“ギレン”からのオーダーは、ガルシア・ロメオの監視――暴挙に出るようなら制圧もやむなし――と、サイド7への哨戒偵察だ。
思えばおかしな話だよね。
そもそも、ガルシア・ロメオの任務がサイド7の監視だってのに、さらにそのガルシア本人を監視しろってんだから。
二度手間も良いとこ。こんな茶番は、“ギレン”には似つかわしくないのに。
いかにムンゾが人材不足って言ったって、掘り出せば居るだろ、ひとりやふたり、ガルシアに代わりそうなあたりなら。
居ないなら引っ張ってこいよ。もしくは育てるとか。
人材不足を嘆いてるだけじゃ、ひとは降って来ないんだからさ。
ぷうぷう文句を唸りつつ、まずはおれのやるべきことを。
「ね、“dove”は見つかりそう?」
イタリア語では“探しもの”で、英語ならまんま“鳩”――つまり“伝書鳩”のこと。
ちょっかいかけない約束だから、いたずらに衝突しないためにも把握しときたいんだ。
こっちの計画の障りになるといかんし。
「目星はついてる。あとは絞り込むだけだな」
リノがニヤリ笑う。
「早いね……そうそう尻尾を掴ませるとは思えないんだけど?」
そんなに簡単に見つけられるほど、アイツらマヌケじゃないし。
「掴んじゃないさ。見当をつけたってだけ」
「どうやって?」
「“対象”を監視できる範囲と、その辺と交流がある連中をピックアップしてるんだよ」
そう答えたのはルーだった。
「通信記録やらなんやらに痕跡残すよーな“先輩”はいないけどさ、どーしても動かなきゃならない範囲ってあるじゃん?」
ケイが唇を尖らせる。
「それにしたって」
巧妙に振る舞ってるだろうアイツらを特定するのは至難の業だ。
パチクリと瞬きしたら、3人ともに、チェシャ猫みたいな笑みを顔に貼り付けた。
「“対象”はガルシアだけじゃないぜ」
――……そういうことか。
“鳩”の監視対象は、ガルシアとおれ――“ガルマ・ザビ”だ。
だけど貴重な“鳩”をそんなに多く送り込むことはできない上に、おれはこれまでガルシアに寄らずに過ごしてた。
ニ方向、場合によってはおれと同様に警戒されてるだろうリノ達を含めて三方に気を払わなくちゃならない。
どこかにオイラー図ができてるってこと。
「いまんとこ、絞り込んでるのはこのへんな」
「……ポール・フーカー、オロフ・アンデルベリ……………んん? リヒテン・ノビル??」
おれの上官になるはずだった男だ。
「なんつーか、あやしいったらあやしーんだけどさ、どっちつかずでビミョー」
「だけど、無視できない何かがあるんだよ」
ケイとルーが顔を顰めてる。
ふぅん。この二人の勘に引っかかるなら、ビンゴかも。
「あとは、こっちのメリー・アンな。“鳩”ってわけじゃなさそうなんだが」
「それ! 謎の女!!」
「………メリー・アン?」
隠し撮りされただろう写真には、いかにも地味な女性士官の姿が写っていた。
年頃から言えばさほど変わらず――ってことは、同期か先輩か。
そこで首をひねる。
んんん? 思い出のどのシーンにも彼女は存在してないんだが。
士官学校はもともと女子が少なくて、なおかつ卒業する頃には更に減ってるから、野郎よりも記憶に残りやすいのにね。
「俺たちの記憶にはなくてな」
「ここまで地味だと逆に覚えてそうなんだけどさー」
「わざと地味を装ってる感が無きしもあらず?」
4人全ての記憶にないってことは、同回生には居なかったって断定しても良いレベル。
「位階は?」
「襟章は少尉だった。聞けたのはメリー・アンって名前だけ」
リノが――なるほど。この写真もリノが撮ったものか。
「所属は?」
「……割れてねーの」
ケイの返事に、今度こそ目を剥く。
なにそれ。怪しいどころの話じゃないぞ。おそらくは艦のシステムに侵入してるだろうケイが所属を特定できないなんて――それって、“どこにも存在しない”ってことだろ。
つまり、“ゴースト”。
危険信号がペカペカしだす。
「このこと、“上”には?」
「まだ」
だよね。迂闊に報告したら、なにを嗅ぎ回ってんのかって藪蛇つついた感じになるし。
でも、いずれ知らせんわけにはいかない案件。
できれは彼女の正体を暴いてから。
マジマジと写真を見る――栗毛のロングをざっくりと結って、サイドの髪が頬のラインを隠してる。顔の向きは斜めで、何かを熱心に眺めてる様子。瞳の色はわからない。顔立ちは整っている方で、化粧映えしそう。
首は襟でキッチリと締められているものの、袖は少し長い。ちょうど手の甲が隠れるくらいか。
――んんん?
