空気がざわついているような気がする。
多分、それを感じているのは自分だけで、感じたものを“外”に投影しているから、そう思ってしまうのだろうが。
ザーンは相変わらず見透せないところが多く、情報部は蠢動しているが、今のところは概ねまともに報告を上げてきているようだ。“鳩”が裏を取っているので、まず間違いないだろう。
戦いの風が吹きつつあるのを、まざまざと感じる。
原作でランバ・ラルが口にした“この風、この肌触りこそ戦争よ!”とは異なるが、そこは軍人、しかも最前線で戦うMSパイロットと、政治家寄りの幹部将校の違い、と云うことになるだろう。
そう、前線よりもずっと早く、政治の世界にこそ“戦場の風”は吹きはじめるのだ。きな臭く、焔と硝煙の気配を孕んだ風が。
今、自分が感じているのは、その風の吹きはじめの気配に過ぎないのかも知れない。だが確実に、世界は戦いに向けて動いている。緩やかな大地を流れる熔岩流のように――それに触れたなら、たちまち発火する、そのような流れ。
――ムンゾは、ジオンは、動き出してはいる。
具体的な戦略などは弱いので、軍の運用などについてはドズルやキシリア、マ・クベ、カーマンあたりに丸投げだが、あちらはあちらで上手くやってくれるだろう――政治に特化した人間が、軍の部隊運用に口を出しても、碌な結果になるとも思われぬ。
連邦も、連携できそうなあたりとは連絡を取っているが、“敵の親玉”がヨハン・イブラヒム・レビルだろうと思うと、さて、今の体制で、どこまでやれるだろうか。
――“ガルマ”ならば、レビルをヤッてしまえとでも云うかも知れないが。
しかし、連邦宇宙軍の司令官とは云いながら、今現在レビルがいるのは地球であろうし、そもそも連邦軍の将軍を、コロニーから言葉ひとつで暗殺できるとも思われぬ。
昨今は、企業間でも地球とコロニーの対立が激化しているようだが、そのものが戦争の勝敗に――直接――絡んでくるわけもない。
はっきり云えば、ザーンの動向にすべてがかかっているのだが、
「――政治的に動くしかないと云うのは、時に酷くもどかしいものだな」
無論、軍人であるからと云って、取れる手段が大きく変わるとは、己の立場を鑑みれば云えはしないのだが――もう少しやれることがあるのでは、と思うのは、致し方ないところではあるだろう。
「これ以上、何をどうすることができるとおっしゃるので?」
「まぁ、それを思いつかんからには、何もできんのだろうがな……」
立場的には、ドズルたちに何であれ命じることはできるので、それが浮かばない段で、立場云々は関係なくなるとはわかっているのだ。
「戯言だったな。聞き流せ」
「まぁ、ガルマ様なら、確かに何やらおっしゃりそうですがね」
「あぁ……」
確かに、あの悪知恵ならば、また宜しからぬ企みをくちにしてくるのだろうとは思う。
しかし正直、このような場合には。表面上“後手”に回ることも必要だろうと思う。証拠が残らないからと云って、あまりにも早く仕掛けては、後々戦いの“正当性”に疑義を差し挟まれることにもなりかねぬ。そう、“ガルマ”のギニアス・サハリンに対するような企みを、あまり多用したくないのはそのあたりもあるのだ。
愚かしいと云われることも承知だが、戦争には正当性もあるべきだろうと思う。侵略する側となれば、その戦いを正義と云い張るのは困難になる場合が多い。
侵略される側となれば、愛国心、愛郷心などに訴えることもできようが、そうでなければ、戦争の正当性を担保するためには、酷くアクロバティックなロジックを必要とすることになるだろう。そう云うものでは、如何に糊塗しようとも、士気を高めることは難しくなる。己が正しい、と云う思いは、良くも悪くも強靭なのだ。
それを、いかにしてもぎ取るかが、政治家の手腕だろうと思う。封建時代、法王や天皇など、正当性を保証するシステムが生きていたあたりならともかく、宇宙世紀も百年になろうかと云う今となっては、ともかく民意、そして世論が正当性を保証するものなのだ。かつては人類の意志の総体であったはずの連邦政府が、これから起こり得る戦いの一方の当事者であることを思えば。なおのこと。
