彼はここで、一足お先に
《やった!やりましたクロスクロウ、遠くロンシャンの地で示した輝き!日輪の戦士ここにあり!》
その瞬間、俺は全てを忘れて快哉していた。
《芳田さん、遂に!遂に日本馬が、拓勇鷹がやってくれましたよ!!》
《こんな日が来るなんて……ああ、生きてて良かったぁ……!》
美鶴ちゃんと手を繋いで、歴史が変わった瞬間を尊んでいた。
自分が立役者じゃない悔しさと、勇鷹さんへの感謝。そしてクロへの祝福でいっぱいだった。
《さぁ、頂点の座にて栄光のウイニングラン!クロスクロ……ん?》
直前の不安なんて、完全に忘れ去って。
でも。
《あれ………ぁっ》
その瞬間を、目にした時。
身体が勝手に動いていた。
《───ぁぁあっ!?》
褒められた話じゃないなんて、とっくの昔に分かってる。客の身でコースに侵入するなんて。
それでも、駆けつけずにはいられなかったんだ。
今はただ思う。
降りなきゃ良かった、って。
「だからお前は要らない子なんだ!」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
アイツを守れなくてごめんなさい。
「謝って済む問題か!お前が土下座すればあの子は帰ってくるの!?オイ!」
「落ち着いて下さい!お子さんを亡くされて辛いのは分かりますが、あの子に当たった所で……」
「部外者は黙ってろよッ!!」
殴られたほっぺが痛い。たおれた時に打った肩が痛い。
でも仕方ないんだ。おれは、取り返しのつかない事をしたから。
ひしゃげた玩具。俺が買って、アイツが最後まで持ってたヤツ。こんな衝撃を受けて、アイツは。
「お前はいつも私の幸せの邪魔をする!お前がいなけりゃ、私は今頃あの人とあの子で……!!」
「ごめ…なさ……」
「うるさぁぁぁっい!!!」
やめて。
かみ、掴まないで。痛いよ。
「逃げるな!役立たず!誰が育てたと思ってる?!」
「お願いですから、落ち着いて……ッ」
お医者さんと警官が突き飛ばされた。母さんのもう片方の手が、逃げようとしたおれの襟首を掴む。首がしまって、くるしい。
でも、アイツはもっと苦しかったんだ。たえなきゃ。
「ご、はッ……!」
「役に立てないなら、生まれるなよォォォォ!!!」
「と、止めろ!」
きっとその時、色んなものが噛み合ってしまった。
おれは抵抗しなかったし、母さんは怒りでいつもより力が出てた。
ビリリ、と。
「っ」
「え……」
破けたシャツ。はだかになった背中を見て、誰かが息を呑んだ。恥ずかしい。外で見せちゃいけないって、母さんに言われたのに。また言い付けを守れなかった。
おれ、ダメだ。本当にダメな子だ。
「火傷痕……!?」
「アイロンでもないと付かないぞあのサイズ!母親を取り押さえるんだ、早く!!」
「お母さん、後は署で私達と話そうかッ!!」
「離せぇ、躾の邪魔ッ!!!」
やめて。母さんをいじめないで。
母さんは俺のせいで、苦労してきたんだ。
「やめて……!」
「落ち着いて!もう大丈夫だから!」
大丈夫じゃない!何も大丈夫じゃない!!
おれから母さんを取らないで、奪わないで!!他に何も無いの!アイツを失ったおれには、もう母さんしかいないの!!
やめて、やめて、やめてぇ!!!
「糞餓鬼がァァァァッ!!!」
聞きたかった。その口から、一度でいいから聞きたかった。
愛してるって、聞きたかっただけなのに────
────ぁ?
んだこれ。世界が横倒しになってる上に、ぼやけて何も見えん。
いや待て。それ以前に大事な事が。
(俺、凱旋門賞走ってたよな)
どうなった。結果は。俺は、勝てたのか?皆の役に立てたのか?
掲示板見ないと……あれ、体動かねぇし。一体全体、どうなっちまってんだ俺は。
『クロ!クロぉ!!返事して下サイ!!!』
『シッカリシロォ、クロ!!』
あ、エルマンボ!多分エルとマンボだよなその輪郭、俺今どうなってんの?
『コハ……カヒュッ………』
あれっ、声も出ねぇし聞こえん。ハッキリ話してくれ、何も聞き取れねぇんだ!
『そんな!もう少しで、もう少しで止まれてたのにこんなのって……!』
『アアアアーッ!!デキルコト、マンボニデキルコトハ……!』
待ってくれ。取り敢えず俺の脚にお前らの視線が向いてるのは辛うじて分かった、左前脚だな?それぐらいならギリ見れる、辛うじて顔を動かせる。
どれどれ……?
