学生たち環視の中で、タチとともに、マガバンの前の椅子に坐る。
「――で」
「で?」
「てめェらが、ムンゾのどんな話を聞かせてくれるってんだ」
睨め上げるように、男が云った。まぁ、相変わらずの態度である。
――ガラクタの山の“王様”だな。
金紙の冠でもかぶせてやりたいくらいだ。何と云うか、お約束なくらいに厨ニ臭のする、いきがってばかりの“王”。
まぁ、まだ二十三では仕方あるまい――自分にしてもそれくらいの時分には、自身の不運な境遇なり何なりに酔っているようなところはあったと思う。
つまりは“若さ故の過ち”と云うものである。またの名を“黒歴史”とも云う。
ともあれ、
「むしろ、ムンゾの何が聞きてぇんだよ」
話せることも話せないことも無数にあるが、それにしても、要望なしにとりとめもなく話すのは、こちらの労力の無駄でもあるし、聞く方としても時間の無駄にしかならないだろう。
「何もかもだ」
とは云われても、何もかもは話せないし、その時間もない。
「簡潔に、ピンポイントで聞きたいことを云え」
「……ムンゾは、連邦に戦いを挑むつもりなのか」
「ぁあ?」
「ムンゾがコロニー同盟を云い出したのは、連邦とことを構える時に、味方が欲しいからだと聞いた」
「何を云うかと思や」
鼻先から抜けるような笑いがこぼれた。
「できねぇだろ。ムンゾの国力を考えてみろ。威勢のいいことを云う連中はいるが、どう見積もったって、連邦の二十分の一あれば御の字だ。流石にそれで、戦争を仕掛けるような阿呆はいねぇと思うんだがな」
それは、原作の開戦後における“三十分の一”よりは大きいだろうが、それで勝てると思うような愚者はないはずだ。現状では、ムンゾは局地戦に勝利することは可能でも、最終的には講和に持ちこむのが関の山である、避け得ぬ事態でもない限り、自ら開戦などしたいものか。
「ムンゾは軍備を増強していると聞いた」
マガバンは、食い下がってきた。
「それは、連邦との戦いを予期しているからではないのか。皆、そう噂している」
「ルウムの方が、よほどゴタゴタしているぜ。その辺の沈静化のためじゃねぇのか」
無論、ムンゾの兵力増強は、来たるべき一年戦争のためのものである。しかし、一般にはもちろんそのような話を流布させてはいないし、今現在のコロニー社会の火種は、どちらかと云わなくてもルウムの方なのだ。
「ルウムがそこまで危ういとは、聞いた憶えがない」
「こっちじゃあんまり報じられてねぇのかよ。連邦と、ムンゾのキシリア・ザビ率いる部隊が一触即発、結構ヤバい事態だったらしいぜ。連邦軍の増援は、ムンゾの士官学校生たちの騒乱で、計画倒れになったらしいが」
「――よく知ってるな」
「そりゃあな。“暁の蜂起”とかって、しばらく話題だったんだよ。何でも、ザビ家の御曹司が、作戦指揮をとってたとか――お祭り騒ぎで、こっちにまで連絡が入ったくらいだ」
火星の実際は知らないが、元々で云うところの“ワールドニュース”的な扱いにはなったはずだ。何しろ、連邦軍の駐屯地を、まだ士官学校生でしかなかった若者たちが大破させたのだ。その暴挙と云おうか快挙と云おうか、それは、他コロニーなどでもトップニュースになるくらいの衝撃であっただろう。
それをよく知らぬと云うのなら、間違いなくザーンでは、情報統制とやら、報道規制が敷かれているに違いない。
「どうやらザーン政府は、外の情報を市民に教えたくねぇようだな?」
それと、ザーンにいる“鳩”の目撃情報――ザーンの政庁に、連邦のものが頻繁に出入りしていると云う――を考え合わせると、答えはひとつしかない。つまり、ザーンはコロニー同盟から脱退する、あるいはそれを裏切るつもりがあるのだ――その市民たちの意志を抑えこんででも。
ちらりとタチを見やると、小さく頷きが返った。見立ては同じか。
「政府は連邦寄りだからな。コロニー同盟には、他が全部加わったから、仕方なくってところがあったんだろう。あいつらは、下々の意見なんかには聞く耳持たんってとこなんだろうよ」
マガバンは吐き捨てるように云った。
「……ザーンは、一番最初にできたサイドだから」
と、若者のひとり――二十歳は過ぎているだろう女学生――が、手を捩り合わせるようにしながら云う。
「元々連邦から入りこんでいる勢力も多いみたいで。父や母の世代は、諦めているひとがほとんどね」