勇ましい言説は大きく響くが、その実、世論の占める割合はかなり低い。論考にもよるが、好戦的な言葉を発する人間の割合は、大体が全人口の4、5%程度であると云う。それ以外、所謂“サイレントマジョリティー”は、平凡な日常を壊されたくないと考えていると思われる。
“サイレントマジョリティー”が声を上げることがないのは、ことを荒立てて世界が分断されないようにと願うからかも知れないが――そうしている間に、声の大きい輩に引きずられて国が、政体が侵略戦争に傾くのであれば、分断によるよりなお一層酷い事態が、日常を引き裂くことになるのだと思う。
もちろん、“敵方”を分断するのは優位に立つのに良い方法ではあるだろうが、それが己の首を絞める可能性だってあるのである。
巧く、巧くやらねばならぬ。己一個の汚名はともかくも、コロニーが連邦に完全敗北することだけは避けなくては。
こちらが求めているのは、コロニー社会の権利の少しの拡張である。それも、地球の住人たちより有利にしろと云うのではない、連邦の政治に参画する権利が欲しい、ただそれだけなのだ。しかも、連邦議会に各サイドから数名ずつ、代表を送らせてほしいと云う、ごくごくささやかな望みだけ。
それだけの望みのために、コロニー社会が半壊するようなことがあってはならない。
かと云って、連邦の政治システムを滅茶苦茶にするほどのダメージを与えてもいけない。
戦争が起こるとしても、ごく小さく収めなければ。
そのために必要なのは、局地的な戦闘と、双方の指導的立場にある人間の、速やかな引き際と断固とした停戦合意である。
万が一のために小惑星を運んできてはいる――無論、“ブリティッシュ作戦”用である――が、それを使わずに済めば、それに越したことはないのである。
「――面倒だな……」
呟くと、デラーズが微妙な面持ちでこちらを見た。
「何のお話ですか」
「これからはじまるだろうごたごたのことだ」
「ザーンですか」
「それもあるな」
正確に云えば、ザーンの状況も含めた、コロニー世界と地球連邦の未来全般のことだ。
どちらが勝っても――もちろん、負ける気はないが――、地球圏の勢力図は大きく変わるだろう。今はまだ、連邦とコロニー同盟の勢力は拮抗している、と云っても良いはずだが、戦争が起こってしまえば、その勝敗が決すれば、天秤は勝った方にぐっと傾く。それによって、今後の連邦、地球圏のかたちも変わってゆくのだ。
「閣下は、もう随分前から、備えてこられましたな」
「備えあれば憂いなしとは云うが――いくら備えても、確実に勝利をものにできるわけではないからな」
結局のところ、“勝敗は時の運”と云うのは概ね事実であるだろう。どれほど作戦が良かろうと、どれほど兵装を整えようと、艦隊の動く速度や砲撃の僅かなずれ、そんなものが積み重なれば、負けるときは負けるのだ。
「軍を動かすのは、人間を動かすより難しい。予測不能な部分が大き過ぎる」
「逆だと云うものの方が多い気が致しますが」
「人間の性格の方が、不測の事態で動き難いと思うがな。戦場は、いろいろ風向きが変わりやすい」
三つ子の魂百までとやら、個人の性質はそうそう変わらない。政局ならば、それを総合的に把握すれば、ある程度の予測は可能になる。無論、裏の要素もなくはないので、最後にどんでん返しを食らうことはあり得るが、戦場ほどの不確かさはないと思う。
個々の人間に較べると、軍と云う集団は、集団であるが故の読み難さがある。指揮官の性格を把握していても、戦況はそれとは関わりのない要素で変わっていく。加えて指揮官同士、部隊同士の兼ね合いやら、敵方との相性やら――しかもそれが、場の変化によって如何様にも変わるのだ。軍師と云う連中の頭の中はどうなっているのか、一度とっくりと研究してやりたいと思うほどである。
「私などには、個人を動かす方が難しいように思いますが」
デラーズは云うが、そこは慣れや何かもあるだろうと思う。
「私が、本質的には軍人ではないと云うことだな」
囲碁や将棋、戦略シミュレーションなどが不得手な人間が、軍人を標榜するのもおかしな話かもしれないが。
「閣下を軍人でないと云うものなどおりませんでしょう」
