今日も快晴!元居た場所と比べるとちょっと肌寒くて、でもその分気が引き締まるというモノ。いつもの練習場までの道もルンルン。
エルコンドルパサー!体調、快調、絶・好・調!デェース!!
『変わんねぇなぁエルは』
『ソレガ、エルノ、イイトコ。カッコイイ!』
『フッフー。もっと褒めてくれても良いんデスよ?』
『エル最強!!娘化した時のスリーサイズが黄金世代最強!!』
『エルに勝ち越してる奴が言うなデェス!!!』
『うわぁ急にキレんな!』
何デスか、嫌みデスか?いえクロスの事です、どうせ本気で褒めてるんデショーね。くうううう、ハチミーの見物とはいい御身分デェス!!くやしー!!
『アーッ、エル。タダシクハ、"
『そうそうそれデス』
『ハチミーは笑うわ。ははははははは……は、ぁ…』
『わわわ分かってて言ったんデスからね!?ところで、ムスメ?スリーサイズって?』
『あースマン。独り言みたいなもんだから気にすんな、それよか脚の調子はどうだ?』
ムムム、それを聞きますか。エルの体調はずっと好調、クロスも同様でお互いその事は知ってマス。つまりこの質問は、また別の意味で。
つまる、芝への慣れの話。
『全然デェェェス!!』
『俺もだぁ……!』
何デスか、何なんデスかここの草!?無茶苦茶脚に纏わりついて、思うように踏み込めマセン!!!
クロスも四苦八苦してるようで、二頭であぐねてる途中デス。うううう、レースも近いのにこれじゃあ……!!
『芝が日本のそれより長いんだ…その影響もあって、ここでの良馬場が日本での重馬場みたいになってる』
『イワレテミレバ、
なるほど確かに。蹄だけがまるで泥沼にいる時みたいに、泳いでるときみたいな感覚になってのはそういう事デシタか。となるとうーん……どうしまショ?こんな場所で走るの初めてデスし。
『エル、
『砂?全然違うじゃないデスかヤダー!!』
『いや、一理無くも無いぞ。欧州の馬場は柔らかい、性質は日本のダートと似てなくもない。実際、俺が知ってる日本の二着馬はダート適正高かった』
『へ?そんな事、どこで知ったんデス?』
『…俺なりのツテがあって、な』
マンボの突拍子もない提案に、なんとなんとクロスが追従する迷走ぶり。とはいっても、草がある場所で砂の走りをしろと言われてもデスねぇ……足裏の感覚が違い過ぎて、無理。ムボー。難題デェス。
『というか砂の走りができないと勝てないというのなら、クロスはどうするんデスか。砂で走った事、あんまり無いんデショ?』
『本番じゃゼロだな。まぁ……俺は場当たり的に何とかするよ。お前は最適解を踏んでいってくれ』
『ノンノン、デェス!そんな見捨てていくような真似、最強のエルには似合いマセンっ!』
『アーッ!マンボ、ホカノウマノレース、ミテクル!!ソシテ、オシエル!』
『嬉しいけど……嬉しいけど、
ええい遠慮してる場合デスか!エルはヤバ強なアナタを倒すためにここまで追って来たんデス、そんなアナタが情けない走りをしてたらここまで来た意味が無いんデスよ!!
『エル、そうじゃないんだ。俺は……』
『っと。エル。今日はお前はこっちだぞ』
むっ。ニンゲン達に引っ張られちゃ仕方ありマセン、一先ずはここまで。クロス、今日もお互い頑張りマショー!!
『……それしか無いよな。ああ、怪我に気を付けて』
『ソッチコソナー!』
「おうクロス。久方ぶりやな」
臼井氏の姿がそこにあった。アンタも来たのか、
「スペシャルは春天を勝ちよったぞ、快勝や。お前にもぜひ、実力を海外勢に見せつけてもらわんとなぁ?」
そっか。スペが春天を。ステイヤーとしての素質を示してみせたのか、そしてもうそんな時節だったのか。
ええと、確か1999年の春天が5月2日で、そんでイスパーン賞が下旬だから……あーヤベェ。時間がミリも無ぇ。調整間に合うか、これ?
間に合ったとして、どうする?
