ガルシア・ロメオは、神妙な面持ちで目の前に立った。映像ではなく、生身を伴って。
「――本日呼び出されたのが、どう云う用件でなのか、把握していような、ガルシア・ロメオ少将?」
鞭でも持って、掌に打ちつけてやりたい気分になる。鞭が空を切る音と打擲音でも鳴り響けば、この懲りない男も、少しは反省するのではないか。
――反省できぬなら、猿以下と云うことになるが。
特に今回の事案は、連邦に己の尻尾を掴まれかけてのことである。猿以下ならば、場合によっては降格も視野に入れねばなるまい。
「は、そ、そのォ……」
デスクと扉の中間地点に立ったガルシア・ロメオは、もじもじと云った。もしゃもしゃとした髭の下で、唇が歪んだ。
「サイド7宙域で、連邦軍と交戦しかけたことでありますか……?」
“交戦しかけた”。
よくも云ったものだ。
「なるほど、連邦軍と接触したことは認めるのだな?」
椅子の背にもたれ、顎を反らす。高い位置にあるガルシア・ロメオの頭を見下ろすように。
「は、それは、その……」
「では、その報告より先に、連邦側から話を聞かされたと云うのは、どう云うことか」
途端に、その顔に“しまった”と出る。
「おかしな話ではないか、なぁ、ガルシア少将。相手は連邦軍でも地球から出ることのない兵站担当の将軍だ。それが、ムンゾ軍総帥たる私よりも情報が早いとは、いかなる理由があってのことだろうな?」
ひぃ、と声なき声が、こぼれたようだった。
「連邦軍と接触、交戦しかけたことは、最優先で報告すべき事案ではないか? それを怠り、貴官は一体何をしていたのだ? しかも、何日もだ!」
あの後“伝書鳩”から送られてきた情報では、ガルシア・ロメオは、何と一週間にわたって情報を隠匿し続けたのだそうだ。
一週間!
もしも実戦の最中にそんなことになれば、ガルシア・ロメオは降格どころか銃殺刑にも値するだろう。
が、
――こいつを殺して、代替になりそうな人間の名が、ひとつも挙がらんと云うのがな……
どれだけ人材がないのか、ムンゾと云うところは。
さしもの図太いガルシア・ロメオも、こちらの剣幕に震え上がる風である。まぁ、“昔”から、怒りを炸裂させている時には、“ガルマ”――無論、その時は別の名――くらいしか近くに寄ってはこなかったのだ。元の方ですら、殺気を撒き散らしている時は、強面の連中にも避けられるくらいだったので、況してギレン・ザビの顔であれば、どれだけ恐ろしげに見えるのだろう。
まぁ、ガルシア・ロメオ相手に気を遣う必要など、これっぽっちも感じはしないのだが。
「貴官の昇進はなくなった。かくなる上は、降格、場合によっては生命を失うことすらも、考慮のうちだと知りおくが良い」
ガルシアは、張子の虎のようにこくこくと首を振ったが、それから、どこか狡猾な光を目の底に宿し、
「それでは、その、ガルマ様の配属は……?」
と問うてきた。
なるほど、本当に懲りぬ男であるようだ。
「ほう、“ガルマ”の配属にまだ未練があると?」
皮肉混じりに云うが、ガルシアは両手を振りつつも、窺うような顔つきを変えはしなかった。
「滅相もない! ……ですが、一度は私めの配下にと思し召されたのです、その先を気にしたくなるのも当然のことではございませんか」
などと云う。
「なるほど?」
しかし、未練があるのも事実だろう。何しろ“ザビ家の愛されし末子”である。掴まえておけば、いきなり馘にされたり、あるいは切り捨てられるようなことにはなるまいと、そう考えていることは明らかなように思われる。
それに加えて、己に対する根拠もない自信もあるのだろう。自分ならば“ガルマ”の手綱も取りおおせてみせると、そんな気分でいるのかも知れぬ。
まぁそうでなくば、今や軍内部では有名になった、“ガルマ”の悪魔、あるいは魔物めいたあれこれを知ってなお、喜んであれを受け入れようとは考えるまい。
大した自信である。
ガルシア・ロメオと云うキャラクターのモデルは、某誌の初代編集長なのだそうだが――評伝を見る限りでは、中々優秀な人物だったと云うモデルに比して、ガルシアの有能度はいかほどのものなのだろうか。
大言壮語する男ではあるようだが、その実は。
まぁしかし、進んで火中の栗を拾おうと云う“気概”だけは買ってやっても良いか。
――それならば。
「――まぁ、今のところ、“ガルマ”の所属を変える気はない」
御しきれぬのならば、いっそ“ガルマ”がガルシア部隊を乗っ取れば良いのだ。無論、乗っ取った方にも懲罰はあるが、乗っ取られた方は完全に失脚することになる。
そうでなく、ぎりぎりででも手綱を握っていられれば良し、そうでなければそれまでのことである。
「そ、そうですか!!」
などと、ガルシア・ロメオは喜色をあらわにするが、まぁ見ているがいい、己の選択を後悔する日は近い。それまで、束の間の“春”を謳歌するが良い。
「以前も云ったかと思うが、“ガルマ”は中々に難物だ。貴官も、軒を貸して母屋を取られるようなことにならぬように、な」
「何の! 私めにどーんとお任せ下さい!!」
――云ったな?
