ホテルに戻り、荷物を引き取ってチェックインする。
恐らくBランクのホテルのジュニアスィートはそれなりに広かったが、問題はそこではない。
「――どうするよ、あれ」
と云ったのは、もちろんアストリッド・クヌートソンと名乗る少女のことである。
「あれ、絶対ヤバい奴だよな? ランク・キプロードンの娘、アストリッドって名前じゃなかったか?」
「気がつきました?」
とタチが云うが――公邸のガイドをしてくれたローンと云う男が、アストリッドの顔を知ってるのなら、政府要人の令嬢だろうと思っただけだ。アストリッド自身は、父親とは似ても似つかない。大方母親似なのだろうと思う。
しかし、
「ってこたぁ、あれを連れ回したら、完璧誘拐犯じゃねぇかよ……」
確かにIDは“正規”のものだが、だからと云って、それが“善良な一般市民”の証明になるかと云えば、無論そんなことなどあるはずがない。
となれば、アストリッドの“休み方”次第では、最悪本当に誘拐犯として逮捕されることもあり得るのだ。
「どうせ、あの時分の反抗期なんだろうが、他人を巻きこまねぇでほしいよな……」
と呟くと、タチに半目で睨まれた。
「アンタがそれを云いますか……“家出”の時のことは忘れてませんよ」
「もう忘れろよ……大体、あれは俺のせいじゃねぇ」
そこは、強く主張しておきたいところである。
「とにかく! アンタのお宅のごたごたに、われわれを巻きこまんで戴きたいんですよ!」
と云いながら、タチは視線をあちこちに彷徨わせた。盗撮カメラか盗聴器でも探しているのだろうか。
「巻きこんでるつもりはねぇが」
「アンタになくとも、こっちは巻きこまれてるんです!!」
カメラはないのか、今度は立ち上がって、小さな機械を手に、あちこちを探っているようだ。
やがて微かな機械音がして、タチがプラグのようなものを掌に載せた。それを、そうっとアメニティのハンドタオルに包むと、備えつけの飾りテーブルの引出しにしまいこんだ。
「――問題ねぇのか」
「どちらかと云うと、犯罪臭のする方みたいですね。弱みを握って、金をせしめようって云うのでしょう。“ご同類”にしちゃ、やり方が雑です」
「ザーンじゃ、やらなかったな?」
と云うと、肩をすくめられた。
「あそこのホテルには、手のものが入りこんでたんですよ。事前に“検査”は済んでましたから良かったんですが、リーアはいろいろ難しいですからね」
「なるほど」
まぁ、人間も流動的で、かつ要人の訪問も多いとなれば、確かに難しいところはありそうだ。
「しかし、そうまでチェックしたってことは、何か云うことがあるんだろ? “本国”で、何かあったか」
と云うと、タチは少し口ごもった。
「えぇと、その――ガルマ様が」
名前のところは小声になる。
「また何かやらかしたのか!!」
ガルシア・ロメオの下にやって、まだ一月も経っていないこの時期に!
「あいつめ……!」
思わずテーブルを殴りつけそうになるが、ぎりぎりのところで思い留まる。壊して弁償にでもなると、後に引きずりそうな気がする。
「……で、あれは何をやらかしたって?」
問いかけると、タチには肩をすくめられた。
「えぇ――まぁその、“上司”が手懐けようとして“処理”を誤り、その結果と云っていいのかどうか、海賊とやり合ったとかで」
「海賊」
まさかと思うが、
「“ヤバいの”と接触しちゃいねぇだろうな……」
連邦の海賊狩りなどと。
「そこは大丈夫みたいですがね。しかし、“上司”は企みがバレて大変らしいてすよ。何やらマッチポンプをやらかしたようで」
「マッチポンプ」
「他の部下に理不尽な扱いをさせて、泣きついてくるように仕向けたらしいです。ま、あの方のことですから、まったく意味はなかったようですがね」
「あー、まぁなぁ」
“ガルマ”はマッチポンプが大嫌いな上に、基本的にはやられたらやり返すタイプでもある。ガルシア・ロメオはともかく、しかけていった連中は、気の毒なことになったに違いない。
タチは肩をすくめた。
「まぁ、あの方のことはまったく心配しちゃいませんよ。ただ、私の方の連中に、被害が少ないといいとは思いますがね」
「あー、悪いな」
ただでさえ好き放題のガルシア・ロメオの配下にいると云うのに、その上“ガルマ”のような脅威まで放りこんだりして。
「まぁ、あの方のことは、例の三人がどうにかしてくれる、と思いたいんですがね……」
溜息が重い。
“例の三人”と云うのはもしや、“ガルマ”が希望したリノ・フェルナンデスたちを指しているのか。