大学生の両親と云うと、概ね四十代半ばから五十代半ばくらいだろうか。まぁ、地位もそれなりのものになり、割合体制寄りに傾くものが増える、そのような頃合いか。
「まぁ、社会の中で居場所を得ちまうと、守りに入るもんだからな」
そして、養うべき家族を得たならば、なお。
「日和見か!」
別の若者が叫ぶ。
「おいおい、それに養ってもらってるんじゃねぇのかよ」
「年長者こそが、われわれの見本となるべきなのに!」
「尊敬しろと云うなら、尊敬できる大人でいてもらいたいものだね!」
「……なるほど?」
まぁ、いつの時代の、どこの若者も、云うことはさして変わらないようだ。まぁ、残念なから自分自身、似たようなことを口にしていた憶えはあるので、それをとやかく云うことはできなかったが。
「で、てめェも、その日和った大人の仲間なんだろ」
マガバンが、唇を歪めるように云った。
こちらも負けじと唇を歪める。
「日和ったわけじゃねぇな。歳を食って、より状況が読めるようになったってことだ」
残念ながら、若いうちは、熱情ほどには判断能力は高くないものだ。無論、熱情なしにものごとは動かない、と云うのは正しいが、さりとて熱情に任せて動いた先に何があるかと云えば、甚だ怪しいとしか云いようがないところはある。
だからこそ、本当の学生たちによる政治活動は、頓挫することが多いのだろう。
政治には、ある程度の老練さ、老獪さが必要なのだ。
「何もしねぇ奴が、何を云う」
「学生がシュプレヒコールをあげたって、それだけで何が動くわけでもねぇんだ。声を上げてりゃいいと思ってんなら大間違いだぜ」
声を上げるだけでは、議会や政府に届きにくい。結局のところ、現役の政治家や、引退したがまだ力のある元政治家あたりを掴まえて、そこから自分たちの意見を広く拡散してもらう、あるいは被選挙権が生じるまで待ち、自分自身で意見を世間に訴える、そのどちらかになるだろう。
様々な国で、被選挙権が与えられるのが三十歳以上、と云うのには、ある程度意味があるのだと思う。マガバンのような、やや“厨ニ”っぽい人間が、例えば過激な主張をする政党の広告塔にでもなって、それが若者に人気を博すことがあったとしたら――下手をすれば、ナチスドイツの二の舞になる可能性もあり得るのだ。原作軸のジオン公国も、同じ枠なのだろうと思う。
正直に云えば、原作軸でも、連邦を全面的に肯定することはできない。棄民政策云々は措くとしても、アースノイドとスペースノイドに権利の差を設け、かつ特権階級のみが地球に住む権利を得ると云うのは、人権的な見地からすれば、言語道断だ。
無論、何でも平等にする意味はないとは思うが、実際に可能かどうかは――金銭的に――別として、少なくとも万人が地球に住む権利を得る、乃至は、逆に何人にも地球居住権を与えない、と云う“平等”は必要であると思う。
運不運や生まれた家の貧富の差はあったとしても、少なくとも、努力して這い上がれる可能性があるとないでは、大違いである。努力が実を結ぶ可能性まで奪われては、這い上がる気力すらなくなってしまうではないか。
とは云え、それを暴力のみによって転覆させようと企むことは、やはり筋が違うのではないかと思わずにはいられない。例の“徳なき恐怖”に堕しかねない危険性があると、感じずにはいられないのだ。
その体現者に、目の前のマガバンと云う男がなり得るのではないかと、そう危惧してしまうのである。
その芽をここで摘んでしまおう、とは、流石に思わないが、注視しておくべき存在ではあるだろう。
マガバンは、大きく唇を歪めた。
「何もしねぇヤツに云われても、説得力なんかねぇよ」
「してるさ。少なくとも、選挙には行ってる」
と返すと、鼻を鳴らされた。
「そんなんで世の中が変わるもんかよ」
「そうやらねぇと、何も変わんねぇよ」
それ以外の手段では、大きな反動がくるだけだ。
曲がりなりにも民主主義を標榜する社会であれば、そう云う手段で変革していかなくては。
「力ずくで変えられることなんか、ほとんどねぇんだ。“中の上”を自認する連中は、現状を追認することしか考えねぇ。そいつらに力ずくで変革を迫ったって、憎悪を呼び起こすだけの話だぞ」
急激な変革を、“中流の上”だと思っている人間は喜ばない。己の足許が揺らぐような気がするからだろう。革新を推すのは、実は下流ではなく上流に多い――リベラルであるためには、学歴と財産が必要であるらしいのだ。