ならば、後はこちらの知ったことではない。
「良かろう。では、“ガルマ”は予定どおり貴官に任せる。あれとともに訓練を受けたものたちともども、近日配属になるだろう。新型兵器も、それに合わせて配備させるが――あくまでも試験運用である、迂闊に使って、連邦に手の内を晒すようなことになれぱ……わかっていような?」
睨み上げるようにして云うと、ガルシアは鯱張って敬礼した。
「は、はッ!! 心致します!!」
「うむ。――“ガルマ”たちの配属まで、まだ半月ほどある。その間に整備等は済ませ、あれを乗り組ませてから、再び出航せよ」
「はぁッ!!」
「では、行け。――今度は、しくじるなよ」
「はッ!!」
かちっと軍靴の踵を合わせ、最上級の敬礼をして、ガルシア・ロメオは退出していった。
扉が閉まった途端、隣りの控えの間からランバ・ラルが顔を覗かせた。
「……行ったか」
「あぁ」
頷くと、ラルは大きく息をついて、控えの間から出た。
「いや、なかなかだったな……」
「面白いと云えば面白い男だろう?」
「お前の剣幕がだよ!」
「まぁ、そこはある程度は脅しつけておかねばならんからな」
あの失態があっても増長したままでは困るのだ。
ラルは顎を撫でさすった。
「あれが、あのままおとなしくしているか?」
「それなら降格なり何なりするだけだ。釘は刺した。その後のことは、あの男次第だな」
「相変わらずだな」
「人間、そうそう変わりはせんよ」
つまりは、ガルシア・ロメオも同じことだ。
「つまり?」
「つまり、今後も監視が必要と云うことだ」
「そう云えば聞いたぞ、お前、奴の船に監査官を乗せることにしたそうじゃないか」
「あぁ」
どこまで重石になるかはわからないが、目に見える“驚異”を張り付けておかなくては、ガルシア・ロメオは自重できないような気がしてならない。
「“鳩”はもちろん潜入させているのだが、それだけでは足りん気がしてならんのでな。あそこまで図太いと云うか、ある意味で油断のならん男も、あまりないな」
「まぁ、あいつは特別製だな」
同意が返る。
「女は連れこむわ、失敗は隠蔽するわ、あれで少将になれたのが信じられんよ俺は」
「何か、有力な伝手でもあったかな」
「まぁ、ごますりが巧かったんだろうな」
実態はわからないが、そう云う判断になるのは仕方ないか。
「まぁ、われわれが軍に関わる前の話だ――つまりは、ジオンが首相になる前の話だろう。いろいろあっても不思議はないな」
『the ORIGIN』の前日譚――キャスバルが生まれた日の物語――においては、どちらもまだ軍人などではなかったのだ。ギレン・ザビに至っては、恐らく大学生か院生だったのではないかと思われる。
ガルシア・ロメオの年齢は不明だが、若くともこちらと同じくらいであろうから、それで士官学校卒であれば、ギレン・ザビやランバ・ラルが“学生運動”に明け暮れていた時には、既に士官として働いていたことになる。それは、中途採用的に軍人になったこちらとは、いろいろ異なっているのも当然か。
「それはともかく、問題はキャスバルとガルマだぞ」
ランバ・ラルは云った。
「むしろガルマか。あいつ、まったく知覚しておらん。キャスバルがああもなるはずだ」
「何の話だ」
「お前が、ガルマにキャスバルを自重させろと云ったんじゃないか」
「……そうだったかな」
そう云えば、そんなことを云ったかも知れない。
「そうだ。ガルマを迎えにいって、捕まえるついでに説教したんだが、あいつめ、キャスバルが自分に依存してるって云う意識がまったくないな。説教しても、暖簾に腕押しと云うやつだ、まったく響かん」
「あれは、自分に関しては意識が働かんからな」
だから、部下が示し合わせてこちらに牙を剥いてきた時にも、“きちんと服従しています”などと云ったりするのだ。きちんと服従した人間は、こちらの沙汰に不満ばかりは云わないはずだ。それを見極められないのが、“ガルマ”の甘さであり、部下たちにとっては“放っておけない上司”と云うことにもなるのだろうが。
「それじゃあ、徒にまわりが振り回されるだけだろう!」
と云われるのは、まったく御説ご尤もと云うものである。
「キャスバルもキャスバルで、ガルマの耳にはそのあたりのことを入れたくないようでな。それならきちんとやれと云ってやったんだが、噛みついてくるばかりでなぁ」
「“ガルマ”に弱味を見せたくないのだろうな」
その気持ちはわからぬではないが、それならそれで、きちんとしてくれなくては困る。
「まぁ、“ガルマ”はキャスバルに心酔しているところがあるからな」
