Fate/√  【群像時変】   作:わが立つ杣

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1月31日 未明








第31話 ~当日⑤~ 「世界で一番ながい夜」

 E' turn

 

 

 ガララ

 

「お上がりなさいな」

 

 オレのマスターであるキャスターが玄関の戸をスライドさせて、一緒に中に入るよう促してきた。

 監督役の神父が立ち去った後、半壊していた外壁をキャスター(マスター)が魔術で可能な限り修復してから、この母屋へとやって来たのだ。

 

「と、(わたくし)が言うのも、おかしな話なのだけれど。ここは、あなたの家なのだから・・・・・・正直、勝手が狂うわね」

 

 彼女はそうぼやく。

 少しばかり険のある表情が向けられているが、こっちはこっちでドギマギしたりする。

 召喚された時、眼前にいた彼女が美人なのはわかっていたが、明るいところで見ると一層際立つ。

 少しシャープな輪郭と透き通った肌に、藤色?とでも表現すればいいのだろうか、水色混じりの紫の目と髪。全てに吸い寄せられそうになる。

 

「ほんと、すまない。でも、確かになんか落ち着くな。ここ」

 

 彼女に目を奪われながらも、取り繕うようにしてそんな言葉を返す。

 

「多少なりとも記憶に引っかかるところでもあるかしら?」

 

 と、廊下を歩きながら確認してくるが、

 

「いや、わからないな」

 

 期待に添えず残念ではあったが、正直にそう答えた。

 

「・・・そう」

 

 彼女の声音が少し沈む。

 

「あいや、でもほんとに懐かしい感じはするよ」

 

 その落胆した様子を見て、慌ててフォローする。

 

「無理しなくてもいいのよ。ゆっくりと思い出していけばいいわ」

 

 ザッ

 

 そんな風にこちらを労わりながら、彼女が障子戸を開く。

 

「・・・あ」

 

 いわゆる昔ながらの広い居間。

 大きな座卓が中央に据えられ、左側には台所があり、正面には襖が並んでいる。

 その光景を目にしたオレは、思わず声を上げていた。

 

「どうしたの?・・・・・・何か思い出したのかしら?」

 

 そう問いかけてくるその声には、期待と不安、その両方が()()()()になっているような気配がある。

 

「すまない。思い出したってわけではないんだけど・・・」

 

 そう。

 決してそういうわけではない。

 それでも、何故だか・・・

 

「・・・・・・ここは・・・・・・凄く大事な場所なんだって、そんな気がする・・・・・・」

 

 

 

「どうぞ、お飲みなさいな」

 

 座布団に正座して、部屋の様子をぐるりと見回すオレの前に湯呑みが置かれた。中に入ったお茶からは、ほかほかと湯気が立っている。

 

「ああ、ありがとう、マスター。今度からはオレがお茶くらい淹れるから」

 

 実際のところ、現状全く勝手がわからないため、何から何までキャスター(マスター)におんぶに抱っこ状態だ。

 

「これじゃあ、召使い(サーヴァント)としても失格だよな・・・」

 

 嘆息しながらも、ふうふうと息を吹きかけてお茶を啜った。

 うん。

 普通の緑茶だ。

 緑茶の味が感じられるし、緑茶の味がする。

 

「お茶の淹れ方はわかるのかしら?」

 

「当たり前だ。そこまで馬鹿にしないで欲しいな」

 

「そうは言ってもねえ、どう戦えばいいのかもわからないのよね?」

 

「いや、自分が魔術師の端くれだってことくらいはわかってるから、魔術で戦うことになるのはわかっている。アサシンっぽさは欠片もないけど」

 

「そうね。あなたは投影と強化が使える。特に投影についてはかなりの使い手だったわ。物凄く限定的な範囲ではあったけれど」

 

「マスターとは共闘関係にあった。そして、オレは単独行動の最中で何者かに殺されたって話だったよな?」

 

 あの神父が去った後、人間だった頃のオレの状況をキャスター(マスター)は教えてくれていた。

 

「・・・え・・・ええ・・・そうよ・・・」

 

「仕方なく残っているアサシンを召喚するっていうイレギュラーなことをしたら、オレが召喚されてしまったと」

 

「ええ。私としても誰が召喚されるわからなかったわ。他のマスターに先を越されないうちに召喚しようと思って、焦っていたから」

 

