8バンチは、思っていたよりも、ごく普通のコロニーだった。
「……もっと、別荘地っぽいとこかと思ってた」
宙港からすぐの街区に建ち並ぶ建物を見て、思わず呟く。
が、冷静に考えてみれば、原作でアムロが父テム・レイと最後に出会ったのは、この同じ8バンチであったはずだ。あの時の街並みは、寂れた地方都市のような雰囲気に見えた――まぁ、製作時の時代も、制作された土地柄もあるのだろうが。
そう云えば、ホワイトベースの一行が、ミライ・ヤシマの婚約者、カムラン・ブルームと顔を合わせたのも、このバンチでのことだったはずだ。ホワイトベースも封印されたり何だり、いろいろあったように記憶している。
カムラン・ブルームは、その後『逆シャア』にも登場し、意外に気骨のあるところを見せていたが、今もし会ったとしたら、1stで見せたように、世間をよく知らぬお坊ちゃんと見ただろうか。
あれこれ考えると、なかなかに感慨深いものがある。
「全部が全部別邸なわけないでしよ。ここで普通に働いてる人だっているんだから」
アストリッドに呆れたように溜息をつかれるが、他処の土地の事情など、カメラが捉えた部分しか見えるはずもない。そこで切り取られたものが全部だと、つい思ってしまうのは仕方のないことではないか。
「うーん、やっぱり、映像で見るのと実際来てみるのとでは、全然違うってことだなぁ」
まぁ、霧の漂う幽冥の境のような場所だと思って行ってみれば、実際は生活感に溢れた俗世の巷だった、などと云うことも、ままあることではあるのだし。
「その分、違う驚きもあると思うけど」
「……嬉しくない驚きもあるな」
云いながら、ちらりとタチを見る。何となく、船に乗る前から、あたりを気にしている風だったが――さて、リーアのその筋のものが来ているのか、あるいは“鳩”がついているか。
しかし、今それを云うのは、藪蛇を突くことになるのはわかっていたから、見なかった素振りで話を続ける。
「こう、観光名所とかってな、期待を盛り上げるような写真や映像が使ってあるだろ。わかってるんだが、期待しちまうんだよなぁ」
そう云う写真や映像と云うのは、辛抱強く待ったチャンスをものにしたが故の、“奇跡的な一枚”であって、その場に行けば同じ光景が見られるわけではないと、頭ではわかっているのだが。
「地球や月で、金環蝕を見るみたいなもんなんだろうな」
あるいは、北欧でオーロラを見るような。
「キンカンショクって?」
首を傾げられる。
「太陽が、地球や月の影になって――こう、コロナの部分だけが、金色の輪っかみたいに見えることだよ」
コロニーでも、運が良ければ見えそうなものだが。
「気障な奴だと、皆既日蝕――完全に太陽が見えなくなるヤツだな、何十年に一度とからしいから、それの時に、こう、空から何かを取ったみたいにして、恋人に金の指輪を贈るって話も聞いたことがあるぜ」
百本の薔薇を抱えてプロポーズ、の類なのだとは思うけれど。
「それでときめくの?」
「どうかな。女は賢いから、そこで喜んでみせれば、男がいい気持ちになるってことを見透してるんだと思うけどな」
「ふぅん。――まぁ、滅多にないことなら、ちょっと感激しちゃうかもね」
「まぁ、碌な男じゃねぇ気がするけどな」
「えー」
などと云いながら、エレカーを借りて、例の湖へと向かう。
いつもは他人の運転なので、ハンドルを握ってはみたものの、おっかなびっくりの出発である。
隣りにアストリッドが坐ろうとしてきたが、謹んでご遠慮申し上げた。心許ない運転の最中に絡まれたくないし、それをミヨシが監視してくるだろうことも怖い。
タチを助手席に、女ふたりは後部座席に、いざ出発である。
「平気ですか、代わりましょうか」
などとタチに云われるが、これくらいはやってみせなくては、何と云うか、沽券に関わりそうな気がするのだ。
出発こそがたついたが、その後はまぁスムーズに走り出す。
街区を抜け、舗装すらされていない土の道をゆく。
「コロニー内で土の道とはなぁ」
何となく、『the ORIGIN』で見たサイド7の、きれいに舗装された道のイメージしかなかったので、土埃の舞う道に驚きを感じずにはいられない。
だが、あの中での描写でも、ハヤト・コバヤシやフラウ・ボゥ、カツ、レツ、キッカの子どもたちが川遊びするシーンがあったのだから、コロニーと雖も整然とした部分ばかりではないのだろう。まぁ実際、そんな場所は息が詰まるだけなのだろうし。
「どこにでもあると思うけど……ムンゾは違った?」
「こう云う道は、地球ではよく見たが、ムンゾではあんまりな……」
まぁ、ほとんどズムシティから出ることがないので、あまり断言はできないが。
と、タチが口を挿んできた。
「まぁ、ムンゾは他サイドより人口も多いですしね。アンタは行ったことないでしょうけど、海なんてコロニーもありますよ」
「あぁ、聞いたことはあるな」
リゾートコロニーなのだと云う話は。
海――海か!