何と云っても、ガンダムシリーズ一番の人気キャラクターだ。多少目にフィルターがかかるのは仕方がない、が、少々それが分厚すぎるような気もしないでもないが。
――キャスバルは、原作のシャア・アズナブルとは違うのだがな……
そこの意識がないはずはないが――元来、“ガルマ”は、己の身のまわり2mくらいの範囲内の人間には、ひどく甘いところがある。それが善人だろうが悪人だろうが、その内側に入れた人間をひたすら守ろうとするのである。その狭い範囲だけを“日常”と認識し、“日常”を破壊されることに激しい拒否感を示すのだ。
こちらなどは、血を分けた家族ですらどうでも良いところがあるのだが、“ガルマ”はまさに正反対のものの捉え方でいるのだろう。
まぁ、平時はそれでも構わない。だが、非常の時に、不意にそれが顔を出すと、あらゆる意味でものごとが混乱することになるのである。
家族は、血族は、親しい友たちは、いずれも絶対のものではない。わかっているだろうに、それに執着せずにいられないのは、“昔”の様々なことどもが影響しているからだろうか。
だが、その執着はともかくとして、見る目が曇りがちなのは、どうにかならないのか。
――まぁ、目の曇りがなくなったなら、こちらも“ボス”と仰がれなくなる可能性はあるのだが……
しかし、“昔”からそうではあるが、卑近なものしか見えぬと云うのは、仮にも人の上に立つものとしては問題がある。そして、その“ガルマ”を従えるべきキャスバルもまた。
「……キャスバルには、多少なりとも自覚はあるのか?」
と問うと、肩をすくめられた。
「なくはないだろうな。ガルマに釘を刺していたら、キャスバルに噛みつかれた」
余計なことを云うなとさ、と云う、その表情は苦々しげだ。
「あいつには、俺たちにくどくどと文句を云わせているのが、他ならぬあいつ自身の言動が原因なんだと、本当にわかっているんだかな」
「“ガルマ”に聞かせたくないなら、多少はわかっているのだろう。それが拙いと云うこともな」
拙いと思っていなければ、“ガルマ”同様、きょとんとするだけだろうから。
「そうだと良いんだがなぁ」
ランバ・ラルは、うんと伸びをした。
「ま、俺もまた云ってはみるが――お前も一度きちんと云ってやってくれよな」
お前だって父親代わりのひとりだろ、と云われれば両手を挙げて降参するよりなかった。
「わかった、私からも再度釘を刺しておく」
「頼んだぜ。俺ももう、面倒くさくなってきた」
そう云い置いて、ランバ・ラルは去っていった。
チャンス――チャンスだろうか?――は、案外早くやってきた。
恒例の子どもたちの“お泊り会”に、“ガルマ”とキャスバルも参加してきたのだ。
あまりにも人数が多くなるので、アルテイシアとマリオンは、泊まらずに、ダイクン家のフラットに帰る――マリオンは“お泊り”か――ことになった。
「お前たちも雑魚寝だぞ」
客間は二部屋しかなく、ララァ・スンとミルシュカが一部屋占拠するので、男六人でひとつのベッドになる、と云うと、“ガルマ”は肩をすくめた。
「僕とキャスバルは、例の“人を駄目にするソファ”で寝るからへーき」
「……破けないか?」
いくら何でも、ほぼ成人の男二人では、長時間は負荷がかかり過ぎるのではないかと思うのだが。
「何とかなるでしょ」
「……破れたら、ビーズの掃除はお前たちがしろ」
元々“ガルマ”が持ちこんだものでもあるのだし。
「りょーかい」
鉄オルのように、“ガルマ”単独ならばこちらの寝室に入れてやっても良いのだが、確実にキャスバルもついてくる状態では、冗談でもそのようなことなど云えはしない。
「私は、書斎のソファで休ませて戴きます」
とは、また本を持ちこんできたシロッコの科白である。
「大丈夫か、あのソファは、眠るようにはなっていないが」
確かに眠れなくはないが、せいぜいうたた寝をするくらいで、ちゃんと眠るには窮屈なのではないか。
と云ってみるが、シロッコは首を振った。
「子ども三人ならまだしも、私まで一緒に寝るには、客間のベッドこそ手狭です。書斎なら、ぎりぎりまで本を読んでいられますからね、そう云う意味でも好都合なんです」
「……それならば良いが」
確かに、フロルが思ったよりも大きくなって――まぁ、“本家”の体格を思えば当然ではあるのだが――いて、こちらもすくすく育ったアムロやゾルタンと三人で、あのベッドもいっぱいになりそうなのだが。
ともあれ、こちらがどうこう差配をしなくとも、子どもたちは自分たちで、それなりにここで過ごす術を考えているようだった。
