帰宅すると、見慣れぬ顔に出くわした。
「これは、ギレン殿」
と云う男の年齢は、多分こちらより幾分上、声をかけてくると云うことは、それなりの地位にある人物だろう――原作では、まったく見た憶えのない顔であるが。
口髭を蓄えた壮年の男で、ランバ・ラルをもう少しスマートにしたような風貌である。軍服を身に着けていないので、議会か内閣の関係者だろうが、記憶にある原作――1stや『the ORIGIN』、Zや『逆シャア』――では見た記憶がない。
さて、この男は誰なのか。
と、
「これは、マハラジャ・カーン様」
後ろにいたデラーズが、そう云って慇懃に頭を下げたようだった。
――なるほど、これがハマーン・カーンの父親か。
そう云えば、議会などで、“父”の側近くにいたのを見たような気もしないでもない。
「ご無沙汰しております。今日は、“父”の用事で?」
「さようです」
男は頷いた。
「軍や外交に関しては、ギレン殿やドズル殿がおられる故に安泰だと、閣下はおっしゃられております。ご自身は、内政の安定に徹するおつもりのご様子」
「“父”あればこそ、我らもあれこれと講ずることができます。今後とも、“父”の片腕として、宜しくお願い致します」
「もちろんのこと」
とマハラジャ・カーンは云うが、さてこの男、どれほどの野望を胸に秘めているのだろうか。
――悪い癖だとは思うのだが。
それでも、考えてしまうのだ。次女がネオ・ジオンを率いて連邦と戦い得るほどの勢力を持った男が、首相の補佐などと云う立場で満足していたのかと。
一年戦争後、この男はミネバ・ラオ・ザビを擁し、ネオ・ジオンの基礎を作ったわけだが、その心の裡に、わずかにでも“ジオン公国”を己の手に、と云う意識がありはしなかったのか? 当時のミネバはわずかに二歳、それを推戴すれば、ジオン残党を統括し、自分が新たな“ジオン公国”の主ともなり得る――“ネオ・ジオン”とは、そのような命名ではないか――と、まったく考えもしなかったと云い得るのか。
ましてこの男は、長女――マレーネと云うらしい――をドズルに近づけ、次には“シャア・アズナブル”にハマーン・カーンを近づけたのだ。そのやり口は、それこそ閨閥政治を目指すもののそれではないか。
男の顔を見つめると、相手はにこりと笑いかけてきた。
「……そう云えば、キシリア殿がご婚約されましたな。おめでとうございます。ガルマ殿も既にお相手がお決まりですし、ザビ家は安泰ですな」
――厭な方向に話を向けてきたな。
こうくると、大体流れはこちらの結婚に向いてくるのだ。
案の定、
「後は上の男たちだと、閣下がおっしゃっておられました」
「……私はともかく、弟たちは大丈夫だと思いますが」
後ろでデラーズが微妙な表情をした、ような気がする。デラーズははっきりと笑いはしないが、こちらが縁談やら何やらを煩わしく思っているのは知っているので――まぁ、後で笑っているのだろうとは思っているが。
「またまた、そのような」
カーンは云って、くすりと笑った。
「秋波を送る女性たちを袖にしていると、閣下はぼやいておられましたぞ。お眼鏡に適う方はないのですか」
「私のようなものは、妻を蔑ろにしがちですからな。それでも良いと云う女は、なかなかおらぬものです」
江戸の武士ではないが“女とは愛を交わし、男とは恋をする”くらいの関係が受け入れられる女と云うのは、なかなかいないのが実情だ。妻と云う女は、ともに“家”を維持するための共同経営者のようなものであり、それ故に昔の男たちは、他に女を囲ったり、江戸の世であれば念友などと懇ろになっていたわけだが――昨今は、夫婦関係だけですべてを完結させようと云う風潮が続いており、そうなると、どちらかの比重が夫婦以外――それは、仕事や子どもと云うこともある――に傾くと、関係が拗れることになるわけだ。
「閣下もそうですが、ザビ家の方々はムンゾを動かす仕事をされてあられますからな。普通のご婦人方では、なかなか荷が重いでしょう」
カーンは笑って云った。
それから、
「……ところで、私には娘が二人おりまして。下のハマーンは流石に幼いですが、上の娘をお側には――それなりの“教育”はしていると自負しておりますが」
――きた。
「上、と云われると、確かマレーネと云われる方でしたかな。“ガルマ”とあまり変わらぬお歳と聞き及びますが、私とでは、あまりに離れ過ぎではありませんか」
