「ザビ家の息子なら殴られねぇとでも思ったか?」
小馬鹿にしたようなリヒテンの声に、仲間たちが毛を逆立てた猫みたいになってる。
落ち着けよ。
「……まさか。どうせ殴られるんなら、僕のほうが都合が良いんですよ」
イテテ。食いしばってたつもりだけど、唇切れてるし。拭った手の指に血がついてる。
ジンジンと熱を持ってる頬は、このあと確実に腫れるだろう。
でもまぁ、これで良い。
呆れた視線をよこす男に、痛みをおしてニコリと笑みかけた。
「立場上、あなたは僕を下に置きたくないでしょう」
おれだって“伝書鳩”を上に置くなんて御免だし。
実のところ、ガルシア・ロメオは、まだおれをガイアの下から外して、リヒテン・ノビルにつけることを諦めてないようだったからさ。
――だから、あえて殴ったんだろ?
いくらなんでも、“ガルマ・ザビ”を殴るような男を上官に据えるなんて真似は、少将殿にはできるまいから。
リヒテンは舌打ちした。
「どこまでも可愛気のねぇガキだな。その頭ン中にゃハカリゴトしか詰まってねぇのか」
「失礼な。愛と勇気も詰ってますよ」
「うぉ……マジで碌でもねぇわ」
暴力暴言男に引かれるって、ちょっと意味分かんない。
「テメェらもだよ、ガキども。ここは眼つきが気に入らねぇってだけで上官様に殴られる場所だぞ。ちったぁ愛嬌を覚えとけ」
こっちはリノたちへの忠告か。
腕を掴んでた指先に少しだけ力を籠める、と、リノの手が宥めるみたいに添えられた――いや、宥めてんのおれなんだが?
見やれば、めちゃくちゃ力が籠もった笑顔があった。黒い何かが噴出してそうな。
残る二人も似たような――もしかして、愛嬌の練習……だったとしたら、根底から失敗してるからね、お前ら。
ルーに捕まってるマリアンなんか、もう腰が抜けそうになってる。大丈夫か。
「挑発の仕方までご教授頂きありがとうございます!」
「ですが間に合ってますので、お気遣いなく」
「そーゆーの俺らのほうが上手いんでー!」
ちょ、自ら殴られにいってどうすんの!?
リヒテンは、なんの躊躇もなく右の拳を振り抜いた。
頬を打たれたリノが吹っ飛ぶ。
続いてルーが、そしてケイが。
表情を消したリヒテンが、さらに足蹴に出ようとするから、
「そこまででお願いします。リヒテン・ノビル中尉」
冷たい声で制止した。
振り返ったリヒテンの眼は、苛立ちにギラギラ光っていた。
「上官に対する非礼をお詫びいたします」
深々と頭を下げる。
「ガルマ!?」
「良いから。みんな大人しくね」
流石にさっきみたいなのはいかんのよ。
ここは軍隊で、純然たる縦社会。上官が絶対ってルールの上に成り立ってんの。
それを守るふりすらできないんじゃ話にならない。
「だけどよ」
「堪らえて。ここは士官学校じゃないって分かってるだろ」
「だけど、キャスバルが、ガルマのこと必ず守れって!」
「だったら、なおさらだよ」
納得がいかないって顔の面々に、苦く笑う。
おかしいな。おれが磨き上げたコイツらは、もっと冷静で計算高く、抜け目がなくてふてぶてしかったはずだ。
なんでこんなに浮ついてんのさ。
単純な挑発に容易く乗せられるなんて、どういうことなの。
――仕方ないなぁ。
「いま、ちゃんと覚えて。守ってくれるつもりなら、どう振る舞うべきなのかを」
リヒテン・ノビルの前に歩み出て、手を後ろに組む。
意図に気づいた面々が、悲鳴みたいな声を上げた。
「ガルマ!?」
「駄目だよ!」
「やめろよ! 俺たちが殴られるから!!」
飛び出して来ようとするのを制する。
「『動くな。いいね?』」
かつてと同じ口調、同じ声色で命じれば、ピタリと彼らの動きが止まった。
視線を戻す先で、リヒテンが口の端を歪めて笑った。
「へぇ。覚悟は出来てるってツラだな」
答えずに奥歯を噛みしめる。
伸びてきた左手が胸ぐらを掴んで――今度こそ拳がくるか――バシンと衝撃は大きかった。
また平手――でも、連続ビンタなんだけど!
