どうか花道を飾れますように、騎手人生にもその後の彼の人生にも王威の加護がありますように
『……こんな場所デシタ、っけ』
帰ろうと言われた。そのままここに来た。
確かにこの空気に覚えはある。この空に覚えはある、この場所にも覚えがある。
でもまるで……実感が無い。
(エルは、ホントにここにいるの?)
先ほどの言葉は、そんな思いが口を突いて出た結果だった。せっかく、ようやく帰ってきたというのに、感覚の齟齬が帰郷の安堵を許さない。
………理由は、一つ。
(クロがいないからだ)
行きはクロがいた。同じ箱に収まって、隣同士で笑い合ってた。
帰りは
帰りは、独り。
クロをあの地に置いて、ひとり。
一緒に行ったのに、一緒に帰れなかった。
『ぉあ、あぅあぁ……!』
まだエルの未練はあの場所にある。彼の命と共に、
実感がなくて当たり前だ。帰れてないんだから。
『戻らなきゃっ…』
箱から出そうとするニンゲンに抵抗した。力一杯踏ん張って、出るまいとした。だって、クロは帰れてない。じゃあエルだって帰れない!
「エル、気持ちは分かるけど……!」
離して下さい。もう一回連れて行って下さい。あの場所に眠ってるクロに、もう一度会わせて下さい。じゃなきゃここから動けない、動かない!
エルは、エルは──!
『エル!』
聞こえた声で我に返った。先に帰っていた、エルが帰らせた生涯の友達。
マンボが、来た。役目を果たして、来たんだ。
『……ただいまデス。元気そうデスね』
『エルハ…ゲンキジャ、ナサソー』
『エルの事は、いいじゃないデスか』
『ッ、ヨクナイ!ソンナ
「マンボ……ですよね?いつの間に日本に………」
「分からないが、エルを落ち着かせてくれるなら万々歳だ。様子を見よう」
その優しさが身に沁みる。沁み過ぎて、痛いくらい。
でもマンボ、アナタじゃなきゃいけなかった。
『あの時、すぐ帰れるのはマンボだけデシタ』
『……ッ』
『皆に伝えられるのは、マンボだけだったじゃないデスか』
一刻も早く言わなきゃいけなかった。特にグラスとスペ-サン、彼らには一刻も早く知る権利があったから。全てを知ってるエルには、彼らに伝える義務があったから。
……マンボには、辛い思い、させちゃいマシタね。
『ゴメンね』
『ッ、チガウ!エルガ
『でも、無理を言ったのはエルの方デス!』
マンボだって辛い筈なのに、責務を押し付けた。エルがやるべき事を、出来ないからって頼り切った。
ううん、そもそもマンボに託したのだって義務感からじゃない。エルだけで抱え込んでいられる気がしなくて、帰るまで黙ったまま正気でいられる気がしなくて、一刻も早く皆を巻き込みたかった。自分を守る為だった、本当に気持ち悪い。
こんなエルだから、クロを、助けられなかった……!
『エルの弱さのせいだ!エルの自分勝手がクロを死なせたッ!』
悔しがって欲しいという願望を押し付けた!
そうしてくれなかったからって、『もういい』と勝手に失望した!
そうでありながら、信じさせてくれと勝手に期待して!!
『それを受け取るクロの気持ちなんか無視して、煽り立てた!その結果がこれデス!!!』
エルのせいで死んだ。エルが死なせた、エルがクロを殺し…あぁっ!!
(どのツラ下げて帰って来れた!?)
憎い、憎い、憎い!クロを追い立てた自分が憎い、エルなんか大っ嫌い!
こんなヤツが生き残るぐらいなら、クロが生きるべきだった!最強のクロこそが生きて、エルこそが死、し、シ───!!
『おかえりなさい』
マンボの声だった。でもその口調は、声音は、違った。
スペ、サン?
『デンゴン、アズカッタ。オツカレサマ、ッテ』
『エルに、そんなの、言われる権利は』
『ソウヤッテ
『……ッ』
やめて。そんな事言わないで、許さないで。
『落ち着けるワケ───!』
『落ち着かなきゃ聞けないから、ッテ!!』
は?
