バイト先には明日から来ませんと伝えておいて、俺は近くの喫茶店、いや羽沢珈琲店しかないけど。羽沢珈琲店にやってきた。花音にひたすら平謝りするハメになったのは本当に許せない。これを期に関係を切ろう。そう決断させるには十分だったからある種では花音に感謝もしてる。ただホントにナンパしに行ったことに関してはマジで俺から謝らせてもらった。
「ふえぇ、いいよ〜、ちょうどカレと電話でおしゃべりしてたから……なんとか追い払ってもらったし」
「あ、な、なるほどな……」
強い、カレシさん強すぎるよね。それにちょっとだけしょんぼりしつつもほっとする。俺は選ばれなかった、というか多分バイトで考え事していて思ったんだけど、なんとなく俺があの日に見限られた理由はわかったような気がする。千聖さんとお付き合いして知ったこと、すごくたくさんあるんだよな、それもひとつだった。
「俺、花音を放置しちゃったん、だよな」
「……うん」
「いいよって言ってくれたのに、紳士ぶって、傷つけてたんだな」
「気付いたんだ」
「今更だけど」
もう、手遅れだ。きっと今の俺だったらあの時の
「そっか……私、もしかしたら、光博くんにヒドイこと、言われちゃうのかと思った」
「俺だって最初は、結局ヤレたらよかったのかよとか、思ったよ」
「だよね」
「けど、それだけじゃないんだよな……花音のいいよって言葉には、それだけじゃなかった」
知ったのは俺が経験したからだ。身体の欲、気持ちいいだけじゃない、その奥底にある色んな気持ち。熱っぽい視線に込められた愛情とか、言葉じゃ日常的な行動じゃ表現することなんてできやしない、愛してるって感情。それが、花音がいいよって言った先に詰まっていた。ただこの語彙がぱっと出てくるはずもなく。
「なんていうか、こう……自然とそうなる気持ちなんだよな、そうなりたいって気持ちが、好きなんだよな」
なんてクソみたいな言葉になる。我ながらなんにも伝わってこない言葉だと思ったけど、花音は目を大きく開いて、まるで憎しみに染まったような昏い瞳をこちらに向けているような、そんな寒気が背中に走った。本能的に、危険だって思う。まるで熱いやかんに触れて手を引っ込めるような、自分ではなにも意図していない、理解すらしていない危機感だった。
「花音……?」
「……ひどいよ、千聖ちゃん」
「え? 千聖さんがどうかした?」
「あっ、う、ううん……なんでもない。似てる人が、通った……気がしただけだよ……ごめんね」
つられて後ろを振り返り、違うんだということに安心すると同時に、花音の雰囲気が完全にもとに戻っていた。なんだったんだろうと思いつつもし千聖さんに見られたらきっと、怒られるかヤキモチ妬かれるかの二択だろうなぁとか考えていた。まぁ肝心の本人、今日は夜までドラマのお芝居あってそれからウチに来るらしい。疲れてるのにって言ったら疲れてるからあなたに甘えたいのよ、と言われてしまった。かわいいがすぎる。
「寂しかった」
「え?」
「私のせいなのは、わかってたんだけど……光博くんと一緒にいられなくて、寂しかった」
「花音……うんごめん。全然、顔合わせるメンタルなくて」
「ううん、大丈夫……今ちゃんとお話できてるから」
そっか、そうだよな。あの時、俺を構おうとしていたのもきっと日常が崩れるのがイヤだったってだけなんだろう。あの時は花音が裏切った、バイトリーダーに寝取られたとかグズグズ言ってたから気付かなかったけど、裏切ったのは俺だし、花音はただそのショックを癒やしてくれるカレシに再会しただけだ。極端な話、千聖さんと俺の関係とほとんど変わりがない。
──じゃなきゃ千聖さんが俺をだなんて、ありえないっていつも思ってる。もちろん甘えてくれる千聖さんや甘やかしてくれる千聖さんが嫌いなわけじゃないしなんならむしろ好きだなぁって思うんだけど。それとは別に、あんな美人が俺とこういう関係になるのは、俺がかわいそうだっただけっていうのもよくわかってる。
「光博くん……っ」
「なに?」
「あの……また、お友達に戻ってくれますか……?」
「俺が友達やってるせいで友達減らなきゃね」
「……ふふっ、大丈夫!」
