キャスバルが落ち着いたので、何とかなるような気分になっていたが、もちろんそう簡単に状況が変わるわけではない。
“ガルマ”が行方不明――しかもそれが、連邦内のアースノイド至上主義者たちのせいであるらしい――と云うことで、ムンゾ国内は沸騰していた。炎上、と云っても良いかも知れない。
「とてもではないですが、抑えきれるようなものではありません」
と、この件に絡んだ軍の統制を任せているマ・クベは云ってきた。
やはり『the ORIGIN』の軸らしく、1stよりも知性が際立っている。痩せた頬と薄い唇、中背の細い体躯。心理学の教本などで見かける一類型そのままである。
「正直なところ、兵たちのうちにも、デモ隊に同調するものが出ているような状況です。今は何とか統制を取っていますが、これは早晩、暴動にも発展しかねません。しかも、軍もその中に巻きこまれかねない」
「駄目そうか」
「いけませんな」
ムンゾ一の智将は肩をすくめた。
「ガルマ様が“行方不明”と云うのもいけない。負傷程度であれば、何とでも云いくるめようがありますが、行方不明では――聞いた人間は、希望を抱きつつも、最悪の予想も思い浮かべざるを得ません。そうして、そう云う“想像”こそが、ひとの不安を増大させる」
マ・クベの手が、軽く振られる。
「否定できんな」
「せめて、生死が判明していれば、それが生存であるとわかったなら、落ち着かせようもあるでしょうが――」
と云いながら、ちらりとこちらを見る。
「――閣下」
「何だ」
「閣下はご存知なのではありますまいか。閣下の配下には、かの“伝書鳩”がおります。中でもタチ少佐は、その敏腕さで連邦にも名が知られているとか。……閣下は、既にガルマ様の行方をご存知なのでは?」
「残念ながら」
と、こちらも肩をすくめてやる。
「もちろん、“ガルマ”が宇宙に上がってくれば、回収できる手筈は整えてある。が、人を地球に下ろせるわけではない――ムンゾの人間は、その訛りですぐ出自がバレる。その上、連邦としても、“ガルマ”を手放すつもりはないはずだ。あれが宇宙に上がってくるまでは、こちらも迂闊に動けんよ」
ムンゾ、と云うかジオン公国の人間は訛りが酷いのだと原作にもあった。
まさか、標準語に対する河内弁、あるいは薩摩弁のようなことはあるまいが、クィーンズイングリッシュに対するコックニーくらいの違い――これとてもかなりの違いだ――はあるのだろう。日本語で云えば、侍言葉とべらんめぇ口調くらいの差があるはずだ。
無論、ハイソサエティは訛りはほぼない――だからこそ、“クワトロ・バジーナ大尉”は、連邦軍にすんなり入りこめたのだろうし、ハイソサエティと交わるからこそ訛りがないと目され、“黒い三連星”などからやっかみのまなざしを向けられたのだろうとも思う。
まぁ、イギリス英語とアメリカ英語のような違いであると云うのは何となくわかる――その訛りを逆手に取って、オーストラリアの牧場主を、疑惑のあるイギリスの馬主のもとに潜入させる、と云う小説があった、オーストラリア訛りは、コックニーに似たところがあるそうだ――から、すぐにムンゾ、あるいはコロニーの人間とわかるようなものを、おいそれと地球にやることはできなかったのだ。
“ガルマ”はと云えば、元々のアレではシカゴ訛りの英語と、一応クィーンズイングリッシュを話していたから、場合に応じて使い分けるのだろう――もっとも敬語に関しては、教師に頭を抱えられるようなものだったらしいのだが。
「ですが、閣下はガルマ様の生存を信じ、かつ既に手を打ってはおられる?」
探る声。
「もちろんだ」
頷いてから、声を潜め、
「だが、内密にな。これは、家族と、命じた部下たちしか知らんことだ」
そう云ってやれば、マ・クベは微妙に満足げな顔になった。まぁ確かに、秘密を打ち明けられれば、大抵の人間は悪い気はしないものだ。
「閣下とガルマ様の不仲説なども囁かれておりましたが――やはり、ザビ家のご兄弟だ、通じあっておいでですな」
「まぁ、傍から見れば不仲にも見えるのは認めようが、あれは、一応わかっていればこそのことでな」
「なるほど」
と云う、男のまなざしははかり切れぬものがある。
「ムンゾ一の智将に聞かせるには、馬鹿々々しいことも多いがな」
例のプレゼント爆弾の件などは、ゴップは大笑いしてくれたが、マ・クベは冷笑しそうである。
いくらマ・クベの方が歳上であるとは云え、あまりに冷ややかな対応をされては、こちらの体面と云うものも出てくるのだ。
「いつまでも童心を忘れぬのは良いことです」
などと云うが、裏で何を考えているかは知れたものではない。
