「ミャッハー! かかったのミャ!」
その声の主は幼い子供程の大きさで、顔の輪郭は大福を思わせる丸さを帯び、三角形の耳らしき部分と側面にはピンと糸を張ったような髭を生やした、所謂猫のような姿をしていた。
黒い毛並みを基調とし、手先と足先の毛並みはアクセントのような白い毛並み。
腹部にある肉球スタンプの模様は特徴的だ。
それはぷにぷにとした柔らかい足裏で軽快に落ち葉を踏み締めつつ、罠に近づいていく。
───メラルー。悪戯好きな獣人族である。
「今夜はご馳走だミャ……って、あれ?」
罠にかかった獲物を確認するべく、上機嫌に鼻歌なんかを歌いながら落とし穴の底を覗いた彼が見たモノは、何やら見慣れぬ衣服を着ていて、土埃に塗れた一人の少女だった。
「あわわ……まさか人間が掛かっちまうとはミャ……」
てっきり小型の獲物でもかかったと思っていたメラルーは、予想外の出来事にあたふたしてしまう。
「仕掛けたのがボクだとバレたらヤバいのミャ。気付かれる前に退散、退散……」
もし捕まったら絶対酷い目に遭わされると考えたメラルーは、落とし穴から少し後ずさると踵を返す。
落とし穴の方向へ振り返る事はせず、忍び足でその場から離れて行こうとしたその時───
メラルーは石のように固まった。
なんせ、メラルーの目の前には、落とし穴に落ちていたはずだった……全身土埃塗れになった
その様子はまさしく蛇に睨まれたカエル。
「ミャ……」
メグミはメラルー隙を逃さず素早く両手で彼を捕獲する。
「やあ、ハロー? こんな所に罠を仕掛けてくれたのはキミかな?」
メラルーの胴体をガッチリとホールドしながら持ち上げるメグミの顔は笑みを浮かべているものの、額には微かに青筋を浮かべていた。
声が据わっている。明らかにキレている。何なら自分を掴む両手に力が入っている気がする。
メグミの怒気を感じ取ったメラルーは本能で彼女に敵わない事を察し、手足をバタバタさせながら必死に弁明する。
「ギミャーーッ⁉︎ スマンかったミャ! これは運の悪い偶然だミャ! だから離してミャーッ!」
それを聞いたメグミの両手から力が抜け、するりと彼女の両手から落ちたメラルー。
立ち尽くしたまま一言も発さないメグミに、メラルーは恐る恐る瞳を上へ動かし彼女の顔色を伺う。
一方メグミの表情は、まるで鳩に豆鉄砲でも撃たれたかのように呆然としていた。
「……し」
「シ?」
「喋ったァァァ⁉︎」
メグミの驚愕は、静寂を破るように林中に声高く響いた。
倒木に座っているメグミは、顎に手を当て、目を細めつつメラルーの全身を観察する。
「何かニャゴニャゴ言ってるとは思ったけど、まさか人語喋れるなんてね……驚いた。しかも猫なのに二足歩行してるし。見た感じアラガミじゃなさそうだけど……」
彼女自身、猫という動物は見たことがある。居住区に住んでいる野良猫が度々支部に迷い込む事があり、その度に清掃員と格闘している様子をしょっちゅう遠くから眺めていたのだ。
しかし、今彼女の目の前にいる存在は、それとはまるで似ても似つかない。
「ボクはボッチだミャ」
細い木の切り株に立っているメラルー、ボッチはそう自信ありげに名乗るとドンと胸を張った。
「そう、迷子なのね」
「違うミャ! 誰が一人ぼっちの迷子だミャ! ボ・ッ・チ! ボッチっていう名前なんだミャ」
勘違いしたメグミにボッチは憤りを示す。
「ご、ごめん……」
そんな彼を
「はぁ、まさか
ボッチはそう呟くと小さく息を吐き、切り株にストンと腰を置いた。
「さぁ、ボクが名乗ったんだから君の名前も教えて欲しいのミャ。レイギってやつミャ」
「勝手に名乗ったくせに、まあいいけど……私は
「じゃあメグミって呼ぶミャ」
「うん」
一時の間、一人と一匹は無言になる。
静寂。
微かに響く小鳥の囀りと風がなければ、時間が止まったかと錯覚してしまいそうな程に。
なんだか気まずくなったボッチは、それとなくメグミに話題を振る。
「ところで、さっき言ってた"アラガミ"って何だミャ?」
「え……知らないの?」
「ミャ。アラガミなんて知らないのミャ。初めて聞いたミャ、
「……」
ボッチが答えた『アラガミなんて知らない』という言葉にメグミは口を閉し、一人考え込む。
アラガミを知らない……?
だとすれば、ボッチはアラガミの脅威のない場所で生まれた?