「コロニーに海ってのも、変な感じがするよな」
「アンタ、もうすっかりアースノイドにでもなっちまったんですか」
「どっちかって云うと、火星人だろ」
「そこまで長くもいないでしょう」
「いやいや。火星は第二の故郷候補だよ。――それはともかく、海って、人工造波装置とかで波を作ってるんだろ。水は、塩水じゃヤバそうだが」
「錆びますからね」
タチは肩をすくめた。
「私も、行ったことはないですけど――なかなかリアルらしいですね。塩害対策はどうしてるのか、気になりますけれど」
「それ用の特殊コーティングとかあるんじゃねぇのか?」
「それだって、劣化を通常と同じくらいにするくらいの効果しかないでしょうよ」
「って、お前も行ったことねぇのかよ」
「ありませんよ。ああいうとこは、金持ちの行くとこなんですって」
「……お前は、行ったことあるか?」
後部座席のアストリッドに話を振るが、こちらにも首を振られた。
「ないわ。サイドを行き来できるのなんて、よっぽどのお金持ちの子どもとかじゃない」
とは云うが、首相の娘であるならば、この少女とて“よっぽどのお金持ち”の娘なのだろうに。
「お嬢様だろうが」
「そんなんじゃない」
きっぱりと云うのは、忙しい父親である故に、どこかへ遊びに連れて行ってもらう、などと云うことも少なかったからでもあるのだろうか。
まぁ、リーアと云う“中立的なサイド”の首相であれば、ある意味ではムンゾ以上に、舵取りは難しいだろう。まして、ザビ家のように、家族皆が権力の中枢に位置しているわけでもなかろうし。
とりあえず、こちらの知ったことではない、はずなので、ひとつ鼻を鳴らし、
「そうかよ」
とだけ云い捨てる。
暫、無言のまま、エレカーは走った。
やがて、恐らくは“シャア”とアムロの初めて遭遇したあの道、だろうあたりを抜けていくと、行手に青が見えた。
「――あれか」
呟くと、
「あれよ」
肯定が後ろからきた。
なおもエレカーを走らせると、やがて湖畔に家が建っているのが見えてきた。まさにあの家だ――かつて映像で見たように、すぐ傍にはボートも留めてある。
――美しいものが嫌いな人がいて?
ララァ・スンとアムロの、運命の場所だとわかった。
墜ちた白鳥をめぐるやり取りの中で発せられた言葉。
まぁ、この時間軸のララァは云いそうにない言葉だ。ララァはこちらでは順当に、少女らしい生活に移行しようとしている――やや計算違いはあったけれど。
「湖畔に家とは、いかにもリゾートだな。どんな奴が住んでるんだろう」
まさか“シャア・アズナブル”の持ち物ではあるまい――そんな動きがあれば、“鳩”がすぐに掴んでいる――と思いながら云うと、
「空き家じゃないんですか、少々荒れていますから」
とミヨシが返す。
なるほど、云われてみればガラスは曇っているし、外壁の塗装もそこかしこが剥げている。一年戦争最中の“例の邂逅”より、今は三年ほど前になるはずだから、原作軸ではそれまでに、“シャア・アズナブル”が買うなり借りるなりして、いろいろ手を加えたのか。
“シャア”は、何を思ってリーアに家など手に入れ、そこにララァ・スンを伴ってきたのだろう。そして、アムロ・レイと遭遇し、一体どう感じたのか。
と、その家の向こうを、白い影の群れが過ぎっていった。
「白鳥よ!」
アストリッドが叫んだ。
件の家の傍にエレカーを停め、湖畔へと歩いていく。
真昼の日射しに輝く湖面に、いくつもの白が浮かんでいた。ゆっくりと、波を分けるように泳いでいる。生きて動く、白い影。
確かに白鳥だ。“あの時”のように墜ちるのではなく、一直線に空へと駆け上ってゆく。その力強い羽撃は、老いや衰えではなく、まさしく若さや活力の存在を表していた。
「あぁ……」
この光景を、数年後のアムロとララァがここで見たのだ。ここではない、違う時間軸の未来のいつかに。
「美しいものが嫌いな奴なんか、確かにいねぇよな……」
それが、束の間の輝きであれば、なおのこと。
墜ちゆく寸前の、絶頂期の輝き。これを過ぎれば、後は墜ちていくしかない、それがわかるが故の、一瞬にして最高の光輝。
とは云えそれは、もう青年期を過ぎ、壮年から老年に差しかかりつつあるような人間であるが故の感慨であったのかも知れない。
案の定、
「そうかしら。そんなにきれいかなぁ」
情緒もへったくれもない感想を口にしたのは、最も若く、今が盛だろう年頃のアストリッドだった。
「ちょっとは浸らしてくれよ……」
がっくりする。まぁ、そんなものだとわかってはいたけれど。