「言葉の綾だ。戦術や戦略より政略の方が得意だと云う意味で、“軍人ではない”だろう。その程度だと云えば、そこまでだが」
「私には、とてもそうは思われませぬ」
「では、多少は擬態が巧くなったかな」
「閣下は、謹厳な軍人であられると思っております」
「……ありがたいことだ」
しかし、軍人ならば、はじめる前から講和を考えたりはすまい。
自分は政治をするものだ。どうあってもそれは変わらない。
それならば、そのラインでこの先の道筋を整えてゆくべきだろう。
「――私のやりようは、軍内からは反発されることになるだろうな」
完全なる勝利を目指すことなく、短期で矛先を収めるなど。
「閣下の智謀はつとに知られたこと、反発など、そのような」
「なに、軍の本質など、よくわかったことだ」
国家のための暴力装置、それが軍隊である。暴力装置である以上、それはヤクザやマフィアなどと相通ずるところがあるのは当然だ。つまり、“シマ”を拡げ、確保し、そこからの“アガリ”の増収を期待する。ムンゾの、ジオンの影響力を強め、サイドを配下に置き、その利益を本国に還元する――戦争とは、その“運動”の中での他勢力とのぶつかり合いによって生じるものなのだ。
「軍など、マフィアとさして変わりはせんよ。シマを取れると思った矢先、上から止めが入ったなら、そう云う連中がどう反応するか――軍にしたところで変わるまいさ」
そうして、泥沼の抗争が幕を開けることになると云うわけだ。
自分の役割は、それを瀬戸際で食い止めることなのだと思う――これだけ戦いの準備をしておいて、云うことでもないかも知れないが。
「閣下のなさることに、間違いなどございません」
デラーズは云うが、その盲目的な信任もまた、大いなる泥仕合へとムンゾを導くことになるのだ。
と云うと、デラーズは強いまなざしで、
「そのようなことなどございません」
と断言した。
「閣下は、コロニー社会を守ろうとしておられる。それは、既に他サイドからも“守護者”と目されるほど。その上でさらに禁欲的に振るまわれる閣下が、間違いなどなされようはずはない」
「人は、誰でも過つものだ」
どれほどの天才であったとしても、なお。
もとより、常人より少しばかり抜け出たほどのものであれば、過たぬことなどあろうはずもない。
「――だがまぁ、やれるだけやってみるか」
賽は投げてしまった。ルビコンは渡河してしまった。後は、先に進むしかないのである。
と、シリアスな気分でいられたのは束の間のことだった。
「え……閣下、ガルマ様が」
そう、タチが苦り切った顔でやってくるまでのこと。
「“ガルマ”がどうかしたか」
「“キシリア様ごっこ”です」
「は?」
そう云えば、キシリア風の化粧の仕方を、“男の娘”とやらの“鳩”に習っていると聞いた気がする。
が、“キシリアごっこ”と云うのは、単に見た目を似せる以上のものがあるだろう――それにしても、“ごっこ”とは。
タチは、かけていた眼鏡のブリッジを、中指で軽く押し上げた。
「えー……キシリア様風の恰好とメイクで、あちこちに出没されているようですね。“鳩”はまぁ、大概慣れていますから、あれがガルマ様だと把握しておりますが――情報部の連中は、きりきり舞いさせられているようです」
「何だ、キリング対策か」
何の遊びかと思っていたが、キリング対策ならば納得だ。
見極めがつくはずのフォルタ――二重スパイと云うか、“鳩”サイドの工作員――がとぼけてみせれば、情報部の連中は右往左往するしかあるまい。
「つくづく、悪い男だな、フォルタ中尉は」
タチが手を焼くはずである。
「まぁ、あれで使えなかったら、本当に馘にしてやりたいところなんですがね……」
「そうだろうな」
ある意味では、“ガルマ”以上の妖怪変化かも知れない。などと云うと、双方から抗議がきそうだが。
「しかしまぁ、キシリアの真似などして、どうするつもりなのだろうな、あれは」
対キリングだとしても、“撒餌”を撒いて、食いつかせて――それでどうなるのか。
「まぁ、変なところで“悪戯好き”ですからね、あの坊ちゃんは」
などとタチは云うが、確かにそんなところもないとは云わないが、それで済むようなものだろうか?
