キシリアが帰ってきたのは、“ガルマ”とほとんど入れ替わるようなタイミングでのことだった。
「長かったわ……」
報告にやってくるなり、キシリアは“妹”の顔で云った。家ではないのだ、まだ早い気がするが。
「シャア・アズナブルは帰したのか?」
こちらも上官と部下の会話ではないなと思いながら問いかけると、軽く肩をすくめられた。
「流石にね。疲れ切った顔だったから――私も、今日は報告だけで、帰宅するわ」
「何ヶ月ぶりだったかな――半年以上なのは確かだが」
“ガルマ”が“卒業”してから半年で、それよりも前からなので、七、八ヶ月ほどか。
「一年にならなかっただけでも良かった、と云うべきかしらね。――あの子は、まだ配属先には行っていないの?」
「まだこちらにいるが、数日内には出るはずだ。まぁ、今日は家にいるだろう、顔を見せてやれば良いさ」
「そうね、今日はあちらに寄ることにするわ」
「そうしてやれ」
云いながら、受け取った報告書に目を落とす。いろいろとトラブルがあった割には、装備品の破損や人的な損害もさほどない。それで、ルウムとの間に強い絆を築き上げてきたようなのは、流石と云うべきなのか。
「あの子にも、家の方に行くように云っておくわ。――お前は? 今日は帰るの?」
「いや」
報告書のチェックを終え、首を振る。
「今は家を出ているしな。仕事もある。まぁ、お前たちがいれば、“ガルマ”は喜ぶだろうさ」
「まだ父上と揉めているの」
半笑いで云われるのに、苛立ちを覚えずにはいられない。
「ララァ・スンのことやら何やらで、うるさいのでな」
「そう云って、この間も愛人発覚の記事が出てたじゃないの」
「あれは“ガルマ”だ」
そう返すと、目を見開かれた。
「お前が昼食をともにしたと云う、あの女性がガルマ? 本気で云っているの、ギレン?」
「女性ではないし、あれは間違いなく“ガルマ”だ。本人に確かめてみても良いぞ」
「……あれだけ疎んでいるように見えたのに、どう云う風の吹き回し?」
「配属先と、キャスバルの件でな。いろいろと申し送りがあったのだ」
「お前が家に帰れば良かったのではないの」
「そうすると、キャスバルがついてきて煩い」
「あら」
あんなに可愛がっていたのに、酷いもの云いね、と云われる。
だが仕方あるまい、キャスバルは、まだドズルやランバ・ラルを悩ませているようなのだ。会えば、こちらにも何ごとか云ってくるに決まっている。
「――ランバ・ラルの云うとおりだな」
「え?」
「男が可愛いのは、エレメンタリースクールまでだと云うことだ」
「ガルマは今でも可愛いわよ」
「それは、お前が騙されているだけだ」
「密会までしたのに、そのもの云いなのね」
「あれが、そうそう変わってたまるものか」
それなら、この長い年月の間に、多少なりとも何かあって然るべきではないか。幾度生まれても、そう変わりがないのなら、それはもう既に、“ガルマ”の本質があのようなものだと云うことなのだ。
「相変わらずなのね」
「むしろ、変わる要素があるなら教えてもらいたいくらいだ」
あちらもこちらも。
キシリアは、珍しくも声を上げて笑った。
「変わりがなくて何よりだわ。それならムンゾは安泰だったと云うことね」
「……まぁ、概ね変わりないと云って良かろうな」
あれやらこれやら、細かい事件はあったものの。
「“ガルマ”たちのやらかした以上のことは起こってはおらんよ。それがあったら、お前もまだ帰ってはこれなかっただろうな」
「まぁそうね。あの子にはいつも驚かされてばかりだわ」
「いずれ驚かなくなる日が来るだろう。――ところで」
今のうちに、前振りだけしようと口を開く。
「お前も帰ってきたことだし、私は暫く休暇をもらおうと思う。そうだな、一月ほどもあれば良いか」
「……ひとつ訊くけれど、休暇を取って、その間、お前は何をするつもり?」
「ザーンとリーアに連邦が粉をかけているようなのでな、視察がてら、真意を探ってこようかと」
「決めたことなの」
「あぁ、決めた。正式な外遊などではなく、別の名前で行ってくる」
「まさか、この間すっぱ抜かれてたあの恰好じゃないでしょうね?」
なるほど、ルウムのキシリアにまで伝わった話だったか。
「あれではない」
「そう。そちらはバレないの?」
「これで使えなくなるかも知れんがな。――今日のところは、帰って家族の顔を見て、ゆっくり休むが良い」
「お前も、いい加減で帰ったら」
泊まりこみなんか止めて、と云われるのに、軽く手を振ってやる。
