その月の末に、キシリアはシャア・アズナブルを伴い、一個中隊を率いてルウムへと赴いた。
たかだか二百人ほどの兵力では、とてもルウムの火種を力で抑えこむことはできるまいが、まぁ、これはムンゾとルウムの友好を証立てるための派遣である。要は、儀礼的な側面が強いと云うことだ――実際には、ルウムにも連邦駐屯軍が存在するので、そちらを圧迫するような人数は難しかったのだ。
それでも、ルウム首長からすれば喜ばしいことであったらしく、派遣を知らせる通信を入れた時には、涙を流さんばかりの様子であった。まぁ、政治家の涙が、どれほど本当かは定かでなかったが。
ともあれ、こちらとしては義理を果たしたことになる。この上、ことさら云われることもあるまい。
一方のムンゾ国内は、小休止と云うのが相応しい状況だった。
“英雄”コンスコンの存在を、マ・クベはやや面倒くさそうに見ていた――あるいは、そこにやっかみもあったろうか――が、しかし、“ガルマ”が戻ってきたことで、国内の擾乱の気配が遠ざかったことには、胸を撫で下ろしていたようだった。
まぁ、マ・クベにしても、現時点で連邦との戦端が開かれるのを、肯定的に見ることはできるまい。連邦と干戈を交えるには、まだこちらの備えが足りな過ぎるのだ。
とは云え、MS-06、ザクⅡは量産体制に入った。RX-79、つまり量産型ガンダムも、ツィマッドで着々と生産されている。
量産型ガンダムについては、流石に白の塗装と云うわけにはいかないので、ダークカラーの塗装にしている。濃紺、あるいはカーキ、モスグリーンなどを、部隊によって使い分けると云うことだ。基本はザクと同じグリーン系だが、位階の高い士官には制服のカスタマイズすら許されているムンゾである。ランバ・ラルや“黒い三連星”“シャア・アズナブル”ならずとも、パーソナルマークを肩に入れ、あるいはカラーリングも変えるものが出てくるだろう。そうなれば、青や黒、様々なガンダムも出てくるに違いない。
サイコミュの方はと云うと、どうも違う方向性を得つつあるようだった。
と云うのは、元々の方でも研究されていた、脳波による電気信号発信と、それによるある種の通信と云うものが、通常人においてもかなり使えることがわかってきたのである。
そのため、研究そのものの軸が、ニュータイプと云う“異能者”から人類全般に拡げられることになったからだ。
フラナガン博士も、大脳生理学者や脳医学者などと共同研究を行うことになり、所謂ニュータイプと一般人、そして新しい脳波によるシステムを使いこなせない人間の、どこがどう異なるのかについて、日々熱い議論を交わしているようだった。
「――平和で何よりだな……」
「何がです?」
来期、学校がはじまるまでの間、臨時秘書を務めることになったシロッコが問うてくる。
どこに行かせようか迷ったのだが、家庭的に不遇だったらしいと“ガルマ”に聞いたので、まずは普通に高校に通わせることにした。士官学校は、やはりどちらかと云えば脳筋集団なので、変に偏った人間になる可能性が高いのではないかと思ったのだ。もちろん、既に歪んでいるとは聞いていたが、わざわざそれを助長することもあるまい。
「いや、この報告書がな」
「あぁ、タチ少佐からの。……ニュータイプ研究所と云うものは、本当にあるのですね」
一瞥しただけで、大体の内容を察したシロッコは、溜息まじりにそう云った。
「お伽話か何かのように云うではないか」
「お伽話のようなものでしょう。私だって、ララァ・スンと出逢わなければ、信じることもなかったはずです」
そう云いながら、書類の束を突き揃える。
「ジオン・ズム・ダイクンの唱えたニュータイプ理論を、信じてはいなかったのか?」
「私は、自分の力のみで生きる術を求めていたので、そんな絵空事に使う余力も暇もありませんでしたから」
シロッコの口調は、冷静極まりなかった。
「むしろ、あなたがあれを信じておられることの方が驚きですよ。どうしてあんなものを信じようと?」
「キャスバルがいたからだな、それから“ガルマ”も」
実際にはもちろん、原作を見ていたからだが。
「まぁ、そうでなくとも、政治には理念が必要だ。それも、直近の利益とは関わりの薄い理念がな。ニュータイプ理論は、絵空事のようにも思えるものだが、だからこそ、互いに利益の異なる人間に働きかけるのには良い。あまり卑近な“理念”は、揉めごとの元にしかならん」