そもそもキシリアの真似をして、そこにキリングが食いついたとして、その後何があるわけでもないだろう。いいところ、タチが諜報部門のトップに立つ時期が少し早まるくらいのことである。
“ガルマ”は不穏分子を排斥したがるが、個人的には、“不穏分子”などすべて排除できるものではないし…排除の仕方によっては禍根しか残らない。ギニアス・サハリンの件は、ぎりぎりアウトと云うべきだったし、キリングについても、同じように排除すれば、タチ、ひいてはこちらに疑惑が降りかかることになる。
その上、キリングで“不穏分子”が止めになるわけもないのだから、期待するほどの効果はないのだと思う。
網を逃れた“不穏分子”が、水底深くに潜ってしまえば、尻尾を掴むのも難しくなる。正直、ああ云う輩は、幾つか泳がせておいて構わないと思うのだが。
「キリングを罠にかけたとして、奴が失脚するわけもなし、せいぜいキシリアに接触して、“お前の目は節穴か”などと罵られるのが関の山だと思うのだが」
「それで宜しいんじゃないですか」
タチは、そう云って肩をすくめた。
「フォルタ曰く、キリング中佐のアプローチを鬱陶しがっておられたそうですからね、それを逸したいと云うお気持ちなのかも知れませんよ」
「キシリアに多少叱責されたからと云って、行動を変える男とも思われんが」
むしろ、罠にかけた犯人を――本当にいるとわかってではなく――がむしゃらに探すだろうし、その“片鱗”でも見つけようものなら、執拗に追い求めた挙句、愉快でない事態を引き起こしそうだ。
が、タチは首を振っただけだった。
「尻尾を掴ませるようなガルマ様じゃないでしょう。キリングの心配だけなさったら宜しいんじゃありませんかね」
「どの意味の“心配”だ」
「本人からの苦情とか、キシリア閣下からの苦情とか、まぁそのあたりでしょうね。ガルマ様とフォルタは、知らぬ存ぜぬでしょうし」
「あいつめ……!」
歯噛みするが、どうにもならない。
「どちらのことも、わかったお話でしょうに」
と云われるが、わかっていたから達観できると云うものでもない、人間ができていないからだと云われれば、それまでなのだが。
そうして案の定、“心配”は的中することになった。まずはキシリアである。
「ギレン!!」
上官の元を訪れる部下、と云うスタンスなど欠片もなく、扉を開け放ち、キシリアは怒鳴りこんできた。
「あの男は何なの! お前が任命したと聞いたわよ!!」
「……せめて“総帥”くらいにしておいてくれんかな」
ここは家ではないのだが、と云うが、それで鎮火するような怒りではなかったらしい。
キシリアは眦をつり上げ、大机を激しく叩いた。
「あんなハゲタカのような輩に嗅ぎ回られた挙句、云うに事欠いて“日曜にセントラルパークで、情報屋と接触されたのでは?”などと云いがかりを……! 私は日曜はいつも、あの子と過ごすことにしていると云うのに!!」
「情報部の人間は、疑うことが仕事だからな」
キリングが見たと云う“キシリア”が誰なのかはわかっているが、それを告げて素直に信じるとも思われなかった。キリングだけでなく、キシリアもなのだが。
「お前に似た“女”が彷徨いているとは、私も報告を受けている。捕まえたらお前に引き渡すように指示しておくか?」
「……案外、お前の仕業なのではないの」
疑り深い“妹”は、そう云って首を傾げてきた。
「キリングを合法的に退けるために、お前が“鳩”に命じてやらせているのでは?」
「そんな簡単な話ではない」
お前の愛する“弟”が犯人だ、と云いたかったのだが、実際口にすれば、またいつもの問答になるに決まっている。タチや“鳩”の仕業ではないとだけ主張して、余計なことは云わずに済ますことにする。
「キリングについて含むところがないわけではないが、わざわざ手をかけて陥れてやるほど、こちらも暇ではない。お前の真似をした誰やらも、お前の怒りの矛先を、キリングに向けようとしたのかも知れないぞ」
「馬鹿々々しい!」
と手を振られるが、“ガルマ”がキシリアに仕掛けるとしたらそれくらいのものでしかないだろう。いずれにしても、こちらの知ったことではない。
「お前の用がそれだけならば、私から云えることは何もない。キリングをつるし上げても構わんが、奴は蛇のように執念深そうだからな。やるにしても、気をつけてやれ」
「……話にならん!」
キシリアは、もう一度机を叩き、足音も高く退室していった。
思わず、叩かれた跡を撫でるが、流石に女の力だ、指先にも凹みなどは感じられなかった。