「仕事が片付いたらな」
「終わらせる気になれば、いつでも仕事は終わるのよ。逆に云えば、終わらないのは終わらせる気がないからだわ」
「――心する」
神妙に返すと、キシリアは、微かに笑みを浮かべて部屋を出ていった。
まぁ確かに、イスラームの教えてはないが、“明日できることは明日すれば良い”のだ。
が、一般事務などならともかくとして、こう云う――つまり上層部の――仕事と云うのは、気を抜くと山積みになっているものなのだ。元々の方でも、下っ端の自分より、上司は休日にも働いているようなところがあった。まぁ、全体に組み上がりきった社会と云うのは、そのようになりがちなのだろう。
第一、少し羽目を外すと、やれ密会だの何だのと云われるようでは、一人で外に食事に行くのも躊躇われる。
何よりも、一ヶ月ほども休暇をもぎ取るつもりならば、今山積している仕事くらいは片付けていかなくては、下のものたちに恨まれてしまう。
とにかく休みをもぎ取って、まずはザーンとリーアの偵察、必要があれば釘を刺し、あとはまぁ、少しは外の空気も吸ってきたい。
とりあえず、今日山積みの分は片付けてしまおう。
そう思って一番上の書類を手に取ったところで、ドアがノックされた。
「ギレン」
入ってきたのは、サスロだった。
「どうした」
退勤時間ぎりぎりとは珍しいな、と続けようとして、“弟”の背後にいる女の姿に気づく。
「キシリアが帰ってきたからな、お前以外、皆家に帰るだろうと思って」
「なるほど、そちらがお前のお相手と云うことか」
そう返すと、サスロは少し顔を赤くしつつも頷いた。
「そうだ。ベルナルダ・ハイメと云う」
云われて進み出た女は、今までのサスロの選びそうな相手のイメージからは、かなりかけ離れているようだった。
黒髪にヘイゼルの瞳、オリーブ色の肌は情熱的に見える。はっきりとした目鼻立ち、大ぶりのしっかりとした唇、総じてラテン系の女である。背も高い――サスロと同じとまではいかないが、“ガルマ”やキャスバルと変わらないくらいだ、女としては高い部類だろう。
「はじめまして、ギレン総帥。サスロ殿の部下でもあります、ベルナルダ・ハイメです。ベルと呼んでくださって結構ですよ」
なめらかな、ベルベットのような声だった。
「なるほど、君が噂の」
サスロと、机を叩きながら怒鳴り合うと云う女か――この声で、どんな罵声を吐き出すのかは気にならなくもない。
ベルナルダは、微妙な顔になった。
「噂って何です?」
「君が、サスロと怒鳴り合える貴重な存在だと」
「あら」
女は云って、少し眉を寄せた。
「まさか、サスロ殿からそんなことを?」
「いや。君が優秀だと聞いた時に、秘書官に引き抜きたいと云ったら、部下に止められてな。その時に、そんな話を聞いたのだ。貴重な人材だから、取り上げてやるなとな」
「……それを云ったのは、タチ少佐か」
「他にはおらんだろう」
「あいつめ……」
と拳を握りしめるのは、何やら不穏な風向きであるようだ。
「タチをどうこうするのは止めてくれ。こちらにとっても、貴重な人材なのでな」
「閣下の“伝書鳩”の長でしょう。存じ上げております」
ベルナルダははきはきと云った。
「閣下がそれだけおっしゃるのは、優秀な方だからこそでしょうね。その方に評価して戴けるのは、ありがたいことだと思います」
ベルナルダの口調は、あまり性別を意識させないものだった。そう云うところも好ましいのだろうなと思う。
過度な女性らしさは、聞く側からは媚とも取れる。それがないのは、ベルナルダ自身が優秀であり、また周囲もそれを男女で峻別することがなかったからでもあるだろう。
「君が優秀なのは、そのもの云いからでも了解される。サスロを支えてやってくれ。まぁ、不甲斐ないと思えば、踏み台にしてくれても構わんが」
「ギレン!!」
「そう云うものだろう?」
このやり取りに、ベルナルダはふふと笑った。
「お聞きしたより仲が良くていらっしゃるんですね」
「“兄弟”だからな、もちろん喧嘩もするさ」
「安心致しました」
「サスロも普通の男だと云うことだ」
「えぇ、私をお選びになるくらいには」
「いや、君のような女性を相手にできるのは、男にも胆力がなくてはな」
「胆力のある“普通の男”ですか」
「君が賢い女性だからな、それくらいでないと」
「ありがとうございます」
「紹介してもらって良かった。――ところで、サスロ」
口調を変えると、“弟”は察して表情を改めた。