少女たちは少女たちで、普段はほとんど使われていないキッチンを占拠し、あれこれと料理しているようだ。
やがて、濃厚な甘い香りが漂ってきた。チョコレートの香り、どうやらケーキを焼いているものらしい。
まぁ確かに、この家のキッチンは、コロニーでは珍しいガスのレンジやオーブンが入っている。専らパンやグラタン類を温めるために使っているのだが、電磁調理器に較べて火力が強いので、菓子作りなどには良いのだろう。
アルテイシアやマリオンなど、少し年齢の高い少女たちがいると、途端に家の中が華やぐ気はする。まぁ、偶になら、こんな空気も悪くはないか。
いやいや、そうやって気を緩めると、そこからぐいぐいこられるのだ。あまり甘い顔をすべきではない。
「お茶にしましょ!」
焼きたてのブラウニーを見せてきながら、アルテイシアが云う。
「コーヒー? それとも紅茶?」
湯を沸かしながら、マリオンが問うた。
「紅茶!」
「僕も!」
「ミルクティーがいい!」
口々に子どもたちが云う。
「ギレンさんは?」
ララァ・スンが、覗きこむように問うてきた。圧を感じずにはいられない。
「……ブラウニーなら、コーヒーだな」
何かの本で、ケーキには紅茶だが、和菓子にはコーヒーの方が合う、と云うのを読んだことがある。コーヒーではないが、茶道で干菓子には薄茶――世間的に云う“抹茶”――、上生菓子には濃茶――複数人でひとつの茶碗を回し飲みするあれ――だったので、何となくわかる。重い菓子には、強い味の飲み物でなくては負けてしまうのだ。
「わかったわ」
と云ったララァは、そのまま“ガルマ”のところへいき、コーヒーの淹れ方を訊いているようだ。
「私ひとりなら、自分で淹れるぞ」
ペーパードリップなら、いつも自分で淹れている。ケトルも、普通のものでは淹れづらいので、最近になってそれ用のものを手に入れている。
“ガルマ”はカフェインをあまり摂らないので、コーヒーは飲んでも一日一杯がせいぜいだった。こちらはやや中毒気味なので、最低でも二杯は飲む。淹れる頻度に違いがある以上、練度は多分こちらの方が上だろう。
「見せて!」
とララァが寄ってくるが、コーヒーに関しては自己流だ、習うなら、ザビ邸の厨房長やメイドの方が良いのではないか。
「いいの!」
と強く云われ、ケトルを火にかける。紅茶用のケトルは普通サイズで、こちらにはたっぷり水が入っている。
紅茶は沸騰したての湯が必要だが、コーヒーは大体85℃くらいが適温なのだそうだ。小さいケトルはすぐに沸騰するので、火を止めてすこし蓋を開ける。そうして、ドリッパーとカップを温め、フィルターに入れた豆を軽く湿らせる。
四十秒待って、もう一度、今度はしっかりと湯を注ぐ。小さく円を描くように、細く湯を注いでいく。
「……今、どれくらい待ってたの?」
ララァが訊いてくる。
「蒸らし時間か? 四十秒だな。尤も、人によって二十秒だの、一分半だの云うようだが」
「違いがあるの?」
「さてな。好みだろう。それより、湯の温度の方が大きいような気がするな。それから、豆が挽きたてかどうか。挽きたてのコーヒーは香りが違うな。それから、挽きたての豆だと、湯を注いだ時にパンが膨らむように膨らむ。湯が熱過ぎると苦くなるし、ぬるすぎても不味くなる。なかなか奥が深いな」
今回は、挽きたてではない――既に挽かれたものを買ったので――が、それにしてはよく膨らんだようだ。まぁ、それで好みの味になるかはまた別の話だが。
ふんふんと少女は頷き、それから小首を傾げた。
「苦くないのがいいの?」
「そこは好みだな。苦目が好きなものもあるし、酸味が強いのが好きなものもある。豆の産地や焙煎によっても、味が変わると云うな」
尤も、大抵の人間は顆粒状のインスタントコーヒーを飲むくらいで、豆に手を出すのはマニアか、あるいは富裕層の一部なのだろうが。紅茶もそうだが、合成でない嗜好品は、結構な贅沢品でもあるのだ。
「ギレンさんは?」
「……酸味強めだな」
“フルーティーな味わい”と云われるようなものが、割合好みだ。エアロプレスなどよりは、ペーパーでもドリップ式が良いと思う。
素人なので、風味のコントロールはできない。これは、どんな味になっただろう。
自分の席のところにカップを置き、今度は紅茶だ。ちょうど湯が沸いたところなので、ポットとカップを温め、茶葉を投入したら、沸かし過ぎる前に湯を注ぐ。
「しかしまぁ、そのあたりは好みでしかないな。紅茶でもあるだろう、ダージリンでないと駄目なもの、アッサムを好むもの、フレーバーティーが好きなもの」
「ギレンさんはアールグレイね?」
「……中国茶ベースが全般好きだな」
