“ガルマ”たちがガーディアンバンチにやってきたのは、夕刻も近くなってのことだった。
“たち”と云うのは、キャスバルが一緒についてきたからだ。
「……! !! !!!」
声にならない怒りに身を震わせていると、“ガルマ”はかるい調子で、
「兄さま、シャア・アズナブルです」
と、さも初対面であるかのように紹介してきた。
「……! “ガルマ”!!」
言葉にならない。
確かに、キャスバル・レム・ダイクンと云えばの鮮やかに青い瞳は、ブラウンのコンタクトで隠されてはいるけれど――それしきで騙されるわけはないと、この二人はわかっているのか。
キャスバルも、少し肩をすぼめて、叱責を覚悟する風であるが、
――この、確信犯どもめ!
握りしめた拳が、ぶるぶるとふるえてしまう。
「ごめんなさい、兄さま、駄目でしたか?」
きゅるんとした顔で云われても、騙されるものか!
「――ガルマよ」
“父”が、ゆっくりと口を開いた。
「ここは遊び場ではない。気安く友人を伴ってくるところではないと、弁えなかったのか」
“父”にも、“シャア・アズナブル”がキャスバル・レム・ダイクンであるのはわかっていただろうが、ゴップの手前、息子の迂闊な行動だけを咎めるもの云いになった。
「……ごめんなさい」
“ガルマ”は、しゅんとしてみせる。
「シャアはルウムで知り合ったんですけど、今度ムンゾの士官学校に入るんだと云うので――見学がてらいいかなって思ったんです」
「――いや、中々友人思いのご子息ですな」
口を差し挟んできたのは、ゴップだった。
まぁ、まさか目の前の子どもたちの片割れが、かのジオン・ズム・ダイクンの息子とは思わなかったのだろう、“ガルマ”の暴挙にも、にこにこと笑っている。
当の“シャア”――キャスバルは、困ったように苦笑している。それでゴップは、大方我儘坊っちゃんの“ガルマ”が、安請け合いした上で引っ張ってきたのだろうと思ったようだった。
が、“シャア”の正体を知っている身としては、そんなものでは済まなかった。
――何を考えている!
確かにムンゾの士官学校は、このガーディアンバンチにある。が、その敷地はきっちりと区切られ、こちらには連邦軍の駐屯地しかないのだ。
士官学校の下見など方便と云うか嘘八百で、実際にはこちら側、つまりは連邦軍駐屯地こそが、下見の対象であるのに違いない。
――悪知恵ばかり働かせやがって!!
“オルガ・イツカ”のように叫びたい、が、“ギレン・ザビ”ではできないこともある。
その代わりに“父”が、冷静な声で窘めてくれた。
「今回は仕方がない。しかしガルマよ、お前もザビ家の名を負うものとして、弁えた行動を心がけねばならぬ。良いか」
「……はい」
「わかれば良い。――申し訳ない、ゴップ将軍。まだまだ幼くてな」
“シャア”の正体はついぞ気取らせず、“父”はゴップに頭を下げてみせた。
もちろん、それで激怒するような男では、ゴップはない。
にこやかな顔を崩さずに、首を振った。
「いやいや、若いとは良いことです。老いぼれた身には、眩しくも思える」
「それでつい甘やかしてしまうのですよ。――老いてから子など作るものではありませんな」
「末の子と云うのは、ただでさえ可愛く思えるものですからな」
老境に入った男ふたりの会話は穏やかだ。まぁ、キャスバルについては、これで何とかおさまるだろう。しかしながら。
そもそも“ガルマ”に関しては、タチ・オハラから、“黒い三連星”と接触したと云う報告が上がってきている。
“ガルマ”本人がMSのパイロットになる気でいるのはわかっていたし、元“三日月”であれば、MSに乗りたいと云うのも自然な話であったので、それを止める気は毛頭なかった。が、士官学校にも入らぬうちから首を突っこもうとするのを許すのは、また別の話である。
MS計画は軌道に乗りつつあり、パイロットの育成も進めてはいるが、いくらザビ家の人間でも、軍に関わりのない子どもに全容を明かすのは、機密保持の観点からも問題だ――例え、かなりの情報が既に明かされているとしても、立入禁止区域に“民間人”を入れるのは、論外である。
それをかいくぐるためかどうか、“ガルマ”――そしてキャスバルも――は、初期からのテストパイロットであるガイア、マッシュ、オルテガに接触を持ったと云うのだ。しかも、わざわざ場末の飲み屋を訪れさえして。
――何を考えている!
