C turn
「たった一晩で随分と魔力を使ってしまったわね」
夜闇に紛れて宙に浮く私は、新都のビル群を眼下に見下ろしながら独白した。
セイバーやライダーとの戦いでかなりの魔術を行使することになった。大きく消費した魔力を補充する必要がある。
敷設した陣により、衛宮邸には元々の霊脈以上の魔力が集まってくるが、それでも充分ではない。
「坊やには休んでもらわないといけないし」
流石に、今夜は少年に魔力供給を求めるのは憚られた。
早く寝るよう促したのは自分自身だし、凄まじいまでの戦い振りを見せた彼をこれ以上酷使させるわけにはいかない。
実際のところ、行為をしようにも、それだけの体力が残されていないだろう。
その代わりに一般人を糧にするつもりだった。
「今日はこのマンションにしましょうか・・・」
集合住宅やホテルのような多数の人間が寝ている建物のほうが、効率が良い。
一棟の中規模マンションを標的にすることにした。
世帯数は100程だろうか。
今晩は、衛宮邸が襲撃される可能性は低いと考えていたが、確実なわけではない。手早く済ませて、速やかに戻りたかった。
最上階にあたる10階の外廊下にふわりと降り立つ。
先ずはこのフロアの住人達から魔力を集め、順に階を降りていくつもりだった。
私は片膝立ちになってから、コンクリートの床に手の平を当てると、黒い触手のような魔術による探知網を各部屋に張り巡らせていく。
寝ている住人を接触したら、魂喰いをさせてもらうという手順だ。
しかし、すぐに私は【
ズン────────―
「なんなの・・・これは・・・?」
自分の顔が瞬時に蒼ざめたのが自覚できる。
【それ】に触れた瞬間。
得体の知れないドス黒い悪意のような、ネバついた重圧がこちらに伝わってきたのだ。
「・・・・・・・・・この上もなく不快だわ・・・・・・・・・」
それだけではない。
「ほとんど空っぽになってるじゃない・・・」
魔力の網を張ることで、このフロアの住人に対して一通り接触できたが、その殆どの魂が希薄になっていた。私自身、住人達から魔力の源泉となる魂を啜りに来たわけだが、ここまで露骨に奪い取るつもりはない。
誰か他のサーヴァントの仕業と考えるのが自然かもしれないが、決定的に何かが違うとも感じていた。
「降りてみるしかないわね」
いずれにせよ、このフロアでは目的である魔力を調達することはできそうにない。
私は、外壁伝いに下の階へと降りることにした。
「ほぼ全滅みたいね」
歩道に立ち、困惑しながら目の前のマンションを見上げる。
10階から1階まで、順に確認してみたが結果は同じだった。
このマンションの大半の住人が、10階の住人と同様に魂を抜かれ、そして『
何が原因か突き止めたいと思う反面、深入りしないほうがいいと、私の中の何かが警告している。
曲がりなりにも、英霊になった身だ。
生前、様々な困難、怪物、
その幾多の体験と比較しても最高級の危険物だと、そんな確信があった。
「何をしている?キャスター」
「!?」
突然の背後からの声に、完全に不意を突かれた。
自身の思考に没入していた私は、事もあろうに周囲の状況に気を配ることを完全に失念していた。
反射的に振り返りながら、魔力弾を放つために腕を突き出そうとする。
「落ち着け。ここでどうこうするつもりはない」
やけに耳に残る重低音。
その重厚かつ落ち着いた声でそう告げてきたのは、神父服を着た長身の男だった。
「あなたは、監督役の・・・」
「ほう。直接の面識はない筈だが・・・私を知っているのか?」
実際には特に意外そうでもなく、神父服の男は無表情のまま問い掛けてきた。
「ええ。聖杯戦争の参加者として、ある程度の事は調べているわ」
以前のマスターであるアトラム・ガリアスタから、冬木教会の神父が監督役であることは聞いていた。教会は不可侵領域ではあったが、その近辺に放った使い魔により、この神父が教会の主であることは早期に確認している。
「だろうな。それにしても、よく消滅せずにいられたものだな」
「どういうことかしら?」
神父が気になる言葉を発してきた。
「いや、お前のマスターだったアトラム・ガリアスタ氏から私に依頼があったのだよ。お前を殺せる者を紹介してくれ、とな」
もう2週間ほど前のことだがな、と神父は続けた。
「あの男が私を消そうとしていたことは知っていたけれど、あなたに話を持ち掛けていたのね」
「ああ。だが、生憎と・・・と言っては何だが、その時点では私には適当な
裏を返せば、適当な人物に心当たりがあれば、私を殺すための人材仲介をするつもりだったということだ。この男がただの形式的で公正な進行役でないことが、この会話だけでも垣間見える。
そもそも纏っている空気からして、人畜無害とは縁遠いものであることは一目でわかった。
この男は、危険だ。
「そう。それで、なぜ消滅していないのが意外なのかしら?」
「私は参加者の動向を随時確認している。あくまでも可能な範囲でだが。アトラム・ガリアスタ氏が故人となっていることはわかっている。マスターを失ったサーヴァントがとうに消えていると考えるのは自然だろう」