「アールグレイもそうなの?」
「あぁ。それからキームンだな。いろいろなブレンドティーもあるが――ラプサンスーチョンは、癖が凄い」
元々の方で“正✕丸のにおい”と云われていたが、確かにそんなにおいだった。
中国茶は、エキゾチックな風味になるようだ。
ララァは、すこし唇を尖らせた。
「インドじゃないのね」
「だが、紅茶の産地で有名なのは、スリランカが多いだろう」
「そうだけど」
「それに、コーヒーなら、南米やアフリカ、東南アジアだな。それも、ほんの少しの差でいろいろ変わる。国がどうのと云う話でもないのだ」
「わかるわ。でも、理屈じゃないの」
「味覚も理屈ではないさ」
「……そうだけど」
三分が経ち、茶葉はほど良く開いた。
「ミルクティーのひと!」
マリオンが、温めたミルクのピッチャーを片手に云うと、子どもたちの手が挙がった。
アルテイシアは、ブラウニーを切り分けている。“ガルマ”が皿を出し、それを手伝う。あの二人は、なかなか順調なようだ。
他にサスロ、ドズルも相手ができ、キシリアは婚約済となれば、“父”があれこれ云うのもわからぬではない、が。
――それにしても、三倍差はない。
娘にいてもおかしくない年齢ではないか。
気がつくと、キャスバルがにやにやしながらこちらを見ている。
厭な感じだと思いながら、子どもたちに紅茶をサーヴしてやり、席につく。当然のように、ララァ・スンは隣りの席だ。
見れば、“ガルマ”もにやにや笑いだ。まぁ、あれは元からララァ・スンとこちらの仲を取り持とうとしているらしい――余計なお世話だ!――から、にやにや笑いも当然なのだろうが。
“ガルマ”の隣りはアルテイシア、アルテイシアの隣りにマリオンとミルシュカ、その隣りがゾルタン、フロル、アムロときて、キャスバル、シロッコ、そしてこちらに戻る。結構な大きさのテーブルも、十一人もいれば、小さく見えるほどだ。
「いただきます!」
ゾルタンが叫び、また温かいブラウニーにフォークを入れた。
「! うっま!」
途端に目を見開くのに、フロリアンも頷く。
「すごくおいしい!」
「焼き立ても美味しいねー。寝かせても美味しいんだけど」
“ガルマ”がのんびりと云って、アルテイシアに微笑みかけている。微笑みかけられたアルテイシアは、少し頬を染め、自分もブラウニーに手をつけた。
隣りからの圧を感じる。食べて、“美味しい”と云え、と云う、無言の圧力。
とりあえず一口分を切り取り、口に入れる。濃厚なココアの味、確かに寝かせた方が味が落ち着くか。
ともあれ、
「……旨い」
それだけ云うと、ララァが満面に笑みを浮かべた。キャスバルが笑いをこぼす気配があった。
それに、苛立ちを感じずにはいられなかった。
――お前に笑われる筋などない!
第一、本来的には、ララァ・スンにはキャスバルをと云うのが、こちらの思惑であったのだ。
それなのに、“あの人に私は必要かしら?”などと云わせたのは、他ならぬキャスバル自身なのである。
キャスバルは、現状に満足してしまっているのかも知れない――ふと思う。
サイドストーリーもサイドストーリーの『Twilight Axis』で、主人公の少女が云っていた“ファミリーコンプレックス”と云う言葉を思い出す。マザコン、ファザコン、シスコン引っくるめてのファミリーコンプレックスと云うことだ。
今のキャスバルは、家族について、ある意味満たされてしまっている。母親と妹、兄弟のように育ってきた幼馴染――だが、キャスバルが“ガルマ”に依存しているのは、この“家族”が脆いものであることを、どこかで意識しているからなのかも知れない。この“日常”が容易く壊れるものなのだと、どこかで考えているからなのかも。
だが、男が外に出て、戦う生きものである以上、家族の中だけに留まることなど出来はしない。それは、男に限らず、軍人を志した女も同じことである。
キャスバルは、そう云う意味でも覚悟が足りないのだ。
それは、国の、組織のためならば家族を切り捨てることも厭わない自分から見れば、ひどく甘いように思われるのだ。まぁ、流石に家族を切り捨てる覚悟を持てとは――まだ――云わないが、しかし、幼馴染が“暁の蜂起”の泥をかぶって兵卒になったことくらいは受け止めてもらわなくては、あまりにも甘過ぎるだろう。原作の“シャア・アズナブル”のようになれとまでは思わないが、いずれムンゾの頂点に立つつもりがあるのなら、泰然としたポーズだけでも取ってもらいたいものだ。
含み笑うキャスバルを睨みつけるが、気づいているのかいないのか、まったく気にした風もない。
――キャスバルめ!