「テキ、こちらがここ1か月のクロスクロウ号のデータです。体調は日本にいた時と比べて少し上下が目立ちますが安定、しかしタイムは最近伸びなくなりつつあります。まぁ生沿君が乗った時だけ抜群な結果出るのはいつも通りですが」
「ふむ……渡欧開始から2か月強、コイツなら馴染むには長過ぎるくらいやと思うとったが…見立てが甘かったか。エルコンドルの方も若干スランプらしいし、スぺを連れてくる時もある程度の覚悟が必要そうやな」
「イスパーン、どうします?」
「皐月賞で見せたように、コイツの瞬間対応力は随一や。準備期間こそ設けたが正直言ってぶっつけ本番で洋芝に適応する確率が一番高い。皐月の時と違って生沿もおるしな———それに俺が直々に見るんや。今から最低限以上には持っていける、それ以上に持っていってみせる」
臼井さん達は俺に期待してくれる、当然のように走らせてくれるつもりでいる。その事自体はとても嬉しいし、期待の分の成果は全力で示したいと願う。
けど、自覚しちまったんだ。俺がレースを走り切るって事は、俺の後ろにいる奴ら全員を死の
イスパーン賞ではエルと走る。エルに先着した分だけ、アイツの賞金を減らした分だけ、黄泉へと押し沈める事になるんだ。今までそれを知らずにやってきた、目を逸らしてきた、それで何頭が
もう、そんな悠長な事は言ってられないんだ。覚悟を決めろ。俺を想ってくれる皆の為に、他を蹴落とす覚悟を決めろ。
良いかクロスクロウ、エルは既に名馬として世間に認められてるんだ。NHKマイルCを無敗で勝ち抜き、ジャパンカップで2着に入って、結果論だけど海外遠征も認められた。少なくともエルは大丈夫だ、強さを示して種牡馬への道は開けている。将来安泰だろう。少なくとも、友からはもう奪う事は無いんだ。
そう必死に言い聞かせては。
“んなワケ無いだろバカか”。
と。よりにもよって、冷静極まった
思い出せ。俺が朝日をグラスから奪っても、皐月をスカイから掠め取っても安心しなかったのは何故だ?
忘れるな。デカいレースを勝っても、得られるのは生き残る“可能性”だろ。確定の未来じゃない、ただGⅠ獲るだけじゃ種牡馬になるには余りにも足りない、ライスシャワーだってその一頭だっただろうが。
それが不安だったから、俺はより多くの勝利を望んだんだろ。一つでも多くの頂を、自分の生存率を高める為に。卑しく、浅ましく、恥知らずなほど貪欲に。
エルだってそうだ。むしろ海外遠征の費用の分、それを取り返さなきゃいけない立場だ。そんなアイツより先着して賞金を減らす、その意味を本当に分かってんのか。
そもそも友達以外なら何奪っても良いのか?野蛮人か?そんな発想が出る
(いやだ、いやだ、いやだ。死なせたくない…!!)
俺の命が俺だけの物なら、放り出すのに逡巡すら要らなかったのに。寿命死?ウマ娘の来世?グラスやスぺ達を踏み付けにするぐらいなら要らねぇよそんなモン!俺がいなくても世界に支障なんか無いだろ、なぁ神様!?
(でももう、俺の命は俺の物じゃないんだ)
宮崎のおっさんに買われた日から彼の物で、そして初めてレースに出た日から応援してくれる観客の物で。そして何より、スぺやグラスと約束した以上、それを果たす為の“約束の奴隷”なんだ。全部に報いて、義務を果たすという“生きる理由”があるんだ。
止まれない。止まっちゃいけない。
ならば、どちらか選べ。
自分以外の全ての命か、自分に向けられた全ての祈りか。
二択だ。両方はあり得ない。一方を捨てろ、覚悟を決めろ。
ああ、もう無理。
(うるっ……せぇ!)
そう心の中で叫んだ、考えれば考えるほどに気が狂いそうで限界だったんだ。
勝手に二択にするな。自分以外を諦めたからって勝てるとは限らねぇ。エルを舐めるなよ、アイツは強い!
ジャパンカップでの競り合い、そこでのアイツの恐ろしさをもう忘れたのか!!俺みたいな邪道とは違う、正真正銘の日本最強なんだよエルコンドルパサーは!
こんな迷ってる状態の俺なんて、アイツ相手じゃ勝負以前の問題。それにエルだけじゃねぇよ、俺が今から挑むのは
(勝つんだ、勝つんだ!勝たなきゃ何も始まらないんだ!!)
(勝ったら取り返しがつかないぞ。それで胸を張れんのか?)