バシンバシン痛い痛い。
それでも鼻が折れるでなし、歯が折れるでもない。鼓膜も無事。頸もなんとか。
ただ頬だけがひどい音を立ててる。これ、拳じゃ無いだけで確実にアザができるな。
ひたすらビシバシと。ううぅ。なんか痺れてきた。
「……申し訳ありません!!」
叫んだのはリノか。
「――……非礼をお詫びします。申し訳ありませんでした」
「もう…しません…ごめんなさい」
ルーもケイも。なんだよ、そんな情けない声出すなってば。
「ケイ・ニシムラ准尉。“ごめんなさい”たぁ、まともに謝罪も言えねえか? キンダーガーテンからやりなおせ」
「申し訳ありません! 無礼をお詫びいたします!!」
言い直す声は泣き声だった。
その間もビシバシと。
泣いて謝ったって許されるわけじゃないんだ。
リノたちは自分たちの“不遜”の罰として、“ガルマ・ザビ”が痛めつけられるさまを見続けなくちゃいけない。
立場上、階級は下でもおまえらを従えてんのはおれだから、配下の“仕出かし”は全部おれに還ってくる。
リヒテンがいまやってんのは、そういうコト。
噛みしめてても口の中は切れるし、腫れてきた頬は、多分、酷い色になってるだろう。
延々とビンタし続けてるリヒテンも、ちょっと飽きた顔してるし、そろそろ終わるか、と、思った矢先に嫌な“ノイズ”がきた。
とっさに身構えるやいなや、腹を蹴られた。
飛ばされた先で壁に跳ね返る。いてぇ。頭だけは庇ったけど、背中を強く打ちつけた。
ゲボ。やめてよ。さっき昼食ったんだ。ぎりぎり意地で吐かないけど。
蹲りそうになったら、さらに頭を踏まれた――踏まれた?
――っ!!
お前、リヒテン・ノビル、“おれ”を踏んずけるってなんなの? 消滅したいの??
一瞬、怒りに沸騰しそうになった――けど、なんとか“獣”を抑え込む。
ここで暴れたら、なんにもならない殴られ損だろ、堪らえろ。
飛び出して来かねない仲間たちも、視線で牽制。
――頼むから、良い子にしてて。
「ガルマ・ザビ、もう一度謝罪しろよ」
嘲るようでいて、リヒテンの声には探る色があった。
おれが事態をどこまで理解してんのか、怒りに我を忘れてやしないか、軍のルールに従うつもりがあるのか、そんなことを見極めようとしてる様子だった。
細めた目で――頬が腫れてて目がちゃんと開いてないんだよ――見上げた先、緑青の眼は変わらずにギラギラしてた。
返答いかんではまた殴る気だね。
“ギレン”、こんなヤツどっから捕まえてきたの。
いい男じゃないか。頭も度胸も良い。後進を育てる気概もある。
おれ、めちゃくちゃ怒ってるけど、その辺りは認めざるを得ない――めちゃくちゃ怒ってるけど!
「………リヒ…ン……ビ……、も…し…け…りせ……」
口を開けようとしたら、足が邪魔で上手くいかない。
ウゴウゴ試すけど、失敗を繰り返すおれに、リヒテンは鼻を鳴らした。
足が頭から離れたと思ったら、こんどは背中に衝撃が。くそ、また踏みつけやがって。
肺から押された息で、口の中に溜まってた血が吐き出された。勢いでゲホガホ噎せる。苦しい。肋がミシミシいってる。
このクソサド野郎が。
ノーマン・モーブスに続いて貴様も絶許だからな。
ゼイゼイ鳴る喉を整える。
「……リヒテン・ノビル中尉」
嗄れ声――でも語調は揺らすな。
恐怖もない、動揺もない、痛みも感じてない。そんな声を。
「我々の非礼を、お詫びいたします。申し訳ございませんでした」
這いつくばったまま、オーダー通り、謝罪の言葉を。
「……っとに、とことん可愛気がねぇな、テメェは」
なんでだよ。ちゃんと謝ってるだろ。
背中からリヒテンの足が退いて、腕を取られて引きずり上げられた。
うおお。全身痛え。クラクラする。酸素足りてない感じ。
なんとか踏ん張って直立。それから敬礼。
一拍遅れて、背後でも敬礼する気配――リノたちと、マリアンまでが。
「ヤンチャの代償は高くつく。分かったら大人しくしとけ。マリアン・アン、テメェもだ。“上”にも話が行くと思えよ」
――ここでマリアンにも釘を刺すって、効果的だけど、欲張り過ぎじゃない?
