「失礼」
柳大川越に敗戦した翌日。
「あなたが昨日の試合、サインを出してましたよね?」
「え、はい」
(胸が大きい人だなぁ…)
キョトンとした顔をしながらも返事をした芳乃に、声を掛けた主は非難する口調と表情をしていた。
「打順や先発の不調など、難しい要素は多いのは分かりますし、新体制初戦。試合になったことだけでも、あなたのマネジメント能力と選手のポテンシャルは証明できたでしょう。
ですが、川原さんを降板させた時に試合に残したのはその打撃を期待してと思ったら再度登板。これは悪手としか言いようがないです。十分な休息を与えない限り1度崩れた投手の再登板はありえません。
さらに、指揮官…つまりあなたの思考も筋が通っていません。勝利を目指しているのか、経験を積みに行きたいのか、はっきりしません。勝利を目指すならば両翼どちらかは張本さんに変えるべきでしたし、経験を積みたいならば息吹さんと白菊さんをもう少し前目の打順に組むべきでした」
批判の主に、芳乃は困った顔になる。
「ええっと…あなたは?……うん、まぁとりあえず他のみんなもいるし、通路塞いじゃうから中で話は聞くわ」
「え、あぁ。失礼しました」
理沙が批判の主の背中を押して部室に入る。
「改めて、私は斎藤あまねと申します。1年生です。以前はキャッチャーをしていました。現在は身体の関係でプレーを続けることが難しくなったためセイバーメトリクスに基づいた野球の研究を行っています」
「セイバーメトリクス?」
「なんでしょう…頭の良さそうな響です!」
稜や白菊の頭の上にははてなマークが浮かぶ。
「セイバーメトリクス…アメリカ野球学会の略称SABR…Society for American Baseball Researchと測定基準…metricsを組み合わせた造語のこと。人間のプレーを数字でしか見れない理論のこと」
「偏見ですね」
「…私は私の信念に基づいてプレーしてる。セイバーメトリクスに従順な野球なんて死んでるも同然ね」
英詠は嫌悪感を隠さない。
「うーん、で、そのサイバー犯罪はなんだって?」
「セイバーメトリクスはね、野球の評価数値・基準・指標を統計学的・客観的に分析して、野球の采配に統計学的な根拠を与えたものだよ。
簡単に言うと、野球のプレーを数値化して、選手の評価やチームの戦略を考える方法…かな」
「ボールゾーンスイング率とか、ストライクゾーンスイング率とかまで計算する阿呆な考え方。審判によって、試合の流れによってストライクゾーンなんて変わることだってある」
「英詠ちゃん、ちょっと外行ってよう?ね?飲み物でも奢るわ」
セイバーメトリクスに突っかかっていく英詠に、話が進まないと理沙が連れ出した。その後ろから光もついて行く。
「英詠ちゃん、どうしたんだろ…」
「腹減ってたんじゃねぇか?」
「あんたじゃあるまいし」
詠深が心配そうな顔で部室のドアを見ていた。
「まぁ、英詠のことは理沙と光に任せておけば大丈夫だ。それなりの付き合いもあるしな」
「では気を取り直して…先日の試合。まずラインナップの組み方ですが」
柳大川越との練習試合でのラインナップは以下の通り。
1 中村希(一)
2 藤田菫(二)
3 山崎珠姫(捕)
4 岡田怜(中)
5 藤原理沙(三)
6 川崎稜(遊)
7 川口息吹(左)
8 大村白菊(右)
9 川原光(投)
あまねはオーダー表の書かれたノートを指さす。
「守備位置についてはまぁいいでしょう。まだ新体制始まって間もないですから。
1番中村さんは妥当でしょう。チームの中で張本さんを除き1番リードオフガールにふさわしい能力だと思います。
2番藤田さん。これは可もなく不可もなくな配置です。私のデータによると、藤田さんは小技と選球眼が良い打者。出塁率も中学の頃は良かったようですね。しかし、1番が出て2番が送るなんてナンセンスです。勝ちに行く前提で、私ならば川原さんを2番に置きます」