(うわぁ)
これは酷い。ほぼ千切れてんじゃん、なんで痛くないんだ。鋭い痛みがあとからゆっくり来んの?死ぬの俺?
………なーんてな。
(安心しろって、エル)
こういう時だ。こういう時の為に取っておいたんだ。
(2回目の、チート)
神様からの贈り物。どんな傷でも一瞬で治す、その効果はサイレンススズカで実証済みだ。
その残り1回が今、使い所。
『……n'approuve pas.*1』
『モンジュー君!?』
『Je ne peux pas supporter de te laisser mourir ! Même si nous ne connaissons même pas encore le nom de l'autre……!!*2』
うるせぇなぁ。ちょっと集中が必要なんだよコレ、話しかけないでくれ。こちとら、お前が誰かも判別つかないんだから。
発動したらどうなるかな。ドン引きされるかな、今度こそ研究所送りかな。まぁいいや、死ぬよかマシだ。なんかまだ痛み来ないどころか、寧ろ感覚無くなってきてそろそろ怖いし。
ふんぬぬぬ。もう少し、もう少しで……!
(今だ!)
「勇鷹ぁ!息してくれ、頼む!!」
え?
今、勇鷹って聞こえなかった?
というか、そうじゃん。勇鷹どこ行った。俺の背中に乗ってたよな?
どこ、どこだ。勇鷹さんはどうなって……
「ここで終わりなんて言うな!お前自分が何やったか分かってんのか!?オイ、勇鷹ァ!!!」
『───ッ』
エルの騎手……海老奈さん、と思われる人。それに抱えられて、でも身動き一つしない。
ぼやけた視界でも分かる、俺の騎手特有の勝負服。
間違いない、彼が。
俺が、乗せた所為で。
「救急車!呼べ、早く!!」
「応急班まだか?!」
「馬どけろ、危ないだろ!!!」
『やめろ、やめろっ!引き離さないで、クロと一緒にいなきゃ!!』
『アーッ、ヤメロ!!エルヲツレテクナー!』
「何だこのヨウム!?」
『やめろぉ!まだ、アイツの名前を聞いてな……ッ』
「騎手は頸椎、馬は開放骨折かよ……っ」
人の気配。複数。俺と勇鷹さん達を取り囲むように、彼を助ける為に。
ああ、でも……ダメだ。今見えた、勇鷹さん。
首が、折れてる。曲がっちゃいけない方向に。
ダメだ。それはダメだ、アンタがそれはダメだ。
アンタ程の人が、俺なんかの所為で死ぬなんて、絶対ダメだ。
「どいて下さい、入れて下さい!お願い、し……ぁ………」
耳が立つ。忘れられない声がした。
あぁ、来てくれたんだ。
生沿。
受け入れられない現実を前に、何度も足が止まった。その間に、後から来たスタッフや救護班に何度も抜かされた。
それでも、それでも駆け付けたくて。何度も走り出して。
それでもやっぱり、現実は直視し難い程に残酷で。
「クロ……」
左前脚。懸命にロンシャン馬場を駆け抜けたそれが、見るも無惨にひしゃげていた。明らかに予後不良クラスの故障。
それだけでも耐えられないのに……
「勇鷹、さん……!」
致命傷だ。首が折れてる。転倒時の衝撃で、彼の頚椎は治癒不可能のダメージを受けていた。周りの人が懸命に蘇生を試みてるけど。
助からない。ふたりとも。
「あ……ぁあ」
あまりの絶望に膝をついた。降りなきゃ。俺がクロを諦めなければ、こんな事にはならなかった。
なんでクロに最後まで寄り添ってやらなかった?
なんで勇鷹さんに押し付けた?
なんで?なんで?なんでなんでなんでなんで───!
