ムンゾの独立運動は、もはや止めようがなかった。
連日に渡るデモ。メディアの論調も、それを後押しするものでしかない。
“ギレン”の狙撃は、民衆にとっても許し難いものであったらしい。
反して地球連邦側は、当然、その警戒を強め、ムンゾ国民――のみならず、コロニー社会への締め付けを強化してきた。
反発は必至である。
ここ、ガーディアン・バンチでも、駐屯兵の動きが、日々慌ただしさを増している。
隣接するムンゾ自治共和国国防軍士官学校では、ドズル校長以下教官や職員が気を張り詰め、士官候補生らもまた緊張を強いられていた。
『……どこもかしこも火種だらけだ』
『めずらしく弱り顔だな』
談話室のいつものソファで、見せかけだけは寛いでる振りを。
溜息を落としたおれの手の甲を、キャスバルの指が宥めるように叩く。
――弱りたくもなるさ。
いかなる火消しも、こうなってしまっては意味をなさない。
導火線に火は点火され、火薬庫に至るまで、もう秒読みに来てるんだろう。
思うよりずっと早い。これ、連邦側でどいつが画策しやがったんだろう。
ゴップ辺りは、頭を抱えてるんじゃないかな――主戦派のレビルだって喜んではいないだろうさ。双方で、戦力が整わないまま、見切り発車なんてね。
『“ギレン兄様”はどう動くかな?』
『彼はまだ引き延ばしたいだろう』
『だよね』
引き延ばせるかどうかは分からないけど――だって、どんな手段が残ってるって言うの。
手持ちのピースを脳裏に並べても、パズルはちっとも完成しない――どころか、混迷の度を深めるだけだし。
悪知恵が泣き言を零してる。
他力本願したい気分。頑張ってよゴップ。そっちで思い切り綱を引いて。
――なんて、この事態に陥ってるって事は、当のゴップ自身が、追い詰められてる可能性があるってことか。
思い付いて身震い。
拙いわ。これホントに拙いわ。
もしデモが暴動に発展し、それが一線を越えたら、連邦軍の本格介入の理由になる。
そうなれば、ここの駐屯軍が動く。真っ先に抑えられるのは、この士官学校だ。
アチラは一個連隊、3000人の戦闘要員を有している。対するおれたちは、教官、士官候補生の総数でさえその半分にも満たない。
まして、一回生やニ回生の練度じゃ、足手まといにこそなれ、戦力には到底数えられないだろう。
死命を制されて支配下に置かれるなんて、それこそ冗談じゃない。
――何か手を打たないと。
「ガルマ、キャスバル、大変だッ!!」
血相を変えたリノが、談話室に飛び込んできた。
浮足立つ周囲を、キャスバルが腕を上げて抑える。
止めてよ、リノ。ここには一回生も居るんだ。怯えてパニックになったら大変だろ。
よほど慌てて走ってきたのか、ゼイゼイと喉を鳴らすのに、クムランが水を飲ませてる。
「落ち着いて。ほら、こぼさないでちゃんと飲んで」
のんびりとした口調は作られたものだ。ふくふくした頬に血の気は薄い。
シンもライトニングも、他の皆も、その瞳に浮かぶ光は険しかった。
「どうしたの、リノ?」
あんまり良いニュースじゃなさそうだね。
「いま、駐屯軍の司令が来て、ドズル校長と話してる」
そこで区切ったリノは、悔しそうに表情を歪めた。
「奴が言ってたんだ。ガルマ・ザビを連れてこいって」
「ガルマを?『君、今度は何をしたんだい?』」
キャスバルの声と思考波が険しさを増す――でも、なぁ。
「……僕を?『や、なんもしてないはず??』」
こんな風に呼び出されるような真似は、最近はしてなかった筈だ――過去に遡れば分からんけど。
殺気立ついつものメンバーを宥めつつ、首を傾げる。
――どういうことさ。
この、一触即発の状況で、ザビ家の人間を駐屯軍の司令が迎えに来るって、さらに火に油を注ぐつもりか。
それとも、鎮火のための人質でも欲したか。
「ガルマ・ザビ、ついて来い」
考えてるうちに、教官が呼びに来た。苦しそうな表情だった。
「どういう事だよ!?」
前に飛び出して食ってかかるライトニングの腕を、シンが掴んで止めた。
チラリと目配せ。この場は頼んだよ、キャスバル、それからシン。
「参ります」
ゆっくりと立ち上がる。
『ガルマ』
『大丈夫。待ってて』
