ところで今回は時を少し遡り、1999年は4月下旬のお話
【Ep.75】怨嗟
夢だというのはすぐに分かった。昨日も同じ景色を見ていたから。
───でも。
『……懐かしいな』
この粘っこい湿気。仄暗い薄暮。側には誰一人いない。
この景色は紛れも無く、俺の現実そのもので。
俺が抱いてきた過去そのものだ。
仕方が無いので走り出す。ここは夢の中、思った事には抗えない。逃げ出したいという思いに、とても素直に虚構の体が従う。
例えそれこそが
抗えない。
『はっ、はっ、はっ……!』
夕暮れを駆ける、沈んでいく夕日を追いかける。暗いのは嫌だ、ひとりぼっちは嫌だ。
『待って…っ』
待つ訳が無い。太陽に人の道理は通じない。
いや、そもそも俺はもう人ですらなかったか。
『待てってば……!』
それでも呼ばずにいられないんだ。俺の変わらない根幹。無謀で、無意味で、なのに求め続ける欲張り。
何も持たない俺に、差し出せない俺に、何かを貰う権利なんて本来無いのに。
『お願い、だって』
本当なら、2回目の命をくれた時点で神様には感謝の言葉以外言う権利なかったのに。あろう事か貰ったチートにケチまでつけて。何様なんだろうな。
『いやだ、いやだ』
でも、辛い。
寂しい
そんなの、耐えられない。誰かに側にいて欲しい。日の当たる場所にいたい。
対価だ。価値ある物を差し出せ、引き換えろ。じゃなきゃ、誰が好き好んで俺に寄り添う?
でも───肝心の俺に、何も無いじゃないか。
『それでも……』
それでも、と。
そう願うから、俺は手を伸ばし続けた。この足で、遠ざかる光に縋った。
俺には何も無い。
対価を差し出せる
だから───
願いがもし叶った時、
こうなっているのは、当然の帰結だった。
足元の感触に立ち止まる。枯れた草をパキパキと踏んでいた筈が、いつの間にかグチャグチャと粘ついている。
本能は、目を逸らす事を望んだ。
理性は、直視しろと吼えた。
分かっている。答えはもう知っている。拒もうが、受け入れようが、事実は既にそこにある。在り続ける。
『ぁ、あああ……っ』
知っている。俺はお前を知っている。
『フレアカルマ……っ!!』
なんでそんな虚な目をしてるんだ。
なんで踏まれてんのに痛がりもしないんだ。
なんで息してないんだ。
痛くないのかよ。何か言ってくれよ。
『違っ…ごめ、そんな……』
ジュプリ。蹄を引き抜いた時、聞こえてきたのはそんな音。
糸を引くのは赤い液体で。
『……!っ──?!』
声も出ない。息が止まり、いやに鋭くなった感覚が、血に染まった脚の生温かさを明確に伝えてきた。
土手っ腹、フレアの肺の辺りに空いた穴。俺が。俺が?
『ちがう、ちがう!!』
何も違わない。喚いても何一つ変わりはしない。なぜ気付かなかった。フレアがいたのになんで気付かなかった?本当に、なんでだ?見えてなかったのか??
そうじゃない。ずっと見えていた。
目を逸らしていただけだった。
呆然として見回した地平に、答えはあった。
死。
死。
死、死、死。
『……んだよ、コレは……!』
地面が、死体で埋まっていた。不思議と誰も傷ひとつなかった、だが呼吸音も鼓動も無かった。
死という静寂。それが、暮れゆくこの地平を覆っていた。
その中を。
さっきまでその中を、俺は。踏みつけて。
『ひぃっ!?』
答え合わせはすぐ後ろ。その通りに、俺の脚でグチャグチャにされた誰か達。
ううん、違う。誰か、じゃない。知ってる。
俺は、コイツらを、知ってる……!
