クラウレ・ハモンが、養子縁組の手続きのために訪ねてきたのは、年が明けてややあってからのことだった。
「まさか君が、私の“娘”になるとはな」
執務室で迎えてそう云えば、皮肉っぽい微笑みが返された。
「それはこちらの科白だわ。まさかあなたが、私の“父”になるなんてね」
そう云う顔は、いつものように美しい。
いつものクラブの歌手らしい恰好ではなく、さりとてザビ家の養女に入るのに相応しいわけでもない、例えて云うなら秘書官にでもなりにきたかのような、堅めのスーツ姿である。化粧やアクセサリーもそれに合わせたもので、全体的にはできる秘書風だ。まぁ、養子縁組の手続の場に相応しい衣装は何かと云うと、こちらも思いつかないと云うのが本音ではあったのだが。
キャスバルが生まれた時に十歳くらいだったようだから、今はアラサーと云うあたりだろう。若さの中に、熟れたような匂いが微かに混じりつつある、そのような歳ごろである。
なるほど、このまま法的手段を講じずにいれば、横合いからかっ攫おうと思う輩が出ても、不思議はない。ランバ・ラルが、わざわざこちらに頭を下げてきたのは、父親のこともあるだろうが、そのような輩の手が届く前に、囲いこんでしまいたいと云う欲求もあるのだと思われた。
それと、
「……マリオン・ウェルチを、養女に迎えると聞いたが」
やはり、あの少女の存在も大きいだろう。
年齢も年齢だけに、特別養子縁組のように、実の両親のことが記録から消される、などと云うことはないだろうが――しかし、ラル家の娘となれば、いろいろと融通がきくことも増えてくるだろう。それを、あの少女に与えるためにも、二人が正式な結婚に踏み切ったのだと云うことはわかった。
「えぇ、そうよ。私たちの結婚の、半分くらいはあの娘のためなの」
でも、残りの半分は、もちろん私たち自身のためよ、と笑う。
「なるほど、妻と娘、二人を一度に得る、ランバ・ラルは幸せものだな」
「そんなことを云うくせに、結婚のけの字もない男もいるしね」
クラウレは笑うが、
「いや……」
と云うしかない。
途端に、相手は目を丸くした。
「えっ、していたの?」
「……過去にな」
渋々云うと、吹き出された。
「やだ、逃げられたってこと?」
「――平たく云えば」
「あらまぁ!」
云いながら、けらけらと笑う。
メイド頭がいたなら、同調して何か云い出しそうだ。
クラウレは、目尻に涙まで浮かべて笑い転げた。
「それで、浮いた噂のひとつもないわけね。納得したわ。――それじゃあ、私のお蔭で“娘”の手を取って、ヴァージンロードを歩けるってこと!」
「……そうとも云うな」
まぁ、“昔”は娘が数人いたので、嫁に出したことがないわけではない。ヴァージンロードはなかったから、そちらは初めての経験になるが。
「まぁ、私の方はどうでも良い。弟や妹が、うまく血筋を伝えていくだろうからな。……ところで君は、自分が何をしにきたのか、憶えているか」
「養子縁組でしょう」
「そうだ。そうであるからには、目的はさっさと済ましてしまわなくてはな」
書類を広げると、女は涼しい顔で、必要項目を埋めていった。
書類が揃ったのを確認すると、こちらも必要事項に書きこみをし、まとめてセシリア・アイリーンに渡す。有能な秘書官は、受け取ると、そのまま役所へ提出しに出ていった。
「――綺麗なひとね。あの人と結婚する気はないの?」
その後ろ姿を見送って、クラウレが云う。
「ランバ・ラルと同じことを云うのだな。――幸せになってもらいたいのでな、誰か早く見つけてくれないかと思っている」
「あら、自分で幸せにするって云えないの。不甲斐ない男ね」
「何とでも」
肩をすくめてみせる。
自分を最も理解し、愛してくれる女の記憶があれば、どんな女が来ても較べてしまうだろうことは、想像に難くない。その女がいないなら、別に結婚する意義もないように思う。
まぁ、元の“ギレン・ザビ”が、既に一度結婚生活を破綻させているなら、それにことよせて朴念仁のままで良いだろう。
「私にも、理想と云うものがあってな。それに至らないのであれば、不満が出るばかりだろうし――そんな男の許にあるのは、女にしても苦痛だろう」
