、ご都合主義の事があまり好きじゃないのよね。作者が無理矢理ハッピーエンドにしたいからってそうはならないでしょって言う改変を加える。それが登場人物への冒涜のように感じていたの」
「でも、今は、別にご都合主義もいいかなって思えるのよ。もしこれが物語なら、本だけの場所にキッチンが現れるなんてご都合主義以外の何物でもないでしょうから」
「今だけは、この都合のいい改変に身を任せて楽しみましょう。……ホワイトデー、期待してるわよ」
読んでいた本が一区切り着いたからだろうか。いつの間にか寝てしまっていたようだ。目が覚めて、顔を上げる。そこには、キッチンもチョコレートもなく、彼もいない。
彼が来なくなってから、どれくらい経っただろうか。どれだけ本を読んでいても、ふとした瞬間に顔を上げ、部屋を彷徨き、彼が来ないか期待する。そして、来ないと気づきまた本を読み始める。
きっと彼の世界で楽しく過ごしているからだろう。私と話すより、楽しいことを見つけたのだろう。
そう納得しようとしても晴れないこの胸のもやもやは何だろうか。
「一緒にいられるって言ったのに……。自分探しを続けるって誓ったのに……」
「………………………………ばか」