ギニアス・サハリンがボーダーラインを超えた。
妹のアイナを“ギレン”に近づけるには、ララァたちが邪魔だと判断したらしい。
奴があれこれと小細工を重ねているのを、瓶に入れた虫を眺めるみたいに観察してた――正しくは監視させてた訳だが。
――毒虫は、どこまでも毒虫か。
母に棄てられ、生家は零落れ。自らは事故で癒えない疵を負い、ジワリジワリと生命を溢しながら這い回る中で、美しく降り注ぐ狂気に取り憑かれた男。
その境遇を哀れと思わないでもないけど、だからって刺されてやる義理もない。排除する理由としては充分すぎるだろ。
――おれの“宝物”を害そうとしたんだ。
この世が蠱毒を作り出す悪意の壺なら、お前より“おれ”の方が、古くて強い蟲だったってだけ。
少し前から絡めておいた“糸”を繰って、雁字搦めに。退場のシナリオはもう用意してあるんだ。
さぁ、舞台から下りなよ。それほどにアプサラスが大事なら、一緒に抱かれていくといい。
散らばるパズルのピースをパチリパチリと嵌めていけば、陳腐な悲劇の絵柄が浮かぶ。
ちなみにさ、殺人って、親族とか顔見知りの犯行が8割くらいって知ってた?
つまり、そこに殺意を内包する関係図が透けて見えてるってこと。
✜ ✜ ✜
少女たちを迎えに行った。
ムンゾでは有名なお嬢様学校だ。歩いて登下校する者なんて一人もいない。例に漏れず、アルテイシアとララァ、マリオンやアイナ・サハリンも。
ミルシュカだけはまだ、兄と一緒にその下の学校に通っているから、迎えが別なんだけどね。
「まあ、どうしたのガルマ!」
軍服に軍用車両で悪目立ち。車寄せで待機しているおれを見つけて、お姫様が駆け寄ってきてくれた。
うわ、制服姿もとんでもなく可愛いな!
「迎えの車の調子が悪いみたいだったから、代わりに。どうせなら、これから食事でもって思っているんだけど、お姫様たちの時間を、少し僕にくれる?」
微笑みながらエスコート。伸ばされる指先をそっと取ってキスを。
向こうで女生徒たちがキャアキャア騒いでるのが聞こえた。華やかな一群の中から歩いてくるのは、ララァとマリオンだ。
「それなのだけれど……」
アルテイシアの表情が曇る。
すぐに横に並んだララァとマリオンも、深刻そうな顔をしていた。
「何かあったの? アイナの姿が見えないね?」
「今日は、彼女のお兄様がお迎えに来るんですって……」
いままで一度もそんなことはなかったのに、と、アルテイシアは不快そうに眉を顰めた。
野郎の所業――アイナに対するものだけだが――を知っている彼女たちが、兄妹を二人きりにすることを良しとする筈がなかった。
「『何か……とても嫌な予感がするの』」
「『私もよ。アイナを残して帰りたくないわ』」
言い募る彼女らに、きょんと首を傾げて。
「『おかしいな。サハリン少将なら、抱えてるプロジェクトについて大事な会議が入ってたはずだよ?』」
あえて思考波こみで伝える。
「『え、本当に?』」
「『ほんと。急に決まったみたいだから、連絡が遅れてるのかも』」
嘘じゃないんだな、これが。ユーリ・ケラーネが急遽招集した、アプサラス開発の中止を視野に入れた会議――要はギニアス・サハリン吊し上げ大会ってやつ。
“ギレン”が艦とモビルスーツに主眼をおいて装備を進めてるから、実際、モビルアーマー――“アプサラス”は二の次三の次なんだよね。要らん軍備に金をかけるなって、ケラーネの中ではアプサラス・プロジェクトの廃止は決定事項。
あの二人、なんだかんだで憎々渦巻いちゃってるからさ。特に、今回は毒も火種も狂気も存分だ。なにが起こっても、不思議じゃない。
なんて、不穏な思考は“意識”の底に沈めといて。
「『だから、アイナも呼んでおいで。サハリン少将は、来られないもの』」
にこやかに、穏やかに。
そう。奴が来ることはない。計画は頓挫した。
ララァを廃そうとする企てを尽く邪魔してやってたら、焦れて、とうとう直接的な手段に出やがったようだけど、全部ムダだから。
アイナを除く少女たちが乗るはずだった車は、今頃は整備点検中――そろそろ“ヤバいもの”が見つかった頃かな。
ともあれ、アルテイシア達は、羽が生えたような軽い足取りでアイナを迎えに行った。
戻ってきたときにはみな笑顔で、連れ立って車に乗り込むレディたちは、見慣れない軍用車両にはしゃいでいる。
ドライブと洒落込みたいところだけど、生憎とコロニーはそんなに広くはないから、せいぜい景観のきれいな街並み辺りを走らせて、目的地まで。