兎に角も、行かなきゃなんも分からんし。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
おっとりとした微笑みを浮かべて、呑気にすら見えるように。
おどけた仕草で優雅に一礼。
「騒がせたね。ごめんよ、皆はこのまま寛いでてよ」
「ああ。また後でな『気をつけていけよ』」
「後でね。『りょーかい』」
キャスバルも悠々とソファで寛いで見せるから、2回生や1回生の緊張は少し解けた様だった。
リノは少しバツの悪い顔をしたあと、クネクネと変な踊りを披露した。
「待ってるぜ!」
「うわ止めろよリノ、気持ちワリーだろ!」
それをケイ達がド突けば、張り詰めた場にようやく笑いが生まれた。
教官に連れられて校長室へと急ぐ。
通いなれた道だよなぁ、なんて場違いな感想を抱いてれば、旋毛に視線を感じた。
顔を上げると、厳つい教官の厳しい眼差しとバッチリ目があった。
眼力凄いね。
「お前は……」
「なんでしょう?」
ふぉ。珍しい、私語なんて。
小首を傾げて見せれば、教官は何か言いさして、けれど何も言わずに首を振った。
それからは無言で進む。
んん。覚悟はしてるけど、それ以上に“悲劇的な展開”が待ってるらしい――少なくとも、周囲がそう捉えるような。
たどり着いた先には、ドズル兄貴の他に、連邦の将校二人と、兵士三人が待っていた。
上官はソファに腰かけて、兵士はその後ろで直立不動の姿勢である。
随分多いね。
司令の顔は知ってるけど、あとは知らない。
「ガルマ・ザビ、参りました」
姿勢を正して敬礼する。
ドズル兄貴から向けられる視線は、憤りと憂いが綯交ぜになっていた。
司令官の隣に居る、もう一人の将校がニタリと笑った。
スキンヘッドでつぶらな瞳――のくせに性格の悪そうな目つきが何とも。
「ガルマ・ザビ……本物か?」
いきなり失礼だな、おい。
瞬間、兄貴と教官から立ち昇った殺気は目に見えそうなくらいに濃い。
司令は顔色を変えたけど、ハゲつぶら瞳のオッサン将校――に見えるけど、もしかして30前後?――は、煽るような空気のままだ。
「発言をお許しいただいても?」
「許そう」
ハゲつぶらが頷いた。
「本校に“ガルマ・ザビ”はひとりしかおりません」
「そうか。ザビ家にしては、随分と可愛らしい顔だな」
安い挑発だね。
「父曰く、母に似ているそうです」
渾身の笑顔を振る舞ってやる――“キレイ“も”可愛い”も作れるんだぞ。
眉も目尻も口角も、そのすべての角度を計算しまくった微笑みは、ポスター撮影だって怖くない――撮る予定なんかないけどさ。
ハゲつぶらのみならず、司令達まで目を見開く。
――よし、勝った。
「……なるほど」
何かなるほどか知らんけど。
「ガルマ・ザビ。君は我々と来てもらう」
――は???
クソ偉そうになに言ってんの、ハゲつぶら。ムンゾ語学んでから出直して来いよ――を、丁寧に言うとこうなる。
「失礼ながら、理由をお伺い致します。それとも、わたしを直ぐに連れていけるとお思いですか?」
「たかが四男坊が、威勢だけは良いな」
「価値のないものを、わざわざお迎えに?」
緩く首を傾げて、苦笑。
ご苦労さまです?
口には出さなくても嫌味ってのは伝わるもんさ。
視線の先で、ハゲつぶらの額に青筋が浮き出した――髪が無いとよく分かるね。
司令や他の兵士も鼻白むと思ってたのに、シレっとした顔。なに、人望ないの?
まぁ、そうかもね――初対面の未成年に高圧姿勢でマウント取ろうとするくらいだし。
――その程度で怯むと思うなよ。
「改めてお伺いします。なんの意図があって、わたしを?」
さあ、勿体ぶらないで、建前でも本音でも言ってみなよ。どうせろくなもんじゃ無し。
火を吹きそうな視線には、冷笑で返してやる。
と、場を払うみたいな咳払いがひとつ。
「……ガルマよ」
「はい」
ドズル兄貴が重々しく呼ぶのに、素直に答えて歩み寄る。
ニコリと向ける笑みは、作ったものじゃなくて、いつものそれだ。
「急な話で驚いたのだろうが、バスク・オム少佐を、そう困らせるものではないぞ」
ドズル兄貴の眼の奥には、面白がる光があった。
おれが、ハゲつぶらをやり込めたことに、溜飲がちょっと下がったのかも知れんけど……って。
――バスク・オム?
