ウォン・リーから、正式な面会要請があったのは、それから一週間ほどのちのことだった。
「多分、本社とフォン・ブラウン支社の対立が裏にあると思いますよ」
とは、アナハイムについて調べてきたタチの意見だった。
「最近、メラニー・ヒュー・カーバインCEOの連邦に接近するやり方を、支社の人間がよく思っていないと云う話のようですから――まぁ、フォン・ブラウンにいるのは、大体がスペースノイドですからね。連邦に近づくと云うのは、今ではアースノイド至上主義者と目されることにもなりかねません。メラニーCEOは、今までは従業員の待遇などで、自分の方針に対する不満をよく抑えこんでいたようですが、ガルマ様の一件以来、スペースノイドたちのアースノイドに対する目は、厳しさを増しています。ウォン・リーと云う男は、フォン・ブラウンのスペースノイドの従業員たちの総代として、こちらに接触してきたのでは?」
とは云うが、ウォン・リーの『Z』における軍隊式の態度を見れば、そう単純な話だろうかと勘繰ってしまうのだ。
「……メラニー・ヒュー・カーバインの罠と云う可能性も、どうしても捨て切れん」
予備知識があると、どうしてもものごとをまっさらな目では見られなくなる。
メラニー・ヒュー・カーバインは士官学校にいたことがあるそうだが、あるいはウォン・リーは、その頃の同級生、あるいは先輩後輩の間柄であったのかも知れない――そうなれば、単なる会社の上司と部下以上の関係であるだろう。
もちろん、単なる上司と部下でしかない可能性もあるが、とにかく、考えられる可能性はすべて考えておかなくては、今後の選択にも影響が出てくるのだ。
「とにかく、ウォン・リーがどの方面に向いていても、対応できる心づもりでいくしかないたろうな」
ここでくだくだ考えていても意味はない。
とりあえず、ウォン・リーと繋ぎをつけることにした結果、サイド3に近い月面都市グラナダ――こちらにも、アナハイムの支社はある――とムンゾの間あたりの宙域に、互いに船を出して対面することにした。
とにかく、ムンゾ国軍総帥と云う立場では、国の外に軽々と出ていけるわけではないのが、面倒と云えば面倒なのだ。
連邦の目に留まると、また面倒なことになるのは目に見えているので、“伝書鳩”が手配した船で行くことにする。変装して乗りこむのも、恒例のことになってきた。とにかく、突っこみどころはなくならぬにせよ、極力減らしておきたいのは人情ではないか。
まぁ、タチとデラーズが二人とも姿がないことを、不審に思うものもあるだろうが――しかし、タチはもともとあまりそのあたりをうろうろしているわけでもないし、デラーズはと云えば、こちらと休みを重ねているようなところがある。
つまりは“ギレン・ザビ”が休日のため、デラーズも休んでおり、タチはどこかに潜っている、くらいに目されれば御の字なのだ。
約束の宙域につく頃には、既に先方の船は到着しているようだった。
周囲を警戒しつつ、接舷する。流石にこちらの船の方が大きいので、向こうの船からボートが出て、こちらに移ってくるようだ。
簡単なボディチェックの後、対面となる。
ウォン・リーは、当然のことながら『Z』よりも若く、おそらくはこちらの数歳上、と云う風な年頃であった。灰色の髪や、少しばかり捻じくれたような顔つきは、十年若くとも変わらないようだが、画面で見たよりもまだ筋肉はしっかりとついているようだ。
まさか、ムンゾの総帥に“修正”などとは云い出すまい――しかし、この言葉も軍隊的である――が、もしも手を出されるようなことがあったとしても、まったくやり返せる気がしない。何かあったら、頼れるのはデラーズくらいなものである。
「お初にお目にかかる。アナハイム、フォン・ブラウン支社支社長代理の、ウォン・リーと申します」
男は、殊勝に頭を下げてきた。
「ギレン・ザビだ。妹、キシリアから話は聞いたが――ムンゾに接近して、アナハイムに何の得が?」
「そこは、いろいろとあるのです」
ウォン・リーは云って、詳しく語る気はないのか、口を閉じた。
「さて、それでは何とも仕様がない話ではないか。貴殿は、己の目的も云わずに要求だけを掲げ、私と交渉しようと云うのか? それで、私が貴殿の云うようを真面目に取ると、そう思っているのならば笑止千万だ」
椅子の上で背を反らす。