 オレが召喚された直後の彼女は暫くの間黙ったままで、全然反応がなかった。

 あの時はその態度に不安にさせられたが、それだけ彼女にとっては驚きだったわけだ。まあ、死んだと思っていた相手が、いきなり復活したようなもんなのだから当たり前とも言える。

 

「いやあ、ありがたいよ。オレはあんたの助けにならなかったって事だろ?その借りを返すチャンスをくれたわけだしな」

 

 生前のオレは彼女の助けになると心に決めたにもかかわらず、開戦前にお陀仏になるというなんとも情けない結果に終わったわけだ。今回は、ちゃんと役に立たないといけない。

 

「・・・助けにならなかった・・・なんてことはないわよ・・・(わたくし)はあなたに救われたわ・・・」

 

 正面に座るキャスター《マスター》が、何事かを反芻するかのように虚空に目を彷徨わせる。

 生前のオレと彼女が出会ってから半月余りの間で何があったのか、まだ詳しく聞いたわけではない。その辺はこれからおいおい教えてくれるだろう。

 

「・・・ふう・・・」

 

 彼女は湯呑みを両手で抱えたまま、下を向いて大きく息を吐いた。

 

「だいぶ疲れているみたいだな、マスター」

 

 こうして話をしていても、彼女はどこか虚ろでぼんやりとしているのが感じられる。

 

「ええ、確かにそうね・・・色々とあったから・・・本当に・・・」

 

 彼女はゆっくりと目を瞑るとしばらくそのままの姿勢で動かなくなった。

 大まかに聞いた話だけでも、この半日で凄まじく状況が変わったことが窺い知れた。

 セイバーの召喚、ギルガメッシュの襲撃、オレが死に、そして・・・オレが召喚された。

 魔力の消耗だけではなく、精神的にも負荷がかかっている筈だ。

 綺麗な姿勢で正座をしている彼女を見ると、どうにも無理をしているようにも思える。言葉遣いや振る舞いからして、元々かなり気丈な性質のようだが、張り詰め過ぎるタイプのようにも思えた。

 

「見物がてら、屋敷を一回りしてくるよ。だいぶ広そうだからな」

 

 そう言って、立ち上がる。

 オレがここにいては却って寛げないような気がするので、少し外すことにしたのだ。

 

「好きにしなさい。あなたの家なんですもの」

 

 そう返された言葉には、どこか安堵したような響きが感じられた。

 

 

 

「懐かしさを感じる気はするんだけど、やっぱり初めて見るところばかりなんだよな・・・」

 

 都合よく体が覚えているというわけでもなく、普通に扉を開けて一部屋一部屋を中の様子を確認して回った。

 

 ガララ

 

 母家内を回った後に、外に出る。

 空を見上げると、僅かに暗さが和らいできており、夜明けが近いことが感じられた。

 何気なく正面に見えた立派な造りの門をくぐって、通りに出る。

 すると。

 

「・・・な・・・なんじゃと・・・!?」

 

 左手方向から驚きを含んだ声が聞こえてきた。

 

「ん?」

 

 そちらを見ると、20m程先に一人の老人が驚きの表情を浮かべて立ち尽くしていた。

 刻まれた皺などを見るに、既に齢80は超えているだろう。元々小柄なうえに、杖を突いているため一層小さく見える。

 こんな時間に、こんなご年配がなぜここにいるのか?

 

「・・・こ・・・小僧・・・お主、死んだ筈では・・・?」

 

 この言葉でその正体が垣間見えた。

 

「っ!?」

 

 警戒を強めて、オレは改めて老人に相対する。

 

「・・・お前っ、魔術師だな?」

 

 生前のオレの状況を知っていて、こんな時間にこの屋敷の近くをうろついているのだ。聖杯戦争関係者と考えるのが自然だ。

 

「・・・ぬ?・・・・・・いや・・・・・・違う」

 

 老魔術師はこちらの警戒態勢などお構いなしに訝っていたが、それと同時に何事かに気が付いた様子だった。

 

「お主、よもや・・・」

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 詠唱して、オレは右手にナイフを創り出した。

 なぜなら、眼前の老魔術師・・・いや、()の顔に醜悪な笑みが浮かんだからだ。

 こいつは何か仕掛けてくる。

 

「・・・アサシンのサーヴァントじゃな。しかも、出来損ないじゃのう」

 

 ブワァァァァァァァァァァァァ!

