翌日になって、キシリアが執務室にやってきた。しかも、サスロを伴ってだ。
厄介ごとのにおいがした。
――予言するよ。三ヶ月内で、ザビ家排斥の動きが急激に高まる。……
“ガルマ”の言葉が途端に現実味を帯びてきて、話を聞く前からげんなりする。
「昨日できなかった話をしにきた」
後ろ手に扉を閉め、鍵までかけて、キシリアは云った。セシリア・アイリーンも追い出されていたから、この部屋の中には“兄妹”三人だけだ。
「……厄介ごとだな」
「……まぁな」
「だが、我らにとっては好機でもある」
ややげんなりした風なサスロとは異なり、キシリアは、いっそ嬉しそうですらある。
「馬鹿ものどもが動き出した。一気に蹴落とせば、今度こそ真に、ザビ家がムンゾを支配できるぞ」
「ジンバ・ラルが動いたか」
息子の結婚で、世間的には多少なりとも落ち着いたと見られた老人は、やはり落ち着いてなどいなかったらしい。
キシリアは、にんまりと笑った。
「そうだ。反ザビ家の若手議員どもと結んで、政権転覆と、ザビ家失脚を狙うようだ」
「今、われわれを追い落として、この先連邦とどうやり合っていくつもりなんだかな」
サスロも、馬鹿々々しいと云うように肩をすくめる。
「そこは、親連邦の連中が咬んでいるんだろう」
「それで、ジオンが勝ち取ったムンゾの自治を、みすみす奴らに返還しようと?」
「連中は、自分の身と利権さえ守れれば、それ以外のことなどどうでも良いのだろうさ」
「……その馬鹿ものどもの、首魁は誰だ?」
口を挿むと、二人のまなざしがこちらを向いた。
「……ダルシア・バハロだ」
キシリアが答える。
ダルシア・バハロ。それは、劇場版『めぐりあい宇宙』において、一年戦争後期にジオン公国首相の座に就いた男の名だったはずだ。息子がモナハン・バハロ、『UC』において、“袖付き”を影から動かした、ジオン共和国の国防大臣だった。フル・フロンタルの“サイド共栄圏”構想は、モナハンの考えであったと云われていたはずだ。
だが、ダルシアの方は、経緯はどうあれ、ザビ家滅亡の切欠を作った――ソーラ・レイによって葬り去られるはずだったキシリアを、父から引き離し、生存させたことにより、ギレンが死ぬことになったのだから――男なのだ。
四十二歳の若さで首相になったからには有能な男ではあったのだろうが、心の底では反ザビ家であった可能性もある。そして、ルート変更されたこの時間軸において、それが開戦前に噴き出してしまったと云う可能性も。
何しろ、一年戦争時に四十二歳なら、今はまだ三十七歳である。例の“馬鹿手議員”たちと同年代なのだ。
しかしまぁ、
「ダルシア・バハロか。もう少し賢い男かと思っていたが」
議会においても、例の“馬鹿手議員”どもに近づくでもなく、かと云ってザビ家に擦り寄るでもなく、独自の立ち位置を確保しようとしているように見えたのだが。
「野心は、誰にでもあるものだろう」
サスロは云うが、そうわかりやすく野心を見せなかっただけに、今回、反ザビ家の陰謀に加担することが、今ひとつ了承し辛かったのだ。
が、そう云えば息子のモナハンは、執務室だかどこだかに、父・ダルシアとともに、ジオン・ズム・ダイクンの肖像画をも飾っていたそうだから、あるいは真正のジオニストで、それを捻じ曲げている、ように見えるザビ家に対し、含むものがあったのかも知れない。
いずれにしても、ジンバ・ラルの焚きつけに乗って、慎重派のダルシア・バハロが参入したのならば、“馬鹿手議員”たちが調子に乗るのは、火を見るよりも明らかだった。
「議会内では、特に不穏な動きはないのか?」
問われて、その“馬鹿手議員”たちの話をしてやる。
「最近は、特にこちらの耳には入ってこないな。だが、以前、そう云う輩から声をかけられたことはある。あれは“ガルマ”が大学に入学する前のことだったから――かれこれ三年は前のことだな」