かと云って、あまりに悠遠な理想では、それもまた人心を取りまとめるのには不向きである。
あまり好みはしないが、こう云う場合は、ある種の選良思想的な言説が、それなりに力を持つことは、否定できないところだった。
「優生思想を好むわけではないが、虐げられたものにとっては、自分たちこそが選ばれた民であると云うような言説は、耳に心地良く響くものだ。それが暴走して、逆にアースノイド排斥運動に繋がらぬよう、巧く手綱を取ってやらねばならん」
シトラ=此方もユルトラ=彼方も、極端なものはすべて、人民を駄目にするもとである。だからと云ってどちらをも切り捨てれば、最終的に自分が切られる羽目になることは、以前の生で経験済だ。
巧く、巧くバランスを取らねばならぬ――束の間であっても、平和を手に入れるために。
「私にはわかりかねます」
シロッコは、少し眉を寄せながら云った。
「ニュータイプであれオールドタイプであれ、言葉を介さずに意思の疎通ができようとできまいと、優れた人間と劣った人間の間には、埋め難い溝があると思います。よく、IQが二十違うと会話が成立しない、などと云いますが、あながちあれは間違いではないのかと――あなたと話をするのと、ゾルタンと話をするのでは、まったく通じ方が違います」
「ニュータイプ同士でも駄目か」
「駄目です。ニュータイプだろうと何だろうと、他人は他人、自分は自分ですよ」
「なるほど」
当事者からの貴重な意見である。
尤も、
「ゾルタンを引き合いに出すのは、少々話が違う気もするがな」
小学校高学年と高校生では、知能指数云々以前の問題だ。小さな子どもは生活史や純粋な経験が不足しているから、ニュータイプとオールドタイプの単純な比較には適さないだろう。
「ならば、ガルマとでも構いません」
「……あぁ」
そちらはそちらで、何と云うか“人の類”なので、一律に較べたくはない気がするが――いやしかし、ゾルタンよりは正しい比較対象ではあるか。
「まぁ、“ガルマ”は理解し辛いだろうな」
「あんなに思考を投げ出している人間はいませんよ。それに、あまりにもカオスだ。あのカオスの中で飛躍するから、よくわからない結論に行き着くのだな、と云うことはわかりましたが」
「気持ちはわかる」
“ガルマ”の思考に較べれば、ほかの“飛躍的思考”など子どものジャンプくらいでしかない。“ガルマ”は、何がどうしてこうなった的な、壁面を走って飛び越えでもしたのかと云うような、よくわからない飛躍をすることが多いのだ。当人に云わせれば、“回りこめる壁だったから、回りこんでみた”と云うことになるようなのだが。
「あのガルマを、よくも手綱を取っていられるものですね」
「キャスバルのことか?」
「いいえ、あなたです!」
「まぁそこは、“長いつき合い”だからな」
シロッコたちが考えるよりもずっと。
大体、“ガルマ”については、考えても無駄なことが多い。本人はそうでもないと主張するが、その場その場で生きているようなところがある。脊髄反射的と云うか、そんな感じである。つまり、こちらが深く考察したり、忖度しようとしてもあまり意味がないのだ。
それくらいなら、その時その時の反応を、そんなものだと捉えて対処した方が、百倍も有効なのである。
「まぁ、ご兄弟ですからね」
「……まぁ、そうだな」
そう云うことにしておこう。
「“ガルマ”のことは置いておけ。お前が学ばねばならんのは、あれとはまったく違う類の連中だ」
いずれ政治の場に出ていくつもりならば、それなりの振るまいを学ばねばなるまい。“ガルマ”のように野放しでは、上流階級の“妖怪”どもとはやり合えぬ。いや、“ガルマ”は巧く躱したりやりこめたりしているが、あれと同じことを、常識ある人間がやるのは困難だ。平気で一線を踏み越えられるのは、ザビ家の家名と、持って生まれた資質に依るところが大きい。どちらも、シロッコにはないものである。
シロッコは沈黙した。
「何だ、政治の世界に進むつもりなのではないのか」
「――私が、本当にそんなことができるとお考えなのですか」
それよりも、家名を云々され難い分、軍人になった方が、などと云うが、
「家名がものを云うのは、軍とても同じことだ」
肩をすくめてやる。
「軍人の家系と云うのは確かにある。ザビ家は、そもそも政治家か学究の徒を排出してきたようだがな。“父”が、ジオン・ズム・ダイクンに肩入れしてから、軍に親しくなったようだ」