だんだん、“ガルマ”と似た扱いになるが、まぁそこは仕方あるまい。
とりあえず、子どもたちが眠った夜にでも、“ガルマ”だけとは話をしておこうと考えて、残りのブラウニーに噛みついた。
アルテイシアとマリオンが帰っていき、子どもたちも客間に引っこんだ後。居間には“ガルマ”とキャスバル、シロッコ、そして自分の三人が残された。
シロッコも、“子ども”と云うよりは若者枠だ、確かに眠るのにはまだ早い、が。
“ガルマ”が酒――シングルモルトのスコッチ――を勧めてくるのに乗って、ロックを一杯。
説教をする前に呑むと、ぐだぐだになるのではないかと危惧する心もあるが、まぁ一杯くらいならば構わないか。
“ガルマ”とキャスバルはグリューワインを、シロッコには“スイカバー”なるカクテルが供された。
――って、おい!!
“スイカバー”と云ったら、『Z』でパプテマス・シロッコがカミーユ・ビダンにやられた時のエフェクトがそっくりで、元々のネットなどではネタ扱いもされていた。
いやまぁ、あれは確かに比喩ではあるが――そして確かに未来の話ではあるのだが、それを当の本人に出すとはどう云う了見なのか。
思わず“ガルマ”を睨むが、あちらは素知らぬ顔である。
――“ガルマ”め!
と胸中で吐き捨てるが、あまり意味のないことはわかっていた。
それで感情をコントロールできないのだから、それなりにアルコールが回っているのに違いない。すこしふわふわしたような感じがあるのは、そこそこに酔っているからか。
まぁ、家族同然の子どもたちとは云え、やはり“他人”の存在は、気を遣わずにはいられないところはある。自分で知覚していたより疲れていて、わずかのアルコールでも回りやすくなっているのだろう。
このまま、何もなかったように寝てしまっても良いのだが、ランバ・ラルの説教も効果がなかったようだし、“ガルマ”も含めて説教はしておくべきか。
やがて、シロッコが欠伸をこぼし、もう休みます、と云って席を立った。
「おやすみ〜」
「あぁ、おやすみ」
「……おやすみ」
口々に云うのに頭を下げて、シロッコは書斎に引き上げていった。
さて、いよいよ説教タイムか。
本当は、キャスバルはキャスバルだけ、“ガルマ”は“ガルマ”だけで話をすべきなのだろうが、この部屋の大きさでは不可能であるし、例えば“ガルマ”を寝室に入れたとして、キャスバルがついてこようとしないとは思われぬ。
まったく、何をどうしたら、こんなにも依存度の高いキャスバル・レム・ダイクンが出来上がると云うのだろう。
ともかくも、
「――キャスバル」
声をかけると、キャスバルは身構えるような表情になった。
「……何でしょう」
「ランバ・ラルから、話は聞いたはずだな?」
確認するように問うと、視線がふいと逸らされる。ニュータイプでなくともわかる、一応拙いとは思っている顔だ。
「ランバがどうかした?」
“ガルマ”が首を傾げるが、こちらはわかっているのかいないのか――否、訂正しよう。“ガルマ”はわかる気がないのだ。少し考えればわかるはずのことを、決してわかろうとはしない。それは、キャスバルに限ってのことなのかも知れなかったが。
「キャスバルにな、説教をしろと云ったのだが――聞く耳持たなかったそうだな?」
と云ってキャスバルを睨むが、やはり目を逸らしたままである。
「あぁ、何か云ってたよね。“我儘を云うな。指揮系統を飛び越えるな。上長は敬え。上官には従え。いい加減に幼馴染離れをしろ”とか」
「そうだ」
なるほど、一応釘を刺そうとはしたらしい。
「僕じゃなく、キャスバルにって、おかしいよね!」
そんなことするわけないじゃない、と“ガルマ”は云うが、当のキャスバルはそっぽを向いている。
「いいや、おかしくはない」
そう云って、オールドファッショングラスをテーブルに置くと、思ったよりも大きな音がした。酔いのせいか、あるいは怒りのせいか。
「私は再三云ったはずだな、キャスバル。お前がこれ以上ごねるのならば、こちらにも相応の考えがある」
「――何ですか」
青い瞳が、ちらとこちらを見た。
「今の部署から異動させ、私の秘書官をやらせる」
「秘書官?」
“ガルマ”が首を傾げた。
「まだ決まってないんですか?」