え、ハゲつぶらってバスク・オムなの??
ゴーグル無いじゃん。
ゴーグルが無いバスク・オムなんて、バスク・オムじゃ無いっていうか、ただのハゲつぶらじゃないか。
「本件については、ジーン・コリニー中将から議会を通じて打診があった」
兄貴はそこで言葉を切って、また表情を険しくした。
「“ガルマ・ザビを地球によこすなら、デモ隊の鎮圧はムンゾ国軍に任せる“そうだ」
吐き捨てるような語調。
なるほどね、人質か――その価値があるかは知らんけど――ザビ家としては屈辱的なことだね。
だけど、ムンゾ国民の事を思えば、条件は悪くない。
少なくとも、連邦の治安と称した市民への弾圧を先延ばしにはできるだろうから。
ハゲつぶ…バスク・オムが小気味良さげに含み笑うけど、おれが顔色さえ変えないのを見て、つまらなそうな顔になった。
「僕は、お父様の決定に従います」
「……そうだな」
ドズル兄貴も頷く。
「わが子可愛さに、閣下が決断を誤らぬ事を望むぞ」
バスク・オムが口を挟む。
兄貴とおれが嗤ったのは同時だった。
――舐め過ぎだろ。
ザビ家がそこまで甘いと思ってか。
牙を剥く獣みたいに。場に満ちる怒気に、将校の後ろに控えた兵士らが一歩下がった。
鼻白むハゲつぶらに、告げるドズル兄貴の声は、いっそ静かに、けれど反論を許してなかった。
「追って返答する。貴殿達は基地で待たれるが良い」
「……急なことですまないな。では、よろしく頼む」
バスク・オムよりも先に、今まで空気みたいになってた基地司令官が了承した。
顔色は悪いものの、口調ははっきりとして乱れはなかった。
そのまま、膝を打って立ち上がる。
バスク・オムは忌々しげな視線を一つ投げ、小さく舌打ちしてからあとに続いた。
「返答は、明日の昼まで待つ。それ以降は、治安部隊が動くと思え」
まるきり脅迫じゃないか。
ホント、随分な態度だな――声だけはドズル兄貴によく似てるのに、ぜんぜん好感度あがらんわ。
声だけは良いのに。まったく。
去って行く後ろ姿を眺めて。
いつか喰い殺してやるよ、なんて、腹の底の“獣”が舌なめずりするのに薄く笑った。
✜ ✜ ✜
「『………………キャスバル?』」
そして、今おれは弱りきっている。
「『キャスバル、キャスバル、応答願います――って、頼むから応えておくれよ』」
そりゃ、普段からオープンじゃないけどさ、それにしたって、一切の意識を閉じて締め出すってどうなの?
おれが閉じたら、なにが何でもこじ開けてくる癖に。
思考波でもダンマリ、言葉でもやっぱりダンマリって、ヒドイ。
「『キャスバル、キャスバル〜………キャスバル』」
ちょっと泣きそうなんだけど。
ジーン・コリニー中将とか言うヤツのゴリ押しで、おれは地球に連れてかれる――それはもう避けようがないんだろう。
その事を告げた途端、この有様である。
時間が無いのに――明日の昼までにはザビ家からの回答が。
そしたら、直ぐにでも、お前から引き剥がされるんだぞ。
拒絶するみたいに向けられた背中に、張り付いて揺さぶる。
「『ねえ、キャスバル、お願いだから話を聞いてよ!』」
悲鳴じみた“声”が出た。
お前から離れたくなんかないのに――だけど、もう、いまはどうにもならないだろ!
