彗星と流星と白鳥。
この世界で、一番美しいとおれが思っている存在のひとり。
その白鳥が目の前にいた。
痛みより衝撃が、衝撃より感動が勝った。
二つに分けて緩く結われた黒髪は、黒絹なんて目じゃなかった。
浅黒い肌は瑞々しくきめ細やかで、小さな唇はふっくらと桜桃の色。
長い睫毛。いつか見たクロアチアの美しい湖より、なおも澄みきった新緑の瞳が大きく見開かれている。
その水面に沈んでる光はなんだろう。
神秘的って言葉は、彼女の為にあるのかも知れない。
ただ、ただ綺麗だと見惚れる。
朝焼けの丘で空を眺めるみたいに、降るほどの星空に酔うみたいに。
湧き上がるありきたりな賛美に絶望しそうになるほど、ララァ・スンは綺麗だった。
地べたに座り込んだままポカンと見上げてるおれは、さぞかし間抜けに映るだろうさ。
少女の細い指みたいな繊細な思考波が、そろそろと突付いてくるのを、呆然としてされるがままでいれば。
「『……あなたは誰? わたしのことを“読んだ”の?』」
めちゃめちゃ不信感に満ちた声だった。
しまった。名乗られる前に、名前を呼んじゃったからか。それとも突然、思考波が繋がったからか――多分、両方だ。
「『ごめんよ! わざとじゃないんだ。誰もいないと思ってたから……読んだわけじゃないけど、ほんとにごめん!!』」
いきなり意識にズカズカ入られたんじゃ、そりゃ怒るし、嫌な感じだよね。
心底から謝る。
どうしよう、これ、土下座案件かな。
さっきの激烈な反応だって、びっくりして弾いただけかも知れないし。
こちらからは触れずに、“意識”だけを開く。敵意も害意も何もないことを示すために。
「『おれは……ええと、名乗るのは後でもいいかな? 訳ありなんだ。だけど君に偽名は名乗りたくない』」
上目遣いに伺う。
ララァ嬢は、ツンと顎をそらして、それから肩をすくめて頷いてくれた。
「『だったら、これはなに? 耳だけじゃなくて、あなたの“声”が聞こえてる』」
「『“思考波”。研究所ではサイコウェーブって呼んでる。ニュータイプの意思疎通の手段だよ』」
「『……ニュータイプ? スペースノイドたちのお伽噺って聞いてたわ』」
『どうだろう? でも、君とおれはこうしてお喋りしてる』
声を出さずに、思考波だけを投げても、ララァ嬢はちゃんとキャッチしてくれた。
『変な感じね』
『慣れると楽だよ』
『……そうかも』
ここじゃ嘘はつけないのね、なんて、どこか安心した様子に、いつかのキャスバルを思い出した。
出逢いの衝撃からなんとか回復して、ふたりで桟橋に腰掛けて海を眺める。
ララァ嬢が、小さくて華奢な足をぶらぶらさせているのが可愛らしかった。
『あなたは“ソラ”から来たの?』
少しの沈黙のあとに、少女が尋ねてくる。
思考波でつついてたときに、おれが零した記憶を拾ったんだろう。
『そう。だから、“ソラ”に帰るんだ』
『……そこには綺麗なものがいっぱいるのね』
羨まし気な声色だった。
長い睫毛が、新緑のきらめきを少し翳らせる。
『帰ろう。君も一緒に』
ポロリと転がり落ちた言葉に、ララァ嬢はパチリと目を瞬いておれを見た。
星が瞬くみたいな光が一瞬灯って、すぐに消えた。
華奢な首が振られる――横に。
『……行けないわ。家族がいるの。お金を送ってあげないと』
細い指が、一枚の写真を取り出して見せてくれた。大家族の――だけど、そこに写ってるはずの少女は、いまよりもずっと幼い姿でしかなかった。
それはいつの写真?
どれだけの時間会えてないの?