チラ見したら、青白い顔の高速首振り人形みたいになってて、ちょっと面白い。
「ついでに教えといてやるが、ポール・フーカーはマルティン・コンラートの、オロフ・アンデルベリはジーヴル・アンベリール・ギルランドのそれぞれ子飼いだ。アンドレアス ・ ラノッテとロロ ・アネベルデイ……他にもいるが、こいつらは“こっち側”。今この艦にはムンゾ中枢の“耳目”が相当数紛れ混んでるんだ。なんにしても面倒くせぇから手出しすんな。出したら殴る。わかったか?」
「了」
と、答えつつ。
唐突に寄こされる情報に嗤いたくなるじゃないか、畜生め。
ポール・フーカーにオロフ・アンデルベリ、その他諸々。おれたちが割り出してたリストなんか、全部把握済だって?
加えてその後ろにいる連中まで教えてくれるとかさ。
おれたちが艦の中であれこれ嗅ぎ回ってたことへの牽制なんだろうが。
“鳩”に気取られることなんか想定済だ。こちとら“鳩の巣”の中で“糸”張ってんだから。
リヒテンが目を眇めたと思ったら、またビンタが――なんなのよ。
吹っ飛んでも、今度は後ろでリノが受け止めてくれて助かったわ。
「さっき教えてやったろ? ここじゃ眼つきが気に入らねぇってだけで上官様に殴られるってよ。そのオツムは飾りか、ガルマ・ザビ?」
「申し訳ありません」
素直に謝る。刺激すんのは得策じゃない。
おれを支えてるリノの手が震えてる。怒りにか恐れにか、多分、当人にも分かってないだろう。見えないけど、ケイとルーも同じようなもんだろう。
おかしいな。こいつらの中で、おれの立ち位置は“仲間”だった筈だ――共にキャスバルを支えてくための。
なのに、いつの間にか“庇護対象”に変わってるみたい。そりゃ仲間だから庇うのも守るのもあるだろう、でも、それ以上に。
――これは拙い。
下手すりゃおれが“お荷物”になる。こいつらの手足を縛るなんてこと、あっちゃならんのに。
“ガルマ・ザビ”を見殺しにしてでも、おまえらにはキャスバルを守って貰わなきゃならないのに。
リヒテンがじっと見据えてくる。おれが――おれ達がどう振る舞うのかを。
“伝書鳩”の眼は“ギレン”の眼だ。
ここで下手打ちゃ、こいつらを取り上げられるどころか潰される。
その辺の容赦は“ギレン”には無いから。
だったら、いまは、なにも隠さないほうがいい。
「我々は誰も、艦にいる“伝書鳩”には手を出しません」
「それを信じろって?」
リヒテンは鼻で笑うけどさ。
「はい――もとよりそのつもりは無かったんです」
「ならなんで“洗って”た?」
「手出ししないためには、触れちゃいけない相手を把握しとかないと」
正直に答えたのに、リヒテンは何かを飲み込みそこねたような変な顔をした。
その視線が背後のリノたちを順に見てから、こっちに戻ってくる。
「…………どうしてそうなる?」
問われて面喰らう。
「え? ……普通、そうなるかと??」
だよね???
