「初めまして。ブライト・ノアです」
――ブライトさん!??
なんて荒ぶる内心とは裏腹に、おれの猫皮は、ばっちりお仕事をしてた。
穏やかな微笑みを貼り付け、少しだけ首を傾げて、そっと右手を差し出す。
「“ガルマ・ザビ”です。ウッディさんから聞きました。連れ去られるところを知らせてくれたそうですね。ありがとうございました」
「いえ、当然のことをしたまでです」
ブライト・ノアは、少し緊張した面持ちで、それでもしっかりと手を握り返してくれた。
ん。真面目だね。
黒目がちなところも、早くも前髪をあげている――でも後れ毛が多めだ――ところも、いつか見た画面の中の彼の面影がある。
まだ16才とのことで、なんとも初々しい。
これがあと数年で、あんなにも落ち着いた青年になるのか。
引き合わされたのは、校内のラウンジでだった。
先日の騒動――案内役の教官がちゃんと案内しやがらなかったことだ――の時に、いち早く異変に気づいて、ウッディ・マルデンに知らせてくれたのが、彼だったそうな。
実際には危険なことは何もなかったけど、状況によっては酷い事態も考えられたわけで、となれば、ブライト・ノアは“ガルマ・ザビ”の恩人というわけだ。
「時間があるなら、一緒にお茶をしてくれませんか? 僕まだあんまりここに慣れてなくて……だけど、君となら話せそうです。ダメ?」
年上だけど、ちょっと上目遣いに伺ってみる。
だってブライトさんだぞ。あのブライトさんだぞ。どうしたって、わくわくドキドキしちゃうだろ。
「ノア、頼めないか? ガルマは少し人見知りのようでな」
マルデンか援護射撃をしてくれた。
ブライトさんは、少しためらう素振りで、でも少しならと席についてくれた。
心中で小躍りする。
「コーヒーにする? 紅茶がいいかな?」
「……ではコーヒーで」
はいよ、りょーかい。
ひらりと手をふれば、給仕はすぐに注文を取りに来てくれた。
コーヒーを待つあいだ、それからコーヒーが来た後も、とても他愛ない話をした。
“ガルマ”と呼んでほしいとねだったら、ブライト呼びを許可してもらった。
素晴らしい。これで大手を振って「ブライトさん」って呼べるじゃないか。
最初は緊張した様子だったけど、そのうちに、二人で声を上げて笑った。
マルデンは、そんなおれ達を見て、穏やかに微笑んでた。
一見して和やかな時間だった。
「あ! ガルマ・ザビ!!」
唐突に名を呼ばれて振り返る――誰よ闖入者?
「……フレッドじゃないか」
「なんだよ、覚えてられるじゃないか」
そんな真顔で言われてもな。
――だからおれが覚えてたら、いろいろまずい事に……って、もう良いか。
溜め息に苦笑が混じる。
先日、一度だけボードゲームをしただけなのに、フレッドは気安かった。
勧められるのを待たずに、隣に座ってくる。
「君一人かい?」
――愉快な仲間たちはどうしたのさ?
「ああ。あいつらは後から来る」
なるほど。ここはじきに過ぎるほど賑やかになるということか。
乱入者にブライト・ノアが目を見開いていた。
「先日、僕を匿ってくれた人です。あと4人いて、“The Game of Fun Army Life(素敵なアーミーライフ)”を一緒にプレイしました」
事実だけを伝える。そもそも自己紹介ちゃんとしてないから、それ以外のこと知らんし。
「…………あのゲームですか」
あれ、プレイしたことあるのかな。ブライトさんの目がちょっと遠い。
市場調査で感想聞きたいかも。
「今度一緒にやりま…」
「ご遠慮します」
誘ったら食い気味に答えられてしまった。滅茶苦茶強い拒否である。なんたる。
「そうだやめとけよ、こいつ平凡な幸せエンドだったんだぜ」
「……それは、なんと言うか…」
なに二人で仲良く頷きあっちゃってるの。
ぷくりと膨れたら、拗ねんなよとフレッドが肩を組んできた。
ヲイ。ゼロ距離って慣れ慣れしすぎない?