女と云うのは、一度厭だと思ってしまうと、二度と関係を修復することができない生きものだ。それも、大きな原因があると云うよりは、日々の小さな引っかかりを、溜めて溜めて、ダムが決壊するように、厭な気持ちが溢れ出してしまうのだ。まさしく、塵も積もれば山となった挙句の離婚劇である。未練のある男がいかに取りすがろうと、そうなってはもうどうにもならないのだ。
その未来が見えているからこそ、結婚相手をどうこう、と云う気分にはなれなかった。
「……ランバ・ラルに、苛々させられることはないのか」
話題を少しだけ逸らそうと、そんな問いを投げかけると、クラウレはふふと笑った。
「なくはないけれど――あのひとは、子どものころから、ずっと私の憧れだったし、まぁ、最近は情けないところも見たりするけど、そんなところも可愛いのかも、って思うわ」
「――女、だな」
その、すべてを受け入れ、抱えこむような、愛。
クラウレ・ハモンは、佳い女だと思う。但し、その情の深さは、時に深淵のように、愛するものを呑みこまずにいられないものになってしまうのだろうが。
「えぇ、女よ」
「恐ろしいな……」
思わず呟くと、女は目を瞠り、やがてぷっと吹き出した。
「まぁ! ギレン・ザビともあろう男が、何を云い出すのやら!」
「事実だ。女は恐ろしい」
すべてを呑みこむ深淵――様々な神話の太母神として描かれる、産み、喰らうその性。
「まぁ、理解できないものを怖がるなんて、ギレン殿ともあろうひとが!」
「理解できないわけではないが、理性とは違うところで動くものを、恐ろしくないとは云えんよ」
こちらの計算や何かを拒むものを。
幾ら女たちが、社会に出るために理性的に振るまったとしても、その根底には、打ち消すことのできない非-理性、“感情”とでも呼ぶしかないものがある。
男が女をあるいは軽視し、あるいは怖れるのは、その名状し難いものを抱え、また異物であるはずの男をも呑みこもうとする、女の貪欲さ故であるのだろうと思う。
「私に云わせれば、男が馬鹿なだけよ。いつまでも、子どもみたいに跳ね回って、夕飯時だって云うのに帰ってきやしない。手を引いて、連れ帰ってやらなきゃならない、どうしようもないものよ」
「だが、それが愛しいのだろう?」
そう云ってやると、
「……厭な男!」
そう云って頬を膨らませ、そして諦めたように、
「でもそうね、それが愛しいんだわ――幾つになっても、届かない星を追いかけるみたいなところ……」
と、遠い目になった。
「それが、ランバ・ラルの可愛いところと云うことか」
「そうよ。――あなたはその点、可愛くないわね。その上、釣った魚に餌もやらない」
「……否定できんな」
賢い女だと思う。
ある意味では、“昔”の妻に一番近いのは、このクラウレ・ハモンではないのかとも。
だが、この女は、ランバ・ラルの女なのだ。そしてもちろん、こちらに対してそう云う興味はかけらもない。
まぁ、めぐり合わせと云うものがある。この女の“男”は自分ではない。それだけのこと。
「そう云うところよ」
云って、クラウレは小さく笑った。
「まぁ、ザビ家の男はそんなものなのかしらね。だから、揃いも揃って独り身なのよ。……でも、ガルマ殿は少し違うようね。あの女のあしらいは、一体誰から教わったものなのかしら」
「元々、あれは女誑しだぞ」
昔々のその昔から。
「あら、じゃあ、存じ上げないけれど、お母様のナルス様が、そう云う方だったのかしら」
「さてな」
ザビ家兄弟の母親については、1stでも『the ORIGIN』でも、特に描写はされていなかった。デギン・ソド・ザビが特にガルマを愛おしんでいたことから、多分ガルマに似た女だったのだろうと推測されるくらいで、具体的な容姿や性格の描写もなかったのだ。
とは云え、それはあくまでも原作のガルマ・ザビの話であって、“ガルマ”にあて嵌めて良いものではない。“ガルマ”は昔から“ガルマ”であって、複数の妻を持っていたとやら何やら、醜聞には事欠かなかった。
「“ガルマ”が母に似たかはともかく、女のあしらいに慣れているのは事実だな。それから、サスロは知らんが、ドズルはいずれ結婚するだろう。見た目はいかついが、あれはやさしいところがあるからな」
「まぁ、それじゃあ、上二人が残ると云うこと」
「サスロのことはわからんよ。意外に、もう誰かいるのかも知れん」
