馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、よもやこれほどの馬鹿だとは思わなかった。例の“馬鹿手議員”ども、そしてジンバ・ラルのことである。
かれらが人質をとってムンゾ大学を占拠したと云う報に、議場は騒然とし、事実確認の必要があるとして、その日の議会は休止になった。
控室に戻ると、マツナガ議員が後ろをついてきた。
「ご自身の部屋に戻られないのですか」
思わず問うと、にやりと笑い返された。
「貴殿の傍にいた方が、情報が入りそうですからな」
と云うが、こちらもTVを確認することくらいしか、できることはない――今は。
控室のTVをつけると、ワイドショーなのかどうか、レポーターがカメラの前で状況説明を述べていた。その背後には時計塔がある。キャスバルが生まれた、あの時計塔だ。
〈……犯行グループは、“ムンゾ革命派”を名乗り、デギン・ソド・ザビ首相の退陣、並びにザビ家の要職からの引退を要求しており、……〉
男性レポーターが、手許のメモに目を落としながら読み上げた情報は、やはりと云うべきか、あるいは頭を抱えるべきかわからぬようなものだった。
「ほぉ」
マツナガ議員が、目を見開いた。
「何か云われておりますな、ギレン殿」
「――ジンバ・ラルらしい」
「あの御仁が首謀者ですかな」
「の、うちの一人ではありましょうな」
と、ぱっと画面が切り替わった。
望遠レンズで撮影しているのか、シャア(本人)と、それを取り押さえる“馬鹿手議員”たち、そして、シャアに取りすがるようにしているジンバ・ラル、と云う構図だ。
「――頭が痛い……」
これだけ大々的に顔を晒すような真似をして、本当に成功するとでも考えているのならば、大概なおめでたさだ。
「ほぅほぅ、ばっちり顔が出ておりますなぁ」
マツナガ議員は、面白がる風だ。
「笑いごとではありません、これは、議会としても大問題だ」
現役の議員が、人質をとって大学占拠とは、弾劾決議ものの大事件だ。今は休止と云うことになっているが、再開され次第、あの馬鹿ものどもは訴追され、議員辞職勧告が出されるか、あるいは除名処分となって馘を切られるか、どちらにしても議員の立場を失うことになるだろう。
画面で確認したところでは、この騒動に参加したのは十人ほど、かれらが議員資格を失えば、それに伴って補欠選挙なども必要になってくる。その費用の捻出も、突っこんでくる市民団体などがあるだろう。
まぁそもそも、あのような議員を選出した選挙区とその支持基盤、加わっていた党派やそれに動員された有権者に対する批難にも繋がるだろうから、様々な意味でめちゃくちゃである。戦争が近いと云う空気は、こんなにも人を愚かにするものなのか。
「まぁ、馬鹿な考えを持つ輩が一掃されるのは、良いことではござらんか」
マツナガ議員は笑うが、それで済む話ではない。
「事後処理を思うと、頭が痛いですよ……」
そもそも、今の騒動に参加した“馬鹿手議員”は、中の一部であり、半分以上は議会内に留まっているのだ。反ザビ家にしろ反連邦過激派にしろ、一掃されたわけでは決してない。もちろん、暴発する連中がいなくなること自体は、ありがたくはあったのだけれど。
「だが、今回ザビ家は被害者のようなものでしょう。連中の監督責任は、敢えて云えば所属する党派の長が問われるのであって、貴殿らに及ぶとは思われませんな」
それは、確かにそうなのだが。
「……これで、反ザビ家の勢力が地に潜るとなると、それはそれで厄介なのですがね」
「表に出ていたから良い、と云うわけでもありますまい。――気になるのは、ダルシア・バハロの身の振り方ですが」
「あぁ……」
ダルシア・バハロ。そう、あの男は、今回の騒動に加担してはいなかったのか。
――まぁ、そうだろうな。
あの慎重居士が、こんな暴発に手を貸すはずもない。
大方、今回のことについても、諫言はしたのだろうとは思う。が、それで聞くような輩でもない、どころか、中で反発を受け、浮き上がってしまった可能性もある。
「さて、かれはどう出ますでしょうな」
「案外、貴殿のもとに入ろうとするかも知れませんぞ」
「あのダルシアが?」
確かに、あの男は慎重で、かつ計算高い。だが、早々に鞍替えなどして、尻の軽い様を見せたりするだろうか――デメリットの方が多いと云うのに?