叶うなら、最近話題のモールの中のレストランとかに連れて行きたかった。でもさ、ザビ家とダイクン家とラル家と、零落したとはいえサハリン家の人間が揃ってそんなところに出向いたら、下手すりゃ人垣ができて店と他の客の迷惑になるだろ。
だから、無難にホテルの個室を予約しといた。
レストランの中にあるそれじゃなくて、独立した空間。先に言っとけば好きに調度も揃えてもらえるから、多国籍レストラン風のエキゾチック・ゴチャゴチャ感を演出するようお願いしてみた。
なかに招けば、ちょっと驚いた様子で、アルテイシアがキョロキョロと見回してる。
「……どこかよそのバンチにでも行ったみたいね」
「初めて見るわ」
アイナも興味深げにアチラコチラ。
「『わぁ! 見て見て、変な猫の置き物! かわいい!』」
マリオンが指差す。変だけど可愛いのか。まぁね。
「『それ、招き猫だよ。日本の縁起物。福と財産を呼んでくれるんだ』」
「『こっちは? 怖いんだけど』」
ララァが覗き込んでるのは。
「『アフリカの部族の戦士の仮面。そっちはインドネシアのバロンで、その向こうがドイツのくるみ割り人形、ロシアのマトリョーシカに……台湾の……』」
床にはペルシャ絨毯、壁にはフランダースタピストリー。
――……ええと。
万国博覧会かよ。ここまでカオスにしろとは言ってなかったんだが。よその番地どころか異空間だろこれ。どうしてこうなった。
それでも、非日常的な室内に乙女たちは愉しげだから、まぁ良いか。
「なにをご馳走してくれるのかしら?」
「『好きなものをなんでも』」
積み上げられたメニューを次々と開いていく。
決められたコースはないよ。
いつも、決められたメニュー、型通りの形式、完璧なマナーを求められる淑女たちだけど、たまには羽目を外すのも悪くないでしょ。
「『今日はお行儀はお留守で行こうよ。気になるものは全部頼むといい。一応、食べ慣れたメニューもあるし、それ以外もいっぱい用意しといた。もちろんスイーツもね!』」
さぁ、と差し出してみれば、レディらしからぬ歓声が。
そう、それで良い。まだ10代だもの。存分にはしゃぐことも必要だろ。
一度やってみたかったと、ララァがメニューを「『ここからここまで!』」となぞって見せたら、そりゃ楽しげに皆が笑った。
悲報が伝えられたのは、翌朝のことだった。
ギニアス・サハリンとユーリ・ケラーネがこの世を去った。
アプサラス計画の中止を告げられ、絶望していたらしきギニアスは、自ら開発したモビルアーマー“アプサラス”の操縦席で、毒を呷って冷たくなっていたらしい。
ユーリ・ケラーネといえば、軍本部からの帰路の途中、乗っていた車が爆散したとか。
この日、ムンゾは二人もの将官を失い、大きな衝撃を受けたわけだ。
一部じゃ連邦の陰謀説まで流れてた。
憶測が憶測を呼んで、最近の二人の険悪な様子から、お互いに殺し合ったなんて噂も出てくる始末――ん、良い線行ってる。
ぶっちゃけ、ギニアスがいつも飲んでる薬を毒とすり替えさせたのはケラーネだし、ケラーネの車に爆弾を仕込んだのはギニアスだ。
ちなみに、軍部ではその事実を既にほぼ把握してる。
ついでに前日にザビ家の車に仕掛けられてた“ヤバいやつ”が、ケラーネを木っ端微塵にしたそれと同じだったってことまでね。
つまり、ギニアス・サハリンは、ザビ家に対しても叛意があったって認識。
だけど、対外的には、ギニアスはかねてからの疾患の容態が急変したため、ユーリ・ケラーネもまた、自ら運転を誤った末の事故として処理された。
そして少女たちに伝えられた“事実”も、公式の発表と同じものだ。
「……アイナの様子は?」
「かわいそうに、あれからずっと泣きじゃくっているわ……あんな人でも、彼女にとってはたったひとりの兄ですもの」
アルテイシアが胸に手を当ててうつむく。
友人の哀しみを我がことのように憂いている――優しいお姫様を、悲しませてごめん。
「彼女はどうなるの?」
水宝玉の瞳にも涙の膜が張っていた。
「ノリス・パッカード大佐が保護を申し出てる。でも、彼女さえ良ければ、このままここに居てもらおうかと」
一報に一番早く反応したのは、パッカードだった。
取るものもとりあえず本部に突っ込んできた彼は、事後処理はもとより、ドズル兄貴にアイナの身柄の受け渡しを嘆願していた。