しかし、
「……誰もかれも、ここがどこで、われわれの関係がどうあるべきかを忘れているな」
キシリアは、割合そのあたりを弁えているものと思っていたが、怒りにいろいろと見えなくなっているらしい。
「――ストーカーじみた真似をされれば、それは怒り心頭に発しも致しましょう」
控えていたリュズギャル中尉は苦笑するが、そもそもこの秘書官がいることすら考慮していない段で、我を忘れ過ぎているだろうと思わずにはいられない。
軍は、家族や、せいぜい使用人しかいないザビ家の私邸ではないのだ、もう少し人目があることを意識すべきだろうに。
と、扉が開いて、タチがひょこりと顔を覗かせた。
そうして、リュズギャル中尉くらいしかいないことを確かめると、そそくさと部屋に入ってくる。どうやら、キシリアと顔を合わせたくなかったようだ。
「キシリア少将は、お戻りになったようで」
などと云う。
「お前にとっては良いタイミングだったな。キシリアめ、キリングのことで、お前を絞め上げかねない勢いだったぞ」
「あれは、あの方が溺愛なさる弟君のせいだ、と申し上げたい気持ちでいっぱいですね」
「云ったところで信じんさ。“お前たちは、いつでもあの子を貶めようとばかり!”と、火に油を注ぐことになるだけだ」
「まぁ、否定はできませんが」
あ、もちろん、お信じにならない、と云う方ですよ、と云う。
「デギン閣下もそうですが、キシリア少将こそ、目に分厚いフィルタがかかっておられるのだと思われてなりませんね。あの悪辣な方の本性をおわかりにならないとは」
「人間、見たいものだけ見るものだとは云ってもな……」
それで絡まれる方としては、面倒なことこの上ない。
「まったくです。――ところで」
タチは、すっと表情を改めた。
「閣下、憶えていらっしゃいますか、ザーンの宙港で行きあった子どものことを」
「――あぁ……」
カミーユ・ビダンか。
「忘れられるわけがないだろう、乱暴なカミーユ坊やだろう?」
あの、とにかく殴ってくる少年。
原作どおりの言動は、“三つ子の魂百まで”とやらか、あるいはそもそもの遺伝的な形質か。
「で、あのカミーユ坊やがどうした」
「えー……どうも、母親がニタ研に預けていったようで」
「は?」
カミーユは、まだ七つくらいではなったか?
「まさか、金銭のやり取りが……」
「そこはないです」
タチは、即座に否定した。
「ただ、あの子の性格がアレでしょう。流石の母親も持て余したようで――どうやらあの母親は科学者らしいのですが、研究者仲間の伝手で、ニタ研のことを聞きつけて、素養がありそうだとわかると、嬉々として息子を預けた、と云うことのようです」
「あぁ……」
まぁ、気持ちはわからぬではない。
カミーユ・ビダンは難しい子どもだ。気分の変動が激しく、爆発的に感情を表出させる子どもを持て余し、同じ研究者の糧になるならと云い訳して、子どもを手許から離したがるのも、仕方ないと云えば仕方ないことなのかも。
だがまぁ、あれくらいの子どもに、ものごとを客観的に把握するのは難しいことだろう。そうして、手放されたことを恨みに思ってしまう可能性は、とても高いに違いない。まぁ、まったく構われずに十五、六まで過ごすのと、どっちがましかはわからないが。
「母親は、カミーユ坊やをニタ研に預け、自分は自分の研究に没頭する、と」
「まぁ、そう云うところでしょうね。――それで、ですね」
「まだあるのか」
「えぇ、続きが。あそこに監査官をお入れになったでしょう、ルーナ・アベイルとか云う」
「あぁ、やったな」
ゾルタンやマリオンたちの一件で、ニタ研を一時閉鎖した後のことだ。また人身売買や人体実験などやられては堪らぬと、監視のために監視官を派遣した。それが、ルーナ・アベイルと云う名であったはずだ。
「あれから随分経つが、まだ同じ監視官が?」
「有能なのと、“華”がほしいのとで、現場が手放さないらしいです」
「それは許されるのか」
ニタ研側との癒着などは考えられていないのか。
と云うと、タチは肩をすくめた。
「アベイル監査官は、ガルマ様と繋がってますからね、そちらを心配した方が良いです。それに、繋がっていると云っても、ニタ研の職員と、と云うよりは、被験者たちとですからね、そこは大丈夫でしょう」
「なるほど」
被験者と繋がっているなら、フラナガン・ロスたち旧来の研究者にとっては、ややもすると目の上のたんこぶであると云うことか。
「それならば、まぁ良いか」
