馬要素もウマ娘要素も0の誰得回です。それと、コメントでの忠言に従い「鬱展開」のタグをようやく入れました
ありがとうございます
帰ったら、妻も娘も母もいなかった。
もぬけの殻としか形容出来ない、久方ぶりの家。それでも、暖かい風がドアを開ければ迎えてくれたのに。
「梓」
妻を呼ぶ。
「美鶴」
娘を呼ぶ。
「母さん」
母を呼ぶ。いずれも、暗い廊下から返事は来ない。
居ても立ってもいられず、靴を脱ぐのも忘れて踏み入った。ズカズカと足音を鳴らしながら、そうすれば出て来てはくれまいかと淡い期待を抱いて。
だが。
「いない……!」
どこを探しても、どの部屋を見ても。出てくる答えは“ここにはいない”のみでしかなく。
強盗。誘拐。最悪の可能性が脳裏をよぎり、しかし冷静な思考がようやくここで起動。携帯へと手を掛けた。
妻の番号。掛からない。何故。
娘の番号も同様。焦りが募る、思考を情動が上回りかける。
母の番号。繋がった。
「母さん!」
《な、何よ雄馬。何か仕事で変な事でもあった?》
「予定が変わったから早く帰って来たんだ。旅行か?無事なんだな?」
《え、ええ。楽しんでるわよ》
いつも私には優しかった母。父を支え、共に事業を広げていったという母。私をここまで育ててくれた、頼もしい声。
だが、どうして家にいないのか。商事経営の全権を私に引き継ぎ、家でのんびりすると言っていたのに。
この様子だと一晩の外出という訳でもなく、数日は滞在していない。壁に掛けられたカレンダーは、私が最後に出社した1週間前を示したままだ。
「暫く家を空けるなら事前に連絡をくれても……いや、それは良い。梓は?美鶴は?」
母が旅行なら、梓達もそれに同行してるのだろう。自分の金が彼女達の娯楽になってるなら何よりだと、ひとまずの安心と共に聞いて、
《……は?》
帰って来たのは、素っ頓狂な声。
「…いや、三人で旅行なんだろう?」
《えっ、いや、その、えっと》
「母さん?」
おかしい。こんなに慌てた母は見た事が無い、何があったというんだ。
その答えは、すぐ後に告げられた。
《家に……いないの!?
息が詰まった。最悪の可能性が息を吹き返した。
梓。美鶴。どこに!!!
《ちょ、雄馬!雄馬返事しなさい!》
《まだ電話終わんないのぉ?
《ちょっと!今は静かにしてて…!》
見知らぬ男の声が確かに聞こえた、記憶にも刻んだ。
だが即座に通話を切る。今はそんな事、どうでも良いにも程があったから。
どこにいる。どこに行った。無事なのか?
「……っ!!」
愛し方どころか触れ合い方すら満足に分からない、資産でしか愛を示せない情けない男だ。だがそれでも、俺は歴とした“夫”で“父親”なんだ。
だがどうする。そうだ警察だ。だが防犯システムが起動した形跡が無いのは何故だ?それは後にしろ宮崎雄馬。事件だ、事件なら早く──
電話が鳴ったのは、その時。
飛びつくように出たのも、その時。
期待は外れて、表示された見知らぬ番号。だがそれでも、一縷の望みに賭けて通話ボタンを押した。
《宮崎雄馬様で合っていらっしゃいますでしょうか。こちら、成歩堂法律事務所の弁護士、成歩堂龍一と申します》
「は」
《落ち着いて聞いていただきたいのですが、奥様方……宮崎梓さんと美鶴ちゃんは無事です。事件ではありません、彼女達は自分自身の意思で家を出ました》
「な」
《ただ、奥様は貴方との離婚を望んでいらっしゃいます。それに関する話し合いにつきましては、今後は私を介する形でよろしくお願いします》
「………え」
え?
以来、梓と顔を合わせた事は無い。弁護士から淡々と示される信じられない事実、疑いたくとも認めるしか無い理性、自失しながら離婚届を前にして。
俺は何時間迷っただろうか。それとも、あの時間は数秒でしかなかったか?