グイグイ来るなぁ。
ウッディ・マルデンは苦笑いしてるけど、フレッドを追っ払ったりはしない。
――追っ払ってもいいのよ?
あんまり深入りしないことにしてるんだ。
だから級友とも距離を置いてるし、ブライトさんに関しては、ちょっとだけ浮かれたけど、今だけのことにしようって思ってるし。
どう席を立とうか、頭の中で巡らせた時、横からマルデンに腕を掴まれた。
「君は、ここで少し友人を作った方がいい」
黒に見えるほど濃い茶色の瞳には、純粋な気遣いが浮かんでた。
――要らねぇんだよ!
一瞬、大きく波だった感情を、深く深く沈める。
ここで激昂とか、ゼッタイにしちゃ駄目なことだ。
――……関わりたくないんだ。
あと、たった数ヶ月のことだろ。
もしかしたら、戦場で銃口を向けなきゃいけない相手と親しくなってどうすんのさ。
それが必要なら“おれ”は躊躇いなく撃つけど、だからって知り合いを好んで殺したい訳じゃない。
やんわりと笑うだけのおれに、マルデンの気がかりそうな視線が刺さる。
そんなふうに見ないでよ。
無意味なんだよ。この、地球での士官学校生活なんて。
黙りこんだおれを、フレッドが覗き込んでニカッと笑った。
「なんだ、ぼっちかよ? そんじゃ、俺らの仲間に入れてやっても良いぜ?」
――黙れフレッド。
なんだろう、微妙にイラッとくる。
そのうちにドヤドヤと残りの四人が来て、おれたちを見てドン引いた顔をした。
そうだよね、そっちの反応が普通だよね。
「ねぇ、オリヴァー、フレッド回収してくれません?」
多分リーダー的な立場にいるオリヴァーに頼んでみる。
「なんか辛辣なんだけど、ガルマ・ザビ」
「……何やってんだお前ら」
「交流だよ」
なぜかマルデンが笑いながら答えた。
「協力してくれ。どうにもこうにも、ガルマはクラスではツンツンしてしまってね。馴れない猫みたいなんだ」
「……へぇ。意外だな。もっと人懐っこいのかと思ってた」
オリヴァーが目を瞬く。
「なんだ? 気が合わない奴でもいるのか?」
「合うも合わないも……みんな良い人たちばかりですよ」
そもそも会話してないし、視線も躱してるし、交流の糸口を作らんようにしてるだけ。
だってさぁ。ハイマンの野郎が集めただろう面々は、予想外に“普通の子”達だったんだ。
スペースノイドへの反発心の薄い、比較的ボンボン育ちの――決して上に影響のある家柄じゃない子供たち。
コレがエリート集団だったら、利用してやれたのにさ。
なるほどね、“人質”の交流範囲には最適だ。親しくなれば、後々、“ガルマ・ザビ”の足枷になろうほどに。
まぁ、癖のある人間を好きになる傾向があるおれとしちゃ、食い足りない感があるけどね。
おれを手元に置きたがるのはジーン・コリニーだけど、地球に留め置きたがるのはジャミトフ・ハイマンだ。
個人的な嗜好が強くなってきたコリニーより、ハイマンは、連邦とムンゾの関係の行く末を考えて、ザビ家の末子を抑えておきたいんだろう。