社会の階層がそのようであるならば、それを突き崩すには、啓蒙活動が必要になるのだろうが、強固に組み上がったものを崩すのは、一朝一夕では適わない。とにかく、現状に対する違和を引き出すことからはじめねばならない。そしてそれは、暴力的手段では絶対に適わぬことなのだ。
「それくらいなら、現状を維持することで、個人が被るだろう不利益を数え上げていった方が、まだマシだな。人間、公共の利益に興味のないヤツでも、自分に直接利害があるとなりゃ、無関心ではいられねぇもんだからな」
「――てめェ、本当に火星の警備員なのかよ?」
「俺も、昔はそう云うことをやったことがあるんでな」
昔と云うか、幾つか前の“昔”だが。
「なるほど、“まっとうな仕事”に就き損ねたってか」
嗤い。
「そんなとこだ」
まぁ実際には、ギレン・ザビは学生運動家から政治畑に移り、無事に軍人にまでなったのであるし、こちらも、やったのは“学生運動”ではなかったのだが。
「だからまぁ、コイツは年寄の繰り言みたいなもんだ。だがまぁ、前途有望な連中が、同じ轍を踏もうとしてるかと思うと、見てらんなくてな」
「――僕はまた、噂に聞く“伝書鳩”とかなのかと思ってました」
ヤンが呟くように云う。
鋭いな、と思うが、生憎と“鳩”なのはタチだけであるし、しかも前線の人間でもない。
案の定、タチは呆れたように溜息をついた。
「“オルガ”のどこが諜報員向きに見えるんだか。そう云うの、向いてないんだ、この人は」
「まぁ、向いてねぇな」
割と気配が煩いと云うか、こちらが知らないのにあちらは知っている、と云うことがままある――それは、“ギレン・ザビ”としてばかりではなく――ので、根本的に忍ばなくてはならない諜報部員には、どうやってもなれないとは思う。
「てめェはどうなんだ」
マガバンの問いかけに、タチは肩をすくめた。
「私が諜報員っぽくみえるとでも?」
そう云うと、学生たちは押し黙った。
本当の諜報部員は、この場ではタチだけである。
とは云え、直球で切り返されると、ひとは結構な割合で、自説を主張し続けにくくなるものだ。
そのあたりは、人間心理を突いたタチの勝ち、と云うことか。
ともあれ、話はこれで終わり、無事に解放される運びとなったのだった。
「僕、結構自信があったんですけどね」
表通りまで送ってくれると云うので、ヤンとともに夜の道を歩いてゆく。
「何がだ?」
「“伝書鳩”かも、って云うのがですよ」
残念そうに云ってくる。
「“伝書鳩”が、こんな目立つヤツなわきゃねぇだろ」
肩をすくめてやるが、ヤンはまだ首をひねっている。
「でも、あなたたち、あんまり普通な感じがしなかったので――オルガさん、すごく偉そうだし」
「それはよく云われる」
元々の方でもそうだった。別に、特に特殊な仕事をしていたわけでもなかったし、それこそ学生運動や労組活動をしていたわけでもなかった――そう云う世代でもなかったし、フリーターに毛の生えた程度の仕事でしかなかった――から、何がどうと云うこともなかったはずなのだが。
「まぁ、確かに偉そうですもんね」
タチがにやにやと云うのに、
「そう、それにビスケットさんが敬語だから」
「あ?」
「同僚だって云ってるのに、オルガさんに敬語使ってるでしょう。だから、てっきり……」
「俺の方が五つくらい上だからだろ、それは」
タチの正確な年齢は知らないが、『the ORIGIN』でギレン・ザビが三十五歳の時に、タチは少尉だったことを考えると、おそらく当時二十代半ば、つまり現時点では三十を少し過ぎたくらいのものだろう。こちらが現在四十過ぎなので、下手をすると十歳以上違うことになる。それは、位階の差を措いたとしても、多少丁寧にもなるだろう。まぁ、最近はあまりにぞんざいに扱われているので、あまり気にしてはいなかったが。
「えぇ、まぁ一応ね」
「本当に“一応”だよな、お前、俺を何だと思ってるんだ」
「それはもちろん、“オルガ・イツカ”だと」
「……そうかよ」
ありがたいような、そうでないような、何とも複雑な心境である。
「信頼関係があることは、僕にもよくわかります!」
と云われても、あまり嬉しくもないような。
――まぁいい。
「とりあえず、あんまり危ない真似はすんなよ」
「はい、運動に差し障りのない程度には」
それは、あのマガバンがリーダーである段階で、かなり危ない橋を渡ると云うことなのではないか。
