「姉様!!!」
エントランスに入ってきた姉の姿に耐え切れず、挨拶もそこそこに飛びついた。
ルウムと連邦の交渉が一段落して、長らく調停にあたっていたキシリア姉様が帰還したのである。
「ガルマ! お前ったら、ぜんぜん変わらないのね!」
呆れたような口調だけど、キシリア姉様もぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
「おかえりなさい。お疲れさまでした。そして素晴らしい成果でした。きっと姉様にしかできなかったと思う」
ルウム市民への発砲を、あくまで暴動鎮圧と言い張っていた連邦軍に非を認めさせたこと、補償への道筋をたてたこと。
それは同時に、暴発寸前だったルウムを抑えつづけたってことだ。
一歩間違えれば――そして、おそらくそれを誘導してた輩がいた中で――戦端を開くことなく、事態を鎮静せしめるなんて。
キシリア・ザビだからこそできたこと――ザビ家の唯一の娘。シャアを愛して、ルウムを大事に想うようになった姉様だからこそ。
「……そうね。ありがとう。成し遂げてきたわ」
そう言って微笑む姉様の顔は誇らしげに輝いて見えた。
でも、やっぱりお疲れだろうから、早く休ませてあげなくちゃ。
振り返れば、執事は心得たもので、すぐに部屋で休まれるかと問いかけをしていた。
「……シャアもさ。お疲れ様。姉様を支えてくれて、ありがとう」
「ははは……気付いてくれてたのか……目に入ってないのかと……」
「気付いてたに決まってる。意地悪してごめん」
ぐったり気味のシャアをしっかりと抱きしめる。
「大変だったよね。よく乗り切った」
もの慣れないお前が、交渉の最前線で采配を振るってた姉様のそばに居たんだ。
周囲からの目は、優しいばかりじゃなかっただろう。妬むもの、あげつらうもの、隙きあらば追い落とそうと狙うもの――優しいお前のことだから、傷つかなかった筈がない。
余裕のない姉様に、八つ当たりされることだってあっただろうに。
「支えきったんだね……シャア兄さん」
キシリア姉様の夫に、お前より相応しい男はないだろう。
その途端、ぐったりと凭れてたはずのシャアが、ガバリと身を起こした。
「ガルマ!? いまなんて!??」
「“支えきったんだね”って」
「その後だよ!」
「……さぁ?」
「“シャア兄さん”って呼んだよね!?」
前のめりのシャアに向かって、ニコッと微笑む。
「えぇ〜。呼んだかな? 空耳じゃないの?」
「呼んだよ! もう一回! もう一回!!」
「ほら、姉様が部屋に行っちゃうよ」
エントランスでいつまで騒いでるつもりなのさ。
「デレ要素少ない!」
嘆くシャアに、あっかんべ。
そりゃそうさ。おれ、自他ともに認めるシスコンだもの。
そう簡単にデレると思ったら大間違いさ。
その日の晩餐は賑やかだった。
軍務に追われてる“ギレン”とドズル兄貴は帰宅できなかったけど、なんとサスロ兄さんが、婚約者をお披露目した。
黒髪に榛色の瞳、オリーブの肌の情熱系ラテン美女でびっくり。見かけは派手だけど、もの言いや仕草は理知的で、色気より知性が際立つ感じ。
キシリア姉様や、アルテイシア、それからミアとの相性も悪くなさそうだった。ララァともね。
ん。これ大事だからさ。
サスロ兄さんは、かつては仲の悪かった妹を盛大に称賛し、労っていた。
キシリア姉様は、ちょっと面食らった様子を見せたあと、それは嬉しげに微笑んで、今度はサスロ兄さんを面食らわせてた。
デギンパパは微笑ましげにそのさまを見ながら、なぜか「ギレンめ…」と呟いてた――ほんとになんで?