こちらも、意味なく禁止しているわけではない。もしも“ガルマ”がガルマでなく、ドズルの立場であったなら、もっと情報も開示して、あれこれ手伝わせたことだろう。
だが、“ガルマ”がガルマである以上、その立場で許されるべき範囲と云うものがある。同じくらいの年齢であるとは云え、民間警備保障会社である鉄華団のパイロット“三日月・オーガス”と、良家の子息で学生である“ガルマ・ザビ”では、やれること、知る権限のあることには格段の差がある。それは、一定規模の組織の一定以上の立場にあるのか否か、それにかかっていると云っても過言ではない。人間社会は、弱肉強食的な、腕力ですべてが決まるような単純な構造では動いていないのだ。
そうである以上、それなりの手順を踏んで、きちんと権限を得てから様々なことどもにアクセスしなくては、他方面から批難を受けることになる。それが、引いては先々の“ガルマ”の権限を狭めることにもなりかねない。
だからこそ、士官学校を出るまでは機密には触れさせまいとしていると云うのに、
――この阿呆は!
露見すればザビ家の責任も問われる事態であるのだと、何故わかろうとしないのか。
否、わかっている、“ガルマ”はそう云えば、“バレなければいいんだよ”と返してくるに決まっている。
だが、世に絶対はない、バレずに済むとは限らない。その時に、お得意の誑しこみが通じるとは限らない――そもそも、批難は自分や“父”、ドズルなどに向くので、“ガルマ”がどうのと云うのは、この際問題にもならない――のだ。
“ガルマ”の“好き勝手”した結果がザビ家全体にかかるようなことがあれば、一年戦争どころの話ではなくなる。
だからこそ、元のアレコレでも、政治家は極力身ぎれいにを心がけていると云うのに――この“弟”は。
ぎりぎりと歯を噛み締めながら見守るが、ゴップはこちらの様子には気づかなかった。否、気づかぬふりをしていたのかも知れない。
「ご友人はルウムの出身とか?」
和やかな会話は続いている。
「はい。テキサス・コロニーです」
「ああ。あちらは埃っぽいのだったかね? 地球の古き良きアメリカと同じに?」
微かな皮肉の気配。
「ふふ。どうでしょう。とても美しいところですよ」
“ガルマ”は云って、微笑んだ。
「ゴップ将軍は、ピーカンパイをお召し上がりになったことは? テキサスの有名なパイです」
「いや?」
「では、いつか食べ比べてみてはいかがでしょう? アズナブル婦人の焼くピーカンパイは、きっと地球のそれより美味しいかも知れませんよ?」
ゴップは目を見張ってから、ペしりと自分の額を叩いた。“これはしたり”、そう云いたげな顔だった。
「そのときには、ご一緒できると良いですな」
「ぜひ。ご案内させてくださいね」
にこりと笑う、力較べをしているレスラーのような気配だった。
「なるほど、確かに愛すべき若者だ」
ゴップは云って、小さく息をつき、微笑んだ。
「長男は政治家として十全の働きをし、末子は愛される若者とは、貴殿はよくよく恵まれた御仁ですな、デギン殿」
声に皮肉の欠片もない。これは、本気でそう考えているのか、それともそう装っているだけなのか。
ともあれ、ゴップとの会談は和やかに終わり、“父”は、“ガルマ”とキャスバルを別の車に載せ、連邦軍駐屯地を後にした。
「――ガルマも、ザビ家の男だったと云うことだな」
リムジンの後部座席に並んで坐り、“父”が喉を鳴らすように笑って云った。
「は」
「あれとキャスバルは、連邦軍の駐屯地を偵察にきたのだろう。可愛いふりをして、中々やりおるわ」
「確かにそうですが――反対派に突っこまれたらどうしようかとハラハラしました」
「お前も、かなりの形相だったからな」