「――着任したのか」
「えぇ。多分、既に何かやらかしているのだと思いますが、怖くて確認できないと云っていましたよ」
先にやったのがね、と云う、それは、リヒテン・ノビルやそのあたりと云うことか。
気持ちはとても良くわかる、
「まぁ、碌なことしてやがらねぇだろうからな」
悪さの全貌がわからなくとも、碌でもないことしかしていないのは想像に難くない。
ガルシア・ロメオ麾下に入りこんだ“鳩”たちは、今頃胃の痛む思いをしているに違いない。
「まぁ、あと五ヶ月の辛抱だと伝えてやってくれ」
「おや、いいんですか」
人事をバラしてしまっても、と云うが、期限付なら耐えられても、そうでないと耐え難いことはある。
それに、その云い方であれば、ことはガルシア・ロメオ、あるいは“鳩”自身の人事だと思うかも知れないではないか。
「耐え忍ぶ期間は、知れてた方が耐え易いだろ」
「そう云えば、例の三人は、その後どうなさるおつもりで?」
「あれと一緒にしておくのは、“上司”をどうこうさせるためだったからな。その目的がなくなるんなら、一緒にしておくメリットなんかねぇだろ。むしろ、良からぬことをしやがる予感しかねぇし」
「まぁ、そうですね……」
タチは深い溜息をついた。
「どうせ、裏でこそこそと動き回ってるに決まってますからね。――それじゃ、異動後も、あの三人は据え置きと云うことで」
「そうしてくれ。まとめて動かすと、こっちの胃がやられる」
「既に“問題児”がいますからねぇ」
「まったくだ」
とは云え、そのあたりのことは、少なくとも帰るまでは、ドズルとキシリアに丸投げだ。せっかくの旅行中に、帰ってからのことまで思い悩みたくはない。
それよりも、当座の問題はアストリッド・クヌートソン――アストリッド・キプロードンのことである。
「――本当についてくるつもりかなぁ……」
不吉な予感が当たっても当たらなくても、面倒くさいことになるルートしか考えられないのだが。
「あれは来ますよ」
タチも、先刻よりもよほど難しい顔で、そう云った。
「あの年頃の娘の行動力を舐めちゃいけません。絶対に来ます。それで、われわれがリーアを離れるまでくっついて回ると思いますね」
「……どうにかならねぇかなぁ」
「無理でしょ。アンタ、初日に飴を与えちゃいましたからね」
「……“財布”になったことかよ」
「普通は、初対面の若い娘を、下心もなくあんなところには連れていきません。アンタが結構財力もあることがわかりましたからね、明日から、気合を入れてきそうですよね」
「マジか」
別にあれくらいなら、と思っていたが――ずっとたかられるとなると、それなりに懐には響いてくる。
その上、誘拐犯疑惑とも絶えず戦わなくてはならぬとなれば、面倒くささばかりが際立ってくる。
「それで済めば、まだいいですよ」
タチが、指を振り立てた。
「万が一のことがあって、リーアを出られなくなったらどうします? 相手は首相のご令嬢です、どんな難癖つけられるものだか、知れたもんじゃないですよ」
「――ララァ・スンを連れてきとくべきだったか……」
とは思うが、後悔先に立たずである。
しかも、タチには一刀両断にされた。
「馬鹿ですか! あの娘を連れてきたら、アンタのことなんかバレバレになっちまいますよ!」
「……そんなもんか」
「そんなもんです! われわれのような連中は、アンタのまわりの人間関係なんか把握済みですよ! ――仕方ありません、おとなしく誘拐犯に間違われるとしましょう」
きっとあの娘が、無実を証言してくれます、とやや投げ気味に云う。
まぁ確かに、押し切られた段階でこちらの負けだ。
「お目付役とか、ついてきたりしねぇだろうな……」
その分まで持たされるのは御免であるし、そもそも面倒になるにおいしかしない。
「それはないでしょう、そんな、あからさまに“要人です”みたいにひけらかしたら、却って怪しいですよ」
せいぜい、うちのくっついてる連中くらいのが出るだけでしょうね、と云う。
確かに、いかにも要人扱いでは、徒にトラブルを招き寄せることにもなりかねない。“鳩”とかち合いでもしたら、それはそれで厄介だが、暗黙の了解として、お互い口は噤むのだろうし。
「まぁ、お嬢さんが満足するくらい、甘やかしてやればいいんじゃないですか。妹がいるの何のと云っとけば、大概の人間はそれで納得するでしょうしね」
「妹か……」
それで思い浮かぶのは、当然キシリアの顔である。