振り返って見れば、みんなも同じ顔で頷いてるし。
念のためマリアンも見る――こっちは微妙な顔だ。
もう一度、リヒテン・ノビルに視線を戻せば、なぜだか遠い目をどっかに向けていた。
それから目頭を揉むような仕草が。
「つまり、“鳩”以外には手出しするつもり満々だったわけだな?」
「ええ。そのつもりです」
「止めろ。殴るぞ」
なんてことなの。
それじゃなんのためにリノたちを呼んだのさ。そもそもがこの艦を掌握するためだったのに。
ガルシア・ロメオから少しずつ力を剥ぎ取って、いざという時に、こっちでコントロールできるように。
しょんぼり。
リヒテンは暫しおれたちを眺めて、それから深いため息をついて、首を横に振ってから、更に天井を仰いだ。
「あー。とにかくお前らは何もするな、と、言っても聞かねぇんだろうな……」
コレどれだけ殴りゃ修整できるんだ、なんて物騒なことまでつぶやいてるし。それなんて“カミーユの原理”。
また鼓動が五つ打つくらいの沈黙のあとで。
「逐一、俺に報告しろ。これは命令だ」
リヒテンの声の調子が変わった。
脳裏で様々計算して、おれたちを利用する方に天秤を傾けたらしかった。
明るい翠の眼の底に、冷たい光。
「了!」
間髪入れずに答える。
監視と制限付きだけど、おれたちの行動自体はこれで邪魔されない――余程のことをしなければ。
これが向こうにとっての最大の譲歩。こちらにとっては最大の成果だ。
ん。良かった。殴られ損にはならなかったね。
むしろ予想以上の益って感じ。
普段なら微笑んでるところだけど、腫れ上がってきた頬が邪魔して、唇が引き連れて痛んだ。
リヒテンがまじまじとおれを見て、最後にもう一発ビンタが来た。
――………痛いわー。
✜ ✜ ✜
予定されてた訓練には出られなかった。
あの後、リヒテン・ノビルに俵担ぎにされて医務室に運ばれたわけだが、阿鼻叫喚だった――主にガルシア・ロメオが。
リヒテンが、「ちょっとくらい痛めつけとけって言ってませんでしたっけ?」なんて発言をしたもんだからさ。
否定と抗言と、言い訳の嵐で、しまいには治療の邪魔だと、医官から追い出されてた。
どこでも強いな、医官。士官学校で世話になったときもこんな感じだったわ。
一等兵だけど、特別に個室がもらえた。
打たれて身体がびっくりしたのか、久々に熱が出た。
どこもかしこも痛いし怠い。
湿布と氷嚢は気持ちがいいけど、寒気にカチカチ歯が鳴ってる。
「大人しく寝ていなさい」
体温を確かめた医官が処置した薬を飲めば、じきに眠気がきた。
起きる頃には少しはマシになってりゃ良いなって、そう思いながら目を閉じた。
――のに、なんでドアの向こうがこんなに騒がしいの?
と言うか、これ乱闘でもしてるの?
すんごい怒号と破砕音らしきものが。
――なにが起こってるの?
まず事態を把握しなきゃ。
痛む身体をおして、どっこいせと起き上がった。
幸い、骨はどこも折れてなかった――肋にヒビくらい入るかと思ったけどそれも無かった。そうとう手加減されてたんだな、あれでも――から、動くのに支障はない。痛いがな!
寝て起きて、んん、3時間は経ってる。
薬が効いたんだろう、熱っぽさもそんなにないし。
さて、あのドアを開けるべきなのか。
中から鍵はかかってないから、向こうからは簡単に開くはずだし。
視線を流して武器になるものを探す。
んんんー。そりゃ患者を寝かしとくための部屋だもんな、あんまり無いな。
取り敢えずベットを動かして簡易バリケードに――扉を塞ぐほどは移動できなかった。
それから水差しの水を床にこぼした。ちょうど扉の前にね。
少し考えて、椅子を振り回すよりはと、こっそり水差しを割った。
欠片をそっと隠し持つ。使い方によっては、コレだって立派な武器だ。
シュンと扉が開いて。
「ガルマァああああァー!??」
「……あ」
飛び込んできたオルテガが、床の水に滑って盛大に転がる――ついでに誰かを引っ掴んで下敷きにしてた。
誰か――あれ、リュファス・ベクラール中尉だ。いつかの怒れるオランウータンは、その場で白目を向いていた。
「ご無事ですか、オルテガ少尉!?」
慌てて駆け寄る。
「おおぉ?? いやお前が無事か!?」
「無事です」
そもそも医務室になんの危険が? あの医官マッドだったりするの?