楽しげな声。
「笑いごとではありません!」
ここで“父”が“ガルマ”を許してしまえば、後はやりたい放題になりかねない。
ぎりぎりしていると、“父”はふっと笑った。
「しかしまぁ、そうだな、そろそろ釘を刺しておくべきだろうな。あまりやんちゃばかりでは困る」
“父”は、ゆっくりと云った。
「ガルマを、士官学校に入れるそうだな。それまでのあと一年、羽目を外さぬように、きちんと監督してやらねばな」
つまりは、監視をつけろと云うことか。
「――来年度には、キャスバルの影武者となるシャア・アズナブルがムンゾ大学に入ります。その護衛と称して人員を配置し、同時に“ガルマ”やキャスバルの監視もさせましょう」
「うむ」
「士官学校では、ドズルがいるので平気だと思うのですが――念のため、学生の中にも監視員を作ります。隣りが連邦軍駐屯地ですから、何かあった時のストッパー、あるいは警報機の役割くらいは果たしてくれるかと」
「うむ、そこはお前に任せる」
「は」
それに関しては、熟考せねばならぬ。
“伝書鳩”ではない、士官学校に入っていても違和感がなく、かつザビ家との接点を疑われ難い、優秀な人材を探し出さなくては。
――見ていろ。
今ごろ、後ろの車の中でぺろりと舌を出しているだろう“ガルマ”の顔を思い浮かべ、強く考える。
“父”も公認であるからには、手はいろいろに打てる。
無論、がちがちに締めつければぶち破って逃げ出す“ガルマ”であるから、手綱を適度に緩められる手腕の持ち主でなくてはならないが。
「……見ていろ、やりたい放題しようとしているあいつを、中世紀の言葉でぎゃふんと云わせてやる……!」
そう云って拳を握るのを、“父”が生ぬるいまなざしで見つめて来た。
さて、しからば人選である。
ひとりはざっと決めた――“ガルマ”たちと同級になるはずのゼナ・ミアだ。真面目なあの少女ならば、あの二人の監視役もきちんと務めてくれるだろう。但し、キャスバルに惹かれていたような描写もあったように記憶しているので、そこだけは注意せねばなるまいが。
まぁ、何かあってもそこは“ガルマ”が止めるだろう――未来の“兄嫁”であるとわかっているからだ――から、そこまで心配はしていないが。“ガルマ”とて、ミネバがいなくなる事態は避けたいはずだ。
さて、もうひとり――こちらは、自分的には荒技だ。
ジョニー・ライデン――トミノラインしか押さえていない自分にとっては未知の人物である。と云うか、そもそもアニメにいたキャラクターでもない――『MSV』は、ガンプラのデザイン企画だ――ので、当然と云えば当然か。
後々漫画も少しずつ出てきていたが、ざっと云うとムンゾの愛国者と云う風な若者であること、アメリカ系の移民三世であること、パーソナルカラーが赤で、よくシャア・アズナブルと混同されていたらしいこと、くらいだろうか。
作品によっては、反ザビ家であったり――その割には、所属はキシリア麾下のキマイラ隊だったようだが――、キシリアの幼馴染でほのかな想いを寄せていたり、シャアと混同されて激怒していたりと様々だ。
ジオン軍に入ったのも、志願だったり、父親に叩きこまれたりと諸説あるが、UC0056生まれで、『the ORIGIN』で云うなら“ガルマ”やキャスバルの一年上、少なくともキシリアの幼馴染ではない。今のラインであれば、“反ザビ家”も何もないのだろうし。
そして、一年年上であるくらいなら、ここで言を弄して“説得”し、“ガルマ”たちと同級に叩きこむことも可能だろう。“終身中佐”――この階級は謎だが――になるくらいだ、キャスバルと互角とはゆくまいが、そこそこに統率力もあるのだろうし。