「貴官に云われるのは面映いな」
「私も、閣下に“ムンゾ一の智将”などと云われますのは、面映いものがございますよ」
「事実だろう」
「智略において、閣下の右に出るものがあるとは思われませんな」
「買いかぶりだ。私のは政治だよ」
それこそ、政治力にはそこそこの自信がある――“昔”の自分につけられた“圧倒的な政治力”と云うキャッチを見たこともある――が、戦略、軍略についてはまったく自信はない。
大体は“ガルマ”か、あるいは優秀な軍師、軍監がついていたので、云っては何だが、軍の仕事としては人心掌握くらいのことしかしていなかったのだ。多少勝ったこともあるが、基本的には防衛戦が中心だったからで、攻撃には、それこそMSの操縦くらいに自信がない。人には得手不得手と云うものがあるのである。
「政治なくして、戦争をすることはできません」
マ・クベは云った。
「軍内部や国内が千々に乱れていては、いくら戦力があったとしても、局地戦に勝ったとしても、戦争そのものには勝てないのです。その点、閣下であれば軍も国内もよく取りまとめられ、少なくとも内紛故に敗北すると云うことにはなりますまい」
「――なるほど」
耳が痛い話だ。いや、実際耳が痛いはずなのは、自分ではなく原作軸のザビ家だろうが。
実際、せめてキシリアとギレンが殺し合わなければ――まぁどちらにしても、最終的には“シャア”に殺されたのだろうけれど――、少なくともジオン公国は生き長らえることができたはずだ。つまり、最後の最後で、責任者がすべていなくなると云う、あり得ない事態が起こらなければ。
今回のルートにおいては、ザビ家の内部分裂と、“シャア”=キャスバルの復讐劇だけは回避できそうなのが幸いだが、コロニーにおけるムンゾの重要性は原作以上になっているので、戦いそのものはより熾烈なものになりそうなのだ。
今は、それこそ政治的なあれこれで、連邦の矛先をかわしているが、これが開戦となれば、ある意味において原作以上の激烈な戦闘が繰り広げられる可能性は高かった。
いっそのこと、
「連邦を、地球のみに押しこめることはできぬものかな……」
月やサイド7を完全に封じることができれば、ムンゾと地球の戦いに収束させることも可能かも知れないのに。
「良い案ですな」
マ・クベが、うすく目を光らせた。
だが、
「戯言の域を出んよ。いかにコロニー同盟が強固であろうとも、連邦軍の駐屯地は各サイドに存在する。連邦の戦力は圧倒的だ」
原作のギレン・ザビの言葉を借りれば、“わがムンゾの国力は、連邦の三十分の一以下”なのだ。それだけしかない国力で戦うためには、智慧と、充分な下準備が必要になる。
「ですが、今回のガルマ様に対する一連のことどもで、各コロニーでも、反連邦の気運が盛り上がっているようではありませんか」
マ・クベは冷静に云ってきた。
「いくら警戒しているとは云え、未成年を人質にとり、こちらの行動を封じた挙句に、内部のごたごたでその人質を生死不明にしたのです。連邦のやり方に批難が殺到するのは当然のこと。問題は、われわれがそれをどう利用できるかです」
その言葉は、ムンゾ一の智“将”に相応しいものだった――つまり、状況を軍事的に解釈していると云う意味において。
「流石だな」
「私はガルマ様の血縁者ではございませんからな、突き放した見方ができると云うことですよ」
と肩をすくめる。
「どちらにしても、多少の暴発は、連邦の違約のせいであると云い立てることも可能です。実際問題として、これでデモ隊の鎮圧に連邦軍が出てこようものなら、火に油を注ぐことになるでしょうからな、開戦の道筋をつけるにも、この事態は充分に利用できる」
「開戦はまだ早かろうと思うが」
「布石は打っておくべきかと」
マ・クベは云った。
「閣下は、連邦との戦いは避けられぬとお思いであると、そのように拝察致します。無論そちらの方も、既に手を打っておられるのでしょう?」
「……まぁひととおりは」
「閣下の“ひととおり”は、世間のものとは違いますからな」
「貴官の“ひととおり”ほどではないと思うぞ」
「はは、私ごときが」
とは云うが、知的であると云うならマ・クベこそだろう――1stはともかくとして。
「私としては、貴官のことを高く買っているのだがな」
「ご冗談を。それならば何故、ガルマ様を、私ではなくガルシア・ロメオ少将に預けるとおっしゃったのです」
その言葉に、おや、と驚く。
本人の耳に入っているとは――ガルシア・ロメオが、聞こえよがしに独り言ちでもしたか。
「不満か」
「不満、とは申しますまいが、しかし、私ではガルマ様をお守りできぬと判断なさったのかと思いますと、含むものは出て参りますな」