「えぇ、そこは問題ないと思います。――それで、ですね、そのルーナ・アベイルが、どうもガルマ様にヘルプを出したようで」
「ほう」
「つい先程、ニタ研からカミーユ・ビダンを引き取っていったと、あちらに入れている“鳩”から連絡がありました。今ごろは、ザビ邸の一員になっているでしょうね」
「あー……」
仕方がないが、これで初期作品のニュータイプたちがほぼ揃ってしまったか。いないのは、『ZZ』のジュドー・アーシタくらいだ――まぁ、ジュドーはカミーユよりさらに歳下なので、流石に引っかかってはこないだろうが。
『また子どもが増えるわけですね。それも、面倒そうな子どもが』
「……そうだな」
頷いて、はたと気づく。
ザビ邸に入ったと云うことは、二週に一度の“お泊り会”に、カミーユ・ビダンも来ることになるのか。寝る場所や椅子などはともかくとして、あの暴発する暴力を、狭い部屋で発揮されたらどうなることだろう。
「――ちょっとぞっとされてます?」
「……あぁ、まぁな」
今週末はそうではないが、来週はお泊り会がある。つまり、カミーユ・ビダンがやってきてしまうのだ。
しかし、残念ながら、これを回避する術はなかった。
せいぜいが、ララァ・スンがカミーユの頭を抑えつけてくれることを祈るのみ、だ。
「――とりあえず、簡易ベッドのひとつも買っておくか……」
それから、スツールをひとつ追加することも忘れずに。
「……ご武運をお祈り致します」
やけに悲壮感に満ちた面持ちで、タチがそっと敬礼をしてきた。
さて、そんなこんなで翌週末になった。
「来たわ!!」
ララァ・スンとアルテイシアたち女子組が、華やかな空気をまとってやってきた。
対して男の子たちはと云うと――何やら怯えた風なシロッコを先頭に、アムロ、ゾルタン、フロリアンが団子になって入ってくる――否。
「……なるほど、それが噂の」
団子の中、少し凹んだところにいるのがカミーユ・ビダンと云うことか。
「カミーユ・ビダンです。少々荒っぽいので」
シロッコが云う。戦々恐々とした空気、さては、既に何らかの“洗礼”を受けた後なのか。
「聞いている。“ガルマ”がニタ研から連れてきたそうだな」
「そうです」
フラナガン・ロスには、人身売買には手を出すなとよくよく云い聞かせていたのだし、合同研究チームの脳医学者たちも、そのようなことなど思いもするまい。
つまりカミーユ・ビダンがニタ研に入れられたのは、間違いなく合法的に母親――あるいは、父親の方かも知れない――の手によって、と云うことになるのだろうが、
「――それはそれで、禍根が残りそうではあるな……」
子どもからすれば、それはつまり、両親に捨てられたと同義である。ザビ家のような特殊例を除き、普通は親の無関心や育児放棄は、酷い心的外傷となるのだろうが――
――残念ながら、あの母親の気持ちもわかってしまうな。
ひどく神経過敏な子どもを持ち、かつ本人が研究者気質となれば、カミーユがどれだけ癇癪を起こそうと、母親としては鬱陶しいとしか思われぬのかも知れない。
況して、子どもは理屈の通じぬ生きものである。親が何と思おうと、愛を求めてあがくものだ――その伸ばした手が、届くかどうかはさておいて。
諦められたら楽なのだろうが、心というのは、自分のものでもままならぬものだ。かつての娘が、怨み節のように“私より組織が大事なのよね”と云ったように、今の自分が、やはりムンゾ以上に大切なものが持てぬように。まぁ、カミーユの両親が、そのあたりのことに自覚的かどうかは知らないが。
ともあれ、原作よりも穏当、あるいはもっと残酷に、カミーユは両親と離れることになったわけだ。
そんなことを考えながら見下ろすと、深い青の瞳がこちらを睨みつけてきた。
「――何だね」
「お前がギレン・ザビ?」
「お前、閣下に何て口を!」
シロッコが、慌てたように云うが、まぁこう云うものには慣れている。
「そうだ。“ガルマ”が連れてきて、アムロたちと同じように扱うのなら、ザビ邸にいる限りは、お前は私の庇護下に置かれることになる」
「お前はあの家にいないのに?」
賢い子だな、と思うが、その賢さを充分には活かせていないな、とも思う。繊細らしい神経と、抑えることを学んでこなかった感情に振り回されているわけだ。そのあたりは、原作と大きくは変わらない。
「あの家にいる子どもをまとめるのは、正確にはアルテイシアの仕事になっているが、大人として責任を取る立場にあるのは私だと云うことだ」