たったひとりで引き離された彼女を、どうして取り戻そうともしない――。
刹那に浮かんだ、怒りみたいな疑念は噛み殺したけど、鋭すぎる感性はそれすらも捉えたんだろう。
達観した大人みたいな顔で、ララァ嬢は微笑った。少女が浮かべるにはそぐわない笑みだった。
『遠くにいれば優しいもの』
溜息みたいな声に、腹の底で“獣”が唸った。
よく見れば、幼さの残る頬には少しの腫れがあった。
独りぼっちの少女を誰かが叩いたのか。
今度の怒りは隠せそうもなかった。
ギリと奥歯が鳴って、ララァ嬢は驚いたように身じろぎしたけど、逃げる様子は見せなかった。
そう言えば、いつか見たスクリーンの中の彼女の頬も腫れていた。
カジノで、その能力が見破られて、賭けに勝てなかった翌日――物語の中で、キャスバルが……“シャア・アズナブル”が彼女を連れて逃げた日。
そうして、赤い彗星とその運命の少女の物語は始まったんだ。
だったら、いま、おれが君を連れて逃げたっていいだろ?
君を運命の元へ――キャスバルとアムロの隣へ連れて行こう。
『ねぇ、もっと遠くに行こう』
手を伸ばして、少女の手首を掴んだ。それは折れそうなほど細くて、少し哀しくなる。
『おれは悪党なんだ。だから――君を攫うよ』
ごめんよ。
出会ったからには、連れてく以外の選択肢は無いんだ。
ニコリと嗤う。
行こう。彗星と流星が、みんなが、君を待ってる。
爆発は、おれが少女を立たせたのとほぼ同時だった。
桟橋から少し先に浮かんでいた船が、火柱を上げて吹っ飛んだ。
見る前に船体が沈んでいく。
『……ッ!?』
ララァ嬢が叫んだのは雇い主だったギャンブラーの名前か。
続いて1艘の船が桟橋の方に突っ込んでくるのを認めて、咄嗟に少女の手を掴んで駆け出した。
こんなところで、物語と同じ展開になるとか。
アレだろ。あいつら彼女を狙ったギャングどもだろう。
捕まるわけにはいかない。
マリーナから一足でショッピングモールへ。ここを抜け大通りへ出たと偽装しつつ、そこからは裏道に逸れた。
狭い隘路。ここからは全力で行くよ。少女の脚ではついてこれないだろうから。
「『ごめんよ!』」
「『きゃぁッ!?』」
ララァ嬢を担ぎあげた。
荷物扱いで申し訳なく。キャスバルなら華麗にお姫さま抱っこが出来たんだろうけど。
『舌噛まないでね!』
ドンっと、一度背中を叩かれたのは少女からの返事か抗議か――イタタ。多分、後者だろう。後で叱られるから赦しておくれよ。
雑然とした路地は、このリゾート地の裏側の世界だ。
とは言え、スラムほどじゃない。富裕層のおこぼれを頂戴して、逞しく活きる界隈。
グネグネと曲がり道分かれ道行き止まり、迷路でメイズでラビリンスだった。
だけど、おれにとっちゃここは“庭”だ。
「マーサさんスンマセンお邪魔します!!」
「まーたなんかやらかしたんかい、坊」
洗濯干してる恰幅のいいご婦人の横を駆け抜け、勝手口からお邪魔して窓から抜け――隣の家の窓から侵入。
「いい天気だねリベラ爺さん!」
「またお前かイカサマ小僧……」
今度は玄関を出て向かいの家へ。
「あっ! 兄ちゃん駆け落ちか!?」
「相変わらずマセてんな、ニコ。むしろ略奪だよ」
「こら! おかしなこと教えんじゃないよ!」
「ジェンナ、ごめんよー」
「ほら、裏から出な」
「ありがと!」
なんて。
家を突っ切り庭を駆け抜け窓を抜け。走る走る。
そしてたどり着いたのは、安宿の裏口だった。
軋んだ音を立てる扉から汗だくになって駆け込むと、そこには大家たるジネヴラが。
「ちょっと、マーサから知らせが来たけど。あんた女の子攫ったとか駆け落ちしたって……ホントなんだね!?」
恐るべし下町ネットワーク。おれがたどり着く前に、既に情報が回ってたよ。
「まぁまぁまぁまぁ! そんな美人さん担ぎ上げて、あんた一体何してきたんだい!?」
なんてジネヴラが、歓声だか悲鳴だか、おれに対する怒声だかを上げながらヅカヅカ近づいてきた。
腕まくりが不穏である。
そろそろ五十になるっていうけど、とてもそうは見えない。若々しくて騒々しい赤毛のご婦人だ。
「『……おろして』」
そして担ぎ上げてた美少女からは、静かだけど明らかな怒声と、再び背中に一打が。イタタ。
「『ごめんよ。手荒にするつもりは無かったんだけど、捕まるわけにはいかんし。奴等の方が100倍手荒だと思うから許して?』」
「『反省の色がないわ』」
「ほんとにね!」
ジネヴラまでが深々と頷いてるし。
ええ〜。孤立無援?