そもそも“父”も、ムンゾ大学の学長であったのを、ジオンとともに歩んだが故に、首相に就任することにもなったのだから。
「あなたは、では、そもそも軍人を目指していたわけではないと?」
「私も、元は学生だったさ。ジオンに与する学生運動に身を投じて、気がついたら今があるのだ。士官学校に行ったわけでもないからな、はじめは少々苦労した」
はずだ、多分。
無論、マ・クベのようなタイプもある、知略で売るのはひとつの道だとは思うが、やはり士官学校で同期だったり、あるいは先輩後輩の間柄であったり、があるとないとでは大違いである。
しかも、ジオン・ズム・ダイクンの片腕であるデギン・ソド・ザビの息子、と云う触れこみは、士官学校から上がってきたものたちから、強い反撥を受けただろうことは想像に難くない。それを、どのような手腕で捩じ伏せたのかは最早知る由もないが――並の人間にできることではないことは明らかだった。
シロッコにそれが不可能だとは云わないが、軍の“力こそパワー”的な雰囲気は、最終的に、あの『Z』と同じような環境を、この若者のまわりに作る可能性がある。
それならば、いっそ最大限の謀略家に仕立て上げるべく、まっすぐ政治の道に入らせた方が、後々本人にとっても、まわりにとっても良い結果が出ることになるのではないか。
「“上”から、落下傘のように降ってくる文官上がりの士官を、叩き上げの士卒や士官学校出の将校たちは、あまり良く思わないのは確かだが――しかし、かれらとても、そのものが自分たちの利益を守ってくれる、あるいは、少なくとも心情を理解してくれるのならば、無碍にしようとは思うまいよ。だが、上流階級と云うものは、どうにも新参には冷たいところなのでな」
「若いうちなら、それが払拭されるとでも?」
「少なくとも、今のお前には、ザビ家と云う後ろ盾がある。そうではないか?」
実態はどうあれ、ザビ家の私邸で養われる少年を、上流階級の人びとは、いずれザビ家の養子に入るなり何なり、自分たちの仲間に入ってくるものと目することだろう。もちろん、最初は様子見もあって、暖かく迎えられはするまいが、少なくともまったく縁故も何もない若者が、独力でそこに入りこもうとするよりは、いずれ自然に受け入れられる、その可能性は高くなるはずだ。
「無論、お前自身の努力が必要ではあるが――お前の手間を、一段か二段ほど、少なくしてやれると思うのだ」
シロッコは、目を瞬かせた。
「あなたは――あなたもガルマも、どうして私をそんなに買うのですか」
「“ガルマ”は知らんが、私は敵を作りたくないだけだ」
肩をすくめてやる。
「優秀な“敵”ほど恐ろしいものはない。それくらいなら、少しでも手をかけて、味方に引きこんだ方が圧倒的に良い。味方を作るための投資であれば、これくらいは安いものだ」
要は打算だよ、と云うと、シロッコは、何とも云い難い表情になった。
「……打算で、それほどまでに手をかけるものですか」
「そこまでかけているわけではないだろう。それに、敵になってから、それを味方にするよりも、今そうする方が遙かに簡単だ。そう云うわけだから、お前も、存分に私を、ザビ家を利用するが良いさ。それで、互いにメリットがある関係になれる。そうではないか?」
シロッコの表情は、やはり頷きたいような、そうしたくないような、微妙なものだったが、それでも否やはないようだった。
ニュータイプ部隊を作るにしてもそうでなくとも、シロッコを自陣営に引きこめれば、グリプス戦役への流れは完全に断ち切れる。バスク・オム、ジャミトフ・ハイマンもいないこの時間軸では、ティターンズの勃興は限りなく困難だろう。
さて、一年戦争後の動乱の芽が、さらにひとつ潰れたわけだが――肝心の“一年戦争”、そしてその前哨戦にあたる“暁の蜂起”はどうなるのか。
近い未来のはずであるのに、そこを見通すことはひどく難しかった。
ルウムに向かったキシリアから連絡が入った。
〈歓迎ぶりはありがたいけれど、何をしに来たのかわからなくなるわ〉
やや疲れた顔で、キシリアは云った。珍しいこともあるものである。
「歓待を受けるだけの、楽な仕事ではなかったのか」
〈楽は楽よ。ただ、あまりにもあちこちに呼ばれるものだから、正直疲れてしまって〉
「シャア・アズナブルもか」
もしかして、それで姿が見えないのか。
〈そう。私はともかく、あの子はこう云う、前面に出なければならない仕事には不慣れでしょ。その疲れぶりときたら、本当に可哀想なくらい〉