そう云うと、マツナガ議員は肩をすくめた。
「ですが、連中は、あれだけのことをしでかしたわけですからな。まだ一掃されたわけではないとは云え、“ともにやれると思えなくなった”と云えば、云い訳は立つでしょう。それで、後悔している顔でも作っておけば、貴殿はともかく、まわりは納得するでしょうからな」
「しますかな」
「するでしょう。私も、まぁ気持ちはわからぬでもないとは思いますな」
「……なるほど」
まぁ確かに、大学占拠は、ほとんどの人間にとっては想定外か。
「手土産がないのは、当人としては忸怩たるものがあるでしょうが、尾羽打ち枯らした体であれば、邪険にもされるまいと思いましょうからな」
「……確かに」
まぁ、そう云う体であれば、そこまで邪険にしようとは思わない――信用は、決してしないだろうが。
と、そこで通信が入った。タチ・オハラからである。
〈……閣下、確認が取れました。と云って、おそらくはご覧のとおりかと思われますが。――首謀者はジンバ・ラル、そして――〉
読み上げられた名前は、大体把握していたとおりのものだった。
「頭が痛い……」
顳顬を揉むが、それでどうなると云うものではもちろんない。
しかも案の定、加担したのは下っ端ばかりで、本当の首魁は議会内に留まったままだ。その男の賢しげな笑いを、今さっき議場で見たばかりである。まぁ、事件の一報がもたらされた時には、流石に驚愕を隠し切れなかったようではあるが。
マツナガ議員は、片目を瞑った。
「まぁまぁ、彼奴らの勢力も半減したでしょうからな、そう云う意味では良かったのではござらんかな?」
「前向きなお考えですな……」
「ものは考えようと云うことです」
「私には、今は無理です」
この後のことを考えると。
もちろん、やらかした連中は、弾劾決議やら議員辞職勧告やらでいなくなるだろうが、それにかこつけて、“父”やザビ家の不手際を論う輩が出てくるのはわかっているのだ。その手合の処理のことを思うと、頭が痛いどころの話ではなくなる。政敵が、ちょっとした落度も見逃さないのはわかった話だが、流石に、これでこちらの責任を問われるのは、たまらないとしか云いようがない。
ふと思いついて、タチに問う。
「――シャアにつけていた護衛は、どうなった」
軍関係ではなかったが、それでも、元警察官のSPをつけていたはずなのだが。
〈えぇ……議員たちから接触してきたので、少々油断していたらしく……〉
と云ってから、慌てたように、
〈あっ、馘は勘弁してやってくださいよ! まさか、護衛をつけてやってきた議員たちが、拉致事件を起こすとは思わないでしょう!〉
「……減俸だ」
流石に、まったく咎めなし、と云うわけにはいかない。馘にしたい気持ちがないとは云わないが。
〈――よくよく申し聞かせておきます〉
「それで、今はどうしているのだ」
〈今は、議員たちと御老体の隙を伺っているところです〉
「では、警察などと連携して、早期に取り押さえるようにと伝えておけ」
〈了解致しました〉
通信が切れる。
それと同時に、深い溜息がこぼれ落ちた。まったく、碌なことがない。
「どうも、ご苦労が多いようだ」
マツナガ議員が、にやにやしながら云う。
“帰って戴けませんか”と云いたくなるのを、すんでのところでぐっと呑み下す。マツナガ議員は、新興の“名家”ではなく、正真正銘の名門の出である。つまりは、上流階級に血縁も伝手も多い。迂闊なことを云えば、そちらをまるごと敵に回すことにもなりかねない。
「突出し過ぎると叩かれると云う、見本のようなものですな」
「ザビ家は皆様優秀であられますからなぁ」
とぼけたように云う。
「飛び抜けて優秀かはわかりませんが。新興故に、あまり良く思われぬのでしょうな」
それから、他家とあまり繋がりがないので、地位や権力を囲いこんでいると思われている可能性もある。まぁ、専らこれはギレン・ザビのせいだろうが――せっかく、妻を娶って繋がりを作ったのに、すぐに出ていかれたでは、悪い噂しか立ちようがない。
「まぁ、ザビ家はダイクン家との繋がりは強いが、他家とは距離をおいていると思われているようですからな」
「決して、そう云うことではないのですが……」
「早く再婚なされば良かったのですよ。そうすれば、まわりは安心したでしょうに」
「縁故でこちらを縛れる、と云うことですか」
「名家であるとは、そう云うことでしょう」
マツナガ議員の云うことはわかる、わかるけれど、
「私には向かんのです……!」
何だって、ガンダム世界に来てまで、結婚問題に悩まされなくてはならないのか!