おそらくは“真相”――殺し合い――を察知して、万一にも彼女が矢面に立つことがないようにとの配慮だろう。
その姿はまるっきり父親のように見えた。
パッカードのもとへ行けば、アイナはこの上なく大切にされるだろうけどさ。
「最終的に決めるのは彼女だけど、いまは環境変えない方がいいんじゃないかな。うちにいれば、少なくともお世話ができるし」
「私達が見守るわ!」
アルテイシアがキュッと拳を握って宣言した。
「そうしてあげて。しばらくは嫌な噂も流れるだろうから、気を配ってあげるといい」
人の口に戸は立てられない。ギニアスの悪評や、疑惑なんかが、おもしろおかしく流布され始めてる。
身内を亡くしたばかりの少女には、堪えるものばかりだろう。
ギニアスを廃した当のおれが、アイナを心配するのはお門違いだろうけど、これ以上傷ついて欲しい訳じゃ無いんだよ。
お姫様の頬とおでこに口づけを贈ってから、エントランスへと向かう。さぁ、オシゴトだ。日々、こなすべき軍務があるからさ。
ホールには、なぜかララァが居た。
難しい顔をしてるから、使用人たちを皆下がらせる。
「『珍しいね、お見送り?』」
「『……嫌な感じがしなくなったの』」
煙るような翠の瞳が、きつい光を浮かべてこっちを見ていた。
「『そう。良かったね』」
ニコリと微笑む。
周りで羽虫みたいに飛んでいた“害意”が消えたんだ。それを命じてた男が、どこにも居なくなったから。
「『ガルマが何かしたの? アイナのお兄さんを……』」
ララァはそこで口を噤んだ。続けるの怖かったんだろう。
すぎるほどに鋭敏なその“感覚”が、おれが纏う空気から何かを読み取ったのか、そのつま先が、一歩引いた。
――ごめんよ。怖がらせて。
でも、その問いには答えないから、飲み込んでしまうといい。
「『サハリン少将は気の毒だった』」
愛されたがる心を壊した哀れな狂人。“鋼鉄の子宮”のなかで、きっと穏やかな眠りにつけただろう。
せめてもの情けか、ケラーネが選んだのは、そういう毒だったからさ――反対に、奴は爆殺されたけど。
「『アルテイシアがアイナを気にかけている。見守ってあげて』」
「『……ガルマはそれしか大事じゃないのね。“宝物”だけ無事なら良いの』」
ニュアンスを掴んだんだろう。
見守ってほしいのが一人ぼっちになったアイナじゃなくて、心を痛めてるアルテイシアの方だってことに。ララァは、どこまでがボーダーか知っているから。
「『そう。“宝物”を抱えるだけで精一杯なんだ』」
苦笑い。まるでゴラムみたいな執着だ。指輪物語の、あの指輪に囚われた愚かな“化け物”。さもなければ“ファフニール”――黄金を守る悪竜。
「『……守られていておくれよ』」
手段を選んで失くすくらいなら、どんな手を使ってでも守るって決めてるんだ。
そのことで“宝物”から謗られても。エゴにすぎなくても。
少しの沈黙の後、ララァは腰に手を立てて、ぷくりと膨れた。なにそれ可愛いな。
「『……ギレンさんに言いつけてやる』」
「『アルテイシアにって言わないでくれて、ありがと』」
まぁ、どうせ“ギレン”は予見してただろうし。
それに確たる証拠は何にもない。全ては積み重なった偶然の産物。未必の故意にすら届かないだろ、そもそも、おれはギニアスにもケラーネにも、会ったことすらないんだから。
「『調子に乗ってるとアルテイシアにも言いつけるわ!』」
「『申し訳ございません』」
90度に腰を折って、心からの謝罪を。
「『それは何に対して謝ってるの?』」
「『ララァを不安にさせたことに対してさ』」
「『ちっとも反省してないわ!』」
「『反省するようなことは、何もしてないからね』」
「『……本当に?』」
かぱりと“意識”をひらく。ほら、“罪の意識”なんかどこにもないだろ? “悪いこと”なんてなんにもしてないんだから。
ララァの思考波が、さらりと撫で過ぎていくのにまかせる。
少女は細い首を傾げて、しばし考え込むみたいな素振りをした。
「『ね。怖がるようなことはないだろ?』」
ごちゃごちゃと悪巧みはしてるけど、なんてことないものばかりが浮かんでは消え、消えては浮かび。
ララァはやっと眉間を明るくして、それからツンと鼻をそびやかした。
「『いってらっしゃい。アルテイシアじゃなくて悪いわね』」
「『とんでもない。光栄です、レディ・スワン』」
胸に手を当てて一礼。
「『じゃあ、みんなを頼むね、行ってきます!』」
さぁ急いで行かねば。
遅刻するわけにはいかんからな!