「厄介ごとか」
「ある意味ではな」
それに、サスロは渋面になると、恋人に退出を促した。
「――で?」
扉が閉まると、見慣れた表情になる。
「厄介ごとと云うのは何だ」
「どちらかと云えば、お前にとっての、だな。――ひと月ほど、休暇を取ろうと考えている」
「――長いな」
「キシリアには、もう知らせた。ドズルにはこれからだな。で、休暇ついでにザーンとリーアに行ってくる」
そう告げると、呆れたような顔を返された。
「外遊、ではなさそうだな。まさか、こっそり行くのか」
「この間の恰好ではないぞ」
「あれは隠れてない」
またか。誰もかれも、そんなにあの恰好はわかりやすかったと云うのか。
「あれではないし、今度は髪も染めていくさ。太い眉も、細工していくかな」
「まぁ、付け髭ならぬ付け眉でもしていけ」
引っ張っても取れないあれか。
「そうするかな」
「そうしろ。お前が、IDを偽造して他サイドに滞在するなど、下手をすれば問題になるぞ」
「そこは気をつける」
まぁ、慣れた名前だ、失敗するとは考え難い、が、どこからどうぼろが出るのかわからないので、用心には用心を重ねていくしかあるまい。
サスロは溜息をついた。
「そもそも、ザーンやリーアに何をしに行く?」
「連邦の動きが少々怪しいと聞いたのでな。休暇がてら、見てくるかと思ったのだ」
「まさか、ひとりでとは云うまいな?」
「タチがついてくるそうだ」
「そうか、それならまだ良いか」
頷いて、思い出したようにサスロは云った。
「そう云えば、この間の密会相手はどうした。恋人連れなら、少しはごまかしもきくのではないのか」
「――あれは“ガルマ”だ」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声が上がる。
「お前、俺が写真を見ていないと思ったのか? 云うにこと欠いて、あれがガルマだなんて……」
またか。と思うが、そう云えばサスロたちは、地球から帰ってきた時の“ガルマ”の恰好を目にしてはいなかったのか、と気づく。
今回は、あの時のような完全な女装ではなかったのだが、それでも女であると見えたらしい。欠片も女要素などありはしないのだが――つくづく、恐ろしい“弟”だ。
「どう思おうが勝手だが、あれは間違いなく“ガルマ”だ。何なら、本人に訊いてみれば良い」
どうせ、この後会うのだろう? と云ってやれば、複雑怪奇な顔を返された。
「……そうだな、真偽のほどは、ガルマ本人に訊いてみることにするか」
それが良いだろう。どうせ皆、こと“ガルマ”に関しては、こちらが何を云おうと聞く耳を持たぬのだし。
「まぁ、皆には宜しく云っておいてくれ」
そう云うと、サスロは微妙な顔ながらも頷いて、そそくさと部屋を出ていった。
思い立って、ドズルを呼び出した。キシリア帰国の翌日のことだ。
やってきたドズルは、少々疲れた顔をしていた。昨日は婚約者――つまりゼナ・ミア――とも一緒に過ごしたのだろうに、この顔とは、
「――まだキャスバルか」
と問うと、げんなりした風で頷かれた。
「相変わらずの調子でな……」
「あれは、軍隊と云う組織を何だと思っているのだろうな」
「まったくだ」
首を振られた。
「ラルにも、話をするように云ったんだが、どうにも暖簾に腕押しと云うか、聞く耳持たん感じでな。兄貴が説教したと聞いたんで、ちょっとは期待したんだが――まったく変わらん」
どうしたものかと首を捻る“弟”は、少々哀れなものにも思われる。
まぁ、総帥室にまで押しかけてくるキャスバルが、その下であるドズルに遠慮したとも思われないので、ランバ・ラルに聞いていたとおり、日参する勢いで訴えて、この“弟”を悩ませていたのだろうとは思う。
「――お前にとって、良い知らせになるのかはわからんが、キャスバルをしばらく、私の下に置くことにした」
そう云ってやると、ドズルは目を輝かせた。
「おぉ、あいつを秘書官にするのか?」
期待に満ちたまなざしに、微苦笑がこぼれる。
「期間限定だがな。そしてその後、お前の直下で、“ガルマ”とともに小部隊を作らせる」
「――急だな。それに、ガルマはガルシア・ロメオの下にやるんじゃなかったのか」
「やるさ。だが、いろいろと面倒になってな」
キャスバルも“ガルマ”もやいのやいのと云ってくるし、下手に大きな権限を持たせる部署にやっても、その後下手に暗躍されても厄介だ。