しかし、ヤンたちも幼い子どもではないのだし、自己判断で何とでもするか。
「……まぁ、頑張れよ」
「はい。ザーンにいらした時には、またお目にかかりたいです」
「機会があればな」
表通りに出たところで別れたが、ヤンは、しばらくその場で見送ってくれた。お育ちが良いようだ。
「――あの子、欲しいですねぇ」
ヤンの姿が裏通りに消えたのを確かめて、タチはそう呟いた。
「“鳩”か」
「われわれくらいのムンゾ訛りを聞き分けるのなら、いろいろ使えるでしょう。ザーン駐在のに、チェックだけさせておこうと思います」
「まぁ、連中の運動の行方次第では、あいつも前科持ちになる可能性があるもんなぁ」
政治犯と云うのは、そのあたりが他の犯罪とは異なっているのだ。つまり、所謂刑事法に触れるようなことをしていなくても、政治信条次第で“犯罪者”扱いされるかも知れない、と云う部分において。
「あそこにいた連中は、概ね坊ちゃん嬢ちゃんの域を出ちゃいないが――あのマガバンってのがな……」
“花の女神(男)”と云う名の典雅さとは大違いだ。それくらいなら、同系の名前でも、まだ幼いフロリアンの方が余程も典雅と云えるのではないか。
「そっちも注意しておくように云っておきましょう。そこまで大きな波が起こるとは思えませんが、ひょっとしてひょっとするかも知れませんしね」
「頼む」
変な時に暴発されると、こちらの算段が台なしになることもあり得るのだ。
せっかくここまで辿りついたものを、そんなことでぶち壊されたくはない。
しかし、
「まぁ、ここの火種は他にもあるんだろうしなぁ」
お育ちの良い学生たちが、あれくらいの徒党を組むくらいだ、表に出ていないだけで、もっと多くの“火種”がザーンには燻っているに違いない。
「あの坊ちゃんたちは、意識が高いのかも知れませんよ」
とタチは云うが、それなら対ザーン政府ではなく、一般的な人権運動でも良かったはずだ。人権、貧困問題、環境問題など、“意識の高い”若者たちが興味を寄せそうなことどもは、世界に溢れているのである。
そう云うと、
「対連邦の件は、人権問題のうちでしょうよ」
と云われた。
ただ、それならば、マガバンのような男を担ぐ必要はないはずだ。
「厨二病とやらの可能性もあるよな……」
「何ですそれ」
「あー、十四、五のガキが、いきがってこう……あるだろ」
「あぁ……」
ありますね、と頷きが返る。
「学生なら、まだああ云う、ちょっと頽廃的なのに引っかかってたりするだろ。あの類じゃねぇかと思うんだよな」
後年“黒歴史”化する、あれである。
――そう云や、“黒歴史”って言葉はガンダム由来だっけな……
宇宙世紀ではなく、『∀』のことらしいが。
「それで後々記憶を封印したくなるんですね。わかります」
と云う、タチにもそんな黒歴史があるのだろうか――まぁ、誰しも黒歴史のひとつやふたつ、持っていても当然だろうが。
「ともかく、マークはしといてくれ。使えりゃ御の字だし、使えなくてもそれも御の字だからな」
「あの“王様”に関しては、使えないでいてくれた方がありがたいですね……」
「まぁな」
それを祈るばかりである。
ともあれ、その夜はまっすぐホテルに戻り、さっさと眠った。
翌日から、観光と見せかけて、ザーンの官公庁まわりを彷徨いてみた。
大概の首長公邸や議事堂がそうであるように、ザーンのそれらも見学が可能だったので、おのぼりさん宜しく見学ツアーに参加した。
公邸も議事堂も、流石に歴史のある建物で、その建築様式などを見るだけでも面白い。ムンゾではあまり見かけない本物の大理石――貝やウミユリの化石らしきものが見えるような――の階段、漆喰の壁など、何と云うか、初めて宇宙に上がった人びとが持っていた、官公庁らしい建物のイメージをそのままかたちにしているのが、微笑ましいような気分にさせるのだ。
「まぁ、こう云うのはザーンにしかないだろうな」
「他は、“今風”の建築ですからねぇ」
いかにもそれらしく、緩やかなカーブを描く階段や、吹き抜けの天井から滴り落ちるシャンデリアなどをカメラに収める。
ムンゾにも、こういうものがないとは云わないが、原作でアストライア・トア・ダイクンが幽閉された塔だの、ムンゾ大学の時計塔だの、そう云うものくらいしかない。地球以外の“歴史的建造物”と云えば、ほぼザーンに固まっているようなものだろう。