「顔ぶれは」
「名前も思い出せんくらいの小物だ。……ただ、そこにダルシア・バハロが入るとなれば、話は変わってくる」
ダルシア・バハロは、若手の中でも期待の星だ。落ち着いた風貌のとおりの慎重居士で、あちこちの会派から声をかけられてはいるが、特にどこに属するでもなく議員活動を行っていた。
その男が、反ザビ家の一派に与すると云うのは、こちらからすれば由々しき事態であり、あちらからすれば諸手を挙げて歓迎となるだろう。
何しろ、古株議員からも一目置かれるような男である。その影響力は、決して小さくはない。
「そうだな。行動力に弾みのついた連中は、必ずしかけてくる。だが、逆にそこが狙い目でもある、そうだろう?」
キシリアは、またにんまりと笑った。
「若い馬鹿ものどもは、自信だけはあるが、実力が伴わんからな、そこで尻尾を出すだろう。われわれとしては、労せずして反対派を一掃するチャンスと云うことになる」
「そう上手くいくか?」
対するサスロは懐疑的だ。
「所謂“若手議員”と云うのは、二世、三世議員が多いだろう。そうなると、親の代からの伝手が幾つもあるはずだ。そう云うものを駆使されると、意外に尻尾は掴みづらいぞ。仕掛けを待つつもりが、してやられる可能性だってある」
「――そうだな、それは否定できない」
ザビ家のように、小さな一家が短期間でのし上がったのとは違う。かれらは小さなネットワークを幾つも抱えているのだろうし、それによって、裏社会とのつながりをもつ家もあるだろう。
そのあたりは、家族すべてがほぼ詳らかにされているザビ家とは違う。
そう云えば、キシリアが不承不承に頷いた。
「それに関しては、確かに気をつけねばなるまいな。――だが、好機であることも、また事実だ。そうではないか?」
「確かに」
それこそ、ピンチはチャンス、だ。
あちらにことを起こされれば、その一派を炙り出すことができる。ピンチではあるだろうが、そこを乗り切れれば、確かに反対勢力を一掃することはできるだろう。
だが、問題なのは、上手く抑えこむと逆に、残りの反対勢力が、より深く潜ってしまうだろうことだ。反対派などと云うものは、ゼロになることはあり得ない。それが、こちらの目の届かぬほど深く潜ってしまったら、その動向を察知することすら難しくなる。
そう云う輩が、それこそ1stの一年戦争末期のダルシア・バハロのように、ザビ家が弱体化したところを狙って攻勢をかけてくる、と云うのは、いかにもありそうな話だった。
「……一網打尽にするとしても、逃げた魚にマーキングすることは、怠ってはならんぞ」
そう云えば、サスロもキシリアもはっとした顔になり、やがて真顔で頷いた。
「もちろんだ」
「そこは、ぬかりなくやる」
――頼もしいことだ。
と思いながら、ゆっくりと頷きを返す。
「例え、近いうちに一波乱あったとしても、真に我らが力を問われるのは、連邦との戦いがはじまってからのこと。今ここで死力を尽くし、ムンゾの国力を下げることがあってはならぬし、ザビ家の力を使い尽くすことがあってもならない。真の敵が何処にあるか、われわれは、それを念頭に置きつつ行動せねばならん」
そもそも、首相の一族であるザビ家にとって、耳を傾けるべきは国民の声であって、権力闘争の相手の怨嗟などではない。権力を持つ以上、闘争は不可避であるが、あまりそれにかまけては、本末転倒にもなりかねない。
「連邦に足許を掬われるな、と云うことだな」
「元より承知だ」
「それに加えて、フラナガン博士やミノフスキー博士、テム・レイ博士についても、それとなく監視させよ。そのようなことはないと思いたいが、怖気づいて逃げ出さんとも限らん。研究成果を連邦に奪われることだけは回避したい」
「……あの三人が、ムンゾを裏切ると?」
「わからん」
だが、原作で亡命を試みたものがある以上、用心するに越したことはない。