「逆だ」
「は?」
「貴官では、“ガルマ”を配下につけては、心身を患うのではないかと思ってな。その点、ガルシア少将ならば、あれが何をしようと怒鳴り散らすくらいで済むだろう?」
マ・クベは沈黙した。
「何か」
「いえ――閣下とガルマ様の不仲説は、あながち間違いではなかったのかと」
「不仲なのではなく、あれを正確に理解しているだけのことだ」
鼻を鳴らしてやる。
「家族は、あれの被った猫に騙されているだけだ。どうせ、あれはやりたい放題やる。戦いとなればなおのことな。そうなった時に、ストレスなどで貴官を潰したくないだけだ」
「――それはまた、随分なおっしゃりようですな」
「別に誇張しているわけではない」
ザビ家の面々が、こちらの云う事実を理解しようとしないだけで。
「デギン閣下とキシリア少将は、ガルマ様を猫可愛がりされていると、専らの評判ですからな」
「ドズルとサスロは、ある程度は把握しているが、どうにも可愛い“弟”と云う意識が強いようでな。甘やかし放題なのだ。私が厳しくしなくて、誰があれに歯止めをかけるのかと思うのだが」
「まぁ――しかし、あまり厳格なのもいかがなものかと。先日も、ゴシップ紙の餌になっておられましたな」
確かに。“生死不明にも動揺なし! 末弟へのギレン総帥の冷酷”とやら、いろいろ書き立てられていた。動揺して失政を犯したなら、即バッシングなのは知れたことであるのに――仕方ないが、ゴシップ紙と云うのは無責任なものである。
「傍からどう見えるかはともかくとして、別にわれわれは不仲でも、私があれを疎んじているわけでもない。ただ、学生のうちくらいはおとなしくしろと思うだけだったのだが――まぁ、好き勝手書かれたわけだよ」
「まぁ、ゴシップなどは、九割方でたらめだと思うべきでしょうな」
「だが、残りの一割に真実が潜む場合もある」
「含みのあるお言葉ですな」
「さてな。――ところで、貴官は、陶磁器の蒐集家だそうだな」
と云うと、マ・クベは表情にわずかに警戒感を滲ませた。
「えぇ……それが、何か」
「いや。純粋に興味があってな。良ければ今度、見せてもらえないだろうか」
そう云うと、マ・クベは、エアポケットにでも落ちたかのような顔をした。
「閣下に陶磁器を愛でる趣味がおありとは、寡聞にして存じませんでした」
「興味はあるが、良いものは中々手に入らんのでな。愛でると云っても、手に取るわけでもない」
まぁ、マ・クベの好みだろう景徳鎮の大明成徳年製とやら、万暦赤絵とやらではなく、志野や萩、それから李朝青磁などの方が好みだから、この男の望むような反応が返せるかは微妙なのだが。
とは云え、この男を抱きこむためには、こちらも歩み寄りが大切だ。
それには、共通の話題――この男の場合には、陶磁器――で繋がっておく必要がある。
マ・クベは、警戒感をまとったままで、云った。
「宜しければ、幾つか良品を見繕って、お目にかけに伺いますが」
「いや」
そんなことをしたら、大変なことになる。
「我が家では、幾人か子どもを預かっていてな。そのうちにやんちゃなものがあって――大事なものを持ってこられて、破損でもしたらことだ。貴官の都合の良い時に、私から訪ねさせてもらおう」
「は。――何やら、破損されたことがおありなのですか」
「私のカップがな」
宇宙世紀前からの名窯のカップが宙を舞い、床に叩きつけられて粉々になった。深い赤のエナメルの美しいもので、元々の頃に野望として、いずれと思っていたカップだったのだ。
無論、作家ものなどではなく、また現在も作られてはいるラインのものではあったのだが――ほどよく使いこみ、愛着がわいてきたところだったので、残念で仕方なかった。
割った当の本人――もちろんゾルタン・アッカネン――は、流石にもじもじとして、上目遣いに謝罪してきたが。
「まぁ、貴官のコレクションなどには遠く及ばぬものだったが、愛着が出てきたところだったのでな。――しかし、私のカップは新しいものを買えば良いが、貴官のものはそうはゆくまい。それで、そちらで見せてもらえぬかと思ってな」
「……そう云うことでしたら」
と云うが、まだ警戒は解かぬ様子である。まさか、コレクションを取り上げられると思うわけでもあるまいが。
原作軸では、マ・クベはキシリアに近しく、特に1stでは“シャア・アズナブル”をライバル視していたわけだが、そもそもこの時間軸――恐らく『the ORIGIN』――では、マ・クベはガルシア・ロメオにライバル視される側であるし、ライバル視すべき“シャア・アズナブル”も厳密に云えば存在しない。