「この大理石なんか、まぁ板を張ってるんだろうが、人造じゃあねぇもんなぁ」
流石に元々でのようなのっぺりしたものではないが、人造大理石と云うものは、やはり何とも味気ないものなのだ。
その点。このザーン議事堂の大理石の柱や階段は、化石の含まれた見事なマーブルで、これが宇宙で作られたものではないのだと、如実に表していた。
これが2cmほどの厚みしかなかったとしても、均質な石を切り出し、整形して宇宙に上げるには、途方もない手間と金銭が必要だっただろうことは、想像に難くなかった。
「この白い大理石は、イタリア半島のカッラーラで採れたものなんですよ」
ガイドをつとめる女性が、誇らしげにそう口にした。
「カッラーラって、まだ採石場があったのか」
何しろ、ミケランジェロが愛して様々な彫刻の材料とした石の産地である。ルネサンスよりもっと前、古代ローマの神殿も、カッラーラの大理石で作られたのだと云う。
そうであれば、いくら元々の方――二十一世紀初頭――ではまだ稼働していた採石場であっても、そろそろ掘り尽くされてしまったのではないかと思っていたのだが。
反応があったことに気を良くしたのか、ガイドの女性はにこにこと笑った。
「ここに使われたのが、カッラーラでも最後の大理石だったそうですよ。ですから、ザーンは様々な意味で、地球の歴史と宇宙を繋いでいると云うことですね!」
そして、笑顔のままこちらを見、
「それにしても、よくご存知ですね! 大理石なんて、今や人工がほとんどで、ザーンでも、地球産の天然石はここくらいにしかありませんのに」
「……以前、地球に行ったことがあるんだ」
まさか、地球に降りたこともない人間が、天然の大理石を見たことがあるとは云えるまい。まぁ、嘘と云うわけではない――それが“今生”の話ではないと云うだけで。
「真っ白な彫刻があって、それがカッラーラの石だって云われたんだ。古いもんだって云ってたから、その産地がまだ生きてたとは思わなくてな」
「それは羨ましいですね!」
とガイドは云った。
「私も、古い建築物に興味があるのですが――短期の滞在でも、なかなか許可が下りなくて。古い建物だと、大理石だけでなく、木材や土でできたものもあると聞きました。死ぬまでに、一度は見てみたいと思いますが、できるかどうか」
そう云って、ガイドはにこりと笑った。そうして、また通常の案内に戻っていく。
「――よくご存知でしたね」
タチが小声で囁いてきた。
「好きな彫刻があってな」
イタリアには行ったことがあった。ミケランジェロの、ダヴィデはレプリカ――シニョーリア広場のあれだ――しか見られなかったが、ピエタはヴァチカンとミラノの二ヶ所で見た。日程が良くなくて、あまり多くは見られなかったが、それでも滅多にできない体験だったと思う――宇宙世紀に来た今となってはなおさらに。
「マ・クベではないが、地球は文化財に満ちている。それを宇宙に上げるのはリスキーだが――手元に置きたくなる気持ちはわからんでもないな」
それは、金銭と様々な条件が揃うなら、推しの絵画や彫刻のひとつくらいは手元に置いてみたいとは思うが――そもそも個人が買えるようなものでもなし、せいぜいレプリカを愛でるくらいが関の山だろう。
「あぁ、あの方はマニアですからねぇ」
タチが頷く。
「だが、本当の良品は、マ・クベのコレクション以上だ。過去の王侯の権力の大きさが、あれを見ると実感できる」
「……まぁ、いろいろご存知で」
「美術館は結構回ったからな」
故宮博物館の磁器の数々、仏画、絵巻物、所謂泰西名画の類から、ギリシア・ローマの発掘品、ミケランジェロの彫刻ももちろん。それらが、今の“教養”の幾ばくかを形成しているのだ。
「芸術の教養は、あった方がいいとは思うな。別に蘊蓄を傾ける必要はねぇが、センスを磨くのは後々役に立つ」
「良いものを良いと思える感性、ってことですか」
「良いものを知ってりゃ、悪いものの見分けがつくだろ?」
まぁ、美術評論家のような連中だって、同じ絵の中のあからさまなタッチの違いがわからない――あるいはわかろうとしない――ものも多いから、知識と鑑定眼は、やはり異なるしろものなのだろうが。
「それと、コロニーの行末に、どんな関係が?」
「マ・クベじゃないが、コロニーの人間が下に見られる理由のちょっとくらいは、地球の“昔ながらの教養”ってのが関係してるんじゃないかと思ってな」