「自治共和国とは云え、仮にも一国の総帥を呼び出しておいて、語れぬことがあるなどとは片腹痛い。私としても、このまま何もなしに戻る気にはなれん。洗いざらい話してもらおうか――なに、喋る気になる方法など、いくらでもあるのだからな」
半ば脅しをかけるように云うと、ウォン・リーは慌てて両手を振った。こう云うところは、『Z』の老練さはまだないのだと思わせる。
「そ、そのようなことは、夢さら! ……ただ、お話しするとなると、長い話になります」
「構わん。聞かねば判断がつかぬからな」
そう返してやると、ウォン・リーは溜息をつき、のろのろと話し出した。
「ことは、現CEO、メラニー・ヒュー・カーバインと、アナハイム創業家との齟齬にあるのです」
と云う言葉からはじまった話は、シュウ・ヤシマから聞いていたのと、ほぼ変わらぬものだった。
つまり、メラニー・ヒュー・カーバインがエルサレムから“異教徒”を駆逐すべく、連邦政府に対し、アースノイドを宇宙へ上げるために、かなりの資金供給をしていること、アナハイム創業家はプロテスタント系クリスチャン――アメリカらしく――で、篤信家ではあるが、聖地エルサレムにそこまでの思い入れはなく、また自らも追い出される側になりかねないために、メラニーのやり方に疑念を抱いている、のだと。
それは良いとしても、
「それで、何故私に話を持ってくる?」
ムンゾは国であって、企業体ではない。後のアナハイム・エレクトロニクスほどではないにせよ、既に一大企業体となっているアナハイムに対し、ムンゾに何ができると考えているのか。
ウォン・リーは、『Z』からでは想像できないような、卑屈な顔で笑ってみせた。
「何の。ムンゾは今や、コロニー同盟の盟主とも目されています。そのムンゾの、しかも同盟の立役者でもある閣下ならば、メラニーCEOとて無視はできないはずです」
「アナハイムの拠点は地球、そして月だ。それで、ムンゾがどう関わっていくのだと?」
「だが、アースノイドをすべて宇宙に、となれば、コロニーの均衡も崩れることになるでしょう」
厭らしい顔で、男は笑った。
「ムンゾは今は安泰のように思われますが、もしも数十万、いや! 数億のアースノイドが流入してきたならば、どうでしょうな? あるいは、ルウムは、リーアは、ハッテはどうでしょうかな?」
「……交渉の仕方を、よく弁えていることだ」
確かに、現在地球上に住まう、所謂アースノイドは二十億と云われている。それに対して、コロニーのサイドは実質六つ、そのうちムンゾとルウムは既に二十億の人間が住んでいるのだ。この上、数億のアースノイドを受け入れる余地などない。
他のザーン、ムーア、ハッテ、リーアは、ムンゾやルウムよりも住人は少ないが、さりとて数億人を受け入れ可能かと云えば、そんな余裕は流石にない。
元々は、『Z』の設定である以上、例のブリティッシュ作戦――つまりはコロニー落とし――の余波でもって、人類が減少したが故の構想だったのではないかと思うのだが、あるいは逆に、今を逃せばコロニー側が移民を受け入れることが、物理的にできなくなると踏んでのことであったのかも知れない。宇宙に上げられたとて、人間の増えるペースが遅くなるわけではないのだ。
しかし、それにしても、
「……少々、やり方か乱暴ではないか」
メラニー・ヒュー・カーバインは。
元々が、棄民政策とも云われたコロニー政策である。である以上、地球の富裕層は宇宙に上がることはないだろうし、もしも上げるつもりなら、それこそ連邦政府と議会、連邦軍の中枢を、まとめて宇宙に移転させるくらいのことでもしなければ、かれらは絶対に動くことはないだろう。
そして、連邦の中枢を丸ごと宇宙に上げるには、今注ぎこんでいる金くらいでは、まったくもって足りるまい。それこそ、一年戦争後、否、第二次ネオ・ジオン紛争後のアナハイム・エレクトロニクスの力をもってしても、可能とは思われないほどの金額が必要となるだろう。
「そんなことを、雇われCEOが、本当にやれると考えているのか?」
「メラニーCEOが就任後、アナハイムの業績は飛躍的に伸びましたからな。かれを馘にするとなれば、今後の業績にも差し障ると考える株主は多い。創業家はもちろん筆頭株主ですが、全株式に占める割合は、過半数どころか三分の一にも達していない。その状態では、馘にと云っても、そうそう承認されるとは思われません」