よっこらせとララァ嬢をおろせば、ツンと顎を上げて睥睨された。見上げられてるのに、見下されてる感じのする不思議である。
「奴等ってなんだい? 厄介事の臭いがするね」
おれたちを見比べながら、ジネヴラが鼻の頭に皺を寄せた。
面倒な事はゴメンだと手を振るのに、90度で腰を折る。
「まことに申し訳ございません。マダム・ジネヴラ。おれ達、ギャングから逃げてます」
ララァ嬢が不安そうに身を震わせた。
だよね。怖いよね。さっきも船の爆発を見たし。
あれ、船上の人間は全滅だったろうさ。
「はぁあああッ!??」
大音声だった。
ジネヴラが目を剥くのに、眉を下げて笑いかける。
「だから、すぐに出て行くよ。今日までの家賃もいま払うし」
だから通報だけはしないでおくれよね、なんておどけて見せると、女傑は険しい顔のまま仁王立ちになった。
「バカにすんじゃないよ! 誰か店子を売るもんかい!! あんたら隠すことくらい訳ないんだからね!」
おお。肝っ玉母さんのイメージそのままだね。
「うん。信じてないわけじゃない。でもさ、おれたちがここに居たら危ないでしょ? ジネヴラだって、他のコ達だってさ」
ここの宿は素泊まりの客も居るけど、アパート代わりに使う夜の女たちも多かったし、おれみたいな流れ者の仮初の住まいにもなっていた。
この短い間でも、常連はみな顔馴染みだ。彼女たちに危機が及ぶのは本意じゃない。
なにより、懐の深いジネヴラに、これ以上の迷惑はかけたくなかった。
もともと、そろそろ出て行くつもりだったんだし、それが数日早まったってだけのこと。
想定してた流れとは違うから、修正は必要だけど。
「おれがこの子を連れて逃げてたってこと、おしゃべりな連中の口にはとっくにのぼってるよ。ここが割れるのだって時間の問題でしょ」
おっかない奴らが駆けつけてくる前に、消えなくちゃ。
ジネヴラにもそれは分かってるはずだ。
「……大体、ここを出てどこに行こうって言うんだい? 危ないやつらを怒らせただなんて、派手なイカサマでもしたのかい? あんたらしくもない。なんなら私が顔役に口を聞いてやったっていい」
それでもなお、おれを庇おうとするジネヴラの手をギュっと握った。
荒れてざらついてるそれは、だけどとても温かい。
「ありがと……ジネヴラ。短い間だったけど、おれ、ここに居れて楽しかったよ。あなたも、みんなも優しかった」
それからそっと手を離す。
ジネヴラは顔を顰めて、少し潤んだ目を瞬かせてた。
「本当に出てくのかい。行く宛は?」
「うん……郷に帰ろっかなって。彼女連れてさ」
「――……そうかい。ならもう止めないけど、戻ってくんならいつでもおいで」
何度も何度も、いつでも戻っていいんだって繰り返す女の頬にキスを贈って、背中を向ける。
ただ黙っておれ達のやり取りを聞いてたララァ嬢の手を取り直して、間借りしている部屋に戻った。
トイレのタンクを始め、部屋中に隠しといた金を掻き集めてカバンに突っ込む。
ついでに体中に武器を装備して。
ララァ嬢はその様子をじっと、睨むみたいに見てた。
『……あなた、誰なの?』
二度目の問かけに、ニコリと笑い返した。
『君は、もう“読んでる”でしょ?』
触れてくる思考波は、時々記憶をかすめていた。隠してる意味はもう無くなった。
『……ほんとに、ガルマ・ザビなの?』
『そ。“ガルマ・ザビ”だよ』
両腕を大きく広げて、それから一礼。舞台の上の道化師みたいに。
同時に“意識”を開放した。読みやすいように。おれが何者か、嘘の付けない方法で識らせてみせる。
『どうぞよしなに』
パチリとウインク。
途端に、少女は毛皮を逆立てた仔猫みたいになった。
『कॉन मैन! crook! grifter! ペテン師!!』
ふぉ!?