「まぁ、そうだろうな」
シャア・アズナブルは、結局のところ一般人であったのだ。それが、故郷に帰ったと思えば映画俳優か何かのような扱いである。それは、気疲れもするだろう。
「それで、ルウムの情勢はどうなのだ」
〈悪くはないわ。ガルマが無事に戻ったと云うニュースと、われわれが出向いたことで、アースノイド排斥運動は、少し落ち着いたところはあると思う。多少ぐずぐず云っているものもあるけれど、それは多分、ガルマの件がなくとも云っているようなものたちだろうから、概ね平穏と云って良いでしょうね〉
「そうか」
まぁ、どこの地にもアースノイド排斥を唱えるもの、コロニー独立を云い立てるものはある。が、かれらがそれを大きなうねりにするには、今回は少々時機を逸したと云うことだろう。
正直、ほっとした。
独立の機運やアースノイド排斥運動の盛り上がりなどがあのままいけば、前倒しで、しかも原作とはまったく異なるかたちでのルウム戦役、そしてそこから一年戦争へ、と云う流れができてしまっただろうからだ。
無論、こちらもただ不戦を唱えるわけではないが、とにかく準備と云うものがある。そしてそれは、連邦軍にしてもご同様だろう。戦争は、闇雲にはじめれば良いと云うものではない。
〈それは良いのだけれど〉
キシリアは、切り出し方に迷うように言葉を切った。
「どうした」
〈これをどう取ったものか悩むのだけれど――アナハイムの人間が、密かに接触してきたの〉
「アナハイム?」
アナハイムと云うと、“スプーンから宇宙戦艦まで”がキャッチフレーズの、あの巨大企業のことか。
テム・レイの元の所属であり、『the ORIGIN』枠の現時点では、RCX-76-02ガンキャノンを製造しているのがアナハイムである。
連邦政府や軍上層部にも金を注ぎこんでいると云う噂のアナハイムの人間が、ムンゾに一体何の用があると云うのか。
『本社の人間か』
〈フォン・ブラウンのアナハイム支社から来たと云っていたわ――ウォン・リーと名乗っていたのよ〉
「ウォン・リー」
それは、『Z』でカミーユ・ビダンに鉄拳制裁しようとして、逆にいなされて終わった、あのウォン・リーか。
しかし、ウォン・リーは、『Z』ではアナハイム会長メラニー・ヒュー・カーバインの片腕であったように記憶しているが――連邦系とも目される企業の人間が、反連邦の急先鋒と思われているムンゾの人間に、一体どんな用があると云うのだろう?
〈ご存知なの、ギレン?〉
「いや……それで、要件は何だったのだ」
〈それが、今ひとつはっきりしなかったの。ただ、お前と話がしたいと云っていたわ〉
「私と?」
それは妙な話だ、と思う。
そもそもムンゾは、独自の企業を多く抱えている――MSにおけるジオニック社やツィマッド社のように。
つまり、ムンゾとしては、アナハイムに自国企業のシェアを奪われるような真似はしたくないし、国民感情としても、連邦に金を流しているアナハイムの製品を購入して、連邦にさらなる力を与える真似は――まぁ、躯体の大きな企業であるから、ムンゾの人口がどれくらいのウェイトを持つものかはわからないが――したくはないだろう。
アナハイムにしても、よほど自信のある商品でなければ、ムンゾの企業の販路を奪取するのは難しいと、それはもう身に沁みてわかっているはずなのだ。
それなのに、一体何故?
「簡単な概要や、何某かの提案を受けたりはしていないのか?」
〈恐ろしく用心深い男で、お前にでなければ話せないと云うの。とりあえず話を上げておくとは約束したけれど、通信でも何でも、対話が果たせるかはわからないとは云っておいたわ。罠と云う可能性もなくはないでしょう〉
「そうか――そうだな」
しかし、罠ならば、ウォン・リーが使者であったとしても、会長であるメラニー・ヒュー・カーバインの名を出してくるくらいのことはするだろうと思われる。そうでないなら、これはウォン・リーひとりの差配であるのか、あるいはアナハイムのフォン・ブラウン支社の総意と云うことになるのか。
「とにかく、裏を探らせてみることにする」
何しろ、原作から大きく外れてしまっているこの時間軸だ。不測の事態により、連邦内部が大きく変化した以上、関連する企業にしても、変化を余儀なくされている可能性は高い。
問題は、それがムンゾの先行きにどんな影響があるかと云うことだが――そのあたりは、それこそタチあたりの出番だろう。