なんか変な間があったけど、多分大丈夫だろう。花音と元の関係、というわけではないけどギスギスした関係にならなくていいんだと安堵感に胸を撫でおろしていた。特に俺が考えていたのは花音と千聖さんの関係だ。二人は親友だったはずなのに俺がごちゃごちゃにしすぎて千聖さんがしばらく顔も合わせてないって言ってた。それを、なんとかしたかった。
「そうだね、しょうがない……って思ってたけど」
「でも、俺は二人の関係が羨ましいから」
「そっか」
俺にそういう類の親友はいない。前までだったら必要ないと斜に構えていたところだけど。二人の関係はフラットで、それでいて安らぎみたいな感じで。二人の笑顔も俺と対面してる時より柔らかいなぁって印象もあった。それが俺のせいで壊れるのは、絶対に嫌だ。どうせなら俺だけがはぶられて、出逢う前に戻ったほうがマシだ。
「そういえば、千聖ちゃんはどう?」
「そりゃあ、最近は──」
最近は付き合ったことで気の抜けた一面が見れてそれがかわいいって思うんだよね──なんて言いかけて待て待てと止まった。そういえば千聖さんにはこの関係は秘密よって念押しされてるんだって。思わず油断して口から秘密が漏れ出すところだった。危ない。花音には別に言ってもいいんじゃなかろうか千聖さんの親友だし、とは思わなくないけど、それは千聖さんに相談してからだ。こういう時俺の自己判断はよくないってちゃんと学んだ。俺すごい。俺賢い。
「えと、最近は……そうそう、やっとリサの教えてくれたご飯に合格点くれるようになったんだよ」
「へぇ、そうなんだ……
「……あ」
やば、そういえばひまりやリサのサポートってのも全部秘密にしてることすっかり忘れてた。花音のため、花音を喜ばせるためって本来の目的を失ったせいでなんか教えてくれる優しいギャルみたいになってたよ、俺の中で。
まぁでも、これはもう終わったことだから明かしていっか。種明かし、みたいな。
「花音を振り向かせるために……覚えようって」
「知ってたよ」
「そっか……ぅえ? マジで?」
「うん……意地悪な言い方してごめんね?」
「え、えっと、いつから?」
「うーんとね、去年の秋くらいかなぁ?」
「そ、そんな前から……」
バレてたのか、というかまぁ変化劇的だったもんなぁ。見た目の変化に気づきにくいであろう俺でもめちゃくちゃ変わってるって思ってるのに花音なんかから見れば誰かの入れ知恵でもない限りはこんなに人間変わるわけもないだろうからなぁ。でも割とちゃんと隠してるつもりはあったのにバレてたことに驚きはした。でも同時にやっぱりちゃんと見てくれてたんだなぁと思うと、照れてしまう。
「短い間ですっごくカッコよくなって……お話しやすくなってたし、すごいなぁって思ってたんだ……料理も、いつか食べられるのかなぁって、実はちょっと期待してたんだよ」
「う……そ、それは……機会に恵まれず……申し訳ないです」
「ふぇぇ……そんな、頭を下げるほどのことじゃ……!」
俺にとっては頭を下げることなんだよ。俺ってやつはどんだけ、一体どんだけ花音を失望させてきたんだ。ホントは花音だって俺との未来を、考えてくれてたはずなのに。他の好きな人ができるくらいまで、失望させたんだ。やば、ちょっとダメージ受けた。やっぱりカレシがいるって事実もあんまり受け止めきれてないなぁ。ふとした時に苦しくなる。そうやって笑顔で大丈夫だよって言ってくれるのも、失望を水に流してくれるのも、カレシがいるからだ。カレシがいて、今は幸せだからそうやって笑えるんだって思うと、やるせない気持ちになってしまう。
「うーんと、光博くんは……それじゃあ、ダメなんだね?」
「それ、とは?」
「私が、いいよって言っても気持ちが納得できないんだよね?」
「え、うん……まぁ、ホントだったら食べさせてあげる予定だったから」
「それじゃあさ、今度予定合わせて、光博くんちにおじゃまさせてもらうね?」
「うん……まぁそれなら──って、え? へ?」
あれ、今この子なんて言った? よていをあわせて、みつひろくんちにおじゃまさせてもらうね? ごめん、えっと頭の中で文字が漢字に変換できなかった。うーんと、えーっと、あのその、もしかして花音また俺んちに来るつもりなの? え、マジで言ってる? それとも花音の頭の中では友達関係だったら家遊びに行くよね感覚ってこと?