「だって、いきなり“美しいものが嫌いな奴なんかいない”とか、大丈夫? って思うじゃない」
「いや……もう、どう突っこんだらいいのかわかんねぇな」
と云いながら、カメラで写真を撮ってみる。例の湖だとわかるように、湖畔の家もファインダーに収め。
「どうするんです、写真なんか撮って」
「“弟”に見せてやろうと思ってな」
ニュアンスで、タチはそれが“ガルマ”のことだとわかったようだった。
「え、まさか“ダチ”って……」
婚約者もいるのに、と言外に云うのに、手を振ってやる。
「違ぇって。アイツも知ってるってだけのことさ。アイツには、下手な土産より、ここの写真の方が良いんだよ」
「あの人もご存知の方、ってことですか」
「まぁな」
「ねぇ、写真なら、私も撮って!」
と云いながら、アストリッドがレンズの前に割りこんできた。
はずみでシャッターを切ってしまい、アストリッドにピントの合った一枚が撮れてしまう。
「お前撮ってどうすんだよ!」
「こんな可愛い娘と一緒だった、って記念になるでしょ」
「自分で可愛いとか……」
図々しいにもほどがある。それは、可愛くないわけではないけれど。
「もててますね、“オルガ”」
にやにやと云われ、少しばかりむっとする。“財布”としてもてているのを、そんな風に云われるのは心外だ。
「俺がじゃなくて、俺の財布が、だろ」
と云うか、そうでなかったら、面倒ごとが増えるだけだ。
“ガルマ”が満足するだろうくらい写真を撮って、暫く湖畔をそぞろ歩く。
白鳥は、湖水に浮かんではいたが、その後、飛び立つ姿を目にすることはできなかった。
再びエレカーに乗りこみ、別荘地を目指す。
とは云っても、今はオフシーズンにあたるので、別荘地の整然とした街区にも、人の気配はほとんどない。あるとしたら、警備員たちの見回りか、あるいは庭師などの管理側の人間のものだけだろう。
白っぽい石畳の道、庭木の緑、その奥には様々な風合いの“豪邸”が立ち並んでいる。
「バカンスシーズンだと、別荘にも人がいっぱいだけど、ここの街並みや、バカンスに来てる有名人を見にくる人たちで、この道もいっぱいになるわ」
慣れた様子で歩くアストリッドは、つまりは“こちら側”の人間だった。
「うちの別邸も、ちょっと行くとあるわよ。行ってみる?」
などと云われるが、
「いや。謹んでお断りするぜ。行くと後悔しそうだ」
薄々察していることを、証明されてしまいたくはない。
それに、
「うっかり入りこんで、後で親御さんにどうこう云われたくねぇし」
「アンタ、随分トラウマになってますね」
タチが云うのに、
「何、何かあったの?」
興味津々で訊かれる。
「この人、小さい女の子を部屋に入れたら、家族からロリコン疑惑を受けたんですよね」
「だから違うって!」
『逆シャア』の“シャア”のロリコン疑惑は冤罪だと思う――二十一と十七はロリコンとは云うまい――が、こちらは外から見たら否定できる要素などない。
「あれは、慣れないでいる子どもの話を聞いてやろうとしただけ――って云うか、好みなら、お前が好きな女の方がよっぽど好みだ!」
「え、まさか……」
「今度は不倫とか云い出すなよ!」
そっちで云えば、タチの方がよほどであるのだし。
「え、オルガとビスケットさんって、同じ人のことが好きなの?」
「俺は好みってだけ、“ビスケット”はガチだ」
「ふ、不倫じゃありませんよ!」
タチが慌てて手を振った。
「人妻ってこと?」
「そう。“ビスケット”の女神様さ。まぁ、ありゃ旦那もいい男だからな、そりゃ敵わねぇよ」
ランバ・ラルを超える男は、そうはいるまい。元の方の1stキャラランキングでも、大体ベスト3に入ってくるような男である。
「あのひとが女神なら、夫になるのは神か英雄じゃなきゃ許しませんよ!」
拳を握って力説する、まったく信者と云うのは、何とも仕方のないものだ。
「そんなに素敵なひとなの?」
「滅多にいない、いい女だな。度胸も据わってるし、何て云うか、“上”の方ででも、しっかり足場を築けるタイプだ」
人間には、それぞれ掌握できる力の量がある。クラウレ・ハモンは、中でもかなりそれが大きい女であるのだと思う――ある意味では、アストライア・トア・ダイクンよりもずっと、男の“共犯者”になり得る女だろう。
アストライアは“癒す女”であって、男とともに闘える女ではない。ジオン・ズム・ダイクンのような男にとっては、アストライアのような女こそが必要だが、ランバ・ラルのような男には、クラウレ・ハモンでなくてはならないのだ。それは、両者の気質の違いとしか云いようがないのだが。