なんてボケをかます間もなく、扉の向こうの処置室を見れば、大体のことが把握できた。
勢力はふたつ。
べクラール中尉をはじめ、デリック・ガーソン上等兵やらは、この艦でおれを虐げようと頑張ってた輩だ。
対して、“黒い三連星”と同期たち、加えてリノたちは味方。
大方、様子を見に来てくれた仲間たちが、良からぬことを企てた面々と出くわして衝突したってことなんだろうね。
そして、どうやら味方側が制圧を完了した模様。
殴り合いも強いのか、“黒い三連星”。
格闘評価A+のリノは言うに及ばず、コウガ達も中々。ギュスターヴは相変わらず壁だし。
でも、なんでさ?
ガルシアはマッチポンプを止めたんだ。もう、おれをどうこうするメリットは、べクラール達には無い筈なのにね?
不思議そうにしてるおれに気が付いてか、ガイアが苦い顔をした。
「逆恨みって感情は、坊ちゃんにはわからんか?」
「それくらい知ってます。でも、彼らはそもそも命じられたからあんな事をしてたんじゃ?」
「気に入らねぇから、渡りに船だってな連中も居たってこった」
鼻を鳴らされた。
まぁねぇ。人間やってて、誰からも愛されるなんてことは幻想だ――愛されてることで憎まれるなんでザラだし。
恵まれてる分、周囲に落ちる影も濃い。
「……そうですか」
ヒンヤリした声に、マッシュが片目を見開いた。
怒ってるのか、なんて、そりゃ怒るよ。
弱って寝てるところを集団で襲撃するつもりだったんでしょ?
だったら良いや。排除に遠慮はいらない。上からの命令で仕方なくってんなら報復する気は無かったけど、そうじゃないならね。
「全て報告する!」
だけど叫んだのはおれじゃ無かった。
カンカンになった医官がそこに居た。仁王立ちで、デリックを踏みつけてるし。
その後ろには、医薬品その他を守ってたらしき、栗毛の衛生兵の姿――ウインクされた。って、お前マリアンかよ!――と、手伝わされてたみたいなモブリットとルー達も。
「………あー。俺たちは、襲撃を止めるために、だな……」
いつもよりちょっと小声でガイアが。
「ええ! それは承知だ。あなた方は一応、備品も守ってくれましたからね!!」
ここで医療品がどれだけ貴重か分かってんのかこの馬鹿どもめが、と、デリック達を踏みにじる医官の声は、地獄からの使者みたいなおどろおどろしさを滲ませていた。
そっと右手を上げて。
「………あの、すいません……水差し、割りました」
ここは先に白状して謝罪しておこう。
医官の瞳がギラリと光った。
「後ほど請求しておく」
「はい」
給金から差っ引かれるだけで済むならありがたい。
「水差しだけだね?」
「はい」
ベットは動かしたけど、ケーブルにもコードにも損傷は無いよ。
申告をうけ、奥の部屋を点検した医官は、ホッと息を溢しながら頷いてる。
――……………暴れなくて良かったぁ。
自分で踏みつけたデリック達の治療をはじめる医官を見ながら――手際良いけど恐ろしく乱暴――このひと怒らせるのはやめようって強く思った。
その場のみんなも、同じことを考えてるようだった。
当人が力の限り否定して拒否して隠蔽しても、ガルシア・ロメオがおれを虐げるよう命じてたってことは、今回の騒動で明るみに出た。
べクラールもベリックも、みんな吐いたし。医官と監査の両方から報告が上がったって。
数日前になあなあにした意味が消えたね。
この程度で少将が即失脚することはないけど、権威には疵がついた。
艦内の空気も微妙。統率者としての資質を疑問視されてるんだ。この上さらに諸々仕出かせば、降格くらいは有り得るよね。
ここへ来て失点が嵩んでいるガルシアが、これを挽回するべく暴走しないか、それがちょっと心配。
ともあれ、熱が下がったから、即日でガイア隊に戻った。
日々は、また訓練――と言うか、これ実戦だし。
一時期、連邦軍の討伐隊によって数を減らしていた海賊どもが、ぞろ宙域に戻ってきやがったようで、結構な頻度でエンカウントするようになった。
何やってんのさ、エルラン。舐められてるんじゃないの?