上の“弟”は、やや秘密主義なところがある。長子でもなく、“父”に一番愛されているでもないのを承知しているからか、外に家を構え、好きにやっているようだ。要職にあるとは云え、表に立つことの少ない立場であるから、そんなこともできるのだろう。父の邸にいれば、警護のものを煩わせることもないのだが、そのあたりが立場の違いなのかも知れない。
「つまり?」
「残るのは、私ひとりと云うことだ」
「あはははは!」
明るい笑いが弾けた。悪意や厭味も感じられない、純粋な笑い。
「駄目なひと! ……そう云うあなたを、愛してくれるひとが現れるといいわね」
「期待せずに待つとするさ」
「そうなさいな」
確か、クラウレ・ハモンは、こちらより十歳以上歳下だったように記憶しているが、この言葉は、まるで歳上であるかのようだった。
ともあれ、こうしてクラウレ・ハモンはザビ家の娘となり、ジンバ・ラルの反対をものともせずに、恋した男に嫁ぐことになったのだった。
ランバ・ラルとクラウレ・ハモンの結婚式は、昔からの慣習に則り、六月に行われることになった。ジューンブライドと云うあれである。
コロニーの気象管理局に圧力をかけて、その日は素晴らしい快晴になった。新しい家族の、門出に相応しい明るい空である。
ザビ家の面々は、新婦の親族と云う体で、教会へと向かった。当然、“父”も義祖父と云うことなので出席することになり、警備が大変なことになったが、そこはそれである。クラウレ・ハモンの“親族”と云うことで、控室が用意されたのは幸いだった。
「わぁ! 凄くきれいだね、レディ・ハモン!」
“ガルマ”が、子どものようにはしゃいで云った。すぐ後ろには、キャスバルの姿もある。
「ありがとう、ガルマ殿。あなたも素敵なお姿ね」
「ふふ、そうだと嬉しいな!」
だがまぁ、“ガルマ”の云うのも無理はない。
元々美しい女ではあったが、亜麻色の髪を結い上げてティアラをのせ、純白のドレスとヴェールに身を包んだクラウレ・ハモンは、誰が見ても美しかった。
「今日は、宜しくお願い致しますわね、“父上”」
その“娘”が、ヴェールの下からこちらを見る。ほっそりしたラインの、長いトレーンのドレスである。白くなめらかなデコルテを強調したデザインは、若い花嫁らしい初々しさからは遠かったが、それを補ってあまりあるほど優美だった。
「ふむ、世の父親が、結婚式で涙を見せるのがよくわかるな。ランバ・ラルにやるのが惜しくなる」
云うと、クラウレは少し悪い笑みを見せた。
「まぁ、あの人と結ばれるための縁組なのに、今さらそんなことをおっしゃいますの?」
「それくらい美しいと云うことだ」
「……褒め言葉として受け止めさせて戴きますわね」
「ジンバ・ラルが歯噛みをするのが目に見えるようだな」
「まぁ、そちらが本命?」
「君とて、思うところがないわけではあるまい?」
さんざん、出がどうのと云われて、悔しい思いをしてきたのだろうし。
そう云うと、クラウレは、少し考えるようなそぶりをした。
「そうね……でも、そこまででもないのかも。私は別に、あの方に面と向かって云われたことはないんですもの。もちろん、どんな方かはよく存じ上げていましたし、噂を小耳に挟みもしましたけれど」
「逃げられないランバ・ラルよりはまし、と云うことか」
「引退されてもあの父君ですもの、そりゃあいろいろ云われたでしょうしね」
「あぁ……」
今日、この日に至っても、ジンバ・ラルは結婚に反対らしく、ランバ・ラルの命を受けた家人たちに、半ば拘束されるようにして参列することになったのだと云う。
正直、ランバ・ラルも四十に手のかかった頃合いである。いくら、男に適齢期がないと云っても、そろそろ伴侶を得て然るべきだ。まして、ザビ家とは異なり、ラル家の男子はかれひとり、養子を取る手はあるものの、早く嫁取りをと急かされていただろうから、鬱陶しさもひとしおだったろう。
「さて、式の最中に、何やら喚き出さなければいいがな」
「ほんと。まぁ、あの方はもう時流を読めてらっしゃらないから、何かやらかしたところで、同情は集まらないでしょうけれどね」
などと云っていると、式の開始時間になった。
「ほら、ガルマ。いつまでも人の花嫁に見惚れてると、君のお姫様が妬いてしまうぞ」
などと、キャスバルに促されている。
「じゃあね、レディ・ハモン。向こうで待ってるから!」
などと云う“ガルマ”を筆頭に、皆がぞろぞろと移動してゆく。
「……一応、ザビ家の名を名乗ってるはずなんだけど」