そうでない“昔”の妹も、言葉から妄想するような可愛らしい妹ではまったくなかったから、まぁ擬似的な“妹”を求めているのだと云えば、そうなのか――姉がいた方が多かったように思うので、まったくよくわからないのだが。
――姉でも妹でも、強いのばっかりだしなぁ。
基本的に、女と云うのは見た目よりも遙かに強いいきものなのだと思う――元々の友人たちしかり、職場の同僚たちしかりである。何と云うか、子どもを産み育てる性別である以上、男どものように益体もないことをこね回している暇などないからか、あるいは男のように“余る”――番を作る上での話である――ことが概ねないからか、生きる力において、女の方が圧倒的に強かだ。弱ささえもが強みになる、その力は羨ましいものがある。
まぁ、その強さが男を支えてくれるところはあるのだろう。となれば、平塚らいてうではないが、確かに“女は太陽であった”のである。
が、良い伴侶にはそう感じられたとしても、それ以外の女に良い意味での“強かさ”を感じるのは難しい。
有体に云えば、
「――面倒くせぇ……」
と云うことになる。同性として働いたり、遊んだりしていた時には感じなかったわけなので、もうこれは、立場の違いによるものだと云うことなのだろうが。
「この贅沢もの!」
タチは罵ってくるが、こう云うのはマッチングの妙とやらもあるだろうと思う。つまりは、合う合わないにかかっているわけだ。
まして、大体の妻のいた“昔”は、それはもうできた女――ある時などは、天下を動かした女によく似ているとまで云われていた――を娶っていたので、不自由は感じなかったのだが、そう云う女がSSS級のレアキャラであるのは、それはもうよくわかっているのだし。
「クラウレみたいな女に惚れる、お前も大概だと思うけどな」
ちくりとやると、タチは赤くなったり青くなったりした。
「な、何でその名前!」
「有名な話じゃねぇか」
昔っからな、と云うと、タチはひととおり頭を掻き毟って悶絶し。
やがて大きく溜息をついて、肩を落とした。
「やめましょう、不毛だ……」
「――そうだな」
勝者のない勝負など、やるだけ労力の無駄である。
「仮眠して、夕食に行って終わりにしましょう。今日はもう、それでおしまいで」
疲れたようにされたその提案に、異を唱える要素はまったくなかった。
とりあえず、主寝室を自分が、副寝室をタチが占めることになり、一眠りするためにそれぞれの部屋のドアを閉めた。
翌日、食事はエグゼクティブフロアのラウンジ――まぁ、高い部屋に泊まると、そう云うサービスもあるわけだ、もちろん無料である――で簡単に取ると、前日よりもゆるいペースで外に出た。
と、
「遅い!」
出るや否や、そう叫ばれる。声の主は、もちろんアストリッドである。
「……何でここにいるんだよ……」
昨日別れたのはバステト・ストリートだったのだし、タチに知覚できた範囲では、尾行者もいなかったはずなのだが。
「後をつけたに決まってるでしょ!」
と少女は胸を張るが、そんなわけはない。
大方、少女についていた護衛だか何か――つまりは“鳩”の同類――が、遠方から監視していたか、あるいは公邸を見学した時の記名を元に、宿泊先を割り出したかと云うところだろう。
「待ってても全然来ないから、迎えにきてあげたのよ! 感謝しなさい!」
「いや、ガイドはなくても構わねぇんだがな……」
半ば以上、どんなところか見るためだけの旅である。リーアで決まっているのは、それこそ“聖地巡礼”の8バンチ行きだけなのだし。
「してあげるって云ってるのに断るの?」
仁王立ちになって云われても、
「面倒ごとと秤にかけたら、そりゃあなぁ……」
ほいほい頷く方がどうかしていると思う。
「こんな若い女子が、一緒に回ってあげるって云ってるのに!」
とは云うが、今日のスタイルは、女子らしいのはまとめた髪につけている髪留めくらいなもので、恰好としては無地のカットソーにパーカー、ジーンズにスニーカーと、少年でもとおるくらいのものである。
「若い“女子”ねぇ」
ララァ・スンやアルテイシア、マリオンあたりを見慣れている身としては、正直“ガルマ”と変わらないような気さえする。
「何よ、失礼ね!」
「ぅぐぉ!」
無防備な腹に一撃が入った。強くはないが、入りどころが悪く、地味にダメージがくる。つまり痛い。
「……お嬢様じゃねぇのかよ……」
腹を押さえながら呟くが、当の本人にはスルーされただけだった。