「だが、メラニーCEOの“野望”のすべてが詳らかにされれば、そう云うわけにもゆかぬのだろう?」
連邦政府すら宇宙に上げるとなれば、ちまちました金額を献金するだけでは足りぬと、株主たちとてわかるはずだ。
あるいは、
「――コロニーか、小惑星でも落としてみるか」
原作軸のギレン・ザビや、第二次ネオ・ジオン紛争時のシャア・アズナブルのように。
その呟きに、ウォン・リーがぎょっとした顔になった。
「お、落とす? コロニーを?」
「コロニーや小惑星を地球上に落下させれば、その影響で大規模な気候変動が起こるだろう。巨大なクレーターができ、それによって舞い上がった粉塵が空を覆い、地上の気温を下げるはずだ――ちょうど、恐竜が滅びた時のように」
人間は、恐竜とは違って、その気候変動で死滅するとは考え辛いが――少なくとも居住性はかなり低下するので、よほどアースノイドであることに思い入れがあるのでない限りは、それで一旦は、宇宙に上がる気になるものがほとんどだろう。
ウォン・リーは、恐ろしげな顔になった。
「な、何と云うことを……人間の所業とも思われん」
「別にやるとは云っていないだろう。こう云う方法もあり得る、と云うだけで」
と云うが、男は信じがたいと云うように首を振った。
「普通の人間には思いもつかんことです。謀略で知られたザビ家の方は、発想が違いますな」
「……まぁ確かに、ギレン・ザビの発案ではあったが」
そう、あれがあったからこそ、一年戦争後のジオン残党は、繰り返しコロニーを、あるいは小惑星を、地球に落とそうとしたのだ。つまり、ギレン・ザビが、そもそもすべての元凶と云うことになる。
「しかし、そう云う“面倒”は、私も御免被りたい。“後始末”が大変になる。――メラニーCEOも、そのあたりは弁えていると思ったが」
「むしろ、そんなことなど、考えつくこともできんでしょうよ。ザビ家とは、恐ろしい一族ですな」
「……あまり迂闊なことは、口にせぬが良いぞ、ウォン・リー」
睨み上げるようにして云うと、男はわずかに後ずさった。
「ここが我が方の船であることを忘れるなよ。口は災いの元、だ。口を噤むべきは噤むのが、賢明な人間と云うものではないかな」
「……心致しましょう」
男は、冷汗を拭うような仕種をした。
ここがどこで、近くに誰が立っているのか、今になって思い出したものらしい。
「ともあれ、ムンゾには、いざと云う時の後ろ盾になって戴きたいのです。つまり、メラニーCEOと創業家が決裂した場合に、われわれ月のアナハイムを分離分割し、月・コロニー企業体の一端に加えて戴きたい」
「“月のアナハイム”と云うが、それはほぼ、アナハイムの大半を本社から分離させる、と云うことではないのか」
月の拠点としては、今の段階で既に、フォン・ブラウン、グラナダに工場や支社を持つアナハイムである。むしろ、地球上にある工場の方が、今では少ないはずだ。
もしそんなことがあり得るのなら、それは原作軸での、一年戦争後の吸収合併を逆にするようなものではないか。
「創業家は、それほどの覚悟だと云うことです」
きっぱりと云う、その言葉に嘘はないように見えた。
しかし、これが本当なら本当で、罠なら罠で、どちらにしても厄介であるには違いない。
――アナハイムがコロニー側に、など。
1stや『the ORIGIN』の時点では、想像すらできなかったことだ。
ともかくも、
「――わかった。考慮しておく」
そう答える。これは早急に、さらなる裏を取らなくてはならぬ、と考えながら。
秘書見習のシロッコはおくとして、ララァ・スンは――何やらどたばたあったようだが――概ね子どもたちと馴染んだようだった。
しかしながら、
「――話を聞いてほしいの」
とやってきたのは良いが、時間と格好と場所を考えてほしい――切実に思った。
何となれば、ララァがやってきたのはこちらの自室であり、時刻は夜半に近い頃合い、ついでに云えば、本人はネグリジェに枕を抱えた恰好である。
「……ララァ・スン、話を聞くこと自体は構わないが、時と服装は考えてくれないか」
思わず顳顬を押さえながらそう云うと、少女は小鳥のように首を傾げ、不思議そうに云った。
「あら、どうして?」
「ローティーンを連れこむ悪い大人、と云う評判を立てられたくない」
「心配ないわ。だって、あなた紳士ですもの」
――そうか?
