・無能事務所、やらかす!
・相手は弦巻グループだ!
結論:勝てるわけないじゃん。
結局俺は、千聖さんの件であんまり役に立つことはなかった。まぁ当然といえば当然なんだけど。俺が千聖さんに接触するのはまずいってことでロクに情報収集もできなかったし、その間にリサや花音が色んな事情を暴いてマネージャーとこころの協力を得て頑張っているのを、俺はぼーっと見ていることしかできなくて、とにかく千聖さんにまた会いたいと願うことしかできず、できたことは俺の顔を見るなり涙をこぼした彼女を抱きしめてあげることくらいだった。
「千聖さーん、オフだからっていつまで寝てるの?」
「ん……いいじゃない、疲れてるの」
「朝ごはん机の上に置いてあるから」
「行ってらっしゃい」
「うん……行ってきます」
ようやく夏の暑さも感じる日がなくなった十月、色々あったけど全部レコード会社の身内が起こした不祥事ということで処理され騒ぎは表に出ることなく鎮火してから一ヶ月が経過していた。その際に事務所も結構な被害というか不利益もあったみたいだけどマネージャーさん曰く身から出た錆だから気にする必要はなくて、今まで通り千聖さんをよろしくということだった。
「あはは、それで千聖ちゃんまだ寝てるんだ! あたしも見てみたいな、ぐーたらな千聖ちゃん!」
「そんな珍しいものじゃないよ、俺にとっては」
「じゃあじゃあ、写真とか撮って見せてよ! ね!」
「ひ、日菜ちゃん……」
「えー、彩ちゃんも気にならない?」
それ以外に変わったことといえば秘密の共有者にパスパレのメンバーが増えたことくらいだろうか。あとは流石に大事になりすぎて俺のバイト先の常連さんは大なり小なり俺と千聖さんの関係を察してることだ。それについて千聖さんは、もう写真撮られた時に諦めたわと実に彼女らしい割り切り方をしていた。
「そういえば、ここにいるってことは千聖さん放置しててよかったの?」
「うん、これ私が今朝言い出した自主練だから」
「あたしはおねーちゃんと一緒に来れるからね!」
あとこのバイトで交友が増えるたびになんで男性の俺がここで働けているのだろうと心配になってくるくらいに女の子しか来ない。ホントに男が来ない。ライブがある時に客としてチラホラ見かけるくらいだ。でもなんだかんだで常連と話してる雰囲気で危なくないってことは察してもらえるんだろう。結構受け入れられてるような気もする。気のせいだったらどうしようね。
「ありがとうございましたー!」
「ありがとうございます!」
スタジオの利用者を見送って、俺はため息を吐く。ここ、本当に中々忙しいんだなぁということを実感して、でも不思議と不快感はなかった。なんというか、前の職場にあった不安というか不思議な話をしてるのかもしれないけど、
「はぁ……」
「ため息を吐くと幸せが逃げるわよ」
「……いらっしゃいませ」
「ええ」
あんな事件が一ヶ月前にあったのにこの日常は変わらない。千聖さんも変わらない。それは、いいことのようにリサも花音も言うけれど。俺は本当にこれで解決でよかったのかって今でも思ってる。またなぁなぁの、選ばない二択を繰り返してる。昨日は千聖さん、今日も千聖さん、明日は花音で夜は三人だ。曖昧で、あやふやで、アンモラルな日常は今も廻り続けている。
「千聖さん、幾らなんでも一緒に帰るのはまた……」
「いいじゃない、偶には」
「……まぁいいけど」
にこやかでありながら有無を言わせない口調だった。そう、変わったことといえば千聖さんはあれ以来ますます一緒にいる時は甘えてくるようになった。バイトが終わり一緒に歩くことになってちょっとハラハラしている俺をよそに千聖さんはご機嫌で手を繋いでくる。千聖さんと歩きながら手を繋ぐなんてこれまではなかったことだから緊張してしまうね。
「これが、花音の求めた景色なのね」
「……そうなのかな?」
「ふふ、あなたを独り占めできるのだから、ここはまさしく特等席よ」
少女のように笑う千聖さんは、本当にかわいらしくて。好きって気持ちが溢れてくる。でも、だからこそ俺はどうしたらいいのかわからなくなる。こんなに俺のことを好きでいてくれる千聖さんも、同じように俺のことを好きでいてくれる花音の両方に対して、常に裏切りを続けているなんて。リサに相談したらゆっくりでいいんじゃない? とか言われたけど、本当にそうなのかな? ゆっくりでいいって、ゆっくりしてたらあっという間に卒業になって、その後もダラダラと関係を続けると思うと焦りたくなってしまう。