例えばゾルタンが学校から呼び出しを食らうことになったら、私が出ていくことになる、と云うと、当のゾルタンから抗議の声が上がった。
「オレは、そんなことにはならないぞ!」
しかし、その後に“バレないように巧くやる”とつけ加えたのは――カイ・シデン、あるいは“ガルマ”あたりの薫陶か。後者の方がありそうだが。
「巧くやるのではなく、きちんとやりなさい。――ともかく、そう云うことだ。だがまぁ、基本的には私はこの部屋に住んでいるのでな、会うのは、二週に一度の週末くらいになると思う」
「……父さんと母さんは」
と云う声は、囁きと云うよりも呟きに近かった。
「さてな。今、連絡を取らせているが」
仮にも連邦軍に所属する研究者が、仮想敵であるムンゾの、しかも公的な研究所であるニタ研に子どもを預けたのは、ほとんど遺棄したにも等しい振るまいだろうと思う。実際、もう取り返せなくても良いと思ったか――あるいは、何かの取っかかりとして、自分たちの仕事に有利に働くと思ったか。
何はどうあれ、連絡を入れたからと云って、すぐさま迎えにくるとは考え難かった。
それが何となくわかっているのだろう、カミーユは、唇を噛みしめて俯いた。
その頭に、ぽんと掌を載せる。
「ともかくも、当座はアムロやゾルタンたちと一緒に暮らすのだな。ゾルタンやフロルとは歳も近いだろう、仲良くやれ」
と云うと、いきなり拳が振るわれた。しかも、位置的には下半身が標的だ。
思わず頭を抑えつけ、少し腰を引いて、射程から外れる。
「股座を狙って攻撃しても良いのは女性だけだぞ」
「オレは女じゃない!!」
「女でないなら、狙いは外せ。それとも、実際にそこを狙ってやろうか?」
そう云ってやると、じたばたと暴れた。ザーン宙港の再現のようだ。
「はーなーせーッ!!」
「閣下、気をつけて下さい」
と真剣な顔でシロッコが云う。なるほど、金的をやられたわけだ。それは警戒もするか。
「大丈夫だろう。流石にリーチが違うからな」
と、カミーユはさっと身を沈め、掌の下から抜け出した。
お、と思った次の瞬間、脚が鋭く空を切り裂いた。
が、
「……くそっ!!」
こちらも日々子どもたちの攻撃――本人たち曰く、手加減しているのだそうだが――を受けているわけではない。
何とか躱し、もう一度頭を捕まえる。
「危ないな」
避けられたのは僥倖だったと思う。まぁ、半分以上はアムロたちのお蔭だが。
「こんな風で、揉めずにやっているのか?」
じたばたするのをがっしりと押さえつけながら問うと、アムロは曖昧な表情になった。
「う……ん、まぁ?」
「カミーユ、最初にシロッコの股間殴ったんだぜ!」
と報告してきたのはゾルタンだ。
やられた当の本人は、そっとまなざしを逸してしまった。
「――それはそれは……」
予想の範囲内と云うべきかどうか。
「ガルマがちょっとぷるぷるしてた!」
フロルも元気に云ってくる――自分がやられてらどうなるかを想像すれば、そんなに元気に云えるものではないと思うのだが。
「……元気なのは良いが、ほどほどにな」
「「「はい!!」」」
返答は大きいが、さてどこまで守られるやら。
「それで、カミーユ坊や、そろそろおとなしくするかね?」
頭を押さえつけながら問うと、
「うるさい!!」
と云う、これまた元気な返答がきた。
「それは困ったな。このままだと、私たちは、お茶も飲めなければ、夕食も摂れないらしい」
と云うと、う、と詰まるような顔になった。
「ちなみに、今日のお茶は、レモン風味のレアチーズケーキです!」
と、誇らしげに云うのはアルテイシアだ。
「ほう、それは良いな」
「自信作ですの。是非とも召し上がって戴きたいわ!」
その声に、ララァやマリオン、ミルシュカ、アイナまでがこくこくと頷く。
「あなたがそう云うなら、さぞ素晴らしい出来映えなのだろうな。しかし、残念ながら、これではな……」
と、手の下のカミーユを見やると、アルテイシアはにこりと微笑んだ。
「あら、カミーユは、私たちの作ったケーキは食べたくないのかしら?」
途端に、掌の下で頭が小刻みに横に振られた。
「食べたいの?」
今度は縦に。
「そう。それなら、そんなことしてないで、お行儀よくテーブルにつかなくちゃね?」
また縦に。
そうして、マリオンに手を引かれ、カミーユはおとなしく席に坐った。途中、ララァ・スンをちらりと見て、わずかに身をすくめていた――既に何かあったのだろうか。