それでも、お疲れだろう姉様たちを慮って、メニューは重たくならないものを、そして、時間も短めに終わった。
サスロ兄さんの婚約者は颯爽と――あんまりにもアッサリと兄さんを置き去って行くんだよ。別れ際のキスとかも無し――帰っていった。
そのまま部屋へ戻るのかと思ってた姉様たちは、居間での談笑にも参加するみたいだった。
座り心地の良いソファに沈み込むようにして、グリューワインを含んでる姉様のまわりには、アルテイシアを筆頭に少女たちが集まっていて、花が咲いたように華やかだった。
対して、子どもたち、それからパプティとシャアは、ボードゲームに興じている。ときおりワァワァ言いあう声が賑やかだ。
おれは、デギンパパとサスロ兄さんのいる暖炉のそばでのんびり過ごす。
「……キシリアのヤツ、本当にやってのけたなぁ」
サスロ兄さんがしみじみとこぼすのに、パパンは低い声で笑った。
「良き伴侶を得た故であろう。あの娘の気性は正しくザビ家の血筋よ。守るものがなければ、ただ敵を屠るだけ……ルウムなど歯牙にもかけなかったであろうに」
目を細めながら、そんなことを言うパパンは安堵しているようでもあった。
ふと、いつかの世界線のキシリア・ザビを思い出す。終生、その隣に伴侶を置くことをせず、血統の中でさえ殺しあったひとを。
顔を隠し、氷のようですらあったあの女も、本質は今生でのおれの“姉”と同じく、激しくも優しい女性だったんだろうか。
「………幸せになってほしいんです。幸せでいてほしい。姉様も。兄様達も。お父様も。あの子達も」
ポツリと言葉が落ちた。
だって、今生でのおれの幸せって、結局、そういうことだ。
ザビ家と子供たちの安寧――もちろん、キャスバルだって含まれてる――が守られれば、おれはそこで笑っていられる。
「――……お前は、そればかりだな」
くしゃくしゃと、伸びてきたサスロ兄さんの手が髪をかき乱した。乱暴な動きなのに、痛くないし。
「優しい子だ。だからこそ、お前も幸せでおらねばならんのだぞ」
パパンは目尻を下げておれを見てた。
「ええ。幸せなんです。僕、いまこのときも」
嘘じゃない。
溺れるほどに注がれる愛情が、“ガルマ・ザビ”を満たしてるんだから。
「みんなが、僕を幸せにしてくれてるんです」
満面の笑みがこぼれる。
「……そうか」
「そうですとも」
最近、涙もろくなったみたいなパパンが、そっと目尻を拭っていた。
「――そう言えば、ギレンが妙なことを言っていたんだが……」
そんな和やかな空気の中、サスロ兄さんが首を傾げた――塩水でも呑み込んだみたいな塩っぱい表情だった。
パパンがぎょっとした顔をする。
「ギレンがどうした?」
「先日から話題になっている、愛人発覚のゴシップがあるでしょう」
「ああ、あれか。そんな相手がおるなら、連れてくれば良いのだ。悪いようにはせんのに」
ニヤニヤするパパンに、サスロ兄さんはしわくちゃピカチュウみたいな顔芸を披露した。
たまたまこっちを見てたキシリア姉様が、何事かと目を見開いてるし。
「………相手がガルマだと言い張っているんだが」
「なにを馬鹿なことを」
全く信じてなさそうな二人だけどさ。
「あ、それ僕です」
暴露してみれば、パパンとサスロ兄さんの顎が落ちた。すごい驚愕の表情。
「……ガルマよ」
「はい」
呼びかけに答えたのに、返ってきたのは沈黙だった。
「お父様?」
「………………うむ……………」
迷ってるのか、続く言葉が出てこないらしい。
「ギレンを庇わなくても良いんだぞ?」
とは、兄さんの言葉。
「庇ってません。あれ、本当に僕ですってば」
なおも疑う様子の兄さん達に、ダメ押ししてみたら、ふたりとも、上から下までジックリとおれを見た。
「……お前、女の格好が好きなのか?」
ふぉ。ストレートにきたね、サスロ兄さんは。