なんか引っかかったんだけど、なんだっけ?
「ちなみに、そいつの視線の先はガルマだよ」
それがなにか思い出せないうちに、ケイから新情報がきた。
――ふぅん?
「じゃあ、この娘捕まえよう」
“ゴースト”をそのままにしとけないからさ――万一、連邦の“ネズミ”だったらコトだし。
「少し難しいね。リノがそれとなく近づいても逃げるんだよ」
なんと。コミュニケーションスキルMAXに近いリノから逃げると。
うわ、ますます怪しいわ。
「どうする気だ?」
「その娘、僕に興味があるみたいだからさ」
ニコリと微笑んだら、三様に顔を顰められうた。
「ハニトラする気かよ?」
「まさか。こちとらキャスバルみたいなイケメンじゃないんだよ」
スンってなった。
本家のガルマ・ザビならまだしも、おれ、“ガルマ・ザビ”だし。
お前たちだって覚えてるだろ。在校中、女性士官候補生たちからのアプローチが皆無だったことを……しょんぼり。
「そりゃ…ま、まぁ、ほら! ガルマは婚約者がいたしさ!」
「そーそー!」
「ザビ家だし気後れするよね!」
なんて、そんなに必死に慰めてくれなくても良いよ。
「確かに僕にはお姫様がいるからね」
なんの不満があるものか。アルテイシアが微笑んでくれるのならそれで良い――今生のおれは一途なんだ。
ただ、ハニトラを否定しただけだし。
「監視対象が僕なら、近づいたらアクションくるんじゃないかな?」
「動いたところを捕まえるのか」
「そう」
物理敵な拘束はお前らにお任せする。
「じゃあバグ着けてってー」
ケイが渡してくるのは盗聴器だ。確かにバグ――小さな虫みたい。
「充電式?」
「そー。スイッチ押してから5時間しかもたんけど、充分だろ?」
「だね」
ニコリと微笑みあって。じゃあ、“子ねずみちゃん”を狩りに行こうか。
意識して見れば、“ゴースト”はちょいちょい目につくようになった。
素知らぬ顔で、徐々に距離を詰めていく。
周りにはコウガ達がいるからガヤガヤと賑やかで、意図せず隠れ蓑になっているような状態だった。
気付かれてないと判断してか、“彼女”の方からも少しずつ近づいてきている様子。
そして、なんだろ。
日を追うごとに、だんだん可愛くなっていくんだよ。
見間違えとかじゃなくて、絶対に変化している。
派手さを抑えた清楚かわいい系。
肌がきれい。長いまつ毛に縁取られた瞳は柔らかなブラウンだった。
ふっくらした唇は艶のあるアプリコット。
栗色の髪の髪を緩く編み下げて、片方の肩に流してる。
周囲の野郎どもも、チラチラと目を向けてるし。
リノ達も警戒を始めてる――今度はむこうがハニトラ仕掛けてくるんじゃないかって。
そして本日、昼時にとうとう直ぐとなりのテーブルで食事を摂ってる彼女の姿に、コウガがポカンと見惚れてる。
「(カワイイ! あの子カワイイ!!)」
モブリットはコソコソ言いながら両手をわきわきさせてるし。
「(ヘレンの方が可愛いぞ)」
って、ワニ、付き合ってんの? ヘレン・ネイワンドと。
一人だけ反応がないと思ってたニケは、いい笑顔で手なんか振ってるし――え、手を振ってる?