そしてキシリアの部下でもなく、キシリアと“ギレン・ザビ”の間に確執もないので、ザビ家が取りこむ要素もなかったのだ。
しかし、作戦に甘さがあると云われる――だが、箱館戦争時の大鳥圭介よりはましだろう――マ・クベでも、これからの戦いにはなくてはならぬ人材である。
他に取りこまれる前に、こちらに確保しておかなくては。
微妙な表情のマ・クベに薄く笑んでやると、また微妙なまなざしが返されるが、とりあえず手は打った。さて、これがどう転がるものだか。
マ・クベから声がかかったのは、それから数日後のことだった。
場所は、ズムシティの中にある、小さな戸建ての家だった。ズムシティで戸建ては贅沢だろうが、ムンゾ国軍中将の邸としては、割合に小さい。マ・クベが独り身だろうことを考えれば、やはり贅沢と云える大きさではあるが。
まぁ、陶磁器コレクションを、まさか戦艦の艦内には持ちこむまいとは思っていたが、なるほど、流石にフラットなどでは足りないか。
シノワズリとまではいかないが、陶磁器に合わせたのだろう、ややモダンなインテリアで、もう少しで殺風景と思わせるぎりぎりのところでうまく踏みとどまっている。
供された茶器は、意外にもと云うか、有名なブルーレースのフルレースだ。まぁ、明代の青花紋のような風はあるから、それ故に選ばれたのかも知れないが。
「……良い趣味だな」
ハーフレースはともかくとして、フルレースには数えるほどしか触れたことはない。元々では、丈夫さ故に専らウェッジウッドの安いラインだったし、そうでなければノリタケやらロイヤルアルバートやらで、どれも金が剥げるまで、罅が入ってしまうまで使いこんだものだ。
今は、子どもたちには何やら安いカップ――“ガルマ”が何やら云っていたが、聞き憶えのないメーカーの――を与えていたが、個人的には、趣味でユーランダーパウダールビーを使っている。
まぁ、そちらはマ・クベの趣味ではあるまいとは思う。中国陶磁器を愛するこの男にとっては、英国屈指のブランドであれ、量産品には興味はないだろう。
マ・クベは、少し首を傾けた。
「今出来のものですよ」
「今出来だろうが何だろうが、これを選んだのは、貴殿の審美眼でのことだろう? それを良い趣味と云うのだよ」
ここでマイセンなどに走らない――もちろん、マイセンが伝統ある窯であることは認めた上で――ところに、この男の矜持を感じるのだ。
こちらが呼称を軍でのものから変えたことにだろう、男は微かに眉を歪めた。が、その胸中は推し量るべくもない――マ・クベと云う男は、あまりにも表情が読み難いのだ。
「――私のこの、趣味と云って良いものかわかりませんが、これは、地球の文化に対する敬意からきたものなのです」
そう云って、男はその薄い唇に、繊細なフルレースの縁を押し当てた。
「人類が宇宙に上がって八十年足らず、スペースノイドは、未だ自ら独自の文化を築き上げているとは云えません。私は、地球の文化を愛する――アースノイドの暴虐を憎むよりも、なお一層強い心で」
「確かに地球の文化は素晴らしいとは思うがな、それは、今地球に住まうものたちの価値を保証するものではあるまい」
と云いながら、こちらもカップに口をつける。癖のある香りの紅茶、キームンのブレンドか、あるいはアールグレイのブレンドか。まさかラプサンスーチョンなど混ざってはいるまい。あれは香りが強過ぎる。
「しかし、かれらの祖先たちが営々と築いてきた中から、あの文化の精華はあらわれたのです。ジオン・ズム・ダイクンは、スペースノイドを人類の新たな進化と唱えましたが、進化のために文化が蔑ろにされてはなりません。文化は、人間が人間であることの証明なのですから」
「どんな文化も、文化であることには変わりあるまい」
元々のあれでは建国二百年あまりでしかなかったアメリカ合衆国に、欠片も文化がないと云えるものはあるまい。確かに、“立って食べるくらいの文化しかない”と揶揄するものもあったが、まぁ、それはそれで“文化”である。
あるいは、“未開人”などと呼ばれるものたちに文化がないかと云えば、それを肯定するものもまたあるまい。かれらの文化の持つ高い精神性は、西欧の諸文明を凌ぐとも目されていたはずだ。
結局、何をして“文化”と呼ばしめるかは、その時々での恣意的な判断に委ねられていると云うことだ。
「宇宙世紀に入ってから、世に工業製品しか存在しなくなったと云うわけでもあるまいし、地球で素晴らしい文化の華が咲き誇っているわけでもあるまい。貴殿の愛でているのは、地球の文化の華の名残でしかないのではないかな」
そう云うと、ややむっとしたようなまなざしが向けられた。