「私ね、あんなことあって……余計に、光博が一緒にいてくれることが幸せなの」
「千聖さん」
「隣にいて、一緒にいて、笑って、怒って、ちょっと愚痴っぽくなって、色んな顔が見られて、色んなあなたを知れて、私は……私は白鷺千聖でよかったと心から思うわ」
──その笑顔はすごくキレイで、満天の星空のようにキラキラしていた。千聖さんにとって俺がいて、俺には素顔でいられるってことがすごく大事なことなんだ。それだけなら、俺もそんな風に素顔を見せてくれるのが自分でよかったと笑えるのに。俺には花音もいて、花音に好きを割いてる。
「俺は……」
「……いいわよ、応えてくれなくても。花音のことが好きでも」
「でも」
「だってあなたは私を満たしてくれるもの……それだけで」
いい? どうして? 俺は最低なことをしているのに。最低で、最悪なことをしてるのに。倫理観として、普通の感性としてクソ男にも程があるでしょ。仮に俺がSNSやら掲示板サイトに今の身の上を書いたとしよう。東京都内在住十八歳、恋人は二人いて片方はアイドルでもあるって。釣り乙、となるのがまず当然の反応だ。浮気ではなく二人に認められてるって言っても、嘘じゃないと判断された瞬間に俺の味方はどこにもいなくなるだろうね。
──でも、ここの人たちは頭のネジが外れてるのか知らないけどみんながみんな、暖かくそれを受け入れている。パスパレのメンバーも誰一人として俺に軽蔑した目を向けることないし、それがさも当然かのように受け入れてくる。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
「なんでもない、なんて私に通用するわけないでしょう?」
「だよね……なんかさ、今、俺に都合が良すぎるなって、考えたら……ちょっと気持ち悪くなっちゃって」
「そう……まぁ、言われるとそうなるわね」
別にだからって気持ち悪いとか、二股とか最低死ねよクズとか言われたいわけじゃない。わがままかもしれないけど貶されたいわけでも、味方になってほしいわけでもなかった。ひっそりとしていたかった。そう、俺は誰かに認められて、周囲から祝福されるために二股をしているわけじゃないんだ。それが、腫れ物であるから。触れにくい存在、まるで大きな虫を見たような絶妙な気持ち悪さがあるから。そうすれば、千聖さんの恋愛にも、花音の恋愛にも俺に向けて何か言う人もいないから。
「……あ、そうか」
「光博?」
「なんでだろうって思ったことが解決した」
「……そう?」
「うん」
ああそうか、やっと俺は自分の恋愛が何かがわかった。俺にとって恋愛とは、恋とは秘密であるべきだったんだ。胸の内に秘めるもの、言葉にしないもの、態度にしないもの、ただ苦い恋愛にとって、苦い人生にとっての少しの砂糖であるべきだったんだろう。だから花音に恋をした。花音のことを想って自分を変えた。そして、秘密を愛する千聖さんに惹かれたんだ。
──俺は秘密の恋がしたかった。ああそうか、俺は千聖さんとの関係や、その上に積み重なった花音の関係に、酔っていたんだ。俺があのクリスマスイブの日、花音の目に思った感情は気持ち悪いという生理的嫌悪と、もう一つあった。
「……みんながこの過程を知って、祝福されるのが気持ち悪い」
俺にとってそもそも性行為は愛を伝えるものじゃない。欲望と原始的なプログラムでできた本能だ。人間的なものとは程遠い、理性とは程遠くて、そして気持ち悪いもの。このまま花音のその本能と、俺の本能が交わった結果、恋人になったとして、次に待っているのは俺を支えてくれた彼女たちの言葉だ。
「やっと実ったのね、やれやれ、遠回りだったけれど……おめでとう」
「よかったね〜、ちゃんと花音さんのこと幸せにしなきゃダメだよ?」
「ささ、じゃあおねーさんが今日はごちそうしてあげよう! あ、花音も呼ぼっか?」