紳士と云うよりは、単にミソジニストだと云われた方が、近い気はするが。
「何かご不満?」
「……あまり、簡単に誰かを信じるものではない」
「信じろと云ったり、信じるなと云ったり、いろいろと忙しいのね」
「“男は狼”と云うからな」
「狼は、獲物に注意しろとは云わないわ」
「……なるほどな」
とりあえず、ソファを勧めて、何か飲むものはあったかと考える。
電気ケトルに湯はあるが、眠気覚ましのコーヒー、あるいは、それよりカフェイン少なめなら紅茶しかない。
仕方なく、香りの強いアールグレイを薄めに淹れて、少女に供する。こちらは、少しぬるくなったコーヒーを手に、向かい側に腰を下ろす。
「で? 聞いてほしい話とは何だ」
少女は小首を傾げた。
「なに、って云うか……何てこともないんだけど」
と云って語りだしたのは、別段主張や要求があるわけでもない、謂わば雑談と云うべきものだった。
子どもたちのこと、アルテイシアのこと、今日のランチが美味しかったこと、アフタヌーンティーが中国茶で、苦味が少し苦手だったこと。それから、コロニーの夕立をはじめて見て、雨上がりにかかった虹の美しかったこと。
なるほど、こういう話を聞いてくれそうな相手は、確かに今のララァの傍にはいなかったか。
アルテイシアは同年代だが、末っ子のお嬢様育ちで、どちらかと云えば自分の意見を優先しがちだ。無論、そればかりではないだろうが、押しの強さを較べてみれば、どうしてもララァの方が聞き役に回ることが多そうに思われる。
そして、他のアムロ、ゾルタンはまぁ典型的な“男の子”であり、またニュータイプだからかどうか、少々コミュニケーションに難がなくもない。ミルシュカは稚すぎて論外、となれば――“ガルマ”が士官学校に戻った今、話を聞けるのは自分くらいしかないだろう。シロッコは、そもそも男尊女卑なところがある、役に立つと判断した女以外には、あまりやさしくするとも思われないし。
「……退屈じゃない?」
上目遣いに訊いてくる。
「そんなことはない。やはり、女の子と男の子では違うのだな、と思っただけだ」
アムロやゾルタンは、街中に“冒険”に出て、その武勇譚を聞かせてくれることは多かったが、それ以外の話をすることはあまりなかった。まぁ、わくわくすること、ちょっとしたスリル、そんなもので頭がいっぱいで、少女のような、日常の細々とした発見を喜ぶ心は薄いのだろうから、当然と云えば当然か。
と、ララァはじっとこちらを見た。
「――あなたは」
翠の瞳は、不思議な輝きを帯びていた。
「あなたは、私に“させたいことがある”って云ったわね。それは、一体何?」
その質問に、一瞬言葉に詰まる。何と云うか、非常にくだらない返答しか返せない気がしたからだ。
「――アムロと、キャスバルの傍にいてやってほしいのだ」
「それって、子守り――じゃないわよね」
あの人、もう大概いい歳だものね、と云う。
「そうだな、そうではなく、単にお前が強いニュータイプだからだな」
とは云え、よく考えれば、キャスバルにララァは必要ではないのかも知れない。
――ララァ・スンは、私の母になってくれるかも知れなかった女性だ!
『逆シャア』において、シャア・アズナブル=キャスバル・レム・ダイクンにあの言葉を吐露させた、哀しい母との別れはなかったことになった――自分が、この手で潰したのだ。
であれば、当然キャスバル周辺の人間関係も変わらざるを得ない。キャスバルは、母を求める幼子のままではなく、当然“母になってくれたかも知れない”ララァに対する態度も違ってくる。
「あの人に、私は必要かしら?」
いかにも“そうではないだろう”と云いたげにララァは首を傾げる。
「……さてな」
確かに、原作のラインと較べてみれば、少女を必要としている、とは云い難いようではあるが。
しかし、出逢った時には気づかなくとも、後になって相手が必要だったと気づくことになるのは、それこそ物語の中では飽きるほどに繰り返されてきたことであり、当然のことながら、現実においても繰り返されてきたことである。
況してや、原作とは違い、キャスバルはまだ士官学校を出てもおらず、少女を自ら探しあててきたわけでもない。その重要性に気づくのが、もっと後のことになったとて、仕方のない話ではないか。
「必要だとは思っているが、それは、あるいは今すぐではないのかも知れんな」
原作のシャア・アズナブルにしても、失ったからこそ、必要であったことに気づいたのかも。
どちらにしても、