〈そうして頂戴〉
そう云って、キシリアは、いかにも疲れた顔で溜息をついた。
〈あまりにも、いろいろと目まぐるし過ぎて――あまりよく考えられないの。環境が変わると云うのは、大変なことなのね……〉
「一時のことだ」
〈そうなのだけれど……〉
「何ごともなく帰れることを願っている。何かあれば大ごとだからな、ルウムにとっても、もちろんムンゾにとっても」
〈えぇ、もちろんわかっているわ〉
「とりあえず休め。明日も、その先もあるのだからな」
〈えぇ、そうさせてもらうわ〉
本当に珍しいくらいに疲弊した様子で、キシリアは通信を切った。
――歓待されているから良い、と云うわけでもないのだな。
まぁ、悪意があるわけではないようだから、無碍にもできずに辛い、と云うところなのだろうが。
それはともかく、ウォン・リーとアナハイムである。
呼び出すと、タチはすぐにやってきた。
「どのようなご用件で?」
「知っているかも知れないか、アナハイムのことだ」
「アナハイム――本体ですか、月の方ですか」
「月だ。アナハイムのフォン・ブラウン支社が、ムンゾと繋ぎを取りたいと、キシリアに接触してきたようなのだ。原因がわかるか?」
そう云うと、タチは腕を組んだ。
「アナハイム内部で、少々がたつきがあるのは聞いておりますがね。――そもそも、あちらはニューホンコンが発祥の地と聞いております。社として連邦寄りになるのは、仕方のないことでは?」
「確かに、アナハイムのCEO、メラニー・ヒュー・カーバインが、ニューホンコンで仕事をはじめたとは聞いたことがあるな――しかし、それなら何故“アナハイム”なのだろうな」
アナハイムは、アメリカの都市らしいと聞いた気がするのだが。
「まぁ、そのあたりも含めて、調べて参りますよ。他には何か?」
「アナハイムのフォン・ブラウン支社のウォン・リーと云う男を調べてほしい」
「その男が、キシリア様に接触してきたと?」
「そうだ」
気になるのは、アナハイムそのものよりも、むしろウォン・リーの存在かも知れない。『Z』の時の、メラニー・ヒュー・カーバインの代理人としてのあの男を知っているからか、どうにも罠ではないかと云う疑念が消えないのだ。
ウォン・リー自身も――『Z』劇場版の話だが――、ニューホンコンのルオ商会に、娘のステファニーを嫁に出したことになっていた。だからと云うわけではあるまいが、ルオ商会は、アナハイム・エレクトロニクスと協力関係にあるように描かれていたはずだ。
もしも、ウォン・リーの行動が陽動だったとしたら、アナハイムは何を目論んでいるのかと云うことになる。
逆に、罠でないとするならば、今度はアナハイム内部で何が起こっているのかと云うことになるだろう。
とにもかくにも、ウォン・リー、あるいはアナハイムの目論見を知らなくては、泥濘に足を取られるようなことにもなりかねない。
「ウォン・リーと云う男は、メラニー・ヒュー・カーバインの腹心だと考えていたのだが――そのとおりだとしても、あるいはそうでなかったとしても、ムンゾに何を求めているのかが気になる。わかる範囲で構わんので、調べてくれ」
「そんなに気にかかりますか」
「ニューホンコンのルオ商会、あそこと関係があるかも知れん男だ。その上、多分メラニー・ヒュー・カーバインの腹心でもある、となれば、気にならん方がおかしいだろう」
「……なるほど」
タチは、口許を歪めた。
「ニューホンコンのルオ商会と云えば、秘密主義のルオ・ウーミンですな。それを、ムンゾにいながらに探り出せ、とおっしゃる」
なかなかハードルが高い、と云う。
「お前も、伊達に“伝書鳩”のトップではあるまい?」
「それはそうですがね!」
「そもそも、そのための“伝書鳩”ではないか。それに、お前のことだから、ゴシップジャーナリストの他にも、地球に伝手はあるのだろう?」
「……否定は致しませんが」
「そうだろうとも」
その伝手をフルに使えば、アナハイムの動向を把握することも不可能ではないはずだ――かつて、アナハイムにおける原-MSとでも云うべきもの、つまりはRCX-76の開発計画を抜き、またテム・レイをこちらに勧誘してきた時のように。
「努力は致しますがね、あの頃より、アナハイムのガードは恐ろしく固くなっているんです。あまり期待しないで戴けますかね」
「うむ、期待しないが待っているぞ」
後半に力をこめて云ってやれば、渋面が返された。