……考えられない。今時屋敷の奥で大事に守られている世間知らずの御坊ちゃまですら、奴らの危険性を知っているというのに。
というか、そもそもボッチは本当に猫?
メグミは何気なく林の向こうを見つめる。
彼女の瞳の先には、青と白が混ざったような山脈が悠々と連なっていた。
パッと見でもその面積が広大なのが分かる。
雑草一本すら生えないような荒廃しきった世界に、こんな浮世離れした場所があれば間違いなく目立つはずだ。
何から何まで謎だらけ。
ふと一つ、それら全てを解決できる答えがメグミの脳裏に思い浮かんだ。
しかし、彼女は首を強く横に振る。
そんなのありえない、と───
「どうしたのミャ、いきなり首なんか振り始めて……頭に虫でも付いてたのミャ?」
「違う、自問自答してるだけ」
「そ、そうなのかミャ」
そう答えると、メグミは再び沈黙してしまった。
その様子を見たボッチは、変なヤツだと首を傾げる。
メグミには一つ、ボッチの言葉に気になる単語があった。
とはいえ彼女自身、その単語自体は知っていた。
しかし、それらは多くの創作物に現れる架空の存在だ。
メグミが暇潰しにと読んでいた小説や漫画にも、そういったモノはよく描かれていた。
しかし、彼女の目にはボッチが創作物に関わるような事に携わっているようには見えなかった。
そういったものとは無縁の、自然の世界で生きているような印象を受けたのだ。
『モンスター用の罠』と言ったボッチの口ぶりは、まるでそれらが実際に存在するかのような言い方だった。
「えっと、メグミはどうしてこんな所にいたんだミャ? 何か理由があるミャ?」
あれこれ考えるメグミをよそに、ボッチは次々と質問をぶつける。
「ちょっと、さっきからあなたばかり質問してるじゃない。私からも一つ訊いていい?」
「へ? あ、うん。確かに、さっきからボクだけ喋ってばかりだったミャ。いいミャよ」
───モンスターって、何?
「……」
「……」
その言葉を聞いて岩のように固まるボッチ。
そして、固唾を飲んで彼の回答を待つメグミ。
次の瞬間、ボッチの驚愕の声は空を貫いた。
「びっくらこいたミャ。まさかモンスター知らないって……どれだけ
「そんなわけないでしょ、ただの一般人よ。ねぇ……ボッチの言うモンスターって、首から上が無くなっても動き続けたり、兵器を吸収して自分の一部にしちゃったり、有機物も無機物も無差別にバリバリ食べちゃう奴らとは違うの?」
「なんミャそれ……そんなモンスターいるわけないミャ。モンスターっていうのは大きな翼で空を飛ぶ飛竜種だったり、海を悠々と泳ぐ海竜種とか魚竜種だったり……うーん説明が難しいミャ……」
ボッチは両手で頭を覆いながら、メグミに伝わりそうな言葉を模索する。
「まー要するに、モンスターっていうのはこの世界の生態系を担う大事な存在なんだミャ」
「そう……」
すると、今度はメグミが両手で顔を覆った。
何の偶然か、はたまた性質の悪い神の悪戯か。
そう思ったメグミは、自身が異世界に迷い込んでしまったのだとなんとなく理解し、深くため息を吐いた。
「なるほどオーケー、多少理解できたわ。……なら、胴体が丸いアホ面した鳥もモンスター? ここに来るまでに遭遇したんだけど」
「アホ面って……そいつは多分ガーグァだミャ。この辺りは雷光虫が多いからガーグァも住み着いてるのミャ」
「うーん、やっぱ知らない単語のオンパレード……」
その後、ボッチとメグミが話していると不意にメグミのお腹が「きゅう」と鳴った。
それはボッチにも聞こえたようで、メグミは頬を少し赤らめるとボッチから目を逸らして軽く咳払いをした。
「メグミ、もしかして食糧とか持ってきてないのミャ?」
「えっと、まあ、うん」
メグミはそう言って申し訳なさそうに後頭部を掻いた。
「は〜やれやれだミャ、全く。……見たところ武器も持ってないみたいだし、手ぶらで狩場を彷徨くなんてとんだ自殺行為だミャ」
このままメグミを放っておくと野垂れ死んでしまいそうだと考えたボッチは、どこにしまっていたのか懐から小さな──と言っても彼と比べればそこそこ大きい──物体をメグミに投げ渡す。
「これは?」
「それはボクがカイハツした"折り畳み式ネコショベル"……の複製品ミャ。メグミには小さいかもしれないけど、ガマンしてミャ」
メグミはボッチから投げ渡されたものを受け取る。
彼女はそれを観察してみると、それは全体的に木製で構成されていたのが分かった。
「精巧……ボッチって手先が器用なのね」