めちゃくちゃ罵られてるけど、なんで??
『心外! 本物だってば!!』
偽者じゃないよ、ホンモノで本人だってば。
『じゃあ、あっちが偽者なの!?』
『どっちさ!?』
おれに偽物とか影武者とかダミーとかはいなかった筈だ。
混乱するおれに、ララァ嬢は『絶望した!』みたいな思考波と眼差しを向けてきた。
えええぇ?? だからなんでさ???
『――……臙脂のドレスの女の子と踊ってた、あのひとは、だれ?』
ああ、ミライ嬢とのダンスがニュースにでも流れてたのかな。
新緑の瞳の中で、ゆらゆらと光が揺れている。
『おれ』
正直に答えたのに。
「『 ちっとも貴公子じゃないじゃない!!』」
平手が飛んできて、ちょっと泣けた。
✜ ✜ ✜
そう言えば、白鳥って意外に凶暴な生き物だっけ。
「『また失礼なこと考えてるでしょう』」
「『いいえ〜』」
「『嘘つき!』」
ポカリと少女が叩いてくる。
別に痛くないし、可愛いから良い。
住まいにしてた宿を出て、予備の隠れ家に移ってみた。
こっちは完全に物置。
荷物置き場でしかないから、まともな寝具さえ無いんだよね。
寛げなくてスマヌ。
来る途中で飲み物と食べ物、簡単な調理器具、それからブランケットにクッションくらいは買ったけどさ。
少しでも居心地を良くしようと、剥き出しのマットレスをブランケットとクッションで即席ソファに設えた。
並んで座って、間にアレコレ物資を広げる。
「『オーシャンビューのレストランあたりでご馳走できれば良かったな……』」
「『いいわ。ケーキもキャンディもいっぱい買ってくれたもの』」
いっぱいなんて言うけど、こんな小さな寝台にちらほら乗るばかりじゃないか。
可愛らしくデコレーションされたケーキと、瓶の中でキラキラ光るキャンディやグミ。
そんなものを宝物みたいに眺めてる姿に、やるせない気分になる。
『ねぇ、ガルマの“precious”を見せて』
思考波がねだってくるから、意識を開く。
記憶の中から、少女の好みそうな綺麗な光景を思い起こして投影する。
例えば、ラル夫妻の結婚式。それから少女達が集うティーパーティーの可愛らしい賑わい。
キャスバルの勇姿、アムロの、子供たちの朗らかな笑い顔。
綺羅びやかな社交界――は、あんまり興味をそそられて無さそうだから、いっそのこと士官学校のアレコレとか。
お。こっちのほうがお好みか。馬鹿騒ぎを見せるのは気恥ずかしいものがあるけど。
ララァ嬢の望みのままに、記憶を好きにさせる。
流石に凄惨なものとかは隠すけど――“ガルマ”としてのこれまでの時間の中じゃ、然程のものが無いのが幸い。
少女がおれの世界を覗き込んでくれば、自然と彼女の記憶の断片もこっちに流れ込んできた。
雑然とした部屋の中で、膝を抱えてる女の子の姿が過る。
花もレースもフリルも、ケーキもキャンディの瓶も、女の子が好きそうなものはそこにはなかった。
そこにいる人間は誰もが少女の能力を有り難がったが、同時に薄気味悪いと疎んじてもいた――ララァ・スンは人の心が読めたから。
人間は自分と違う存在を怖がる生き物だ。
たとえ血を分けた家族であっても、それは変わらない。
だからこそ、彼女は家族のもとを離れることを選んだ。選ばざるを得なかったから。
売られるように身を寄せた先は賭博師で、そこでの扱いも、あまり良いものじゃなかった。
当てるのが当たり前。外れれば殴られる。
手当は出るけど、それは少女の類まれな能力に見合うものじゃ決して無かった。
――爆死してなかったら、おれが喰い殺してたかもね。
意識の底でそっと唸る。
その間も、ララァ嬢は新緑の瞳を宝玉みたいに光らせて、夢中でおれの“記憶”に触れてた。
『……ここでなら、わたしは“ひとり”じゃないのね?』