「ほら、行くよ! 時間は有限なんだから!」
と云いながら、こちらの袖を引っ張っていく。
「俺の時間も有限なんだがな……」
とぼやいても、聞くようならそもそもこんなことにはなっていない。
とにかく、ここはおとなしく、おとなしくこなしていくに限る。
と云うわけで、首都バンチの名所旧跡――“旧跡”と云うほど古くもない――をあらかた案内され、昨日と同じように、少々お高いカフェ――Sクラスのホテルの中にある――で“報酬”を支払って、この日は終了となった。
入場料だの何だのもこちら持ち、おまけにお茶代は昨日よりも高いときた。普通のサラリーマン、あるいは標榜したとおりの警備員なら、とうに音を上げるくらいの額である。
「お前、ほんっとに遠慮しねぇな。お嬢様ってな、もっと慎み深いもんじゃねぇのかよ」
と云っても、
「旅行中なんでしょ、ケチケチしなーい!」
と馬耳東風だ。キプロードン家の教育は、一体どうなっているのか。
「――お前、他にそうやってたかられたらどうするつもりだよ」
「え、未成年にたからないでしょ」
などと云う。本当に、キプロードン家の教育はどうなっているのか。
とは云え、
「明日はいいぞ。俺たちは8バンチに行くからな」
「え」
「あそこの湖を見てこいって云われてるんだよ。白鳥がいるんだろ?」
船のチケットも取ってあるし、明日は一日8バンチだな、と云うと、少女は一瞬呆然とし、そして、
「私も行く!」
と一方的に宣言した。
「いらねぇって。お前も、明日は学校いけよ」
「私も一緒に行く!」
「……出さねぇぞ。だから、学校いけって」
「一緒に行くったら行く!!」
「……“ビスケット”ぉ」
救いを求めてタチを見る。
が、タチは明後日の方を向き、溜息をついただけだった。
「云ったでしょう、アンタはそう云う定めの下に生まれてるんだって」
「意味がわからねぇ!!」
と云うが、タチからの助けは引き出せなかった。
仕方なく、アストリッドに向き直る。
「あのな、8バンチまでの足代も何も、俺たちは出さねぇ。チケットはもう取ってるんだ、今さら変更する気もねぇ。だから、お前はおとなしく学校にいけよ」
今日みたいな襲撃はなしだ、と云うと、少女は不満げに頬を膨らませた。
「何で駄目なの」
「……お前なぁ」
人の話を聞く気がないのか。
「はじめから云ってたろ、俺たちは誘拐犯にされたくねぇんだって。――首都バンチの中ならぎりぎりセーフかと思ったが、他のバンチまで行くのは、流石にねぇわ。親御さんが許そうが、まわりがどう見るかってわかるだろ。だから、明日はお前はきちんと学校にいけ」
「何で!」
「何でもかんでも、勉学は未成年の権利で、義務でもあるだろ。あと、未成年に勉学させるのは、成人した人間の義務だ」
実際には、それは元々の方での“義務教育”の話であり、また小中学校を指してのことであるから、アストリッドがそれにあたるのかどうかはやや不透明だ――0079時点で十七歳なら、今は十三、四歳だろうが、それはあくまでも1st基準である――し、リーアの教育機関が、元々の方と同じような進み方であるかどうかも怪しいからだ。
とは云え、少なくとも未成年の学生を、それらしく扱わないと云うことはあり得ないので、そのようなことを云ってみたわけなのだが。
まぁ、あとは元々の方で、中高は割合真面目に通っていたので、その関係もある。あまり、私用で休むと云うのは馴染まないのだ――社会人になってからは、旅行などでそれなりに有給は使ったが。
しかしながら、アストリッドはお嬢様だからか今どきの子どもだからか、あまりそう云うところに抵抗はないようだった。
「何がいけないのかわかんない。用があれば、休むのは当然でしょ」
「……なぁ、“ビスケット”、これは俺が頭の固い人間だからわかんねぇのか?」
そう問うと、タチは肩をすくめた。
「アンタがワーカホリックだからでしょ」
酷い云い種である。
ワーカホリックと云うなら、
「お前もそんなに変わんねぇだろうが」
「むしろ、アンタのせいって云っても許されると思うんですがね!」
「ねぇ、内輪もめしてないで、私も連れていってよ」
アストリッドが、腰に手を当てて、そう云ってくる。
「だから、駄目だって云ってんだろ」
「ケチ!」
平行線である。
何ゆえ、あらゆる意味で正しいことを云っているにも拘らず、間違ったことをしている人間から批難されねばならぬのか。
「ケチだろうと何だろうと、駄目ったら駄目だ! どうしても来たきゃ、親御さんにでも連れてきてもらえ!」