奴は、一部のエリートによる人類の支配と管理を理想としてる――愚かな人類は、優れた人間が管理しなければ、たやすく滅びると、心底から信じている様子だったから。
ここで言うエリートとは、ハイマンが厳選した人間のことだ。それなりにお眼鏡にかなっただろうおれも、候補の一人らしかった。
コリニーにしろ、ハイマンにしろ――グリーン・ワイアットにしろ、いずれもおれをムンゾに戻す意志は無い。
手懐けて駒にしたい連中は、おれに鎖をつけようとあの手この手の毎日だ。
あいつらはそのうち噛み裂くとして、今のこの現状はどうしようかね。
曖昧に笑うおれを、オリヴァーは顔を顰めて見て、それでもフレッドの隣に座った。
オリヴァーが席に着けば、他の面々も次々にそれに習う。
ラウンジのその一角は、ぎゅうぎゅう詰めの大所帯になって、人目も集めるから、居心地は微妙だ。
それでも、ブライト・ノアを交えて皆であれこれ話すのは、楽しくないとは言えなかった。
✜ ✜ ✜
華やかに飾られた会場には、軍服姿が溢れてる。
ムンゾより、軍関係者のパーティーは多いんじゃないかな。
地球に連れて来られてから、コリニーに連れられて、度々出席するようになったから、だいぶ慣れたし顔見知りも増えた。
もちろん、そのすべてが友好的とは限らないんだけど。
「古来、将にすり寄って国を傾ける毒婦は枚挙に暇がないが、本物の“毒婦”というものは、とてもそうは見えないものらしいな?」
表面上は穏やかな表情だけど、おれを見下ろすジョン・コーウェンの眼には、蔑みが浮かんでいた。
大方、ジーン・コリニーを誑かしただの何だの、そんな事を考えてるに違いない。
隣に居る本人の怒気が膨れ上がるのを感じながら。
「……人生経験が豊富なジョン・コーウェン中将閣下らしい薫陶ですね。引っかからないように気をつける、と、お答えすべきところでしょうが、僕にはあまり当てはまらないようです」
悪戯っぽく笑い返してみた。
暗におれの事を言っているのだとしても、あからさまにそれとは知らせてこないものに目くじら立てても仕方ない。
ここは受け流して、不発に終わらせるに限る。
少し離れたところで、グリーン・ワイアットが面白そうな視線を投げてくるのを感じた。
他にもチラホラと。ああ、ゴップも来てたのか。
「当てはまらない?」
驚きを装った声に、首肯する。
「僕のレディはたったひとりですから。毒婦なんてとんでもない」
たった一人はもう決めてるから、他には誑かされませんよと、そう話をすり替えてやれば、コーウェンは片眉を跳ね上げた。
まさか、ここで「毒婦はお前だ」なんて話を戻せないだろ?
苦虫を噛み潰したようなコーウェンの顔に、溜飲を下げた。
隣からも、コリニーの勝ち誇ったような気配が。
「まぁ、そのお年でもう将来の伴侶を決めていらっしゃるの?」
早すぎないかしら、と、秋波じみた視線を投げてくる美女に苦笑。
コーウェンの気を引きたいなら、おれに絡むのは逆効果だよ。
「いやいや、確か、十二の頃から決まっているのではなかったかな」
後ろから割り込んできた声に目を見開く。
――なんですと?