クラウレが溜息をつきながら云うのは、“レディ・ハモン”と云う呼び名のことだろう。
「呼び収めだろう。式が終われば、“レディ・ラル”だ」
「……そう云われると、ちょっと照れ臭いわね」
「何、そう思うのも今のうちだ。――行くか」
控室の扉が小さく開き、進行役が、ちらりと顔を見せる。そろそろ時間のようだ。
手を差し伸べると、白い手袋に包まれた指先が、優美に掌に乗せられた。
「えぇ、“お父様”」
裾を踏まぬよう、少し前を歩いていくと、聖堂の入口に、揃いのドレスをまとったアルテイシア、ミルシュカ、そしてマリオンが佇んでいた。
「クラウレ!」
マリオンが叫びかけて、アルテイシアに“Shhhh……”と制止されている。
青い髪で、いつもは憂鬱そうにも見える少女だが、今日の青味がかった薔薇色のドレスのせいか、顔色すらも明るく見える。
「マリオン」
クラウレは、これからは正式に娘となる少女を抱きしめて、きれいにまとめた髪にキスを落とした。
「クラウレ、すごくきれい」
少女は頬を染めて、母になる女をうっとりと見上げた。
「あなたもよ、マリオン。薔薇の妖精みたいだわ」
云いながら、ミニ薔薇の花冠の歪みを直してやっている。
「クラウレ、本当にきれいだわ。心からおめでとうを云わせて頂戴」
同じドレスに身を包んだアルテイシアが、主筋の人間に相応しい態度で祝福する。
「ありがとうございます、アルテイシア様」
「わ、わたしも、おめでとうございます、レディ・ハモン」
三人目の妖精、ミルシュカが云い、やはりクラウレからキスを受けていた。
この三人が、クラウレのドレスのトレーン・ベアラーになるわけだ。ミルシュカはまだ小さいので、おまけと云うか補佐と云うか、そんな立ち位置になるのだが。
「クラウレ」
云いながら、アルテイシアがブーケを差し出す。
「どうぞ、幸せになってね」
「……ありがとうございます。必ず」
にこりと微笑んで、それを受け取ると、クラウレは、聖堂の入口の扉にまっすぐに顔を向けた。
やがて、扉が開き、目の前に赤い絨緞の道が開けた。
両側に、ラル家の親族、ザビ家、それぞれの関係者が居並んでいる。クラウレがザビ家の養女になったので、幾たりか、議会や軍の関係者の姿も見える。
そして、その道の先の祭壇の前には、白のモーニングを身に着けたランバ・ラルが、こちらに半身を向けて立っていた。
ゆっくりと進んでゆき、新郎に“娘”を引き渡して、着席する。とりあえず、これで本日の主要なミッションは終了だ。
祭壇の前のふたりをじっと見る。
鉄オル世界では、何やかんやと結婚式に出席することが多かったが、“娘”の結婚式と云うのは初めてだ。
そもそも、元々のアレコレでも“昔”でも、神式やら仏式やらがほとんどだったし、友人の結婚式は教会式だったらしいが、式は海外で、二次会だけ参加、のようなものばかり――それよりも、結婚する友人が少なかった――だったので、参列することもあまりなかったのだ。
それが、ギレン・ザビとして、“娘”を送り出すことになろうとは――世の中、何がどうなるかわからないものである。
ちらりと新郎の親族席を見やる。
ジンバ・ラルは、憤懣やる方ないと云った表情だったが、流石に厳粛な式の最中に、不満をぶちまけて顰蹙を買う愚は避けたようだ。新郎新婦を睨みつけながら歯噛みしているようだが、少なくとも立ち上がって邪魔をしに入ったりはしていない。
立会人たちの間に立った二人の前に、司祭がゆっくりと進み出る。
「……ランバ・ラル、あなたは今、クラウレ・ハモン・ザビを妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。……汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め遣え、共に助け合い その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
定番の誓いの言葉――こればかりは、中世期も宇宙世紀も変わりないようだ――に、ランバ・ラルが神妙な面持ちで、
「はい、誓います」
と返す。
司祭は続いてクラウレに向き、同じように問いかける。