何しろ、“ガルマ”と同年のキャスバルが生まれた年には、もう二十歳を過ぎていたのが“ギレン・ザビ”である。
マレーネ・カーンが実際幾つかなのかは知らないが、ドズルの愛妾であった――そして、『Z』の時に二十歳だったハマーン・カーンの姉である――と云うからには、キャスバルの前後一つ二つあたりまでであるだろう。つまりは、現在十五〜二十歳と云うことだ。
対するこちらは、既に四十、歳の差二十以上の男女では、流石に夫婦になるのは難しいだろう。女が成人して久しいのならまだしも、二十歳になるかどうかの年齢では、それこそ大きな齟齬をきたすことにもなりかねない。
だが、カーンは食い下がってきた。
「男の方が、精神年齢は低いなどと申しますからな、多少離れていた方が、どちらにとっても宜しいのではありませんかな。マレーネは、歳の割にはわきまえた娘であると、親の贔屓目を抜きにしても思っておりますが」
「いやいや」
仮に、カーンの云うことが本当だとしても、やはりいささか年齢が離れすぎているだろう。親が許しても、まわりの目はやはり厳しいのではないか――それに、こちらもあまり歳の離れた女は守備範囲外であるし。
「私などにご令嬢を娶せれば、口さがないものたちに、あれこれ云われることにはなりませんか」
有体に云えば、擦り寄りだの、閨閥政治を目論んでいるなどと。
そう云うと、相手はふと笑った。
「何の。ギレン殿ならば、娘に否やはございますまいよ」
――そうして、キャスバルにはハマーンを宛てがうつもりでいるのか?
早々に婚約者を決めた“ガルマ”と違い、キャスバルにはまだ決まった相手はいない。もちろん、今後現れるはずのララァ・スンのために、敢えてその座は空けてあるのだが、ザビ家が、キャスバルに相応しく、また勢力拡大に役立つ家の娘を選定している最中だと云う噂が、あからさまに囁かれているのは知っている。
今回のキシリアの一件で、ザビ家が、実は意外に当人たちの恋愛感情を重視すると驚かれたようだ――それに続いて、ドズルがゼナ・ミアと結ばれれば、政治偏重の一家だと云うイメージは払拭されるのかも知れないが、それにしても、キャスバルはまた別のことだと、皆は考えているに違いない。
そう云う考えに乗っての、カーンのこの科白なのだろうが、
「生憎と、私は粗忽者でして。妻を放置して逃げられた男に、嫁ぎたい女などございますまい」
それに、カーンの娘と云う立場を振りかざして、構ってくれと駄々をこねられても困る。国を、組織を家族よりも愛する男であると、理解しない女を迎えて、また出ていかれるのも面倒だ。それならば、はじめから結婚しないと云うのも、ひとつのやり方だと思うのだ。
それより何より、“妻の父”と云う立場でもって、カーンにムンゾの政治を牛耳られるのも戴けない。和平派らしいカーンは、確かにあの“馬鹿手議員”どもよりはましだろうが、既に権力の中枢近くにあって、この上ザビ家との婚姻関係を望むとなれば、自分が取って代わるのだと云う野心が、まったくないとは思われない。
確かに、一年戦争までの道筋は、実質ザビ家が敷いたのだが、それを姻戚の立場から動かそうとされても困る。今まで入念に構築してきた計画を、個人の功名心だけでふいにされたくはない。
戦いが済んでから、迫ってくるのは勝手だ――もちろん、こちらは受け入れる気はない――が、そんなことで折れると思ったら大間違いだ。
「最初の結婚で、私も少々懲りました。キシリアや“ガルマ”には相手もあることですし、私はもう少し落ち着いてから、考えることに致しますよ」
「何と勿体ない。女が家を守ってくれると思えばこそ、思う様仕事にあたることもできますぞ」
「そうですな。ランバ・ラルの妻のような女性が他にあれば、とは思ったこともございます」
カーンは目を見開いた。
「それは――その、クラウレ殿のことを……?」
「まさか。こちらに欠片も関心のない女だ」
その科白を一蹴する。
「ただ、クラウレ――まぁ、今は私の“義娘”ですが、あのような気性の女があればな、と思うだけです。ランバ・ラルだけしか眼中にない女を娶ったところで仕方がない」
云いながら、尾鰭はひれがついて流布されそうな話だなと思う。まぁ、それで余計な女を追い払えるなら、それはそれで構わないか。
