まるで最後の気力を振り絞ったかのように、ナルハタとオビトの葬儀を終えた。
土葬が主流の時代でも、うちは一族は元来、写輪眼を奪われないために遺体は燃やすことになっている。故に幼いオビトの遺体は燃やされたが、ナルハタは違う。彼女は大筒家の人間だ。
彼女の兄、シュテンは妹の訃報を知ると激怒したという。偉大な父に見込まれていながら、女の一人も守れぬのか――と。火の国の大名、大筒シュテンはナルハタの遺体返還を求め、マダラはこれを拒まなかった。オレのような奴のもとにいるより兄達のもとで眠りたいだろう。心の折れたマダラはそう思い、可能な限り修復した遺体を自ら送り届けたのだった。
シュテンに怒鳴り散らされても、マダラは頭を下げたまま、甘んじて叱責を受け入れる。だがこれは己一人の責であり、うちは一族を咎めないでくれとだけ頼んだ。
怒りが収まらないシュテンだったが、やがて冷静さを取り戻すと誰一人にも責を問わぬと確約した。それはマダラですら例外ではない。罰してくれないのかと、泣きそうなマダラにシュテンは冷たく吐き捨てた。妹の愛した男を、どうして兄の俺が罰せようか、と。
マダラは何も持たず、うちはに帰還した。しかしそれ以来マダラは一切外に出なかった。
誰が訪ねようと。誰が慰めようと。頑として屋敷の外に出ず、妻と息子がいたはずの部屋に閉じこもり。うずまきアシナが土下座して、刺客の侵入を許した不手際を謝罪しに来れば、部屋の襖越しに「アンタは悪くない、許す」と憔悴しきった声で一言だけ告げた。
それ以外には、友である柱間すら門前払いにした。
彼は呆然と無人の部屋で佇む。なぜこんな事になったのか、考える気力が湧いてこない。
やがてマダラは己に義務が残っていることを思い出す。彼は妻の使っていた筆を用い、火影就任は辞退すると書いた。震えた字で、紙面を何かで濡らしながら。
マダラにはもう何もない。うちは一族の当主の名も、空虚だ。誰も信じられず、内に、内にと閉じこもっていく。妻が、弟が、己が、努力した末に辿り着いた初代火影の座。それを手放すことにしてやっと、マダラは涙を流した。妻の死以来、枯れたと思っていた涙だ。
彼は屋敷の地下にある石碑を見に行った。
マダラの脳は今、深い絶望により特殊なチャクラを分泌し、彼の瞳力は強力になっていた。
皮肉な話である。嘗て平和を求めた男が、本来なら得るはずのなかった配偶者と、子を得て。失うことで過去・現在・未来のうちは一族の中で、並ぶ者のない瞳力を手に入れたのだから。
そう。今のマダラの瞳力は、本物の大筒木インドラをすら凌駕していた。それこそ条件さえ満たしたなら、すぐにでも輪廻眼を開眼し、六道仙人の域にまで達しかねないほどに。
故に石碑の全てを読み解けた。だが、マダラの心は石碑を見ても動かない。それらは以前、義父に伝えられた通りの情報でしかなく、新鮮な情報は何もなかったのである。
餓死寸前になって、やっと彼は考える。なぜこんな事になった、と。何度も何度も、考えた。
しかしマダラの脳裡を過るのは、幸せだった日々だ。そして――最愛の妻の最期の言葉が、繰り返し繰り返し記憶から再生される。気が……狂いそうだ。本当に狂ってしまえたらどんなに楽だろう。
だがマダラは狂えなかった。自己に埋没していくにつれ、決して愚かではないマダラの目前に、蜘蛛の糸が垂らされているのに気づいていたからだ。
しかし、彼はその糸に縋らない。悩み、苦しみ、苦悩する。
このまま朽ちていくのがいい。それが一番だ。あの世で妻たちに会えるならそれで。
『マダラ様』
自分を呼ぶ声。向けられる笑顔。それらが消え、彼の中にはイズナが死んでから、なぜか格別に無垢になった妻の恐怖と、絶大な愛情が蘇る。
記憶の中から、黄金期と言える人生の思い出が駆逐されていく。
残るのは儚くも尊い、鮮烈に焼き付いた妻の愛。父を信じる愛する息子。
いいのか、と自問する。このまま終わってもいいのか。
よくない。よくないが――答えが見えない。己の望みは見える、しかし。
ああ……決められないのだ。しかしこのままではいられない。
マダラは書き置きを残し、外に出た。現在の外の情勢は知らない。興味がない。
外へ。外へ。うちはから抜け、里から抜け、誰もいない闇の中に消えた。
道は見えた。だが行動するかが決められない。決められないまま――彼は答えを求める。
迷ったままだ。だがしかし不思議と足取りに迷いはない。
彼はいつの間にか衰えた肉体を回復させるため、目についた適当な飯屋で食事をする。
機械的に、淡々と。
機械的に、肉体を回復させ、鍛え直す。
チャクラを練り、術を見直し、瞳力で俯瞰する。
世の中を。
嘗ては平和を目指していた。だがもう、そんなものは見えない。
こんなものを求めていたわけではない……その思いで、彼は口寄せした。
全盛期にまで鍛え直した体。しかし心は空虚。
彼は、うずまき一族に教わった術を行使する。
――それから三年。
彼は木ノ葉隠れの里に侵入する。
初代火影には千手柱間がなっていた。木ノ葉には
うちはの当主には、イズナの息子が就いている。