畜生、コリニーだかコロリーだか、ソイツを今すぐ血祭りに上げてやりたい――ついでにハゲつぶらも。
「………聞いてるさ」
硬い声だった。
意識は閉じられたまま、けれどようやく返った声に、力が抜けた。
顔は背けられたままで、青い眼が見られないのが、ひどく寂しい。
「『どのみち、そんなに長いことじゃない。おれが地球に降りたって、ムンゾの反発は収まらないだろ』」
「むしろ高まるだろうな」
吐き捨てるみたいな口調。
そうね。ムンゾ国民、怒り狂うかも。でも、サスロ兄さんあたりが、お涙頂戴話にしてくれるはず。
「『だけど、上手くすれば半年は稼げる――そうなれば、お前は卒業する。ちょうど、“ギレン”の想定してる開戦時期だ』」
「……危険だ」
「『だね。でも、やんないと。そんで、お前のとこに戻って来なきゃ』」
行ったきりになるつもりなんか皆目無いんだ。
絶対に帰ってくる。
「『ね。これはおれに用意された“戦場”だ』」
おれに――ザビ家に売られた喧嘩だ。
「『ちゃんと勝つよ』」
「『……勝って、戻れ』」
その瞬間、意識に触れたのは思考波だった。
いつも通り、嘘がないことを確かめるみたいに、おれの内側を浚っていく感覚は、いつもよりも少し強くて、引っ掻かれてるみたいだ――けど、抵抗せずに好きにさせる。
「『戻るさ。当然だろ』」
隣を歩くって決めたんだから。
「『だから、それまでは頼むよ、まずは“あの子達”のこと』」
おれの“宝物”――アムロたち、子供たちのこと。
「『……泣かれるぞ』」
「『だから頼むって言ってんの! それから、“仲間たち”のこと』」
お願いしてんのに、なんでまたダンマリさ。
「『キャスバル? 暴走させないように、アイツらのこと、ちゃんとセーブしてよ?』」
「『……彼らのフリーダムは君のせいだぞ』」
ゲンナリした“声”だった。
今更なに言ってんの。
「『大丈夫! お前の言うことは聞くから!』」
「『………なぜ、そう言い切れる?』」
疑い深いなぁ、もう。
「『そんなの、みんな、お前に、ゾッコン惚れ込んでるからに決まってるだろ!』」
この3年間、何を見てきたのさ。
いつものメンバーは勿論、生徒一同、お前に付いていくことに異存はないんだ。
「『それは君にだろう……』」
「『最初はそうだったかもね。だけど、いまはもう、お前なんだ、キャスバル』」
彼らが従うことを決めたのは、“ガルマ・ザビ”じゃなくて、キャスバル・レム・ダイクンなんだよ。
みんな、おれと一緒にお前を支える同志ってわけ。
「『自分で落としたんだぞ、自覚無しかよ』」
孤高気取って周り見落としてんじゃないよ。
ゴスっと、背中に頭突きを一発かましてやる。
「『この誑しめ。今じゃ、どいつもこいつもおれのライバルじゃないか』」
ふんすと鼻を鳴らすと、キャスバルの背中が小さく揺れた。そこで笑うのか。
「『――……半年だ』」
「『ん。半年だね』」
「『卒業しても戻らないようなら、君の居場所は――そうだな、シンにでもくれてやるか』」
ちょ!? なんつーことを!!?
意地の悪い“声”で、意地の悪いことを言うキャスバルの背中に、ガツンガツン頭突きを繰り返す。
「『やめろ、痛い』」
「『――……シン、始末してから地球に降りて良い?』」
軋る様なおれの声に、キャスバルの背中がさらに揺れた。
「『だめに決まってるだろう』」
嫌ならさっさと戻ってこいなんてさ。
半年後の“居場所”のために、おれは死にものぐるいで戦うしか無さそうだね。
メンバーへも通達した。
なんと言うか――阿鼻叫喚だった。
武器庫に走ろうとした面々を、キャスバルと二人で必死に制止した。
ここを爆心地にするつもりか貴様ら。
3回生諸氏、決起はまだ先だって言ってんだろ!!