こう云うことは、“伝書鳩”ではなく、こちらの秘書官の方が良いだろうと思い、ジョニー・ライデンの実家へセシリア・アイリーンをやる。実家は農家らしい――その父親が、ジョニーを兵学校へ叩きこんだのだとか――が、それで息子を兵学校へ入れるような人物なら、今のザビ家の要請にも、二つ返事で応えてくれるだろうと考えたのだ。
果たして、ジョニー・ライデンは、セシリア秘書官に連れられてやって来た。
執務室に入ってきたのは、中肉中背、くすんだ金髪に青い瞳の、典型的なYankeeの若者だった。
――うむ、アメリカ人。
北方系の多いムンゾの人間とは、少し異なる雰囲気だ。良くも悪くも単純そうだと云えばいいか――まぁ、もちろん軍で中佐にまで登りつめる人間が、単純思考なわけはないが。
「閣下、ジョニー・ライデンです」
セシリア秘書官の言葉に、ジョニーは胡散臭そうな顔でこちらを見上げた。
「……アンタは」
なるほど、やや反骨精神があるようだ。だがまぁ、この場合はこれも良い。
「私はギレン・ザビだ。ジョニー・ライデン、君に頼みがあって来てもらった」
「議員先生が俺なんぞに、何の御用がおありなんですかね」
農家の十五ばかりの少年にしては、中々にふてぶてしいもの云いだ。キャスバルやシャア、もちろん“ガルマ”とも異なるタイプである。
『MSV』などによれば、ジョニー・ライデンは二十二歳で戦場に出たと云うことだが、その直前に、一年だか半年だか兵学校にいたと云うことだろう。それで、例のルウム戦役の時には曹長だったらしい。ジオン軍の撃墜王はジョニー・ライデンなのだそうだが、まぁ佐官と下士官とでは出撃回数に差があるのは当然だから、それが即実力の差となるわけではあるまい。“赤い彗星”推しだからと云うのはもちろんあるが。
「中々いい態度ではないか」
フフと笑うと、ジョニーの唇がひん曲がった。
「俺は、農家の小倅でね。政治家先生なんぞの前に出ても、取る礼儀なんざ知らねぇんで」
「ザビ家は嫌いかね」
「……好きじゃねぇな」
だが、倍ほどの年齢の人間にこの口がきけると云うのは、中々に胆力があると云うべきだろう。
――気に入った。
好悪で云えば、無論キャスバル推しではあるが、それはそれとして、面白そうな人物ではある。
「では、そのザビ家嫌いの君に依頼しよう。我が弟“ガルマ・ザビ”と、キャスバル・レム・ダイクンの監視役を務めて欲しいのだ」
「はあぁぁぁ?」
このもの云いだ。その上、顔も思い切り捻じ曲げられている。いや、本当に大した度胸の持ち主だ。
「何で俺が、アンタらザビ家の役に立たなくちゃならねぇんだ」
「ザビ家ではない、ムンゾのためだ」
そこはきっちりと否定する。
「ザビ家がどうではなく、キャスバル・レム・ダイクンはいずれムンゾの首長となるだろう。その安全を担保したいのと――我が弟“ガルマ”が、何やらやらかさないか心配でな」
「……はぁ」
過保護かよ、とジョニーは呟くが、そんなものではない。
「“ガルマ・ザビ”は、ザビ家の最大火力なのだ。だが、その知謀と云うか悪知恵は、おかしな方向に向いた途端に、身内をも焼く業火ともなりかねん。否、ザビ家のみが被害を受けるのであれば良いが、あれのやることだ、ムンゾをひっくり返す可能性もある。私としては、それを極力抑えたいのだよ」
「“最大火力”ってんなら、巧く使やいいんじゃねぇの」
「あれはまだ“子ども”だ。それに、あれの最大の欠点は、政治向きのことを理解しないところにある」
鉄オル世界であれば、それでも良かった。鉄華団は、戦場を生き抜き、敵を蹴散らしていけばそれで済んだ部分があったのだ。