案の定、カーンは目を見開いた。
「……未練があるとも取れるお言葉ですな」
「お好きなように」
どうせ、噂好きの連中は、火のないところにでも煙を立てるのだ。
「単に私は、双方の意に沿わぬような結婚はしないと云うことです。どうせ破綻することになるのなら、するだけ手間と時間の無駄だ」
そして、お互い不愉快な思いをすることになるのだし。
「家庭と云う安らぎを、お求めにはならないと?」
「私は、ムンゾのためなら家族を見殺しにすることも厭わない男ですよ」
片頬を引きつらせるように、笑いかけてやる。
「例えば娘御を娶ったとして、私の反対勢力にマレーネ殿が人質に取られたとする――連中は、こう要求する、“妻の生命と引き換えに、軍総帥の座を辞すように”と」
「……は」
「連中は過激派で、例えば闇雲に戦争を求めているとする。奴らの云いなりになればなれば、ムンゾは策もなく戦争に突入し、億の国民が死ぬことになるかも知れない――そのような場合、私は妻を見殺しにして、奴らを逮捕、あるいは射殺するよう命令する。マレーネ殿は生き残るかも知れないが、死ぬほど恐ろしい思いをするだろうし、運が悪ければ死ぬだろう。……さて」
言葉を失ったマハラジャ・カーンに、薄く笑みかける。
「貴殿は、このような男に、愛娘を嫁がせたいとお思いになりますかな?」
家族よりも国を愛する男などに。
カーンから、返る言葉はなかった。
そちらに一礼すると、これで終わりと示すように、踵を返してその場を辞した――沈黙の中に、男を置き去りにして。
「すまなかった!!」
執務室を訪れるなり頭を下げたのは、義理の息子になった男、ランバ・ラルだった。
クラウレ・ハモンとのハネムーンから帰ったと思ったら、すぐさま実父の起こした事件の後始末に追われることになったらしい。
「親父の後始末にかまけて遅くなったが――すまなかった、俺の不手際だ」
深々と頭を垂れる。
「まぁ、そこは猛省してもらおうか。――とは云え、予期されたことではあった、私に対しては、そこまで気にすることはない」
まぁ、キシリアはねちねち云うだろうがな、と云ってやると、ランバ・ラルは、苦虫を噛み潰したような、笑顔を作り損ねたような、微妙な表情でこちらを見た。
「……もう云われてきた」
「なるほど、シャアに謝罪にいってきたのか」
それで、隣りにいた――何と云っても婚約者だ――キシリアに、ここぞとばかりに厭味を云われたか。
まぁ、キシリアとしては、“弟”の次に愛する男を、ジンバ・ラルのせいで危険に晒すことになったので、いろいろと云いたくなる気持ちはわからぬでもないが。
「いや、俺の監督不行届故に、そこは仕方ないと云うか、当然のことだとは思っている。……それはともかく、キシリア・ザビは、あんなに甘い女だったか? シャアが横から口を出したら、煮崩れた砂糖菓子みたいなことになってたが……」
腑に落ちぬと云いたげな顔で、ランバ・ラルは首を捻った。
まぁ、想像はつく。シャアが“僕も無事だったんだし、あまりラルさんを責めないであげて”などと云えば、シャアには甘いキシリアのことだ、相好を崩してシャアを褒め、云われるまま、とまではいくまいが、とにかくいつもの百倍くらい甘い処断で終わらせるのだろう。
「……まぁ、あの二人は婚約を決めたばかりだからな。云っては何だが、あのキシリアが、砂糖を吐きそうなほどに甘い顔をしているぞ」
「……それは見た」
複雑そうな顔。
「あのキシリア・ザビが、と云うような顔だったな。恋をすると女は変わると云うが――」
「まぁ、あれはシャアに対してだけで、他はいつもどおりだと聞いているがな」
そうでもなければ、軍上層部に籍を置き続けることなど適うまい。そのあたりは、正しく“氷の女”である――最近はやや融け気味だが。
「それはともかくとして、お前にも云っておかねばなるまいな。いずれ起こるだろう連邦との戦いにおいて、キャスバルと“ガルマ”をMSに乗せ、前線に出すつもりだ」
ダイクン家の警護を担当し、自身もまた軍人である男に、“今後の日程”を軽く告げると、目を見開かれた。
「戦場に出すと云うのか、あいつらを!」
「そうだ」
「ザビ家の息子とダイクンの子を? 奴らは後方にあって、指揮を執るべきなんじゃないのか」