ひとの心は変わる。そうである以上、用心するに越したことはないのだ。
「疑り深いな、ギレン」
キシリアが笑う。
「お前に云われたくはないぞ」
「俺から云わせれば、どっちもどっちだ」
「お前もそう変わらんだろう」
「つまり、疑り深いのが三人、と」
「必要なことだろう」
「まぁ、確かにな」
とは云え、その“疑り深い三人”が、同じ方向を見つめてきちんと手を組んでいるのなら、これほど強いことはない。
「慎重に敵を炙り出せ。但し、やり過ぎるな。やり過ぎれば、窮鼠猫を噛む、全力で反撃されることになるだろう。連邦との戦いの前に、徒に疲弊する羽目になるのは御免被る」
「わかっているさ」
「三博士については、私の方で監視させるわ。私とても、ここまで手をかけたものを、自ら廃棄するのは忍びないもの」
「任せた」
しかし、民意がどうのと云っているが、こちらの掴んでいるのは、あくまでもメディアの意見と“世論調査”とやらの結果、そしてわずかに入ってくる“伝書鳩”の情報のみである。“伝書鳩”を信じないわけではないが、かれらも人間だ、上司の意を斟酌し過ぎて、やや偏った意見を、無意識に選択していないとも限らない。
考えてみれば、“ギレン・ザビ”になってこの方、議会と軍と家の、ごく狭い範囲を行き来するばかりで、実際に自分の目で、ムンゾ国民の日々の暮らしを見たりしたことはなかった。
かれこれ六、七年それだ、そろそろ自分で街に出て、思いもしなかった意見に、頭を殴られるような経験をしてみても良いのではないか。
もちろん、ズムシティはムンゾの首都バンチであり、例えばジョニー・ライデンの故郷のような、農業を中心とした牧歌的なバンチではない。いつでも、どんな国でも、都市と地方の意識の差はあり、地方と都市部の下層民は基本保守的なものだが――そんな層の意見を聞くとしたら、下町に出入りするに限る。
――あまりそちらに加担しても仕方ないが、しかし無視をすれば、反対勢力がそちらを取りこんで増長することにもなるからな。
正面から“ギレン・ザビ”として行っても、何も聞き出せないか、あるいは声だけ大きな連中が、こちらに大挙して押し寄せてくるだけだ。本当の声は、それこそ飲み屋の愚痴などの中にあるのだろう。
――出てみるか。
目安箱的な口を置いても良いが、それこそ声の大きな連中の意見しか集まらないのだろうし、所謂“サイレントマジョリティ”の意見は、日々の愚痴の中にしかないのだろうから。
「――何を考えている?」
少しにやついてでもいたものか、キシリアに不審な面持ちで問いかけられた。
「なに、偶には羽根でも伸ばしてみるかと思ってな」
“ギレン・ザビ”として、いつでも隙のない――“ガルマ”とのやり取りは除く――暮らしをしてきた。そろそろ、息抜きをしても罰は当たるまい。
サスロは、微妙な表情で頷いた。
「あぁ、まぁ、そうだな……」
その答えに頷きながら、次の休みの予定を、頭の中で組み立てはじめた。
着古された革のジャケットとダメージの入ったブラックデニム、黒の安手のTシャツに、足許はくたびれたワークブーツ。薄い財布にウォレットチェーンをつけて、尻ポケットに捩じこむ。シルバーのチェーンは、あちこちが当たって潰れていて、年季だけは入ったものだ。
仕上げに髪を下ろしてしまえば、鏡の中には、四十絡みの不良オヤジが現れた。
――ふん、これならバレないか。
“ギレン・ザビ”のトレードマークのようになっているオールバックを下ろせば、印象はがらりとかわるものだ。衣装もすっかり変えたので、この姿を見て“ギレン・ザビ”と判別のつくものはないだろう。
何となく、首許が淋しいので、白黒のアフガンストールを巻きつける。これで、火星出身の元警備員“オルガ・イツカ”の出来上がりだ。
今日は、この恰好で、タチ・オハラと市街で落ち合うことになっているのだ。一緒にディナーを、と云うと、何とも云えない顔をされたのだが。