海賊共にとっては、たった一隻でフラフラしてるように見えるガルシア艦は、格好の獲物ってところか。
「出撃命令だ。行くぞ」
ガイア達が笑ってる。ほんとに好戦的だよね、“黒い三連星”。
あと、意外と教官に向いてる。子に獲物の取り方を教える獣みたいに、身をもって戦い方をレクチャーしてくれるんだ。
ダークコロニーに居たころも教官達に教えてもらってたけど、実戦の中のそれとはやっぱり違う。
こっちは正真正銘命がけ。みんな、何度も危ないところを助けられた。
しっかりフォローしててくれるのが、途轍もなく有り難くて頼もしい。
何でこの人たちが、これまで“軍隊ヤクザ”なんて不名誉な呼ばれ方してたんだろ。
言動は荒っぽいけど、とてもまともな部類じゃないか。
「了!」
と答えて、後ろを追いかけてく。
格納庫から、色だけはいまだに馴染めないピンクのザクⅡに乗り込んで出動した。
今度の海賊は数が多い。
敵は軽巡洋艦クラス3隻に、連邦の型落ちMS――RCX-76-02ってことは、ガンキャノン初期型だね。なんでこんなに流出してんの――が、なんと40機以上も。さらに改造MWもいるから、うじゃうじゃと大所帯だ。
数だけならむこうが上。
本来なら戦闘回避すべきだけど、急襲されたから仕方ない。
これはできるだけ自艦から引き離してやらないとね。
ハッチからは次々にMSが飛び出してくる。今回は、ガイア隊だけじゃなくて、リヒテン隊や他の隊も出てるんだ。
リヒテンのテラコッタオレンジ――渋いパーソナルカラーだな畜生ウラヤマうらめしい――のツノ付きザクⅡが、部下を従えて真っ先に突っ込んで行くのが見えた。
それを追うように“黒い三連星”が。
〈ガルマとギュスターヴは自艦を護れ。弾幕に巻き込まれるなよ〉
マッシュから通信が。
――だね。敵機を寄せ付けないために、ガルシア艦は最大の防御を取るだろうから。
「『了。皆はガイア中尉達についてって』」
こっちは引き受けるから、早いとこ敵艦潰してきてよ。
〈言われるまでもねぇよ〉
とはコウガ。
〈艦は貰うよ〉
〈アタシも!〉
ニケとモブリットが主張するし。
――“黒い三連星”に狩られる前に頑張ってね。
〈あぁ? お前らは俺のサポートしろよ〉
〈君が俺のサポートやってよ、コウガ〉
「『内輪揉めしない! 艦狙いで良いけど、今回は数が多いから、MSもちゃんと狩ってよ』」
〈仕方ねぇなぁ〉
〈わかった!〉
〈はいはい〉
なんて、この状況でも余裕かおまえら。
まぁ良いけど。格段に練度が上がってる彼らを、そういう意味では心配してない――万一が無いとは思ってないけど。信用の方がデカいからね。
「『ギュスターヴ』」
〈分かってる。いいからお前は後ろに付いとけ〉
「『はーい』」
盾役よろしく。
レーザーライフルを構える。いまんとこそこまでバンバン撃てないから、無駄撃ちは避けたいんだよ。
“意識”を拡げて戦場を“認識”する。
最近気がついたけど、“思考波”とミノフスキー粒子の相性ってすごく良いんだよね。
粒子が充満してる宙域では、さほど負担なく“視る”ことができる。敵の動きも、味方の動きも。
レーダーが封じられるこの状況で、これって凄いイニシアティブ。
さて。MSの性能で言えば、初期型のガンキャノンなんかザクⅡの敵じゃない。装甲脆いし。
2機のガンキャノンが交差する瞬間を狙ってトリガーを引けば――一遍に撃破ってこと。
ヤバイよね、レーザーライフルの出力。
有効距離に限りがある反面、仲間に対して流れ弾の心配が少ないのも素晴らしい。
とか悠長に狙ってられるのも、ギュスターヴがタンクになってくれてるから。
ほんとに鉄壁。鋼鉄壁。そろそろオリハルコンに進化しそう。
おれに寄ってこようとしてる有象無象どもを、ほぼ完璧にブロックしてるんだから。
頼ってばかりでスマン。お礼も込みで、向かってきてる改造MWを数体、連続で撃ち抜く。ついでにガンキャノンも。
撃墜数は数えてない。あとで教えてもらおう、どうせレコードされてるから。
ふと、背後でエネルギーが高まる気配が。
「『弾幕来ます!!』」
艦からの通信が来る前に叫ぶ。
対象は自艦を護ってるMS達に。イエローオーカーの指揮機は――キム・ツァニン中尉の隊か。
〈了解した! 散開!!〉
口々に隊員からの〈了〉が。
――当たるなよ!