二つの声が脳内で反響し、せめぎ合う。頭が割れそうで、いっそ狂ってしまった方がましだと思うぐらいだった。
そこに、彼が。
「クロ、よろしくな」
『っ…!』
「落馬するなや生沿」
「コイツに乗ってたら落ちたくても落ちれないっすよ臼井さん。くっ付きますもん」
「お前がそういうってことはマジで癒着するんやろうな…こっわ……」
ああ、生沿が近付いてくる。これ以上近づくと気取られる。
隠せ。無理やりにでも思考を止めろ。
悟られるな、心配させるな。要らない迷惑かけてたら、それこそ俺の存在意義の喪失だから。
仕方が無い、目を逸らせ。危機を前に現実逃避するダチョウみたいに、いつもみたいにアホ面を晒せ。実際阿呆なんだから、楽勝だろ。
『———ああ。今日も飛ばすぜ、相棒』
あはっ。走るのたのしーなぁ。
……くそっ。
「……んん?」
クロスクロウの調教を見ていて、ふとそんな声が出てもうた。完全に無自覚なその疑声、自分自身でも理由が分からん。
生意気な調教助手が、隣でそれを聞き逃す筈も無く。
「どうしましたテキ」
「いや、何というか…んー?」
考えれば考えるほどに、首をかしげる他あらへん。だってさっき感じた違和感、もう今この瞬間には消え去っとったもん。
気のせいか?俺の気のせいかー?
「なぁお前、クロスに関して変な事あったか知らんか?もしくは隠しとるか」
「疑い過ぎィ!弟子なのに信頼薄過ぎますよ、傷付くなぁ」
「スマンな、こちとらサプライズとかほざいて実の息子にクロスの能力隠されとった経験あるから。やけどお前にも心当たり無いという事は、やっぱり———」
勘違いか、と断じようとして……撤回。自分で言うのもなんやけど、こういう時の自分の勘は当たるんや。出来る限り無視はしたくない、何か突き止めておきたいなぁ。
そう苦慮しながら、俺は再び生沿とクロスの走りに目を凝らしたった。
それを繰り返して何度目か。
「生沿、一旦こっち来い!」
合間に呼び止め、手招く…てオイ待てェお前だけや!!クロスは呼んでへんって!生沿だけ来い!
「は、はい。何すか?」
「ちょっと耳貸せぇ」
やっと見つけた違和感。走りに異常は無い、洋芝に慣れきっていないこと以外は何の問題も無い。問題は
合間合間の息整える時間。以前のクロスなら不気味なぐらいにスルリとリラックスしとったのに、なんで今は常に強張っとるんや?
「生沿。クロスに乗ってて、アイツの心何か変な部分とかあったか?気負いとかそういうの」
「……実は、ここ最近は妙にクロの感情が波立つ事が多くて。本人、じゃなかった本馬は無問題だって言ってるんすけど」
「芳しくあらへんな。いやまぁあの程度の緊張なら特段注意する必要もあらへんけど……ともかく、出来る限り聞き出せるよう努力してみてくれへんか?念のためや」
「う~ん…クロが言いたくない事なら、無理に聞き出すような真似はやりたくないんすけど」
「おま、調教師の指示より馬の意向を気にするんか…!?」
「あっいや勿論努力はしてみるっすよ?」
……まぁ、しゃーない。クロスは自己調整できる馬やし、一人と一頭の関係に変に首突っ込んで、稀代の人馬一体を乱すのも惜しいしなぁ。生沿も誤魔化し出来るほど器用な奴ちゃうから本当に努力するやろし、今の所はこれでええか。緊張の事だって、アイツならぶっつけ本番で燃料にして大活躍に繋げてまうかも知れへん。
とにもかくにも、ホンマ全てにおいて未知まみれの馬やでクロスクロウは。頭を悩ませた末に、勝手に飛躍するから手に負えん。その飛躍を間近で見せられてきた身として、常々そう思う。素直なスぺとは本当に正反対や、そんな奴らが同時期に入厩して来て仲良いとはどんな冗談やねん。
だからこそ燃えるのが、調教師魂って奴やけどな。
「やれるだけやってみぃ。こちとら最強の臼井陣営やぞ……!」
何が最強や。
バカや。アホちゃう、バカや。
ホンマに最強なら、未来ぐらい見通せや。
バカが。バカが。ほんまモンの莫迦野郎が。
「……くそっ!」
【クロスクロウのヒミツ】
嘘は不得意、隠し事はマシ