「いいえ。“ギレン兄様”から、変装して来なさいって指示があったので。それに、あれは女装ではないですよ」
ジェンダーレスだってば――とは言え、この世界線って割とファッションは男女で固定されてるから、あれも女装になっちゃうのかな。
首を傾げる。んん。どうなんだろ。
「……ギレンが?」
「はい。“ギレン兄様”も変装して来られたおつもりのようでしたが……」
うん。めちゃめちゃお洒落でどうしようかと思ってたアレ、一応、変装のつもりだったらしいよ。
「……変装だったのか」
「そうらしいです」
サスロ兄さんは、ガックリと項垂れた。
「俺はまた勝負をかけて、本命に会いに行ったとばかり――……そもそも何でそんなことに」
「主に僕の行状についての申し送りです。配属先での注意事項とか。士官学校でのあれこれについて、まだ心配してるようです」
肩をすくめる。“暁の蜂起”が、かつての物語以上に派手なものになった件について、“ギレン”は未だにご立腹だ。
「帰宅して話し合うという選択肢は無かったのか?」
「家だとキャスバルが同席するので。個別にと考えられたようです」
「………………なるほど?」
サスロ兄さんは、ため息をついた。
「……………………………………………ガルマよ」
そして、ようやく言うべきことを取り纏めたらしきパパンが。
「あの様に身を変える術を、どこで覚えた?」
ひどく心配げな眼差しと声色だった。
「地球で。アースノイド至上主義者たちから逃れるために
必要だったんです」
その答えに、パパンと兄さんは息を呑んだ。
あのとき、敵に正体を知られたらデッドエンドだった――追手はとにかく執拗だったし。
実のところ、変装は、それこそいくつもの人生の中で身につけた術だ。折々で知った"誰か"の真似をすることで、おれ以外の姿と人格を得る。
おかげで捕らえられることもなく、ムンゾに帰還できたわけだが。
不意に伸びてきた腕に絡め取られて、パパンの胸に抱き留められた。
どうしたの。不安を思い出しちゃった?
「大丈夫です。お父様、僕はここにいます」
「うむ…うむ…」
もう何処へも行くなとばかりに、抱きしめてくる腕に力がこもった。
パパンには、おれが、いまだ幼子にでも思えてるのかな。もう成人間近なんだが。甘やかしてくれるのは嬉しいから良いけど。
「……それにしても、凄まじいな。家族すら見破れんのだから」
サスロ兄さんが頭を振った。
「お前には驚かされてばかりだな」
「僕だって驚かされてます。いきなり婚約者を連れてくるなんて!」
サスロ兄さんに恋人が居るのは知ってたよ。観劇デートとかしてたし。
だけど、今日、連れてくるなんて思わないじゃないか。
「……でも、とてもお似合いでした」
二人で並んでた姿は、なんだか堂に入っていて、既に夫婦みたいに見えた。
あまり甘さが感じられなかったからかも知れない。それでいて、信頼の深さは垣間見られた。
ニマニマしそうだから、口元を隠す。
「これでいよいよ後がないな、ギレンのヤツ」
「――……本当にあやつときたら、どうにもこうにも言うことを聞かん!」
ふぉ。
憤慨しはじめるパパンに、兄さんが仰け反った。
「大丈夫です。きっと……もう少し先で、“ギレン兄様”は運命の乙女に捕まりますよ」
腕をそっと叩いて宥めてみる。
少女は、いつまでも幼いままでいてくれやしないんだ。どんどん綺麗になるし、どんどん強かになる。
ララァ・スンの心が変わらなければ、いかな“ギレン”だって太刀打ちできようもないさ。
グラスの奥で、パパンの目がぱちくりと瞬いた。
「なぜ言い切れる?」
「僕がララァを応援しているので」
言い切れば、一瞬の沈黙のあと、パパンは声を上げて笑った。
反対に、サスロ兄さんは目を剥いておれを見る。
「今度は何をやらかす気だ!?」
「やらかすだなんて。ただ、一途な乙女には協力を惜しまないだけですよ」