全ては過去だ。取り返しがつかない。いまさら変えようも無い。
そして今、私がこれからしようとしている事も。為されれば、取り返しがつかない。
「梓……」
身勝手である自覚はあった。普段の自分なら止める側に回るだろう凶行。だが、クロスクロウの惨敗で揺らいだ私に、それを判断出来るだけの冷静さは残っていなかったんだ。
接近禁止の取り決め。それを破って、私はここにいる。
元妻が入院している、その病院の前に。
あの人との縁は、小学校入学から始まった。
お受験の日、隣の席。最初はそれだけ、何も喋らない陰気なヤツ。
そう思ってたから、成績で一番を、人生で初めて奪われた時。初めての屈辱に、「コイツには2度と負けるもんか!」と奮起を促されたのをよく覚えている。
それからは切磋琢磨の日々だ。初めての試験で勝って、でもその次は負けて。2連勝したと思えば3連続でやり返されて、学科も実技も問わずそれの繰り返し。幸い、他で劣勢でも家庭科だけは一度も負けなかったのは、誇って良いのか悪いのか。
その内に、お互いの事をよく知っていった。いつも無口なのは、自分が話すよりも周りの声をよく聞く為。
勉強を頑張るのは———偉いお父さんの自慢の息子なんだって、胸を張る為。
「すごいじゃないの。私は私がやりたいからなのに、ほかの人のためにがんばれるなんて」
「どうかなぁ。お母さんには、もっと“
そんな会話を交わした、と思う。かなり昔の事だから、覚えきれてないし、今となっては思い出したくもない。
でも私はあの時から彼を尊敬し始めたし、彼の方は最初から私に興味を示していたようで。ライバルとして以外にも、親友として(当時の私は認め難かったけれど)親交を深めていったんだっけ。
そんな関係が、中学卒業まで続いた。それまでは成績ツートップ、周囲からは比翼連理と評され、その事にどこか嬉しさを感じてすらいた。彼は変わりなく思慮深く物静かで、だからこそ一緒にいて心地よさを覚えていた。ずっと続くと、思っていた。
そんな折だ。彼の父親が行方不明となりそして、遺体となって発見されたのは。
自殺だった。これ
行方不明になったのが、彼の高校入学の翌日。見つかったのが、一週間後。
(いい人だったのに……)
雑な物言いに聞こえるかもしれないが、“いい人”という呼び方が一番似合う人だったから。彼の家に招かれた時で迎えてくれた、人懐っこそうな笑みを浮かべながらも頼もしさを漂わせる年上の男性。気配りもよく、私の一挙手一投足に先んじて対応できるだけの観察眼。そしてそうでありながらも、決して不快に思わせない話運びと人当り。
隣でどこか膨れっ面を浮かべる彼もそりゃ憧れると、そして彼もまた将来こうなるのかなって、それぐらいできた人だった。彼だったから、宮崎商事はここまで大きくなったんだろうなって。
そんなあの人が、影など微塵も見せなかった斗馬さんが、自殺。俄かには信じられなかったし、それを表すように日本経済界も少なからず揺れた。まだ学生だったので、これもまた“らしい”という不確定な話になってしまうが。
彼は、目に見えて憔悴していった。
偉大な父という憧れ、それとの別離を前に、受け止めきれず日に日に摩耗していくのが傍目から見ていて分かるほどだった。輝かしい背中に追い付く為の勉学が、研鑽が、翳りを帯びて失速していた。
当然だろう。私が同じ目に遭ったらと思うと耐えられない。パパが、ママがあんな末路を辿ったら、あの時の私なら後を追ってしまうかも知れない。
でも私はあの時、高校生だった。
まだ相手の不幸を慮り切れず、自分の我儘を押し通す方が得意な年頃の小娘に過ぎなかった。いや、これは言い訳かな。
兎にも角にも、当時の私は———何よりも、彼の不幸よりも、それによって彼が堕ちていく光景に自分自身が耐えられなかったんだ。
「斗馬さんの意志は、生きてるじゃない!!」
消沈する彼に向けた叱咤は、今思っても的外れ過ぎる。
「あの人が命を懸けて作った会社があるじゃない!アナタはそれを継ぐ為に、斗馬さんを継ぐ為にここまで来た……そうでしょ!?」
彼の生きる理由を決め付け、縛った。
それを聞いた彼の目に光が灯った時、私の胸に縋り付いて初めて泣いてくれた時。最適解を選べたと思ったんだ、救えたんだと思ったんだ、あの時は。
きっと、間違いだった。私の言葉の所為で、彼には宮崎商事しか無くなった。
今までとは比べ物にならないレベルで勉学に励み、いや
誰も彼の先に立てない。自分より優れる人に何かを与えられる人間などこの世には少数で、そしてその少数すらもあの時の彼には何もしてあげられなかっただろう。鬼気迫る学習と、成長だったのだから。
当然、同学年は誰も付いて行けない。先輩たちも気味悪がって近づけない。教養以外の全てをシャットアウトした彼から、距離を取る他無い。孤立だ。
その道を選ばさせた私に責任があって、彼を独りにしたくなくて、私は競り合うのをやめた。傍で支えようとした。彼も、私にだけは求めてくれたから。嬉しかった。
共依存に目が眩んで、気付けなかった。ううん、もっと早くに気付くべきだったのかも知れない。
