私はね、秘密が苦くて、嫌いだった。だからこそなのかな、気付いたら光博くんに惹かれていた。そんなあなたに出逢う少し前の話、私は好きな人とすれ違って、好きって気持ちが薄れていて、そしてお別れを決意した。何度も何度もごめんと言われたけれど、私の気持ちは冷たい波にさらわれていて。
──ああ、私は実は冷たい人間なんだって思った。カレはこんなにも愛をくれるのに、そんな愛をいらないと首を横に振っちゃうなんて最低な女の子だと自嘲していた。
「私に、秘密は……苦しいよ」
「そうか……わかった」
「うん……ごめんね」
「いや、オレの方こそごめん」
秘密の恋だった。カレのおうちはカレの将来のためって言って、すごくカレを縛り付けていた。自由を求めてアルバイトに勤しみ、そして何もかもまっすぐだったカレに惹かれたけれど。苦しかった。こっそり会うのも、カレが周囲を気にしながら愛してくれるのが、苦くて、苦しくて。私もカレの
「あ、あのさ……花音、さん」
「どうしたの?」
「今度、す、水族館とか……一緒に、どう、ですか?」
「……はい!」
だから隠す必要のない恋が私には甘すぎた。優しい光博くんが好きだった。自分に自信がなくても、迷子になった私たちが声を掛けるとすごく丁寧に教えてくれたあなたとライブスタジオで再会した時はなんだか運命ってこういうことなんだなって思えた。私が彼を好きになるまで、そんなに時間はかからなかった。
「あ、ちょっとすいません」
「はーい、どうかしましたか……っ」
光博くんと初めてのデートをしてから少し、スタジオに来た私を待っていたのは彼の幼馴染でありバンドマンでこのスタジオの店長もしている人だった。雇われ店長で、オーナーも親族らしいけど。
──そんな彼の幼馴染は、私の部屋に入ってくるなり、すごく距離を縮めてきた。怖い、何があったのかわけがわからずに見上げると声を潜めてくる。
「
「……ど、どうしてですか?」
「訳は聞かないでくれ、頼む」
「ふえぇ……?」
頭を下げられ私はびっくりしてしまう。チャラい印象があって、遊んでるみたいな話も光博くんから聞いていたから。後から心配そうに何かされなかったと言っていた光博くんに少し訊ねてみるとどうやら、彼は彼で親の縛りを逃れられないみたい。秘密、光博くんも秘密を抱えて生きていて、まるで籠の中の鳥みたいで……それを私が解き放ってあげたいって思った。
「でも、光博くんは私の方を向いてはくれなかった」
「……花音」
「だって、ずうっと、千聖ちゃんばっかりだったもんね」
それに気付いたのは彼の幼馴染に頭を下げられてからすぐだった。ハロハピのみんなとご飯に行って、その帰りの途中で私はその四人が並んでいるのを見つけた。私といるより幾分か崩れた表情で笑う光博くん、リサちゃんや千聖ちゃん、ひまりちゃんと一緒に歩いているあなたは私といる時なんかよりもよっぽど幸せそうだった。
「……どうして」
羨ましかった。私の方は見てくれないのに、私にはすごく素っ気なく接してくるのに。特に千聖ちゃんと光博くんの二人きりは胸が張り裂けそうな感情に陥った。同時に、私はこの時初めて、獲物にありつけないケダモノの気持ちが理解できた。私は最初から、アレがほしかったんだ。あんな風に並んで笑い合って、そしてお互いの家に入っていく。そんな関係になりたかった。でもキミは私から絶対に一定の距離を空けていた。どんどん、キミの気持ちがわからなくなってきて、悲しくて、寂しかった。もっと、もっと、愛してほしかった。
「だから私ね、クリスマスイブのデートで、ホテルに泊まるって言われた時……すごく嬉しかった、ああやっと、やっと私のことを見て、愛してくれるんだって思ったのに」
「……それは、ごめん」
「もう、遅いよ」
キミの気持ちがわからなくて、ちょうどその時カレが自分からおうちを飛び出してひとり暮らしを始めたと教えてもらった。これでもう隠れて付き合わなくてもいいんだって。ホントだったらきっと揺れなかったと思う。でも、でも光博くんの好きって気持ちがわからなくて、私は……
「クリスマスイブ、なんにもなくて……泣きたくて、泣きたくてどうしようもない時に、カレが慰めてくれた。大丈夫だよって抱きしめてくれた。だから、もう一度やり直せるのかなって、そう思ってた」
でもダメだったことは、もうわかるよね? 一度お別れして、光博くんがいるからって断り続けてきちゃったからしょうがないけど、カレは私を本当の意味で信頼してくれなかった。愛してくれても、ふと我に返って、まるでそれが優しさみたいな顔で私をキミのところに送り出そうとしていた。忘れさせてくれなかった。それが、優しさなんだって思い込んでいた。
「優しさだよそれは……花音が傷つくのが、嫌だったんだ」
「違うよ、カレが傷つくのを嫌ったんだよ……もう私に嫌われたくなくて、そう言うしかなかったんだよ」
「それでも、花音のことを想ってたんじゃ」
「……
そういう意味だとキミの方がずうっと魅力的な人だよ。ちゃんと傷つく覚悟を持ってた。最後の最後でダメになっちゃったけど。だから私はキミを求めていた。今度は私が傷つく覚悟をして、いっぱい泣いちゃうとしても、千聖ちゃんを泣かせちゃうとしても、今度こそ光博くんの恋人になるんだって、光博くんが好きでいてくれる限り私も手を伸ばそうって思った。
「──アイツから離れろって言ったはずなんだけど」
「どうして?」
「理由は言えない」
「私は、今までの人みたいに……脅したり、お金で嘘つかせたりなんてできませんよ……いい子じゃないですから」
「お前は……!」
「それとも、ここで襲われたって……光博くんに言ったら、どうなるんでしょうね?」
「……っ!」
どうやら光博くんには寝取られた、みたいに見せかけてたのか本当にそうしたのかはわからないけど。もうそういうのも通じない。両親の都合で子どもの人生なんて決めちゃダメだってことを、もうあの人だって理解してる。だから私を止められなかった。電話しても、もう光博くんはバイト辞めちゃうのにね。
「……信じられない」
「信じなくていいよ、もう私のことなんて信じなくていいから」
本当はもっとゆっくり、またやり直すつもりだったけど。まさか千聖ちゃんが私がいなくなったからって光博くんを取っちゃおうとしてたなんて、ひどいね。寝取られはよくないって光博くんだってそう思うよね?