と云ったのは、アストリッドの事情もある程度わかってのことだった――つまり、保護者はついてこれまい、と云う――のだが。
少女は一瞬、傷ついたような目をし――次の瞬間には、大きく舌を出してきた。
「イーッだ! 何よ!!」
そう云い捨てるなり、踵を返して去っていく。
「……ガキかよ」
と云いながら、あの一瞬のまなざしに、少しばかり罪悪感がこみ上げてくる。
きっと淋しい子どもなのだろう――政務にかまける父親、と云うのは、まぁ子ども、特に娘は放りっぱなしになりがちだ。“昔”も、それで娘にとやかく云われたものだ。
だが、
――いやいや、ここで絆されてはいけない。
向こうもそうだろうが、こちらも正体がバレるわけにはいかないのだ。まさか本当に“親御さん”に来られた日には大問題である――モニタ越しになら、何度か顔を合わせてもいる――し、そうでなくとも側近や何かに来られたら、それこそタチの身元が割れる。そうなったら、いろいろと大問題に発展するのは、火を見るよりも明らかだった。
お茶の時間が遅かったので、軽い夕食を摂って、ホテルに戻る。
「……どう思う?」
端的な問いは、それでもタチにはきちんと伝わったようだった。
「あれで宜しかったんじゃないですか。何かあったらことですしね。あと、流石に貢ぎ過ぎだと思います」
「いや、貢いだつもりはねぇんだが……」
「これがバレたら、ララァ・スンにもの凄くごねられると思いますよ。自分は連れていってもらえなかったのに、他処の女が! って」
「他処の女とか、それ以前の問題だと思うんだがな……」
アストリッドは、単にたかってきているだけだと思う。少なくとも、ララァ・スンのような圧は感じない。
「そう云いますがね、アンタ、最初はララァ・スンにだって、さほど圧は感じてなかったでしょうが」
「あー……」
云われてみればそのとおりだ。
いやまぁしかし、
「――どうせあと数日、ではあるんだがな……」
8バンチに行って、その三日後にはリーアを離れることになる。それまでの辛抱、と云えばそうなのだが。
「だけど、教育にはよくねぇだろ……」
大体、学校を休んで、など、こちらがひやひやしてしまう。
「アンタがお育ちが宜しいのはわかってますけどね、ああ云うお嬢様がどんな生きものなのか、そろそろ把握した方が良いですよ」
ああ云う連中は、弱そうに見えて恐ろしく強かなんですから、と云う。
「何か、痛い目見たことでもあんのか」
と云うと、タチは厭そうに顔を顰めた。
「私はアンタと違って、お偉いさんのご令嬢方から逃走なんかできませんのでね。“将来有望な若手士官”とか、何の冗談だって云うようなことも云われて……散々でしたよ」
「まぁ、お前は割合出世も早いし、お買得物件だと思われたんだろうさ」
「勘弁してください……上つ方は面倒そうで厭なんですよ」
「お前の立場なら、逆玉とかって、いろいろ云われそうだよな」
「面白がらんで下さいよ!」
とは云うが、原作で中尉止まりであった――まぁそれは、多分にランバ・ラルの配下だと目されていたからだろうが――ことを思えば、色々感慨深いものがあるのである――まぁ、タチ自身は知ったことではないだろうが。
「まぁまぁ、クラウレに憧れてても構わねぇ、って女が現れるかも知れねぇぜ」
かつての“妻”に思慕を寄せていた男が、それでも妻や愛人を抱えていたように。
「そんな奇特なご婦人、いるわけがないでしょう!」
「いや、わかんねぇぞ」
大体、タチのクラウレ・ハモンに対する感情は、もう男女間のそれではまったくなくなっているのだし。
「絶対に男女の関係にならないってんなら、お目こぼししてくれる女だっているかも知れねぇよ」
こちとら、そう云う男が“妻”の前で挙動不審になるのを、楽しんでいたような夫であったのだし。
「他人事だと思って、簡単に云わんで下さいよ」
拗ねたように云われるが、まぁつまり、他人がどこに魅力を感じるのかは、当の本人にはわからないと云うことなのだが。
「要は、諦めるなってことだよ」
運命の女でなくとも、ともに歩んでゆける相手が見つかると云うことを。
タチは、やや不満そうにしていたが、ふと意地の悪い笑みをその顔に浮かべた。
「まぁ、私がどうこう云うよりも、目下の懸案事項は、あのお嬢様のことでしょうよ」
「……それなぁ」
途端に現実に引き戻される。