「――……俺たちは、娘のような年頃の少女を義姉と呼ぶことになるのか……」
いずれはそうなるかも。
無事に連邦との戦いを乗り切ればね――そんなふうに、絶対に勝たなきゃいけない理由はいっぱいあるんだ。
✜ ✜ ✜
私用はだいたい夜にこなす。日中は皆と過ごしたいからね。
自分の部屋だとベッドの誘惑に負けそうだから、コンサバトリーを占拠してる。もはや第二の私室みたいな感じ。
使用人も心得たもので、入用なものは、たいてい棚に揃えてあるんだよ。
例によってラップトップに向かい、メッセージやデータを捌いていく。
必要なものに返信。
データ群はピース化して頭の中に。バラバラなそれらは、くるくると廻りながら絵柄のようなものを描き出す――瞬きごとに変わる万華鏡みたいに。
それから、宝物の万年筆で手紙も書く。
素晴らしく書き心地が良いから苦にならないんだ。ずっと書いていたくなるくらい。
地球で出会った奴らに、大学時代の恩師や級友達、ローゼルシア様、ニュータイプ研究所で知り合った同朋と、レディ・アベイルにも。
そう長いものじゃなくて、折りにふれた短い言葉の羅列ばかりだけど。
ガルシアのところに送られたら、また暫くは連絡取れなくなるからさ。
さて、士官学校を卒業してから半年が過ぎた。
同輩たちは配属先にも慣れ、各部門で活躍してる様子だった。それは当人たちからのメッセージからも、収集しているデータからも知れる。
ところで、我々“暁の蜂起”に参加した候補生の結束はたいへんに堅い。あの大作戦、壮絶な初陣を共に駆け抜けた仲間として、ひとつの部隊としての意識があるわけだ。
もちろん、それは現在所属する部隊に優先されるものじゃない――優先させちゃ拙いからね――けど、馬鹿にできない影響力をもってるんだよね。
同期生はもとより、先輩後輩に至るまで、わりと密な繋がり。
そして、全員が士官ってことは、部下がいる。
わずか半年ではあるものの、“ガルマ・ザビ”の糸の先は、それなりの範囲で軍部にも拡大されてるってこと。
この先も維持していけば――そして、連中が順当に出世してくれれば、いずれ一大勢力を築けるだろう。
どんな組織でも、一枚岩じゃない。大小さまざまな派閥がひしめき合いながら、一つの巨大な集団を形成している。
おれ達の群れは新興だから、排除されないように上手く立ち回らなきゃいけないんだ――が、なぜか既にマークされてるみたい。
“ギレン”か。“ギレン”なのか。
めちゃくちゃネガキャンしやがるのヤメロくださいよ。もう。
突出し過ぎないように、目立ち過ぎないように、水面下の広がりに留めておいたはずが、なんでか結構オープン。
あんまり顕著になると、利用しようって輩も出てくるから、面倒なことになるのにさ。
おれ達の勢力がムンゾを割るなんて冗談じゃないし。
これで“ギレン”との仲が良好だと認識されていたら、そこまで危惧はしなくて良かったのに。
どこかの傘下に入ることは躊躇われるけど、強固な後ろ盾は欲しい。そんな矛盾。
んん――ドズル兄貴か、キシリア姉様あたりがバックに付いてくれたら理想的なんだが。
そう巧くいくわけもなかろうし。
当座はすり寄ってくる相手を警戒、牽制しつつ時期を待つしかないか。
まずは、ガルシア・ロメオ。
崖っぷちのあの男が、“ガルマ・ザビ”をどう扱おうと出るのか。
先入観は禁物と言えど、あまり愉快なことにはなりそうにないね。
ふぅ、と、溜息。
書き上がった手紙はインクも乾いたから、クラシカルに蝋印で封に込める。
背後でノックもなく扉が開いた。
「『おかえり、キャスバル』」
「『ああ。ただいま』」
アルテイシアがこっちにいるからか、キャスバルもだいたいこっちに帰宅してる。
ご母堂様が寂しがらないかと聞いたら、フロルとマリオンを可愛がるのに忙しいらしい――それで拗ねてザビ邸に帰ってんのかね?