メイドたちの目をすり抜けて、裏口から外へ出る。
今日のスケジュールをデラーズに問われて、“市中に出る”と答えると、警護のものをつけていけと、それはもう煩く云われたが――街中に出るのにそんなことをすれば、“ギレン・ザビここにあり”と喧伝するも同然だ。
それに、久しぶりに、独りの気ままな時間を過ごしたくもあり、こうして出てきたと云うわけだった。
ボトムスのポケットに手を突っこみ、少し前屈みに、大股で歩く。重いブーツの底が、アスファルトをどかどかと叩く。
190cmを超える大男がそうして歩いていると、いかにも柄が悪そうに見えるのだろう。すれ違うにも少し避け気味にされているあたり、こちらの正体になどまったく気づいていないようだ。
思わずにやにやしながら、目的地へ向かう。傍目には、怪しいこと極まりない雰囲気だろう。
夕方のズムシティを、まっすぐに歩いてゆく。本当なら、公共交通機関を使うべきなのだろうが、時間もあることだし、街中の様子も見ておきたい。
出稼ぎ労働者に見えるかどうか、あちこちのウインドウを冷やかしながら、目的地へと向かう。
丁度退勤時刻で、あちこちのオフィスから吐き出されてくる人びとが、歩道に溢れていた。
どの顔も、今日の仕事に疲れていたが、鬱積した不満を抱えていると云うほどでもなさそうだ。つまりはごくありふれた、日常の一場面だった。
タチとの待ち合わせ場所は、以前車中から見たことのある、下町の雑貨屋の角だった。消火栓にぼんやりとまなざしを注ぎ、ハンチングを目深に被った男が立っている。丸眼鏡とくたびれたコート、タチ・オハラに間違いない。
「……タチ」
声をかけると、相手は胡散臭そうに顔を上げ――次の瞬間、目玉が飛び出しそうなほどに目を見開いた。
「か、かっ……!」
「おっとストップ、“俺”は“オルガ・イツカ”だ。OK?」
唇に人差し指を当てて片目を閉じると、タチは、壊れた人形のようにこくこくと頷いた。
「……待ち合わせ場所にここを指定された時には、どうなることかと思いましたが……確かに、その恰好では、誰にも悟られることはないでしょうな」
「まぁ、皆の印象では、“私”はオールバックでスーツか軍服、と云うのが定番だからな」
だが、だからこそ、こう云う砕けた恰好で誤魔化せるのだ。
「屋敷を出た時も、誰にも見咎められずに来たからな。デラーズは、今ごろ大慌てかも知れないが」
最後まで護衛をつけると云って聞かなかったので、実力行使と云うか、まぁ騙し討ちで出てきてしまったのだ。もしかすると、メイド頭くらいは見ていたかも知れないが――止められなかったからには、見ないふりをしてくれたのだろう。
「そりゃあそうでしょうよ。……連絡は、入れなくても?」
「大勢でぞろぞろこられたら、この恰好でいる意味はねぇだろうが。……で? 連れてってくれるんだろ、“イイとこ”に」
「……勘弁して下さいよ」
云いながら、タチは、暑くもないだろうにハンカチで汗を拭い、ハンチングを被りなおした。
「この少し先です。行きましょう」
「あぁ」
頷いたところで、後ろから衝撃があった。
思わず振り返ると、腰に取りついていたのは、とても良く見た顔だった。何なら、今朝も見た、朝食の席で。
「ギレンさん!」
叫んだのはゾルタン・アッカネンである。
見れば、向こうからはアムロと、その袖を引っ張るカイ・シデンもやって来ている。
なるほど、昨今はゾルタンも、アムロとカイの“冒険”についていっていると聞いてはいたが、本当だったのか。
「ゼッテー違うって! しかもヤバそうだし! おいアムロ!」
カイは止める風だが、アムロの方は、ゾルタンと同じような、きらきらしたまなざしを向けてきている。
――これは、バレてるな。
どうしてわかったのかは知らないが。
「やっぱり! ギレンさんでしょ!」