「クラウレ・ハモン・ザビ、あなたは今、ランバ・ラルを夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰めつかえ、共に助け合い、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
ヴェールの下から、はっきりとした答えが返った。
「それでは、指輪の交換を」
云われてクラウレが差し出した指に、ランバ・ラルが、リングボーイ――フロリアンが務める――から受け取った指輪を通そうとして、見事に失敗した。どうやら、柄にもなく緊張しているようだ。列席者からは、小さく笑い声がこぼれた。
四苦八苦して指輪を嵌め、今度はクラウレがランバ・ラルの指に指輪を通す。こちらはぴたりと収まって、女の方がこう云う場では強いのだなと思わされた。
そうして誓いのキス。
流石に囃し立てるものなどなく――共和国首相の列席する場で、流石に皆自重している――、式は厳かな空気のうちに終了した。
ジンバ・ラルは、式の最中、遂に一度も口を開くことはなかった。
――流石のあの男も、これだけの来賓のある結婚式で、騒ぎ立てるのは見苦しいと思ったか。
少々訝しく首をひねりつつも、そんなこともあり得るかと思う。
まぁ、実際に式の最中で異議を唱えることになれば、物理的な対抗手段を取ることも考えていたから、何もなくてよかったのは確かだが。
とりあえず、大役は果たし終えた。後は新郎新婦が中心であり、新婦の“親”などは、片隅でうだうだしているべきものだろう。
子どもたちが多いことから、披露宴は、立食形式の肩の凝らないものにしたと云っていたのだし。
着飾って、少しお澄ましした子どもたちが、飛び跳ねるように聖堂を出ていく。
絶妙に調整された空は、素晴らしく青い。長い歳月を経て結ばれた二人を祝福するように。
「早く、“ギレン兄様”!」
向こうで呼ぶ“ガルマ”に頷きを返し、人びとの流れに乗って、ゆっくりと歩き出した。
まぁ、何もなくてあの男が黙っているわけはなかった。
結婚式の翌日――ランバ・ラルとクラウレは、ハネムーンとやらに行ってしまった――、ジンバ・ラルに襲撃された。まだ九時にもならぬ頃合いである。他人の家を訪ねる態度としてはどうかと思う。
「ギレン・ザビ! 貴様、自分の末弟を、きちんと躾けておかんか!!」
執務室に乗りこんできて、第一声がこれである。
「はて、末弟とは、“ガルマ”のことですかな」
「しらばっくれるな! 他に誰がいるというのだ!!」
炸裂している。
まぁ、確かにそれ以外にいはしないし、こうして襲撃される原因として考えられるのも、“ガルマ”を除いて他にはなかった。
「“ガルマ”が、何か致しましたか」
問い返すと、ジンバ・ラルは、わなわなと身を震わせた。
「あやつめ……式の直前に、儂にヘリウムガスを吸わせよった――甲高い、聞き苦しい声を聞かせるくらいなら、ずっと黙っていろと!」
「ほぉ」
なるほど、ジンバ・ラルが、式の最中に異議を唱えることがなかったのは、ヘリウムガスのせいで声がおかしかったからか。
――ヘリウムガスで変わった声よりも、式の最中に騒ぎ立てる方が、よほども見苦しいだろうに。
とは思うが、このような男でなければ、『the ORIGIN』で、妙な連中――確かアナハイムの関係者だった――と手を組んで、圧倒的な力の差も省みず、ザビ家に反旗を翻そうとしたりはしなかったのだろう。
「まぁ、やり方には賛成できませんが、残念ながらあれと同意見ですな。ご子息の晴れの日に、茶々を入れるのは、褒められたことではない」
ある意味では、“ガルマ”のやらかしたことよりもなお一層。
「ふざけるな!!」
ジンバ・ラルは地団駄を踏んだ。
「そもそもは、貴様が余計な手出しをして、あの女をラル家に送りこんできたのだろうが!! よもや、端から間諜として使うつもりだったのか!? それならば、なお許しがたい!!」
「何を世迷い言を」
流石に溜息をつかずにはいられない。
「そもそも、ご子息とクラウレ・ハモンの仲は、もう随分長かったのですぞ。それこそ、他のご婦人方が、間に入るのを遠慮するくらいには。それをいつまでも認めず、結果、ご子息が私を頼るように仕向けたのは、他ならぬ貴殿ではないか。私は、取れる手段を取っただけだ」
あまり宜しからぬ家の出の人間を、つり合う家の養子なり養女なりにして、そこから結婚させると云うのは、中世期の早い時期から行われていたことだ。まぁ、男の場合は、適当な爵位や官位を与えて底上げする、と云うかたちが、長らく取られていたはずである。