いや、明日は8バンチに行くとしか云っていないし、時間も告げてはいない。8バンチへの便は割合多いようであるし、待ち伏せするとなると、随分早い時間から待つことになる。そこまで粘ることはない、と思いたいのであるが。
――何かこう、“出し抜けるぞ!”って感じもないのだが。
いやいや、ここで後ろ向きな考えになったら負けだ。ポジティブに、ポジティブに考えなくては。
「明日こそは、二人で回るぞ!」
と云うと、
「……だと良いんですがね……」
すかさずタチに水を差された。
せっかく厭な予感などを振り捨てようとしている時に、何たる発言をするのか。
思わず睨みつけるが、タチは首を振っただけだった。
「まぁ、神のみぞ知る、ってことだと良いんですがね――考えたら禿げます」
「……まぁ、そうだな」
結局のところ、すべてはなるようにしかならないのだ。こちらの意思など、忖度してくれるのはごく近しい人間だけである。
タチと顔を見合わせ、溜息をつく。
素敵な明日になる気は欠片もしなかったが、ともかく行動しなくては。
微妙な空気を払拭できぬまま、ともかくも双方眠りについた。
そして案の定。
「おはよう!」
宙港には、アストリッドの姿があった。
その横には、恐らく今回の“保護者”だろう女性の姿もある。
「保護者がいればいいんでしょ! 連れてきたわよ“保護者”!」
「サキ・ミヨシと申します。宜しくお願い致します」
と云う姿は、保護者と云うより古参のメイドのようだ。否、メイドにしては態度が違う。確かにこれは“保護者”なのか。
「――ちょっと訊きてぇんだがな、ミヨシさんって云ったか、こいつの親御さんは、こいつの暴挙をどう思ってるんだ?」
保護者然としているこの女――年の頃は二十代半ばくらい、まぁ“保護者”には違いあるまい――に問うてみるが、女は小首を傾げただけだった。
「まぁ、学業優秀、品行方正ですから、偶には羽目を外してもよかろうとおっしゃってましたけれど」
「野放しか!!」
ランク・キプロードンに対し、思わず呪詛がこぼれかける。
一国の首相の娘がこれで、良いはずはないと思うのだが――“ガルマ”に甘いムンゾ国民は知らぬが、元々の方ならそれなりに問題視されたのではないかと思う。
「ちょっと、犬か何かみたいに云わないで!」
アストリッドは抗議してくるが、他に何と云えばいいと。
「飼い犬なら、リードがついてるだろ……」
例え“ガルマ”のようにゴム紐紛いであったとしても。
「申し訳ありません、お忙しい方なので」
ミヨシは云うが、そう云う話でもない。“ガルマ”について同じことを云われたら、平身低頭するしかない、そのようなものだと思うのだが。
だが、このミヨシと云う女は、面の皮が厚いのか、あるいはアストリッドの暴挙には慣れっこなのか、しれっとした表情を崩さなかった。つわものである。
「あー……」
がりがりと頭を掻く。
「とりあえず、ついてくるのは勝手だがな、俺たちは今回、鐚一文出さねぇからな。そこは弁えてもらうぞ」
と云うと、ミヨシは傍らの少女をじっと見つめた。
「どれだけたかったんですか」
「え、ガイド料くらい?」
まったく悪びれない少女に、流石の女も溜息をついた。
「なるほど、よくわかりました。――とりあえず、お父上から充分に預かっておりますので、ご心配なく」
「おう、そうしてもらえると助かるぜ」
こちらとしても、子どもたちに土産を買って帰らねばならないので、これ以上の散財は回避したいのだ。キャッシュレスでの決済は、足がつく――無論、別名義で作ってはあるが――のでなるべくなら避けたいし。
「俺も、自由にできる金額は決めてるんでな。それを超すようじゃ困るんだ。そっちはそっちでやってくれ」
「……土産物買う分までなくなりそうなんですか」
タチがひそひそ訊いてくるが、もちろんそんなわけはない。
だが、かなり余裕があったはずの財布の中身が、帰宅時の残額が不安になるほどだと云えば、どれくらい使ったかがわかると思う。
正直、想定外の出費である。余ったら、書斎に蔵書を増やそうと考えていたのだが。
と云うか、
「――こいつの親御さんの顔が拝んでみたいもんだぜ……」
つまりは“親の顔が見たい”と云うものである。いやまぁ、実際に拝みたいとは――相手がわかっているだけに――思いはしないのだが。
当然のことながら、ミヨシと云う女は、非常に微妙な表情になった。
「お忙しい方なので……」
と、やや困惑したように繰り返される。いや、真に受けなくても一向に構わないのだ。
悪いことに、8バンチ行の船はすかすかで、アストリッドは当然のように、隣りの席に坐ってきた。