くるりと振り向く。
何それ初耳なんだけど。ゴップ、適当なこと言わないで欲しいな。
「そうだろうガルマ君?」
――いいえ知りません。
なんて答えられないから、ただ微笑む。
変な設定ぶっこまれてきて、ちょっと戸惑うけど、その方が立場的には良いかも。
余計な相手を押し付けられないし。
なるほど、キャスバルが言ってたのもこれか。
「相手がいなければ、彼女をそういう意味でも紹介してやれたんだろうがな。おいで、ミライ嬢。彼がガルマ・ザビだ」
ふぉおおおおぅ。
ミライさん。ミライ・ヤシマ。
ブライト・ノアに次いでの遭遇だよ。
ここでも荒ぶる内心を、優秀な猫皮がすっぽりと覆い隠してくれていた。
「お会いできて光栄です、レディ・ヤシマ」
渾身の笑顔を振る舞う。
フルネームを伝えられる前に、ファミリーネームを呼んだおれに、ゴップがパチクリと瞬いた。
「知っていたのかね?」
「ええ、お名前は。我が兄“ギレン”を唸らせた才媛だと」
「まぁ!」
レディ・ヤシマは少し頬を染めてコロコロと笑った。
肩で切りそろえられたブルネットの髪。象牙色の肌は滑らかで、薄く化粧が施されていた。
作中で見たよりも、まだ稚さを残してるね。
少女が着るには深すぎる臙脂色のワンピースドレスも、知的な面差しにはよく似合っていた。
少女の登場で、その場の空気が改まる。
さすがにヤシマのご令嬢の前で、おれをあげつらうのはよろしくない。
それすら見越して、ゴップはここで彼女を紹介したんだろう。
――この場はアンタに勝ちを浚われたね。
一番と穏便に、波風立てずに抑えてみせた、この大狸の貫禄よ。
ジョン・コーウェンは、おれを一睨みした後、当たり障りのない挨拶をして離れていった。
もしかしたら、あの目にはおれが春秋の“夏姫”にでも見えてるのかも知れないね。
まぁ、コリニー達の他にも、交流し得る限りの複数人数の将校、士官(男女問わず)から好意や興味を引っ張り出してるから、コーウェンの危惧は分からんでもない。
中にはおれの気を引こうと、ムンゾに有利な条件を提示する輩も出てきたし。
ついでに、一部のガチ勢から送られてきた手紙のせいで、先日もちょっとした騒ぎがあったらしいしね。
「私の夢の中で君は」から始まる官能小説モドキだったとは、ゴシップ紙を読んだフレッドからの情報だ。
おれ、読んでないけど――ゼッタイに読みたくない! 検閲バンザイ!!
そんなこんなで、コーウェンは連邦のために“ガルマ・ザビ”を排除したいと、それを隠しもしないから、おれを懐に入れたジーン・コリニーとグリーン・ワイアットとは事あるごとに衝突していた。
本来、彼は改革派であり、気質も陽気なんだろうに、“コロニー産のプロスティテュート”の存在を唾棄するあまり、あまり質のよろしくない奴輩と交流を始めたと聞いてる。
そんなコーウェンの態度は、スペースノイドへの差別とも誤解され、一部のアースノイド至上主義者たちを惹きつけていた。
――くわばらくわばら。
まるで波にさらわれる足の下の砂のように、立場に危うさの混じり始めた初老の将に、ほくそ笑んだ。
若い二人でダンスでも楽しできなさい、と、ゴップに促され――むしろ強制だった――、ミライ嬢の手を取ってホールの中央へ。
いまさらダンスに怖じ気づくことはないけど、腕の中にホールドするのが“ミライさん”ってのは、ちょっとだけ緊張するかも。
オカシイね、ずっと一緒だったアルテイシアには、そんな事なかったのに。
だけど、ミライ嬢の手は少しだけしっとりしてて、彼女も緊張してるんだって分かった。
――おれが緊張しててどうすんの。
気合を入れろ、おれ。リードなんて、いつかの時間軸で、魂に刻まれるほどに叩き込まれたじゃないか。
「大丈夫、君は羽根みたいに軽々と踊るから」
微笑んで、ぎりぎり強引にならないくらいの強さで淑女の腕を引いた。
つられて踏み出した爪先にタイミングを合わせて、軽やかにターン。
臙脂のスカートが花みたいに翻り、彼女の足は止まらずにステップを踏んだ。
少し小さなチョコレート色の眼が、驚いたように見開かれた。
唇が綻んで、愛らしい笑みの形を作る。
上気して林檎色に染まった頬、キラキラ光る瞳。
優雅に、そして何より楽しそうに踊る彼女に、周囲の視線が集まるのは当然だろ?