ここで神父は口の端を僅かに吊り上げて、笑みを浮かべた。
全く信用ならない表情だった。
この男は、私が消えていない理由などとうにお見通しなのではないだろうか。
どこまで知っているか確認したかった。
「
「だろうな。マスターがいなくても、やりようはあるか」
読み取り辛い反応だった。
私としては、衛宮士郎との繋がりを極力把握されたくない。
公正な監督役相手だったとしてもそうだし、ましてやこの怪しげな神父になら尚更である。
マスターからの供給以外の一般的な魔力補充の手段としては、他のサーヴァントでも可能な魂喰いや強力な霊脈を有する土地から魔力を吸い上げることなどが挙げられる。いずれかをキャスターのクラススキルである【陣地作成】などを併用して、現界を実現していると思い込んで欲しかった。
「事実として、お前は以前にも魂喰いをしているな?」
「知っているの?」
想定外ではあったが、ここでは素直に肯定する。そっち方向に思考を向けられたほうが都合がいい。
実際、現界できるだけの魔力は坊やから得ていたが、それでも充分ではなかった。早急に魔力を補充するために、この新都で魂喰いをしていた。
「聖杯戦争参加者の不始末を隠蔽するのが、最も重要な私の仕事と言っても過言ではない。できれば、事前に連絡が欲しいくらいだ。そうすれば、対処の仕方もスムーズになるのだからな」
本格的に迷惑そうな口調だった。
本心を図り兼ねる相手だが、この部分だけは本音のようだった。
「できる限り後に残らないよう丁寧にやったわ。無分別というわけではなかったと思うのだけれど」
「確かにな。医者による採血のような洗練された仕事だった。その点は評価しよう」
と言いながらも、それで、と神父は続けた。
「このマンションでの犯行もお前の仕業かな?」
そういう事か。
どうやら、この神父もこのマンション内の状況を何らかの方法で察知したのだろう。その犯人が誰かを探るためにここまでやってきたというわけだ。
「私じゃないってわかっているのでしょう?」
そもそも、この神父は私と事を構えるつもりはなかったようだ。そして、これまでの会話からも、私のやり口とマンション内の住人の有り様では乖離していることを察しているだろう。
「念のためだ。ここの住人の容態は、お前の手口による被害者とは大きく違うし、未だに犯行現場であるここを離れていないことも考慮すると、限りなくシロと踏んでいるのだがな」
「寧ろ私の方が聞きたいわ。一体、ここで何が起きたのかしら?多少の情報や推察はあるのでしょう?」
「わからん。1週間ほど前から、少しずつではあるが、同様の被害者が出てきているのだ。サーヴァントの所業とは思えないが、さりとて、無関係とも思えん。魔力を喰らうという行為である以上、聖杯戦争との因果関係を疑わざるを得んな」
「1週間前・・・時期的にもサーヴァントが増えてきた頃合いかしらね」
その時期に既に現界していた英霊が容疑者に含まれるという事だ。
無論、私もその一人ということになる。
「既に召喚されていたのは、誰かしら?」
折角なので、集められるだけの情報を入手しようと、私は質問を重ねた。
「ふむ、このくらいは構わんか。お前を除けば、バーサーカー、ライダー、そしてアーチャーだけだな」
あっさりと答えが返ってきた。
「それぞれの特徴は?」
完全に『あわよくば』という程度で、さらに問い掛けてみる。
「そこまでは教えられんが、こんなことができるタイプのサーヴァントはいなさそうだがな」
「そう」
ライダーとバーサーカーには既に遭遇したわけだが、後者はとてもこのような奇怪な事象に関連するとは思えない。前者であるライダーの魂喰いの結界は把握済だが、性質が違う。
あの女も真っ当な英霊ではなさそうだから、ここでの出来事との関連性を完全に否定することはできないが。
「やっぱり違う気がするのよね・・・」
思わず呟きが漏れた。
「ふむ。そうだな、私もこの件は、単純にサーヴァントが自身を強化するために魔力集めをしているのとは、違う性質のものだと感じている」
直感的に過ぎないが、と神父は続けた。
「これは、もっと本能的な欲求に基づく行為だ」
「やりたいからやっているということかしら?」
「あるいは、他にやりようがないからやっているのかもしれん」
「子供の癇癪みたいなもの?」
「女のヒステリーかもしれん」
神父は淡々と別の表現を提示してきた。
私に対する当てつけかとも思ったが、特に他意はないのだろう。
「・・・さてと・・・ところでキャスターよ。物は相談だが、私と手を組む気はないかね?」
思いもよらない言葉が、神父の口から発せられた。
「どういうこと?監督役であるあなたが、そんなこと許されるのかしら?」
「どうにも、今回の聖杯戦争はイレギュラーが多くてな。サーヴァントが揃ってもいないうちから、かなり本格的な衝突が起きている」
「そ・・・そうなのね・・・」
当事者でもある私としては後ろめたさもあり、返事の歯切れが悪くなってしまう。
この神父は、先程起きた学校での乱戦のことを既に知っているのだろうか?