カミーユの席の両側に、アムロとゾルタン、フロルが坐り、兄の隣りにミルシュカ、マリオン、アルテイシア、アイナ、ララァ・スンときて、自分、シロッコ、フロルに戻ると云う並びである。
ララァが紅茶を淹れ、アルテイシアとアイナがケーキを切り分ける。
皿もカトラリーも一ダースあったので賄えたが、もうひとり増えるようなことがあれば、もう半ダースは足さねばならないかも知れないな、と思う。カトラリーはともかく、皿の類は割れる。特に、幼い男の子は壊し屋だ。ゾルタンが落ち着いても、カミーユはまだそう云う年齢ではない。
――さて、棚にまだ入れる余地があるものかな……
ファミリー向けの部屋ではあるが、そこで想定されるのはせいぜいが四、五人であるはずだ。ベッドルームの数からも、それは裏づけられる。
そんな作りの棚に、十二人分の食器を入れているのだ。既にオーバーフロー気味なのではないか。
そんなことを考えながらケーキを口に運んで、はっとした。レモンの風味が強く、かと云ってチーズの風味を損なってもいない。
「これは、なかなか」
と呟くと、ララァ・スンが、隣りから覗きこむように笑みかけてきた。
「そうでしょう? 料理長のレシピなの。ギレンさんが好きだって聞いたから!」
「――そうか」
皆の好みは聞かなかったのか、と思ったが、まぁこちらは家主であるし、子どもたちも皆、目を輝かせて食べているようだから、構わないのかも知れない。
カミーユも、恐る恐る一口食べて、次の瞬間には目を見開き、がつがつと食べていた。
「美味しい?」
アルテイシアが、にこにこと訊いている。
それに、カミーユは無言でこくこく頷いた。
――何と云うか、女への愛想はいつでもいいな。
と思ってしまったのは、『Z』においてカミーユを可愛がっていたらしいエマ・シーン、レコア・ロンド、フォウ・ムラサメやロザミア・バダム、そして幼馴染のファ・ユイリィなどを思い出したからだ。
そう云えば、フラウ・ボゥに続いてファ・ユイリィとも、幼馴染でなくしてしまったような気がするが――まぁ、そのあたりは、TV版の結末回避の礎になったのだと思っておこう。
それを云い出したら、フォウとロザミィは、この時間軸では存在しなくなる可能性が高い――“強化人間”としては、だが――のだ。
――もう、いろいろと今さらだな。
ティターンズが――大規模なかたちで――存在する可能性も潰したのだし、外科手術などで強制的に能力を開花させられた強化人間がいなくなるなら、それはそれで良いことではないか。
男の子たちが軒並みケーキのおかわりをして、ビスケットのかけらまで食べ尽くすと、お茶の時間はおしまいだ。
みんなで後片づけをして、それから夕食までは、皆思い思いに過ごすことになる。
シロッコは、カミーユのせいもあるだろうが書斎に籠もり、少女たちはソファでお喋り、少年たちは開けたスペースでじゃれ合っている。
ダイニングテーブルでPCと向き合っていると、案の定、ララァ・スンが隣りに腰かけてきた。
「――話したいことがあるのか」
「そんなの、いっぱいあるわ! ――でも、ギレンさん、カミーユのこと知ってたの?」
「ん?」
「カミーユが殴りかかった時、驚いてなかったから」
「そうか?」
まぁ確かに、驚愕とまではいかなかったかも知れないが、まったく驚かなかったわけでもない、はずだ。
だが、ララァ・スンの意見は違った。
「そうよ。私と初めて会った時みたいに、全然びっくりしてなかったわ」
「なるほど?」
確かに、ある意味ではそうかも知れない。
だが、カミーユについては云い訳をひとつ用意できる。
「実はな」
少女の耳許に口を寄せ、そっと囁く。
「カミーユのことは、一度見たことがあるのだ」
「嘘! どこで?」
「ザーンに行った時に、宙港でな」
ひそひそと話すが、カミーユは、自分の話と察したのか、目を見開いてこちらを注視してきた。
「え、宙港でもあんなだったの?」
「あぁ。“女じゃない”と殴りかかったりな」
「それは、目立つわね」
「だろう?」
ララァ・スンは、かるく溜息をついた。
「そう云うことならわかったわ。とりあえず、ギレンさんのことは殴らないように気をつけさせるから」
にこりと笑う。本当に、そんなことが可能なのか。
が、ふと見ると、カミーユが、慌ててまなざしを逸らすところが見えた。なるほど、最強のニュータイプは、カミーユではなくこのララァ・スンであるらしい。
「では、任せるとするか」
「えぇ、安心していいわ」
胸を張る少女の頭を撫でてやると、少しばかりその頬が膨らんだが、それでもおとなしく首を傾けてきた。