✜ ✜ ✜
軍本部ともなれば、将官たちが闊歩する。
見かける顔ぶれは錚々たるものだ。ドズル兄貴やキシリア姉様はもとより、マ・クベにコンスコン、アンゼルム・カーマン、エゴン・ランバートにカミラ・キール、コーネリアス ・ラシュビーなんかも。
さらに佐官も勢ぞろい。
はじめて生で見たキュカ・サウリとフォン・ジンユエは、目玉が飛び出そうなほどの美人だった。
ぽかんと間抜け面で、一瞬敬礼が遅れたおれに、キュカ少佐は婉然と微笑み、フォン少佐は興味なさげに通り過ぎて行った。
そう言えば、ギニアスとケラーネの欠員への対処の一環として、ガルシア・ロメオが准将で復活を遂げたらしい。しぶといね。
そして、遭遇するのは将校ばかりじゃない。
「クムラン少尉、ベン少尉、ロメオ少尉、お久し振りです」
「ガルマさんだ!」
士官学校時代の“仲間たち”を見つけて声をかけたら、クムランが飛びついてきた。
おい、階級差はどうしたよ、少尉殿。
「心配してたんだよ! なんでそんなに無茶ばっかりしてるの!?」
「……」
「波瀾万丈にも程があるだろ! なんだ海賊相手に連邦と共闘って!?」
わあ、ぜんぜん変わってないな。
ベンは無言でウンウンと頷いてるし、ロメオからはグリグリされるし、この感じだよ、懐かしい。
「波瀾万丈はザビ家の宿命じゃないかな。それに海賊は“Search & Destroy”!」
「………本当に海賊嫌いだよね、ガルマさん」
そりゃね、一つ“前”の世界で“海賊の敵”やってたし。
わきゃわきゃ騒いでたら、ふぉ、なんか背後に圧っぽい何かが。
「ああ、賑やかだ」
柔らかい声なんだけど、こう、冷っこいっていうか。
振り返れば――うわ。やっぱりマ・クベだよ。
これ、おれが釣られた感じだ。餌はクムランたち。食い付いたところで釣り人が参上。
そういや、クムランたちの配属先ってマ・クベの下だったね。
揃ってビシッと敬礼すれば、細面に薄笑いが浮かんだ。
「楽にしたまえ」
どうやってさ。仮にも中将、こちとら少尉に伍長だぞ。ともあれ、ビシビシッと休めの姿勢。
「……こうして会うのは初めてだね、ガルマ・ザビ伍長」
「お目にかかれ光栄です。マ・クベ中将閣下」
努めておとなしやかな表情をキープする。既に本性リークされてる気がしてるけどね、“ギレン”から。
案の定、マ・クベは細い眉を緩やかに上げて、面白がるみたいに目を細めた。
「活躍は色々と聞いている。とても伍長の枠に収まるとは思えぬほどだ。ご家族も……さぞ鼻が高かろう」
その、ちょっとの間には「ギレン・ザビ以外は」って挟まってそうだわ。
表向きは褒め言葉、裏を返せば「クソガキが調子に乗るなよ」とも読める。どっちを取るかでこの先の会話の流れが変わるんだろう。
軍部よりも社交界向きじゃないのか、この物言い。
「若輩ゆえ、日々精進あるのみの身をお褒めいただき、汗顔の至りです」
と、こっちも表では褒めてもらって恐縮ですと答えながら、「未熟ゆえの暴走はスマンかったです。チクチクしないで怖いから」と裏で返してみる。ちと不遜だったか――さじ加減が難しいんだよ。
どう捉えるか伺う視線の前で、マ・クベはそげた頬に浮かべる笑みを深くした――うわ、怖い顔!
