終わった──何もかも終わりだ。
俺はそんな世界の終わりのような顔で目を覚ました。夢は、覚えてないけどロクでもなかったに違いない。だってこんなに頭が重たいんだから。というかそもそも花音とあのバイトリーダーの男が付き合ってるってのがもう夢だったらよかったのに。いやそんなの悪夢でも見たくない。でも現実なのはもっとクソ。結局クソ。
「……なんだっけ、あ、やべ、連絡しなきゃ」
そんな花音への片想いが爆発四散した俺を慰めてくれたのは、その花音の親友であり女優でありアイドルでもある白鷺千聖さんだった。花音は呼び捨てでいいよおと優しく言ってくれたから花音って呼んでたけど、千聖さんは恐れ多くて千聖、とは呼べなかった。いいよとは言われたけど全力で拒否した。
ちょっと話逸れたな。えっと、そんな慰めてくれた千聖さんから、起きたら学校行くか休むか、どっちにしても連絡しろと言われていたんだった。マジで顔ヤバいから休むんだけどさ。というかそんなに死にそうだったのかな、いや死にかねないテンションしてたわ昨日の俺は。
「やすみます……っと、おわ早っ!?」
正直一般男子学生でしかない俺があの人のLINE知ってていいのかって思う。まぁそれはさておき連絡したら秒で既読がついた。しかも爆速で返信が来た。文章自体は「そう」と短く、また実にあの人らしい返信だったけど、心配してくれたことに今一度感謝の文章を送った。既読スルーされてもいい、ただ千聖さんの優しさが嬉しかったから。そう思っていたらまた爆速で返事が来た。
「もっと感謝してくれていいわよ……か」
ジト目をしてくる謎のキャラクターのスタンプ付きのコミカルな返事だ。こうやって茶化してくれてるのが伝わってくる。普段の俺だったらそもそもLINE知ってるからって文章送るのすらおこがましいとか思っちゃいがちだけど。今日だけは、そんな風に思って遠慮しなくてよかったと感じることができた。土下座感謝をしているスタンプで返し、ベッドに寝転んだ。
「なんでなんだ」
天井を見上げると色んなことを考えてしまう。なんで、なんて言うのはおこがましいのかもしれない。本来、松原花音に俺が並んで釣り合いの取れるような女の子じゃないってことは知ってる。ふわふわっとしたかわいらしい仕草や声、ほんわかと空に浮かぶ雲のような、海を漂うクラゲのような、癒やし系の彼女。俺はそんな花音に一目惚れをした。
──もちろん、最初は付き合えるかも、お近づきになれるかもなんてキモい考えは持ってなかった。ストーカーのように遠くで見守っていられるだけで正直、幸せだった。いや、そう思い込むことで自分の心を守ろうとしていた。
「安いプライドね、傷つく勇気もない男が他人への好感を語るなんて……軽蔑するわ」
そんな俺が頑張ろうと思えたのは、千聖さんのおかげだ。時に厳しい言葉で、時に優しい……はなかった気がするな。とにかくスパルタで厳しい人だったけど、あの人の助けがあったから、花音とデートできるくらいにまで関係を進展させることができた。結果は残念だった、残念だったけど。
「……せめて、振ってほしかったな」
告白もしてない。いやそれっぽい言葉はクリスマスデートの時に言ったけど、ちゃんとまっすぐ言葉にはできなかったからしょうがない。でも、あのデートで何もなかったとはいえ、男と一泊して一ヶ月半でもう、カレシができて、家に招かれて……ああもうそういう下世話な考えはよくない。よくないけど、じゃあ俺との一年はなんだったんだよって、言いたくなって。それが悪いことなのはわかってる。最低だって、でもその黒いモヤモヤが胸にへばりついて、とれない。
──嫌な思考がぐるぐると回って、まるで身体や部屋が、世界がぐるぐると回っているように感じて気持ち悪くて。
「あ、おはよー光博くん……ってもう夕方だけど」
「……か、のん?」
「うん、あ、男の子でもちゃんと鍵は閉めなくちゃだめだよ?」