 

「なっ!?」

 

 老人の体が一瞬にして散り散りになった思ったが、それは分裂したと表現したほうが良かった。先ほどまで形成されていた人体は既にそこにはなく、何百もの蟲が替わりに現れたのだ。

 そいつらは翅を震わせて中空に止まっており、ブンブンと羽音がうるさい。

 

『千載一遇とはこのことよ!』

 

「それが、お前の正体ってわけか?」

 

『くくく』

 

 嘲るような念話が蟲の群れから発せられると、

 

 ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!

 

 一勢にオレ目掛けて殺到してくる。

 

「くそっ!」

 

 まとわりついてきた蟲達に対してナイフを振り回すと、何匹かには当たり地面に落ちた。それらはビチビチと気持ち悪い音をたててのたうっているが、それを悠長に観察する余裕は欠片もない。

 屋敷の外壁沿いに後退しながら、間断なく襲ってくる蟲達を切り払っていく。

 

『貴様は所詮、紛い物のサーヴァントに過ぎん。本物を喚び出すための生贄となって貰うぞ』

 

 生贄だと?

 何を企んでいるんだ、こいつは?

 

 ズザザザッッ!

 

「なにっ!?」

 

 蟲達の言葉に思考が割かれた瞬間だった。

 

 ドッ!

 

「がっ!?」

 

 オレはアスファルトへと叩きつけられていた。

 辛うじて顔から地面に突っ込む直前に、腕で受け身を取ることはできたが。

 何が起きたかわからず足元を見ると、数十もの芋虫のような奴等がオレの足を絡め取っていた。

 羽蟲だけでなく、地を這う蟲達もいたのだ。

 

「ぐっ!?動けないっ!」

 

 足を動かそうにも、そいつらは周囲から瞬く間に集まってきて夥しい数に増えていった。

 

「くくくっ、他愛もない。とても、サーヴァントの水準には達しておらぬわ」

 

 羽蟲達が集まってきて、老人の上半身を象った。

 

「キャスターめの動きが怪しかったので様子を見に来たが、思いもかけぬ僥倖よ!」

 

 ブシャァッッッ!!

 

 宙を待っていた何匹かの羽蟲達が突然弾けて、自壊した。そこから噴き出した夥しい鮮血がオレの体にかかり、そして、周囲にその血が円形の紋様を浮かび上がらせた。

 それは、先程オレが召喚された時に地面に描かれていた魔方陣と酷似している。

 

「さてさて、何十年ぶりになるのか・・・本当に久方すぎて、詠唱を間違えてしまわないか心配じゃのう」

 

「・・・これは・・・まさか・・・」

 

 オレは奴が何をしようとしているかに気がついた。

 

「―――素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」

 

 下卑た嗤いを髑髏のような面貌に張りつかせて、半身の蟲使いが言葉を紡ぎ始める。

 

「―――降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 ボウッッ

 

 オレの足元にある蟲達の血で描かれた魔方陣が、淡く、そして青い光を発し始めた。

 

「―――閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 

 生贄。

 つまりオレを触媒にしてサーヴァントを喚びだそうとしているのだ。こいつは。

 

「繰り返すつどに五度。ただ満たされる(とき)を破却する」

 

 そんな事させてたまるか。

 

強化(トレース)開始(オン)

 

 オレは手にしたナイフを強化する。

 ただの鉄製の道具に過ぎなかった刃物に、これで魔力が込められる。

 これなら、()()()()()()()()()()()()()

 

「マスターッ!何の役にも立てなくてすまないっ!!」

 

「ぬっ!?」

 

 オレは手にしたナイフを逆手に持つと、自分の心臓、サーヴァント的な表現をするなら霊核へと一突きする。

 つもりだった。

 

 ザァァァッッ!

 

「ぐっ!」

 

 だが、オレの腕は数多の羽蟲に絡め取られて目的の場所にまで到達することが出来なかった。

 

「躊躇なく自害しようとは、なかなかに思い切りおる。その辺りはさすがは衛宮の小倅。尋常ではないの・・・じゃがな・・・」

 

 ザグザグザグザグザグザグッッ!!!