場所を譲るように、幾たりかがホールを引いた。去り際、年配のご婦人からのウインクには、微笑んで目礼を。
「……アルテイシアさんとも、こんな風に踊るの?」
茶目っ気たっぷりに尋ねてくるのに、内緒話をするように耳に唇を寄せる。
「ええ。でも彼女はお転婆でね、時々、爪先で僕の足に飛び乗ってくるんです」
つまり、たまに足を踏まれるってことだ。
意味を悟ったんだろう、ミライ嬢が眉を跳ね上げた。
「まぁ!」
「だけどそれが、薔薇の花びらみたいに軽くて、可愛らしくて、とても愛おしいんです」
内緒ですよ、なんて囁やいたら、その頬が林檎を通りこして紅くなった。
「聞いてる方が恥ずかしいわ!」
「これは失礼を」
澄ました顔で謝罪。
それから顔を見合わせて、堪えきれないみたいに声を上げて笑う。その間も、ステップは流れるみたいに。
くるくると、宣言通り羽根みたいに軽々と、小鳥みたいに可愛らしくホール中を飛び回ったら、最後はゴップの傍までそっと戻る。
一礼したところで、彼女も将軍に気付いたようだった。
「楽しかったようだな?」
ゴップがミライ嬢に笑いかける。
「ええ! ええ! ガルマさんったら、アルテイシアさんがどんなに可愛いかなんて話されるの!」
「なんと! それは君らしくもないマナー違反だぞ、ガルマ君。パートナーの前で別の女性を褒めるとは!」
「申し訳なく。彼女にとても可愛らしく尋ねられて、うっかり僕の口が滑りました」
和やかに会話しているところに、落ち着いた足音が一人分。
これもゴップによる予定調和かな。
視線を向ける先には、壮年の将校が居た。
中肉中背のコーカソイド。顎がガッチリしてるね。
少し色の抜けた金髪に、水色の双眸は、色合いの割に温かみを感じた。
「……ご歓談中に失礼する」
穏やかな声。ゴップがそちらに振り返り、満足そうに頷く。
「ああ、ブレックス・フォーラ准将。紹介しよう、こちらがムンゾ自治共和国のガルマ・ザビ。そして、ヤシマ財閥のミライ嬢だ」
「よろしく。君たちのことは、ゴップ大将より聞いている。大変優秀らしいね」
穏やかな水色の目が細められ、目尻に柔らかな皺がよった。
「お初にお目にかかります、ブレックス・フォーラ准将。ご紹介いただいたガルマ・ザビです。兄“ギレン”と面識があると伺っております。どうかよしなにお願い致します」
丁寧に一礼する。
「初めまして。ミライ・ヤシマです。お会いできて光栄です」
隣でミライ嬢も、初々しく微笑んだ。
「さて、お嬢さんにはこの老いぼれとも踊っていただこうかな?」
垂れた目をきょろりと回して、ゴップはコミカルな仕草でミライ嬢に手を差し伸べた。
「その間、ガルマ君はフォーラ准将の相手をしていてくれ。彼は時々ギレン・ザビとも話をしているようだからな、近況を知れるかもしれんぞ?」
――なんと。
動きそうになる表情を抑える。古狸は、些細な変化も見落とさないだろうから、隠しおおせられたかは分からないけどね。
ホールに出て行く大狸とご令嬢を見送ってから、ブレックス・フォーラ准将に向き直った。
准将の目には、“人質”に向ける少しの憐れみと興味はあっても、嘲りと優越はなかった。
それだけでも好感度が高い。
努めて、殊更に柔らかな微笑みを浮かべて見せる。
准将は僅かに首を傾げて、それから口を開いた。
「閣下は、ギレン・ザビの近況と言っていたが、君とは?」
連絡は取れていないのかと案じる風情。
問いかけに、笑みは崩さずに視線だけを落とした。
「……僕に許可された手紙は一通だけです」
地球に降りてから間もなく、ムンゾを鎮めるために出した一通だけ。それ以降は書くことを許されないし、向こうから送ってきてるだろう手紙も、通信も、何も届かない。
コリニーは――ハイマンもワイアットも、おれをムンゾから切り離したがってるから、どうしようもない。
その意味は正しく伝わったんだろう。
ブレックス・フォーラの双眸に過った光には、痛ましさと憤りが混じっていた。
「そうか。――ムンゾは安定している。安心しなさい」
「……はい」
まぁね。その程度のことなら把握してるから問題ないんだ。
頷いたおれを見て、准将は少し考え込む素振りだった。
「……私の知るギレン・ザビは、大変に優秀で、しかし何を考えているのかは計ることができない人だ。理想家肌であることは分かるがね。清濁併せ呑むこともできるだろうに、時に酷く清廉に見えて、危うく思えてしまうこともあるよ」
ふぉ。唐突に語りだしたよこの人。
――ねぇ、“ギレン”。コイツ、そっちで誑したの?