マツナガ議員は、はははと笑った。
「今からでも遅くはありませんぞ。――まぁ、今の事態を解決するには足りませぬがな」
「今欲しいのは、まさしくその、この事態の解決策ですよ……」
がっくりするしかないではないか。
「まぁそこは、警察などに頑張ってもらうしかないでしょうなぁ」
と云うのには、そうだろうなと頷く。軍人は、こう云う時には意外に役に立たないものだ。
「残念ながら、こちらでつけた護衛は、職務を果たせなかったようですからな」
「まぁ、SPなどと云うものは、暴漢には対応できても、警護対象になり得るものに対しては、やや甘くなるところはありますからなぁ」
まぁ、そこは仕方ない。だから、馘ではなく減俸で済ませてやろうと云うのだ。
と、もう一度通信が入った。またタチである。
「どうした」
と問うと、タチは、慌てた風で、
〈閣下、ガルマ様が……〉
「“ガルマ”がどうした」
〈えぇと、ムンゾ大学内の情報提供者から、情報を流してこられまして……〉
「何をやっているのだ、あれは」
士官学校とは云え、曲がりなりにも学生であるからには、その本分は学問であるのだろうに。
〈えー、どうも、この事件をお聞きになって、後輩たちに加勢を求められたようでして……〉
人望がおありなのでしょう、みるみる情報が集まったと云うことのようです、と云う。
「それならば、その情報は、警察に流してやるが良い。私がどうにかできるわけではない」
〈は――それと、どうもこの事件、まだ裏があるようだとガルマ様が〉
「……本当に、あれは何をやっているのだ」
確かに、そう云うことも得意なのは知っているが、“ガルマ・ザビ”に求められているのは、そう云う技能ではあるまいに。
「優秀な弟御だ」
マツナガ議員は笑うが、自分の息子がこんなことをしたなら、同じ科白が吐けるものか。
〈ともかく、その情報に関しては、後ほど送らせて戴きます〉
「わかった。とりあえず、学内の情報については、警察へ流せ。出元はどうとでも云えば良い。それこそ、“ガルマ・ザビ”とでもな」
〈はっ〉
ここで、あまりザビ家が動いても、後でまた何やかやと云う輩が出てくるものだ。もちろん、動かなくとも云われる。そう云う意味では、“ガルマ”からの情報提供くらいで、あとは警察に任せるのが正しいのではないかと思う。よほどの事件――それこそクーデターなど――でない限り、軍を動かすのは、ザビ家による軍の私物化などと云われるのが目に見えている。
あとは、警察が巧くやってくれるよう、祈るばかりだ。
面白がるようなまなざしをよこすマツナガ議員を無視して、TVの画面を注視することにした。
さて、こちらは議場の控室にいたので、ここからはすべて伝聞である。
シャア・アズナブルが、ジンバ・ラルと馬鹿手議員たちに拉致されたのは、次の講義の教室へ移動する最中のことだった。
ザビ家の居候的な立場であり、キャスバルの影武者でもあるシャアには、いつも護衛がついており、そんな若者を、同級生たち――と云っても、いずれもシャアより三年ばかり年長である――は遠巻きにしているような状態だった。
シャアを可愛がっているキシリアは、それを気にかけていたようだったが、当の本人は、あまり気にしてはいなかったようだ。早い進級で、勉学に励まないと落ちこぼれそうだったこともあったし、友人としては、腐れ縁のリノ・フェルナンデスや、“ガルマ”やキャスバルがいたせいでもあるだろう。
とにかく、割合ひとりで行動することが多かったので、この日もやはり、ひとりで次の講義へと向かっているところだった。もちろん、護衛は少し離れたところからついてきてはいたが。
そこに、
「……シャア・アズナブルとは、君のことかな」
近づいてきたのは、スーツに身を包んだ男たちの一群だった。うち幾人かの眼は、かなり鋭い――SPか、とシャアは思ったそうだ。
「そうですが、あなた方は」
シャア本人よりも、ややキャスバル寄りの態度を作って、そう答えると、何となく厭な気配が返ってきた。