全員、格納庫の床に正座でお説教である。
「『君達が暴走すると、僕の帰る場所がなくなるんだぞ』」
溜息。そろそろ泣き止んでよクムラン。
ロメオ、君もだ。脱水になりそうで心配だよ。
それから、唸りだか軋りだか呻きだか、形容し難い声を上げてる皆もさ。
「――我々が護るべきは、なんだ」
カツンと、ひとつ硬い靴音を響かせて、キャスバルが前に出た。
格納庫の照明を受けて、キャスバルの金色の髪が、青い眼が燦めく。
声を張るわけじゃないのに、場の視線が一身に集まった。
「同志であるガルマひとりの身か――それとも、それぞれの故国、そこに暮らす家族や人民の命や暮らし、コロニー社会の自由か」
その問いかけに返るのは、噎び泣く声と、いまだ悔しさの滲む唸りだ。
だけど、一同の瞳に宿には、理性の光が戻り始めてた。
「ガルマは言った。これは自分に用意された戦場だと。勝って戻ると。……戦いはもう始まっている。この中の誰よりも早く戦場へ赴くガルマに、我々が出来ること、すべきことは何だ」
キャスバルが振り向き、つられて皆の視線がおれに向いた。
え。これ、おれも演説ぶる流れ?
うぬ。ちょっと緊張――なんて、小難しいことを言うつもりなんて無いけどね。
「練度を上げて。……悔しいけど、今すぐに連邦に介入されたら、僕たちの勝ちは薄い。だけど、少し先の未来ならどうかな? ムンゾはいま、急速に戦力を高めつつある」
グルリと見回す。
機密にではあるけど、既にザクⅡの製造に入ったと聞いてる。量産までは、まだ少し掛かるだろう。それでもあれが装備されれば、MS戦はムンゾが有利になる。
建造中の新戦艦だって数が揃うだろう。
その時まで連邦軍の動きを抑えることが出来れば――歴史が変わる。
「卒業までだ。精鋭中の精鋭を、僕は期待する。ムンゾの“牙”が揃うまで――僕はそれまでの“時間”を稼ぐ」
どんな手を使っても。
「そして、来たる日には、僕は必ず、君達の隣にいる――“ガルマ・ザビ”の名に誓って」
言い切って胸を張る。
だから、“良い子”で待っててよ。
それなのにさ。
「……そこは、もうひと声欲しいぜ」
リノが、鼻を啜りあげながらニヤリと笑った。
「そうだな、足りないな」
なんだよ、シン、何が足りないってのさ。
クムランやライトニングも、ルーもケイもベンも、ロメオまで――ゼナ、君もか。
それに倣うみたいに、3回生達が、みな口々に足りないと文句を付ける。
“ガルマ・ザビ”の名で足りないってなにさ。
何だったら足りるの――って。
――……あ。
「……そうだね、足りなかったかも」
思い付いて、小さく笑った。
キャスバルに目を向ける。
おれが、絶対に破れない誓いをたてるなら、それはおれ自身より、むしろ。
「『“ガルマ・ザビ”は、キャスバル・レム・ダイクンに誓うよ。戦いのその日、必ず、その隣に立つと――立会人は、ここに居る諸君だ!』」
その誓約に、今度こそ、雄叫びみたいな呼応があがった。
格納庫の壁に、天井に、床にまで反響し、空気を震わせるそれは、腹の底の“獣”さえも奮い立たせるもので。
『……頼むね』
『ああ。必ず戻れ』
『はいよ。りょーかい』
行きたくない気持ちには蓋をして、不敵に見えるだろう笑みを浮かべてやった。
あくる朝までは、家族からの通信に応じてた。
姉様は、目が赤かった。
もしかして、少しだけ泣いたのかな。いつかの世界線からは想像できないかもね。
でも、ここでのおれの“姉”は、苛烈だけど愛情深いひとだ。
サスロ兄さんも、ひと目で空元気とわかる様子だった。時々訪れる沈黙が、そこで飲み込まれた言葉があることを知らせてきて、小さく胸が痛んだ。
デギンパパは、ただただ、「愛している」と「すまない」を繰り返してた。
ごめん。一番悲しんでるのはパパかもね。
憔悴した様子が胸に刺さる。国を治めるものとして、その決断は“斯くあるべき”もので、おれはそれを尊敬してる。
約束するよ、絶対に帰ってくるって。
モニタ越しに手を重ねたけど、当然、返ってくる温みはなくて、ちょっとだけ寂しい。
子供たちには、まだ知らせる事はしない。今頃休んでる頃だろ――良い夢を。
ナイショにしたこと、きっと怒るんだろうなぁ。
通信が終わっても、画面を落とせないでいたら、背中からキャスバルに目を覆われた。
言葉にならない思考波だけが渦巻くようで、感情が纏まらない。
おれは臆病だから、ほんとは、今だって震えそうなほどコワイんだ。
口角は持ち上がったままだったのに、掌の温度を感じた瞼の奥から、ジワリと滲んだもので皮膚が濡れた。
『…………泣き虫め』
『君が言わなきゃバレないよ』
良いだろ。どうせ、地球に降りたら、意地でも涙なんて溢せないんだから。
✜ ✜ ✜
明くる日、正午までは大分あるってのに、早くもハゲつぶら――バスク・オムが襲来しやがった。
ドズル兄貴が青筋立てながら対応してるとか。
なんなの?