アムロまでが大声で云うので、屈みこんで、その顔を覗きこむ。
「“俺”は、“オルガ・イツカ”だ、ボウヤたち」
そのもの云いに、何やらごっこ遊びでもしていると思ったのか、二人は一瞬きょとんとして、それから力強く頷いた。
「わかった、“オルガ”さん」
「オルガでいい、“さん”はいらねぇ」
「オルガ」
頷きあって、繰り返す。
カイ・シデンはと云うと、タチに気がついたようだった。
「あ! アンタ……ってことは、ホントに?」
こちらの名前を口にしないのは、大した用心深さだ。
にやりと笑って返すと、天を仰がれた。
「マジかよ……何でアンタがこんなとこに?」
「タチが、飯が美味くて面白い店があるからってな」
子どもたちのまなざしを一身に集めたタチが、慌てたように首を振る。
まぁ、正確に云えば、庶民の愚痴が聞ける店の中で、料理が美味いところに連れていけと云ったのだ。他に目的があるにしても、飯が不味いでは話にならない。
「行きたい!」
叫んだのはゾルタンだった。
「美味しいご飯って、ズルイ! 俺も食いたい!」
「……あんだけ美味い飯食っといて、何が不満なんだよ……」
カイは云うが、まぁ、ゾルタンの気持ちもわからぬではない。
「外メシってな、美味く感じるからな……」
場の雰囲気もこみで。
「俺も行く〜!」
ひっつき虫だ。
「……ゾルタン……」
アムロが、困ったような、自分も加担したいような、微妙な顔でこちらを見た。
「……子どもも入れるような店か?」
「飲み屋に毛の生えたようなもんですよ?」
子連れもいなかありませんがね、とタチは云う。
「よし、それなら今回だけ、おじさんが奢ってやろう」
「やった!!」
「え……いいの?」
「マジかよ……」
三者三様の表情を見せる子どもたちに、“但し”と続ける。
「家にはきちんと連絡を入れろ。料理を用意されてたら無駄になる。あと、俺の名前は出すなよ。面倒臭いことになる」
特にゾルタンとアムロは、デラーズに直結することになる。居場所が知れたら、ちょっとした騒動だ。
「うん!」
「わかった、タチさんのにするね」
「ちょっと!」
「あー、俺はアムロたちと一緒って云っときゃヘーキかな……」
それぞれが家に連絡を入れ、やがてすっきりしたような顔で戻ってきた。
「大丈夫!」
「行けるよ!」
「……ゴチになります」
「よし」
それでは、行くとするか。
タチを振り返ると、盛大な溜息が返ってきた。
件の店は、本当に場末の、元々のアレ的に云えばチェーンでない居酒屋、しかも中年以上の男しかいない店、と云うものだった。給仕の女たちも年増以上で、つまり色気の欠片もない。コップ酒で職場の愚痴やら、世情のあれこれやら、管を巻く輩の多い、なるほど、こちらの希望に沿うような店だ。
料理も洒落たものはなく、ただ肉を焼いたようなのや煮こみもの、それからソーセージやチーズの盛り合わせやらミックスナッツやら、酒の肴やつまみになるようなものばかりである。
「おやま、坊やたち、悪い人に騙されてるんじゃないだろうね?」
出迎えてくれた女将らしき老女は、ユーモアたっぷりに片目を閉じたが、子どもたちは元気にそれを否定した。
「大丈夫! 美味しいご飯食べさせてもらうんだ!」
「一応、保護者です」
「……まぁ、身元は怪しくはねぇよな……」
カイだけは、やや尻すぼみな声だったが。
女将は、明るく笑った。
「そんなら良いよ。おいで、この人数なら、大きなテーブルが良いだろ」
そう云って、壁際のテーブルを寄せて、場所を作ってくれた。なるほど、こう云う女将のいる店なら、立地の割に宜しからぬことはないのだろう。
「……期待して良さそうだな」
料理の方も。
飲みものと、かるく揚げものやら盛り合わせやらを注文すると、女将は、恰幅の良い身体を揺らして去っていった。