だが、宇宙世紀はそうではない。1stにしても『the ORIGIN』にしても、複雑怪奇な政治背景を持つ世界であり、そこをどうにかこうにか渡ってゆかねばならない。それは、トミノや安彦良和が、全共闘世代と云う、あまりにも政治的な世代であったが故でもあるのだろうが。
その中を何もなしで泳がせるには、“ガルマ”はあまりに政治を知らな過ぎた。例えて云うなら、朝廷と鎌倉幕府の間を行き来した九郎判官義経のようなものだ。対するこちらは頼朝か――歳の離れた“弟”の手綱取りに、四苦八苦しているところは同じかも知れない。
“ガルマ”が敵である地球連邦に近づき過ぎることはあるまいが、悪知恵を働かせようとしたのが裏目に出て、ムンゾ内の敵対勢力に上げ足を取られる、と云うことはあり得ない話ではない。
その時に、頼朝が義経を切り捨てたのと同じようにならないために、少なくともきちんと軍人になるより前には、監視をつけざるを得ないのだ。
ジョニー・ライデンは片目を眇めた。
「……つまりアンタは、弟がおイタをしないように見張る人間が欲しいってわけか」
「有体に云えばな」
「過保護かよ」
「あれが一歩間違えば、地球連邦との戦端が開かれかねない、と云えば、私の危惧がわかってもらえるかな」
「……そんなにか」
ジョニー・ライデンは、ごくりと唾を呑んだ。
俄には信じられないだろうが、“三日月・オーガス”の前歴を考えれば、十二分に可能性はある。政治的なセンスは皆無だが、こと戦略に関しては、謀略も含めて頭の回る“弟”だ。
無論、『the ORIGIN』のタイムラインはわかっているので、そうそう大暴れはしないだろうが、しかし、宇宙世紀の時間軸では、何がどうなって、ピタゴラスイッチ的に物事を押し進めることになるかもわからない。用心には用心を重ねて動かなくてはならないのだ。
「私は謀略の海を泳いでいるようなものでね。小さな瑕疵によって、想定外に戦争に突入したり、最大火力の“弟”を失ったりするような羽目にはなりたくない。だからこそ、君の云うとおり、“おイタをしないように”、監視しておきたいのだよ」
「……そりゃあ中々、重大任務だな」
ジョニーは、引きつるように片頬で笑った。
「そんでそれを、ガキの俺に任せようってのか?」
俺はまだ十六だぜ、と云う。
「だからこそ、君である必要があるのだ」
力をこめて返す。
「“ガルマ”は今、ムンゾ大学に通っているが、来年には卒業し、その後士官学校に入る予定だ。知ってのとおり、士官学校は全寮制でね、実家にいる今は監視できても、それから三年は野放しになる。もちろん、今の学長は“弟”のドズルが務めているが――学長が、学生の生活の隅々まで把握できるはずもない。それ以前に、あれには軍務もあるからな。その監視の穴を、君に埋めてもらいたい」
「……俺に士官になれって云うのか」
「君には、充分にその資質がある。セシリア・アイリーンも、君の父上にそう云う話はしただろう」
セシリア秘書官が、視界の隅で小さく頷く。そのあたりは、抜かりのない秘書官である。
「士官学校は、もちろん授業料もない。加えて君には、監視役として別途給与を支給しよう。私の子飼いの“伝書鳩”ほどではないが、学業の合間の小銭稼ぎとしては良い額だと思う。――客観的に見て、悪くない話だと思うが」
「――よし、乗った」
ジョニー・ライデンは頷いた。
「意外に腹割って話してもらえたしな。それに、金はいくらあっても困らねぇ」
「よし、では契約成立だな」
そう云って、用意していた契約書を差し出す。
「では、こちらの書類を確認して、サインを」
「わかった」
ジョニー・ライデンは頷いて、契約書を舐めるように読んだ。
やがて、ひとつ頷き、記名欄に署名する。
同じようにこちらも署名を済ませれば、これで契約は成立した。ひとつ、懸念が減ったことになる。