「兵士を戦場に送り出すよりも、自分もともに戦った方が気が楽だ、と云う考えもあり得ると云うことだ」
そう云う気持ちはわからぬでもない――親しい友や知人たちを戦場に出し、自分は後ろに控えるしかない、と云うのは、情に厚い人間にはなかなか厳しいことであろうと思う。
原作の“シャア・アズナブル”は、理解者を求めない男だった。自身の正体を仮面の下に隠し、唯復讐のためだけに、戦場を駆け、軍功を立て、ザビ家の懐にもぐりこんだ。“シャア”に友はなく、心から愛したものも――ララァ・スンを除いては――なかったはずだ。
その孤独は、哀しいものではあったかも知れないが、失うものがなにもなかったことで、離別の哀しみをさほど味わわずに済んだのは、あるいは良かったのかも知れなかった。親しいものを、己の手で死地に追いやるのは、覚悟を決めていても辛いだろうからだ。
だが、この時間軸のキャスバルは、シャア・アズナブルやリノ・フェルナンデス、ジョニー・ライデンやシン・マツナガなど、友と呼ぶべきものたちを手に入れてしまっていた。
先日は、かなり強い言葉でキャスバルに覚悟を持てと迫ったが、実際にそのような立場に立つのは、戦争がはじまって、ややあってからのことになるだろう。
それでも、あのように詰め寄ったのは、他人――使用人でもなく、軍における部下――の上に立つ訓練を、キャスバルがほとんど受けていないことに気づいたからだった。使用人――ある意味では、家族のような――とは違う、規律正しい動きを要求すべき目下のもの。本来ならば、それは父親が手本となって、背中を見せるように教えていくものだったはずだ。
だが、父親であるジオン・ズム・ダイクンは早世し、かれは母親に育てられることになった。もちろん、実の母親の手で育てられたことは、キャスバルに精神の安定を与えたが、同時に、戦う男としての覚悟を奪った部分もあったのではないか。
――まぁ、ジオン・ズム・ダイクンが既に亡い以上、男親がいないでは、仕方ないところではあるのだが。
「――だが、キャスバルは少しばかり脅かし過ぎたかも知れん」
「……何をした?」
「したと云うよりも、云った。友を戦場に送り出すのはお前なのだと」
云うと、ランバ・ラルは舌打ちした。
「ストレート過ぎるんじゃないのか、お前」
「それは認める。だが、そろそろ上に立つものとしての覚悟を決めてもらわねばならん頃合いだろう」
「――それについては、俺も甘かったのは認める」
何と云っても、キャスバルに一番近い“大人の男”は、このランバ・ラルだったのだ。そこは当然、認めてもらわねばなるまい。
「とは云え、やはり血縁者でないとなかなか、な」
「まぁ、“ガルマ”もいて、やりたい放題だったからな」
それはそれで、幸せな少年時代だったはずだとは思う。
しかしながら、
「そろそろ、軍人であること、政治を志すことの厳しさも知ってもらわねば、学生気分の延長でことにあたられては、下のものに示しもつかん」
「まぁな、部下を持てば、その生活もこちらにかかってくる」
その言葉に、原作の中でのこの男の名科白を思い出す。
――わしの出世は、部下たちの生活の安定に繋がる。
WBを撃墜すれば二階級特進だ、と云う言葉の後に続いた科白である。
原作に於いては、ザビ家との確執もあり、不遇であったランバ・ラルだが、部下を思う良き上官であったことは、この科白からも明らかだった。いや、あるいは不遇だったからこそ、その自分についてきてくれた部下たちを、ことさら気にかけていたのかも知れないが――いずれにしても、世のサラリーマンたちから、このような上司が欲しいと思われたのは理解できる。
だがまぁ、それはあくまでもこの男の部下目線での話であって、キャスバル、そしてアルテイシアからすれば、少々厳しくても、基本的にはやさしい“ラルおじさん”だったのだろうと思うのだ。
「お前のそのようなところが、きちんとキャスバルに伝わっているといいのだがな」
「弟には云わんのか」
「あれはあれで、そう云うところはできている」
少々過剰なまでに。だからこそ、部下がこちらに反旗を翻すようなことにもなるわけなのだが。
「キャスバルは、その点、狭い“家族”だけで生きてきてしまったからな。使用人の使い方はわかっても、部下の扱いはこれからだ」
「お前はキャスバルに、少しばかり求め過ぎているんじゃないのか?」