『
俺が初めて競った相手。フレアだってそうだ、皆して挑んだ初めてのレースで。俺が勝って、皆はその後ろで。
そうだ、俺が勝ったんだ。そしてこれが、その結果。
俺が招いた、彼らの結末。
『嘘だろ。嘘だって、誰か』
あり得ない。何がって、誰
俺のせいでこうなったのに。俺がコイツらをこんな目に追い遣ったのに。その俺が覚えてなくてどうすんだ。責任一つ取れなくてどうすんだよ、オイ。
いや待て。
分かっちまったよ、俺。
気付くな、俺。
今度は本能が勘付き、理性が止める。最後のボーダーラインだ。後戻りできない。それでも知らなきゃ。
『コイツらだけじゃない』
新馬戦の皆だけじゃない。
この世界にある、皆の体。
ここにいる皆、全員が。もしかして。
俺の、所為で。
『──ロ───』
『スペッ!!』
こんな状態でも、“それ”にはすぐ気付いた、気付けた。怖くて仕方ない静けさのお陰で、それから逃れたい一心で耳が拾ってくれた。
振り向くと、彼方に唯一立っている影。スペだ。俺を呼んでるんだ。
駆け寄ろうとして、遺体の山を前に臆し──意を決して踏み出す。踏み潰す肉の感覚、その一つ一つになんの慰めにもならない謝罪を重ねながら。そのお陰で、秒も跨がず辿り着く。
グチャリと、最後に躙った感触。それを最後に、俺はスペの前に立って。
絶句した。
スペの隣で、グラスが眠っていた。
永遠の眠りだった。
『……バカ、言うなよ』
んな訳が無い。俺がグラスを?
俺が生きる為に、なんで俺の生きる理由が犠牲になってんだ。どういう矛盾だ?何の冗談だ?
『やめてくれよ、なぁ……ッ!!』
頭を掻きむしろうにも、思うように掻けない。馬の身体じゃ思うように前脚を使えない。もう、何もかもが煩わしく鬱陶しい。
何故こうなった。どうしてこうなった。なんで、なんで、なんで!
『決まってるでしょ』
……スペ?
お前まで、どうして血を吐いてる。
『クロがやったんだよ?グラスも、皆も、僕も』
ほら、と鼻先で示された俺の足元。
スペの腹から飛び出た血管、脈打つそれを視線で辿り。行き着いたのは。
俺の蹄に踏み潰された、スペの心臓で。
『──、〜〜〜〜〜〜ッッ!!!』
喉から血が出る程に叫んだ。叫びたかった。血が出て欲しいぐらいだった。
殺した、殺した、俺が殺した。俺がスペとグラスを殺した。
日本競馬史に名を残すだった名馬、スペシャルウィークとグラスワンダーを殺してしまったんだ!!
『何言ってるのさ。僕とグラスだけじゃない』
『はっ、な゛っ、ぇ゛、あ!?』
『にゃはは、これは酷い。オレ達の犠牲で生きてるのに、オレの事も忘れちゃいましたかぁ』
『一流でもないお前が、その自負も権利も無いお前が。どうしてこんな事ができたんだ、え?』
『
スカイ。キング。エルまで。全身から血を滴らせて。
違うんだ。ごめんってば。ごめんって!
ああそうじゃない、そうじゃない!謝ってどうにかなる問題じゃない、もう取り返しがつかない!!
ああぁ、あああああっ!!!
『ねぇ、クロ』
『やめろ!やめて!!やめてくれ!!!』
『君は精一杯走ったよね』
『ごめんなさい!!もう何も望まないから、今度こそ自分でやるから!許して、許してよぉ!!』
『あのさ』
『オレ達のさ』
『栄光を奪って』
『拍手を貰って』
『楽しかったですか?』
うわあ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ぁ゛ア゛ァ゛あ゛ア゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!!
『ギィあ゛ァ゛ッ───!!?』
気が付いた瞬間、反射的に喉を自分で狭めた。漏れ出た僅かな金切り声、これはセーフか。それともアウトか?
ふらつく足と視界を押して、横の馬房を覗き見た。そこにいたのは。
『くかー……サイキョー……クロを倒して、グラスとサイキョーのこども……ごかー……』
『ア~ッ…シーラガ40メートル
眠りこけるエル。そして、その立髪に潜り込んで寝惚けるマンボ。
セーフだ。起こさずにいられたようだ、恐らくは他の馬房の馬達も。
……いや、駄目だ。絶対に
ほら、足音。
「クロ、大丈夫か……?」
ああ、くそっ。生沿、お前と繋がり過ぎた。その弊害がこれだ、離れててもどこかで通じちまってるらしい。
でも隠さなきゃ。これは俺の問題だ、巻き込めない。新人の生沿に受け止め切れる問題じゃない。いや違うな、俺が巻き込みたくない。俺だけで解決したい、しなきゃいけない。
『……何の事だ?それより何時に入って来てんだ、他の馬が起きちまうぞ』
「本当かぁ?なんかこう、叫んでる気がしたんすけど……相談したい事とか、あったら言ってくれっすよ?まぁ俺も」
『ははっ………』
嬉しいなぁ。嬉しいけどさ、違うんだよ生沿。
だってさ。
アレは夢じゃないんだ。
起きたかも知れない
……競馬ってのは、結果が全てだから。どんだけ調教過程が良くても、どんだけ騎手や調教師の言う事を素直に聞いても、下手するとどんな良血を引いていたとしても。レースで成果を出せなければ、そこに“死”という分岐が必ず現れる世界だ。
分かっていたつもりだった。だから頑張った、天寿を全うする為に全力を尽くしてきた。勝ってきた。その甲斐あってほら、俺は今ここに無事にいる。生沿、お前という最高の相棒にも会えた。
「……おい、クロ?どうしたんすか、急に黙って」
でも、なんでそこまで分かってたのに気付けなかったんだろうな。
俺が頑張れば、勝てば、死の分岐は何処へ行く?