目を覚ますと、もう夕方になっていた。正直、最初は寝ていた自覚もなくて、気持ち悪いから起き上がろうとしたくらいのテンションだったのに、時計も日差しも、全てが思った以上に前に進んでいて。なにより驚くのが、花音が部屋にいて心配そうに、でも俺の顔見てちょっと安心したように微笑んでいたことだった。もしかしてこれ夢か、それとも昨日までのが夢か、そう思って立ち上がると丸机の上に花音のスマホが置いてあって、ちょうど通知が来たことでロック画面が……男との自撮りに変わっていた。前まではクラゲだったから、すぐにわかる。
「なんで」
「え? だって、千聖ちゃんがね、心配だから様子を見てきてって」
「……千聖さんが」
「うん」
千聖さんは千聖さんで何を考えてるんだ。相手はカレシ持ちで、俺が昨日グロッキー状態になった原因でもあるのに。でも花音はすっかり慣れた手付きで俺ん家の台所で作業をしていた。朝から何も食べてないから、すごくありがたいけど、このまま花音とふたりきりの空間は、胃が痛い。
「朝からずっと寝てたの?」
「あ、うん……まぁ」
「そっか、じゃあやっぱり多めにおかゆ作ってあげるね……!」
「ん……なんか、ごめん」
「ふえぇ……ど、どうしたの? 」
涙が出てくる。ああホントにメンタルが雑魚とかいうレベルじゃない。嬉しいのと嬉しくないのがごちゃまぜになったせいで涙が抑えられない。それのせいで花音が心配そうな顔するのがもっと、俺の情緒をおかしくさせてくる。首を横に振って大丈夫だと示そうとするけど、花音はひどく心配そうな顔で俺に近づいてくる。
「遠慮しなくていいよ? ね? 私は、光博くんに笑顔でいてほしいから……」
「なんで」
「なんでって、私は、ハロハピだから」
手を握られて、そのぬくもりが俺の胸を突き刺した。ハロハピだから、笑顔でいてほしいから。そんなことを言って、カレシがいるのに男の家に上がり込んで、ああそっか。俺は最初から、
「ごめん」
「だから、遠慮は──」
「遠慮とかじゃなくて、帰ってほしい」
「……ふぇ?」
「何もしないで、出てってほしい」
「な、なんで……私」
「いいから、そっちの方が……俺は嬉しい」
「──っ! ご……っ、ごめんね……え、えへへ……じゃあ、またね」
パタパタと慌てるようにして荷物がまとまって、スマホを一度落として、花音は中途半端に用意したご飯だけを残して部屋を出ていった。静寂と、後味の悪い空気だけが俺の周囲を取り囲んでいた。
──最悪だ、最悪だ最悪だ最悪だ。なんで当たってんだ俺は、いや当たってないのか花音に原因があって、そもそも花音があんな軽率なことをするから。カレシいても、ああいうことできちゃうような尻の軽い女だったなんて、思わなかったから。もっと男性慣れしてないと思ったから、あれ、なんで男性慣れしてちゃダメなんだ気持ち悪いな、だから振られるんだ。そもそも眼中にないんだ。
「そもそもなんで千聖さん、花音に見に行けなんて」
「言ってないわよ」
「は……え?」
「鍵くらいは締めておきなさい……って、花音なのだから意味ないわね」
パタンと音と鍵が閉まる音がして、一本道の廊下をまっすぐ進んできたのは千聖さんだった。腕を組んで、憮然とした表情でって、何勝手に上がってるんですかあなたは。もしかしてアイドルで女優の自覚なくしました? え、俺勝手にスキャンダルとかに巻き込まれたらノールックで訴訟起こしますよ。
「花音の挙動が不審だったから、様子を見に来たのよ」
「……はぁ」
「で?」
何があったのかと促されているのだろうと判断して洗いざらい話す。千聖さんは黙って聞いてくれて、最後に大きな、本当に大きなため息をついた。そもそも、どうやら千聖さんが花音に対して心配だから様子を見に行ってほしいだなんて言った覚えはないらしい。なのに、花音はどうしてそんな嘘を?