 

 オレの両腕は、まとわりついた羽蟲達の鋭利な翅によって瞬く間に切り刻まれていく。

 

「がああああっっっ!!!」

 

 激痛が全身を駆け巡り、ぼとりとオレの2本の腕が地に落ちた。

 

「これで自ら命を絶つこともできんのう」

 

「畜生めぇぇぇっっっ!!!」

 

 絶叫したオレは、そのまま舌を噛み切ってやろうと考えた。

 だが、それを寸でのところで思い止まる。

 性質(タチ)の悪いことにそれぐらいでは死ねないのだ。サーヴァントというやつは。

 

「・・・何て無意味な体なんだ・・・」

 

 思わず口から絶望が漏れる。

 力はただの半人前の魔術師。

 そのくせ、敵にとっては都合のいい媒介物。

 あまつさえ、死ななくちゃいけない場面で、死ぬこともできない。

 このままオレの中から奴のサーヴァントが生まれ落ちたら、間違いなくキャスター(マスター)を殺しにかかるだろう。

 

「カカカッ。告げる」

 

 嘲りるように蟲が嗤う。

 まだだ。

 オレの目は、落ちた自分の手に握り締められたナイフを捉えた。

 幸いと言うべきか、その刃先は天に向けられている。

 

「―――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄る辺に従い、この意、この(ことわり)に従うならば応えよ」

 

 あれに目から落ちれば一撃で死ねる!

 

「―――誓いを此処に。我は常世(とこよ)総ての善と成る者、我は常世(とこよ)総ての悪を敷く者」

 

 詠唱はクライマックスに向かっている。

 急がなければ。

 オレは思い切り上半身を反らせた。

 芋蟲達によって足を地に固定され、膝をついている状態だ。確実に目から脳を貫くためにはかなりの勢いが必要だ。

 

「―――汝三大の言霊を纏う七天」

 

 いけっ!

 

「―――抑止の輪より来たれ、天秤の・・・」

 

 残された唯一の希望であるその鋭く尖った一点に向けて。

 オレは右眼から突っ込む!

 その刹那、

 

『―――ここに戻って来なさい!!坊やっ!!!』

 

 悲鳴のような叫び声が頭の中で木霊した。

 

 カッ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 すると眩い白色の光が弾け、

 

「――――――え?」

 

 白い襖に囲まれており、木張りの天井、大きな座卓の上には湯呑み茶碗。

 オレは片膝立ちの状態で、見覚えのある部屋にいた。

 滴り落ち続けている両腕からの流血が、忽ち緑色の畳を赤く染めていく。

 

「・・・ま・・・間に合った・・・」

 

 震えと、そして安堵がいっしょくたになった女性の声が、その場に漂った。

 目の前には、微かに光を発している左手を突き出した状態で、キャスター(マスター)が立ち尽くしていて、そして。

 その整った顔は、蒼白になっている。

 一体、何が起きたんだ・・・?

 

 ズグゥッ!

 

「がぁぁぁぁぁっ!?」

 

 オレは腹に激痛を覚えて、思考を中断される。

 視線を下に向けると、あろうことか()()()()()()()()()()。それはやけにゴツゴツとして骨っぽい。

 

「坊やっ!?」

 

 叫んだキャスター《マスター》だったが、

 

「お前っ!本物のアサシンねっ!」

 

 言うが早いか、

 

 ガッ!

 

 彼女はオレの腹から突き出した黒い腕を、右手で掴む。

 腹から出るオレの血がその黒い腕と、キャスター(マスター)のグローブを濡らす。

 

「塵になりなさいっ!この子は渡さないわっ!!」

 

 叫ぶようにキャスター(マスター)が魔術を発動させると、繋がった二つの腕を眩い紫色の光が包み込む。

 

 ザァァァァァァァ──―

 

 あっという間だった。

 オレの腹から突き出してた黒い腕が、炭化した紙が灰になるように粉々に霧散していった。

 

「・・・消えた?」

 

 それだけでなく、オレの腹の中から生まれようとしていた得体の知れない何か。おそらく黒い腕の本体も完全に消え失せていくのが実感できた。

 老魔術師(あいつ)がオレを媒介にして召喚しようとしていたアサシンのサーヴァントは、殆ど現界する寸前だったのだ。それをキャスター(マスター)が止めてくれたのだ。

 

「うぅ・・・」

 

 僅かに呻き声を上げたキャスター(マスター)が右腕を押さえて、その場に(うずくま)る。

 

「マスターッ!?」

 

 オレの窮地を救ってくれたキャスター(マスター)だったが、その右手首から先がなくなっていた。あの黒い腕を塵にした魔術の影響が、自身にも余波として伝わってきたのかもしれない。

 

「・・・ぅ・・・だ・・・大丈夫よ。この程度、すぐに治せるから・・・」

 

 痛みに顔を歪めながらも、キャスター(マスター)が笑みを浮かべた。

 オレも彼女も畳に膝をついた状態になっており、目線が同じ位置になっている。

 