まだ軍服のままの幼馴染みは、ソファにどさりと腰を下ろして、ついでに足を投げ出した。
おい、お行儀どこいったの。
腹が立つほど長い足なのは分かってるんだ、見せつけんな――漏れた思考波に鼻で笑ってくるのが余計に。
「『グリューワインを』」
「『ここはBARじゃございません』」
とは言いながら、作らないわけじゃない。おれも飲むからね。ついでだからね。
「『シャワー浴びてきたら? 着替えたほうが楽だろ』」
「『寝る前で良い』」
「『だったら髪乾かしてから寝ろよ』」
「『面倒だ』」
これである。
そんなんで、なぜそのツヤツヤ金髪ウェーブがキープできるのだ。おれが同じことしたら、翌朝の寝癖直しか壮絶なことになるのに。
オリジナルのガルマのあのクセだって、もしかしたら寝癖を気にしてたのかのかも。
ともあれ。
「『ねぇ、キャスバル、まさかと思うけど、ドズル兄様やラルになにか圧かけたりしてないよね?』」
おれ達の群れの微妙な動きが気になってるんだ。
わずかな揺らぎ――よもやお前が原因で上層部にマークされてるとか、そんなワケは無かろうな。前に兄貴に特攻かましたって聞いてるけど。
キャスバルの青い目がうっそりと逸らされる。
「『……なぜ、そんな真似を僕が?』」
疑問で返された。心外ってことか。だよね。
「『“彼ら”は確かにお前の“チカラ”だけど、いまはまだ振るうべき時期じゃなきからね』」
「『……言われるまでもないさ』」
ん。んんん。
キャスバルのせいってわけじゃないのか。
――じゃあ、やっぱり原因は“ギレン”のネガキャンってことかな……?
アルコールストーブでワインを温めてれば、
「『内示が下りた。僕はギレンの執務室に入る』」
背中にそんなことがポツリと告げられた。
「『そう。しばらくは良い子にしてなよ。お前、“ギレン”を怒らせてるみたいだからさ』」
マグに注いだワインを手渡す。
あれだけ可愛がってたってのに、最近の“ギレン”はキャスバルにちょっと冷たすぎるんじゃないのか。
それでも、執務室に入れるってんだから、やっぱり大事にしてるんだと思う――大切な“掌中の珠”。
マグに口をつけながら、キャスバルが顔を顰めた。
「『……それは君もだろう』」
「『そうさ。おれはいつだって怒らせてる』」
そりゃもう、毎度毎度、気が遠くなるような時間の中で。反対から見りゃ、“ギレン”がおれを怒らせてるってコトでもあるんだがな。
「『それで、君は辺境へ偵察哨戒へ出されるわけだ……どうしてギレンは、これほど君に厳しいんだろうな』」
悔しそうな声に苦笑いがこぼれた。
「『おれが“おれ”だからさ』」
即答できるし、断言できる。これ自明の理。
そんなこと、お前がため息を落とすような問題じゃないよ。
「『それは答えじゃない』」
「『でも、答えなんだ』」
肩をすくめる。
「『別に“ギレン”はおれを排除したいわけじゃないよ。ただ、いまこの時に“おれ”を必要としてないってだけ』」
この先、必要になる時が来るのかってことについては…………ちょっと微妙だけどさ。
そのへんは、いま考えても仕方がないからスルー。
その“ギレン”と言えば、いきなりの長期休暇宣言をかましていた。
ワーカホリックを心配されていた人間が、急に長い休みをとるってことで、なにやら色々と憶測が流れてる。
健康面での心配は真っ先に当局が否定してたけど、完全に払拭されてる様子はないし、陰謀説――どんな陰謀さ?――やら、なかには恋人と婚前旅行に出たとかそんなゴシップまで。
アジアンビューティーなモデルが“ギレン”との仲を取り沙汰されて、「どこかの羨ましい馬の骨と一緒にしないで!」なんて、おかしな感じにキレてたっけ。
噂は様々あれど、実のところはお忍びで外遊するつもりらしい。各サイドの視察。お供はタチだって。他にもこっそりついてく“鳩”はいそうだけど。
良いなぁ。叶うことなら、おれもついて行きたかった。
どこのサイドのどのコロニーだって、いつかの物語の舞台だ。
単なる物見遊山じゃないとは知ってるけど、羨ましいことこの上ないよね。
「『……お前が配属されるのって、“ギレン”の休暇明けだっけ』」
「『そうだな』」
「『お土産せしめておいてね、おれの分も』」
「『……どこまで能天気なんだ、君は』」
呆れた顔のキャスバルにくすくす笑う。
「『おれたちも行こうよ。連邦とのアレコレが片付いたらさ』」
各サイドを廻って。きっとすごい冒険になるよ。
「『……未来の約束かい?』」
「『そうだね』」
――約束しよう。
お前と交わした約束を、おれが破ったことないだろう?