「……お前を地上においておくことはできなかった。“ガルマ”の判断は、その部分では正しかったと、私は思うのだが」
「――家族には悪いと思うけれど、私、ここに来れてほっとしているの」
少女は云って、抱えた枕に顎を埋めた。
「あのまま旦那様に――あ、私を雇っていたひとのことよ――使われていても、いずれ使い捨てにされたんじゃないかと思っているの。家族は、こっちの状況なんかお構いなしに、仕送りしろってせっついてきたでしょうし……」
「“ふるさとは遠きにありて思ふもの”か」
「そんな感じ。……何の言葉?」
「中世紀末の極東の詩人のうただ。昔、習ったことがある」
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
憶えている詩をよみ上げてやると、ララァは、深いまなざしで頷いた。
「わかるわ。私も、もうふるさとには帰れない――帰るところじゃないの」
「では、お前の“遠きみやこ”はここか」
「そう……そうね、すごく遠いわ」
少女は、そう云って薄い紅茶を一口飲んだ。
「でも、そのうた、何だか恨み節みたいね。そのひと、故郷で何か厭な目にあったのかしら」
「そうかもな」
室生犀星の詳しいバイオグラフィは知らないが、何やらあったらしいと習った憶えはある。多分、帰った故郷で何やら不快なことがあり、その怒りや哀しみや、諸々の感情に任せて詠んだうたなのではないか。だから、何やら恨みつらみがこもっているように聞こえるのだろうか。
「私はガルマに攫われたから、元いたところでは、死んだみたいに思われているでしょうね。きっと、いずれ家族にもそう伝わるわ。少し淋しいみたいな気もするけれど……お互いのためにも、これで良かったんだと思うの」
向こうは諦めがつくでしょうし、私も罪悪感を感じなくて済むから、と云う。
それだけではないだろうに、強い娘だと思う。
あるいは、この強さが、原作のシャア・アズナブルを惹きつけたのだろうか――はじめは、その境遇を憐れんだが故のような描写であったのだが。
「……お前が、ここで少なくとも不幸ではないなら、それで良いのだが」
「不幸ではないわ」
少女は云った。
「少なくとも、地球にいた時よりは。幸せかって訊かれると、まだわからないんだけど」
「幸せと云うのは、その時には気づけないものだ」
その瞬間に“幸せ”だと感じるような時と云うのは、躁状態か、あるいは何かに酔っている――それは、酒やドラッグなどとは限らない――場合くらいだろう。
「あなたは、幸せなの?」
「さて。それこそ、不幸ではないとは云えるだろうが」
幸福となると、どうだろうか。
それこそ何と云うこともない日に、ただ歩いているだけだと云うのに、唐突に“幸せだなぁ”と感じたことはあるが、それは元々の方での話であって、宇宙世紀や鉄オル世界でのことではない。
だからと云って、不幸だとはもちろん思わないのだが――こう云うものは、本当にそう感じるタイミングがあるのだろう。そしてそれは、今ではないのだ。
「まぁ、それと感じるタイミングではないのだろうな」
「ふぅん」
少女は首を傾げる。
「じゃあ、後で思い返したら、幸せだったって思えそう、ってこと?」
「……お前は賢いな」
今の流れで、的確な言葉が返せると云うのは、頭の回転がとても速いからだろう。
だが、
「そうかしら」
少女は肩をすくめて云った。
「私、学校も碌にいってないのよ。全然ものを知らないの。マリオンとか、あのひと、アルテイシアさんみたいにはできないと思うわ」
「知識など、後からでも得ることはできる。が、頭の回転は、生まれもっての部分が大きいからな。お前は、十二分に頭が良いよ」
「そうなら嬉しいんだけど」
「……勉強でも、してみるか?」
と訊いたのは、何となく、ララァ・スンが、学校に通っている子どもたちに対してコンプレックスを持っているように思われたからだ。
少女のふんわりとした経歴を聞いたところでは、まともに学校に行ったのは、せいぜい小学校くらいまでのようだったから、もちろんすぐに学校へ、と云うわけにはいかないだろうが――キャスバルや“ガルマ”のように家庭教師をつけ、同年代に学力が追いついたところで学校に編入させれば、まぁ普通の学校生活も多少は送ることができるようになる、かも知れないのだ。
「いいの?」
少女の顔が明るくなった。
「構わんが、その前に、家庭教師を暫くつけよう。同い年の子どもたちと同程度に学力がつけば、仲間に入りやすくなるだろうからな」
まぁ、学力が同程度になったからと云って、仲良くなれるかはまた別の話だが。