「“ガルマ”は、どうも人材を求めているのか、人脈を求めているのか――ちょろちょろと動いていてな。その上悪いことに、人を誑しこむことに長けている。君も、取りこまれないよう気をつけろ」
「可愛いのか?」
「見た目はな」
『the ORIGIN』枠なだけあって、1stよりもよほど見た目は可愛らしい。が、何しろ中身は“三日月”である。
「ザビ家としては規格外に可愛らしいが、中身は何と云うか――“人の類”だ」
何と助言したものかわからずにそう云うと、ジョニー・ライデンは引きつった笑みを浮かべた。
「何だそりゃ」
「普通の人間だと思ってかかると、痛い目を見るぞ。キャスバルの方が美形だが、“ガルマ”は――まぁ、頑張ってくれ」
「おいおい、不安にさせるなよ」
「それだけ、手強い相手だと云うことだ」
「アンタみたいな人がそう云うとは、中々の坊っちゃんってことだな?」
「君の手腕に期待している」
後々“真紅の稲妻”と呼ばれることになる、この若者に。
まぁ、見たところでは、将の器としては小さい――多分、できても小隊長くらいまでだろう。戦場全体を視野におさめつつ動くようなタイプではなさそうだ。
そう云う意味では、パイロットとしての手腕はどうあれ、まったくキャスバルの敵ではない。
こちらの思惑も知らぬげに、若者は、契約書を掲げてにやりと笑った。
「ま、せいぜい頑張らせてもらいますよ」
ジョニー・ライデンと会ったせいかどうか、やはり『MSV』絡みの人物と関係ができた。
正確に云えば、『MSV』に出てくる本人ではなく、その父親だ。ムンゾ議会議員であるマツナガ議員――“ソロモンの白狼”シン・マツナガの父親である。髭をたくわえた壮年の男だ。確か、まだ五十にはなっていなかったはずである。
シン・マツナガは、一年戦争時二十四歳、UC0055生まれだそうだが、そうなると、今士官学校に入っているくらいの年齢だろうか。
――いや待て、シン・マツナガは、かなり変わった経歴の持ち主だったような気がするぞ。
ルウム戦役前からの軍属で、戦功を上げた後に士官学校に入っていたような。
マツナガ家は、ムンゾでは珍しい日系の名家だそうだから、あるいは本人が軍に入ることを望んだが容れられず、出奔でもして入隊したか。
「――ガルマ殿は、ムンゾ大学にお入りになったそうですな」
にこやかに云うこの男に、“ガルマ”やキャスバルより歳上の息子がいるとは考えられなかった。いや、いるのは確かなことだが、想像がつき難いと云うか。
『the ORIGIN』のギレン・ザビは、マツナガ議員と数歳しか違わないはずだから、考えてみれば、“ガルマ”が自分の息子でも不思議はないくらいなのだ。それが、片や息子、片や“弟”である。まぁ、ザビ家は全体的に晩婚傾向だから、仕方ないところはある。五人兄弟のひとりも結婚していないと云うのは――まぁ、見た目の問題も多分にあるか。
「本来は士官学校だけにやるつもりだったのですが、キャスバルがどうしても“ガルマ”と一緒に、と」
「ガルマ殿を士官学校に?」
マツナガ議員は目を見開いた。
「ガルマ殿は華奢な方と聞きますが、大学だけで宜しかったのでは?」
「あれは政治向きではありませんので。本人の希望もあって、軍に入れるつもりです」
「何と、もったいない」
ムンゾ大の法学部なら、引く手あまたでしょうに、と云われるが、“リーガルマインド”を理解するどころか、捻じ曲げて使いかねない悪徳弁護士のような人間を、法を扱う仕事になど就けられない。
それよりは、“昔”から慣れた軍事方面にやった方が、本人とムンゾ国民のためでもある。
「マツナガ殿のご子息は、確かあれと歳が近かったようにお聞きしておりますが……」