聞く?何を?エルから話せる事なんて、もう一つだって……いや、ううん、一つだけ。
『クロの件はマンボから聞いた、ちゃんと受け取ったよ。でもまだ僕達は何も知らない、クロの最後がどんな勇姿だったか。何を最後に言ったのか、何を遺してくれたのか、それを見届けてくれたのはエルだけだから……ッテ。スペハ、ソウイッタ』
『……マンボも、見てたデショ』
『アーッ、マンボハ
それは……そうだけど。そうデスけど、そうに違いないけど。
『スペタチ、シラナイ。ダカラエルガ、エルノ
ああもう。もう、もう、もう。酷いデスよ、そんなの。それじゃ、それじゃエルは、逃げられない。
そうまで言われちゃ、これ以上逃げ出せない!
『楽にさせちゃ、くれないんですねェ……!』
そうまで言うんなら、言ってあげマスよ!
伝えマスよ彼が掴んだ勝利を、彼が最後に呼んだ名を!!それがエルの使命なら、おめおめ生き延びたエルの役目なら!
許しませんからねスペ-サン。お陰サマでもう、エルは。アナタに役目を負わされたこのエルは。
生きる事から、逃げられなくなったんデスから。
『───そっか』
落ち着いてる自分が不思議だった。涙が枯れちゃったのかな、目だって乾いたまま。それとも、もう自立出来たから?
クロの最期を、その様子を、マンボ越しにエルから伝えられたというのに。
『そっか。クロは、勝っていったんだね』
『アーッ、アア。
『うん。流石だよ、僕達のクロ』
宣言通りだ。やっぱりクロは願いを叶えてた、あの日の誓いを果たしてた。誇らしいなぁ、彼の兄弟分であれた事が。
それに。
『そっかぁ。最後に、僕と、グラスを』
掠れた声で呼んでくれたんだ。だから僕もあの時、風の中で気付けたのかな。グラスもそうだったのかな。
君の中で、僕達はそんなに大きく在れた。それが嬉しくてたまらない、これも涙が流れない原因かな?
願うなら、その呼び声に応えてあげられたら。救いを求める声だったのなら、応じてあげたかったなって。
でも、こうも思うんだ。
『届いたよ、クロ』
君の声は、こうやって、僕たちに聞こえたよ。
無駄なんかじゃなかったよ。ちゃんと、受け取ったよ。
だから、安心して。僕たちを、見守ってて。
(……そう伝えられたら、良かったんだけどね)
『ドシタ?』
『ううん。それよりもマンボ、お疲れ様。君のお陰で、僕たちはこうやって……』
『アーッ、イイ、イイ。コレガマンボノ
『それは僕達が感謝を忘れる理由にはならないよ』
うん、ちゃんと受け取った。僕は知った、キングにも後で話すよ。機会があれば栗毛さんにも、僕の方から。
だからさ、マンボ。
『エルの所に行ってあげて』
『……グラストスカイニモ、
『じゃあそれが終わった後でさ。君とエルは休まなきゃ、そうでしょ?』
幸い、シーラちゃん達もいるんだ。彼女達の助けがあればなんとかなる、実際君達が遠くに行ってる時もなんとかしてきた。後は僕達が、僕達の方で。
『寄り添ってあげて。エルだって君に、そうしてあげたいだろうしさ』
『……オセッカイ。クロニニテキタナ』
『褒め言葉?』
『アーッ。アタリマエ、ダ!』
それは何より……なのかな?独り立ちを目指してるのに似て来てるのは、良い事なのか悪い事なのか。ま、クロみたいに格好良く在りたいのは事実だし、いっか。
『…ア、スペ。コレハ
『ん?何、マンボ』
去り際、羽ばたきをやめて振り返る彼。その言葉に耳を傾ける。
『クロノ
『?!』
最後の相手。つまり、クロが命を振り絞らなきゃ勝てなかった、そんな相手。
『モンジュー…君……!』
降り立った大地は、元いた場所と大差無く。
一歩、二歩、三歩。
……いや、変わり無いというより……向こうが
ここはそういう
『貴方の故郷が、ここか』
記憶の中の彼に問いかける。この目に焼きついた日輪に、その後光に差された神の戦徒。
名を聞きそびれた、かの勇猛な
だからせめて。
(知りたい)