元々の方でも、“エリートは美意識を鍛える”とやら“アート思考”とやら、芸術を――頭ででも――解さない人間は一流ではない的な言説が流行っていた。
まぁ、云いたいことはわからぬではない。古くは王侯貴族が美術品を蒐集し、産業革命の後は、それが資本家に変わっていった。いずれにせよ、豊富な資金と代々培われたセンスが“上流階級”の証であった時代が、確かに存在したのである。
それをそのまま引き継いでいるとは思わないが、つまり、上流階級のステイタスとして、一定以上の価値のある美術品を所持すること、それが難しければ芸術を解し、その鑑賞を趣味とすること、あるいは自身でもアートを創作すること、あたりが求められる部分はあったのだ。江戸時代の殿様が、書画や音曲、茶道や華道、あるいは刺繍などを嗜んだように、それは紛れもなく、ある種の出自の証明ともなったのである。
残念ながら、スペースノイドにそのような“教養”を重視する風潮はほとんどない。宇宙と云う、コロニーと云う厳しい世界を生き抜くのに、そのような役に立たない知識を得る意味がわからない、と考えるものが多いのだろうが――それが、連邦の上層部の軽侮を招いている部分はあるのではないか。
などと云うことを、ざっくりと話すと、タチは溜息をついて、
「上つ方って云うのは、いろいろと面倒なもんですねぇ」
と呟いた。
「まぁ、コロニーだって、わかってる奴はわかってるだろうがな、何しろ現品がねぇんだ、どうしてもその辺は、なぁ」
レプリカか高画質3D映像か、そんなもので見るしかなくなるのだ。
先刻のガイドの科白は、おそらくアートを志す――それは学芸員のようなかたちかも知れないが――スペースノイドに共通する嘆きであるのだろうと思う。
「その辺のことも、変えていけたらなぁと思うよな」
そう云ってやれば、タチは違う溜息をついて、
「アンタの野望は、どこまでいくんですかね……」
などと返してきた。
一週間をザーンで過ごしたので、そろそろリーアに移動することにした。
連邦の人間らしい、少々目つきの鋭い連中を、議事堂や公邸などの見学ツアーの途中で見かけはしたが、こちらも偽造IDで入っているのだし、あまり突っこんで、余計な事態を引き起こすのは御免だったので、横目で見るだけに留めておいた。タチが何やら連絡していたので、おそらくそれらの連中には“鳩”が張りつくことになったのだろう。
視察の甲斐があったのかどうかは怪しかったが、他サイドの空気に触れることができたのは僥倖だったと思う。
――まぁそれに、元々休暇のつもりだったわけだしな。
視察などと云うのは方便で、つまりムンゾ以外を物見遊山してみたい、と云うのがメインであるのだし。
そういう意味では、ザーンよりも、次のリーアこそが本命と云うことになるだろう。
何しろリーア、サイド6はアムロと“シャア”、そしてララァ・スンが初めて生身で遭遇したところだ。つまりは“聖地巡礼”と云うものである。
あの白鳥のいる湖がどのバンチにあるのかはわからないが、地球と違って、他処から自然に飛来するわけでもない、訊けば場所はわかりそうに思える。
――調べて、行くだけ行ってみるか。
この時間軸では、存在しない“聖地”になるが。
何しろ、既にあの三人は出逢っているし、そもそも敵味方にもなってはいない。“シャア”はキャスバルのままであるし、アムロもムンゾに来てしまっている。その上、ララァが狙う相手は、キャスバルでもアムロでもないときているのだ。
――そう考えるとカオスだな。
シャア(本人)がキシリアと婚約していたり、セイラ・マス――アルテイシアが“ガルマ”と婚約していたり。
「――楽しそうですね」
タチが、若干恨めしそうな声で、そう云ってきた。
「そりゃあな。何しろ、初めてのところばっかりだ」
初期の“伝書鳩”であるタチは、任務であちこち出向いていたが。
「アンタはそうでしょうけどね」
とつけつけ云う様は、とても軍人の、しかも部下であるとは思えない。まぁ、お蔭でいろいろと疑われ難いような気はしている。
「お前は、リーアも行ったことがあるんだろ?」
「えぇ、まぁ……あの頃は、私ともう二、三人しかいませんでしたからね」
「……あぁ、そう云やそうか」
機密性などの観点と、本当に伝書鳩的な任務だったので、人員は片手の指にも満たない数でしかなかったのだ。あの頃は、まだ“鳩”は伝書鳩でしかなく、諜報員的な仕事をさせる構想も持ち合わせてはいなかった。