でも怒りはない。苛立ちというよりは興味――風変わりな虫を前にした研究者みたいな。やっぱり怖!
「そうか……君とは一度ゆっくり話をしてみたいと思っていてね。丁度いい、ついて来たまえ――クムラン少尉、ファム・ヴァン・ロン少佐に言伝てを。ガルマ伍長を少し借りるとな」
「ッ、はい!」
一瞬、気遣わしげな視線が絡むけど拒否権なんかないからね。小さく頷けば、クムランが応じた。
くるりと返されたマ・クベの踵を追いかける。
細身のシルエットを包むのは、カスタマイズされ過ぎて、元のムンゾ軍服とはかけ離れたデザインだ。襟のあたりに名残があるけどさ。
ムンゾ随一の智将と呼ばれる男。
ガルシアが毛嫌いしてるのは、この毛並みの良さを感じさせる雰囲気かもな。とても貴族的。
良き生まれ、良き教育を経て培われた教養と感性――もちろん、生来の素質も必須――と卓越した頭脳。基本的に一歩退いたところからものを見る眼差しは、冷視とも取れるだろうし。加えて“ギレン”の信任も厚い。
んん。敵には回したくないね。
連れて行かれた先は、執務室に続く控えの間だった。広くはない筈の室内は、すっきりと趣味よく纏められていて、なかなか寛げる空間になってる。
勧められて腰を下ろしたソファの座り心地も良いし。これも権力の一端だよな。うらやま。
副官が――ウラガンだ!――恭しく用意してくれたのは、中国茶だった。
ふぉ、本格的。その手慣れた手付きを見るに、普段から好んで飲んでるんだろう。
茶杯に被さった聞香杯をそっと外して香りを――。
「……龍井茶ですか、良い香りです」
飲みやすさを考えてくれたんだろう。龍井は全てにおいてバランスがいいからさ。飲み口からして、かなり良い茶葉使ってる。
「ほう、こちらも嗜むのか」
「“カメリア シネンシス”が好きなんです。千差万別、変幻自在。それに、好みはあれど、どれをとっても美味しいですから」
姿も違えば、味も作法も。産地や製法、時期ひとつでも、どれほどにも変化するそれを極めるとなれば、千年あっても足りやしない。どうよ、壮大な趣味でしょ。
「ちなみに、“ギレン兄様”は茶の湯も嗜みますよ」
時々、おれも茶と茶菓子目当てに付き合ってる。
マ・クベの目がパチリと瞬き、その薄い頬に、存外に柔らかい笑みが浮かんだ。
「それはそれは……閣下は、実に趣き深い方だ」
いつかご相伴にあずかりたいものだ、なんて、社交辞令に聞こえない“響き”なんだが。
なんか、かなり好かれてる感じだな、“ギレン”。
茶杯を傾けるマ・クベは、演技じゃなく寛いでいるように見えた。“ノイズ”にもそれは顕れていて、一緒にいて困惑する。
ええと、いま和めるような状況だったっけ?