「それなら早くその腕を・・・」

 

 彼女の顔が思いがけず近くにあったことに慌てながらも、早く自分の治療をするよう促す。

 

「いいえ、あなたが先よ」

 

 キャスター(マスター)はオレの意見を否定しながら、残った左腕をこちらに差し出してきた。

 

「え?」

 

「令呪をもって命ずる」

 

 彼女がつけている黒いグローブの奥の掌が仄かに発光する。

 直接は見えないが、そこに令呪があるのだろう。

 

「ちゃんと治しなさい。その身体を」

 

 令呪が秘める収斂された魔力による強制と促進。

 それがオレの身体に流れ込んでくるのを感じる。すると、失くなっていたオレの両腕が形成され、腹に開いていた大穴が塞がれていく。

 あっという間だった。

 痛みも流血も嘘のように消え失せていった。

 

「・・・す・・・すごいな・・・」

 

 痛みと、そして両腕がない不自由さから解放されて、オレは思わず嘆息した。

 だが、

 

「ひょっとして、さっきオレがここにいきなり戻って来られたのも・・・令呪のお陰なのか・・・」

 

「ええ、そうよ。でも・・・」

 

 キャスター(マスター)が厳しい視線をオレの後方の空間に向けた。

 

「今はまだ、のんびり話をしていられないわねっ!」

 

 言うが早いか、彼女は立ち上がるとオレの横を通り過ぎて、障子戸を開ける。

 

 ガシャァァッ!

 

 硝子の割れる音が廊下に響き渡った。

 

 ブォゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ!

 

 大量の羽蟲達が割れた硝子戸から雪崩れ込んで、こちらへと向かって来る。

 

『ぬぅぅぅ。口惜しいわっ!あと一息というところで、邪魔しおってぇぇぇ!』

 

 オレを触媒にしてサーヴァントを召喚しようとしたあの蟲の老魔術師だ。

 突如として消えたオレを探しながら追ってきたのだろう。

 

「それはこっちの台詞よ」

 

『キャスター風情めがぁぁ!貴様などただの聖杯の供物に過ぎんというのにぃぃぃぃぃぃ!』

 

 怨嗟の声と共に廊下を埋め尽くした蟲達が殺到する。

 

「五月蠅い蟲ね」

 

 オレの眼前に立つキャスター(マスター)の背中が、冷たく吐き捨てる。

 

「あなたも跡形も無くしてあげるわ」

 

 ゴウッ!

 

 黒い風でできた檻がオレたちに向かってきた全ての蟲達を閉じ込めた。

 ブンブンと響いていた喧しい音が消え、無音となる。

 

『なんじゃとっ!?』

 

「この程度の力量でサーヴァントに喧嘩を売ってくるなんて、なんて間抜けなのかしら」

 

 ズシャャャァァァァァァッッッッッッッッッ!!!

 

 渦巻いた風の刃が檻の中にいた全ての蟲達をズタズタに切り刻んでいった。奴らはミキサーの中に放り込まれた玉ねぎのように細切れにされる。

 

『おのれぇぇぇ!弱小とは言え、やはりサーヴァントかぁぁぁっっっ!』

 

 全ての蟲を斃したかに思われたが、あいつの声がどこからともなく聞こえてきた。

 

「逃がすと思っているの?」

 

 キャスター(マスター)がその腕を一振りすると、窓の外に残っていた一匹の羽蟲に細い紫色の閃光が伸びた。

 

『ぎゃあぁぁぁ!』

 

 断末魔と思われる悲鳴があがり、今度こそ辺りが静かになる。

 

「・・・終わったか・・・?」

 

「どうかしらね。あの手合いは何が本物だかわからないから。最後のも擬態だと思ったほうだいいでしょうね」

 

 キャスター(マスター)が無表情に頭を振ると、何事かを詠唱して失ったままになっていた右手に左の掌をかざした。流石にすぐに治癒できるというものではないらしく、顔を歪めたまましばらくその体勢のままだったが、やがて完治したようだった。

 感触を確かめるように右の掌を開いたり、閉じたりする。

 先程の彼女が言っていたとおり、その手が本当に治ったのを見て、オレは心底安堵する。

 

「そうだな。芋虫みたいな奴らもいなかったし」

 

 おそらくあの老魔術師には核となる蟲がいるのだろうが、それを潰せたのかは全く判別がつかなかった。

 

「とは言え、私に歯が立たないことは十分にわかったでしょう」

 