「だがまぁ、あれはあの男になくちゃならねぇんだろうし、あいつにとっても、あの男くらいでないと食い足りねぇんだろうさ。――お前には、もっと違う女が向いてると思うぜ、“ビスケット”」
例えば、もっと成長したフラウ・ボゥのような女――ベルトーチカ・イルマは駄目だ、自分を構ってもらうことしか考えない――ならば、タチがクラウレを崇拝していたとしても、“仕方ないわね”と溜息をつくだけで終わらせることもできるだろう。憧れと現実をきちんと切り分けられる女こそが、タチに必要な相手であるのだと思う。
「ねぇ、じゃあ私は?」
アストリッドが食いついてきた。
「私には、どんな人が合うと思う?」
「あー……お前は、お前を“仕方ないなぁ”って甘やかしてくれる男だろうな。一見頼りなさそうなタイプ」
それでいて、意外に芯の強い――それこそカムラン・ブルームのような男の方が、この少女には向いているのではないかと思う。
「えー、何でよ!」
と不満そうに云われても、そんな気がしてしまったのだから仕方ない。
一瞬、タチでもいいのではないかと思ったが、“伝書鳩”の長の秘密主義に、この少女が耐えられるとも思われない。それならば、カムランの方が誠実だろうと思われる。
「お前みたいなのだと、我の強い奴とはぶつかりまくるだろ。それくらいなら、歳上の男に適度に甘やかしてもらったらいいんじゃねぇのか。っても、あんまり上だと父親みたいになっちまうだろ。だから、十くらい上で、ぱっと見頼りないタイプの方がいいと思うぜ」
「そう云う自分は、どんな相手が良いと思ってるのよ」
唇を尖らせて訊かれる。
「あー……癒し系?」
属性で云えば水、しかも泉の女神のように、溢れ出る“水”をまとった女。愛されるより愛することを選び、そのためなら艱難辛苦も踏み越えていけるような、強い、強い女が。
「アンタ、癒しは必要ないとか、過去に云ってませんでした?」
半ば批難するようにタチが云うのは、セシリア・アイリーンのことが念頭にあったからだろう。
だが、あれでは足りない、戦場も政局も、ともにあたり切り抜けられる、戦女神のようでもある女でなくては。
「半端な癒しなら、ない方がマシってことさ」
肩をすくめてやる。
「いるだけで癒されるくらいじゃないと、欲しいとこには届かねぇよ。“癒してあげる”とか、そんなヌルいのはゴメンだな」
「……つくづく贅沢者ですね、アンタって人は!」
「いや、努力が必要とか、お互い疲れちまうだろ」
あらゆる“昔”の経験から云わせてもらうが、無理をすると、続くものも続かなくなるのだ。
恰好ばかりつけていると、相手の前で息が抜けなくなる。そうすると、だんだんその相手と顔を合わせるのが苦痛になってくるのだ。
元々の方の“成田離婚”とやらは、そのバランスを一気に崩したが故のことだったのだろうと思う。まぁ、離婚などできなかった古の結婚では、仮面夫婦で互いに愛人が、などと云うことも、よくある話であったのだろうが。
ともあれ、そこまでして続けなくてはならない結婚生活など、滑稽の極みでしかないし、この時代にはそぐわないだろう。実際、ギレン・ザビの会ったこともない妻なども、それで出ていったようなものなのだろうし。
「だからまぁ、無理しなくてもいい相手以外は、もうなくてもいいかなぁ、とか」
「……そんなものなの、サキ?」
アストリッドは、隣りの女に問いかけた。
「既婚者か」
左手の薬指に指輪は見当たらないが。
ミヨシは肩をすくめた。
「残念ながら、まだですね」
と云う声音は、ちっとも残念そうには聞こえなかった。さて、この女も、家庭より仕事が大事と云う類か。
ともかくも、ぶらっと別荘地を散歩して、近くのカフェ――観光地でもあるまいに、小鳥の餌のようなランチプレートが、そこそこいい値段だった――で遅い昼食を摂って、宙港へ戻る。
雨も降らず、そのせいでエレカーが泥濘にはまると云うこともなく、無事に首都バンチ行の船に乗りこめた。
帰りの船内は、行きよりやや混雑していた。
少しざわついた空気の中で、疲れたのか、アストリッドはうたた寝をしている。その寝顔は、アムロやゾルタンなどと変わらぬあどけないものだった。
ミヨシはその横で、タブレットでニュースのチェックをしているようだ。