青い目が一つ瞬いて、その奥の光がようやく緩んだ。
「『せいぜい楽しみにしてるさ』」
さして興味がなさそうな口ぶりだったけど、その横顔には薄い微笑みがあった。
3週間の猶予はあっという間だ。
皆と過ごせた日々はただ楽しくて、終えるのは切ないくらいに惜しい。
だけど、ガルシア・ロメオの艦に乗る日は、もう数日後に迫っていた。
アムロたちはまだ元気だったけど、アルテイシアは、目に見えてしょんぼりすることが増えてきた。
コロニー"海"から、桜貝が届いたのは、そんな時分だった。
ちょっと前に、お姫様にあげるって約束してたから、取り寄せておいたんだよね。
桜貝の他に色もとりどりの貝殻と珊瑚、それから取っておきも。
「『僕のお姫様へ贈り物。受け取ってくれるかい?』」
綺麗にラッピングされたそれを、アルテイシアの目の前に並べていく。
「『開けてみて』」
「『ありがとう、ガルマ!』」
曇りがちだった表情に微笑みが戻ってる。可愛いなぁ。
「『……これが桜貝?』」
「『そ。君の爪のほうが綺麗で愛らしいでしょ』」
「『うそ! こんなに綺麗じゃないわ!』」
「『ほんとさ。ずっとずっと、君のほうが綺麗だよ』」
隙を見つけて頬にキスを。
「『桜貝も、珊瑚も真珠も、僕のお姫様には敵わないんだ』」
耳元で告げたら、滑らかな肌が薔薇色に染まった。
たくさんの箱の中から、本命をそっと取り出す。
アンティークなデザインの真珠の首飾り。少女が身につけるには大人びてるけど、そろそろ良いでしょ。
豊かな金色の髪をそっと掻きかげて、顕になったほそい首に真珠を飾った。
――ん、似合ってる!
海の女神さながらだね。
「『僕のアンフィトリテ。ポセイドンが世界の果てまで追い求めるのだって当然だね。僕だってそうするもの』」
「……私だって追いかけて行きたいわ」
不意に水宝玉の瞳が潤んで、ゆらゆらと光が揺れた。
軍務に就くおれを思って、不安を思い出した様子だった。
涙はさざなみに返る月明かりみたいに清かで、そりゃ心惹かれるけど、泣かせるのは本意じゃない。
瞼にもキス。
「『ごめんよ、連れてはいけない。アルテイシアにはここを守っててほしいんだ。僕の帰るところ……頼んでも良い?』」
おれが“ガルマ・ザビ”でいるための、大事な拠り所なんだ。
お願いすれば、何度も頷いてくれた。
「ちゃんと、私のところに帰ってくるのよ!」
「『もちろん。僕のお姫様は君ひとりだもの』」
もし、君がこのままおれを慕ってくれるのなら、終生、その傍らで守り抜くよ。
「浮気なんかしたら、キャスバル兄様にやっつけてもらうんだから!」
「『……それは怖いな』」
そんときは、おれ、パイロットスーツなしで宇宙に捨てられるんじゃないかな。
一瞬、恐ろしい想像が頭を過ぎったけど。
「『心配しないで。僕はアルテイシアの“騎士”だからさ。あの日、君に任じられてから、ずっとずっと』」
お姫様を泣かすものは許さないよ。それがおれ自身であってもね。
そっと抱きしめてみたら、アルテイシアはようやく微笑みを見せてくれた。
「『……本当にふたりの世界を作るわね』」
遠慮なく割り込んできた声に振り向くと、ララァが呆れ顔で立っていた。
マリオンとゼナがアワアワしながらララァを止めようとしてるし、ミルシュカはぐいぐい手を引っ張ってるけどさ。