「嬉しいわ。ありがとう、ギレンさん」
「まぁ、私にしてやれるのは、これくらいしかないからな」
「しか、だなんて。旦那様だって、お給料はくれたけれど、勉強なんてさせてもらえなかったわ」
「……まぁ、雇い人を勉強させる雇い主は、そういないだろうな」
その“勉強”が、後々雇い主の利益となるようなものならともかくとして。
「私は雇い主ではないし、お前も雇い人ではない。そのあたりは同じにはならんだろう」
「そう? そうなのね」
少女は云って、抱えた枕にまた顎を埋めた。今度は、顎と云うより、顔と云った方が良かったかも知れない。目も、やや半目になっている。
「眠いのか」
「まだ」
「部屋に戻ったらどうだ」
「もうちょっと……」
こくり、と頭が振れた。
と思う間もなく、目が閉ざされ、穏やかな寝息が聞こえてきた。
時刻を見ると、真夜中をとうに過ぎている。十三の娘ならば、普通はとっくに夢の中、か。
仕方ない。
抱えて部屋に戻してやればいいのかも知れないが、こちらもいい加減眠くなってきた。
ベッドは少女に明け渡し、ブランケットだけ持ってきて、長椅子の上に横になる。
明日になったら、何やら云われるかも知れないが、もう知ったことか。
現実から逃避しつつ、睡魔に身を委ねるために、ブランケットを身体に巻きつけ、目を閉じた。
ルウムで連邦軍による発砲があったと聞いたのは、その翌日のことだった。
幸いにもと云うべきかどうか、発砲の相手はムンゾ国軍ではなく、しつこく反アースノイドの運動を続けていた市民だったそうだが、打たれた市民――銃器と、火炎瓶のようなものを持っていたそうだから、有罪ではある――は、胸の真ん中を撃ち抜かれて、間もなく死亡したそうだ。
撃ったのは、配属されたばかりの新兵なのだそうだ。場慣れしていなかったが故の“暴発”だったようなのだが。
まぁそもそもは、三人一組で警備にあたっていた連邦軍兵士に、無駄に絡みに行った男の方に問題があったのだが――ルウムの世論は、それを加味して落ち着いた対応を取りはしなかった。
「馬鹿めが、何故実弾を使ったのだ」
せめてゴム弾など、実弾でさえなければ、云い訳のしようもあっただろうに。
せっかくキシリアとシャア・アズナブルが出向いて、何となく反連邦の運動も落ち着きをみせていたところに、この事件である。
反連邦の気運は瞬く間に再燃し、それこそ燎原の火のように、ルウム全体に飛火した。
これでは、ムンゾの兵を出した意味も半減である。
サスロも歯噛みした。
「せめてムンゾ国内ならな……手の打ちようもあったんだが」
「流石にルウムではな……」
いかな情報操作に長けたサスロと雖も、月を挟んだ向こう側のルウムまでは、流石に手を出すことはできないだろう。
「キシリアは」
「今のところ、様子見だと云っていたな。連邦駐屯部隊の動向如何によっては、やり合うことになるかも知れん、と」
報告してきたキシリアは、緊張感のある顔だったが、どこか喜ぶようないろも微かに見せていた。お姫様ごっこはもう飽き飽きしていたのだろう。
その代わりに、下手をすると銃を取って戦う羽目になるかも知れなかったが――しかし、そもそもキシリアは軍人だ。そうである以上、戦場に立つ覚悟などしていたはずだ。むしろ、あの顔色を見れば、歓喜していると云われても納得できそうなくらいだった。
まぁ、キシリアにとって問題があるとすれば、軍にも戦場にも不慣れなシャア・アズナブルが、精神的に参ってしまわないかと云うことくらいだろう。
「――場合によっては、追加の部隊を派遣しなくてはならないか」
呟くと、サスロが目を見開いた。
「馬鹿な、ルウムにさらに兵を出すのか!? 戦争になるぞ!」
「連邦の出方次第だがな」
とは云え、このまま反連邦運動が猖獗を極めれば、現在のルウム駐屯部隊では足りなくなる恐れはある。
そしてそれは、連邦側にしても同じことだろう。そうなれば、連邦軍としても、月やムンゾなどから、追加派兵をすることになるだろう。
そうなる前の段階で、ルウム駐屯の連邦軍指揮官がうまく火消しをすれば、これほどの騒ぎにはならなかったのだろうが――どうも、“ジオンに兵なし”と云うよりは、“連邦に指揮官なし”と云った方が良いのかも知れない。
まぁ、連邦軍が腐敗しているのは、既定のラインではあったのだが――これは、腐敗云々と云うよりも、規律が乱れていると云うべきなのかも知れなかった。
その規律の乱れが、どのような嵐を呼びこむことになるのか――まさか、前倒しでルウムから一年戦争開始、となるとは考えたくないが。
