葎凛抄『シロツメクサの甲子園』   作:風早 海月

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第1話

 

 

攻撃側のベンチから代打が送られた。

 

 

右手の黒い手袋の上からバッティンググローブをキュッと絞めて、木製のバットをユラりと構える。

 

対するピッチャーはゾクリと背筋が凍る。

 

最終回の裏、ツーアウト満塁。同点。

守備側はどう足掻いても彼女を抑えなければならない。彼女を歩かせる選択肢は無かった。彼女を抑えて延長に持ち込まなければ、最早勝機はない。

 

守備側もピッチャーは既に出し尽くしている。交代もありえない。

 

初球。

ピッチャーの手から離れた白球。

横にスライドするように胸元へ入り込むインコースのスライダー。

 

彼女は笑った。

 

 

満塁サヨナラアーチを受けた守備側のチームが崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「クッソー!後片付けかよ!」

「途中まで勝ってたんだけどなぁ…」

 

このクラブチームは、練習の最後に必ず紅白戦を行う。

負けたチームが練習場の後片付けを行うのだ。

 

「なぁ、今日で英詠のやつ打率いくつになったんだ?」

「ここ半年で105打席78打数47安打…になったっすね。内アーチは12…13本になったっす」

「…歩かされ過ぎだろ」

「まぁ実際、長打打たれたらやばい時に代打で出てくる運用が多いっすから…そのおかげで盗塁数も多いっすけど」

 

 

チームの記録係と紅白戦の敗者の先発投手が話している横から話を割って入る女性がいた。

 

「ねぇ、英詠ちゃんなんだけど…さ。今の段階で独立リーグ…行けると思う?」

「そうですね…代打と代走に限るか、指名打者としてなら…っすかね。さすがに守備は見てられないっすから…」

「だよねぇ…ついでにだけど、怜ちゃんと理沙ちゃんと光ちゃんはどう思う?」

「萌奈さん、もしかしてあの4人、粉かけられてるんすか?まぁいいか。

 怜ちゃんなら余裕っすね。走攻守と全て高いレベルでまとまってるっすよ。特に足の速さは一線級のプロ選手と比べても劣らないっす。本命印っす。

 理沙ちゃんは微妙っす。パワーはあるんすけど…ねぇ。打撃でもう少し当てれるようになればって感じで、複穴指定っす。

 光ちゃんは球種が多いっすから、リリーフとしてはありっすね。でも球威が無さすぎなのがネックかと。打撃もこなせる投手ってことで、一発はあるかもって感じがするっす。単穴印っす」

「対抗は?」

「もちろん英詠ちゃんっすね。指名打者としてに限れば彼女も独立リーグレベルに達してるっす」

「だよねぇ…」

 

 

競馬好きの記録係の評価は意外にも正しい…少なくとも萌奈にはそう感じる。ガリガリと頭を搔く萌奈。彼女は練習に参加している4人の高校生を呼び出した。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

「だぁー!どうするんですか!」

「うっ…」

 

4人は近所のファミレスで集まっていた。

 

「まさか2人が合格になるなんて。おめでとう、怜、英詠ちゃん」

「でも…」

「そーですよ!せっかく1年生が野球部に入ったみたいなのに!怜先輩ったら意気地無しだから〜」

「ぐっ…」

「そうね、怜ったらあの子の『あの球』をしっかり研究してるのに」

「ぐぅ…」

 

英詠と理沙に精神的にブローを何度も食らった怜だが…

 

「でも、私の方が意気地無しだよ…2人と違って野球部怖くて入部すらしてなかったんだもん」

「光先輩。逃げは悪い選択肢じゃないんですよ。最終的に…試合終了時に勝って終われば全て良し。私、約束しましたよね。あの時、光先輩を甲子園に連れてくから一緒に野球してくださいって」

「うん」

「それを忘れてるようなら、今すぐ河原で根性叩き直すところでしたよ」

 

英詠の真面目なトーンに、怜イジりの空気が飛んだ所で、話は戻る。

 

「とりあえず独立リーグのチームの方には辞退を連絡するとして…」

「それは当然ですね。明日こそあの子たちの所に行きますよ」

「あぁ、分かってる」

 

萌奈も業を煮やして独立リーグの話を持ちかけたのだ。

…まぁ半ば本気も入っていたけど。

 

「……っていうか、そういえば怜先輩と理沙先輩って今日入団テスト受けて大丈夫なんですか?プロアマ規定とか」

「……そういえば、野球部に名前は載ってるな…入団テストとか思いっきりアウト…なのか?」

「………だ、大丈夫よ。本当に規定に引っかかるのか分からないし!あっちのチームも制裁受ける可能性推してまで暴露しないわよ……きっと」

 

実は薄氷の上を歩いた怜と理沙なのだった。

 

 

 

 

 


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