──ああ、私の方は大丈夫だよ。もうお別れしちゃったから。だから安心してね。
「そんな、簡単に」
「簡単じゃないよ……」
「……でも」
「私は、光博くんがほしい。光博くんって、決めたから……」
ふふ、なんだかかわいいな。振りほどこうと思えばできるのに、力任せにすれば私なんて引き剥がせるのに、私が触れると光博くんはじっと動かなくなる。制止の声も弱々しくて、私はそんな優しい光博くんが愛おしくてたまらない。
──そして私は、光博くんに送ってもらったその次の週末、約束通り一緒にハンバーグを作った。前は捨てちゃったパーカーはちゃんと保管してあって、今度こそありがとうって寝間着に使わせてもらった。
「大好き、大好きだよ光博くん……」
「花音……」
やっと、やっと私を見てくれた。私のことをキレイな花じゃないって思ってくれた。それだけで私は幸せでどうにかなっちゃいそうだった。私は、そんな多幸感に酔ったまま光博くんに覆いかぶさった。月がキレイな夜に、ずっと望んでいた彼との時間に、クリスマスイブに果たせなかった欲望の発露に、私はどんな顔をしていたのかな。やっぱりそれは、ケダモノみたいな顔だったんだろう。
「……本当に、こうするしか、なかったのかな……私は」
「ごめん、花音……俺にもわかんないから、だから……
「ふふ……えへへ、優しいなあ、なんでそんなに……優しいの?」
彼はくしゃっとした笑顔のまま私を受け入れていく。ぎゅっと抱きしめてくれて、私を許してくれる。朝起きたらご飯食べる? と優しく問いかけてくれる。暖かくて、底抜けに優しい私の大好きな人は、どこまで優しくなってくれるのだろうか。どこまで、どこまでしたら幻滅してしまうのだろうか。それが、なんだかすごく怖かった。
花音は泣いていた。泣いていて、それでも好きと縋られて俺は理解してしまった。花音がこんな風になったのは俺のせいだ、俺が花音を拒絶したから、花音に幻想を抱いたから。そんな罪悪感と花音の表情を前にすると、俺はもう絡みついてくる腕を振り払うこともできなくなっていた。好きな人のぬくもりを、好きな人の欲望を、いらないと言ってしまったから。
「俺は……優しくなんてない。俺なんかが優しいのなら、きっと世界全部優しいよ」
眠ってしまった花音の目尻にある涙を拭って俺は抱きしめる前の表情を思い出していた。驚いたのはキスをする直前も、俺に毒を流し込むように絡みつく時も、花音の印象が変わらなかったことだった。もちろん、最初はその性欲を纏った表情に気持ち悪いと思ったし、そこまでして身体の関係を求める意味もわからなかった。その先に愛があるのはわかる。でも、それはあくまで近道的な意味合いなんじゃないかと思った。
──急がば回れ、急いでる時ほど、二人の時間をゆっくり進めていくのが、愛なんじゃないかと。
「また俺が間違ってるのかな、千聖さん……」
独りになった部屋でポツリと呟いて、はっとする。いやいや、俺はもう千聖さんに合わせる顔なんてない。あんな風に千聖さんを不快にさせて、その上契約としては恋人としての関係が成立していたのに、俺は花音を受け入れてしまった。最低な男だ、本当に本当の意味で俺が考える最低な男に成り下がった。こんなことしたら、もうどちらも選べないことなんてわかりきっていたのに。こんな俺の姿を見たら千聖さんはなんて言うんだろう。いや、決まってる。
「バカね」
そうやってお説教が始まるんだ。厳しいけど優しい声で、でも膝を抱えてうずくまることしかできない俺に、千聖さんは手を差し伸べるんだ。
──こんな汚れた手でも、千聖さんはきっと。
「汚れてなんてないじゃない」
「……千聖さん?」
「なあに? ひどい顔ね、そんなに私がいないと寂しいのかしら」
「あ……本物」
「ええ、本物よ」
幻じゃなくて、俺の都合のいい妄想じゃなくて、千聖さんはそこにいた。合鍵を渡しっぱなしだったことに今更気付いたけど、そんなことよりも。千聖さんが
「千聖さん」
「どうしたの? というかひどい顔ね、ちゃんと食べてる?」
「……おかえり」
「ええ……ただいま」
俺は、この人みたいに成りたかったんだ。俺を救ってくれた、俺の光であり続けてくれた、俺を導いてくれた風でありたかったんだ。あの子を助けるために、あの子だけじゃなくて、俺自身が変わるために。
そして俺はもうひとつのことに気付いていた。この人に感じていた気持ちは決して、逃げるための方便でもなく、甘えるためのごまかしでもなく。花音に抱いていた気持ちだったのだと。その笑顔を見て、俺は確信していた。
次回からまた、ちゃんと毎日投稿します! 頑張りますので読んでくださると嬉しいです!