ジンバ・ラルの誤算は、息子が、クラウレ・ハモンとの結婚のために、ザビ家と手を組んだことだろう。
もちろん、かねてからランバ・ラルはドズルと親しくしていたし、ダイクン家の警備責任者である関係で、そこに居候していた“ガルマ”とも気安い口をきく間柄である。
そう云う関係を築いたランバ・ラルにとっては、ザビ家はもはや敵ではない。ジンバ・ラルの敗因は、そのことをポーズ、芝居であると見たことにある。時代は、とっくに次へと進んでいるのだ。
ジンバ・ラルは、ぐぬぬと歯噛みした。
が、この老人の常として、諦め切れぬ様子で食い下がってくる。
「だ、だが、貴様らがいなければ、ランバは……!」
「現実をよくご覧になることだな、ジンバ・ラル殿」
殊更に冷ややかに云ってやる。
「クラウレ・ハモンがご子息と関係を持ちはじめて、恐らく十年は経っているはずだ。その間に手を打ち損ねたことが、今日の貴殿の敗因だ。――まぁ、世間では、ザビ家とラル家が遂に和解したと評判のようだからな、私とご子息にとっては、良い宣伝になったよ」
「ザビ家め!!」
云うことが思いつかないと、これか。
「そう、私はザビ家の男だ。いつかも申し述べたはずだが、私は無意味に何かことを起こすつもりはない。貴殿が、あのように強硬な態度をお取りにならなければ、ご子息とて、私の手を借りようとはされなかったでしょうな」
「……いずれ後悔させてやるぞ!」
捨て台詞を吐くなり、ジンバ・ラルは、足音も高く執務室を出ていった。この毛足の長い絨緞の敷かれた部屋で音が立つとは、どれだけ荒々しく歩いたものか。
「――デラーズ」
控室から入ってきた禿頭の男に、そう呼びかける。
「ジンバ・ラルに監視をつけよ。ラル家にも警告は出すが――あの老体、何をやらかすか知れたものではない」
「は……しかし、通信などは、われわれの範囲外となりますが」
「そちらは“伝書鳩”にやらせる。とにかく、あの御仁から目を離すと、碌なことにならんからな」
とは云え、『the ORIGIN』のように“実力行使”に出れば、それはそれで、ザビ家の名に傷がつくことになるだろう。そのあたりは、ランバ・ラルと意思の疎通をはかり、最悪の事態は回避せねばならぬ。
「本当に、軟禁でも蟄居でもさせられれば、どれだけ楽なことか……」
こう云う時、近代以降の国家は面倒だと思う。封建国家や絶対王政であれば、簡単にあのような人間を沈黙させることもできるのだが。
「法治国家では、難しい話ですな」
「まったくだ」
だがまぁ、法治国家でなければ、こちらの身が危うくなることもあり得るので、そのあたりは一長一短有り、と云うところだ。こちらの自由は、またあちらの自由をも保証する。すべてを意のままに、と望めば独裁者にならざるを得ず、それで失敗した“昔”もあるので、慎重にことを運ぶことになるわけなのだ。
「――あと、五年足らず、か」
「は、何がでございますか」
デラーズに、独り言を聞かれていたようだ。
「想定される、戦いの予感だ」
そう、一年戦争開戦までの日程だ。
だが、最近は若干ものごとが早く進んでいるようにも感じる――恐らくは、MS開発やニュータイプ研究の進捗状況がそう感じさせるのだろうが、それにも増して、コロニー同盟の成立が大きいのだろうとも思う。
流石に連邦議会へ議員を送りこむところまではいかないが、サイド5・ルウムを盟主――ムンゾはNo.2である――に据えた同盟は、連邦政府に確実に圧力をかけつつあった。
「五年で、戦争になると?」
「あるいは、もう少し早いかも知れんな」
とにかく、今のところは、ムンゾ国内に限って云えば、そこまで大きな陰謀も進行してはいないようだ。
もちろん、連邦軍は未だムンゾ国内に駐屯しており、その横暴に眉をひそめるものは多々あるが、昨今の情勢を鑑みてか、駐屯地外でもあまり横柄な態度でいる兵士はないようだ。その分、内部であれこれあるのかも知れないが、まぁ、それはこちらの知ったことではない。
とにかく、連邦軍が何も起こさずおとなしくしていれば――現時点では、ムンゾ国内に独立の機運が高まっている、とは云い難い――、しばらくは、表面上平穏な日々が続くことになるだろう。その間に、こちらとしては、開戦の準備をしておくことができるのだ。