孤独になっていく彼を、止めなかった存在に。
彼が苦しんでいた時、私より先に寄り添える筈だったのに、
斗馬さんの死に、いの一番に悲しむべき筈なのに…流した涙に、嘘の色が見えた存在に。
そもそも、斗馬さんをそこまで追い詰めたのが誰だったのか。
その異常性がどれ程の物か。
気付いた時には、逃げられなくなっていた。お腹に娘がいた。
幸せだった筈の結婚生活は、地獄となっていた。
悪魔が、家にいた。彼を蝕み、その事を彼自身に気取られぬまま、彼を疑似餌に私を誘い込んだ。斗馬さんの、その次の獲物とばかりに。
まんまと引き寄せられた私は、誘蛾灯に焼かれた羽虫。せめて、我が子を守る以外無かった。庇う背中から私の羽は千切られ、二度と空を飛ぶ事は無い。彼は悪魔を信じ、騙されて頼れない。
それでも、それでも娘だけは。彼との結晶だけは。
いつか蝶になって、この牢屋から飛び立てるように。どうか。
「お母さん、窓開けるね」
そうして私達は今、日の当たる場所にいる。
美鶴、私の愛しい娘。彼女が無事ここまで育つ事が出来た、それだけでこれまでの総てが報われる気がした。
……だが同時に、痛みも消えない。
「ほら、今日もいい天気…お母さん!痛むの?!」
「ううん、いいの、大丈夫だから、私は大丈夫だから……っ」
「んなワケ無いじゃん、そんな汗流して歯を食いしばって!」
フラッシュバック。良い思い出である娘の顔すら、見る度にかつての傷が疼きだす。この子を庇う度に増えた、背の熱感。
この子に責任は無い、私自身の意志だ。悪いのはあの悪魔だけだ、そう念じ続けて———やっと、収まった。
「お母さん……」
「今度こそ大丈夫。もう平気よ、ほら」
折角お見舞いに来てくれたのに、困らせるなんて母親失格だ。そうだ、話題を変えよう。今美鶴は、パパとママの所に住んでいるから……
「お爺ちゃんとお婆ちゃんとは、上手くやってるかしら?」
「うん!でも最近過保護でさぁ、私もう中学生だっていうのに門限が厳しくて厳しくて」
「可愛い初孫だもの、そこは大目に見てあげなさい」
分かっている。聞いている。最近、パパがそうやってピリピリしている原因も、自分で心当たりがあるからこそどこかよそよそしい美鶴の態度も。
「……最近、競馬が好きになったんだってね」
「…え——」
「心配にもなるわよ、娘が未成年の時からギャンブルになんかハマっちゃったりでもしたら。私だって不安なのよ?」
「ち、違うもん!馬って本当に強くて、綺麗で、ずっと見てられて、えっと、えっと」
知ってる。分かってる。競走馬に、ギャンブルの一言で済ませるには余りにも膨大な魅力が秘められてる事なんて。
彼と、斗馬さんが憧れた世界よ。私だって、彼らを知りたくて勉強したんだもの。
瞬間、再び熱を持つ傷跡。でも敢えて無視した、そうしないと娘との時間が勿体ない。
「そ、そうだ!スペシャルウィークちゃん!天皇賞の、あっ春の方なんだけど、現地で見たんだ!凄かったんだよ、あの逃げっぷりはサイレンススズカみたいで、そうだサイレンススズカっていうのはねカクカクシカジカ四角いムーヴでまな板で凄くまな板だよコレ」
「……ふ、ふっ」
そうじゃない。違うでしょう美鶴、あなたが語りたいのは違う馬でしょう?
…と言いたいのを我慢。これは彼女なりの気遣いだ、私が彼を嫌っていると
愛らしく、いじらしい愛娘の思いやり。それに思わず笑みがこぼれ、誤魔化すように開かれた窓を見て……
忘れられない背格好が、眼下に見えた。
背中が、燃えたように感じた。
「……お母さん?」
「美鶴、今日は帰りなさい」
「えっ、でも」
「お願い、これからは一人にしてちょうだい」
有無は言わさない。心が痛むけれど、一瞥すれば美鶴はスゴスゴと引き下がってくれた。ごめんなさいね、本当に。
「…じゃ、お母さん。私はいつだって、お母さんの味方だからね!」
そう言って、手を振りながら彼女は去ってくれた。嬉しいわ、美鶴。こんな私でも、あなたを満足に育てられなくなった私でも、大事に思ってくれるなんて。
……だからこそ、ここから離したの。私の味方になるって事は、今この場で彼の敵にならざるを得ないって事だから。
「……久しぶり、かしら」
二つある病院の玄関、その東側の方。かつて夫だった彼が、そこで立ち尽くしている。
接近禁止令は解けていない。それを分からない彼ではない、だがそれ程までに堪えたのだろう、追い詰められたのだろう。
(東で良かった。美鶴が出入りするのは西側の方だから)
出くわす事は無い。あんな中途半端な位置で戸惑っているのを見るに、病院にまで入ってするような真似をしない程度に分別は残っているらしく、なら順当にすれ違ってくれるだろう。
後は、私が招き入れればそれで良い。
「……っ」
ジクジクと、一層背中の熱感が強まった。焼けて、爛れて、剥がれてしまいそう。遠目に見てもこれなのに、直に会ってしまえばどうなるのか。
それでも、これは好機だったから。
「決着を付けましょう、あなた」
雄馬さん。
お互いに呪いとなってしまった、私達の関係に。
縛り付け合うだけの、価値無き愛に。
アカン、ギャグが書かれへん