「それだけではなく、アトラム・ガリアスタ氏が私にお前の排除の斡旋を依頼してきたことと言い、このマンションで起きたような不可解な魂喰いと言い、監督役の私としては少々、頭が痛いところでな。全くもって何もかもが
そう言うと、神父は嘆息した。
「要するに、仕事が煩雑になり過ぎているのだ。少しでも整理していきたい」
「監督役も辛いわね」
私のやっている『普通の』魂喰いは、どう位置付けられるのだろうか?
「見たところ、お前は分別のある英霊のようだ」
「だからと言って、手を組むなんて不可能でしょう?」
この男はマスターではないのだから。
「そのままの意味ではない。要は、ちょっとした取引だ。配慮のある魔力調達であれば、その行為は見咎めないことにしよう。代わりに無秩序な闘いや、今回のような異常事態を察知した時には、私に情報を共有して欲しいのだ」
聖杯戦争を統制の効く範囲に収めたい、ということだろう。監督役としては、もっともな話のように思われた。
私としても、この話に乗ればリスク回避が図れるかもしれない。
監督役の権限を以てすれば、私を一般社会に害をなす不届き者として指定することだってできるだろう。そうすれば他の参加者達に一斉に狙われることになるかもしれないのだ。
そんな事態を避けることができる。
だが、
「この話は保留にさせて貰えないかしら?」
と、返答した。
余計な反感を買うことを避けるために、遠回しな表現になったが、私はこの提案に乗る気はなかった。
最初のマスターであるアトラム・ガリアスタや、あの間桐慎二とは、全く別の次元でこの男は信用できない。
「そうか。残念だな」
神父はこちらが受ける意思がない事を悟ったようだったが、言葉とは裏腹に、さして残念がる様子でもなかった。
そもそもあまり期待していなかったのだろう。
「次に犯行に及ぶときには、前回以上に綺麗に仕上げて欲しいものだ。私が気付かないくらいにな」
「善処するわ」
私は形だけの返事をした。
これからどうしようか?
このマンションでは、『食べ残されていた』住人から、僅かながら魔力を調達できたに過ぎない。場所を移して再度試行することも選択肢のうちだが、これ以上、衛宮邸を空けるのも心配だった。
「私はこれで失礼するわね」
神父にはそう伝えて、私は屋敷に戻ることにした。
今夜は色々あった。
少し休みたい、というのが本音だ。
「ふむ。私はもう少し・・・!?」
神父が突然、続けようとしていた言葉を切った。
いや、失ったと言ったほうが正しいのだろうか?
私もまた、異様な空気を感じて、神父の視線を追った。
「っ!!??」
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【それ】は、
音が無く、色が無く、空間も無かった。
「・・・なに?」
「・・・なん・・・なの?」
周囲の街灯の明かりは必ずしも充分なものではなかったが、【それ】がいるそこだけが切り取られていた。
造形としては、強いて言えば『蛸』を思わせた。それが黒い幌を被ったような形状をして、ただただ、そこに在る・・・いや、無い、と言うべきか。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
神父も私も呼吸という概念を忘れてしまったかのようだった。
それすらも許してくれない程に、それは何もないくせに、圧倒的な存在感を持っていて、そして決定的におかしかった。
つぅ・・・と私は自分のこめかみを汗が流れるのを自覚した。
そして、ローブが背中にじっとりと張り付くのを感じた。
「・・・まさか・・・これは・・・」
隣で神父が呟くのが、微かに聞こえた。
目の前の【それ】について、何か思い当たる事があるのだろうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
唐突に、世界は元に戻っていた。
【それ】は忽然と消えた。
他に形容のしようもない。
あれが現れると現れた後の世界は何も変わっていないかのようだった。
だが、そんな筈はない。
あんなものがこの街にはいる。
その事を知ってしまった今と、知らなかった1分前で同じであるわけがない。
「何だったのよ・・・」
ようやく言葉を思い出した私は、ゆっくりと息を吐き出した。
「・・・・・・・・・・・・」
ふと神父を見やる。
私と同じ怪異を見た男。
今、唯一共有できる感覚を持った筈の人物。
しかし。
私がその男と共感できるものなど、何一つ持ち得ない事がすぐにわかった。
男の顔は歪んでいた。
その顔にあったのは、歓喜の笑みだったのだ。
神父のその顔から、私はすぐに目を背けた。
見るに堪えない。
・・・間違いなく、この男は狂っている。
映像も絵もなしにテキストだけで、あの【影】を表現するのってキツイです。