「戦争を、お望みなのですか」
「まさか」
デラーズの疑問を一蹴する。
戦争など、やって良いことは何もない。金はかかるし、人的、物的被害も甚大なものになる。勇ましい言説に唆された馬鹿ものどもは、戦争戦争と息巻くが、勝っても負けても損害しか残らないものを、おいそれと望むわけなどない。
但し、
「――避けられぬとわかっているなら、備えだけは怠りなくしておかねばなるまい?」
何の準備もなく戦うことになれば、それこそムンゾが蹂躪されることになるだけだ。流石に中世期の戦時のように、略奪や暴行、強姦などがあちこちで起こるとは考えにくい――但し、混乱に乗じた内部のそれを除く――が、しかし、コロニーであるだけに、その損壊が即住人の死に繋がることを思えば、死者はかつての第二次世界大戦などよりも増える可能性はある。
コロニー落としをしない――予定――ので、人類が半分の数になることはないだろうが、下手をすれば、百万からの非戦闘員が死ぬことになるかも知れない。
宇宙での戦争は、非常にシビアなのだ。
「MS計画もニュータイプ研究所も、そのための布石であるのだと?」
「そうだ。他に何がある? 神ならぬ身には、すべての可能性を考慮して、それに備えることくらいしか、できることなどないのだ」
本当に、“昔”のブレーンの一人でもあれば、もう少し楽だったのだろうに。サスロやキシリアも有能だが、どちらもブレーンになってくれるタイプではないし、周囲にもそれらしい人材はない。そう考えると、意外にムンゾは人材不足なのではないか。
――ブレーンに近いのが、“ガルマ”だけとはな……
しかも、あれは政治向きには何の役にも立たないし。
などと考えていると、“ガルマ”がひょこりと顔を覗かせた。
「ガルマ様」
驚いた様子のデラーズににこりと笑いかける。
「学校に戻る前に、ご挨拶をと思って」
と云う笑顔がやや不穏だ。
ちょうどいい、こちらも説教がある。
デラーズを下がらせたところで、“ガルマ”が先に切り出してきた。
「“ギレン”、ムンゾを獲って」
「何だいきなり」
“獲る”も何も、ムンゾの首相は“父”デギン・ソド・ザビであり、自分を含め、“ガルマ”以外は皆要職に就いている。これ以上“ムンゾを獲る”と云えば、それこそムンゾを公国化でもするしかない。
「連邦と遣り合うためにさ。いまのままだと、馬鹿が踊る。あのへん抑えとかないと、あとに響くだろ」
なるほど、あのあたりのことか、と思う。こちらに手を組むよう持ちかけてきた、あの自称主戦派の連中だ。
頭の悪い輩は仕方がないと思っていたが、本当にどうしょうもない連中だったようだ。
ああ云う輩が、メディアを使って“戦争の機運”とやらを盛り上げ、時宜を得ぬ開戦に持ちこむと云うのは、よく聞く話とは云え、本当に苛立たしいものがある。
“ガルマ”は、こちらを覗きこむようにして、云った。
「予言するよ。三ヶ月内で、ザビ家排斥の動きが急激に高まる。ネタは様々だけど、タチ・オハラに流してあるから、裏取れたら報告にくるでしょ」
「……それは何処の情報だ」
と問うと、鼻を鳴らされた。
「“ギレン”だって掴んでるでしょ。デギンパパと、キシリア姉様とサスロ兄さんも、ある程度は把握してるはず」
確かに、不穏な動き自体の情報は、あちこちから入ってきてはいる。
だが、今云うのはそんな話ではなく、
「三ヶ月内の予測は、どんな“悪知恵”が弾き出した計算だと聞いている。――そもそも、お前は士官学校で何をどうやってそんなデータを集めてくるんだ」
相変わらず、暗躍しているのか。士官学校の授業を片手間にしているのではあるまいか。
云うと、“ガルマ”はぷくりと頬を膨らませた。
「“悪知恵”なもんか。どこでだってデータ収集はできるし、パズルは組める」
確かにそうかも知れないが、そう云うことを云っているのではない。士官学校は、実技も多くあり、座学だけならともかく、そう云う余力が残るはずがないので、そこを埋めるどんな悪さをしているのか、と訊いているのだ。
「連邦はともかく、“連中”は、もう形振り構っちゃられないんだ。ザビ家を叩くなら今をおいて他にないし――だけど、おれ達にとっても、これって最高の好機だろ?」
好機。
確かに好機かも知れないが、そんなクーデター紛いのものを潰すために、こちらがザビ家独裁を画策するのだと?