「閣下は、美術工芸品の類に価値はないとおっしゃる?」
「いや。私も好きだ」
過去の職人たちの技の極み、芸術家たちの息吹。絵画彫刻、それらのものは、確かに見るものの魂を高めてくれるように思う。
が、それを、現在に生きる人間の生命と比較しようとは思わない。美術工芸品の中には、過去の戦禍で失われたもの、そもそも現在まで伝わらず消えたもの、分割され、そもそもの価値を失ったものなどが多数ある。
確かに、芸術は素晴らしい。伝え残してゆくべきだとは思うし、“かつて”の“自分”の作品も、より未来まで残っていてほしいとは思う。が、それは、今現在の人間の権利を代償にして良いと云うものではないはずだ。
もちろん、マ・クベが“ジオニズムの理想なぞ、私にとって、白磁の名品一個にも値しない”と云ったのは、その意味ではなかろうが、しかし、それは事実上、現在のスペースノイドの窮状を打破することよりも、白磁の名品に価値があると云っていることになりはすまいか。
「美しいものを嫌う人間などないだろう。だが、その美しい、美術品などを贖うために、今生きる人間の社会保障などが蔑ろにされるのならば、ひとは、それを購おうと云う人間のみならず、美術品そのものをも憎むことになるかも知れん。私は、文化芸術には金を惜しむべきではないと考えてはいるが、それは民の生活がある程度安定してこそ云えることだとも思っているのだ。――貴殿の考えはいかがかな」
「それが、閣下の理想と云うことですか」
「私の、ではなく、国家とはかくあるべきものではないのかね」
少なくとも、民主主義を標榜する国家であれば。
「無形のものであれば、その存続が保障されねば、芸術とともにそれを継承するものの生活も失われようが、既にできあがったもの、名品と称される過去の作品は、真に価値があるなら、金に余裕のあるものが保護するだろう。私は蒐集家と云うわけではないからな、そのあたりの感覚は、貴殿と異なるのだろうが」
「……閣下は、私を批難しておられるのですかな」
その眉間に、微かに皺が刻まれている。
気分を害したか、とは思ったが、今さら引き下がれるはずもない。
「そうではないが、国民の苦況を目にしながら、芸術作品を見たとしても、真の意味で楽しめぬのではないかと云っているのだよ」
貴殿が、そこまで芸術のみに入れあげているとも思えぬのだがな、と云うと、マ・クベは沈黙した。
そう、国民よりも美術工芸品を愛すると云うのなら、軍人になる謂れなどないはずだ。軍や警察の、特に士官やキャリアになるならば、国を、国民を、正義を愛する心があるはずだからだ。それなくして、ただ生きんがために軍に入る必要は、この男にはないだろう。中将にまで上りつめた男が、他で食ってゆかれぬとは思われない。
「……まぁ確かに」
やがて、マ・クベはゆっくりと口を開いた。
「私もムンゾ国軍の一翼を担うものとして、ムンゾ国民の苦境を座視するのは心苦しく感じます。ただ、閣下ほどの理想があるわけでは、残念ながらございませんので、そのあたりは……」
「何、私が云うのは他でもない、貴殿の智略を貸してもらいたいと云うだけのことだ」
「私の、智略と云われますか」
「そうとも」
と頷いてやる。
「私も、最近はすっかり政略ばかりで、軍略の方は錆びついた。ザビ家では“ガルマ”があるが、あれひとりでは連邦とやり合うのには心許ない。それで、貴殿の智略が必要となるのだ」
「――連邦と、戦いになるのは確定なのですか」
「それが貴殿にわからぬとは思われんがな」
そう云えば、沈黙が返る。
やがて、
「――暫、ご猶予を戴きたい。私と致しましては、軽々にご返事致しかねます。今しばらく熟考致しまして、しかる後にご返答させて戴きます」
「無論のこと」
と頷きはしたが、まわりとは関わりなく、マ・クベひとりの話である。
――これは、断る気でいるか。
二つ返事とはいかないだろうとは思ったが、返答を先延ばしにするほどとも思わなかった。
それならば、ここで日を置くのは、断り文句を考えるためだろう。
――まぁ、仕方ないか。
やや喧嘩を売るような言葉を口にした、こちらにももちろん非はある。
即座に拒否されなかっただけまし、とでも思わねばなるまい。
と、マ・クベは立ち上がり、
「ところで、肝心のコレクションをお目にかけておりませんでしたな。こちらへどうぞ」
そう云いながら、奥の扉をそっと開けた。
「拝見しよう」
そうして足を踏み入れたその奥は、まさしく私設美術館だった。
いつぞや東博で見た免震装置の上のガラスケースの中に、白磁や青磁の小品が陳列されている。もちろん、1stでマ・クベがキシリアに献上しようとした、あの白磁の壷もある。