「部隊の構成は、お前に任せる。但し、内示は早くとも移動の一月前だ。それから、例の“暁の蜂起”の面子をひとところに集めるような真似はするなよ。奴らは異分子だ、大きな塊で置いておいて、暴走でもされたら事だからな」
「そうだな」
頷くドズルにも、思うところはあるようだ。
「奴らは、ガルマを中心に、裏でまとまっているようだからなぁ。ただでさえ扱い難い新人だと思われているのに、この上徒党を組んだら本格的に排除されかねん。まぁ、部隊の人選は考慮するよ」
「そうしてくれ」
“ガルマ”に自覚はないようだが、軍と云う巨大組織の中に、別の中心を持つ小さな組織があると云うのは、なかなかに問題なのだ。
幕末の浪士上がりの部隊であったり、あるいは民間警備会社であったりすれば許される多少の越権行為も、正規軍の中では、特にその位階が低ければなお、厳しく処断されるべきものなのである。
軍内部の小組織のトップが、やや軍規を逸脱し気味であるとなれば、かれらの上長は、己に従わぬものと見て、排除を目指すことになるだろう。
今回の差配は、云ってみれば、かれらが上長に排除される前に、合法的なかたちで予め“排除”してしまうためのものなのだ。
「まぁ、これでキャスバルが少しでも大人しくなってくれればな……」
遠い目で云う。
それに肩をすくめ、
「あまり早くに告げれば、図に乗る可能性もある。不満は溜めさせておくさ」
と云えば、深い溜息が返ってきた。
「それなんだよなぁ……」
ドズルの嘆息は無理もないことだ。
結局のところ、キャスバルから見れば、こちらが折れた恰好になるのだから、今後もこの手を使おうと考えないとは云い切れないのである。
だからこそ、直前まで内示もしないでの人事にしたわけなのだが、
「悪しき前例にならんように心するさ」
こちらも、そうとしか云いようがない。面倒臭さ故に放り出すわけだが、その後は譲るような真似など絶対にするものか。押せば何でも動くのだと、誤解されたら面倒だ。
そうでないと、今度は軍本体の方が崩壊するようなことにもなりかねない。血縁やら何やらで依怙贔屓する上官に、誰が唯々諾々と従うものか。己の生命を、そんな人間に預けたいとは思えないのは当然のことだ。
「面倒をかけて済まんが、後は任せる。遊撃隊でも何でも、扱き使ってやれば良いさ」
「いや、俺こそ監督不行届の始末を任せて済まん」
“暁の蜂起”の時は、こんな優秀な士官候補生があったものかと、歓喜したものだったんだがなぁ、と、また嘆息。
「優秀な自覚がある連中は、得てしてああ云うものだがな」
特に実戦経験のない内は、功に逸るところもあって、聊か走りがちなものが多いのだ。最初の躓きをうまく越えられれば、文字通り有能な人材へと成長を遂げるだろうが、駄目ならば――その人生設計そのものが白紙に戻ってしまうこともあり得るのだ。
キャスバルには、この人事――半年後の更なる異動も含めて――は直前まで秘密にはしておくが、これをごね勝ちと取られるのは困る。非常に困るのだ。
が、“ガルマ”と云い、とても頭の回る二人である、また何やらしかけてこないとは限らぬのだが。
「しかし、と云うことは、キャスバルにはもう内示を出して良いのか」
「そうだな。私の休暇が明けたらすぐに、キャスバルを秘書官として受け入れる。ランバ・ラルは喜ぶだろうな」
「俺もだよ。やっと解放されるわけだからな」
「その後、別なかたちで返すことになるわけだがな」
「ああ云う突き上げでなければ、俺としてはやりようもある。兄貴の方こそ、秘書官にしてからが面倒なんじゃないのか」
「なに、実質四ヶ月の辛抱と思えば、さほどでもない。それよりも、これからひと月留守にするが、その間のことは任せたぞ」
「おぉ!」
ドズルは、どんと胸を叩き、強すぎたのかげほごほと噎せこんだ。
「サスロ兄から聞いたぞ。任せろ! 兄貴はちょっと働き過ぎだ、偶には長期休暇もいいんじゃないか」
「そう云ってもらえるとありがたいな」
別にワーカホリックではないはずだが、仕事内容が仕事内容だけに、どうしても休みどころが難しくなってしまうのだ。無論、こまめに休日はある、が、長期休暇となると、なかなか取れる気がしないのである。
まぁ、人の上に立つ以上はある程度わかっていたことではあるが、このあたりで一度休んでおかないと、今後終戦処理が終わるまで、長い休みが取れる気がしなかったので。となれば、数年単位で先のことになってしまう。
ザーンやリーアを訪れたいと云うのも、この二つのサイドの様子を確認したい、と云うのと同時に、ムンゾの外にでも出なければ、仕事の方が追いかけてきそうな気がしたからでもあった。