今まで慎重に慎重に組み上げてきた権力の階段を、ここで一気に組み替えろと云うのか。
挙句に“ガルマ”は、こちらの神経を逆なでするようなことを云った。
「たまには“可愛い弟”のわがまま聞いてよ、“お兄様”?」
両頬に人差し指を添えて、にこりとしながらウインクをよこす。
――……誰が“可愛い弟”だ!!
「お前など少しも可愛くないわ!」
――自分の所業をよくよく省みろ!!
云いざま、“ガルマ”の襟首を掴まえる。
「ふぎゃあ! ギブギブ!!」
「喧しい! いつまでも好き勝手できると思うなよ!!」
そのまま、頭を絞め上げると、“ガルマ”は、怪しい声を上げて、ひっくり返された虫のようにじたばたした。
と、
「ギレン、話がある……ガルマァ!?」
いきなり扉が開いたと思うと、キシリアが立ち竦むのが見えた。
一瞬ののち、その顔が鬼女のそれになった。
「ガルマを放しなさい!!」
駆け寄ってくるなり、“ガルマ”の身体を奪い取っていく。胸に抱きこんで、こちらを睨む様は、仔を奪われかけた雌獅子のようだ。
「ギレン! 何をしているの!? 何故ガルマばかり辛く当たるの!」
などと云う。
この猫かぶりに騙されているのはわかっているが、それに苛立たないわけではない。
思わず反論しようとするが、その前に、
「姉様、姉様。違います。ちょっとふざけてただけ。僕が生意気を言ったんです」
口を挿んだのは“ガルマ”だった。上目遣いで、本人曰くの“きゅるんとした”顔をしてみせている。
キシリアは、いかにも“可哀想な弟を宥める”体で、
「ああ、ガルマ。庇わなくて良いのよ」
などと云う。
「いいえ、本当です。“ランバ・ラルが結婚したから、次は“ギレン兄様”ですね”って」
――何だそれは!!
云うに事欠いて、それの科白は――本当に云われたのだとしたら、絞め上げるだけでは済まさない。
キシリアは呆気にとられた顔になり、やがて半笑いで問い返した。
「……………そんなことを?」
「ええ」
「……そう」
と云うその肩が、ごく小さく震えている。笑っていると、丸わかりだ。
「それはお前が悪いわ、ガルマ」
などと、笑いながら云われても、説得力の欠片もない。
“ガルマ”は、少しだけしおらしい顔になった。
「はい。ごめんなさい。姉様、“ギレン兄様”」
「さあ、もうお下がりなさい。学校に戻る刻限でしょう?」
「はい。名残惜しいけど……戻ります。また、次の休暇に」
「ええ。気をつけて」
「はい。姉様も。……“ギレン兄様”もね」
ぺこりと頭を下げて退出する“ガルマ”が、振り返りざま、にぃっと唇の端をつり上げた。キシリアがいるのをいいことに、逃げ出そうと云うのだろう。
――どこまで狡猾なんだ!!
と、キシリアの前で叫ぶことができないので、腹の底に、もやもやしたものが渦巻いて消えない。
ぱたんと扉が閉まると、見送っていたキシリアは、まだ半笑いでこちらを向いた。
「その様子では、今はまともな話はできなさそうね。……改めるわ。また」
そう云って、自身も部屋を出ていってしまう。
後には、静寂があるばかりである。
「……クソったれ!!」
叫んで、資料の束を床に叩きつけるのが、精一杯の八つ当たりだったが、それで怒りが解消されるはずもなく。
皺のできた書類を、うんざりした気分で拾い上げることしかできなかった。