『そう。“おんなじ”だ。君とおれみたいに』
思考波でつながることができる。
それは、おれたちの中では特別なことじゃない。当たり前にしてるコトだ。
ララァ嬢は壊れそうな微笑みを浮かべた。
『……泣かないで』
『泣いてないわ』
花びらみたいに繊細な意識が震えてるのを感じる。
『攫ってくよ』
黒い髪に触れて、そっと撫でる。
綺麗なものが好きなララァ嬢の為に、連れて帰ったら、その部屋を花でいっぱいに飾ろうか。
いつかのアルテイシアみたいに、お姫様に憧れているらしき彼女に、お洒落も楽しんで貰えたら良い。
その美しさに、キャスバルもアムロも、子供たちだって、きっと目を見張るだろう。
“ギレン”も度肝を抜かれるかもね。
思うだけで笑いがこみ上げた。
『なぁに? とっても悪い顔をしてるわ』
少女の指先が、鼻の頭をつついてくる。
『おれは、“悪い魔法使い”で、“ネズミの馬”で、“カボチャの馬車”で、“トカゲの御者”なのさ』
ニンマリと笑う。
『君を、悪役の城につれてく役にはピッタリだろ?』
ガラスの靴なんか履いてなくとも、君は、きっとシンデレラより綺麗だよ。
お菓子でお腹をいっぱいにした少女は、小さな子供みたいに満足げな顔で、スヤスヤと眠ってる。
その横で、おれは今後の算段を始めた。
当初の予定では、一人で帰るつもりだったから、偽造の身分証も、チケットもひとり分で済んだ。
だけどここへきて、ララァ嬢と出会ったからには、なんとしてでも彼女を連れ帰らねばならない。
さて、どうしたものか。
脳裏でパズルのピースが明滅してる。
いまからふたり分稼ぎ直してたんじゃ、期限に間に合わない。
カジノで荒稼ぎするって手もあるけど、善からぬ連中に目をつけられている今は、危険すぎるし。
おれ一人ならともかく、ララァ嬢を荒事には巻き込みたくない。
今ある資金でどうにかするには……。
――……仕方ないなぁ。
後で“ギレン”はともかく、タチから色々言われそうだけど、背に腹は代えられない。
明日、宙空に行こう。
木星行きのチケットなら格安だ。アッチはいつだった人手を欲してる。
少々素性が怪しくたって、容易に潜り込める。
だけど行き先が大幅に目的地とは異なるから、この辺は小細工が必要だ。
頭の中でパズルを組み上げていく。
中古のラップトップを開き、無線にタダ乗りして木星行きのチケットを2枚取ったら、封印してた回線を開く。
“彼”がおれを覚えててくれればいいけど。
用件を手短にまとめて、送信。
それからできるだけ迂遠な措置をとって、やっぱり短い情報を“網”の中にあげておく。
運が良ければ、ケイか“伝書鳩”が拾うだろ――いや、拾ってくださいよ、マジで。
直接、ムンゾと連絡が取れりゃ良いんだけどさ。その辺は連邦だってずっと張ってるだろうし。
ここで見つかるわけにはいかんのだ。
眠ってる少女を見る。胎児みたいに丸まって、穏やかな寝息。
かけらも警戒してないのが笑えるね。
まるきし男扱いされてないんだろう――まあ無体する気はないし、それもわかってるんだろうから、ここまで気安くいられるんだろうけど。
信頼がこそばゆくて、少しだけ気恥ずかしい。
――君を運命のもとへ連れて行くよ。
ララァ・スンを目の前にした時、あの二人はどうなるんだろう。
彼女の類まれな、ニュータイプとしての能力を目の当たりにした。
おれなんかより、ずっと洗練されて優れた能力だった。
今度こそ、この3人の輪の中に、おれは入れないだろう。
それを思えば、寂しくないと言ったら嘘になる――けど、それ以上に。
仲良くしてる姿が見たいんだ。
それは素晴らしく美しい光景だろう。
一夜開けて。
ラップトップには一通の返事が。
元気です。君も元気で。
会える日を楽しみにしてます。