ひと月の休暇だが、ザーンやリーアを回るのは半月ほどで、あとはムンゾ国内、あるいはいっそルウムにでも行くかとも思う。まぁ、旅程からすれば、サイド4・ムーアやサイド2・ハッテに立ち寄るのが得策なのかも知れないが。
いずれにしても、これを逃せば当分長期休暇はなくなるだろうから、今のうちに取得してしまうに限る。鉄は熱いうちに打て、日が照る間に干し草を作れ、と云うことである。
「まぁ、私がいない間に、ムンゾ国内で何が起こるのかも知りたいしな」
行政は“父”が、財務はサスロが、軍の実務はドズルとキシリアが、それぞれ担当してくれるので、ムンゾの屋台骨が揺らぐと云うことはあるまいが――それにしても、表舞台に立つザビ家の一角が欠けるとなれば、何やら蠢きだす輩がないとも云い切れぬ。
今回の休暇は、それを炙り出すのにも丁度良い機会だろうと思われた。
――まぁ、蠢きだすのはキャスバルもだろうがな。
“ガルマ”に対しては頑なにその悪辣さを認めようとはしない“弟妹”たちも、ことキャスバルに関しては、その振るまいについてあれこれ云うことを認めざるを得ないような状態なのである。
ダイクン家の御曹司は、もう少しこう、鷹揚に構えているべきなのではないのか。
それが、上官の執務室に突撃していって、異動させろの何のとがたがた云うのは、本当に軍人としての自覚があるのかすら怪しいように思われる。
「議会は“父上”がどうにかするだろうが、軍内部はお前にかかっているからな。よく見張って、適当に処理しておいてくれ」
「おぉ。だが、何もないと思うぞ、キャスバル以外は」
「……それだな」
――キャスバルが最大の問題になろうとは……
本当に、何がどうしてこうなった。
いや、“ガルマ”の脅威がなくなったわけではない。なくなったわけではないのだが、肝心の“ガルマ”の手綱を取るべきキャスバルがこの有様では、“ガルマ”一派を云々するどころではない。
「――まぁ、あれについては、休暇が明け次第考えることにするさ。せっかくの貴重な時間を、余計なことに費やしたくはないからな」
「あぁ。まぁ、総帥室詰となれば、今までのようなことにはならんだろうからな。――この後、キャスバルには内示を出すことにするが、構わないんだろう?」
「そうだな。大人しくさせるのなら、内示は出した方が良いだろうな」
その辺は任せる、と云うと、ドズルは安堵したように頷いた。
「これでまだがたがた云うようなら、俺も本気で処遇を考えることにするよ。まぁ、今回は譲ったが……」
ぐっとその拳が握りしめられる。
ドズルも根っからの軍人だ、本気になれば、キャスバルの血統云々など飛ぶところはあるだろう――何しろ、ドズルは中将で、対するキャスバルはまだ中尉でしかないのだ。ドズルに逆らうことは、即ち軍の大部分を敵に回すことでもある。
まして、ドズルはこちらとは違い、割合に下士官などにも人気があるのだ。そのドズルを怒らせれば、キャスバルは、士官学校の仲間以外の部下をも敵に回すことになるだろう。
――ただでさえ、お坊ちゃんだと思われているのだしな。
そう、原作軸のガルマがそうであったように。
このままいけば、謀殺されることこそなかろうが、“坊やだからさ”と云われるのは、キャスバル自身になるに違いない。
「――とりあえず、兄貴は休暇を満喫してくれよ。それで、リフレッシュしてまたバリバリ仕事をしてくれ」
「あぁ、留守は頼んだ」
くり返して云うと、ドズルはにかっと笑って頷いた。
「――本当に、護衛はなしなのですか」
ドズルが去っていった後、デラーズが入れ替わるように入室してきて、云った。手には、休暇前に決済すべき書類が抱えられている。なかなかの量だ。つまり、今日も残業か、下手をすれば泊まりこみ、と云うことである。まぁ、長期休暇を取ろうと云うのだ、ある程度は仕方あるまいが。
「不満か」
それを引き取りながら問いかけると、思い切り渋面を返された。
「一国の総帥が、お忍びとは云え、ほぼ単身で他サイドに行かれると云うのは、私のような立場のものからすれば、噴飯ものであるとしか申し上げようがございませんな」
「気持ちはわかるが」
苦笑がこぼれる。
「しかし、護衛を引き連れてでは、訪問先を警戒させるばかりだろう。況して、ついてくるのがお前だった日には、私の正体など明白過ぎるほどに明白になる。まぁ、タチと二人連れくらいの方が、いろいろ面倒も少ないだろう」