くるりと視線を戻したら、控えめな笑顔をたたえた“子ねずみちゃん”が直ぐ側まで来ていた。
反射的に、隠し持ったバグのスイッチをオンに。
直ぐにケイに伝わるはずだから、彼らも聞き耳を立ててるだろう。
「こんにちは」
描けられた声に、挨拶に習い性になった微笑みを貼り付けた。
「こんにちは、少尉殿」
チラッと襟章に目をやってから答える。
こちとら一般兵士だからさ、階級が上の人間には敬礼しないと。食事中でもさ。
ふっと息をついて、士官学校で完璧に仕上げた角度で姿勢を正せば、同じ席にいた全員がピシリと。
それに“子ねずみちゃん”は、ふふっと可愛らしく笑みを溢した。
「固くならなくて良いですよ。本来ならあなたが上官だったかも知れません」
「いいえ。僕は一兵卒に過ぎませんので」
その辺をなぁなぁにすると、あまり宜しくないのさ。
「始めまして。“ガルマ・ザビ”一等兵です。こちらはパイロット訓練で同期のギュスターヴ・モゥブ曹長、そしてモブリット・ローズ上等兵、ニケ・ダンジェロ一等兵、コウガ・ゴトー二等兵です」
とりあえず、同期の皆をご紹介。
“子ねずみちゃん”は柔らかい表情で、一同の敬礼を受け入れた。
「ご活躍は聞いています。メリー・アン少尉です。よろしく」
「……もしかして先輩でしたか?」
小首を傾げて訊いてみる。
その年で少尉ってんなら、士官学校を出てるはずだろ。
「そうですね?」
ニコリと。はっきりとした肯定じゃないけど、否定でもない。
だけどそれを肯定と受け止めて、モブリットが身を乗り出した。
「その頃のガルマってどんな感じだった…の…でしょうか?」
興奮にか砕けかけた口調を、ぎりぎりで修正した模様。
「有名人でしたよ。ザビ家の御曹司ですし、ご友人方も錚々たるメンバーで」
なんて当たり障りない回答。でも、モブリット達には物足りなかったみたい――だろうね。
「もっとおもしれー話あるンすよね?」
おい。コウガ。
「そうですね……本人を前にしては気が引けます」
「ガルマはンなこと気にするタマじゃ無いっすから、気にせずにドンと!」
おい。コウガ。おい。
でもまぁ、これにどう答えるかは判断材料のひとつにはなるよね。
「アン少尉は、ガルマの一回上なんですか?」
ニケも質問してる。
「あら。女性の年齢に関わるような質問はご法度ですよ?」
いたずらっぽい口調。むぅ、これも躱すか。
ならば。
「在学中にあまり交流はありませんでしたよね? 少し残念です。こんなに素敵な先輩がいらしただなんて」
渾身の微笑みで懐柔を試みたら、隣からモブリットが。
「やん! ガルマカワイイ!!」
って締め上げてきた。ギブギブ!
――助けろお前たち!!
うごうご呻いてるおれを、コウガとニケがモブリットの腕の中から引っ張り出してくれる。ああ……酸素大事。
「みなさん、ガルマさんがお好きなんですね!」
なんでか知らんが、メリー・アンがキラキラしだした。
好きかどうかは知らんが、仲はいい方なんじゃないかな。
「別に。こいつバカだから俺らが見ててやんないとやべぇだろ」
「まぁ、バカが心配するくらいには危なっかしいんじゃないかな?」
「はァ? バカってガルマのことだよな!?」
「止めろお前ら! バカのことでバカバカ争うんじゃない!!」
――……お前ら後でまとめて格納庫MS裏な。
ジト目を向けると一斉に目を逸らされた。
「……ねぇ、メリー・アン少尉。もしかして、僕のひとつ上のキム・ボンジュン先輩から、人造サファイア贈られてませんでしたか? ラボで自作したものです」
ふと思い出したみたいに訊いてみる。
「いいえ。わたしじゃないわ」
だよね。キムはおれと同期であって先輩じゃない。ついでに彼は誰にも人造サファイアなんか贈っちゃいない。
それをしたのは、アルフレディーノ先輩だった。
「ええ!? そんなロマンティックなことがあったの?」
モブリットが食いついてくる。こういう話、けっこう好きだよね。
「うん。クリスマスプレゼントに」
その話自体は広く知られたものだ。先輩が口説いた相手が、女性教官だったからさ。
さぁ。君が本当に士官学校の先輩なら、この話がオカシイって気づくよね。
「ふふふ。案外、ロマンティストだったよね、キム」
メリー・アンは、否定することなくそう答えた。
ふむ。コレは確定しても良いかもね――メリー・アンは、少なくとも同じ士官学校の出身じゃない。
だけど"連邦のネズミ"かって言うと、微妙。イントネーションは、完全にムンゾのそれだ。
それから声が――んんん。なんだろ。わりかし可愛い声なのに、なんか引っかかる。
多分、地声じゃない。
心地よく響くように作り込んでる気がするんだよ。よっぽど注意して聞かなきゃ、分からないレベルだけど。
この身体は“耳”が良い――僅かなイントネーションや、感情の揺らぎによるトーンの変化、声色によって裏の意味の有無を敏感に聞き分ける。
それは、おもに幼少期から連れ出されてた社交の場で培われたものだ。
あえて“意識”で探らずとも、ある程度のノイズを拾うこともできるしね。
いまこの時、メリー・アンは会話を愉しんでる。それは確かだろう。
優しい言葉。柔らかな仕草。軍人とは思われないくらい――軍ともなれば、女性でもそれなりに語調が強くなりがちだからね。
しとやかに口元に添えられた指先を見る。よく整えられてる。内勤だね、パイロットじゃない。
ちょっと爪が大きい――指は細いけど、そこまで華奢なわけじゃな………んん?