「どうしたの?」
「いや、家って……俺んちだよ? いいの?」
「千聖ちゃんやリサちゃんは、いいのに?」
「え、それは……」
花音が不満そうな言葉を漏らして、俺はなんにも言えなくなった。確かに、あの家は千聖さんが付き合う前から、リサや時折ひまりがやってきて、なんなら花音自身もちょいちょい来たことがある。だから、いやまぁ問題ないんだけど、ああ、じゃあ問題ないのか。千聖さんに相談した方がいいかなこれ。
「別にいいんじゃないかしら?」
「え、いいの?」
「なんでダメって言うのよ」
「いやほら、千聖さん案外ヤキモチ妬きだし……」
「いいわよ? その場合あなたがリサちゃんやひまりちゃんとしゃべってても容赦なく嫉妬するわね」
「ごめんなさい」
その日の夜。泊まりにきた千聖さんが人のベッド占領して何やらファッション雑誌に折り目をつけながら俺の相談に乗ってくれた。片手間で俺の話ちゃんと聴いてるのは有能がすぎるのでは。俺はというとそのベッドの下で背中を預けて適当にニュースを見ていた。目的は天気予報で、それまでは対した興味も持てずにぼーっと眺めているだけだった。
「それにしても、バイト辞めて、どうするの?」
「次のバイト先を探さないといけない」
「バカね」
「だって、あのまま千聖さんとか花音に危害が及ぶの、嫌なんだよ」
「……バカね」
二回もバカって言ったな! と抗議の気持を背中に向けようとしたがその前に俺の左右に白くて麗しい太腿が現れた。部屋着の短パンってなんでこんなに無防備なんでしょうね。それを俺の家で容赦なく見せてくれるのがなんとなく許されてるんだなって気持ちになる。女の子、しかも超絶美少女が俺の部屋でキャミソールに俺のパーカーと短パンとかステキフォームなの、去年の俺に教えたら嘘つくな死にやがれと言われてただろう。俺だってこうなるなんて考えてもなかったからな。
「で、なに?」
「……天気予報見るんでしょう? それは私の太腿だけれど?」
「はい」
「それで、バイト先」
「そうだった」
意識がバイトに戻される。いやホントにどうしようね。この家の維持費全部俺のお金で賄ってるわけじゃないんだけど、でも学校始まったのにいきなり無収入じゃヤバい。どうしようもなくヤバい。そう焦っていると、上から手が降ってきて俺の頭を撫でてくる。ため息混じりだけど、これはどういう顔すれば正解?
「私が紹介してあげるわよ……ライブスタジオでいいかしら?」
「え、いいの?」
「自分で探すより早いわよ」
「なんか、ごめんね?」
「……バカね」
三回目! でもそのトーンは優しくて、俺の耳に甘く響いた。これは俺に対してあんまり怒ってない時のバカねなんだろう。なんとなく経験則でわかってきた気がする。天気予報が終わり、明日も朝は寒いけど晴れることを頭の中に叩き込んでおく。そして見上げるとなんとも贅沢なアングルで千聖さんと目が合った。
「俺の顔はおもちゃじゃないんだけど」
「ふふ」
「聞いてる?」
「聴いてるわよ」
「それより、もう天気予報は終わったわよね?」
リモコンはベッドの上にあったため千聖さんによって消される。そのリアクションで彼女が構ってほしくてウズウズしていたことを察した。本当に、なんというか印象変わったよな、千聖さん。時々、いやこうやってふたりきりの時は千聖さんに抱いていた大人の余裕と微笑みを常にもっているというものに取り消し線が引かれてしまう。絶対に他の誰にも見せない、俺だけに見せる千聖さんの甘い甘い秘密だった。
「ん……」
千聖さんの麗しい拘束から抜け出し、頭の高さを腰掛けた千聖さんよりちょっと高くすると誘われるまま唇を重ねた。瞳を閉じて、その唇の感触から離れ、そして目を開けて千聖さんの長いまつ毛を見る度に、俺はとんでもない人と恋人同士なのだと思い知らされる。秘密の恋人、千聖さんはアイドルで、女優で、男がいるって知られただけでよくないことが起こる。
──ホントに、いいのかな。俺はこのまま幸せで。千聖さんは幸せって言うけど、俺も幸せだけど。このままなし崩し的に身体を重ねちゃって、付き合っちゃって、それでよかったのかな。
「光博……ん」
「千聖さん……」
そんな思考は千聖さんの妖艶で意地悪な指が、俺の欲望を撫でてくることでリセットされてしまう。半開きの唇、上気した頬、熱い吐息と蕩けた紫の花。千聖さんは全身で俺を肯定してくる。しょうもない、ただ甘えて、逃げて、何もかもから目をそむけた俺なんかのことを。
「……
ベッドに倒れ込んだ千聖さんが、じっと俺を見つめながらそう笑う。その度に俺は千聖さんにいいわよって言われるだけの価値のある男なんだろうか。うだつの上がらない、どうしようもない男じゃないか。
──なのに、そう思うのに。俺は欲望のまま千聖さんを抱いてしまう。我慢できなくて、認められたのが嬉しくて。それが、いいことだって思えてすらないのに。
お幸せにね! ちゃんと千聖さんといちゃらぶしときな浦部!
☆8ひとつ、ありがとうごさいます! これからも頑張りますのでよろしくお願いします!