直後に自艦からの警告がきて、連装メガ粒子砲が火を吹いた――遅いよオペレーター。
直撃すればザクⅡだってひとたまりもない。自艦周辺のMS隊が、一斉に弾幕の予測軌道を回避してる。
――よし!
味方の被害なし。
対して敵のMSが数機撃ち取られて爆散してた。
もちろん敵艦だって撃ってくる――けど、先行してるリヒテン達が上手く撹乱してくれてるみたい。
そっちの対応に追われてる。
一方的に蹂躙できると思ってたんだろう海賊たちは、予想外の展開にさぞや焦ってるだろう。
そりゃメガ粒子砲やら機関砲を掻い潜って肉薄されればね。
あちらさんの目的は強奪だから、艦そのものを撃沈しようとはしてこないんだ。
一方で、こっちはただ沈めてやれば良いだけ。シンプルな分、余計な策は要らないからね。
彼方で巨大な光が――早くも一隻沈めたね。
これで尻尾を巻いて逃げてくれないか。隠密性からは殲滅が望ましいけど、それ自体が目的じゃない。
海賊相手に損害は出したくないし。
いまのとこ優勢だけど、何があるかわかったもんじゃないのが戦場だ。
チリリと“意識”に何かが触れる――なんだ?
“お仲間”を見つけたときの感じじゃなくて、嫌な予感に似てる。ザワザワするあれ。
「『――……なにか…来る』」
〈新手か!?〉
ギュスターヴが警戒する。
この宙域にいるムンゾ軍はおれたちだけだ。だから、来るのが味方ってことはない。
増援か新手か。いずれにしろ来て欲しくない相手ってこと。
「『――皆を呼び戻して! 早く!! なにか来ます!!』」
ブリッジに通信を。
〈…? そんな兆候はないが? 他からも報告は出ていない〉
でも来てる――来てるんだよ。
なんだ、これ。
これまでの海賊どもには感じてなかったのに、ヤバい感じがヒシヒシと。
戦闘域から流れ出ていくミノフスキー粒子が、希薄な膜を形成してる。その端っこに何者かが触れたんだ。
「『戦闘域の外側……このままだと囲まれます!』」
数が多い。網が迫ってきてる。
早くしないと逃げ場がなくなる。
〈落ち着きたまえ、ガルマ・ザビ一等兵〉
この声はガルシアだ。
〈新兵が戦場の圧に耐えきれず錯乱することは、まぁ、よくある事だ。だが、これしきの戦闘でとは情けない。いいか…〉
「『錯乱でも妄想でもありません!』」
御高説ぶった斬って。
「『閣下、出撃した部隊の回収及び、この宙域からの即時での撤退をご命令ください!!』」
〈たかが海賊から逃げろと? それとも連邦が来ているのかな?〉
嘲る口調。そんなことはあり得ないと。
この場の優勢を疑ってない――そりゃそうだ。接近を感知できないんだから、それは仕方がない。
だけど、ほんとにヤバいんだってば!
「『正体不明の何者かが接近しています! 直ぐに離脱を!!』」
イエローオーカーのザクⅡが、直ぐ側まで飛来。
〈落ち着け、ガルマ・ザビ〉
ツァニン中尉の冷静な声が。だけど、落ち着けるもんか!
「『はやく皆を――ガイア中尉!! 全部隊を戻してください!!!』」
悲鳴みたいな声が――恥じる間なんかありゃしない。喚き続ければ、戸惑いながらも応じてくれようとしてる気配が。
でも、命令がなけりゃ動けないんだよ!
「『命じて! ガルシア少将!!』」
艦からの返事はない。
「『………だめだ間に合わな…ッ!? 敵艦から離れて!!! 回避しろ!!!』」
喉が潰れるほど叫ぶ。
多くの味方が反応してくれた。だけど。
ブレる視線の先に光の奔流。
爆散する二隻の海賊艦を――それから紙人形みたいに、MSの群れが引き裂かれてくのを“視た”。
それをしたのは――。
〈なんだあれは!??〉
戦闘域の外からの闖入者。
驚愕に塗れたガルシアの問に答えられる人間なんか、この場には居るはずがなかった。