ラルは云って、首を傾けた。
「確かに、部下をちゃんと扱うことは、上官にとっては必須のことだが――あいつは、まだ士官学校生だぞ。軍に入るにしても、いきなりどうこう、ってわけじゃあるまい」
「だが、悠長に成長を待つ時間はない」
原作より早いペースで物事が進んでいる、この時間軸では。
「――どう云うことだ」
「これも、お前には云っておこう。ムンゾは、近いうちに連邦と開戦することになるだろう。早ければ、キャスバルたちが士官学校を出てすぐにでも」
原作よりも激烈に、“暁の蜂起”が戦乱を呼びこむことになるだろう。
「キャスバルが、戦場で自覚するのを待つ暇はない。今から、軍人であり、兵たちを指揮する側の人間であると意識させなくては、キャスバルはこの戦いを乗り切れんだろう」
「……ガルマは良いのか」
「云っただろう、あれは、そのあたりの覚悟はできている」
戦場で指揮官であると云うのがどういうことか、兵たちを前線に送り出すのがどういうことかは。
「足りんのは、キャスバルの覚悟だけだ。それを、あと一年でどうつけさせるか、だが」
「待てんのか」
「待っては、徒に兵が死ぬことにもなりかねん。無自覚であることほど恐ろしい罪はない」
上に立つもの如何で、兵は生きも死にもする。当然のことながら、兵も良い上官のもとに配属されたいと願うし、上官が誰かによって、士気もまた変わってくる。“常勝将軍”などと綽名される上官を持てば、士気があがってその部隊はまた勝つだろうし、逆もまた然りである。
そして、これはどんな組織においてもそうであるが、上官、上司が部下をきちんと認識しているかどうかで、やはり士気は変わってくるものだ。誰でも、自分を人間として、きちんと認識してくれる上官を好ましく思うに決まっている。人間として認識すれば、非-人間的な扱いなどできなくなるし、兵を捨石にするような作戦指揮はできなくなる――まぁ、根本的に作戦指揮が下手な士官の場合は、それ以前の問題になるが。当人の人格は宜しくても、“常敗将軍”などと呼ばれる人間の下につきたいとは、普通の兵はなかなか思うまい。
ランバ・ラルは、腕組みして、うぅむと唸り声をあげた。
「普通ならば、“求め過ぎだ”と云うところだが……確かに、キャスバルの立場では、そうも云ってはいられんか」
「あぁ」
普通の名家の子息であれば、多分そこまで要求されることはなかっただろう。
だが、キャスバルはジオン・ズム・ダイクンの子であり、またザビ家の庇護下にあるものでもある。どちらも、今のムンゾを象徴するものであり、自然、人びとの期待も大きくならざるを得ない。であれば、他の士官学校生よりも、求められるものが多くなるのは、これはもう仕方のない話なのだ。
「キャスバルに対しては、皆、過大に求めるようになるだろう。それを、すべてクリアすることは難しくとも、“流石はダイクンの子”と云わしめねばならんのだ。そのためには、甘い気持ちでいてもらっては困る」
「お前が、キャスバルの父親みたいだな」
にやにやと云われるが、その側面は否定できない。
そして、
「それは、お前とて同じだろう」
つまり、キャスバルは、二人の“父親”持ちだと云うことだ。厳しいギレン・ザビと、少しは甘いところもあるランバ・ラルと。
そう云うと、男はひょいと肩をすくめた。
「違いない」
「仕方ない、これは、持てるものに課された義務なのだからな」
「“noblesse oblige”と云うヤツだな 」
「お前とて、憶えはあるだろう」
「あぁ。まぁ、実践しているヤツばかりとは限らんがな」
「だが、キャスバルは、それが許される立場ではない」
「そう云う意味じゃ、あいつはガルマよりよほど不自由な生き方をしなけりゃならんのだなぁ」
しみじみとラルが云った、ところで、扉が忙しなく叩かれた。
「閣下!」
タチ・オハラの声である。緊迫した響き。
「どうした」
「今すぐお逃げ下さい、ガルマ様がこられます!」
「何」
「何だ何だ、襲撃か?」
ランバ・ラルが、片眉を上げる。
「ある意味ではな」
「ガルマとか云わなかったか」
「“ガルマ”の襲撃だ」
キャスバルに勝手についてきた時に、結局顔すら合わせないままだったのだ。それで“ガルマ”がくると云うのなら、多分、物理の“話し合い”のためだろう。
――冗談じゃない!