「ほ、褒めたって何も出ないミャ」
メグミは感心しつつ、その可動部を開く。
取手部分にある獣人族の耳を模した三角形は拘りを感じるものだった。
「大自然のオキテその一! 食べ物は自分で見つけるべし! ……ミャ」
そう言ってボッチはショベルを空に向かって掲げた。
───日が傾き、月が山から顔を出し始めた頃
メグミとボッチは、不揃いな形の石で囲われた焚き火を囲っていた。
「メラルー? 獣人族ねぇ。突然変異した猫ってわけじゃなかったのね」
「そうだミャ。猫っていうのが何だか知らないけど……」
メグミに面と向かって座るボッチは、そう言って火でこんがりと炙ったキノコを頬張る。
その様子を見ながら、メグミもキノコを刺した枝を焚き火から一本抜くとひと口齧った。
口の中に広がる独特ながらも芳醇な香りと滑らかな食感は、これまで塩気のキツい缶詰やブロックの栄養食ばかりだったメグミにとって初めての体験だった。
「うま……」
メグミは自分にしか聞こえない程の大きさで、思わずそう呟いた。
「それにしても、別の世界から迷い込んだって……」
既にキノコを平らげていたボッチが、満足げに腹を摩りながらメグミを訝しんでいた。
「食べるの早……まあ、私もボッチと同じ立場だったらそう思うけど」
「確かに見た目はヘンだけど、それだけじゃイマイチ信憑性ないミャ……あっ」
まるで気づきを得たように、ボッチは頭に一筋の
メグミは実は高貴な身の出身で外の世界に憧れを抱いていたものの、周りの人がそれを許してくれなかった。
その結果、閉塞的な屋敷での暮らしに嫌気がさして、機を計らって抜け出してきたに違いない。
しかし勢いのまま飛び出してしまったので、碌な装備も揃えずに狩場に迷い込んでしまった。
つまり、別世界からやってきたというのは嘘であり、身元がバレるのを嫌がった彼女なりの"演技"なのだ。アラガミとかいうのも、きっと書斎の御伽噺から情報を得た偽りのモンスターなのだろう。
そう考察したボッチは、内心で自身の推理力を自画自賛する。
あいにく何一つ合っていないが。
「急にニヤけてどうしたの」
「ミャ、なんでもないミャ……いやぁメグミも色々苦労してるんだミャア」
あまり詮索するのも可哀想だと感じたボッチは、メグミの嘘─実話─を受け流すようにして相槌を打った。
「オホン。取り敢えず、今の状態で狩場にいるのは危ないミャ。早いうちに街に避難した方がいいミャ。どうせ地図も持っていないだろうし、案内してやるミャ」
「ありがとう。街……って事は、ボッチみたいなのがいっぱいいる場所?」
「まあ間違ってはないけど……"人間"もちゃんといるミャ。とはいえ今日はもう暗いし、移動するのは明日だミャ」
ふと、メグミが空を見上げると、うっすらと輝く星空に火の粉が溶けていくのが見えた。
パキパキと乾燥した枝を割る焚き火がメグミとボッチを暖かく照らす。
視線を下ろしたメグミはじっと腕輪を見つめると、この世界と元いた世界の繋がりが一方通行でないことを祈った。
それから少し経って、物思いに耽っていたメグミとは別に、肘を突きながら目を瞑り横になっていたボッチは何かが近付いてくる気配を感じとった。
ボッチは瞼を開いて周囲を一瞥する。
───何もいない
気の所為か、とボッチが再び目を瞑ろうとした時、メグミの背後からそれは現れた。
丸太の如く発達した左右不揃いな牙を生やし、頭部を囲う白い体毛はまるで立髪。
四足歩行でありながら人の身長を上回る巨体は、並々ならぬ威圧感を発していた。
ボッチはメグミに迫る危険を知らせようとしたものの、体を動かせず、更には開いた口が金具で固定されたかのような感覚に陥った。
「ん……どうかした? 急に私の顔なんか見つめて。あっ、もしかして食べカスでも付いてたかな」
しかし、当のメグミはそんな事などいざ知らず、呑気に微笑みを浮かべながら人差し指でありもしないお弁当を探っていた。
「ミ"ャーーーッ! 後ろ! 後ろ!」
ボッチは金縛りを振り払うと、彼女の背後を指差して叫ぶ。
「そんな大声出さなくたって……後ろって何、よ……」
ボッチの急な叫び声にメグミが困惑した表情で背後を振り向くと、目の前には彼女の身長を裕に越えるであろう牙獣が鎮座していた。
「ブルルルルル……フシュウッ───!」
「えーっとぉ……どちら様で?」
冷や汗を垂らしながら引き攣った笑みを見せるメグミをよそに、その獣は荒々しく息を巻きながら力強く土を蹴っていた。
Q.なんで原作がモンハンなの?
A.舞台がモンハン世界なんで