暇なの? バスク・オム。
おれは正午までは出てかないよ。身支度とか色々あるからさ。
必要最低限のものは纏めてあるけど――それ以上は後で送ってもらうことになってるし――何より、いまはパック中なんだ。
『…………そのヨーグルトは食べるんじゃ無かったのか』
『ヨーグルトパックだよ』
手っ取り早く肌を整えられるだろ。
ハチミツやら何やら、有効成分満載のそれは匂いからして美味しそうだけど。
『必要なのか?』
『必要だとも』
ある種の戦化粧だとでも思うがいい。
身奇麗にしておくことは勿論、それ以上に好ましい姿でいることは武器になる。
幸い、ガルマ・ザビの見た目は整ってるから、少し余計に手入れすることで、一層人目を引くことが出来るだろう。
『そりゃ、お前ほど整ってればこんな小細は工不要だろうけどさ』
クスリと笑う。
キャスバルが顔をしかめた。
『籠絡する気か』
『……できたら良いけど、妲己や末喜じゃあるまいし、そこまでは期待してないさ』
『――どうだか』
なんて。ジーン・コリニーの為人も知らんのに、そうそう懐柔は難しかろうよ。
せいぜい、手元に置いて不快にならん程度には磨いとかんと。
甘い匂いのヨーグルトを洗い流せば、モチモチ艶々の肌があらわれた。
ん。あっちでもこの程度なら続けられるだろ。
手触りを確かめたかったのか、プニプニと突いてきたキャスバルの指が、不意に頬を摘んで引っ張った。
『ふぉ!?』
お止めよ。跡がついたらどうすんのさ。
『伸びる』
『痛いからね!?』
なんて、じゃれていられるのも、あと少し。
刻限が迫って、校長室へと連れて行かれる。
何故かキャスバルもついてきて、誰もそれを咎めなかった。
バスク・オムは前回と同じソファに座っていて、おれを振り返ると、ニヤニヤ笑った。
相変わらず性格悪そうね。
隣でキャスバルが視線を鋭くする。
『こんな奴が迎えか』
『そ。ハゲつぶら。バスク・オム少佐だってさ』
キャスバルの思考波が一瞬震えた。吹き出すのを堪えた様子。ね、的確な表現でしょ。
そんな相手とずっと対峙してたドズル兄貴と言えば、いま3人くらい殺ってきました、みたいな凶悪な人相になってた。
「来たか、ガルマよ」
「はい。参りました」
ニコリと。
ハゲつぶらにはおざなりに会釈を。
バスク・オムが不満そうに何かを言いかけたとき、正午を告げる鐘が鳴った。
部屋に設置されていたモニタが点り、そこには“ギレン”とデギンパパの姿があった。
いつもと何にも変わらない“ギレン”はともかく――いやほんと、借りにも“弟を人質に出す”ってのに、まったく何も感じて無いように見えるってどうなの――デギンパパも、昨夜見たような憔悴の影は隠せてた。
〈――バスク・オム少佐か〉
老いてなお張りのある声が場を打った。
「いかにも」
余裕がありそうに見えて、一瞬の緊張にオム野郎の背筋が伸びる。
「首相御自らご返答戴けるとは、光栄ですな。――して、そのご返答はいかに」
嘲るような声は、事更に優位に立とうとする故かね。
そんなバスク・オムを、パパンは成り損ないの道化師を見るような目で眺めた。
〈……ガルマをお預けしよう〉
乾いた声だった。
「そうこなくては!」
バスク・オムがパンと手を打って、おれを振り返った。
酷薄な笑い貼り付けたまま、その腕が延ばされる――けど。
〈まだだ!! 貴公は、暫の間離れ離れになろうと云う親子に、別離の言葉すら交わさせぬつもりか!〉
慮外者へ叩き付けられる声。
「……これは失礼した」
オムは小さく舌打ちして、それでも取り繕うように、おれをモニタの前に押し出した。
〈ガルマ…〉
近寄れば、色硝子の奥で、パパンの目がせわしなく瞬いていた。
「お父様」
答えて微笑む。
いつも通りの表情で。少しいたずらっぽく小首を傾げ視線を合わせてから、それを社交の場で浮かべるそれに切り替える。