第一、そうなったとしたら、連邦が戦うのはムンゾのみならず、サイド7を除くすべてのコロニー、と云うことにもなりかねぬ。
流石に、それを回避しようと考えるくらいの頭はあると思うのだが。
「ともかく、キシリアが行って、何となく落ち着いてきたところにこれでは、ルウムの反連邦運動は、一気に拡大することになるぞ」
ルウム首相もいち早く声明を出し、連邦軍側には、デモ隊の鎮圧はルウム警察に任せて欲しいと申し入れをしている、市民には落ち着いて行動してほしい、と呼びかけていた。
ルウム首相が、きちんと申し入れをしていたことに安堵しつつも、本当に頭を抱えるしかない事態である。
ともあれ、その声明のお蔭かどうか、まだ投石や乱闘を伴うような過激なデモは起きていないようだったが――このような時に対処を間違えると、デモが暴動に転化しかねない。
「連邦は、慎重にことにあたってほしいものだな……」
さもなければ、こちらの手間も大幅に増えることになる。
そうして注視していた数日後、最悪と云っても良い情報が飛びこんできた。
連邦軍がデモ隊に発砲、未成年を含む数名が死傷し、止めに入ったムンゾ側にも二名の負傷者が出たと云うのだ。
当初、情報が錯綜し、撃たれたのはキシリアだと云う話まで出てきたが、その後の情報、及び報道などでも、キシリアは無傷であり、撃たれたのは麾下の兵士であると発表された。実際、画像の中のキシリアは、傷ひとつなくきびきびと指揮をとっていたので、すぐに誤報と了解されたのだが――正直なところ、一瞬ひやっとしたのは事実である。
ただでさえ、連邦軍との間に緊張感が高まっているこの時に、物語の主人公とも目されるキシリアが負傷では、ルウムの市民感情は、一気に悪化しかねない。
とは云え、その“不幸中の幸い”もごく些細なものに過ぎず、ルウムは一瞬にして、“連邦許すまじ”の声ばかりが聞かれるようになった。
〈私は何の問題もないわ〉
その後連絡してきたキシリアは、生き生きとした顔でそう云った。
〈ただ、今の手勢では、デモを鎮圧するにも、あるいは連邦と対峙するにも、いかにも少ない。だが、追加派兵となると、確実にムンゾと連邦との緊張感まで高まることになるわ。……どう思う、ギレン?〉
「私としては、まだ正面切ってやり合うには早い、と思うのだが――このままいくと、難しいだろうな」
今、キシリアたちを退かせるわけにはいかないが、さりとて追加派兵を、と云うことになれば、確実に戦争へと双方が駒を進めることになる。
難しい舵取りを迫られることになった。
「せめて連邦軍が、増援部隊の派遣を思い止まってくれれば良いのだが……」
しかし、比較的穏健派のゴップやブレックス・フォーラならばまだしも、主戦派のレビルあたりは、増援を後押しするばかりだろう。
〈そうね……私たちにとっても、ここは出先なのだから、できればここではやり合いたくないわ。不利だし、何のメリットもないもの〉
「ルウムの自衛軍は、駄目か」
〈駄目。ムンゾの士官学校を出たものもそれなりにいるけれど、正直、警察の機動部隊の方がましなくらいよ〉
まぁ、士官学校で学んだことを、発揮する場もないわけだから、当然のことだけれど、と云う。
「その機動部隊に、デモ隊鎮圧を任せると云う選択肢は、連邦にはないのか」
一縷の望みとともにそう問うが、キシリアは無情にも肩をすくめただけだった。
〈駄目よ。連邦の指揮官が、むきになっているわ。最初の発砲事件のミスを取り返そうと躍起みたい。私たちはもちろん、ルウム警察や自衛軍にも介入を許さないの。それが、余計にルウム市民の反発を買っていると云うのに!〉
「まぁ、市民感情を理解する軍人などない、と云うことだろうな」
〈お前はわかるじゃないの〉
「私は、純然たる軍人ではないからな」
まぁ、元々の方では、それこそ純然たる一般人だったわけであるし。
「しかしまぁ、頭の痛い話ではあるな……」
多分、連邦でもゴップあたりは、地球で怒り狂っているのだろうな、と思わずにはいられない。
連邦軍としても、将官佐官がごっそりと減ったこの時期に、こんな騒ぎが起きては大問題だろうに――あるいは、将官佐官が減ったからこそ、内部のごたつきが、ルウム駐屯部隊の弛みをもたらしたものなのか。
あるいは、アメリカにおいて、白人警官が黒人男性を死亡させたあとの警察のように、自らの立場と相手の立場を比較して、己に有利と判断したが故に、ごまかす方向に出てしまったのか。