「シロッコの後任は、皆短期ばかりでな」
セシリア・アイリーンの有能さは、今となっては惜しかったような気もするが、しかし、既にララァ・スンで手一杯な現状、さらなる火種を抱えたくはない。それは、セシリア以外の女性士官にしても同じことである。
「残念ながら、女性士官の方が有能でな。外野にとやかく云われたくはないので、男性士官を求めていたのだが、有能なものは引く手数多だ。引き取り手のないのは、お前くらいなのだよ、キャスバル」
「キャスバルはもの凄く有能だよ?」
「わかっていないな、“ガルマ”。素行に難のある士官は、有能であっても忌避されるものだ」
「キャスバルの素行に難なんかないでしょ、おれじゃあるまいし」
なるほど、一応自覚はあったわけか。しかし、今の問題はそこではない。
「……お前の目が曇っていることもよくわかった」
「え〜」
「ドズルがな」
と、“次弟”の名を出すと、少し目つきが変わる。
「キャスバルの襲撃に煩わされて、仕事が進まんと云っているのだ。ラルが云ったのも、そのせいだ。――キャスバル、私は以前にも云ったはずだな? 軍にいる以上は、軍のルールに従え、上官の頭を飛び越えるなと」
キャスバルは、無言。つまりは、わかってはいると云うことだ。
「それで、“兄様”のところに異動になるの?」
「ドズルとランバ・ラルは、そうしてほしいようだな」
正直に云えば、今のような状態で、軍事機密の中枢に位置する総帥室付秘書官にするのは、少々、いやかなり、不安があるのだが。
総帥室でやり取りされる書類、タチや“伝書鳩”からの報告、あるいはキシリアやゴップとの通信も、漏洩すればムンゾが転覆する可能性すらある機密なのだ。その管理を任せるには、キャスバルは少々不安があった。不思議なことだ、シロッコには、そこまでの危惧は感じなかったのだが。
多分、この危惧の源は、原作におけるキャスバル・レム・ダイクン、つまりは“シャア・アズナブル”が、年齢には似合わぬ老獪さ、あるいはふてぶてしさを備えていたからだろう。
云っては何だが、このキャスバルは、あまりにもお坊ちゃん育ちで、賢くはあったが老練さには欠けていた。
それを望んだのは確かに自分だが、改めて、あまりにも甘やかし過ぎたかと思わずにはいられなかった。
“ガルマ”は肩をすくめた。
「確かにキャスバルなら、“ギレン兄様”の秘書官だって務まるだろうね。それに、君が中央にいるなら、僕も安心できる」
「だが、君は!」
キャスバルが、耐えかねたように叫んだ。
「MSパイロットなんて歩兵と同じだ。最前線で戦うことになる……」
「………やっぱり心配してるよね」
“ガルマ”は少し眉を下げ。
「舐めんな」
そして、きっと幼馴染を睨みつけると、低い声で云った。
キャスバルが、驚きに目を見開いた。
「キャスバル、確かにおれはお前には劣る。情けなく見えるだろうさ。だけど、お前の幼馴染はそれだけかよ?」
「それだけじゃないから心配してるんだろう!」
今度は、キャスバルが怒鳴った。喧嘩か。
「君が本当に弱かったら良かったんだ。母さんやアルテイシアみたいに――あの子たちみたいに守られている側だったら!!」
「ただ守られてるだけの、戦うことも出来ないやつを、お前が幼馴染だって認めるわけないだろ!」
何だかやけに青臭いシーンを見せつけられているようだ。アオハルかよ、と口の中で呟かずにはいられない。
「信じてよ!」
「信じて欲しいならその無茶苦茶をなんとかしろ!」
「無茶苦茶って何だよ!?」
「無茶苦茶だろう! やることなすことが。平気で自分を囮にしたり!」
「いつの話をしてんのさ!」
「地球から少女を攫ってきたり!」
「反省も後悔もしてない!!」
次の瞬間、拳が出た。キャスバルだ。
“ガルマ”がすんでのところでそれを躱し、隙を見て殴り返す。が、こちらも空振りだ。
本格的な殴り合いになりそうなところで、
「よさんか!」
静止の言葉を投げた。
「あの子達が起きるぞ!」
まぁ、既に随分怒鳴り合っているような気はするが――居間に近いのは、アムロたちの男子部屋だ、あの子たちはそうそう起きてはくるまい。
しかし、殴り合いとなれば話は変わる。家具のずれる音、食器の割れる音などがあれば、流石に目も醒めるだろうし、第一、他の部屋からも苦情があるだろう。ここはザビ邸とは違うのだ。