「それにしても、何で白鳥が見たいの? 地球にだっているでしょう?」
至極尤もな問いを投げかけられ、どう答えたものか、数瞬迷う。
――“聖地巡礼”。
なんて、元々の方のガノタにしか通じないネタだ。まぁ、一応“ガルマ”にはわかるけれど。
さて、何と云うべきか。
「――あー……知り合いのな、出逢いの場所だったんだと。その湖のほとりで、“運命の女”にめぐり逢えたらしい」
「へぇ、ロマンチック!」
アストリッドは目を輝かせた。
「それで? そのひとたちは結婚したとか?」
わくわくした様子に水を差すようで悪いが、
「いや。女の方は死んだそうだ」
事故でな、と云うと、少女はあからさまにショックを受けた顔になった。
「だからまぁ、鎮魂、ってわけじゃねぇが、リーアに行くなら、代わりに回ってきてほしいって、そう云われたんでな。花を手向けもしてねぇから、せめてそれくらいはしようって、そう思ったのさ」
まぁ、花を手向けるも何も、アニメの中の話なのだが。
「……そのひとのこと、好きだったの?」
と云われるが、そう云うものでもない。ガンダムの女性キャラで、はっきり好きだと云えるのは、クラウレ・ハモンとエマ・シーン、ナナイ・ミゲルくらいのものだったし、それとても憧れと云うものでもなく――何しろ、元は女だ――、単に好ましく感じるくらいのものだった。中でも一推しのクラウレ・ハモンにしても、タイプ的に好きだと云う程度のものであるのだし。
「俺の好きな女じゃなく、ダチの好きな女だよ。好きだったって云やいいのか」
まぁ実際には、ララァ・スンはこの時間軸では生きているし、恐らく戦場に立つこともないだろう。
だから、今した話はどこにも行きつかない嘘でしかないのだ。
「頼まれたってこと? 義理堅いのね」
「まぁ、ついでっちゃついでだしな。せっかくだから、白鳥がいるって湖も見てみたかったんだ。コロニーで白鳥とか、珍しいからな」
「……地球には行ったことがあるんだものね」
アストリッドは、考えこむように呟いた。その向こうで、ミヨシが目を光らせるのがわかった。
まぁ、普通のスペースノイドは、地球には降りられないものだ。こちらも、仕事で往来していると云っているわけだから、そこまで不自然ではないだろうが――不審に思われても仕方ないところはある。
「まぁ、遊びに行ってたわけじゃねぇから、あんまりあちこち知ってるわけじゃねぇがな。コロニーと違って、地球じゃ白鳥も渡り鳥だから、ニュースなんかでやってる時があったのさ」
「じゃあ、白鳥を間近では見たことがないってこと?」
「いや、動物園で見た」
あるいは、すこし離れた場所の公園でも。
身近だったのは、いろいろな鷺や鴨、川鵜くらいだ。川べりに住んでいれば、そのあたりとは遭遇し易かった。
「そう云うお前は、白鳥見たことあんのか」
と振ってやると、少女は肩をすくめた。
「8バンチには別邸があるから」
「……お嬢様が」
「それ、貶してるの?」
「そうだよ」
「――アンタ、結構喋るんですねぇ」
タチが、呆れたように云った。
「そうさ。よくお喋りだって云われる」
主に“ガルマ”や、元々の方の友人たち、“昔”の友人知人にも。
「仕事の時は、そうでも――あ、いや、それなりにお喋りですかね」
「だろ」
大体、政治家などは喋ることが仕事のようなものだ。自分の意見を主張し、相手の意見と闘わせる。あるいは、有権者に向けた演説も、“お喋り”の一種ではあるだろう。
喋って闘い、また味方を増やす、議会制の政治とは、そう云うようにできているのだ。それは、このアストリッドの父親、ランク・キプロードンにしても同様だろう。
つまりは、喋らなければ仕事にならないのだ。指示を出したりすることも然り、そして、円滑な業務のためには円滑な人間関係も築かねばならぬ。そしてそのためには、コミュニケーションとしての会話、すなわち“お喋り”が重要になってくるのだ。それは、まったく喋らない人間よりも、少なくとも挨拶くらいは交わす相手の方が、頼みごともし易いに決まっている。コミュ障が不利と云われる所以である。
「へぇ――でもまぁ、いろいろ知ってるわよね、オルガって」
「そりゃ、間口が広いに越したことはねぇからな。誰とでも話せた方が、仕事が取れる」