胸中だけで首をかしげる。
なんかムンゾの“ギレン”シンパ達と同じようなこと言ってるんだが。
じっと見つめてくるのは、おれからの情報も待ってるんだろうか。
「……僕の知っている兄は、いつもしかつめらしい顔をしてますけど、実は結構やんちゃでお茶目です」
「――……やんちゃで、お茶目?」
キョトンと。
すんごい意外そうな顔に、吹き出しそうになった。
「ええ。ザビ家はみんな、ちょっとやんちゃでお茶目なんです。ご存知なかったでしょう?」
ほんの少しだけ社交用の仮面を外して、素の笑顔をチラ見せする。
「なるほど……家族だけに見せる顔か。だが、まぁ、うん。ちょっと見てみたいものだね」
何を想像しているのか、くすくす笑いながら「やんちゃでお茶目なギレン・ザビか」なんて呟いてるし。
その笑みが消えて、もの思わしげな表情になったブレックス・フォーラは、急に手を伸ばしておれの頭を撫でた。
ちょっと待って、おれ、ちっちゃい子じゃないから。
「ザビ家の結束の固さは、聞き知っている――君が、とても愛されていることも」
そのザビ家からおれを取り上げたコリニー達に対して、フォーラは強い嫌悪感を抱いているようだった。
――良いね。
准将の心情はザビ家寄りだ。“ギレン”に懐柔されてたんだろう。
ゴップは連邦とムンゾのパイプの一つとしてフォーラ准将置いたんだろうけど、少しばかり“ギレン”に引っ張られている感が強い。
この先思えば、フォーラは連邦で安定した立場を築いてもらいたいね。
元々ゴップに釘を刺されてるけど、それ以上に、この男に手出しをするのはやめておこうと思った。
ホールに流れている曲調が変わって、見れば、ダンスを終えたゴップがミライ嬢の手を取って戻ってくるところだった。
めちゃくちゃ汗をかいてるっぽい。頑張ったんだね。
「いやいや…若いお嬢さんの手を取って……踊ることは素晴らしく愉しいが…、なかなか、体が…ついていかんよ…」
弾む息を抑えきれてない大将に、うら若き乙女は息も乱さず微笑んでいた。
日頃から少し体を動かしたほうがいいんじゃないかな、ゴップ。
さて、そろそろ大将閣下により遠ざけられていたらしいコリニーやハイマン、ワイアットが戻ってきていた。
連れ帰られる頃合いだろう。
屋敷に戻れば、どんな話をしたのかなど、根掘り葉掘り聞かれるんだろうと思えば、今からちょっと憂鬱。
――老境の旦那に嫁いだ、若い嫁じゃないんだからさ。
もうちょっと自由が欲しいなぁなんて、思っても無駄な事だって分かってるけどね。
✜ ✜ ✜
日々は忙しい。
地球に降りてから4ヶ月目に入った。約束の帰還まで、残すところ2ヵ月あまり。
「……君が気を許す相手は、ここには居ないのか?」
マルデンがため息をつく。
表面上は穏やかに、当たり障りなく周囲と接しているけど、その実、決して壁を崩さないおれに、困ったようなイラだったような。
なんなの。そんなにおれが“オトモダチ”を作らないことがご不満か。
教育者じゃあるまいし、それとも護衛の仕事内容って、おれの情緒まで入ってんの? そんな莫迦な。
「すいません。人見知りなんです」
ニコリと笑うのに、渋い顔が。当然、嘘だって向こうも気づいてるからね。
士官学校に放り込まれたのは、連邦軍にガルマ・ザビを取り込むためだ。
発案は、コリニーかハイマンか――もしかしたらワイアットかも――いずれにしろ、誰かの部下として組み込む予定だろう。