“ガルマ”はかつて格闘技をやっていたのだ、インドア派のこちらとは、練度が桁違いなのである。そんなものに“物理の話し合い”など、ほとんどされるがままに傷めつけられるに決まっている。
そう云えば、とランバ・ラルを見る。原作軸で、結構な殴り合いを繰り広げ、一対多で勝利をおさめていたこの男であれば、“ガルマ”を抑えこむこともできるのではないか。
「ランバ・ラル」
「何だ」
「今から“ガルマ”が、私を狙ってここを襲撃してくる。悪いが、“ガルマ”の始末はお前に任せた」
「って、お前は」
「逃げる」
「逃げるぅ!? ここはお前の家だろうが!」
「だから、あれも簡単に帰ってきているのだ」
「閣下! お早く!」
焦れたのか、デラーズが扉を開けて促してきた。もちろん、その横にはタチもいる。余裕がないところを見ると、もう間近に迫っているのだろう。実際、表の方から、何やら騒ぐ声が聞こえる。
「今いく。――任せたぞ、ランバ・ラル!」
「お、おい!」
手を伸ばしてくるのをすり抜けて廊下に出ると、向こうの角の先まで、“ガルマ”は迫ってきているようだった。
息を潜めて、しかし急ぎ足に、ザビ邸を出る。鉢合わせないように、裏口へ回って。
裏門につけてあった車に、急いで乗りこむ。デラーズが運転席に、助手席にはタチが坐り、そのまま車はなめらかに走り出した。
「……危機一髪でしたね」
タチが、汗を拭いながら云い、デラーズがそれに頷く。
「まったくです。部下たちが、何とか妨害できたようで、何よりでした」
なるほど、デラーズ配下のものたちが、総懸りで進路を塞いだが故に、“ガルマ”はこちらに追いつけなかったのか――そして、今、この車内にデラーズとタチの二人しかいないのも、その総懸りの故であるのか。
「……後は、ランバ・ラルがどれほど頑張ってくれるかだな」
鉄オル世界におけるクランク・ゼントほどではないが、“ガルマ”は、ランバ・ラルには若干の苦手意識――但し、説教されている時だけ――もあるようだったから、うまくすれば、あのままガーディアンバンチに送り返されてくれるのかも知れない。本当に、そうであってくれれば良いのだが。
「然様でございますな。――この後はどちらへ?」
「議事堂へやってくれ」
元々、この後は議会の方に顔を出さなくてはならなかったのだ。本当は、もう少しゆっくりするつもりだったのだか、もうこのまま行くことにしよう。
「承知致しました」
デラーズが応え、ハンドルを切る。
車はゆっくりと、議事堂へと向きを変えた。
さて、身近な人間にこそ、今後の流れを告げはしたが、まだまだムンゾ中、あるいは議員全体にでも、現状を詳しく語るわけにはいかない。
よって、議会では、まぁお定まりの攻防戦が繰り広げられることになるわけだ。
軍事費が多すぎるだの、機密費の内訳を公表しろ――したら“機密”ではなくなると云うのにだ――だの、仕方ないことだが、やかましい。
まぁそれはそれとして、最近じわじわと増えているのが、“ムンゾ独立運動”に関するあれこれだ。
独立運動そのものは以前からあり、キャスバルと“ガルマ”が拉致された時や、あるいは自分が狙撃された時などに、間欠泉のように沸き上がってはいた。
但し、いずれも長続きはせず――もちろん、こちらが裏から手を回して、鎮火にあたったためでもある――デモや、大規模な集会には発展しないままに終わってきた。準備が整わないのに開戦にもつれこむことになっては困るからだ。
が、そろそろ機は熟しつつある。“暁の蜂起”――これだけ様々なことが変わってしまった今となっては、果たして原作のようなかたちで起こるのかどうか怪しいが――の頃に、独立の機運が最高潮になるよう導いてやらねばならぬ。
「正直に申し上げますと、何かあればすぐに大規模なデモが起こる可能性はあると思います」
などとタチは云うが、“可能性はある”で開戦まで漕ぎつけることはできない。確実に、明白に、国民が開戦を望むようにならなければ、戦いがはじまってから挙国一致体制に移行するのに差し障りが出てくる可能性はある。
元より、知識階級と云うのは非戦派が多く、メディアも――それが一般大衆に許容されるかはともかくとして――そう云う人びとに意見を求めることが多い。一般大衆は勇ましくやれば良いが、そうでない人びとにもある程度は支持されなくては、とても戦争などやれるものではない。
と云って、太平洋戦争時の日本のように、言論統制などで無理矢理に非戦派を封殺しては、後に禍根を残すことになるから、そのあたりも考慮せねばなるまいが。