「そうだな。逆にオレはあの程度の魔術師にすら負けちまうようなサーヴァントだってことだな・・・」

 

 この短時間で、オレはどれだけキャスター(マスター)に迷惑をかけたことか。

 

「本当に済まない。令呪だって二つも使わせちまって・・・」

 

 ギチリ

 

 歯ぎしりしてオレは俯いた。

 

「・・・・・・」

 

 無言のままキャスター(マスター)がこちらを振り返ったのが気配で感じられた。

 

「あいつがオレを触媒にしてサーヴァントを召喚することがわかったってのに」

 

「何をしようとしたの?」

 

「別に何も。召喚が成立する前に、投影したナイフで死のうとしたんだけど・・・それすらできなかった・・・」

 

「・・・そう・・・」

 

 その声は、思いの外すぐ近くから聞こえてきた。

 顔を上げると、目の前にキャスター(マスター)の顔があった。

 その左手がオレの頬に触れる。

 治療したばかりのその手はグローブに覆われておらず、指先からひんやりとした温もりが伝わってきた。

 真正面にある彼女の澄んだ瞳が、オレの視線を捕らえて離さない。

 

「令呪をもって命ずるわ」

 

「なっ!?」

 

「二度と自害しようだなんて思わないで」

 

 頬に置かれた彼女の左手が輝く。

 そして、絶対に逆らえないとわかる強制力のある言葉がオレの全身に流れ込んでくる。

 じんわりと浸透したその言葉の暖かさ。

 それが、令呪による強制なのか、それともそれ以外の何かなのかオレにはわからなかった。

 

「全て私のミスなのよ。気に病む必要はないわ」

 

 変わらない透明な表情で、事も無げに彼女は言う。

 

「・・・そ・・・そんな筈はないだろう。全部、オレが役立たずだったからじゃないか!?」

 

 こんなポンコツサーヴァント(自分で言うのも虚しいが、これほどしっくりくる言葉もない。)のために、貴重な令呪を三画全て、しかも僅か数分の間に使い切ってしまうなんて、無駄使いもいいところだ。

 

「いいえ。そもそも結界がギルガメッシュの襲撃で(ほつ)れていたのに修復していなかったのが、問題だったわ。それに、あなたの異変に気付くのが遅れてしまったのも」

 

 そのうえ、と続ける。

 

「あなたが自害しようとすることなんて、簡単に想像がつくのに、前もってそれを止めなかったのもね」

 

「いや、そんなの無茶苦茶・・・」

 

 なおも反駁しようとしたオレの言葉は、いきなりせき止められた。

 流れるように動いたキャスター(マスター)の左の人差し指が、オレの唇に押し当てられたのだ。

 なな・・・!?

 

「ごめんなさい。ちょっと・・・疲れちゃったわ」

 

 彼女の細い体がふわりと無造作にオレに預けられた。

 

「え?」

 

 思った以上に軽い彼女の身体と、その柔らかな感触に戸惑う。

 

「・・・・・・ああ・・・・・・」

 

 その白く透明な顔が横を向く。

 オレも吊られて彼女の視線を追うと、ガラス窓の向こうの外が明るくなり始めていた。

 

「・・・夜が明けそうだな・・・」

 

 さっきから思いも寄らないキャスター(マスター)の言動に、オレはパニック状態だ。

 気の利いた表現など思いつかず、見たままのごく当たり前の言葉しか出てこなかった。

 

「・・・そうね」

 

 彼女は眩しそうに目を細める。

 徐々に存在感を増していく朝日。

 その光を浴びたオレの腕の中に収まっている存在は、キャスターのサーヴァントだ。姿、形はどうあれ、歴史に名を馳せた英傑の筈だった。

 だが、今はひどく脆く、儚い。

 この(かいな)に少しでも力を籠めたら、あっさり砕け散ってしまいそうなくらいだ。

 

「・・・・・・ながかったわ・・・・・・」

 

 そんなガラス細工のような彼女の口から、濃密な言葉が零れてくる。

 その一言には、凝縮された想いが詰め込まれていたのだろう。

 召喚されたばかりのオレには想像もつかなかったが、そこに籠められた気持ちがとてつもなく深く、複雑であることだけは伝わってきた。

 

「・・・・・・本当に・・・ながい・・・ながい夜だったわ・・・・・・」

 

 紡がれた万感の念は濃い霧のようで。

 しばらくの間、冷たい廊下に揺蕩(たゆた)っていた。

 

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