モブリットを見る。
女性のなかでは頑強なほう。鍛え上げられた肉体は男性兵士に劣らんけど、それでも骨格はやっぱり女性のそれだ。手元もそう。
もう一回、ひっそりとメリー・アンの手に視線を戻す。
ああ、そうか。
散らばっていたピースがパチリと嵌る――引っかかってたことが、何だったのかやっと分かった。
ふぉう。良く造り込んでる。凄いな。最初から注視してなけりゃ気が付かなかったかも。
男性としては骨が細いタイプなんだろうね、Mr.メリー・アン。
頬や顎のラインをさり気なくカバーするのも、喉元を出さないのも、手の甲を隠すのも、女装の常套テクなんだよ。
地球から戻るときに、おれもそうしてた。
さてさて。これは早いとこ捕まえといた方が良いね。女装を解かれたら、今度こそ探すのが困難になるだろうし。
そもそも女装で軍艦に乗ってる時点で、とんでもない不審者だからね。
「(すぐに確保して)」
小声でバグに指示を。
ものの2分もたたないうちに。
「あ、居た! メリー・アン少尉、上官殿がお呼びですよ。お連れします」
いかにも探してましたって体で現れたリノが、“彼女”の背後をとった。
「ガルマ、久しぶりだな!」
「リノ!……准尉殿、お久しぶりです」
思わず呼び捨てそうになったよ、って感じ、ちゃんと出せてるかね。
リノの方でもバツが悪そうに後ろ頭を掻いたりなんかして、階級が分かれちゃった級友の再会を演出してみたり。
一方のメリー・アンは、一瞬だけ瞳を揺らして俺を見た。でもそれだけで、内心の動揺を押し隠したみたい。なかなかやるね。
「呼ばれているようなので、失礼しますね」
柔らかな微笑みのまま、“子ねずみちゃん”は席を立つ。
「ああ、ガルマもちょっと良いか?」
「僕も?」
「ルーとケイが顔見たがってんだ。このあと時間ないか?」
「んん〜。訓練までなら」
「じゃ、来いよ」
「分かっ…分かりました」
砕けすぎたと敬語に訂正したら、リノは素で変な顔をした。
「……なんか慣れないな」
「……だね」
思い切り普段の姿が出て、だからこそ誰にも不思議に思われなかった。
「ちょっと行ってくるね」
「時間までには戻れよ」
ギュスターヴが顔を顰めてる。
「はーい」
手をヒラヒラさせて席を立つ。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。その仮面の下、見せてもらうからよろしくね。
✜ ✜ ✜
「こ、こんなこと、許されないだから! これ監禁ですよ!? ねえ、今なら許してあげます、ここから出してよ!」
連れて行った1室で、“子ねずみちゃん”はギッと睨み据えてきた。
ぱっと見、良からぬ輩に絡まれてる美人さんって感じ。
まじまじと覗き込んで。
「メリー・アン少尉殿、ほんとうのお名前と所属を教えてもらえます?」
威圧しないように柔らかく微笑んだのに、“子ねずみちゃん”は、はっきりと表情を歪めた。
――なんでそんなに怯えてんの?