「――なるほど、これはなかなか……」
確かに、故宮博物院だか館だかの銘品――元々の方で、まとめて来ていた時があったのだ――には及ばないが、これはマ・クベが誇るだけのことはある。
「皇帝の持物とまではゆくまいが、確かにこれは良いものだな。特に、その白磁の壷」
“あればいいものだ”と云ったのも道理だ、あの壺の美しさは、複製品などでは再現し得ない。彫られた紋様は優美だが、蓋との継ぎ目や高台などはくっきりと鋭く、そのめりはりが、これを作り上げた職人の腕の冴えを表していた。
「恐れ入ります」
「これが頭抜けているのは確かだが、他のものも良いではないか。この青磁など、色味が良い」
と、手近の花器を指してやると、マ・クベは首を振った。
「そちらは新しいもので」
「新しいと云って、いつ頃だ」
「清の末期とか」
「辛亥革命前か。それでも二百年は経つではないか」
云うと、わずかに目を見開かれる。
「中国の歴史にご興味が?」
「詳しくはないが、概要はな」
何しろ、元々は“隣国”で生まれ育ったのだ。三星堆や殷墟、春秋戦国や秦漢の皇帝たち、遣隋使や遣唐使、南宋貿易、論語や諸々の漢籍など、学校の授業で知ったことは多かった。三国志や兵法七書など、趣味で紐解いたものもある。ドラマの華流ブームなるものもあったりもした。それは、ある程度明るいのも当然のことだ。
「まぁ、基本的な教養の域は出んよ。白磁も青磁も好きではあるが、個人的には、高麗青磁の不完全さをより好ましく思うしな」
それから、志野や萩などもな、と云うと、マ・クベは沈黙した。
「――閣下は、私が考えておりましたより、陶磁器に深い見識をお持ちのようだ」
「何、私のは見識などではない。若干茶の湯を噛ってな、それで珍重されるものを知るくらいのものだよ」
大体、茶の湯方面では、大成者である千利休からしてが、瓦職人に新しく焼かせた茶碗――黒楽と云われるものである――を好んだくらいなのだ。あれは、あくまでも“亭主”の審美眼、あるいは取り合わせの妙を問うものであって、美術工芸品としての価値の有無とは、また異なる基準があるのである。
「しかし、高麗青磁など、ムンゾの他の誰の口から聞かれましょうか」
「まぁ、あまり一般的ではないのは確かだな」
もちろん、好むものはあるけれど、割合に地味なので。
「明代の陶磁器ほど完璧ではないが――私は、その不完全さを好ましく思うのでな」
「なるほど」
マ・クベは深く頷いた。
「それで、閣下の重用なさるものたちの顔ぶれが腑に落ちました。皆、癖の強いものばかりと思っておりましたが――閣下は、その癖をこそ愛されるのですな」
とは、少々こちらの配下にあるものに失礼なもの云いではないか――まぁ、否定はできないが。
「まぁ、初めから完全では面白くないと思ってしまうのだよ。変化していく余地のあるものは、育ててゆく愉しみがある」
萩の釉薬の罅割れに茶渋などが入りこみ、それがやがて繊細な網目を施してゆくように。
古代の木造建築も、鮮やかな色を塗り直したものよりは、時を経て、変色した木材が黒々としている方が趣があるように思われるのだ。
「経年を愉しまれるのですな」
「そうとも云うな」
新しいものも悪くはないが、経年によって風合いの増したものを愛でるのも、また良い。それは、陶磁器の類にしても、皮革製品などにしても同じことだ。新しいことが良いことであるのは、学術研究や工業技術くらいのものだろう。それとても、例えば白熱球のように、古い技術の味わいがあるものも存在するのだし。
「――わかりました」
マ・クベは云った。
「今すこし考えさせて戴きたいとは思いますが――閣下のお申し出は、前向きに考えてみたいと思います」
「それはありがたい」
どのような心境の変化かはわからないが、断り文句を聞く可能性が下がったのは嬉しいことだ。
「色よい返事を期待している」
最大限にこやかにそう云うと、マ・クベは微笑んで、優雅に頭を下げてきた。
タチが執務室に飛びこんできたのは、その返答を受け取らぬうちのことだった。
「閣下、ガルマ様が!」
息せき切ってそう云うが、まさかムンゾ内に、いきなり姿を現したわけでもあるまい。
「落ち着け、“ガルマ”がどうした」
問いかけると、
「ガルマ様が、宇宙へ出られたようです!」
「ふむ? “伝書鳩”に知らせが?」
それに、タチはわずかに云い澱んだ。
「いえ、それがその……ガルマ様の元同級生に連絡が入ったのを。そのものがこちらによこしまして」
「ほう」
元同級生とは、ムンゾ大学の時の同級だろうか?