――まぁ、君は躊躇しないよね。知ってる。
アルテイシアは「きゃあ」と可愛らしい悲鳴を上げて、腕の中から逃げてしまった。残念。
「えぇと…ほら! みんなにもガルマからプレゼントがあるわ!」
照れ隠しなのか、お姫様はテーブルに大小の包みをこれでもかと広げだした。
そうだね。女の子たちには珊瑚や真珠母のブローチやバレッタ、ペンダントなんかを用意してみた。
それから、ミルシュカが喜びそうなカラフルな貝殻とかも。
少女たちはこぞって包みをほどき、きゃあきゃあとはしゃぎ始めた。花園のようだな。
そして、ボーイズにはまた別の品々を。
「『僕らにはこれ?』」
「『どうすんだ? 吹くのか??』」
アムロとゾルタンが、手にした法螺貝を矯めつ眇めつ。
「『ん。吹くんだよ』」
頷くと、フロルが口をつけて思い切りよく息を吹き込んだ。刹那にひびくあの音。
皆がいっせいに飛び上がって振り向いた。
獅子吼なんて例えられてるだけあって、けっこうな音量――と言うか、肺活量すごいね、フロル。
めちゃくちゃ気に入ったのか、すごい吹き鳴らしてるし。
「『俺も! 俺も吹く!!』」
案の定、ゾルタンが飛びついたけど、アムロは若干引き気味の様子だった。
「『テヅルモヅルの標本のほうが良い?』」
素晴らしく保存状態のよいそれを差し出してみる。
見てよ、このレースみたいな繊細な触手を。すごくキレイに整えられてるでしょ。
「『……………なんでこれにしたの?』」
「『凄くない?』」
「『凄いけど』」
「『“ギレン兄様”にあげようと思って買ったけど、欲しいならアムロにあげる』」
「『――………………いらない』」
なんと!?
遠慮じゃなくて、純粋にいらないと思ってることは、思考波だからすぐ分かった。
「『こっちにする』」
なんて、珊瑚のタリスマンを手にしてるし。
「『………そう』」
「『うん』」
そうか。ならばコレは当初の予定どおり、“ギレン”の寝室に飾っておこう。
――やっぱりダイオウグソクムシとかのほうが良かったのかな。
「『それもいらない』」
「『……そう』」
「『うん』」
そんなやり取りが。
ちなみに、パプティはちゃっかりと真珠母のタリスマンを確保していた。
✜ ✜ ✜
崖っぷちの男の艦に乗る日が来た。
集められた面子の中には、めちゃくちゃ見知った顔があった。
「3週間ぶりだね、ガルマ!」
「まさか同じ配属先になるなんてな!」
「やっぱりフラグだったじゃないか」
と笑ってるのは、モブリットとコウガとニケである。
「おれは逃げられんのか……」
ってのは、ワニのひとこと。
「また会えて嬉しいよ。配属先でもよろしくね!」
たかだか3週間では、まったく変わりがないように見えるメンバーだった。
でもまぁ。初めて行く場所に知ってる顔があるって事は、存外に心強いもんだ。
彼らの他にも、リノとケイとルーを連れて行けるから、ぼっちの心配だけは無い。
加えて"黒い三連星"もいるらしいから、会えるのが楽しみだ。
不安がないって言ったら嘘になるけど、ようやくスタート地点までこれたって気持ちはある。
軽口をたたき合いながら、踏みしめるように一歩を刻む。
いよいよ鼻先に迫ってきた戦雲の気配に、ほんの微かに背筋が震えた。