「私としては、あなたがどうしてこんなところの風をご存知だか、お聞きしたいところですがね」
「どうもこうも、学生の時には、こう云うところを使うだろう」
「そんなものですかね……」
私は、高卒で兵学校に入って、その後はラル様の下に配属されたので、よくわかりませんよ、と云う。
「そうか。俺は一応、上まで行ったからな――オヤジが、学長だったんでな」
どうも、そう云う話らしいのだ、『the ORIGIN』では。
「それで、ジオンのあれこれでいつの間にやらコッチの道に、ってことだ。学生闘争の延長だな」
「あぁ、連邦の連中とやり合ったんでしたっけね」
「あの頃のムンゾ政府は、連邦の傀儡みたいなモンだったからな……」
運ばれてきた酒で、喉を潤す。
と、
「……ありゃあ、政府が弱腰なんだ!」
突然、向こうのテーブルから怒声が上がった。
――酔っぱらいか。
それにしては、まだ宵の口もいいところだが。
「仕方ねぇだろ、連邦とまともにやり合えるわけがねぇ」
連れらしき男が、宥めと苦笑と半々な声で云っている。
見れば、どちらも白髪頭の老人だ。勤め人でないのなら、これくらいの時間に既に出来上がっていても仕方ないか。
「何だろうが、云うべきことは云うべきだ! それだから、ガルマ坊ちゃんの時にも、奴らの責任を有耶無耶にしたんだぞ!」
「まぁ、ジオンが生きていれば、もっと違ったんだろうがな」
「そうとも! ジオンは偉大だった! デギン・ザビでは話にねらん! ジオンの栄光を再び!」
「……いつの世も、ああ云うのは老人の科白なのだな」
自分の境遇を愚痴る代わりに、“世の中の理不尽”をくさし、それを代替行為にして鬱憤を晴らす――そのうち、その意見は右傾化、あるいは左傾化して、市民運動に身を投じたりすることになるのだろう。総じて、知的レヴェルが高めであれば左傾化し、そうでもなければ右傾化しがちなのは、“愛国心”に理論武装があまり要求されないからか。
「……市民には、上つ方の政治的駆け引きなんかは無縁ですからねぇ」
ぼそぼそ返すタチの横で、カイは少し鋭い目つきで、その老人たちを見ていた。
「――多いぜ、あぁ云うの」
やがて、ぽそりと云う。
「あぁ?」
「失業率、下がってるって、ニュースとかじゃやってるけどさ。それって若い奴らのことで、おっさんやジジイは雇い止めとかあるんだろ。大企業がムンゾの外に出てくようになって、金回りはよくなったけど、小さい子会社とか孫会社とかじゃ、外に仕事を取られたってとこもあるみたいだし……」
「まぁ、大企業が潤ったところで、一番末端まで回るのは、随分経ってからだからな」
しかも今回は、戦争がその先に待ち構えているのだし。
「それをどうにかすんのが、アンタの仕事じゃねぇのかよ」
「確かに、それも含まれる。が、直近の仕事は、それじゃねぇ」
戦争への備えだ。ムンゾが連邦に蹂躪されないための。
「なら、政治って、何のためにあるんだよ!」
カイが叫んだ。その掌が、激しくテーブルを叩く。
「……声を落とせ、ボウヤ」
そう云って、片肘をついて、ソーセージにフォークを突き立てる。そのまま噛みちぎると、少年の顔が歪んだ。
「……アンタも、そんな行儀の悪い食い方できんだな」
「名家の出ってわけじゃねぇからな」
少なくとも、“中身”の方は。
フォークを持ったままで、酒を呷る。晩餐の席では、絶対にできない食べ方だ。
ザビ家は、ジオン・ズム・ダイクンとともに台頭した一族であり、家としては、下層階級からではないにせよ、成り上がりもいいところだ。ザビ家を心良く思わぬもののうちには、それに反発するようなものも含まれているのだろう。
「話を戻すが、政治ってのは調整だ。軍は戦争をしてぇ、役所は金を使いたくねぇ、そう云う時に、落としどころを見つけるのが政治の仕事だ。挙句に、俺には経済はわからねぇ。何が一番の対策だかは、さっぱりわからねぇんだ」
「だけど……」