保護者として来たのだから、アストリッドの事情をよく知る立場にあるのだろうが、この女は、所謂“親しい近所のお姉さん”よりも一歩踏みこんだ、しかし親しさとしてはやや遠い、微妙な関係のように見える。有体に云えば、父親の仕事関係の人間で、しかしよく家には来るので他処々々しさはない、と云うような。
そのような関係で女性、と云うと、ぱっと考えつくのは、複数いるだろう秘書のうちのひとり、と云うところだろうか。それにしては、随分硬い印象の女ではあるが。
じろじろ見過ぎてしまったのか。
「……何か」
気がつくと、ミヨシがこちらを見つめていた。
「いや……あんたとアストリッドの関係は何だろうって思ってな」
家族ぐるみのつき合いにしては、堅苦しい感じがしたからな、と云うと、女はかるく肩をすくめた。
「私の父とアストリッドの父上が親しいの。と云っても、上司と部下みたいなものだから、それでそう感じるんじゃないかしら」
「なるほどな」
ならば、父親の方が秘書か、あるいは補佐官のようなものなのだろう。
「じゃあ、あんたの親父さんが、こいつを心配して、あんたをよこした、ってことか」
「まぁそうね」
素っ気ない風で、ミヨシが頷く。
「何しろ、亡くなった奥様との間にできた一粒種ですもの。何かあったら大変なの」
「なるほどな」
とは云え、ランク・キプロードンが、デギン・ソド・ザビのようなタイプの子煩悩とは聞かなかったから、これは、そう云うポーズでこちらを牽制していると云うことだろう。
「大事な娘が、怪しげな男どもと関わってるとなりゃ、そりゃあ親父さんも気が気じゃねぇか」
「こう見えて、この娘結構なお嬢様ですからね」
――存じ上げております。
と云うか、あの感じは“お嬢様”と云ういきものでなければなかなか出ないものだと思う。図太さと図々しさと愛嬌が渾然一体となった、何とも振り払い難いもの。まわりに愛されていると云う確信がなければできない所業、まさしくある種の“お嬢様”だ。
「まわりは相当苦労してるんだろうな」
「そうでもないわ。賢いひとですから、引き際は見極めてるようだもの」
しかしそれは、苦労していないとイコールではない。
「――ご苦労なことで」
アルテイシアとは較べものにならぬ――いや待て、もしかするとこれは、いっそキャスバルに近いのではないだろうか?
――そりゃ、苦労することになるはずだ。
なるほど、図太さと図々しさと妙な全能感、これを撞き混ぜればキャスバルに近いものになる気がする――原作の“シャア・アズナブル”に全能感のようなものはなかったから、本人が擦り抜け方を工夫して、まわりとの軋轢を回避していた――完全ではなかったが――けれど、“お坊ちゃん”としての全能感が持続している今は、それがああ云うかたちで出てきたと云うことか。
そして、それが“ガルマ”の配属などに絡んで噴出している、と思えば、納得できるところはあるのだ――納得したからどうなるものでもなかったが。
「あなたは、お嬢様を利用したいのではないの、オルガ・イツカ?」
「冗談だろ、面倒くせぇ」
利用しようとすればその分だけ、こちらにもリスクが返ってくると云うのに、ちょっとした役得に目が眩んでこの娘とどうこう、など、そんな馬鹿なことはしない――そうでなくとも、十二分に金も権力も持ち合わせているのだし。
「義務とか義務とか義務しかないようなのなんざ、御免蒙るね。俺は好きに生きてぇんだ。小娘ひとりに縛られるような人生なんざ、真っ平だぜ」
目先のことだけ考えるなら、悪い話ではないのかも知れないが、これに利益を見出すような輩は、目先の利益でことを運び、結果得た地位から放逐されることがほとんどなのだ。贈収賄やら利益供与やら、そのつけで身を滅ぼすくらいなら、最初から近づかぬ方が百倍良い。つまりは、とっととトンズラするべきなのである。
「賢明な男なのね」
ミヨシは、こちらとあまり歳の変わらぬ人間であるような口調で云った。
「この娘のまわりに群がるのは、欲に目の眩んだ連中ばかりだけれど、あなたはちょっと違うようね。この娘の目も確かだったってことかしら」
「我儘云っても平気だとか、口をきく財布だとか、そんなもんじゃねぇのか」
「口をきく財布程度には無害だと思ったってことよ」
「――ありがたくねぇ……」
「そう? 私は、そうは思わないけれど。――あの方の眼力の方が確かだった、ってことね」
最後は呟くように、ミヨシは云った。
“あの方”とこの女が云うのは、多分、アストリッドの父親のことだ。それはつまり――
「とりあえず、明日からは、きちんと学校に行かせてくれ」
「わかったわ」