何しろ、この男は躯体が大きい上に、禿頭、髭面と揃っている。このような目立つ容貌の男を引き連れていれば、こちらの正体を喧伝して歩いているも同然だ。ともに行くと云う選択肢は、そもそもないのである。
お前は、芝居が巧いとも云えんしな、とつけ加えると、デラーズはますます顰め面になった。
思わず苦笑する。
「そんな顔をするな。お前には、ムンゾで、さも私が自宅に籠もっている体を作ってもらわねばならん」
まぁ、情報が必ず漏洩するものだと云うことを勘案すれば、無駄な労力となる可能性は否定できないが――しかし、逆に云えば、デラーズまでがムンゾから消えてしまったなら、いよいよこちらの不在が明白なものとされるだろうことは、想像に難くなかった。
つまり、何はともあれ、デラーズにはムンゾ国内に留まってもらわなくては困ると云うことなのだ。
「――……仕方、ありませんな」
長い沈黙の後、デラーズは、いかにも渋々と云う顔で、そう返してきた。
「閣下のご自宅に、足繁く伺えば宜しいのですな?」
「そうしてもらえると助かるな」
デラーズがこちらの傍を離れることは考え難いと思われているのならば、そう云う空蝉作戦も、多少の効果はあるだろう。ついでに、気になっていた本の通販でもしておいて、それを書棚に収めておいてもらえばさらに良い。
思わずにやりと笑うと、また溜息が返ってきた。
「……こう云うことは、これきりにして戴きたいですな」
「善処する。まぁ、巧くやってくれ」
再度の溜息。
ともかくも、デラーズは折れた。あとは、この書類の山を片付けるのみである。
幾分気分が軽くなり、さてまずはと、一番上の一枚を手に取った。
さて、仕事も当座の懸案事項も概ね片付いたので、いよいよ休暇である。
議会についてはマツナガ議員、ダルシア・バハロ、オレグ議員に任せると云い置いてきたのだが、これがなかなかに面倒だった。
何故、たかがひと月の休暇を取るのに、くどくどと恨み言を連ねられねばならぬのか。
そして、休暇中のお泊り会が延期になった――と云っても、前後に一週間ずつずらした恰好なので、そこの間隔は詰んでいるのだが――ので、やはりこちらも、特にララァ・スンから恨み言を云われた。
まぁ、こちらとしても羽根を伸ばしたい時はあるのだし、回数を減らしたわけでもないのだから、そのあたりは目こぼししてくれても良いのではないか、と思わずにはいられない。
ともあれ、土産を買ってくる約束をして、何とかそこは切り抜けた。ララァなどは、学校に行っていないのだからと、ついてくるようなことを云っていたが、流石に危険があるかも知れない旅程に、まだ幼い少女を連れていく気力と根性はない。説得して、何とかムンゾに押し留めることに成功した。
さて、しからば出発である。
機内に持ちこめそうなサイズのキャリーケースひとつで宙港に立つと、タチが驚いた顔でこちらを見た。
「それだけしかないんですか!」
「“それだけなのかい”だろ、“ビスケット”?」
それぞれの手には、“オルガ・イツカ”と“ビスケット・グリフォン”のIDがある。“伝書鳩”の長ともあろうものが、早々にぼろを出すようでは困るのだが。
タチは、唇をへの字に曲げた。
「そりゃどうも。いつもにも増して、素晴らしい仕上がりなことで」
「だろう?」
何しろ、今回は髪も染めたし、それこそ眉も作ってきた――取れない髭やかつらの類のあれである。再びムンゾに帰り着くまでは、このまま保ってくれるだろう。無精髭でも生やせば完璧だが、生憎とあまり生えない体質らしく、それこそ付け髭が必要になりそうなので、諦めた。まぁ、休暇中は、剃らない方向でいくつもりではあるが。
それで、いつもの“オルガ・イツカ”的な恰好なので、この間の恰好が記憶に新しい現時点では、かなりごまかしがきくだろうと思うのだ。
「荷物に関しては、こんなもんだろう。ボトムは一応一本入れてきたが、あとはシャツやらアンダーやらくらいで、そうかさばるもんでもねぇ。ジャケットも、これ一枚で構わねぇしな」
大体のホテルはタオルやら何やらはあるわけなのだし、“ライナスの毛布”的な何かがあるわけでもない。となれば、最低限の替えだけで、後はクリーニングなり手洗いなりで対応すれば良いだろう。都市部ならば、それこそコインランドリーもあるのだし。
「……旅慣れた感じですね」
「まぁ、“昔”は結構貧乏旅行もしたものさ」
安いフリープランであちこち出かけたものだ。仕事柄長い休みは取り辛かったので、専ら二泊三日程度の国内旅行だったが。