「どうしてそう、圧力を……まぁ、やりますけれど!」
自棄くそ気味である。
「お前の腕を信じているからな」
「またそう云う……」
「本当のことだ」
「……とりあえずは、閣下のおだてに乗っておくことに致しますよ」
「おだてではないが、そうしてくれ」
こちらはこちらで、あたれる伝手はあたってみる、と云えば、タチは頷いた。
「そうですね。今回ばかりは心許ないです。そうして戴いた方が確実ですな」
まぁ、とにかく、ご希望に添えるようには努めますよ、と云って、タチは退出していった。
さて、タチにはああ云ったものの、対企業となると、こちらもさっぱりお手上げである。
“昔”から、経済は完全に門外漢で、それで四苦八苦したことが多かった。
まぁ、今回は企業内部、あるいは販路的な意味での勢力図の話になるだろうから、多少わからぬでもないのだが、苦手感があったせいもあり、端緒が掴めないのだ。
いや――
――シュウ・ヤシマに訊いてみるのはどうだ。
ヤシマ財閥も、連邦寄りの企業と云われている。こちらが宇宙でじたばたするよりも、何某かの情報を持っているのではないか。
それに、TVで見たが、“ガルマ”はパーティーで、ミライ・ヤシマとダンスをしたはずだ。そうであれば、多少なりとも“ガルマ”のことを気にかけてくれている可能性もある。それへの謝礼や報告も兼ねて、やはり連絡してみるべきなのだろうし。
そう思うと、それがベストの選択のように思われてきた。
無論、タチがきっちり仕事をしてくれるのはわかっているが、まぁ根本的に、いろいろと首を突っこみたい方なのである。
とは云え、今日は既に、通常の勤務時間を過ぎている。
無論、軍であれば、多少の時間超過はざらであるが――民間人、それも財閥トップなどと云う人物であれば、所謂“勤務時間”などはあってなきが如しであろう――今くらいの時間は、多分パーティーやら会食やらの真っ最中であるはずだ。
とりあえず、明日以降にしよう、と考えて、目の前の書類に手をかけた。
シュウ・ヤシマとは、驚くほど速やかに話すことができた。
「お忙しいところ、恐縮ですが……」
と云うと、いやいやと手を振られた。
〈ギレン殿ほどではありますまい。……ガルマ殿がお戻りになったとか、一安心されたのでは?〉
相変わらず、温厚な風貌である。勝海舟が云うような“人物”――日清戦争時の李鴻章のような――とは、シュウ・ヤシマのごとき人間を指すのではないだろうか。
たっぷりした雰囲気で恰幅も良く、いかにも温厚そうな容姿の持ち主である――だが、そのまなざしは、まとう空気ほどにはやわらかくもなかったが。
「とりあえずは、各コロニーで暴動の気配が沈静化したので、胸を撫で下ろしておりますよ」
〈コロニー同盟の提唱者の身内が連邦で行方不明では、皆、不穏な空気しか感じなかったでしょうからな〉
「“ガルマ”は妙に人気があるようですので」
〈そうですな。……そう、娘も、ガルマ殿にお目にかかって、素晴らしい貴公子だったとうっとりしておりましたぞ。許嫁のことを惚気られたとかで、それも羨ましかったようですな〉
「ミライ嬢も、婚約者がおありと伺った気が致しますが?」
と云うと、微苦笑が返ってきた。
〈親同士で決めたものですから――なかなか会う機会もなく、ガルマ殿のように情熱的に語ることもてきないようでしてな。――そのアルテイシア嬢とは、もちろん再会なさったのでしょう?〉
「お蔭様で」
しかし、まだ婚約云々は戯言だと思っているようだ、とは、この人の前では云えなかった。壊したくない夢と云うものが、誰にでもあるものなのである。
「流石に真っ先にとは参りませんでしたが、すぐにアルテイシアが参りまして。最近は、“父”が、“母”のものであった部屋をアルテイシアに与えまして。今からザビ家の女主人の訓練でもさせているようです」
ナルス・ザビは、1stにおいてはドズルとガルマのみの母であったのだが、『the ORIGIN』では、ドズルとガルマの間にキシリアが入ることになっている。つまり、デギン・ソド・ザビがナルスを愛人として長年囲っていたわけでない限り、ナルスはすべてのザビ家兄弟の母と云うことになるわけだ。まぁ、ギレン、サスロ、キシリアの顔はよく似ている――サスロのみ、体型までデギンに似たのだろう――のだし、いろいろと考え合わせると、ガルマを生んだ時には超高齢出産であったナルスは、産後の肥立ちが悪く、帰らぬ人となった、と云うのがありそうなことのように思われる――本当のところは知るべくもないが。