「それに、金回りだけ考えてりゃいい、ってモンでもねぇだろ。金回りが良くなっても、後でドンっと下がるんじゃ意味ねぇしな」
元々の、バブル期のことは憶えている。社会に出た時には、すっかりバブルが弾けた後だったが、その後の冷えこみようと云ったらなかった。例の“失われた二十年”と云う奴である。
いつの世も、経済だけはままならぬ。
「政治の仕事ってな、その辺の調整をすることだ。――だがまぁ、一番には、自国の国民の生命と財産、そして権利を守ることだな」
「……それ、守られてんのかよ」
「まぁ、テメェの利権を追っかけるので精一杯なヤツぁ多いな」
権力は腐敗するのだ。いつでも、どんな権力でも。
「はい、お待ち!」
会話の途切れたところで、タイミング良く女将が料理を運んでくる。
「わぁ……!」
ゾルタンの目が、きらきらと輝いた。
「ステーキだよ。坊やたちにも食べやすいように、コロコロに切ってあるからね」
「いいにおーい!」
焼けた肉とスパイスのにおいを、胸いっぱいに吸いこんだ子ども二人が、満面の笑みを浮かべた。
「しっかり食べて、大きくなるんだよ!」
この人みたいにね、と云って、女将はこちらの背中を強く叩いてきた。
「……ひでぇな」
「何云ってんだい、どう見てもふらふらしてる大人なんざ、多少手荒い扱いになったって仕方ないだろ」
初対面の人間に、よくもつけつけと云うものだ。
「俺は、こいつらの親父じゃねぇぞ」
「それならなお悪いね。駄目な大人の見本じゃないか。ほら、そっちのアンタもだよ!」
返す刀でタチを斬る。
「わ、私!?」
「そうさ! まわりの大人が、しっかり手本にならないとね! マルク、ジオ、アンタらもだよ!」
叫ばれて、跳ね上がったのは、先刻騒いでいたあの老人たちだった。
「ヒデェなエヴァ、俺たちゃ真面目な勤労老人だぞ!」
「そうだそうだ、仕事上がりの一杯に楽しみを見出してる、つましい年寄を虐めんなよ!」
「一杯じゃきかないだろ! 管巻いてばっかの、駄目な年寄じゃないかね!」
云い返して、女将はカイの頭をくしゃりと撫でた。
「アンタたちみたいな子どもらが、ムンゾの未来を作るんだからね! 愚痴ばっかりの大人なんぞにゃなるんじゃないよ」
「……ハイ」
カイは、おとなしく頷いた。
女将は、宜しいと云うように頷くと、また厨房の方へと戻っていった。
見れば、店内はいつの間にやら満員になっている。老若男女――いや、女はほとんどいないか――、様々な人びとが、てんでに喋り合っている。その表情は、酔いのためにかはしゃぐような風で、顔色もほんのりと赤く染まっている。愚痴をこぼすにしても、声高に云うでもなく、どちらかと云えば、職場の人間関係やら何やら、口角泡を飛ばす様子もない。
「……中々、生の不満を聞くってのは難しいな」
自分がかつてそうであったように、政治や社会に対する不満と云うのは、ニュースや新聞など、メディアの報道を見ながら云うことが多いのだろうか。メディアの政権支持率などは、どうとでも作れるのはわかっている――デギン・ソド・ザビが、そう云う方面に権力を用いているとは思いたくないが――ので、実際の声を聞きたかったのだが、どうやら失敗のようだ。
「やっぱり、お前にかかってるな」
と云いながら、カイの頭を撫でると、片目を眇められた。
「俺が、何?」
「お前みたいな人間がいないと、上の方の連中には、下々の状況はわからねぇってことさ」
メディアの役割は、もちろん、政治や経済のトップたちの動向を人びとに知らせ、不利益がありそうであればそれを喧伝し、不正があれば告発することだ。だが逆に、下々の暮らしの実態を、上の方にいる人間たちに知らしめる役割もあるのだと思う。
例えば、貧困家庭の現状だとか、研究費を削られた学者の苦境だとか。企業の内部告発から、腐敗や汚職の実態を炙り出すのも、ジャーナリズムなしには成立し得ないだろう。