“ギレン・ザビ”として生きる今は、暇のなさはそれ以上なので、旅行などこれが初めてだ。ほとんど家と職場の往復なので、外出も稀なのは、もう少しどうにかしたい気もするが。
ともあれ、初めての“国外旅行”である。浮き浮きしたとて仕方あるまい。
「せっかくだし、いろいろ見て回りてぇな。他のサイドの文化も気になる」
「ガイドとかは」
「ざっくりしたのをな。地球と違って、コロニーはバンチごとが狭い」
「地球にいたようなもの云いで」
「ふふん」
一応、民間警備会社の警備員(休暇中)と云う設定で、一時は地球にもいたことになっている。元はムンゾの出身で、火星と地球で働いていて、コロニーは不慣れなのだと云うことだ。タチ――“ビスケット”は、同業だが地球にはいたことがないと云う設定である。所属会社は“鉄華団”、ペーパーカンパニーだが、“存在”はしている。社主は、タチが適当な名前で登録してあるようだ。実際、民間警備会社に金も出しているようなので、まったくの虚偽の身分とも云えないようだ。
実体はどうあれ、調べれば出てくる社名があるのは、カモフラージュには悪くないだろう。
「警備会社の人間なら、警護対象と一緒にあちこち行くだろうが。それでまぁ、いろいろ経験があるってことさ」
まぁ、それは“ギレン・ザビ”ではないわけだが。
「地球と火星にはいても、他のサイドは無縁だったと?」
「お前は、コロニーをあちこち動いてたんだっけな、“ビスケット”?」
“伝書鳩”は、元々呼び名に近いような存在――言伝を運ぶもの――であったから、サイド7以外は全制覇しているのだろうが。
「まぁ、な」
タチは頷いた。
「サイド7以外は全部回ったよ。月都市も、グラナダ、フォン・ブラウンといくつもな。行ってないのは、それこそサイド7と地球だけじゃないかな」
「そりゃすげぇ」
こっちは、地球と火星くらいしかわからない、と云うと、肩をすくめられた。
「仕事だよ仕事!」
「まぁそうだがよ。俺が火星と地球を行き来してたのは、随分前の話だからなぁ」
それこそ、ひとつ前の人生のスタートあたりくらい前だ。
タチは、まじまじとこちらを見た。
「作りこみ凄いですね」
小声で云う。
思わず苦笑した。
「“昔”の話だよ」
多分、こちらの火星は、テラフォーミングすればもう少し水の多い星になるだろう――火星の地中には、凍りついた水が存在するはずだと云う。但し、鉱物化しているらしいと云うことなので、それを取り出し、また両極にある氷を融かすことによって、地表に海と川が生まれ得ると云うことのようだ。
火星を変える技術が、ここで生きているうちに、どれほど進歩するのかはわからないが――いずれにしても、『鉄オル』とは異なる火星が生まれてくることになるには違いない。
「俺の知らない昔なのか?」
「まぁ、“弟”しか知らねぇな」
他の誰でもなく“ガルマ”しか。
「ま、どうでもいいだろ。それより、ザーンだ」
どう考えても油断のならないサイド6、リーアに先に行くよりも、サイド1、ザーンから入った方が良いのではないかと、タチと相談の上決めたのだ。
どうもザーンよりもリーアの方が裏切りそうなイメージが強い――恐らくは1stのもろもろの描写によるものだと思われる――ので、ムンゾからまっすぐリーアに行くのは躊躇われたのである。ザーンは元々は連邦寄りであるので、直接行ってもそこまで警戒されない――多分、今ならルウムからの方が警戒度は高いのではないか――ように思われるが、そのあたりはリーアの方が警戒心が強そうに思われたのだ。
そう、今や対連邦強硬派の筆頭はルウムであり、むしろムンゾは協調派であると目されているようなのである。まぁ、軍備を増強しているのはムンゾには違いないが、コロニー社会の火種になりつつあるのはむしろルウムなのだ。連邦軍内では、まだムンゾのイメージは原作に近いものがあるが、しかし、それとてもレビルなど一部の人間に限ったことになりつつあり、全体的には、“コロニー社会の守護者”と云う位置づけでかたまりつつあるようだ。
それは良いのだが、問題は、その旧態依然としたものの見方をしているのが、軍や議会の上層部に多いと云う一点に尽きる。こちらがどんなに民主的に連邦議会に議員を送りたいのだと訴えようとも、それを受け入れるばかりか、虚偽の意見だなどと云い出す始末なのだ。
こう云う時、連邦の“絶対民主主義”は民主主義ではないのだなと実感する。