『生沿』
その時、感じた視線。伝わる筈のない声が、聞こえて。
「……クロ?」
首を上げるのも辛いだろうに、持ち上げた頭で彼は……俺を見ていた。
激痛で狂いそうな程だろうに、それでも。
そして、彼は。
『──ブルルルルッ……!!』
「っ、立つのか!?」
「よせ、寝させろ!悪化するぞ!!」
何やってんすか。立つな。辛いだけだ、足がちぎれてんすよ。
そんな腰抜けな俺を見抜いたかのように、再びクロの視線が射抜く。
「……!」
悟った。クロは今、俺を求めてる。俺の助けを求めてる。
………応えなきゃ。
「すみません!通して下さい!!」
掻き分け、近寄る。側に跪く。
するとクロは、俺に寄りかかるようにして───踏ん張った。無事な3本の足で。
俺は、左前脚の付け根を抱えた。ズシリと、強い命の重みがのし掛かった。
「ぐぅぅぁっ……!」
『……っ!!』
「何してるんだ!?」
「いいから
全身が潰れちまいそう。こんな重みに耐えてたのかよ、お前の足は。俺は重圧から逃げ出したのか。
だから、せめて。せめてこの数mだけは、俺にも背負わせてくれ。
一歩。まだ遠い。
二歩。半分。
三歩。よろけて、持ち直した。
四歩。……ここで良いのか?分かった。
「くっ!」
崩れ落ちるように、でも辛うじて緩やかに下ろす。場所は、寝かせられた勇鷹さんの直近。
もう周りには、唖然とする海老奈さん以外誰もいない。クロと俺の意図が読み取れず困惑してる、いや俺もクロの意図が分からな──
いや、待て。
まさかクロ。お前。
『ありがとな』
交わした視線越しに、そう言われた気がした。感極まって泣きそうになった、でもそれどころじゃなかった。
クロ、お前は勇鷹さんを。
そう思った時には。
クロの口は、勇鷹さんの喉笛に喰らい付いて。
そして。
「グゴォアハっ……!??!」
耳を塞ぎたくなるような音と共に。
まるでビデオを逆再生するかのように。
「勇鷹さん!!」
「勇鷹!!!」
「なっ…は───え?」
勇鷹さんの、命が!
「何だこれ!?」
「意味分からん」
「いや待て、これって秋天でも……!」
「クロスクロウがやったのか!?」
そうだ、そうっすよ!クロがやったんすよ、コレ!
凄ぇ、凄ぇよクロ!!お前、本当になんでも救えるんすね!?
「ありがとう、ありがとう……!」
もう涙を抑えられず、みっともなくいろんな液体を顔から垂れ流しながら撫でまくる。どれだけやっても足りない、やっぱりコイツは凄い馬だ。俺なんか見合わない、ううん、コイツに見合える騎手になりたい!
「さぁクロ!あとはお前自身っすよ!!」
あとはお前が治れば一件落着なんだ。帰って祝おう。勝利を、帰還を、日本でお前の凱旋を!皆が待ってるんすから!
さぁ、クロ!
『………ゲボッ』
返事は、無くて。
代わりに吐き出された、赤黒い液体。
「……え?」
そのまま、パタリと。
倒れた銀の戦士は。俺の英雄は。
動かなくなってしまった。
あー。良かった。“天才”様の死因になるとかマジで笑えんわ。
日本競馬にそんなマイナスエフェクト残して堪るか!っつー事で、気合い入れてなんとかかんとか動きましたよっと。意図汲んでくれる生沿が来てくれて助かったよ、お陰で歩けた。
あぁー……本当に良かっゲボッ。
あ?何だ今の。何が俺の口から出てきた?
粘っこい液体。でも色が分からん、いつの間にか視界から色彩が消えとる。芝の上になんか吐いた事しか分からん。
ちょっ、待てよ。いよいよもって身体に力入らないって。起きてられん、ちょっと寝るわ。生沿、服汚してごめんな。
うーんダメだな、倒れるのも制御出来な……んん?やっぱりおかしいって、なんで勢いよく倒れたのに痛くないの?脚の無痛といい、さっきから俺おかしいぞ?
(変だなぁ……まぁいっか)
最後の一回、使い切っちまった。これで俺はもう助からない。
明らかに予後不良級の大怪我で、んでもって馬は4本脚じゃないと生きられない───いや元人間の俺なら頑張れば、うーんそれでも多分無理か───から、俺の馬生はここでおしまいって事。あーちくしょ、天寿までいきたかったな。これで記憶持ち越し転生は反故かぁ、悔しいなぁ。
(でも、勇鷹さん達を道連れにするよかマシだ)
自分の都合で振り回した挙句、歴史に名を残すであろう偉人を殺したとあっちゃ死んでも死にきれん。ディープの鞍上とかどうすんだ。場合によっては勇鷹さんじゃなくて生沿だったかも知れないと思うと尚更。
だから、これで良いんだ。凱旋門を勝てたかどうか分かんない事だけが心残りだけどさ。最後の記憶だとギリギリ抜け出した感じだけど、どうだったかな。
(そうだよ。これで万事が万々歳じゃねぇか)
もう誰も追いやらずに済む。もう誰も殺さずに済む。
俺は勝って、俺の名前諸共に死なせてきた奴らの名を歴史に刻んで。そして俺自身はゲームオーバー、この後のレースに出る事は無い。誰の枠も取らない。んっ、コレ最高の
(宮崎のおっさんの家族仲もしっかり取り持ったし、今ばかりは自分を褒めてやっても良いか?!)
あー良いな!爽快!こんな気分、これまでの人生含めて馬生で初めてだよ。自分を誇るのってこんな感じなのか、アハハ!
(
悔いを残さない生き方、出来たよ!!
(ラスト先輩、やり切りましたよ!)
アンタの希望に、相応しく在れたかな!?