思わず身を引こうとするが、既に片腕を取られた後だったと云う。
「ちょっとつき合ってもらえるかな、“シャア・アズナブル”くん」
しまった、と思った時にはもう遅く、SPらしき男たちに囲まれ、護衛とも引き離されてしまった。
そのまま、あれよあれよと云う間に、大学正面の教室棟に連れこまれてしまう。
「あ……あなたたちは誰なんだ! 僕に一体何の用なんです!」
怒鳴りつけるも返答はなく、引きずりこまれた先にいたのは、
「おぉ……キャスバル様!!」
ジンバ・ラルだったと云うことらしい。
シャアは、もちろんジンバ・ラルが何者で、どのような考えの持ち主であるかは知っていたが、何分このようなシチュエーションで顔を合わせるのは想定外である。
そのまま“シャアを名乗るキャスバル”を演じるか、あるいはあくまでも“テキサスコロニーのシャア・アズナブル”であると主張するかを迷っている隙に、老人に、もの凄い力で拘束されたのだ――否、ジンバ・ラル本人は、抱擁のつもりだったのだろうが。
「キャスバル様、お迎えに参りましたぞ! 忌々しいザビ家などに捕われず、今こそキャスバル様が! このムンゾの先頭にお立ちになるのです!」
「え……」
「幸い、この方々が、キャスバル様を旗頭にとお申し出下さいました。さ、この爺とともに、新しいムンゾの夜明けを!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
キャスバルらしく振るまうべきかと考えていたシャアだったが、これには焦った。
「何の話ですか! 僕はシャア・アズナブルです、キャスバル・レム・ダイクンではありませんよ!」
慌てて云う。替え玉は引き受けたが、それはあくまでもキャスバルが士官学校に入るためであって、それ以外の影武者になる気はそもそもなかったからだ。
「キャスバル・レム・ダイクンは、ガルマ・ザビと一緒におります。あなたなら、よくご存知でしょうに!」
「いいや、あなたこそキャスバル様だ!」
ジンバ・ラルは譲らなかった。
「キャスバル様が、ザビ家のものなどとともにあろうはずはない。――キャスバル様、どうぞ爺とともに参りましょう。そして、今度こそザビ家を打倒し、ジオン・ズム・ダイクンの遺志を継ぐ、新たなムンゾを!」
「冗談じゃない!!」
キャスバルらしい顔をかなぐり捨てて、シャアは叫んだ。
「キャスバルにしても僕にしても、ザビ家にはお世話になってるんだ――その恩を、仇で返すようなこと!」
「それはまやかしなのですぞ、キャスバル様!」
「僕はキャスバルじゃない!!」
シャアは叫んで、ジンバ・ラルを睨みつけた。
「あなたは、どこまで目を逸らしたら気が済むんですか! あなたの“キャスバル様”は、ここにはいない!」
「いいや、あなたこそがキャスバル様であるはずだ!」
その返答に、ジンバ・ラルは耄碌したに違いないと、シャアは思ったそうだ。
「ザビ家に慣れ親しむものが、キャスバル・レム・ダイクンであろうはずがない。あれはキャスバル様ではない、そうあってはならぬのだ!!」
必死の形相、にやつくような他のものたち――当然、例の“馬鹿手議員”どもである――は、それを止めようともしない。
何とはなしに、シャアは察したそうだ、この老人は、その妄念を、後ろについている連中に都合よく使われているのではないかと。
視線だけを周囲に走らせる。護衛とは、遠く引き離されている、が、あちこちに学生の姿はある。かれらが、かすかに頷いてよこすのを見て、シャアは確信したそうだ――“ガルマ”とキャスバルが動いてくれている、と。
そう思った途端、それまではどこか慌てたような、焦ったような気分だったのが、すっと何かが肚に落ちたように、落ちついたのだと云う。
「……あなた方は、僕に何をさせたいんですか」
キャスバル・レム・ダイクンのように落ちつき払った態度で、シャアは男たちに問いかけた。
と、ジンバ・ラルではなく、若い男たちがにやりと笑った。