民主主義とは、悪く云えば衆愚政治であり、限られた一部のエリート、しかもほぼ世襲に近いかたちで選出される議員によって運営されるものではないはずなのだ。
そのようなものを“絶対民主主義”などと強弁すること自体に、連邦政府の大きな歪みを感じずにはいられない。
となれば、自分たちのやるべきは、それをすこしでも本来の民主主義に近づけること、すなわちスペースノイドからも各々の代表者を連邦議会に送りこむことではないだろうか。
しかしそのためには、コロニー全体で連邦に圧力をかける必要がある。そして、それを可能にするためには、コロニー同盟全体の足並みを揃えることが不可欠なのだ。
連邦は、もちろんそこをわかって、割合連邦寄りのザーンとリーアの切り崩しを図っているのだろう。
今回の旅は、そのあたりの連邦側の采配が、どれほど効果を発揮しているかを確認するためであり、またこちらに“生まれ変わって”この方、一度もムンゾから出たことがないと云う、世間を知らぬところを少しでも埋めたいと云う心からでもあった。
まぁ、物見遊山のようなものだと云われればそうであるし、視察であると云えばそうでもある。とにかく、こちらの知見も広がらなくては、いざと云う時に判断を誤る可能性があるのは、否定し切れぬことだった。
相手を知らぬでは、手の打ちようもないと云うことなのだ。
尤も、
「ワクワクするな!」
純粋に、新しいことを知るのは楽しい。世界が拓けるような気がする。
が、タチは深い溜息をついただけだった。
「俺は、溜息しか出ませんよ……」
「“ビスケット”」
口調が違う、と暗に指摘してやるが、タチの溜息は止まなかった。
「先が思いやられます」
「まぁまぁ、今からそれじゃあ、戻るまでに燃え尽きちまうぜ。気楽にいこう、気楽にな」
「アンタはそれでもいいでしょうけどね!」
「愉しめよ。その方が、案外うまくいくかも知れねぇぞ」
こちらも、しばらくの間は“オルガ・イツカ”以外の何ものでもなくなるのだ。それなのに、連れの“ビスケット”がこれでは、愉しめないではないか。
「ザーンには、最初のシリンダー型コロニーがあるんだろ? そこに寄るかはともかく、話のタネにはなりそうだよな!」
最初のシリンダー型コロニー、1バンチであるシャングリラや、アルカディア、エデン、エリュシオン、エルドラドなど、ザーンのコロニーは楽園の名をつけられたものが多いようだ。
無論、楽園の名だからと云って、そこが住み良い場所であるとは限らないが――宇宙世紀はじめの人びとが、少なくともコロニーを楽園のようであれと願った、その痕跡が名にこめられているように思われてならなかった。
まぁそれが、二十年も経たぬうちに荒廃してしまうことになるのは、戦争の恐ろしいところなのだろう。
――ジュドー・アーシタは、もう生まれてはいるか。
ほぼ名前しか知らない『ZZ』の主人公を思い浮かべる。生まれていてもまだ幼児だろうし、アムロ同様、この先の成りゆきではMSに乗るようになるのかもわからないが――さて、遭遇することがあるのかどうか。
――それを云ったら、カミーユこそ生まれている頃合いだろうしな。
『Z』のカミーユ・ビダンはUC0070ごろの生まれだったはずだから、下手をすれば幼稚園児くらいかも知れない。
手許に置いているアムロ、カイ・シデン、ゾルタンとミルシュカ、マリオンとフロルの境遇が激変している以上、あのあたりも原作のままとはならないだろう――カミーユなどは、サイド7にいない可能性も高い――が、まぁ、原作より平穏なら、それはそれで良いのではないか。
ともあれ、一般の旅客船に乗るのも、宇宙世紀では初めてである。コロニー間の距離は、火星-地球間よりは圧倒的に近い。それこそ列車で行く国内旅行と、海外旅行くらいの違いがあるだろう。
――ロンデニオンにも行ってみたいが、どうだろうな。
ロンデニオンが重要になったのは、『逆シャア』前後でそこにロンド・ベルの拠点が置かれたから、と云うことらしいので、一年戦争前の現在は、別段重要拠点でも、はたまた観光地でもなさそうであるし。
まぁ、各サイドの“首都”は、大体1バンチにあるのだろうから、シャングリラは訪れることになるのだろうが。
「まぁまぁ、楽しい休暇になりそうじゃねぇか?」
原作好きには堪らない休暇になるだろう。
浮き浮きと云ってやるが、タチはまた深い溜息をついただけだった。
その背中を軽く小突いてやって、ザーン行のシャトルに乗りこむ列に進んだ。