ミヨシは頷き、会話はそこで終わった。
それから首都バンチに到着するまで、長い沈黙だけがその場を支配した。
翌日は、やっとタチと二人だけでの観光になった。
が、タチはかなり神経を尖らせているようだった。
「あのお嬢さんがいないせいか、監視が近いんですよ」
押し殺した声で云う。
「やっぱり警戒されてんのか」
まぁ、首相令嬢を誑す男、と目されているのであれば当然のことだろうが。
が、タチは首を横に振った。
「そうじゃなく」
云いかけて、溜息をつく。
「……アンタに云っても、って気がしてきました」
「酷ぇな」
「ホントのことですよ。あのお嬢さんがいた時の方が、まだずっとましだったみたいな気がしてます」
「だが、流石にそろそろ拙いだろ」
学生の本分を放り出して遊び回るのに、手を貸していたわけなのだから。
「ですけどね、あのお嬢さんがいれば、少なくともここまでの圧はかけてこなかったと思うんですよね」
お嬢さんには知られないようにしたでしょうから、と云う。
「案外気がつかなかったんじゃねぇのかね」
と云うと、
「アンタじゃあるまいし」
と返された。失礼極まりない。
そんなこんなを云い合いながら、ガイドに載っているような観光名所を回る。リーアで一番古い証券取引所、オリンピックのようなスポーツの祭典が行われた記念の競技場、あるいはオペラハウス、コンサートホール、中央図書館や教会まで。いずれも割合に新しく、外壁や大きな窓ガラスも、ぴかぴかと輝いている。建築様式は旧時代のものを模してはいるが、一見木造の劇場も、木製なのは表面の張りものだけで、梁や柱の中には金属の骨が入れられているに違いない。
とは云え、コロニーで木材を使うこと自体、贅沢極まりないことだろうから、その総工費は目玉が飛び出るようなものであるに違いない。コロニーの建物は、特に公共の施設であれば、いざと云う時にはシェルターの役割も求められる。つまり、気密性も担保しなくてはならないのである。
「流石に、セレブ連中が子弟をここの学校にやる、ってだけのことはあるな」
文化的な施設に金がかかってる、と云うと、タチは若干顔を顰めた。
「その金は、他サイドの税金なんかが流れてる部分もあるわけですからね。少々複雑な気分にもなりますよ」
「なるほど?」
「まぁ、わかってるんですよ、貧乏人の僻みだってのは」
でもね、と続く。
「私みたいなのからすれば、ここは天上人の楽園です。私みたいなのが、普通に足を踏み入れるところじゃない」
「だが、それを支えてる連中だっているだろう。そう云う奴らは、お前とそう変わらねぇと思うんだがな」
「そうですよ。だから、一層むかつくんじゃないですか!」
拳を握って力説してくる。
「われわれの血税を! 一部の金持ち連中のために注ぎこんで欲しくないんですよ!!」
「……まぁ、その気持ちはわからねぇでもないが」
しかしながら、文化を蔑ろにする輩は、いずれ本を焼き、絵画を焼き、そして終には人を焼くことになるだろう。それは、数千年の昔から、様々な場所でくり返されてきた愚行である。
以前マ・クベに云ったとおり、文化より人間を優先させることが正しいとは思わない。
だが、あまりにも文化を蔑ろにすることは、即ちそれを作ってきた人間そのものを蔑ろにする行為でもあるのだ。そのことを、為政者たるものは、よくよく心に刻んでおかねばならぬ。
「ああ云うものは、心の余裕があるから成り立つものだからな。だが、ああ云うのが何もかもなくなっちまったら、それこそ動物なんぞと変わらねぇ。そう云う、人間としての心の余裕は、金のある連中が担保してくれてるって思やぁ、無闇と腹が立つってことでもなくなるだろ」
できる人間がすれば良い、と云うことは、何も仕事や何かの能力に限ったことではないのだ。金を使い、経済を回し、また文化を後世へ伝えることも、金と余裕のある人間が主体となれば良い。無論、すべての人びとがそうなることは、目指すべき理想ではあるのだが。
ものごとは、そうそう思い描いたようにはならぬものなのだ。
だからこそ、金のある人間は、応分にそのような“未来への投資”をするべきなのである。それもまた、ひとつの“noblesse oblige”であるだろうと思う。
問題は、
「まぁ、それを己のみの占有物であると思っちまいがちだ、ってところだろうな」
所有することのリスクと云うのは、そう云うところだろう。買い入れた本人は高い意識を持っていたとしても、その後継たちはそうとは限らない。自身のみの所有物だと思えば、それを売り払おうが、あるいは損壊させようが、己の思うままと云う意識にもなるだろう。