「――そんな風では、確かにドズルやラルが頭を痛めるはずだな」
水で薄まったスコッチを呑み干し、ゆっくりと云う。
「“ガルマ”を戦場に出すことは、随分昔から決まっていたことだ。お前も、ガイアたちと会ったことがあったはずだな、キャスバル」
あの、“黒い三連星”たちと。
「それに、“ガルマ”がMS計画の資料に目を通していたことも知っていただろう。そこから導き出されることが何なのか、お前にわからなかったはずはない、そうだな?」
「――あなたは!」
キャスバルら叫んだ、が、その後は言葉にならなかったようだった。
「云ったはずだ、“ガルマ”は覚悟を決めている。ドズルやサスロ、キシリアもだ。決まらんのはお前の肚だけたな。――あぁいや、“父上”もそうか」
デギン・ソド・ザビは、まだ“ガルマ”の処遇について、くだくだと文句を云ってきている。
それに構う気はない――連邦との戦いは回避できないし、そうである以上、手持ちの最大火力を使わぬと云う手はないのだ。
「だが、キャスバル、どうあっても戦いは回避できんし、そうなれば、ザビ家は戦況を座して見るだけでは済まされん。前にも云ったはずだ、お前は人を戦地へ送り出す側であり、それを堪えねばならんのだと。――そのお前がその態度で、誰がお前の命に従うのだ」
キャスバルは、唇を噛み締めた。わかってはいるが、わかりたくないと云うことなのか。
それにしても覚悟が足りぬ、そう思わずにはいられない。
「誰にでも守りたいものはある。それは確かであるし、また、そうでなくては戦う意味などない。だがな、それは、また戦場に出て己の守りたいものを守ると云う軍人に向けられるべきではないし、そのためにまわりを蔑ろにして良いと云うものでもない。軍の規範を乱せば、それは巡り巡ってお前の首を絞めることになるのだぞ」
そしてそれは、ガルシア・ロメオにも云えることだ。あの男の犯した軍規違反は、いずれ、配属された“ガルマ”の叛乱と云うかたちでもって、ガルシア自身に還ることになるだろう。
それだけのことと云えばそれだけのことだ。だが、その個人にとっては、それですべてが終わることにもなりかねぬ。
“ガルマ”は、キャスバルを落ち着かせることに気持ちを傾けたようだった。
「支えるって言っただろ。一緒に背負うって」
「……なら、どうして傍に居ないんだ」
キャスバルは、拗ねたように云った。
「“少しの間”離れるだけだよ。キャスバル、おれ、いま一等兵なんだよ。兵卒に毛が生えたレベル。階級上げなきゃお前のとこに戻れないだろ」
ため息ひとつ。
“ガルマ”とっても、キャスバルのこのごね具合は想定外だったのか。
「MSパイロットは、出世の近道でもあるんだ」
“ガルマ”の云うことは正論ではあったが、キャスバルは受け入れようとはしなかった。
「危険だと云っているんだ」
「わかってる。その上で、おれはお前に“約束”するよ。サイド7からはすぐに戻るってさ」
「どうやって?」
「それをいまから相談すんのさ」
そうしてこちらに向き直った“ガルマ”の顔は、まさしく悪魔のような笑みをたたえていた。
「そーだんしーましょー、そーしましょー」
――きたな。
面倒くさい、と正直に云えば思う。
最終目的が同じだとしても、キャスバルを優先したがる“ガルマ”とこちらでは、着地点に多少のずれがある。それで諍うのは今にはじまったことではないが――しかし、キャスバルの件に蹴りをつけるためには、ここは呑むしかないのだろう。
だが、
「とりあえず、今日のところは休みたい。酒も入っている、まともに話ができんかも知れんからな」
アルコールは、理性の箍を外しやすくする。この場面で感情を優先させることになれば、“ガルマ”とキャスバルの喧嘩どころではない騒ぎにならないとも云い切れぬ。
それで子どもたちに諍いの現場を見せるのは、教育的にも良くないのではないかと思う。
それに、まだ不満げなキャスバルの前でとなると、余計に話が拗れるのは目に見えている。
「とりあえず、日と場所は改めたい。それについては。追って連絡しよう」
それで良いな、と云ってやると、キャスバルは不服そうだったが、“ガルマ”は肩をすくめて頷いた。