ともあれ、ガルマが生まれてこの方空白だったザビ家の女主人の座に、アルテイシアが坐ることになったのは良いことであるだろう。
人びとは、ザビ家とダイクン家の若い二人を心から祝福するだろうし、二人が、キャスバルと手を携えて、この先のムンゾを導くのだとも考えることだろう。
新しいムンゾの象徴として、この上ない人選ではないか。
〈それは、ガルマ殿の婚約者ともなると、いろいろと大変なことですな〉
「ミライ嬢の婚約者殿ほどではございますまい」
他に兄姉がいて、何かとサポートすることができるのとは、話が違うのだ。その上、場合によっては、ヤシマ財閥のトップとしての仕事もこなさねばならぬとなれば、生半可な覚悟ではその座につくことはできるまい。
そう云うと、シュウ・ヤシマは苦笑した。
〈さて、どうでしょうな。わが婿も、ガルマ殿のような人物であれは良いのですが〉
「いや、それは止めた方が」
思わずそう云うと、目を瞬かれる。
〈何と、実の兄君が、そのようなことを云われようとは〉
「いや、お勧めは致しません」
野放しにして良いものではないのだ、あれは――人のいない原野か何かならともかくとして。
「――まぁ、それはともかくとして、ご連絡差し上げたのには理由があるのです。実は、教えて戴きたいことが」
〈ほう、どんなことでございましょう〉
予期はしていたのだろう、特段驚くでもなく、そう問い返される。
「えぇ、アナハイムのことについて、教えて戴けましたらと」
〈アナハイム〉
流石に意外そうな声。
「はい。実はアナハイムから、我が妹に接触がありまして。意図が掴めず困惑しております。ヤシマ殿でしたら、何かご存知ではないかと」
〈ふむ……〉
シュウ・ヤシマは、腕を組んで、難しい顔になった。
〈アナハイムは、メラニー・ヒュー・カーバインがトップに就いて以降、順調に業績を伸ばしていたが、ここ暫くは伸び悩んでいるとは聞いております。恐らくは、ムンゾの企業が月に進出したり、各サイドのメーカーが、コロニー内でシェアを伸ばしているからかと思われますな〉
「なるほど」
月にムンゾの企業を進出させたのは、まぁ“ガルマ”の要請に沿ってのことだったのだが、半分はシュウ・ヤシマのお蔭でもある。
「その節は、大変お世話になりまして」
〈いやいや。お蔭で私の方も、新たな販路を得ましたからな。あれはお互いに良い関係を構築できました〉
「本当に」
〈アナハイムは、各サイドの企業がシェア拡大に動いた時に、やや動きか鈍かったので、あるいは出遅れた結果、少々業績に翳りが出たのかも知れません。……それと、これは風聞の類なのですが――アナハイムの創業家と、メラニーCEOの間に、方針の齟齬があると聞きました。あるいはそれで、アナハイム社内に亀裂が入っているのかも知れません〉
「創業家? メラニー・ヒュー・カーバインが創業者ではなかったのですか」
『UC』ではそのような描写があったように記憶していたが――しかし、考えてみれば、Wikipediaなどには特に創業者の名や創業家の話は触れられていなかったように思う。『UC』は、やたらと名家を作り、名家の血が宇宙世紀を動かしているかのような描写をしていたようだが――そもそも1stでも『the ORIGIN』でも、そのような名家の存在は明示されていなかったのだ。
況して、『Z』や『逆シャア』にも繋がらぬかも知れぬ『the ORIGIN』軸であれば、あれやらこれやらの“名家”が存在しなくとも不思議はないか。
案の定、シュウ・ヤシマは首を振った。
〈違います。元々の創業家は、それこそアメリカのアナハイムであの会社を創業したようですね。それが、人類が宇宙へ出る時に、うまくコロニー事業の下請などに食いこんで、あそこまでの企業に成長したようです。まぁ、そのために、莫大な金を、連邦政府に注ぎこんだと聞きますが〉
「ほう」
なるほど、では、宇宙世紀とほぼ時を同じくして、連邦政府とアナハイムの癒着ははじまったと云うことか。
〈まぁ、どの企業でもよくあることですな。……ともかくも、アナハイムは、宇宙進出とともに大きくなっていったのです。それをさらに拡大しようとしたのが、現CEO、メラニー・ヒュー・カーバインですな〉
「経済には疎いので、よくは知らないのですが――メラニーCEOは、生え抜きのCEOなのですか?」
外部から迎えられたわけではなく?