それを持ちこたえるのが、教育によるものなのだろうと思う。一定以上の家門における“一族の誇り”と云う意識は、持てるものに課せられた義務の意識でもあるのだと思う――それを失って久しいものも多いのだが。
「そう云う意味では、リーアは頑張ってる方じゃねぇのか? 見たところ、ミュージアムもコンサートも、割合低価格で行けるみたいだしな」
文化は金のかかるものだが、それを政府がバックアップするのなら、あながち一部の金持ちにばかり補填しているとも云い切れないはずだ。
「――アンタ、意外に性善説好きですよね」
などと云うが、しかし、割合に人間不信な方だと自分では思っている。期待しなければ裏切られることもないのだ、がっかりさせられるくらいなら、はじめから信じなければ良いのは、自明の理である。
それでも、
「……まぁ、働きかければ動く、って信じてねぇと、やってけねぇだろ」
特に政治家と云う仕事などは。
例え世に愚民しかいなくとも、働きかけ、教化啓蒙すれば世界が動くのだと、それを信じていなくては、政治などやっても仕方がない。賢人が導くなどというものではない、話して、こちらも蒙を啓き、ともに未来へ向かって歩んでいかなくては。
その希望くらいは、自分の中に残しておきたいのだ――例え、幾度も裏切られることになったとしても。
「楽天家と云うべきかどうか、悩みますねぇ」
まぁ、オプティミストでもないが、ペシミストでもない、と云うところだろう。つまりは普通の人間だと云うことである。
ともかくも、平穏にその日は観光を終わり、いよいよ帰る日となった。
子どもたちへの土産も買いこみ、スーツケースはぱんぱんになった。入り切らない分は、気に入って購入した大きめのボストンバッグにも詰めこんだ。実家に送ってやる気はないので、今度のお泊り会で渡してやろうと思う。もちろん、アルテイシアやマリオン、フロルの分もだ。
“ガルマ”は例の湖の写真とポストカード、キャスバルには文具店で見つけた小口のマーブル模様の美しい日記帳――小さな鍵のついたもの――にした。年長組のシロッコ、マリオン、アルテイシア、ララァたちと色違いのお揃いのものである。あの歳頃の子どもたちに、何を贈ったら良いかわからなかったのだ。菓子などの消えものは、泊まりにきた時に食べさせてやればよいのだし。
他の“家族”には、それぞれの自宅に消えものを送ったので、まぁそれで良いだろう。
ムンゾに帰り着けば、休暇の半分以上が終わったことになる。残りの日数は、自宅でのんびり過ごしたい。復帰したら、キャスバルと対決せねばならないのだし。
宿を引き払い、宙港へ。
「本当は、ハッテとかムーアとかも行きたかったなぁ」
健在なアイランドイフィッシュを見てきたかった。
しかし、そのためにはもう一月、せめて半月くらい休みが必要だ。長期旅行後即仕事に復帰、は流石に辛くなってきた――もう若くはないから、当然のことか。
「止めてください、私の神経が保ちませんよ」
晴々とした顔つきだったタチが、途端に渋面になった。
まぁ、わからぬではない。何かあったら、タチの責任問題になる。早々にムンゾに戻り、この後は穴熊暮らしをしてほしいと思うのは、立場を考えれば肯首するしかないことではあるだろう。
「ま、後は大人しくするさ」
何もなくてだらだらするのも、それはそれで楽しいことなのだ。
うっかり古書店などにも寄ったので、面白そうな本も数冊手に入れた。荷物は重くなったが、シロッコも興味を持ちそうなタイトルだったのだし、まぁ良かっただろう。
宙港で荷物を預け、保安所へ、と思ったところで、
「オルガ!」
リーア滞在で、すっかり聞き慣れた声が呼びかけてきた。もちろん、アストリッドの声だ。
「またかよ……」
と振り返って、硬直した。
アストリッドとミヨシがいる、のは想定内として、その横にいる、いかにも“休日のお父さん”と云った態の恰幅の良い男は、
――ランク・キプロードン……!!
モニタの中ではよく見た顔が、ほんの数メートル先にあった。
何で、と声もなく唇を震わせれば、ミヨシが肩をすくめて、
「“親の顔が見たい”って云ってたから、連れてきてあげたのよ」
と云う。
いや、アストリッドの親が誰かは知っていたし、それはあくまでも慣用句と云うか、よくある云い回しとしての言葉だったのであって――実際に連れてきてくれとは、欠片も、一言も云っていない!