今でこそ、“伝書鳩”は原作のキシリア機関に匹敵する、あるいはあれを凌ぐほどの規模にまで成長したのだが、あの頃は名前だけつけてそれらしくしたくらいのものだったのだ。
「そう考えると、感慨もひとしおだな」
スーツケースを預け、身軽になって検査場へ。タチも、こちらも半月以上の旅行にしては、かなり荷物が少ないだろうと思う。まぁ、身軽でなくては、もしもの事態に対処しにくいと云うのはある。
無事にボディチェックも通過し、搭乗口の方へ歩いてゆく。
と、足許の方に衝撃があった。
見れば、小さな子どもが転がっている。どうも、走ってきたのにぶつかったようだ。が、こちらが大きく、相手がとても小さかったので、ぶつかった方が跳ね飛ばされた格好になったらしい。
「大丈夫か?」
手を差し伸べると、大きな瞳がきつくこちらを睨みつけてきた。
青いような黒髪と、深い色の瞳、全体的に整った容貌ではあるが、その表情は幼児にしては険しく、癇症の強さを思わせる。中性的な顔立ちだが、まぁこれは男の子だろう。服の色にしても、青や紺中心であるし、シャツに半ズボンと云う出立ちは、いくら宇宙世紀であっても、あまり女の子のしそうな恰好ではない。
どこかで見たような顔だな、と思うが、どう見ても小学生になるかどうかと云う幼児である。ゾルタンどころかフロルより小さいようにも思われるのに、これで見憶えも何もあったものではないだろう。
と、子どもが、こちらの手を払って叫んだ。
「いたいじゃないか!」
あやまれよ! などと云うが、ぶつかってきたのは子どもの方である。
「ぶつかってきたのはそっちだろう。公共の場所では走るなと、ママに教えてもらわなかったのか?」
揶揄うように云うと、図星だったのか子どもは頬を上気させ、
「うるさい!!」
云いざま拳をくり出してきた。
この感じ、既視感がある。
「あっぶねぇなぁ」
と云いながら、頭を上から押さえつける。もちろんこちらの方がリーチはあるので、じたばたされても攻撃がこちらに入ることはない。
「はーなーせーっ!!」
遂に足まで出てきた。
やはり、見憶えと云うか、既視感が。
騒いでいるためだろう、人が、遠巻きにではあるがこちらを見ている。
「放したらどうするつもりだよ?」
「なぐる!」
「じゃあ、放せねぇなぁ」
殴られるとわかって放す馬鹿はいない。それが子どもの拳でも、痛くないわけではないのだし。
そんなやり取りをしていると、さらに人が増えてきた。警備員は出てこないが、どこか面白がるような空気があるからだろう。別に危害を加えているわけではない、と云うか、加えられそうになっているのはこちらの方だ。
「……っちょ! この子の保護者の方!!」
タチが叫ぶ。
まわりがざわつく中、
「……カミーユ!!」
四十絡みの女がひとり、人垣の向こうから駆け寄ってきた。
女は子どもを抱きしめると、こちらに向かって何度も頭を下げてきた。
「すみませんすみません! ほら、お前もちゃんと謝って!」
「だってかあさん、こいつが!」
「カミーユ!!」
母親に叱りつけられ、子ども――間違いなくカミーユ・ビダン――は、ふくれっ面になった。
「ほら、謝るのよ!」
「……ゴメンナサイ」
いかにも棒読みな謝罪。
「いい態度だなぁ、カミーユ坊や?」
馬鹿にしたように云ってやると、きっと睨みつけてくる。
「うるさい!」
「そうやって、相手との力の差を考えもしないで噛みついてると、いずれ痛い目を見るぞ」
「だまれ! おまえなんか、ぶっとばしてやる!」
「可愛い顔して、威勢のいいこって」
「おんなみたいっていうな!!」
叫びざま、殴りかかってくる。
が、アムロ、ゾルタン、フロルの“ジェットストリーム膝かっくん”とやらで鍛えられている身には、この子どもの攻撃は、生ぬるいとしか云いようがなかった。
ひょいひょいと避けていると、むきになって殴りかかってくる。まさしく、あのカミーユに違いない。
「“オルガ”! いつまで遊んでるんです!」
遂にタチが怒鳴った。
「早くしないと、船が出ちまいますよ!」
「おっと、すまんすまん」
最後に子どもの拳を掌で受け、そう返してやる。
「じゃあな。この後は、ちょっとはおとなしくしとけよ」
「うるさい! おまえこそ、おんなのなまえじゃないか!」