もちろん、国家機密などをすっぱ抜かれるのは困る――国家間の密約などは、ものによっては両国の友好関係に罅を入れることもあり得る――が、しかし、適度に風を入れなくては澱んでいくのは、どの世界でも同じことだ。
「――俺、役に立ってんの?」
小さく問われたその言葉に、灰色の髪をかき混ぜる。
「あぁ、立ってるな。俺の耳にゃ、失業率以外の景気の悪い話なんざ入ってきやしねぇ。お前の聞いてきたことが、俺のこの先の行動指針になるってことだ」
あるいは、すべきでないことの指針になることも。
カイは、考え深げに首を傾げ、云った。
「……俺、アンタに云われてから、ずっと考えてるんだ。俺、意外とこう云うの好きだ――いろんなものを見て、いろんな人の云うことを聞いてさ。……記者とかになろうかな、って」
「いいじゃねぇか」
フリージャーナリスト、カイ・シデンの誕生、と云うわけだ。
「……フェデレーション・ポストとかに入っちまうかもよ?」
「構わねぇよ」
フェデレーション・ポストは、連邦系の新聞社である。
「ジャーナリズムの本懐は、権力に対する監視だろ。別に、連邦の会社じゃなくても政権批判はできるし、連邦寄りの記事だって書ける」
「……あぁ」
「要は、お前の軸がしっかりしてるかどうかだ。上役から、記事の内容を咎められて、それでも修正を拒んだりできるか。あるいは、安定した経済基盤を失っても、伝えるべきことを書き続けることができるか」
「忖度を要求されることは、部署によってはあり得ますからね」
タチも、口を挟んでくる。
「……まさか、お前はそんなことしてねぇだろうな?」
思わず問うと、慌てたように首を振られた。
「私の位置で忖度してどうします! 都合の良くない報告も全部上げろとおっしゃるのは、一体どこのどなたですか!」
「直属の上司だろ」
つまりは自分だ。
“昔”の部下――しかも、諜報部――が、情報を寝かせて上げてこないことがままあったので、こればかりは厳しく云ってある。“ある程度育ててから上げようと思った”などと云われたが、人材育成ではあるまいし、とにかく報告してくれば良かったのだ。こちらは半分は娯楽のような気分――聞いて即どうこう云うわけでもなく、単に知りたいだけ――だったので、それを阻害されるのが厭だったと云うのもある。それに、単なるゴシップが、政界を炎上させる大事件に発展することもある。とにかく、こう云う仕事は、情報が大事なのだ。
「まぁ、忖度がなくて結構なこった。――ともかく、そう云うことだ」
「……アンタは」
「あ?」
「アンタは、ホントは何がしたいんだ?」
少年のまなざしが、まっすぐにこちらを見た。
「何、何ねェ……まぁ、大きく云やぁ、世界を変えたいんだ」
1stと『the ORIGIN』の、ザビ家が世界を敵に回すような流れではなく、さりとて連邦にスペースノイドが搾取され続けることもない世界に。
「世界を変える?」
「デカい話だろ」
ある意味では、ジオン・ズム・ダイクンの正当な後継のようでもあるが、しかし、ジオンや“ギレン・ザビ”のような選民思想は好まないので、まったく異なる立ち位置だとも云える。
「そうだな……だから、もしもお前が新聞記者にでも何でもなって、俺がきちんと世界を変えられてたら――その時には、インタビュー記事のひとつでも書いてくれよ」
それは、最高に楽しい話ではないか。
カイは、ぽかんと口を開け。
やがて、きりっと唇を締め、こちらをじっと見つめてきた。
「……言質取ったぜ」
「あぁ、待ってるさ」
そう云って片手を上げると、カイも同じように手を上げた。
拳どうしがごちんとぶつかる。
「約束だ」
「あぁ」
頷きが返る。
少年の中には、既にジャーナリストの魂が宿っていて。
それを自分が導いたことに、若干の満足を感じながら、薄くなった酒を、祝杯とばかりに呑み干した。