それだけで、パパンにはおれの“やる気”が伝わったみたいだった。
だって、おれは“ガルマ・ザビ”だからね。
子供の頃から要人の間で生きてきたんだ。立ち居振る舞いやら受け答えやら、果ては腹芸の数々まで、この身にしっかり染み付いてんのさ。
門前の小僧が習わぬ経を読むんだ、いわんやザビ家の末子をや、なんてね。
「お父様、行って参ります。どうかご健勝で。僕のことはご心配なさらずに」
〈……子を心配しない親があるものか。くれぐれも身体には気をつけるのだぞ〉
「はい。メッセージを送ります。お手紙も」
この辺りのことは、実は昨夜も伝えていたことではあるけど。
でも、心配なのも、寂しいのもホント。何度だって伝えたくなるんだ。
「それから、あの子達のこともお願いします。何も伝えられないままなので、泣いてしまうかも知れません」
むしろ、ギャン泣きで大暴れする可能性無限大――ごめんなさい。なんとか宥めてくれると嬉しい。
キャスバルにも頼んではいるけど、身近に居られるわけじゃないからね。
「おお、もちろんだとも。お前の可愛い子どもたちのことは、よくよく気をつけておくことにしよう」
デギンパパが何度も頷いた。
あの子達のことは、パパンも可愛がってるからね。
そして、“ギレン”に向き直る。
さあ、敵地に赴くおれに、なんか言うことあるよね?
じーっと見てれば。
〈――………あー…〉
この期に及んでまだ言葉を探すのか。パパンがめっちゃくちゃ睨んでるじゃないか。
〈……とりあえず、サスロとキシリアからは、伝言を預かっている。“愛している、身体にはくれぐれも気をつけて”と〉
「……はい」
とりあえずってなんだよ。
『ほんと“ギレン”ってマジ“ギレン”だよね!』
『……ギレンだからな』
ずっとトゲトゲしてるキャスバルでさえ、呆れたように息を吐いた。
〈……私からは、気をつけて行け、と。そう云う意味では心配はしていないが――まぁ、何があるかわからんご時世だからな〉
いや、心配してよ。何があるか分からんって言ってんだし。
そろそろ脳内ツッコミがカナシミに変わってきそう。
〈……まぁ、それくらいか。そうだ、“あまり羽目を外し過ぎるな”よ〉
それは、取ってつけたみたいな言い方だった――けど、さ。
――え?
“羽目を外すな”じゃなくて?
あの、ギチギチに手綱引き絞って監視付けまくって行動制限しまくりやがってくれた“ギレン”が、“羽目を外し過ぎるな”、なんて、つまり。
『解禁きたわー!!』
『ギレン、正気か?』
パパンが“ギレン”をどやしてるけど、これはGOサインが出たと判じるよ。
「わかりました。“ギレン兄様”――“羽目を外し過ぎないように”気をつけます」
つまり、開戦までの時間を稼ぎつつ、出来るだけ連邦軍の内部を掻き回してこいって指令だよね。りょーかいした。
「“兄様”も、お気をつけて」
〈無論だ〉
既に戦端は切られているって、“ギレン”はとっくに知ってるんだ。
〈お前が“暁”に間に合わんとしても、必ず戻ってこい。お前のあるべき座は、用意されているのだからな〉
ん。やっと“戦え”って。その場を用意してるって言ってくれたね。
「はい――それでは、行って参ります。父様も“ギレン兄様”も、どうかご健勝で」
踵を合わせて敬礼する。
デギンパパと“ギレン”からは返礼が。
「……宜しいですかな」
底意地の悪そうな声だった。
お前は、そんなにおれをムンゾから引き剥がすのが愉しいのか、バスク・オム。
〈結構だ〉
いつまでも引き伸ばせないのは、みんな分かってるんだ。
〈バスク・オム少佐にお訊きしたい〉
だけど、“ギレン”にはまだ少しだけ話す事があるみたいだった。
〈コリニー中将殿は、“ガルマ”がどんなものであるか、ご存知でそれをご所望になったのか?〉
「何を云うやら。ザビ家の最も愛された四男坊、そうではないのか」