消えはしない。1着という名の椅子取りゲームで、勝者以外があぶれるという事実は消えはしない。
つまり、そういう事なんだ。
俺がやってきたのは
フレアカルマはその筆頭だよ。俺がいなきゃ、アイツはあのレースで確実に1着で、そして俺がいたから2着になった。“
その結果、アイツは。
勝てた筈のレースを落とした、フレアは。
フレアだけじゃない。あの新馬戦で、他のレースで、俺が介入した事で順位を一つずつ落とした馬達。いや一つずつどころじゃない、ペースをかき乱した分だけもっと散々な結果にされたヤツだっていた筈だ。
俺の愛する、黄金世代の皆だって……そこに含まれるんだ。
グラスは朝日杯を落として、初GⅠまで1年も遅くなった。エルはジャパンCを損ねて、よく考えたら海外遠征に行けるか怪しくなってた。スペやキングも、俺に割って入られて賞金が少なくなってたかも知れない。
特に酷いのはスカイだろうな。アイツは俺と同じ零細血統で、しかもSSが入ってないから一層肩身が狭くて、なのに皐月を俺が奪った。相当危なかったんじゃないか?俺が呑気に友達ヅラしてる間に、アイツは命の危機だったんじゃないのか?
俺は、俺の知らない内に───皆を殺しかけてたんだ。
……サイレンススズカを救ったのも、今思えば呆れ返る程に偽善行為だったよ。これだけ多くの馬に影響与えて、運命を歪めて、恐らくは──何頭も死なせてるってのにさ。
(よくもまぁ……俺みたいなカスが、好き勝手やっちまったな)
吐きそうだ。今すぐにでもゲロしたい。胃の中も、思いも、全部ひっくり返して楽になりたい。何にも誰にも迷惑かけずに、静かに引きこもって死んでいきたい。
何もしたくない。息すらしたくない。でも息しなきゃ苦しくなって、それが嫌だから息をする臆病者。卑怯者。
それをしてどうなる。約束は。グラスとスペと交わした誓いはどうなる?
皆が俺に託した期待はどこへ行く?
でも、それを理由に走り続ければ……次は、今度こそ、俺の大事なヤツが死ぬかも知れないのに。
どうすれば良いんだ。馬の俺にどうしろっていうんだ、なぁ。
助けてくれ、神様。教えてくれ、生沿。俺はこれからどうすれば良いんだ?
「………」
『っ』
……やめだ。答えが欲しいのは生沿の方だ。今も俺をじっと見つめて、俺の返事を待っている。何も聞かずに、踏み込まずに、俺の決断を尊重しようとしてくれている。
そんなコイツに、下手な質問して負担なんか掛けられるか。さっき自分で思ってただろ、俺の問題だって。貫け。その上で、するべき事は何だ。
一つだけ、だ。
『………明日には忘れてるよ』
俺は大丈夫だと。
そう、笑う。
あの時、俺とクロはまだ絶頂にいた。
でも見ている物が違ったんだ、きっと。
俺は更なる上を見て。
クロは多分、下を見ていた。自分達の辿って来た道を省みていた。
……どうして、それに気付いてやれなかったんだろうな。
何が人馬一体だ。きっとベテランなら、奥分さんなら気付けた筈なのに。異変を感じて、もっと踏み入れた筈なのに。
対して俺は、クロを尊敬しているつもりでその実、踏み入るのを恐れた。何もしなかった。若さを言い訳にするつもりは無いけれど、若さゆえの無知と躊躇いが、俺とアイツを引き裂いたんだ。
「なぁ、クロ」
自室の奥深く、厳重に保管していた鞍を撫でた。かつてこの下に、アイツの温もりがあった。
今はもうどこにも無いそれに、思いを馳せる。
「俺で、ごめんな」
それしか、言葉が見つからない。
どう足掻こうと、あの日々は二度と戻って来ないから。
スペが来てたら「大丈夫な訳無いじゃん!」と突っ込んでゲロまみれになってました
スキル表示は
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固有だけで良い、他は不要かな
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通常のも入れて良いよ
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能力バトル地味たのはうーん……