何でも良いが、その指揮官の判断はお粗末極まりないし、それを叱責しない上官も然りである。
それにしても、
「部隊を追加派遣すべきかどうか、悩むな……」
しなければルウムが連邦軍に踏み荒らされることになるが、したらしたで、連邦とムンゾは本格的にことを構えることになる。
今まで、互いに周到に回避してきた戦争への道を、ルウムと云う“第三国”での騒動によって、簡単に踏み出してしまうことになるのだろうか。
〈でも、しないわけにはいかないと思うわよ〉
キシリアは云った。
〈ルウム首相からも、矢のような催促ですもの。――それから、連邦の部隊が、ムンゾ駐屯部隊に援軍を要請したそうなの。それが千人規模の増援要請だったとか〉
千人。それは。
「――確かな話か」
〈確かよ。ルウム首相が、そう云ってムンゾの増派を要請してきたのよ。“このままでは、ルウムが連邦に滅茶苦茶にされる”と泣きついてきたのだもの〉
「千人か……」
連邦としても面子があるにせよ、それはあまりにも大人げない振るまいと云えるのではないか。
だが、千人。
それだけの兵を派遣すれば、ムンゾ国内はすわ連邦と開戦かと、浮足立つ輩が出てくるだろう。それはそれで、国内の治安的な意味では、あまり宜しいこととは云えなかった。
第一、
「千人、増派できぬではないが、即日とはいかん。その間、何とか持ちこたえることができるか?」
連邦の数十分の一の国力しかないと云うことは、兵力もまた同様である。
無論、MSと云う隠し玉はあるが、それは本当の開戦の時まで温存しておきたい。
となれば、通常の増派となり、時間も手間も食うことになる。まったく、悩ましいどころの話ではなかった。
「……とりあえず、急ぎ増派の手筈を整える。とにかくそれまで、何とか持ち堪えてくれ」
〈……わかった。私たちを見捨てないでね、ギレン〉
「もちろんだ」
頷くと、手を振って、キシリアは通信を切った。
さて、問題で。
「ドズル!」
叩きつけるように通信を入れ、ガーディアンバンチの弟を呼び出す。
〈お、おう、どうした兄貴〉
少しくつろいだ格恰好の“弟”が、ばたばたと応える。
「今、キシリアから連絡があった。連邦は、ルウムに千人の増派をするようだ。できれば、ルウムでぶつかることは避けたかったが、やむを得ん。お前の支配下で、すぐに動かせる部隊を、とりあえずルウムに派遣しろ」
〈千人は無理だぞ〉
「構わん。――連邦と互角にやり合えるかもわからんが、何より他サイドだ、できれば正面衝突は避けたかったのだがな……」
織田信長ではないが、“是非もなし”だ。
〈ルウムでやり合うなら、艦隊戦の方がまだましじゃないか?〉
「やり合わねばならんのは、その手前の話だ。デモ隊の鎮圧をしてからでなくてはならん。――まだ様子見にはなるが、お前も、一応艦隊を出すことを念頭においておけ」
〈MSはどうする〉
「それも様子見だ。やらんで済めば、それに越したことはないのだが……」
時期的に、これが“暁の蜂起”に繋がる可能性は高いけれど、果たしてそれで、連邦のルウム侵攻が止められるものか。
「とにかく、できる準備はすべてしておけ。――他の将官たちには、明日以降に諮る」
〈お、おう。そうだな、本当に連邦とやるなら、俺の指揮できる部隊だけでは不可能だからな〉
「あぁ。――とりあえず、今云ったことについては、早急に進めろ。一刻の猶予もないぞ」
〈おう!〉
武者震いするかに、ドズルは笑った。
さて然らば、こちらも対抗策を考えねばならぬ。
ムンゾの将官もそれなりにはあるが、今動かせるとなると、コンスコン、トワニング、ノイエン・ビッター、ユーリ・ケラーネ、ダニガン、デラミン、マックガイア、ルーゲンス――ギニアス・サハリンは技術少将だと云うから外すとして、ズムシティが落ち着いたので、マ・クベも出せるか。
とにかくムンゾは将官が少ない――多分、名前がわかるかどうかなのだとは思うが、しかし、いないからこそ安彦良和がガルシア・ロメオを作ったわけであるし――ので、ひとりひとりの統括する範囲が広大なのだ。リアル軍制的に云えば、佐官こそが将官の役割を果たしているのかも知れないが。
まぁ、考えようによっては、フランス革命時の公安委員会、徳川幕府の老中、あるいは初期鎌倉幕府の御家人くらいのサイズ感なので、指示が出しやすいと云えばそうなのだが。
ともかく、様々な続報を待ちつつ夜が明けた。
途端に、盛大な爆弾が落とされた。
ガーディアンバンチの連邦駐屯地が、ムンゾの士官学校生の手によって爆破されたと云うのだ。