“コミュ強”と云われる連中が重宝されるのは、“コミュ障”とも最低限のコミュニケーションを取れる場合が多いからだと思う。幾ら実務で有能だったとしても、コミュニケーションが取れないでは、出世も頭打ちになるだろう。上に行けば行くほど、仕事内容は実務能力の有無からは離れていく。そこで要求されるのは、交渉力や調停力である場合がほとんどだ。畢竟それは、人間関係をコントロールする力、と云っても良い。
コミュニケーションスキルと、誰とでもつきあうための間口としての教養、これがあれば、意外に人生何とかなるものだと思う。そう、学歴や実務スキルが、多少他人より劣っていたとしても。
「話せる相手が多けりゃ、橋渡し役を頼まれたりすることも増えるだろ。そうすると、じわじわ人脈ができる。それが、最終的には仕事に繋がるのさ」
「一応考えてたんですね……」
などと云うのは止めてほしい。何しろ、子どもの頃から学習に学習を重ねたスキルなのだから。
「いろいろビミョーだったからな、そりゃあ頑張ったんだぜ」
子どもの頃のコミュ障っぷりはなかなか酷かった。怪我をした同級生に同情なんかできなかったし、自分の言動が相手にどう取られるかもさっぱりわからなかった。それに較べれば、今は隔世の感がある。
「あとは賢さが欲しいよな……」
あるいは、百年先を見通す目が。
タチは、溜息をついた。
「それ以上悪賢くなって、どうするつもりなんですかね……」
とは、失礼なもの云いではないか。
「“悪”のつかない賢さ欲しいだろ」
「同じことですよ!!」
「お前、ホントに失礼だよな……」
今にはじまったことではないけれど。
「――警備員だとお聞きしましたけれど、随分いろいろご存知なのですね?」
底にわずかに不審感を滲ませて、ミヨシが云う。
「学生時代にいろいろあってな、まっとうに就職し損ねた」
肩をすくめてやる。元々の方でそうだったから、あながち嘘とも云えないだろう。例の“失われた二十年”とやらの世代である。
「ダチに引っ張ってもらってな、何とか滑りこんだのがこの仕事、ってわけだ。まぁ、いろいろあったのさ」
「……あなたくらいの歳で、ムンゾでいろいろと云うと、ジオン・ズム・ダイクンの……」
「そう、ムンゾ自治共和国独立宣言のあたりの話さ」
虚実取り混ぜて、頷いてやる。
ジオンの名を持ち出してくると云うことは、やはりムンゾ政府絡みの人間だと疑われていると云うことか――ミヨシと云う女は、リアルタイムでそのあたりを見聞きしたようには思われない――していたとしても、まだ幼児でしかなかっただろう――から、疑いを持っていたので、予めこのような質問を携えてきていたのだとわかる。
――さて、どこまで疑われているのか。
単に“鳩”かその協力者と思われているのか、それとも。
「そのあたりで就職だったんでな、まぁ、評価だの何だの――碌なもんじゃなかったしな。引っ張ってもらったところを馘にならずに、何とか今までやってきた、ってとこだ」
「そうですか」
「でも、それなりにもらえるくらいには出世したんでしょ」
アストリッドは、無邪気なのか、そう云うが、
「あのなぁ、俺たちの“それなり”とお嬢様のとは、全然話が違うんだよ! 金持ちと一緒に考えるなってぇの!!」
「えー、じゃあ、もっと慎ましくしてれば良かったじゃない」
「せっかくの旅行で、ケチ臭いことはしたくねぇだろ。ちょっとは豪遊してぇじゃねぇか」
そうそうやれることでもねぇんだし、と云うと、
「ふぅん、そんなもの?」
と返された。
「……これだからお嬢様はよ」
吐き捨てると、タチの目が、“アンタも似たようなもんでしょ”と云わんばかりに眇められた。
「もう絶対に、お前らの分は出さねぇからな!」
「えー、ちょっとくらいはいいでしょ」
と云う、その図々しさは、お嬢様ならではなのか。
だが、昨日までの二日間で、既に随分出している。これ以上は、誰が何と云おうと出すものか――ミヨシと云う“保護者”もついてきていることであるし。
「冗談云うな。俺はそこまで金持ちじゃねぇ」
「ケチ!」
「……なぁ、こいつの親御さん、真剣にどう云う躾してたんだ?」
真顔で訊くと、ミヨシは首をかしげた。
「お忙しい方ですが、ごく一般的な感性をしておられると思いますよ」
まぁ、一国の首相が“一般的な感性”の持ち主かどうかは議論の余地のあるところだが、今はそれを云々する場面ではない。
「じゃあ、その一般的な感性の親御さんに、“あんまり他人にたからせるな”って云ってやってくれ」
正直、こいつの将来が心配になってきた、と云うと、ミヨシは目を幾度か瞬かせた後、
「――伝えておきます」
と頷いた。