「キャスバル・レム・ダイクンとしての君に頼みたい。ザビ家を、国政の第一線から退かせるよう、説得してもらえるか」
男たちが、本当にシャアのことをキャスバルだと信じていたのか、あるいはどちらでも良いから傀儡が欲しかったのか――そんなことは、その時のシャアにはわからなかった。
ただ、自分の返答によってはザビ家に、つまりはキシリアに害が及ぶと云うことが大事だった――そうであれば、選択の余地などあろうはずがなかった。
大丈夫だ、ガルマとキャスバルが動いてくれている、自分がただ見殺しにされることはない――それを確信できたからこそ、シャアは、傲然と頭をもたげ、主犯と思しき男をまっすぐに見つめた。そう、同じ状況に置かれたキャスバルがするだろうように。
「それはできない!」
「キャスバル様!」
ジンバ・ラルが、慄きながらも取りすがる。
「何故です! 何故おわかりにならぬのです! ザビ家など、お父上であるジオン・ズム・ダイクンを暗殺し、その後その地位までも簒奪した、憎んでも憎みきれない悪党どものはず――そのことを、何故おわかりにならぬのですか!!」
「それは、あなたの妄想でしかない!」
「そうだとしても、構わないのですよ」
若い男の方が、薄く笑って云った。
「われわれにとっては、“キャスバル・レム・ダイクン”がこちらについた、とアピールできることが大事なのでね。……ザビ家は、あまりにも突出し過ぎた――ここで少し叩いておかねば、われわれの将来が危ういので」
そうして、シャアの腕を掴み、強引に歩き出す。
「どこへ行くんだ」
問うても、返る答えはない。
だが、歩いているうちに、目的地はわかった。時計塔だ、ムンゾ大学の象徴、キャスバルがその中で生まれたと云うところ。
ジンバ・ラルにとっては、象徴的だろうな、とシャアは思った――キャスバル・レム・ダイクンが生まれたその場所で、今また新たな“キャスバル”を生み出そうと云うのだ。
時計塔は、キャスバルが生まれた日からまた動き出したと云うが、内部がめちゃくちゃなのは変わらない。内部の階段が崩れ落ちていて、構造部の鉄骨をかいくぐっていくしか上に上がることができないのだ。しかもそのルートは、小さな子ども以外には使えないので、もちろん一行が行き着けるのは、塔の下の階までである。
その一室に、シャアは押しこまれた。窓辺に連れていかれると、窓の外には大学の正門までが見渡せた。そこには、既に人だかりができている。様子を見ていた学生が、警察に通報でもしたのかも知れない。
「……ここで、何をさせようと云うんですか」
男たちを睨みつけると、どこに持っていたのか、銃口を向けられた。
「窓辺に立ちなさい。生命が惜しければ、そこから叫ぶのだ、ザビ家は簒奪者である、ムンゾの、ジオン・ズム・ダイクンの正当な後継は、自分、キャスバル・レム・ダイクンであると!」
「キャスバル様に銃を向けるな!」
ジンバ・ラルが叫んで暴れようとするが、男たちに取り押さえられてしまう。
哀れなひとだ、とシャアは思った。ジオンへの、ダイクン家への思いは本物なのだろうが、あまりにも、自身の思いこみに目を覆われ過ぎている。まともな人間であれば、この男たちの企図するところなど一目瞭然で、それこそ危うい橋など渡ろうとは思うまいに。
だが、もうことは起こってしまった。今、危うい橋のたもとにあるのは、シャア自身なのだ。
どうする、云うなりになるふりをするか、あるいは。
「お、見ろ、カメラが来てる。TV局かな」
と、外を窺っていた男のひとりが、正門の外を眺めやって顎をしゃくった。
「いいな、お誂え向きだ」
「運命はわれわれに味方しているようだな」
云われて目をやれば、警備員に制止されているが、カメラを担いだ男たちが数名と、その数に見合ったレポーターらしき男女が数名、門外で押し合いへし合いしている。それから――いつ入りこんだのか知らないが、この棟の下にも一組。こちらは、そもそも中にいたようだ。大学に関するドキュメンタリーでも撮りにきていたのだろうか。