誰か威圧してるのかと振り向いても、みんな優しい笑顔だった。
「わた、私はメリー・アン…」
「その名前、乗船名簿に無かったんですよ。おかしいですね?」
震える声に被せたのはルーだった。声だけ聞いてりゃ、幼子を諭すみたいなのに、そこはかとなく冷気が漂う風情。
「そーそー。“ゴースト”みたいだよな?」
こっちは虫の翅を毟り取る子供のように、好奇心に瞳をキラキラさせたケイ。
腕を組んで壁に凭れかかってたリノが、笑みに唇を歪めながら肩をすくめた。
「ああ、そうだな。それに“ゴースト”なら、いつ消えても不思議は無いな」
暗に、消してやろうかとの問いかけ。
駆け出しの士官とは思えぬ凄み――だよね、みんな既に死線をくぐってるんだから。
メリー・アンがどれ程の手練れか知らないけどさ、四人がかりなら墜とせないとは思ってない。
「もう一度だけ、訊きますね?」
何度も尋ねるつもりはないんだよ。時間もないしさ。
視線の温度を格段に下げて見やる先で、メリー・アンは大きく身を震わせた。
演技ってわけじゃなさそう。ふぅん。ヒューミントとしては日が浅いのかな。
女装は完璧なのに、この辺りに違和感。
本職とは印象が違うんだよなぁ――“鳩”どもを身近に知ってる身としては。
顔を近づけて、さらに完璧に微笑んでやる。
「さぁ、ほんとうのお名前と所属は?」
腹の底の“獣”が身動いだ。この可愛らしい“子ねずみちゃん”を噛み砕くかどうかって。
背後には、リノたちが緊張してる気配。
室内の音が消えて、メリー・アンの詰まったような呼吸音が際立った。
蒼白な顔の中で、唇がぱくぱく動いたけど、声はなかった。
一拍おいてから、スッと身を離す。
表情をリセット。
「もういいや。リノ、答える気がないみた…」
「マリアン! マリアン・アン!!」
めっちゃ左腕に縋られた。ほとんどぶら下がってる。けっこう力強いね。
振り返ったら、泣き顔一歩手前の表情が。
「マリアン?」
「M a r j a n、で、マリアン!」
響きだけ聞いて女名前かと思ったけど、綴りを聞いたら男名前だったわ。
「“Marianus”のほうだね」
軍神マルスに由来する方。
すごい勢いで頷いてるのがちょっと面白い。首もげない?
「ヒットした。マリアン・アン。衛生兵じゃん。入れ替え組か。元の所属は……」
本名がしれた途端、苦もなく特定してのけるのは流石だね、ケイ。
そして、その端末、もしかしなくても艦のメインと繋げちゃってんのか。
リノとルーと視線を合わせて、そっと頷く。
――見なかったことにしよ。
と、思ってたのに。
「……えー!?」
ひっくり返ったケイの声にびっくりして、端末を覗き込む羽目になった。
「なんなの」
「こいつ、推薦者がキュカ・サウリ少佐になってんだけど!」
「え? あのキュカ・サウリ少佐?? ムンゾ美女士官銘鑑に載ってる??」
「それ!」
ムンゾ美女士官銘鑑とは、ムンゾ軍広報が非公式に作りやがってくださる代物だ。
中でも、キュカ・サウリはおれたちの憧れの女性士官だった。
ブルネットの髪と、スモーキークォーツのようにきらめく瞳の、エキゾチックな美女。
その美貌と、お堅い軍服に包まれた豊かな胸元に目がくらんだ野郎は、みんな追い落とされるって噂はあれど、それすらが彼女を飾るアクセサリーみたいなものだよね。
ちなみにこの美女銘鑑、実はキシリア姉様も載ってたりする。シャア・アズナブルとの、いつかの公園デートの写真。気負わない笑顔の姉様は、ドキッとするほどきれいだった。
それは置いといて。
「……何故、キュカ少佐なんだろう? マリアンは衛生兵だ。フォン・ジンユエ少佐なら話は別だが」
皆の疑問をルーが口にした。
だよね。キュカ・サウリは元が通信技官だ。全くの畑違いだもの。どこに接点があるのさってこと。
同じく美女銘鑑に載ってる、嫋やかな中華系美女――華奢なあまり少女にすら見える――フォン・ジンユエは、そもそもが医官上がりだ。
十代前半で医学博士になったっていう天才。めちゃくちゃ頭が良過ぎて、同じくらい頭が回らないと会話についていけないんだとか。
「そもそも、なんでキュカ・サウリ少佐が僕の監視を?」
「あ…、その、ええっと…」
なんか、急にマリアンがモジモジしだした。
「なに?」
「……あの、ね、ガルマ・ザビじゃないんだ、監視対象」
「は?」
全員がポカンとしてマリアンを見る。
「オレ、もとは通信科なの。実家が医者で、一応そっちも学んでたから、途中で振り分けられたんだ。でもあんまり馴染めなくてさ――まぁ、どこでも馴染めてないんだけど」
しゅんと肩を落として、女装兵士はそんなことを溢した。
家でも学校でも居場所が無かったからと、飛び出した先が軍隊って、そもそも選択肢おかしくないか?