たったそれだけの言葉に、文字通り飛び上がって歓声を上げた。
そのせいで、寝ていたララァ嬢を叩き起こすことになったけど。
「『……まことに申し訳ございません』」
「『朝食にフレンチトーストが出てきたら許してあげる』」
三つ指ついて許しを乞うたら、リクエストが返ってきて笑った。
「『仰せのままに』」
ケトルで紅茶用のお湯を沸かしてる間に、卵液を用意する――バニラエッセンスは無いけど、そこは目溢し願いたい。
パンは先に半分に切っといた。
浸したそれがぐんぐん液を吸い込んでくのを、ララァ嬢が興味深げに眺めている。
どことなくお猫様みたいで、とても可愛い。
そう言えば、アルテイシアもフレンチトーストが好きだった。
それから、ミルシュカとマリオンも。
彼女達もいまのララァ嬢と同じように、よく手元を眺めてたっけ。
キャスバルやアムロは、クロックマダムの方を好んでたから、これはお姫様達の専用メニューと化してた。
笑みが息になって漏れた。
“思い出”も零れたのか、新緑の双眸がパチリと瞬いてこっちを見る。
「『……お姫様専用メニューなの?』」
「『そうだね。君も姫君だ』」
しっかりと卵液を吸い込んだパンを、ふわふわになるように焼き上げる。
「『Bon appétit』」
飾りのないシンプルなそれだけど、恭しく差し出せばララァ嬢の瞳が輝いた。
「『ずっとそんな風に振舞えば良いのに』」
唇を尖らせるのに苦笑する。
「『あっちに戻ったら、大体こんな風さ』」
「『そう。なら良いわ』」
ツンツンして見せてる表情が、トーストを含んだ途端に柔らかく解けた。
ほんとに可愛いよね、ララァ嬢。
あらかた食べ終えた頃。
「『それ食べたら変装してもらうから』」
一言伝えたら、キュッと眉が顰められた。
「『……ものすごく嫌な予感がするわ』」
新緑の瞳でジロリと睨まれる。
大丈夫、絶対に可愛く仕上げるから。だからそんなあからさまに、食べる速度を落とさないでくれ給えよ。
✜ ✜ ✜
『……納得いかないわ』
『なんでさ。どっからどう見ても、美少年サマサマじゃないか』
ぷくりと膨れていても、素晴らしく可愛らしい少年がそこにいた。
髪は編み込んで帽子に隠した。
新緑の双眸は猫みたいに切れ上がって勝ち気にきらめき、肌の色は元のそれより随分と明るい。
シンプルなシャツとボトムから、すらりとした手足が伸びている――華奢すぎる体は、中にぐるぐるとタオルを巻いて修正した。
化粧で顔立ちも変えてるし、少し幼さを強調したから、12かそこら辺の、まだ少女といっても通りそうな美少年――といった外見に落ち着いた。
生意気オプションも追加。
ぱっと見の印象からして、もとの彼女とはぜんぜん違う。
いい出来だと思うんだけど。
『私じゃないわ、あなたのことを言ってるの!』
ふお。毛皮を逆立てた子猫みたいだ。
「まぁ、どうしたの? ラフ。ご機嫌斜めねぇ。木星へ行くことは、何度も話し合ってあなたも納得してくれたじゃないの」
頬に手をあてて、そっと溜息を落とす。睫毛を伏せて。悲しそうに。
『なんであなたが女の人なの!?』
『変装だからです』
ララァ・スンにしろ“ガルマ・ザビ”にしろ、男女逆転してりゃ、どの探索網からも外れるだろ。
ギャングどもが追っかけてんのは、白人の少年とインディアン(インド人)の少女だし、連邦が探してんのはムンゾの貴公子だ。
ここまで化けりゃ、誰にもそれとは分かるまいよ。
肌を艶めかしい淡褐色にして、髪は波打つブルネットを緩くまとめた。
コンタクトで瞳の色を緑の強いヘーゼルに変えて、メイクは少しアンニュイに。
長い睫毛。別人級に大きくした瞳のラインは、ララァ嬢に寄せてみた。
ポッテリとした唇で色気も追加。
これなら姉弟に見えるだろ?