「自分の厭なことを、他の人にしちゃいけませんって、ママに教わらなかったのか?」
女名前――実際には、“カミーユ”は男の名前でもある――にコンプレックスのある子どもを揶揄ってやるが、母親が申し訳なさそうな顔をしただけで、当の本人にはまったく響いた様子はなかった。
「うるさい!!」
「ママが苦労するはずだな。良い子にしてろよ、カミーユ坊や」
じゃあな、と背中越しに手を振ると、また、
「うるさい!! こんどはぜったいなぐってやる!!」
と云う声が返ってきた。
「……ありゃ、大変な子ですね」
早足で歩きながら、タチが呆れた声で云ってきた。
「あぁ……まぁ、あれはしょうがねぇな」
何しろ、宇宙世紀最高のニュータイプと云われた少年である。
数々の迷言――「何でそんな簡単に人を殺すんだよ! 死んでしまえ!」や「歯ぁ食いしばれ! そんな大人、修正してやる!!」など――を鑑みるに、まぁ、ああ云う幼年期であるのは想定の範囲内ではあるのだろう。
『Z』視聴時は、カミーユの両親に対して、あまり良い印象を抱いてはいなかったのだが――あぁして見ると、多感過ぎる息子を扱いかねていた可能性は否定できないなと思う。まぁ尤も、そのカミーユの性格の何分の一かは、両親から受け継いだ遺伝的な部分であるはずだから、仕方のないところはあるのだろうが。
実際、『Z』内の描写でも、両親、特に父親の冷血ぶりと云うのは、中々のものがあったようだった。鶏が先か卵が先か、しかし、幼児において、遺伝と環境の要素は、特殊な事情――親と死別したり、あるいは遺棄されたり――がない限りは一体なので、つまり、推して知るべし、と云うものである。
それはともかくとして、
「カミーユ坊やを調べさせろ」
と云うと、タチには盛大に顔を顰められた。
「まさかと思いますが、あんな小さな子に、報復しようってお思いじゃないでしょうね?」
「まさか」
一笑に付す。
「そこまで狭量じゃねぇつもりだ。そうじゃなく、あの子ども、少し気になることがあってな」
「何です」
「“弟”に引き遭わせてみたいのさ」
「えっ、ガ……」
その名を口にしかけ、慌てて掌で押さえる。
「……上のお二人じゃありませんよね?」
「お前の考えで間違いない」
頷いてやる。
「あれに遭わせれば、“面白いこと”になるんじゃないかと思ってな。まぁ、状況が許せばの話だが」
仮にも上官だったクワトロ・バジーナを、「修正してやる!!」などと叫んで殴るような少年が、“ガルマ”に出遭ったら、どんな反応になるものか。
が、タチは戦慄しただけのようだった。
「恐ろしいことを云わんで下さいよ……」
「そうか? あれくらいなら、あれは軽くいなせるだろう。何しろ、俺がどうにかできたくらいだぞ」
普段から、アムロ、ゾルタン、フロルの三人を相手にしている――うえに、元々格闘技をやってもいた――“ガルマ”ならば、“ニュータイプ”のように思考波をぶつけることはもちろん、物理的にどうにかするにも楽勝だろう。
まぁ、クワトロ・バジーナでないキャスバルと、どんな関係が築かれるのかは不明だが、原作より悪いことになるとは考え難い。ぶつけてみるのも一興、と思うのだが。
とは云え、日々“ガルマ”に悩まされている身としては、そこにもうひとつさらなる要素が加わるのは、あまりありがたい話ではないか。
それ故に、
「お前の気持ちはわからんでもねぇよ、“ビスケット”」
と云うと、厭な空気を出す気配があった。
「そこは、アンタも含めてのことだって、ちゃんと理解して戴きたいもんですね」
容赦ない言葉が返る。
「一応、俺が上司のはずなんだがな……」
「それは重々承知ですがね、アンタ方ご兄弟は、もう少し自重して戴きたいんですよ、心底から!」
「おかしいな……」
“ガルマ”ほど酷くはないと思っていたが、この云われようはどういうことか。
「とにかく、急ぎますよ。あぁほら、時間ぎりぎりじゃないですか!」
遂にタチは小走りになった。
搭乗口はもうすぐそこだ。残りの乗客を確かめるような職員の姿はないが――それは、元々の方の流儀に慣れすぎているからか。他国では、あまり積み残し客の確認はしないのかも知れないし。
ともかくも、置き去りにされることなく目的の船に乗りこむ。その後で、最後の乗客と思しき一群が、アテンダントに先導されて乗りこんできた。
そしてようやくハッチが閉まり、船は宙港を滑り出して、リーアへと出航した。