「私が知るわけないでしょう? でも、確かにあなたが休んだことは私が教えたわよ。しきりに会いたがっていたから」
「……なんで」
「さっきのセリフ、もう一度言わせる気かしら?」
「ご、ごめん」
何の気なしにスマホを見ると朝から幾つかの連絡が来ていた。今日は放課後暇か、という疑問から入って連絡がつかないことが不安だったようで幾つか連投されていた。わからない。なんで、誘われるんだろうか。そう目の前の人に訊ねても三度目のリアクションが返ってくるだけだ。ただ一緒に歩いてたってだけならいい、いいんだけど。
「そういえば、訊きそびれていたことがあったのだけれど」
「ん……なに?」
「あなたはどういう経緯で花音に恋人がいることを知ったの?」
「あー、それか」
一旦会話を打ち切って、作りかけだったおかゆを完成させて千聖さんにも振る舞うことにした。流石に朝、昼と抜いたことでお腹がペコペコになっていたこともあり、スプーンが進む。そんな俺とは正反対にお淑やかというかキレイな作法でスプーンを口に運んでいた千聖さんが質問をぶつけてきた。
「バイト帰りに、一緒にファストフード店から出てくるのたまたま見かけてさ」
「そう」
「カレ……男の方が、花音をこう……」
「抱き寄せて?」
「……やば、お腹痛くなってきた」
腰を掴むジェスチャーをしてた時点で胃がムカムカしてきた。マジで今、花音というかそういう関連がストレスになってるみたいだ。すごくチャラい仕草で花音を抱き寄せて、男が耳許で何か囁いたんだろう、花音の顔が真っ赤になって恥ずかしそうに顔をうつむかせて、でも笑顔混じりで何かを訊ねられたら首を横に振って。そのまま、そう、
「あの男、確かに当初から花音と仲は悪くなかったわね」
「だよなぁ、知ってる」
「そうよね、あなたも知らない人じゃなかったわね」
そう、まぁ花音のことでファストフード店に入り浸ってたこともあるし。バイトリーダーで人気もある彼には嫉妬の炎を燃やしまくったほどだ。チャラいっていうか、いわゆる陽キャなんだよなあの人って。ひまりちゃんも仕切りにあの人みたいに、あの人みたいにって言ってきたくらいだし。
「もう……なんつうか」
「恋はしたくない?」
「いやもう……恋愛とか、考えるのも億劫」
「まぁ、いいんじゃないかしら?」
「千聖さん……なんか昨日から優しいね」
「あら、もっと貶していいの?」
「やめて」
勘弁してほしい。これ以上はマジで。あ、そっか。千聖さんもそれをわかってるから、少し優しいのか。今までは何やってんのよ話しかけなさいヘタレとか童貞とか散々貶してきた千聖さんが、それで前に進むとわかっての言葉だってことに気づいた。
──そういえば、頭なでられたのも初めてだったな。なんか、ほっとしたんだよな。そんなことを思い返していたら千聖さんが隣にやってきて頬に手を添えられた。
「ほら、しょぼくれてない……なんて言っても、辛いでしょうけど」
「結構」
「でも、受け入れるしかないわよ。ゆっくりでいいから」
「……ですよね」
なんか俺、千聖さんにレオンと同列扱いされてる気がする。でも弱りきっていて、誰でもいいから助けてほしいと思う今の精神状態だった俺にとってその千聖さんの慈愛の仕草は太陽のぬくもりのようで。今度は後頭部を撫でられ、背中を優しく叩かれる。そうなるってことは当然、俺の顔は千聖さんの肩とゼロ距離なわけで。つまりは千聖さんに抱きしめられるような格好だった。
「ふふ、もう……あなたはすぐ甘えようとするのね」
「ごめん」
「いいわよ。別に、怒ってなんてないわ」
その言葉通り、千聖さんに不快そうなオーラは感じない。声も、むしろ弾んでるような気がした。どうして、なんて問うてもはぐらかされるだけだろう。どうしてここまで構ってくれるのだろうか、親友の恋を応援するだけだったはずの千聖さんが、どうしてここまで俺のことを気に掛けるのだろうか。俺の方が手がかかりそうなのはそうだし、花音にカレシがいるなら必要ないってのもそうなんだろうけど。
「……じゃあ、ありがとうで、いいのかな」
「ええ、どういたしまして」
多分このまま沈めば沈むほど、きっと俺は千聖さんの優しさすら信用できなくなる。これも全部迷惑なだけで、自分の心を癒やすってことすらも忘れる。だから、だから今だけは、千聖さんに甘えることにした。相手がアイドルとか女優とか関係なく、優しい女神のような慈愛に癒やされることにした。
花音ちゃん謎すぎるけど悪い子ではないので、というかこういう系であんまり悪いってキャラは出したくないし。
主人公は悪くしがちだけど。
では次回もよろしくお願いしまーす!