(ステゴ先輩、これが俺だ!)
この生き方が正しいなんて言わない。けどな、これで俺は満足なんだ!!!
(母さん!)
人間の時の、母さん!
俺多分、役に立てたよ!!そうだよね!
ああ、満足だ。充足した、足るを知った。これで良い、俺はここで良い。ここで終わるのが、一番いい。
ここで、もう。
『僕は、一番になる』
─────ぁ。
『クロもグラスも倒して、最強になる!』
『ならボクは不屈。貴方達が何度立ち塞がろうと、何度だって超えていく不屈を示してみせます!』
違う。
そうじゃない。
俺はまだ。
『いってらっしゃい!』
『えぇ、また……!』
言えてない。
(ただいまって、言えてない!)
まだだ。まだ死ねないんだ、俺は!!
(生きなきゃ……!)
約束がある。有馬でまた一緒に走るって言ったんだ!果たさなきゃダメだろうそれは!?
(アイツらだけじゃねぇ、キングにも!スカイにも!)
借りがある。散々迷惑掛けて、頼って、それでも俺との再戦と再会を待ち望んでくれてる友達がいる。裏切れない。
だから動け!立てよ、俺!!
『グバァッ!ゲホ、ゲホッ!!』
だから!何なんだよこの液体は!力入れようとする度に込み上げやがって、邪魔なんだボケが!!
ああああもう!立たなきゃいけないのに、立てなきゃいけないのに!立って帰らなきゃ、待ってるアイツらはどうなるんだ!!?クソがァァァ!!
(いやだ、いやだ、いやだ!死ぬのはいやだ!)
なんで力入れてるのに抜けてくの。なんで胸の奥から無くなってくの。どうして!こんな時に!!
足が折れただけだろうが、クロスクロウ!
「クロ……」
『そんな、そんなぁ…!』
『ア…アアアァ…!』
やめろ。そんな目で見るな。まるで俺が手遅れみたいじゃねぇか。
そんなの、認められない。認めて堪るか!
(死にたくない!死にたくない!!死にたくない!!!)
死んでも良いとは思ったけど、死にたいなんて一言も言ってねぇんだよ!なのになんで、なんで!?何で俺がこんな!!
(いやだぁぁぁぁぁっ!!!)
『カヒュ……ハ………』
「海老奈、なんでだ。なんで俺が生きて──クロスがああなってるんだ!海老奈!?」
「落ち着いてくれ勇鷹!今は、今は……」
もう声が出ない。いつの間にか目も暗い。聞こえない。
怖い。死ぬ。死ぬのが怖い。今になって、こわい。
助けて。助けて、たすけて。
『ス、ペ……グラ、ス…』
………
『…クロ』
呼んだ。彼が、僕を呼んだ。
聞いた事も無いような、縋るような声で。
『クロ………?』
聞き返す。返事は無い、だってここに彼はいない。
いないのに、どうして聞こえたのか。
『……!』
弾かれたように西を見る。とっくの昔に夜の幕、太陽が沈んだその地平。
彼が旅立った、その果てを。
『クロ』
もう一度呼ぶ。返事など無いと分かっていても、何度でも。
唐突に生まれた、胸の内の空虚。その絶叫から目を逸らすように。
その日。僕達は、仰ぎ見るべき日輪を喪った。
| 凱旋門賞【G1】 1999/10/3 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 着順 | 馬番 | 馬名 | タイム | 着差 |
| 1 | 15 | クロスクロウ | 2:38.5 | |
| 2 | 4 | モンジュー | 2:38.6 | 1 |
| 3 | 1 | エルコンドルパサー | 2:39.0 | 4 |
| 4 | 11 | ボルジア | 2:39.7 | 3.1/2 |
| 5 | 14 | クロコルージュ | 2:41.3 | 8 |
──何ですか。
「嘘……嘘だ、こんなの……!」
何なんですか、アレは。
「こんな事無いだろ。なぁ、これは夢なんだよな?」
「朝起きて、私達はこれから凱旋門賞を見る……そうでしょ!?」
あの水は何。
口から出たあの水は、何?
「……不味い!」
なんで。クロが。
動かなく、なって。
「グラスを戻せ!今すぐっ!!」
「ぇ……」
「早くッ!!」
やめて。やめて下さい、やめて!放して!!
遠ざけないで!側に行かせて、
クロ、クロ、クロぉ!!
「グラス、すまない……すまないっ」
消さないで。
呼ばれたのに。行かなきゃいけないのに。
クロ。
いかないで。
『ボクを、置いていかないで……!』
皆様、三が日は楽しめましたでしょうか
スタークは布団を楽しみました
https://syosetu.org/novel/292300/
Simca Vさんの三次創作、書いて頂けて二次創作者冥利に尽きますよ全く