ともあれ、チャンスだとシャアは思った。
これで、もし男たちの意志に背くようなことを口にして、それで撃たれることになったとしても、カメラがその事実を伝えてくれる。シャアの無実と男たちの犯罪を、即座にメディアがムンゾ中に流してくれるのだ。
それならば、危険を冒してみる価値はある。
「さぁ、“キャスバル様”、そこに立って、そして叫びなさい、ザビ家の専横と、新たなムンゾ共和国の誕生を!」
そうして、窓際ぎりぎりまで押し出され、外を見る。
先刻よりもさらに増えた、野次馬とカメラとレポーターたち。
それに向かって、何を叫ぶか。
これしかない、と思って、シャアは口を開いた。
「――僕、シャア・アズナブルは、キシリア・ザビを愛している!!」
それが響き渡った次の瞬間、自分の執務室で事態を見守っていたキシリアは、茹で蛸のように真っ赤になったのだそうだ。
「なかなかやりますな!」
ともにTVを見ていたマツナガ議員は、手を叩いて大喜びした。
「この若者、まだ正式にキシリア殿と婚約されたわけではないのでしょう? これで、一気に話が進むのでしょうな!」
「もう、それなりには進んでいるのですがね……」
世界の中心ならぬ、ムンゾ大学の中心で愛を叫ぶ、かよ――胸中でぼやきながらも、そう返す。次は、“僕は死にません!!”とでも叫び出しそうだ。
画面の中では、シャアと男たちが揉み合って、そこにジンバ・ラルが入って大混乱になっている。まぁ、いろいろとあてが外れただろうからさもありなんだが、それにしても、見苦しいことこの上ない。
と、男の持つ銃が、あらぬ方に向いたかと思うと、銃声がひとつ響きわたり――次の瞬間、どうやら“突入部隊”が室内に雪崩こんだようだった。と云っても、警察のではない。私服の若者たち、多分“ガルマ”たちの息のかかった在校生たち――いや待て、老人も幾人かある、あれは教授たちなのか?――が、警察よりも先に勝利を収めたと云うことのようだ。
「……“ガルマ”の差配だな」
それから、ともにあるはずのキャスバルの。
「なかなかいいコンビではありませんか」
「……まぁ、こう云う時には、そうですな……」
これが余計な時にも発揮されるコンビネーションなので、全面的に是とは云えないのだが。
と、逮捕劇の混乱を遠く映し出す画面から、レポーターらしき声が聞こえた。
〈馴れ初めはなんですか―――ッ!?〉
カメラは、シャアのアップに変わっている。
シャアは、恥かしそうに頬を染めた。
〈ええと。初めて会ったのはテキサス・コロニーでした。僕の出身です。彼女はガルマを心配して様子を見にきていて……〉
「……何だこれは」
思わず呟く。
何だこれは、立て籠もり事件の取材だったのではないのか。何故いきなり、ワイドショーのゴシップ取材のようなことになっているのだ。
マツナガ議員は、隣りで笑い転げている。まぁ気持ちはわかるが、ソファが壊れそうだからおとなしくしてほしい。
質問は続いている。
〈キシリア女史は、氷鉄の女傑とも呼ばれて苛烈な印象が強いですが、どんなところに惹かれましたか?〉
〈そんな! それは彼女の内面を皆が知らないからです! キシリアがガルマからの手紙を、どんなに優しい顔で読んでるのか、愛馬に颯爽と跨って、どんなに愉しそうに笑うのか知らないから……本当は、とても優しい女性なんです〉
――何だ、この羞恥プレイ。
キシリアは、これを聞いて悶絶しているのだろうなと思う。
ザビ家内では、“ガルマ”を除いて、この二人はつき合っていると云う認識だったが、特に世間的に知らしめたわけでもない。
当然、キシリアの配下のものたちも、ごく一部を除いては知らぬことであっただろうから、“氷の女”と呼ばれる上司における、まさかの惚気話に、驚愕していることだろう。そして、“氷の女”が、まさかの歳下の男に甘いただの女であったと知らされて、上司を見る目が変わるだろう。