「やぁ、娘から話は聞いていたよ。会いたいと云ってもらえるとは光栄だな」
と男は笑うが、そう云う意味で云ったのでは断じてない。
気がつくと、人の流れはこのあたりだけ減っており、そこここの物陰に、黒服の男たちが佇んでいる。いずれも、体格よろしく眼光鋭い――SPだとひと目でわかるような。
タチはと見ると、流石に落ち着いた風を作ってはいるが、しかし恐らくは、内心で震え上がっていることだろう。
それはそうだ、誰がこんなところで、リーア首相と対面することになると思うのか。
「娘が随分世話をかけたようだね。申し訳ない」
云いながら手を差し出されたとしても、それを握り返せる人間がいるものか。
戦慄が収まってくると、何かがすとんと肚の底に落ちてきた。
ふぅとひとつ息をつく。
「……あんたがアストリッドの親父さんなら、ひとつだけ云いたいことがあったんだ」
あくまでも“オルガ・イツカ”の姿勢を崩さず、そう口にする。
キプロードンは首を傾げた。
「ほう、何だね?」
「あんまりこいつを野放しにするんじゃねぇよ! 私用で学校を休みまくるとか、他人にたかりまくるとか、あんたの躾がなってないんじゃねぇのか!」
叫んでふぅっと息を吐くと、男は一瞬きょとんとし、やがて大口を開けて笑い出した。
「そうくるか!」
腹を抱えて笑う。
ミヨシも目を見開いていたが、何とも云い難い顔になると、溜息をひとつついていた。
「てっきり、私と顔繋ぎがしたいのかと思っていたが――違ったのかね?」
「あんたが誰でも、云いたかったのはこれだけだ」
何と云われようとそれだけしかないし、こちらをどう思っていようとしらばくれるしかない。
キプロードンは、面白そうに笑いをこぼした。
「まぁ、そう云わず、どうだねお茶でも」
「や、結構だ」
大量のSPに監視されてのティータイムなど、自分のテリトリー外では寛げるはずもないし、そもそもあまり時間もない。
「ムンゾ行きの船なら、まだ便はあるだろう。何なら、取り直させようか?」
親切ごかして云われても、楽しい時間を持てる気はさらさらしないのだ。とっとと退散するに限る。
「お申し出はありがたいんですがね、俺たちにも次の予定ってもんがある。のんびりお茶してるわけにゃいかねぇんですよ」
「それは残念だ」
「ひどい、少しくらい別れを惜しんでくれてもいいんじゃないの?」
頬を膨らませてアストリッドは云うが、冗談じゃない、リーア初日から、どれだけつき合ってやったと思っているのだ。
「仕事があんだよ。お前だって学校があるんだろ。遊んでないで、勉強しろ学生」
「そんなに遊んでないわよ!」
さらにぷくっと膨れている。河豚のような顔。
「大体、充分払ってやっただろ。喋る“財布”はお役御免だ。もう、他人にたかるなよ」
「……何よ」
小さく云う少女の肩を、父親が笑いながら叩いた。
「通じてないな、アストリッド!」
――いや……
通じていない、わけではないが――それを云ったら、面倒なことになるのは目に見えていたので。
「意外にもの堅いのだな、“オルガ・イツカ”。」
にやにや笑いで云われるが、それにまともに返してやるのは癪に障る。
「ガキにかかずらわってる暇はないんでね」
「つれないことだ」
「何とでも」
タチが、じりじりした顔で時計を睨んでいる。まだ、最終呼び出しまでにはかなりの間があるが、もたもたしていていい時間でもない。
「思っていたより面白い男なのだな」
ひとしきり笑うと、キプロードンはまた、手を差し出してきた。
「やはり握手してくれるかね。娘のことは感謝している」
その手を取るかどうか迷ったが、これ以上拒むと、さらに引き止められそうだ。仕方なく握手する。
と、キプロードンは顔を近づけて、小声で囁いてきた。
「安心したまえ。リーアは、ムンゾに味方するよ」
それは。
「……そう云うことじゃねぇ!!」
意図があってアストリッドに近づいたと思われるのは、本当に心外だった。
が、キプロードンはこちらの気持ちに関わりなく、明るい笑い声を上げただけだった。
「また会おう、“オルガ・イツカ”。今度は、そうだな、ムンゾででも」
「……勝手に云ってろ!」
今度こそ、踵を返して保安所へ向かう。出発時刻の案内が、カウントダウンをはじめていた。
「またね、オルガ!」
ゲートをくぐる直前に、アストリッドの声が後ろから追いかけてきた。