つまり、合法的に、そして国民の支持を十二分に得た上でなければ、戦争などはじめられぬと云うことである。独裁政治によって開戦すれば、それこそヒトラーのような扱いを受けるだけだ――そうでなくとも失敗すれば、事実はなくとも“独裁者”と謗られることもあるのだし。
とにかく明確に、明白に戦わねばならない状況にしなくては、今の知識人たちも、後世の歴史学者たちも、これからの戦いを肯定はするまい。
しかし、さて、ガーディアンバンチで士官学校生と連邦駐屯軍がぶつかり合うためには、今の状況は、なかなか生ぬるいものがある。カイ・シデンにかつて云われた“ムンゾ内の失業率の上昇”も、社会全体に不満を抱かせるほどではない――大企業を潤した金が、徐々に隅々までいきわたりつつあるので――し、原作の事故が、漫画の方でもアニメの方でも構わないが、起こったとして、果たして開戦をと求める運動にまで発展するのだろうかと思う。原作軸では、それを鎮圧しようとした連邦軍が、市民に発砲したり何だりで騒ぎが大きくなったわけであるのだから。
――さて、どうしたものか。
正直に云えば、事故のラインはあまりありがたくはない。コロニーの破損が伴うので、下手をすれば結構な数の人命が失われる可能性があるからだ。
それに、コロニー同盟がかなりの力を持ちつつある昨今では、原作軸ほど連邦軍が傍若無人に振るまっているわけでもないので、そもそもあのような――入港の慣例法に背くような――こともなくなっている。
もちろん、直接的な軍事力を保持しているのは、未だほぼムンゾのみではあるが、今や各サイドは独自に経済力などを強化しつつあり、連邦側としても、無闇にことを荒立てるのはマイナスにしかならなくなっているのだ。
故に、原作軸よりも、連邦軍はかなり動きを慎重にしているようだ。そのため、事故などの不測の事態は、この時間軸では起こり難いように思われる。
それはもちろんありがたいのだが、そうなると、何が切欠で一年戦争――そもそも、この時間軸で、本当に“一年戦争”になるのだろうか?――の火蓋が切られることになるのだろう?
「――何をお考えですかな」
何故かともに昼食を取っていたマツナガ議員が、そう問うてくる。やはり何故かともにいる、ダルシア・バハロも問いかけるまなざしだ。
ちなみにこちらはポルチーニ風クリームパスタ、マツナガ議員は日系らしく松花堂弁当、ダルシア・バハロはクラブハウスサンドである。松花堂弁当が、この時代まで生き残っているのは、なかなか驚きだ。
「……この先、ムンゾと連邦の関係がどうなるのか
と」
議員食堂だったので、誰の耳があるかもわからない、迂遠な云いまわしにしたつもりだったが、この二人にはそれで何もかもが通じたらしい。
「なるほど、それはなかなかの難問だ」
「どこまでを想定されてのことなのか、そちらが気になりますな」
ダルシアが、ちらりとこちらを見る。
「どこまでもここまでも」
この男の目が苦手だと思いながら、肩をすくめる。
「思うままになどならぬものだと、己の眼力のなさを噛みしめているだけです。神託でも降りてくるなら良かったのですが」
「神託! 神頼みとは、らしくもありませんな!」
「神にでも何でも、縋りつきたい気分ですよ」
むろん、“神は自ら助くるものを助く”とやら、自分で動かなくてはならないのは百も承知だが。
「相手がある以上、いくらこちらが画策したところで、乗ってこなくては意味がない。と云って、予想以上に乗ってこられても、それはそれで対応が後手に回る可能性がある。悩ましい限りです」
「それは……確かに」
「この先千年を見通す目が欲しいものです」
あるいは、運命すらも操る神の手か。
院政期の頂点であった白河法皇は、“賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの”と云う、所謂天下三不如意を口にしたそうだが、そこまででなくとも、多少いろいろと意のままにならぬものかとは思ってしまう。
あるいは、原作のラインを外れたのの時間軸の先を見通し得る、透徹したまなざしが手に入れば。
「今も、ムンゾでは随一の“未来を見通す目”をお持ちでしょうに、贅沢なことですな!」
「これでは、とてもとても足りませぬよ」
千年とまではゆかずとも、せめて五十年先まで見通すことができたら良かったものを。
「そう云われますが、では、どれほど先が見えておられるのです?」
「――半年ですかな」