「キム・ボンジュンと申しまして、士官学校の――今は退学しているようですが」
タチは云う。
「そのキム・ボンジュンから、配下のものに連絡がございまして。ガルマ様は、木星行きの船に乗られるそうです」
「木星?」
木星と云うと、かの“木星帰りの男”パプテマス・シロッコを思い出すが――いや確か、木星は鉱物資源を採取する衛星やら、同目的で開発されているアステロイドベルトの小惑星やら、それからヘリウム3の採掘場やらしかないのではないか。
「何故木星……」
「木星行の船は、採掘場で働くために乗る作業員などが多いですからね、紛れこみ易かったのでは?」
「――なるほど」
まぁ、いくら木星帰りにニュータイプに覚醒したものが多いと云っても、そのために船に乗るわけでもなかろうし。
「しかし、木星行きとは――確かに便数は少なくて特定しやすいが、方向はかなり違わないか」
「まぁ、ですからドレン少尉に襲撃させましょう」
タチは悪い顔で云った。
「元々、レッド・フォース号は、連邦の資材運搬船を襲撃しておりますから、そう違和感はないでしょう。木星行きの船は、遠隔地を往復する関係上、人間以外の積荷も多いですからね。カモフラージュにもなります、丁度宜しいでしょう」
「それは良いが、“ガルマ”の乗る便はわかっているのか?」
いくらカモフラージュに良いとは云え、二度続けて同じ航路を襲うと、連邦側に不審がられる可能性があるのではないか――旨みのある航路と認識された――と思われているだろう――サイド7への航路はともかくとして。
「それも知らせがきております」
「なるほど」
周到なことだ、が。
「しかし、問題はそこではないぞ」
“ガルマ”をピックアップしてめでたしめでたし、とはなるまい。
そう、問題は、
「何故、地球にいたはずの“ガルマ”が、宇宙に上がっているのかの、何となくでも良いから説明をつけなくてはならん」
少なくとも、ムンゾ内がある程度納得するくらいの理由づけが必要だ。
無論、ゴップあたりは騙せまいが、それにしても、ある程度の云い訳は用意しなくてはなるまい。
しかし、そう云うと、タチからは投げやりな返答が返ってきた。
「何でもいいんじゃありませんか。ガルマ様のことなら、ムンゾ国民は何でも信じますよ」
記憶がないでも、天使様が助けてくれたでも、と云う。
「それは流石に雑ではないか」
特に、天使様云々は。
と云っても、タチは首を振っただけだった。
「閣下もよくおっしゃるじゃありませんか。人間は、信じたいものを信じるんです。そしてガルマ様の場合、“あり得そう”の振れ幅が広いんですよ」
「確かに、そこは否定できないが」
「あるいは、アースノイド至上主義者たちに襲われて、恐慌状態だったので記憶がない、でも宜しいでしょう。連邦側を騙せるかどうかはともかく、ムンゾ国民が信じれば、いずれあちらもその説を受け入れざるを得ません。少しばかり日をおいて、適当に説明なされば良いのですよ」
「――正直に云え、タチ少佐。今、かなり面倒くさく感じているのだろう」
と云えば、いかにも面倒くさそうなまなざしが返された。
「ガルマ様のことで、私が面倒でなく感じることなどありませんよ。本当にあの方ときては、この世の悪辣さと面倒くささを焦げつく寸前まで煮詰めたみたいな方ですね!」
と云うのは、これまでのあれやこれやがすべて鬱憤になって溜まっているのだろう。
タチは、今や泣く子も黙る辣腕の情報将校だが、そのタチをしてここまで云わしめるとは――“ガルマ”の悪辣さも、さらなる進化を遂げたと云うことか。まぁ、嬉しい類の“進化”ではないが。
しかしながら、
「――それにしても、その云い訳で、他はともかく、ゴップ将軍は納得するまいな……」
「あの方が納得する云い訳なんか、私には無理です」
ことガルマ様に関しては、あの方だってよくご存知なのでしょうし、と云う。
「まぁ、そうだな」
多分ゴップは、今回の顛末にしても、半分以上は“ガルマ”のせい――存在がアースノイド至上主義者たちの気に障った、と云うのではなく、多分に謀略をめぐらせたと云う意味で――だと考えているのだろうし。
「そうでしょう。それなら、どんな云い訳でも同じことです。考えるだけ無駄ですよ」
段々、タチが“昔”の誰やらと似たようなもの云いをするようになってきた。
まぁ、“ガルマ”を相手にしていると、どうしても含みが出てきてしまうのだろうが、それにしても。
だが、確かに、
「私も、考えるのが面倒になってきたな……」
連邦、特にゴップからすれば、どんな云い訳も“云い訳”にしか過ぎないのであるし。
「まぁ、連邦への云い訳は、ガルマ様を拿捕してからでも遅くはありませんよ」