ついでに仲の良い学友を作らせて、感情面でも絆すつもりなんだろうけど、生憎とおれの愛情は、全部ムンゾに置き去りなんだよ。
いまさら、ここで大切なものなんかつくるわけ無いだろ。
「ブライト・ノアでも駄目か? あの5人は?」
「ブライトさんは好きですよ。と言うか、みんなのことも嫌いなわけじゃない。好ましいとは思ってるんです」
そのあたりは嘘じゃないよ。愛情がなくたって、好意くらいは湧くもんでしょ。
ただ馴れ合いたくないだけで、とは言えないから、そこは黙る。
これがコリニーやハイマン、ワイアットとか居並ぶ敵軍将校たちなら、媚びるも騙すも進んでするよ。ある種の戦いなんだから。
だけど士官候補生なんて、まだ“雛”だし。積極的に喰らうのは気が引ける。
甘さと言っちゃそれまでだけど、その辺はまぁ勘弁してもらいたい。
どのみち地球にいるのは、もう、そう長いことじゃないんだ。
マルデンに言われたからか、ブライト・ノアも、最初に知り合った5人も――特に能天気なフレッドと、アナコンダに飲まれたアイザックが――よく声をかけてくれる。
性根が優しいんだろう。嬉しいと、ありがたいと思わないわけじゃない。
「――……ですが、今の僕には、あまり関わってほしくないんです……何があるか、わからないから」
そっと視線をそらして、呟く様に。
マルデンが、ハッとしたような顔をした。
そうそう。最近、おれの周囲がきな臭くてさ。
アースノイド至上主義者たちの動きが、目に見えて活発化してる。
将校たちを手玉に取っているように見えるスペースノイドの小僧が余程に気に食わないと見えて、些細な嫌がらせから、重大な事故につながるような工作まで、いろんな事態が起きているわけだ。
さすがに校内では控え目であるけど、ゼロってわけじゃない。
近いうちに、必ず“事件”は起こるだろう。
巻き込まれた“雛”が対処できるかなんて不明だろ。
「ウッディさんだって、僕に関わる全ての人を守ってくれるわけじゃないでしょう?」
彼はおれの護衛だから、守るのはおれだけだ。
間に合えば、他も助けてくれるかもしれないけど、例えば同時に狙われた時、マルデンが優先すべきは、護衛対象たる“ガルマ・ザビ”ってこと。
「――すまない。私の考えが足りなかったようだ」
悔しそうな声。
おれが親しい友を作らないことを、相手を案じてのことだと認識しただろう彼は、己の力不足に憤ってるようにも見えた。
「いいえ。気遣っていただいたことは、とても嬉しい。ありがとうございます」
袖口をそっと摘んで、小さい声でお礼を言う。
マルデンは少しだけ眉間の皺を伸ばし、それからおれの頭をそっと撫でた。
せいぜい守ってよね。ウッディ・マルデン。
うっそりと嗤う。
おれが撒いた毒は浸透し、連邦軍上層部はかなりガタガタしてきた。
直に、勢力図は少しばかり塗り換えられるだろう。
脳内でパズルのピースを並べたて、俯瞰する先――ここからは、危ない橋を渡るというよりも、いっそタイトロープ。ひとつでも踏み外したら、この身の破滅だ。
見えないダイスを振る。
生死を伴わない盤上のゲームじゃ無いんだ。
この先で流される血を思う――おれのじゃないといいね。
程なくして、バスク・オムとその一派が更迭された。
ジーン・コリニーも、ジャミトフ・ハイマンも彼らを庇わなかった。
ジョン・コーウェンも手を差し伸べることは無いだろう。
そして、カタストロフィの幕が上がる。
踊れ役者ども。
この舞台の上では、誰も彼も、おれも、みんな道化師なんだからさ。