この後のキシリアのことを思うと、気の毒やら笑いがこぼれるやら――まぁ、この瞬間だけは、“馬鹿手議員”どもから皆の意識が逸れているので、そこは感謝してやっても良いな、と思う。にやついたまま帰宅すれば、平手か拳が飛んできそうではあるが。
と、画面から、耳慣れた声が飛んできた。
〈シャア! シャア・アズナブル!! 姉様と仲良くするなら、僕の成績を抜いてからって云っただろ!!〉
「……お」
「これは、ガルマ殿ですな」
どうやら、誰かの携帯端末を通して叫んでいるようだ。“ガルマ”らしいと云えば“ガルマ”らしい。これも、後々シスコンと云われるのだろう。
シャアは、声の方に顔を向け、弾けるような笑顔になった。
〈ガルマ! 助けてくれるって信じてた!!〉
〈……君を助けたのは、大学の皆だよ。それから護衛と警察の皆さん。ちゃんとお礼を云いなよね〉
〈もちろんさ! だけど、助けを差し向けてくれたのは君たちだろ? ガルマ、それからキャスバル〉
悪意の一切ない笑顔、これは“ガルマ”の負けだ。
〈……君は友達だし〉
悔しそうな声。
と、そこに、
〈無事で良かった。シャア、君に何かあればガルマが泣くぞ〉
キャスバルの、少し意地の悪い声が被さった。まわりから笑い声が上がる。
〈キャスバル!!〉
“ガルマ”がまた喚く。が、まぁ、これは“ガルマ”には分が悪い。そもそも、冷静さを失っている――他人の携帯端末で怒鳴りこんでいる段で、明らかなことだ――時点で、勝てる見こみなどないわけだが。
そして、“ガルマ”が介入した携帯端末は、どうやら大学時代の恩師のものだったらしい。
咳払いをひとつした老教授は、少しばかり皮肉げな声で、切り出した。
〈さて、ガルマ君。私の声は聞こえているかね?〉
〈はい。……〉
法契約あたりが専門らしい老教授は、先刻の“ガルマ”の、シャアに対する科白にもの云いをつけているようだ。さしもの“ガルマ”も、恩師にはたじたじの様子である。否、この老教授の方が、“ガルマ”よりも老獪だと云うことなのかも知れない。
〈祝福してやりなさい。彼は条件を満たしたと言える。……君もそれを期待していたんだろう?〉
画面の中、その老教授が云っている。
〈〜〜っ、姉様の好きな花はアマリリスだから!〉
叫ぶ“ガルマ”は、観念したのか、あるいは被った猫のせいで、これ以上喚き散らせなかったのか。まぁ、後者なのだろうと思う。
そこに、シャアの感極まったような声が響いた。
〈ありがとう、ガルマ! プロポーズが成功するように祈っててくれ!!〉
なるほど、善良な鈍感力は大事なのだな、と思う。“ガルマ”は二の句も次げないようだ。
キシリアにとっては、シャアのこう云うところが安心できるのだろう。謀略ばかりの人生の、一服の清涼剤と云うわけだ。
しかしこうなると、“父”も、キシリアとシャアの婚約を前向きに進めなくてはならないだろう。まさか、キシリアや、ましてやシャアの計算尽くのことではあるまいが、これだけ喧伝されてしまえば、大衆の期待も出てくるはずだからだ。若いカップルを祝福しないものは、恋敵を除いてはなさそうでもあるし。
「――しかし、見事にいろいろ吹っ飛びましたな」
マツナガ議員が、目許を拭いながら――笑い過ぎだ――云った。
「まぁ、あのシャアのことなので、深い考えや、謀略があってのことではないでしょうがね」
もちろん、キシリアやザビ家の不利にならぬようにと頭を絞った結果ではあるのだろうが――まさか、居合わせたTVクルーがあんな質問を投げかけてくるなどと、“ガルマ”にだって想像はできなかったはずだ。
「いやいや、なかなかの配慮ですぞ。犯人たちの云わせたかっただろうこととは無関係で、かつ連中の度肝も抜いた」
流石、ザビ家の婿になろうかと云う若者だ、と云うが、シャアがそこまで深慮遠謀に長けた人物かと云うと、少々ではなく怪しい気はする。もちろん、元の時間軸に較べれば、迂闊なところは減ってはいるのだろうが。
それはともかくとしても、
「……これで、世間の目は逸らされましたから、議員たちの処分は、外野の声に邪魔されずに済みそうですな」