一年戦争が終わるまでの歳月、と云いたかったが、既に原作のラインと違いすぎている。一年戦争開戦どころか、“暁の蜂起”のはじまりすら予期できないでは、お手上げと云うよりない。
「むろん、長期の展望と云うべきものはございますが、それが果たして近いラインをとおって推移するかと云うと――あくまでも“希望的観測”と云うよりございませんので」
「……これはこれは」
ダルシアが、わずかに目を見開いた。
「私はまた……ギレン殿は、もっと策謀を十重二十重に巡らせておられるものとばかり」
「巡らせた策謀が、すべてあたるわけではございませぬからな」
正直、これでもかなり知恵を絞っている――まぁ、“悪知恵”、と云うよりも“悪賢さ”だが――と思うのだが、所詮は未来を見通せるものではない、場当たり的に動いていると云う方が正しいくらいなのだ。
「しかし、おっしゃるとおりでこれならば、千年を見通せば、どれほどのことが適うのでしょう」
「いや、さほどは変わりますまいよ」
結局、千年先が見えたところで、目前の些事に目が届きにくくなるだけのことだ。江戸城無血開城をなし遂げた勝海舟は、既に日清戦争の頃、後の太平洋戦争を示唆するような発言をしていた――もちろん、否定的な意味でだ――が、福沢諭吉に『瘠我慢の説』とやらで突っこまれていたくらいだ。もちろん、福沢諭吉のことは嫌い――大体、同時代の同郷人に“あんな風にはなるな”と云われるのは、どれだけ評判が悪かったのかと思う――なので、その評価自体はどうとも思わないのだが。
ともかく、見えたからと云って、すべての陥穽を回避できるわけではないので、意味がないと云えば意味がないのだが、それでも足掻かずにはいられないのが人間と云うものだ。
「僧侶や仙人であれば、もっと達観できるのでしょうがな」
生憎と只びとである身では、望むべくもないことである。
「だが、僧侶も仙人も、現実を動かす力などは持たぬ。そうではありませんかな?」
マツナガ議員の言葉に、ダルシア・バハロも頷く。
「そのとおりです。政に関わる我らだからこそ、現実にもみくちゃにされも、また現実を動かしもすることができる――そうではございませんか」
「……確かに、然様でございますな」
そうではあるのだが。
平たく云うなら、
「……正直、疲れました……」
一度、全部投げて、つまりは卓袱台返しをして、逃亡できたら楽なのだが、と思わずにはいられない――もちろん、そんなことなどできるわけもないのだけれど。
大体、ここしばらく、ニタ研の人体実験やら、“ガルマ”の場外乱闘やら、“馬鹿手議員”どものあれこれやら、“ガルマ”の襲撃やら――半分が“ガルマ”のやらかしではないか、どう云うことだ――、面倒ごとばかりな気がする。
否、それは、鉄オル世界に飛ばされたところからずっとなのかも知れなかったが。
「しっかりされよ、ギレン殿! 応援いたしますぞ!」
マツナガ議員が励ましてくれるが、それで復活するようなら、とうの昔に元気いっぱいだ。
「――お気持ちだけ、ありがたく頂戴致しましょう……」
「お手伝いできることがございましたら、何なりとおっしゃって下さい」
ダルシア・バハロも云ってくるが、この男に、ガルマと対抗できるような悪知恵があるとも思われぬ。
「あぁ、お気持ちだけ……」
と云いながら、ふと思いつく。
“ガルマ”に意趣返しをするのなら、こちらも向こうを襲撃すれば良いのではないか?
なに、別に“ガルマ”のように、物理でどうこうする必要はない、例えばパイや小麦粉の袋をぶつけるとか、その程度で構わないのだ。格闘技やら何やらは、到底“ガルマ”に敵わない、であるからには、子どもの悪戯――それこそピンポンダッシュのような――のようなもので構わないから、何か返してやらねばなるまい。
そう思うと、これはなかなか良いアイディアであるように思われてきた。
――よし。
とりあえず、作戦を練ることにしよう。これ以上、あれにしてやられてなるものか。
いきなり含み笑いをはじめたのを、マツナガ議員もダルシア・バハロも、ぎょっとしたような顔で見つめてくるが、構うことはない。
「見ていろ、“ガルマ”……!」
それこそ、“旧世紀の言葉で「ギャフン」と云わせてやる”だ。本格的な戦時体制に入るまでに、一矢報いてやらねば、溜飲を下げるどころではなくなってしまう。
握り拳をかためる姿を、二人が何とも云い難い表情で見つめてきたが、それには特に意を払わず、残りのパスタを絡め取ると、それが“ガルマ”であるかのように、強く噛みしめたのだった。