取り敢えず、食うに困らないって言うけど、さらに過酷な環境にきてどうすんの。
「少佐は、こんなオレでもできる任務があるって言ってくれてさ。この艦でガルシア少将を監視しろって」
そんなふうに言うけど。
「なら、なんでガルマをあんなに見てたんだよ?」
「そーだよ。急接近してたじゃないか」
「あの様子でガルマが監視対象じゃないって、信じられると思うの?」
納得がいかないって、リノたちが。
「本当だってば! 単に興味があったから、ちょっと話ができたら良いなって思っただけ!」
「女装で? そういう指示がキュカ・サウリ少佐からあったってこと?」
どういうことなの。と言うか、その女装技術は相当磨かれたものだと思うんだけど。
「普段から女装してれば、怪しまれても、元に戻れば見つからないからって」
「あんなに可愛く装ったのは?」
「可愛かった?」
この状況が分かっているのか、顔を輝かせた。
「ガルマ・ザビと話せる機会なんかないと思ってたから、気合い入れちゃった」
口元に手をやって、うふふ、なんて可愛らしく笑ってる。これが演技だったら、すごいスパイなんだけどね。
生憎、“ノイズ”からはなんの他意も感じ取れない。
「本当に監視対象はガルシア・ロメオだったの?」
「そう。女好きだから、引っ張ってかれないように、ジミーに抑えてた」
それであんなに、ビフォーアフター。
「紛らわしいんだよ!」
ハニトラかと思ったじゃねえか、と、リノが肩を落とす。
「言っておくけど、まだ全部信じたわけじゃないから」
「この先、お前も監視対象だかんなー?」
ルーとケイが凄んでる。
マリアンは、プルプルしながら頷いた。
室内に微妙な空気が漂った、と、その時。
〈ここを開けろ!!〉
出入り口に設置されているスピーカーから、怒鳴り声が響いて飛び上がった。
「だ、誰!?」
〈そこにいるのは分かっている! ガルマ・ザビ、リノ・フェルナンデス、ルー・ファン、ケイ・ニシムラ、それからマリアン・アン!!〉
誰かって聞いてるのに、そっちは名乗らずに、こっちの名前ばかり列挙しやがって。
〈早く開けろ!〉
「どなたですか!? 怖くて開けられません!!」
応答を押して答える。
だから名乗れってば。
皆でガタブルしながら身を寄せ合ってたら。
〈リヒテン・ノビル中尉だ!〉
って返答が。
ふぉう。そうか、リヒテン・ノビル、あなたがそうなのか。
リノが、ルーが、ケイが拳を握る。
「よっしゃあ!」
「ビンゴ!」
「やっぱりー!」
うん、お前らの目に狂いは無かったね。
“伝書鳩”で確定。しかもここでは上の方。
リヒテンがおれの上官を退いたのは、“鳩”だと知れるリスクを下げてたってことか。
今になって現れたのは、彼もこの“子ねずみちゃん”をマークしてたから。
そうじゃなきゃ、連れ去った“メリー・アン”の姿から、マリアン・アンを割り出すのは不可能だろう。
パネルを操作して扉を開けば、めちゃくちゃ顰めっ面の男が立っていた。
東南アジア系かな。
浅黒い肌に、毛先が跳ねた錆色の髪。
剃り残しのヒゲは、もとがそんなに濃くないんだろう、見苦しい程じゃない。
なによりも睨み下ろしてくる緑青の瞳が、南の澄んだ海の色に似てキレイだった。
いかにも叩き上げって空気を纏って、リヒテン・ノビルは部屋へ踏み込んできた。
同じ部門の上官に当たるだろうに、リノが一歩前に出て、おれを背後に庇った。
ケイは素早く移動して、扉が閉まらないようにと細工をし、ルーはさり気なくマリアンを背後から拘束。
一連の動きを見ていたリヒテンは、片頬を歪めて鼻を鳴らした。
「よう、坊ちゃんども。大概にしとけよ。俺はヤンチャ過ぎるガキは好きじゃねぇんだ」
ふぅん、良い声してる。
「ってことで、まずは歯ァ食いしばれ」
言うなり振り上げられる腕に、ヒュッと喉が鳴った。
マジか。殴るのかよこの男。
リノの腕を思いっ切り引っ張って、その反動で身体が前に出る。
「ッ、ガルマ!?」
「へぇ、仲間を庇うか」
リヒテンがニヤリと笑った。
顔のすぐ横で拳が停止してて、その手の指がパッと開いた。
次の瞬間、バシンと頬が鳴って痛みがきた。