水を向けると、マツナガ議員は顰め面になった。
「いや、嫡男だと云うのに、軍に入りたいと云い出して、少々困っております」
こちらの畑に向かぬならまだしも、それなりに学業成績も良かったのですが、と苦笑する。なるほど、おかしな経歴は、大学入学を目指させられていたためか。
「宜しいではありませんか」
微笑しながら、云う。
「士官学校におやりになれば、上の方からはじめられます。軍に甘い夢を見ているなら、そこで現実も見える――それでも軍人にと云うなら、そのまま士官におなりになれば良い。マツナガ殿のご子息ならば、すぐに佐官におなりでしょう。万が一挫折したとしても、大学に入り直すのに遅い歳でもありますまい」
「貴殿まで、そのような」
「私も軍籍はございますので」
と云うと、
「ああ……」
そう云えば、と呟かれた。
「まぁ、軍人としての教育だけでは、政治向きのことはわかりませんからな、幅を持たせるには良いかと思って、“ガルマ”を大学へやりはしましたが……」
正直、失敗したような気がする。“ガルマ”の法に対する態度は、まったく戴けるものではない。あんなことなら、キャスバルに負けず、本人の希望どおりに工学部にでも入れておけば良かったのだが――後悔先に立たず、と云うヤツである。
「おや、あまり宜しくないとお考えのようですな」
「キャスバルには良かったのですが、“ガルマ”には少々……良からぬ知恵をつけさせたような気がしております」
「はは、ご冗談を」
マツナガ議員は笑うが、こちらとしては、まったく正直な気持ちだった。
「これから士官学校にやって、何をしでかすか、もう頭が痛いですよ」
「ははは……お互い苦労致しますな」
と云うが、マツナガ議員の方は息子であり、こちらは“弟”である。結婚もしていないのにこれでは、いろいろと将来が危ぶまれる。
まぁ、例の若手議員たちからは距離がとれたので、素直にマツナガ議員には感謝しておく。若さ――馬鹿さ故の過ちと云うのは、どうにもならないところがあって面倒なのだ。
それはその時だけの話で、日々の雑事に追われてすっかり忘れていたのだが。
数日後、意外なかたちでのレスポンスがあった。
「は?」
「ですから、マツナガ議員のご子息がお目にかかりたいと。シン・マツナガと名乗られました」
「――マツナガ議員のご子息が、私に一体何の用だ……?」
腑に落ちないが、あまり待たせるわけにもゆくまい。
応接間に通すように云い、こちらも席を立つ。
扉を開けると、そこには既に、黒髪の若者が佇んでいた。流石にまだ髭をたくわえてはいないものの、その精悍な面立ちは、後の“ソロモンの白狼”を思わせるものがある。
かれは、こちらに気がつくや、背筋を伸ばして一礼してきた。
「ギレン・ザビ閣下」
「堅苦しいのは結構だ。シン・マツナガ殿、だな」
「はい」
姿勢を崩さない若者に、手振りで坐るように促す。
「父君には、いつもお世話になっている。――今日は、どうされた?」
「――父に、士官学校入りを許されました。聞けば、ギレン殿のお口添えがあったとか」
「口添えも何も、私は私で、父君に愚痴を聞いて戴いただけだ」
偶々、同じ歳頃の家族があって、それぞれにその行く末に頭を悩ませていた、それだけのこと。確かに士官学校に入れてみても良いのではないかとは云ったものの、その判断自体はマツナガ議員の下したものだ。
「ですが、父はギレン殿のお話を聞いて、一度軍に入れても良いのではないかと考えたようです。それであれば、私の希望が叶ったのも、ギレン殿のお言葉あってのもの、一言お礼を言上しようと罷り越しました次第です」
古武士のようなもの云いである。
少し前に接触したジョニー・ライデンが、ひねたYankeeの若者であったので、余計に感慨深く感じる。