〈生え抜き、と云って良いものかはわかりませんが、少なくとも役員経験者ではあったはずです。ですから創業家も、社の空気をわかっているものとして、経営を一任していたのでは。……ただ、最近では、両者の思惑の違いが鮮明になってきたようだ、とか〉
「思惑の違い、と云われますと」
〈メラニー・ヒュー・カーバインはユダヤ系らしいのですが、連邦政府に肩入れする理由が、どうやら聖地エルサレムをユダヤ教徒のものにしたいからだ、とか〉
「つまり、かたちを変えた中東戦争を繰り返そうと?」
〈おそらくは〉
「馬鹿々々しい」
思わずそうこぼす。
そもそもの中東戦争が、白系ユダヤ教徒の国を、パレスチナに無理矢理作ったことに端を発しているのだ。
確かに“ユダヤ人”は、血統ではなく信仰によって成り立つ民族ではあるが、いかに迫害した負い目があるとは云え、宗教にしか根拠のない国を無理矢理作るのは、争いの種を蒔くようなものである。
しかも、ユダヤ教徒だけの聖地であるならまだしも、エルサレムは、キリスト教、イスラム教の聖地でもある。そんなところにユダヤ教徒の国家を作り、聖地を独占しようなどと考えるから、中世紀においても泥沼の争いが繰り広げられることになったのだ。
それを、宇宙世紀も百年になんなんとする今、この時に、まだ云うのだと?
宗教が不要だとは云いたくはないが、この愚かしさを呼び起こすものが宗教であるのなら、マルクスに倣って“宗教は阿片である”と云いたくもなるだろう。苦しい人生のためには必要だが、使いようによっては、社会そのものを蝕む害毒にもなり得る、と云う意味で。
「旧世紀の遺物のような御仁ですな。今の世に、聖地エルサレムも何もあるものか」
〈私も、初めて耳にした時には、何の冗談かと思いました〉
「まったくですな。今現在においては、アースノイドとスペースノイドの格差こそが問題だと云うのに」
〈そうなのです。そしておそらくは、アナハイムの創業家も、メラニーCEOのその姿勢を危惧しているのではないかと〉
「企業家としての本道を失っているのではないか、と?」
〈えぇ〉
シュウ・ヤシマは頷いた。
〈信仰は確かに個人の自由でしょうが、それが政治にまで干渉するほどであるならば、企業人としてはいかがなものかと思われるでしょう。況して創業家ともなれば、筆頭株主であり、社主でもあるはずです。自分の持ちものを使って好き勝手されるのは、我慢ならないはずだ〉
「なるほど」
確かに、企業の方向性を決め、導くのはCEOの仕事だが、それにしても、最低限の“社風”を守ってもらいたいと思うのは、社主一族としては当然のことだろう。
しかも、それが宗教的な絡みがあるとなれば、問題視されても不思議ではない。従業員の中には、キリスト教徒はもちろんのこと、イスラム教徒も大勢いるに違いないのだ。かれらは、自らの勤める会社のCEOが、ユダヤ教徒のエルサレム独占のために動いている、などと知って、良い気持ちにはならないだろう。
――と、なると……?
ウォン・リーは、一体どちらの使者として、面会を求めてきたのだろうか? メラニー・ヒュー・カーバインか、あるいは創業家のものたちか。
それによって、こちらの対応も変わってくるし、何よりアナハイムそのものの行末も、大きく変わっていくことになるだろう。
これは、大変なことになるのかも知れない――頭の中で!あれこれ算段していると、
〈……お役に立てたようですな〉
シュウ・ヤシマが微笑んで云った。
「えぇ、大変に有益なお言葉を聞かせて戴きました」
深く頷く。
タチがいかに優秀とは云え、ここまでの情報は、なかなか入手するのは困難だろう。アナハイムの成り立ちや創業家との関わりはともかくとして、個人の信教となると、そうそう表に出てくるものではない。
〈それは何よりでした〉
「ありがとうございます。お時間を戴き、大変助かりました」
〈何ほどのこともありませんよ。……ガルマ殿に、宜しくお伝え下さい〉
〈はい、必ず。ミライ嬢にも、宜しくお伝え下さい。私が感謝しておりました、と〉
〈えぇ。それではまた〉
「ありがとうございました」
通信はそれで終了した。
時間にすれば、十五分ほどの会話だったが、欲しい情報は充分以上に手に入った。
さて、この後は、ウォン・リーの後ろにいるものの特定と、その望みがいかなるものであるかだが。
――まぁ、そこは会ってからの判断でも構うまい。
タチが、アナハイム社内の動きを持ってくれば、より詳細な勢力図が描けるはずだ。
まぁ尤も、社内の勢力図は、外からは見え難い部分も多い。そのあたりは、やはり実際に話をして、ウォン・リーが誰の代理として、何を求めてくるかを見極めてからでも構うまい。
兵は拙速を尊ぶとは云うが、やはりできることなら熟考はすべきであるのだから。
とりあえずはそう結論づけて、アナハイムのことは、ひとまず脳の片隅に放り投げた。