「でも継投の問題が…」
「川原さんはそのままレフトかライトに守備変更。最後まで2番を打たせたい人材ですね。
3番は足もある岡田主将が入るべきでしょう。
4番はもちろん張本さんです」
「でも英詠ちゃんは守備が…」
「張本さんならば、エラーやミスで失点した分取り返すだけの打力があります。それに、ライトかレフトに入れて、残り2人が少し広めに守ればそう大きな問題にはなりません。
厳密には計算してませんし、全試合を見てるわけではないので確実なことではないですが、張本さんのクラブチームでのRC21は14点前後です」
「RC21が約14って…」
詠深が絶句した。
※稜と白菊はここまでついてこれてません。
ちなみに、比較として、怜は同じクラブで5点を少し超えるくらいである。
「5番、6番には問題ありません。藤原さんも川崎さんも妥当な打順でしょう。強いて言うなら川崎さんを9番に持ってこれるチームなら…と思わないこともないですが」
「え、私そんな評価低いの?」
稜は自分が9番に置きたいと言われたことだけは理解したらしい。
「9番打者を甘く見ないでください。9番打者は代打と似ていて、打撃は少ないですが、次から上位に繋がる大事な打順です。
ノーアウト一塁から上位に繋がるのと、ワンアウトランナー無しから上位に繋がることでは得点率は大きく異なります。しかも、川崎さんは中学の頃は足が速いと話題でしたよね?足の速いランナーが一塁でノーアウト。期待が高まることでしょう?」
「…なるほど!」
稜は騙されやすそうだ。
芳乃は目を輝かせる。
「凄いですね!まさかそこまでデータを持ってるなんて…!私は有力選手くらいしかマークしてませんでした…1年生の中で知ってたのは珠姫ちゃんだけだったし…」
「あ、同い年ですから、敬語じゃなくていいですよ。私は癖みたいなものなので。
それに、数値だけで測れないものがあることも分かっています。あなたも戦略的発想や勝負どころなどの判断は良いと思います」
「そう…なのかな」
話の中で、芳乃はあまねの情熱に胸を打たれていた。
芳乃はハッとした顔になって、部室を飛び出していって、スグに戻ってきた。
「確かに、私は目的意識が薄かったかもしれない。だから…」
芳乃は部室の前に貼っておいた紙を見せた。
「私に足りないところを、あなたに補って欲しいんだけど…どうかな?」
その紙には、《野球部のへや! 入室者は野球部員とみなします》と書かれている。
芳乃はどちらかと言うと戦術の分析で相手をいかに攻略するかという能力に秀でている。流れや雰囲気といった、数値化出来ないものへの能力が特に秀でている。
逆にあまねは全体的な選手の能力のブラッシュアップや評価に優れている。数値化できることが得意といえる。
それを芳乃なりに嗅ぎとった故の行動だった。
「…やるからには手は抜きたくない性分です。それでも良ければ」
「ほんと!?良かった…!早速藤井先生のところに…あ、キャプテンも!」
「あぁ、済まないが、私は英詠の方に行くよ。みんなは練習を先に始めていてくれ」
☆☆☆☆☆
「紅茶で良かった?」
「すみません。取り乱しました」
「私にも…ありがとう」
さわやかな風が吹く練習場。
さんさんと照る太陽を遮るコンクリート造りの箱型ベンチは、意外と涼しい。
「……」
何も言わずに横にいる。
それが、英詠にとって苦しくもあり嬉しくもあった。
自らの右手の手袋を見ると、今でもなんとも言えない気持ちになる。
だがそれ以上に、多分この火傷がなければこの人たちとは会えなかったのだろうと思うと、少し…
「理沙先輩、光先輩、何があっても隣にいてくれますか?」
「うん、英詠ちゃんが要らないって言わない限り、私は英詠ちゃんについてくよ」