「ご丁寧なご挨拶、いたみいる」
だがまぁ本当に、この若者が挨拶にくる必要などなかったのだ。
「それで、士官学校にはいつから? 来期すぐに入学なさるのか」
そう云うと、若者は少し頬を染めて、はにかむように微笑んだ。
「いえ、それが、来期の試験は受けそびれまして――早くて来期募集分に引っかかればと」
「そうすると、入学は再来期、と――」
「順調にいけば、そうです」
それは、“ガルマ”たちと同期になると云うことだ。
思わずにんまりとする。
「――では、うまく再来期に入学された暁には、貴殿にお願いしたいことがある」
「いかなることでございましょう」
「お聞き及びかもしれないが、実は我が“弟”が、やはり再来期士官学校入りする予定になっている。もしもどちらもうまく入学か適ったなら、“ガルマ”にそれとなく気をつけてほしいのだ」
「ガルマ殿に?」
若者は、驚いたように目を瞠った。
「そうだ」
頷きを返す。
「“ガルマ”は、最近少々やんちゃが過ぎるようでな。“父”と、どうしたものかと話していたところなのだ。先日も、大事な会合の場へ、友人を伴ってきたり……」
「――それは、中々」
シン・マツナガは、目を見開いた。この若者ならば、父親の会合の場へ、友人を伴うことなどないだろうし、そもそもそんな場に顔を出しすらしないだろう。そうであれば、“ガルマ”の振るまいは、驚愕どころの話ではあるまい。
「……中々やんちゃをなさる方なのですな」
「正直、甘やかし過ぎたかと思っている」
「それで、私にガルマ殿を気にかけてほしい、と」
「貴殿ならば、それなりの家格の人間にどのような振るまいが求められるか、わかって助言して戴けるのではないかと思ってな」
「……恐れ入ります」
「いかがかな、我が“弟”を、先達として導いてやってはくれまいか」
ジョニー・ライデンと違い、金の話は持ち出さない。この若者には、報酬の話を持ちかける方が無礼に思われるだろうと思ったからだ。もしも受けてもらえるのならば、“報酬”は士官学校卒業後、任官などで支払ってやろうと思う。シン・マツナガと云う若者は、それだけの価値のある人間だ。中隊くらいまでは任せられるだろう。
ジョニー・ライデンは、本当にスパイ的な立ち位置になるだろうが、こちらは傅役のような、諫言もできる人間になってくれそうだ。
シン・マツナガは、背筋を伸ばして敬礼きてきた。
「私ごときで宜しければ、務めさせて戴きます!」
――素晴らしい。
こう云う人物を“ガルマ”の傍に置いておけば――まぁ、何が変わるわけでもないだろうが、それでも多少は自らを律してくれるかも知れない。まぁ、夢語りのようなものでしかないだろうけれど。
きちんと“ガルマ・ザビ”として猫を被るのなら、このシン・マツナガをも騙すことができようが――さて、どうなることやら。
まぁ、こちらとしては、多少なりともおとなしくさせることが目的なので、ジョニー・ライデンをつけるよりもシン・マツナガの方が、目的には合っているのではないかと思う。
いずれにせよ、良い人材を手に入れた。
これで、ゼナ・ミアに声をかけて監視役を引き受けてもらえたなら、布陣は完璧になる。監視役が三人いれば、流石に迂闊な行動には走れまい。
――見ていろ、“ガルマ”!
拳をぐっと握りしめ、胸の裡で咆える。
“暁の蜂起”までは、迂闊な言動はすべて封じこめてやる。
こちらも、開戦までの間にいろいろと立ち回らなくてはならぬ、それを、“ガルマ”の行動で邪魔されたりせぬように。
「くれぐれも、宜しくお願いしますぞ、シン・マツナガ殿」
微笑して片手を差し出すと、若者は、少し引いた顔になったものの、強く手を握り返してきた。