バスク・オムが馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
デギン・ソド・ザビの掌中の珠、酷薄で知られるザビ家の兄姉が例外的に溺愛していると言う――だからこその人質なのだと言外に告げてくる。
〈――なるほど〉
「さて、それが何か?」
〈いや――では、本当に“ガルマ”で宜しいのだな?〉
“ギレン”は思案顔だった。
「くどい!」
バスク・オムが吼えた。
「コリニー中将は、ガルマ・ザビをとの思し召しなのだ。貴殿らに、それに疑義を差し挟むことなど許されることではない!」
振り払うかに手を振って、苛立ちを隠そうともしない。
対する“ギレン”が薄く嗤った。
〈なるほど、了解した。では、“ガルマ”を望まれたのはそちらであると、コリニー中将にはお伝え戴きたい。“ガルマ”がそちらで何をしようと、われわれは一切関知しないとな〉
〈ギレン!!〉
あまりの言い分に、デギンパパが唸り声を上げた。
そりゃね、おれが何をしようとザビ家は関知しない――裏を返せば、連邦がおれに何をしようが構わないって言ってるようなもんだし。つまり、おれには人質の価値なんて無いってことだろ。
一瞬、激昂しかけ、それでもパパは自分を抑えた。
〈……失礼した。ガルマに何かあってみよ、連邦は、ザビ家のみならず、ムンゾすべてを敵に回すことになる。然様心得られよ〉
刺すような語調。重くて暗い、呪詛みたいな声だった。
「――なるほど」
バスク・オムが厭らしく嘲笑する。
「ガルマ・ザビを、ザビ家が溺愛していることは理解した――ただひとりを除いてな」
長兄からは疎まれてるって判断なんだろうけど。
――それ違うから。
〈敵を見誤ると、いずれ足許を掬われることになるぞ〉
“ギレン”の言葉は、全部、おれの箍を外すものばかりだ。
お前が何をしようと、ザビ家は止めない。思う存分やって来い”って、“おれ”にはそう聞こえるから。
腹の底で“獣”が嗤った。
雁字搦めの鎖が、ジャラジャラと音を上げてる外れていくようだ。
『……“ギレン”は本気で君を解き放つ気か』
『そうさ。“喰い荒らして来い”って言ってんの』
内心でニンマリするおれに、キャスバルの思考波がやり過ぎるなと突っ込みを入れてきた。
「さて、もう宜しいでしょうな」
バスク・オムが促してくる。
〈あぁ〉
〈ガルマ、息災でな〉
「お父様も」
見交わして、頷いた。
不意に腕を引かれて、キャスバルの胸元に鼻を突っ込む――ちょ、潰れたらどうすんのさ。
「……ガルマ、気をつけて。『必ず戻れよ。……女絡みは、“アルテイシア”の名前で躱せ』」
「“シャア”も無理しないでね。『勿論、必ず 戻るさ、誓ったろ。……なんでお姫様さ。下手すりゃ疵がつくだろ』」
おれが名前を出したら、他に嫁ぐことが難しくなるじゃないか――アルテイシアの将来の恋を潰しかねないのに。
『兄の僕が構わないと言ってるんだ』
『……お兄ちゃん横暴だわ』
――……まぁ、いっか。いざとなりゃ、おれが振られたことにしよ。
ちょっと遠い目になったら、キャスバルが小さく笑った。
ギュッと抱きつく。不覚にも鼻の奥がツンとした――息を詰めて、涙だけは引っ込めたけど。
「ザビ家の男として、胸を張って行ってこい!」
「はい、ドズル兄様」
兄貴の苦しいくらいの抱擁に、物理で涙ぐみそうになるのを、こっちも根性で止める。
バスク・オムの野郎が、ニヤニヤ眺めてくるからね。
「では行くぞ」
偉そうに命じてくる声に、鼻を鳴らしそうになるのを堪える。
ハゲつぶら如きにおれが従うと思ってんの?
〈行ってこい〉
モニタの向こうから、“ギレン”に送り出される。
「……はい」
――征ってくるさ。
この先は戦場だ。
そして、どんな戦いだって勝ってやるって、“おれ”は、そう決めてるんだ。