そろりと伺う気配を察したんだろう、智将はきらりと瞳を光らせた。やっぱり怖えよ。
「なんと言うか……小言を怖がる子供のような顔をしている。心当たりがたくさんありそうだね、君はキャスバル中尉とはまた違った問題児らしいから」
含み笑うのやめて欲しい。
まさに、小言というか文句というか、そういうのを言われることを予期してここに居るんだからさ。
「……神妙にいたしましょう」
ここで逆らって良いことなんて一つもなさそうだし。
きょんと上目に見てみれば、マ・クベは自らの茶杯をゆるく撫でていた。
――赤花玲瓏。
景徳鎮窯。精緻な文様に加えて見事な蛍手だ。手元のそれと僅かに異なるのは、全て手作業で作られたものだから。かなりのアンティーク。
「このようなものは、適切に管理されてこそだが……近頃、持ち込まれる様々なものに“蜘蛛”が紛れていることがあってね、払うのに難儀している」
うわぁ。だよね、バレてる。
出入りの“骨董屋”に“糸”が絡んでるのがご不快か――あれはリノ達が見つけてきたマ・クベの情報源だ。
磁器と同じく二度焼きする製法に因んで“ラスク”って呼んでた。流石に良い情報掴んでくるから、わりと重宝してたんだけど、今後の信用を鑑みるなら“糸”を払うに如くはない。
「……“蛍”にからむ子蜘蛛なら散らせてみせましょう。ですが、親蜘蛛は鳩の巣の中ですので」
おれの“蜘蛛の巣”は、既にタチ・オハラの手に渡ってるから、そのあたりの“糸”のコントロールまでは難しいと正直に告げてみた。
マ・クベは、杯をそっと茶托に戻してから首を傾げた。感情の読みにくい瞳がひとつ瞬く。
「おや……存外に素直だ。もっとごねるのかと予想していたのだが」
「ちなみに、当家で預かっている子供達は、大概、僕にだけごねます」
苦笑い。子供って、それが通ると思ってるときにごねるのさ。つまり相手と状況を良く見てるってこと。
あなた相手にごねたりしないと、意図するところは、当然、マ・クベにも伝わるはず。案の定、智将殿は小さく笑い始めた。
「……なるほど。ふむ、なるほど。そう言えば、ラル准将がそんなことを言っていたか」
って、ランバったら何を言ったのさ。悪口か?
「ならば、君がギレン閣下に噛みつくのも、ある種の甘えと言うことかな」
――なんですと!?
別に噛みついてるつもりなんか無いんだけど、それに“ギレン”は甘やかしてくれやしないし!
ぷくりと膨れそうになって、あわてて頬袋を押さえる。素知らぬ顔で繕ってみたのに、マ・クベはまたくすりと笑った。
「君には閣下に叛く意図などないのだろう、甘噛みの加減を知らぬだけで……虎が仔犬のつもりでじゃれかかるのだから、兄君はさぞ苦心されているだろうな?」
「手前味噌で恐縮ですが、兄たちは、例え竜に絡まれたとて揺るぎますまい」
おれの“やんちゃ”くらいでどうこうなる人間なんか、ザビ家には居らんさ。
それに虎は過分だ。せいぜいが狸――化かすぞ〜。
「そうかね」
マ・クベは茶器を口元に運び、しばらく沈黙した。薫りを愉しんでいるようにも、何か難しいことを考えているようにも見えた。
「ガルマ・ザビを従えるためには、果たしてどれほどの力を誇示して見せねばならないのかな?」
問われた内容にパチクリと。
「……そのように思われているのであれば、遺憾です。未熟者が、先達に対してあまりにも不遜ではありませんか」
そんなに生意気した覚えはないよ。
「だが、ガルシア大佐、いまは准将だったか…は、結局、君を御しきれなかったようだが」
なんて。あの艦の中には、マ・クベの“耳目”も紛れ込んでたみたい。まぁ、めちゃくちゃ間諜もどきが乗り込んでたからさもありなん。
――だけどさ。
「閣下はどのように思われますか? あの方には、果たしてわたくしを御すお積もりがあったのでしょうか」
ガルシアが求めたのは、自らを飾るアクセサリーとしての“ガルマ・ザビ”だ。ただ手元に“ザビ家の末っ子”を置きたかっただけ。部下としてのそれじゃない。
“預かりもの”としての側面があったにせよ、“ギレン”が“最大火力”と呼ぶモノを、どう使うつもりも無いって、なんの冗談さ?
「……使われてこそだと?」
「この茶器とても、箱に込められたままでは愛でられることもありません」
「箱の中にあれば、欠けることは無かろうに」
「諸行無常が真であれば、箱の中でもいつか朽ちましょう」
だったら使ってよ。
窮屈なのは真っ平なんだ。よく指図できるのなら走ってやろうとも。
おれのなかのボーダーラインを踏まなければ。そして、最上位――“ギレン”やキャスバルの指令に反さずにあれば。
見交わす先で、マ・クベの瞳の奥の光が増した。
「……器は、それに見合うように使えと言うのだね。それだけの価値がその器にあるとでも?」
冷静な声だった。嘲る色はなく、ただ意図を問うだけの響き。
そも、己が指揮したとき、おれに従うつもりがあるのかどうか。
「価値は、見出してくださる方の中に」
おれの“悪知恵”だって、使いようによっちゃ強い武器だ。敵を屠ることにかけちゃ長けてるからね。
上手く使ってくれるってんなら、反する気はないよ。
ガルシアにはそれが出来なかった。
ファム・ヴァン・ロンについては、現時点では未知数。
――ねぇ、あなたはどうかな?