──実際に言われたわけじゃないけど、こんな感じだろう。流されて性行為をして、不確かな気持ちを性欲で埋めて、その上おめでとうと言われることが耐えられなかった。それと今の状況は全く同じだ。あの時、千聖さんが戻ってきて、リサもひまりちゃんもよかったねと安堵の言葉を出していた。パスパレのメンバーも千聖さんに同じ言葉を掛けてた。嫉妬していたはずの花音ですら、涙を拭いながらよかったと言葉を溢した。大団円、温かい拍手に包まれるハッピーエンド、腕の中には愛する人がいて、横にも同じくらい愛する人がいて、俺はみんなに祝福されてその日は千聖さんに迫られた。寂しかった分を埋めたいという欲に応えて、また変わらない朝が来たんだ。
「気持ち悪い」
よくはないだろ。なにしれっとまた二人を囲い直してるんだよ。そもそも千聖さんはアイドルで、芸能人で、それなのに俺なんかと付き合うことが明るみに出たから問題になった。それを元の状態に戻してどうすんの? 意味ないじゃん。もう秘密でもなんでもない、ここの周辺でガールズバンドやってる子はだいたいが千聖さんと俺の関係を大小差はあれど知っている。なんなら花音と二股してることも知ってる。おかしいだろ。誰か言えよ、おかしいって。こんなの変だろ。なんで二股してるんだよ、秘密がバレたならちゃんと別れろよ、それで花音とまた付き合うんだったらわかるけど、なんでまだ千聖さんとも関係持ってんだよ。
「べ、別に本人たちがいいって言ってるんだから、アタシらが口出すことじゃなくない?」
「いや、口出すべきところだろ、どう頑張ってもおかしい。普通もっと気味悪いって思うだろ」
「……じゃあ、光博はどうすんの? どっちかと別れる?」
「そうなるよな……やっぱり」
「……え」
リサに相談して、俺は確信に至った。このどうしようもない気持ち悪さを脱却するには、これしかない。俺が秘密と恋の苦いところを一手に引き受ける。二股を続けるんじゃもうこれはどうしようもなく変えられない。だから、俺は選択する覚悟を……
「花音……話があるんだ」
「改まって、どうしたの?」
花音だけが泊まりに来た日、俺は彼女に向き直った。ずっと好きだった花音に、そしてずっと好きでいてくれた花音を、でも俺は口が開かなくて、思わず彼女を抱き寄せてしまう。覚悟を決めた、とか言っておきながら傷つく覚悟はできていても、
──でも、言わなくちゃ。この歪んだ三角を、今度は俺が動かすんだ。
「花音……俺と」
「うん」
「……俺と、別れてほしい」
「──っ、わか、れる……」
どうするか、考えて、考え抜いて──俺が選んだのは千聖さんだった。いつかこんな日が来るなんて花音も千聖さんも言っていた、だからきっと大丈夫、そう思っていた俺はその花音の顔に衝撃を受けた。悲しい顔で頷いてくれると思ってた、しょうがないよねと寂しそうに笑ってくれると思ってた。でも、花音の表情はそのどれでもなかった。
「やだ……やだよ……」
「か、花音……」
「私、わたし……お別れ、したくない……やだ、光博くんの、傍にいたいよ……っ!」
泣きじゃくって、泣いて縋られて、俺が何を言おうとしても駄々っ子のように首を左右に振られて。俺は思わず呆然としてしまった。ちょっと考えればわかることだ。花音の願いは俺の隣で笑うこと、愛してもらうこと。そのどちらも、俺のたった一言で崩れてしまうんだから。嫌だって思うのは当然だ。俺だって、あの笑顔が隣にいなくなるのは、嫌なんだから。
「……ごめん、花音。でも俺……こうするしか、気持ち悪いって思わなくなる方法が……わからなくて」
「ううん、謝らないで……謝ったら、今度こそ嫌だって大声で泣いちゃうから……」
「……うん」
「でも、そっか……そうだよね、そうなったら
「……うん」
「わかった……光博くんのためだから……苦いのも、我慢するね」
しばらく泣いて、俺の腕の中で目を真っ赤に腫らした花音は、そう言って笑った。笑って、また泣いて。俺はもうごめんも言えなくて、ありがとうだなんて言えなくて、ただただ、好きだって気持ちを込めて彼女を抱きしめることしかできなかった。
──こうして、五ヶ月も続いた歪んだ三角形は、崩れ始めた。音をたてることなく、でも確実に。
こうして、花音と別れ、光博は千聖さんと一対一のお付き合いを始めることになりました。
めでたしめでたし
次回に続く!