拿捕。拿捕ときたか。それは、“ガルマ”が海賊船か何かのようではないか――あながち不適当とも云えないが。
「確かにな。――ドレン少尉には、便名まで知らせてあるのだな?」
「いえ、それはこれからです。まぁ、あまり地球の近くでは、すぐに連邦軍が出てきかねませんから、ある程度離れてから襲撃するようにはさせますが」
「よし、ではドレンへの連絡は任せる。“シャンクス”を忘れるなと念押ししておくように」
「は」
「コンスコン少将は、手隙だろうか」
「……まぁ、マ・クベ中将殿よりはお暇でしょうが」
それはそうだ、ムンゾ国内の“治安維持”――それも、主にズムシティの――にあたり、暴発寸前の市民たちと対峙するマ・クベに較べれば、誰でも暇には違いない。
早速、コンスコンに通信を入れてみる。
〈――これは、ギレン閣下。いかがなさいましたか〉
画面に映し出されたその顔は、1stや『the ORIGIN』で見たとおり、恰幅の良いちょび髭の中年男だった。
「うむ。実は貴官に頼みがある。頼みと云うか、司令なのだが」
〈は、どのようなものでございましょう〉
「海賊船を拿捕してほしい。今ではなく、ひと月、否、半月ほど先に」
そう云うと、男はきょとんとした顔になった。
〈今ではなく、でございますか〉
怪訝そうな声だった。
まぁ、そうだろうと思う。
“ガルマ”が行方不明で、ズムシティや各地でデモが頻発し、これが暴動になれば連邦軍が出てくるかも知れない、と云う緊迫した局面で、海賊船の拿捕、しかも即日ではなく間をおいて、と云う指示である。命ぜられた方としては、何の冗談かとも思うだろう。
「きちんと理由がある。実は、“ガルマ”の消息がわかった」
〈何と!?〉
男の顔に喜色が表れる。さてはこの男も、“ガルマ”に騙されたものか。
――いや、それともドズルの影響か。
コンスコンは、1stや『the ORIGIN』の一年戦争時、ドズルの部下だったはずだ。ドズルが士官学校の校長中心の仕事であるので、現在は直接の上下関係――位階ではなく、所属などにおいて――にはなかったはずだが、元よりある程度関係があったのかも知れない。
「そうなのだ。今、密かに回収を命じたところなのだ。――が、ただ“ガルマ”が帰ってきたでは、いろいろと角が立つだろう」
特に、連邦側は、将官が死亡した事件の関係者として、探し求めているのだろうし。
〈――まぁ、確かに、知らぬ間に逃げられていたでは、連邦の面目丸潰れですからな〉
「そうなのだ。それで、カモフラージュと云うか、まぁ云い訳用に、“ガルマ”を“拉致した”海賊でもでっち上げるかと思ってな」
〈でっち上げる……〉
「まさか、自力で宇宙まで上がって、ムンゾから迎えを出した、とは、連邦に対して云えるまい」
それが事実なのだとしても。
「第一そうなれば、何故おとなしく連邦側の保護下に入らず、宇宙に上がることを選択したのかと云う話になるだろう。ムンゾ国民は当然のことだと思うかも知れないが、コリニー中将の独断だったとは云え、一応“預かっていた”体の連邦としては、いささか不愉快な事態になる。何でも良いから“よんどころない事情”を作ってやらねば、連邦としても、面目を潰されたままと云うわけにはいかなくなるだろう」
〈何でも良いから、それらしい理由を作れ、とおっしゃるのですな〉
「そうだ」
連邦から見て、どれだけ胡散臭く、また嘘臭い“理由”でも、とにかくそれらしい理由を作り、それをムンゾ国民が信じれば、まぁ既成事実ができたようなものだ。
そうなれば、少なくとも連邦も、大々的な軍事行動には移れまい。暫くは、の話だが、その“暫く”が重要なのだ。
「そのために、“ガルマ”が“いた”適当な海賊が必要なのでな。すまんが、見繕って拿捕してくれ」
〈――ご命令の趣旨は理解致しました。なかなか特殊だとは思いましたが〉
「まぁ、こと“ガルマ”絡みでは、どうしてもそうならざるを得んのだ。すまんが、頼んだ」
馬鹿々々しい命令だとは、正直こちらも思わぬでもないのだが。
〈了解致しました。適当な海賊を見繕い、しかるべき時に拿捕致します〉
「任せる」
〈は〉
敬礼して、コンスコンは通信を切った。
さて、とりあえず手は打った。手は打ったが――どのみち、ゴップからは何やら捩じこまれるのだろう。
――その時に、何と答えたものかな……
まさか、正直な話をするわけにもゆくまいし。
少し考えて、すぐに投げ出す。
どうせ、考えても無駄だ。あちらはあちらで、信じたいものを、信じたいように信じるのだから。
溜息をつき、少し先の現実から逃避するために、とりあえず簡単な書類仕事に手をのばした。