もとの物語の中では、空回りが多かった。その知略を存分に発揮することなく、現場と反りが合わず、憂き目を見た智将だけど。
いまは“ギレン”のもと、充分な実績を誇っている。相変わらず下からは、ちょっと煙たがられてるけどさ。
暫くは沈黙が流れたから、遠慮なく茶を愉しんだ。
ほんとに良い薫り。青味が強い瑞々しさ、飲み込んだ後も鼻に残る芳ばしさは、中国緑茶特有だよね。
茶杯の唇の触りもいい。めちゃくちゃ良い品。
茶菓子として供されているのは、干果実。マンゴーもいいけど、パイナップルの甘みがまた。
黙考が終わったのか、マ・クベは目を開いて、茶杯を薄い唇に運んだ。
「……そう言えば、先程、“蛍”と呼んだのは、これが何か知ってのことだね?」
そうね。陶磁器はそれなりに好き。
「景徳鎮窯、赤花玲瓏。透かし彫りに釉薬がかぶさって、光が通る……この手法を蛍手とも呼ぶそうですね」
答えに、マ・クベは満足そうに頷いた。
「その通り。なに、新しいものだよ。残念ながら、清の終わり頃の作でね」
「まさかの辛亥革命前!?」
ふぉあぁアンティークにも程があるだろ!!?
だって、清代なんて官窯じゃないのか。そんなものを出されてるなんて夢にも思ってなかったわ。
気分はラスト・エンペラー。やべぇ、うっかり猫皮ちょっと禿げた。
狼狽えた様に、目の前の男はそりゃ楽しそうに笑った。してやったりといった顔だった。
✜ ✜ ✜
「“ラスク”取り上げられちゃったよ」
リノ達にボヤく。
ダークコロニーとは違って、こっちでは休日は自分の為に使えるってこと――緊急呼び出しとかが無けりゃね。
子供らが“お泊り会”に出ている間に、“旧交”を温めてたり“新交”を固めてたり。
「残念だな……あれ特定するの、結構な手間だったのによ」
「でもまぁ、マ・クベ閣下と直接お近づきになれたのも、あの縁あってのことだよね。ほんとに君たちってスゴいわ」
最高のスタッフに恵まれて、この上なくラッキー。心底から褒めてみたら、ケイがニヤリと笑った。
「そりゃ散々扱かれたからなー」
「最近はタチに?」
「まぁね」
ルーもクスリと。
おれが研ぎ上げた“悪巧み協力隊”は、いまはタチのもとで“伝書鳩”として磨き上げられてる。
それは彼らだけじゃなくて、例えばマ・クベの部下となったクムラン達もそうだし、方々に散った“暁の勇士”達は、それぞれにスキルアップを果てしてるんだ。
そして今なお絆は切れちゃいない、とんでもなく心強い味方。
これを無駄遣いしようとしてたなんて、キャスバルったら、ホントに状態異常でも起こしてたんじゃね?
「メリーはどうしてる?」
ガルシアの艦で一緒だったあの女装男子――マリアン・アンも、確かタチに引っ張られてったはずだよな。
「研修中ってとこ。化け方が更に進化してるぜ」
「えぇ。なにそれ見たい。次回は連れて来てよ」
今後の変装の参考に、色々と教えて貰えないかな。
「やらかすつもりだな」
「なんかヤバいことを思いついた時の顔してるぜー」
「面白そうだから協力するよ」
まだ何も言ってませんが。
まぁでも、“ガルマ・ザビ”、それなりに有名人だから、気楽に出歩くとか無理だろ。でも別人になればそれができる。
“ギレン”が”オルガ・イツカ”なんて存在に化けて闊歩してんなら、おれがそれをやったって良いよね?
耳目も手足も、なんならブレインだって揃ってるから、いまさら足を伸ばしてどうこうする必要なんか無い。
だけど、たまにはおれだって羽を伸ばしたい。
ついでに新旧の“仲間たち”の交流なんてものも、やっぱり図っとくべきでしょ。
「みんなでワイワイやりたいよね、その辺でさ」
「……良いねえ。流行りの店とか冷やかしたりか?」
「買い食いとかだろー?」
「休み揃える必要がありそうだね」
キラリと皆の眼が光った。
おれのお胸はドキドキしてた。