それだけ確かめた。後は、寄り道をしない。うちはに迷惑は掛けられんなと思うだけだ。
故に彼は、火影宅に火影にだけ伝わる形で手紙を隠した。
そして里から離れ、待った。
待ち続ける。やがて――戦装束に身を包んだ千手柱間がやってきた。
「マダラ……」
「来たな。扉間は何処だ」
腕を組み目を閉じたままだったマダラは、無感動に柱間を見る。
なんの感情も宿さない友の目に、柱間はたじろぎながらも答えた。
「オレ一人で来た。扉間は来ようとしたが止めた」
「何故だ?」
「……お前との間に余人を挟んでも足手まといぞ」
「フン……」
また勘か、と彼は呟く。
柱間は予感していた。友と戦うことになるだろう、と。嫌だった。
だが仮に戦闘になれば――扉間は死ぬ。柱間が共にいてさえだ。
緊張した面持ちで、柱間は語り掛けた。
「マダラよ……今まで何処にいたのだ。なぜ火影の座を辞退した。オレはお前が相応しいと――」
「黙れ。貴様と今更お喋りに興じるつもりはない」
「っ……マダラ! アシナから聞いたぞ、
「黙れと言った。オレはオレとナルハタの木ノ葉に害は為さん。うちはにも迷惑を掛けん。故にオレの筆跡を誤魔化したのさ。それにな……」
マダラは、ゾッとするほど酷薄な笑みを湛えた。柱間の背筋が凍る。
こんなマダラの貌を、彼は見たことがなかった。
「貴様がナルハタを殺した訳ではないことなど、
「な、何……?」
彼は訥々と語る。何かを探るように。
「あの木遁は……
「なんだと……? ナルハタ姫が……だが、何故だ」
「さあな。そんな些事はどうでもいい。肝心なのはナルハタとオビトが死んだことだ。ナルハタが幻術で操られたのか、あるいは貴様がオレの眼をも欺くなんらかの術で、ナルハタのチャクラで木遁を使ったのか……全て些事だろう。ただオレはな――願いを懐いた」
「願い……だと?」
「正直、決めかねている。故にこれは八つ当たりだ。そして今後を占う機会でもある。千手柱間、オレと戦え。そして殺せ。オレが勝てば、オレは願いのために行動する。貴様が勝てば潔く死のう」
「待て! なぜオレ達が殺し合わねばならん! オレ達は――友だろう!?」
話し合いで決着させたい柱間を、しかしマダラの瞳は映さない。
ただの障害。眼の前に屹立する壁としか思っていない眼だ。
乗り越えようとしている。だが乗り越えられずとも良いとも思っている。
埋め難い奈落の断絶が、マダラから感じられ柱間は愕然とした。
――木ノ葉から遠く離れた、無人の地。後に終末の谷と呼ばれる事になる、しかして今は変哲もない森の中。
対峙するマダラの異変に、柱間は驚愕した。
彼の体から立ち昇る、真紅のチャクラ。それに見覚えがあったのだ。
「――それは!?」
「柱間……
言って――真紅のチャクラが、橙色に変じる。
――九尾ノ人柱力・うちはマダラ――
彼の全身を覆い尽くしたのは九尾のチャクラである。マダラはこの三年の内に九尾を己に封印し、人柱力となると柱間とのチャクラ量の差を埋めた。そして自らの内に封じ込めた九尾の自我を完全に押し込めて、九尾のチャクラだけを全て引き出し『九尾チャクラモード』の完成形を手に入れていたのだ。三年の殆どは、九尾側の協力なしに力を使いこなす修行に費やしたのである。
柱間を見る、永遠の万華鏡。彼は瞬時に悟った。九尾の力に合わせ、マダラほどの忍の力が、こうまで高次元で融合していることの脅威を。最初から全力を出して尚――マズイ。
隈取を貌に浮き出した。反射的な行動だった。柱間の全身を戦慄が貫く。
「往くぞ。止められるなら、止めてみせるといい」
そうして戦いが始まる。
「――オレに……進めと言うんだな、ナルハタ」
天災同士の激突により激変した環境の中心で、降りしきる雨の中、うちはマダラは仰向けに倒れた柱間を見下ろす。
戦いはマダラに軍配が上がった。里に仇をなしに来たわけではないマダラに、柱間は迷いを捨てきれず、迷いながらも本気で挑んでいたマダラを前に敗れ去ったのだ。
ライバルに勝利したというのに、マダラに喜びはない。最初から本気だったら、まだ勝敗は分からなかっただろうにな、と思うだけだ。
マダラは柱間にトドメを刺さなかった。
寧ろチャクラを少し分け与え、このまま柱間が死なないようにすらする。
そうしてマダラは今度こそ去った。
常に己より一歩前にいたライバルに初めて勝利したというのに、彼にはなんの達成感もない。
マダラは歩む。求道の荒野を。
以後、長きに亘る迷いの中。柱間の肉を食らうや、彼のチャクラを取り込んだ
平和の尊さ、無価値さを。戦乱の無意味さ、虚しさを。
ただただ見る。傍観する。その最中に幾つかの出会いを経て――マダラが本当の、自らの願いを直視したのは、マダラが老い寿命で世を去る寸前だった。
マダラが最後に出会ったのは――己の息子と同じ名を持つ、戦火の悲劇に絶望した少年だった。
少年の絶望と、片思いの少女の最期を見て。
彼はやっと決心したのである。
「始めよう……オレの。オレ達の……浄土計画を」
次から数話ほど空白期間。マダラの求道の歩みの中の話。
そして黒幕気取りの証拠隠滅の話も。