「私は光ちゃんほど重くはないけど、チームとか、仲間とかそんなこと以上の絆…とか…なんか恥ずかしいけど、そういうの、あると思ってるけど…英詠ちゃんは違った?」
こんな人たちと出会ったということ。それがどれだけ得がたいことか…自分の縁というものをこれ程ありがたく思ったことはないと、英詠は少し笑う。
英詠は右手の手袋を外した。
「それ…」
「……」
英詠の右手には深く刻まれた火傷跡がある。
「未だに親指と人差し指は伸ばせませんし、小指と薬指は完全には曲げられません」
「その手であんなバットコントロールが出来るなんて…」
「グラブ捌きは致命的だし、元々右利きなのでしっかりと投げられませんけど」
「……それが、さっきのセイバーメトリクスにどう繋がるの?」
「言うなれば八つ当たりなんですけどね。アメリカが原因でこの手は火傷を負ったんです。そして、うちの1番上の姉の命も…アメリカ製の空調設備から出火したみたいで…」
「…!それ聞いたことある気がするわ。一時期社会問題になってたわよね。まだ小さい頃だったからあまり覚えてないけど…」
「そうですね。あちらのメーカーは機器が燃え尽きたことを理由に不良品だったと認めず。消防や警察や、調査した日本のメーカーさんとかは不良品だったって問題になりました。
でも、そんなことはどうでも良くて…私の右手と姉を奪ったアメリカ…幼い自分にはそう刷り込まれたのだと思います」
幼い頃の刷り込みというのは非常に濃い。三つ子の魂百まで。
「ま、野球やってる時点で…って話でもあるんですよね。野球の発祥はイギリスやフランスの球技が元とはいえ、ベースボールとして形となったのは新大陸…アメリカですから」
英詠としては認めたくはないが、この地球で生きている以上、世界の中心国と言えるアメリカを完全に排斥して生きていくことは不可能だ。
「私は将来医者を目指しています。ですが、もしプロ野球選手としての道を選んだとしても、絶対にアメリカへ渡ることは無いでしょう。それがたとえ年俸100億円を積まれたとしても」
英詠の右手は、これでも後遺症は解消した方だ。それでもまだ思うように動かせないのだ。
まるで、恨みを忘れないと言わんばかりに、リハビリは上手く進んでいない。
理沙はぎゅっと英詠を抱きしめた。
「打者としてはあんなすごい打者なのに、不器用ね」
「右手は動かしづらいので…」
「そうじゃないわよ、おバカさん」
「これでも偏差値はかなり上位にあると自認してますが…?」
理沙と英詠のやりとりを聞いて、クスクス笑う光。
「英詠ちゃん、理沙ちゃんは英詠ちゃんの生き方…生き様が不器用だって言いたいんだよ」
クスクス笑いながら光も英詠に抱きついた。
「変なところで生真面目なのね」
さわやかな風がベンチを抜けていった。
伝えきれないいろいろな思いを、抱擁という形で伝える。
(こんなスキンシップも…悪くない…な)
2人の温もりを感じながら、そう思った。
「さぁ、みんなが練習に来ちゃうわ。私たちも着替えに行きましょ」
「はい、私も仕切り直します!」
英詠は、理沙と光に話したことで少し吹っ切れた。今後もアメリカ嫌いは治らないだろうが、少しだけ足が軽くなったような気がした。
RC21…球詠では7イニング制であることから21(アウト21個)と表現しております。
もし仮にその人だけで打順を組んだら、1試合を終えるまで(アウトを21個取るまで)に、何点取ることが出来るかという指標になります。これを準社会人野球のチームであるクラブチームの中で、この成績というレベルがすごいのです。
共同執筆者のコンスタンチノープル様のアカウントから本作の外伝作品が投稿されます。2023/4/9の18:30に投稿予定です。宜しかったら是非ご覧下さい。
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