ザビ家の専横がどうの、ダイクンの後継がどうのと云う話は、正直、大きく取り上げられたい話ではない。
シャアとキシリアの恋物語(!)に世間が耳目を取られているうちに、さっさと処分を決めてしまいたい。拉致監禁やら脅迫未遂やら、罪状はたんまりとある。連中を、当分娑婆に出てこられないようにすることも、難しくはないのだ。
とは云え、過重な処分を下すことになれば、ぞろまたこちらを叩こうとする輩は出てくるだろう。そのあたりはきちんとして、国政の舵取りをするものとして、公正に振るまわねばならぬ。
「デギン閣下とギレン殿ならば、間違いはありますまいよ」
マツナガ議員は、なおもにやにやとして云った。
「さて、どうでしょうかな」
結局、どんな処分を下すとしても、文句を云う輩はあるのだ。
もちろん、“馬鹿手議員”どもはきちんと処分されることになるだろうが、その過程において、かれらの云い分を聞くことになるだろうから、それこそザビ家の専横がどうのと云う話も持ち出されてくることになるはずである。もちろん、所属会派の責任も云々されるだろうけれど。
「ザビ家は、このような些事に足を取られることはない、そうではありませんかな」
と云うが、それこそ買い被り過ぎている。原作の一年戦争終盤の醜態を見ればわかる、ザビ家には、一家で団結すると云う意識も薄い。今協力しているように思われるのは、あくまでも敵がはっきりしているからでしかない。まぁ、多少はこちらの調停力もあるのだろうけれど。
「まぁ、敵が外にあるうちには、そうでしょうな」
そうでなくなった時こそが問題なのだ。
「そうですかな? ギレン殿、そしてガルマ殿を中心に、ザビ家の結束は高いのだとは、皆の一致する意見だと思いますが」
「……そう、あらまほしいものです」
願ったとて、そのようになるとは限らない――ひとの心の中は、他の誰にも覗くことはできないのだから。
「慎重派ですな」
「さて、ダルシア・バハロほどではありますまいよ」
「確かに。――とは云え、あの慎重居士も、今回ばかりは選択を誤りましたな。さて、この後どうするつもりやら」
「そのまま連中とつるみ続けるか、穏健派に鞍替えするか――あるいは、こちらに摺り寄ってくるか」
どのルートになったところで、注意が必要な男には違いない。その動向を、まめに注意していかなくては。
「まぁ、どうなろうとも、それなりに対応するだけのことですが」
当座の邪魔は排除できそうだが、真の敵――地球連邦とやり合うのに障害となるならば、そちらも退けなくてはならぬ。
ただでさえ、穏健派――と云う名の親連邦派――とも対峙せねばならぬのだ、やり合う相手は少ない方が良い。と云って、親ザビ家ばかりでも、見えぬ反対勢力を増大させるばかりだ。バランスは、巧く取ってやらねばならぬ。
「私も、微力ながらお手伝い致そう」
マツナガ議員の言葉に、思わずまじまじとその顔を見る。
「……正気で云われる?」
正真正銘の名門出身であるマツナガ議員が、今さらザビ家に肩入れするメリットなどあるまいに。
「何、貴殿の傍にいれば、いろいろと面白そうだと思いましてな」
「面白そうだけで宜しいのですか」
「面白くなくては人生ではない、そうではありませんかな」
そう云って笑う、その顔は、確かにあのシン・マツナガの父親であるのだと思うようなものだった。
――なるほど、血統か。
危ない橋を渡りたくなるのは、息子だけではなかったようだ。
「……本当に、宜しいのですな?」
念押しするが、マツナガ議員は笑顔のままだった。
「男に二言はござらんよ」
その目には、一点の曇りも見られなかった。
本当に本気か、それならば。
「……それでは、宜しくお願い致します」
「あぁ、お任せあれ」
差し出した手を、がっしりとした掌に握り返される。
その横で、
〈みんな、ありがとう!!!〉
やけっぱち気味にも聞こえる“ガルマ”の声が響き、満面の笑みを湛えたシャアが画面の中央に映し出されていた。