背は高めだけど、見た目だけなら華奢で庇護欲を誘うタイプ。
「おう、坊主、あんまり姉ちゃん困らせるんじゃねぇぞ〜」
「仲良くな〜」
なんて、知らんおっちゃん達が援護してくれるくらいにはね。
『納得がいかないわ!』
『そうカリカリしないで、ね?』
そっと抱き寄せて胸にしまえば。
『……フカフカなのも理不尽だわ!』
余計にプンスコされてしまった。
そこはホラ、オトコのロマンっていうか、つい盛っちゃったっていうか、ね?
「お気遣いすいません。仲のいい友達とはなれることになったから……」
「そりゃ寂しいなぁ、坊主」
伸ばしてくる腕をさり気無くガード。簡単に触らせるわけないだろ。
名残惜しげな視線をするりと躱して、宙空のゲートへと進む。
案の定、良からぬ連中が見張っている様子だったけど、おれたちにはニヤニヤと脂下がった顔を向けてくるばかりで、寄ってこようとはしなかった。
木星へ渡る人の群れの中に混じっていれば、少し不安そうに袖を引かれた。
『ムンゾに帰るんでしょう? 木星行きだとルートが違うわ』
『そこはもう仕掛けてある』
どの便に乗るのか、それをもう“ギレン”は掴んでるはずだ。
宇宙に上がりさえすれば、後は回収されるのを待てばいい。
『……本当に?』
『大丈夫。艦に乗れさえすれば、後はなんとでもするから』
最悪、ハイジャックでもしてみるかね――って、これは冗談だけど。
『……あなたが言うと冗談に聞こえないわ』
『それは失礼。実は昨夜のうちに、友達に知らせたんだ。この便に乗るってことを』
『――……それ、気が付かれたら、捕まっちゃうじゃないの?』
『だからこその変装さ。それに、できるだけ遠回しに連絡した。退学した同級生に事情も名前も出さずに知らせたんだ。マークは外れてるはずだよ』
キム・ボンジュン――三寮の士官候補生だった。最終学年で、己に資質の無しと見極めて、自ら去った。
仲間たちと屋上から見送った日のことを、今も鮮やかに思い出せる。
昨夜、ラップトップから、その彼に向けてメッセージを打ってみた。
気が付くかは賭けだった。だけど、聡い彼のことだ。絶対に気づくと思ったし、現にすぐに返答が来た。
向こうもそれと悟らせぬよう、ひどく短くてシンプルな文面だった。
きっともう、キムから知らせが届いてる。
ケイや“伝書鳩”達だって、それを裏付ける情報を拾ってるだろうし。
あとはこちらが、迎えを見誤らずに接近すれば良い。
『……やっと、帰れる』
約束の半年――たったそれだけの時間なのに、こんなに焦がれるなんてね。
ララァ嬢の細い指が、おれの頭をそっと撫でてきた。
『あなた、ひとつ鼓動するたびに、帰りたい、会いたいって繰り返してる』
ん。そうかも。
情けなく眉が下がっただろう顔を、ひんやりした手が両側から挟んでくる。
『大丈夫。帰れるわ』
微笑みを浮かべた新緑の瞳は、途轍もない慈愛を伝えてくるから。
ふぁ。聖母かな。
グレート・マザー。
太古よりの母たる存在よ。
きっと、彼女がおれの“母”だ。そうだ。そうに違いないよ。
いつかの世界線で、彗星様が“わたしの母になるかもしれなかった女性”って言ってた気持ち解っちゃったわ。
『……また変なこと考えてるでしょう』
『いいえ、ママ』
『ぶつわよ』
『ごめーん』
心の中だけで思っとこ。
そうこうしてるうちに、乗り込みが始まった。
地球を離れる人々の表情は、明暗様々で、そこにはそれぞれの人生があるんだろう。
その列に混ざって進んでく。
おれたちのそれと、彼らのそれは、道がまるで違うけどさ。
“ソラ”に生きることが、来る未来に、誰しもの誇りに、憧れになれば良いね。
そのためには、もう“棄民の裔”なんて言わせないほど、強く、自由にならなくちゃ。
帰りつけば、その先には戦いが待ってる。
――“鬼”にでも、“悪魔”にでもなってやろうじゃないか。
“宝物”を護るためなら、“おれ”は、伝説の悪龍より残虐非道になれるんだ。
“ギレン”は頭を抱えるかも知れないけどね。
少女の柔らかな手を握りながら、見た目だけは、優しく柔らかに微笑んだ。