知りたいんだ。
お前がどこで生まれ、育ったのか。
何がお前を育んだのか、強くしたのか。
最後に呼んだ名の、その正体を。
「少し浮き足立ってますね」
「遠征は何度か
「……ところでですけど、そもそも何故ジャパンCなんでしたっけ」
「招致と賞金額、ってのはお前も知ってるか。だが一番の主因は、やっぱりあの馬だよ」
「……あの走りですか」
「負けたままじゃいられないそうだ。チーフ曰く、
「過去の記録映像を見るに、アレが日本で蔓延ってるようには思えませんけど」
「実際に戦り合わないと分からない事もあるさ。俺もお前も、あの日輪馬の走りを事前に想像出来たか?それこそ過去の記録は見まくっただろ」
「無理……でした」
「そういう事だ」
……ニンゲン達がどんな思惑で僕をここに連れて来たのかは知らない、だって分からないんだから。それに興味も無い。
ただただ、ひたすらにあの影を追いかけたい。そのルーツを、僕は手に入れたいだけだから。目的が同じなら幸い、違っても僥倖。
ギリギリに研ぎ澄ませた、銀色に尖った残光に。この脚が届くまで、記憶の中のそれを超えていくまで。
『待っていろ……!』
グラス?スペ?彼は確かにそう呼んだ、そう言い残した。
どちらかだ。どちらかが、彼のルーツを、その走りを受け継いでいる。そう信じて、必ずどちらかと──叶うなら、どちらも打ち破る。
それでやっと、貴方と並べる気がするから。俺の目の前を駆け抜けて、そして消えていった白銀の戦士よ。
その背に、どうか。
曰く、彼は僕達より若いという。
曰く、若いのにエルより強かったという。
曰く、クロの勝利も薄氷の物だったという。
マンボは、そう言う。
『テゴワイゾ、アイツ』
怖い程だったのだろう、身震いしながら告げられた。それ程の相手が、ある意味でクロの仇が、来てる。
僕達のこの
───
『上等じゃん』
恨みなんか無い。お互い精一杯走った結果なら、他ならないクロだって絶対恨まない。だから僕も、彼を憎むだなんてあり得ない。
けどそれでも、モンジュー君。君に勝たなきゃいけないんだ。
『彼に勝たなきゃ、彼に勝ったクロを超えただなんて言えないもん!』
これだよ、これが苦しくて楽しいんだ。壁を越えたと思ったらまた次の壁が立ち塞がる、どこまで行っても挑戦が待ってる!何度クロに挑んでも飽きなかったように、それが楽しくて僕は走ってたんだって!!
そうと決まれば明日に備えてストレッチと安眠。遺された物、託された物、確かにあるそれらを踏み台にしてその先へ。
頑張るぞ、スペシャルウィークっ!!!
『……ソレト、モウ
『今度は何?』
『グラスハ、ドースル?マンボヤシーラガ
……うん。彼の件だよね、グラスの。
ちょっと前、マンボが帰ってくる直前辺りからグラスの様子はおかしくなってた。急に伝言を言うのも受け取るのも拒絶して、話し合えなくなってる。彼は僕達より一足先に、クロの事を感じ取っていたらしくて。
『デモ、コノ
『うーん……』
『キングダッテ、
マンボの言う事はその通りで、本当におかしいんだ。実際にレースで走り合ったキング曰く、泣いて、叫んで、自分を壊すように走ってたって。だから彼はすっごく心配してたし、話せないこの状況にすごくヤキモキしてた。
でもそんな折、練習コースを走るグラスの姿をスカイが通りすがりに見掛けたらしく。その時のグラスは落ち込みとは真逆、本当に軽快に涼しげな表情で駆けてたらしく。なんならスカイに気付いて、会釈する程度の余裕すら見せてたらしい。
……分からない。彼が何を考えてるのか、実際に会ってみない事には。
だから。
『待つよ』
『ナニヲ?』
『グラスが打ち明けてくれるのをさ』
不安が無いと言えば嘘になる、というか不安で仕方が無い。グラスが悲しく思ってるなら寄り添いたい、だって失った悲しさは分かち合えるから。僕と彼で、抱く痛みは同じ筈だからさ……下心が無いとは言えないけど、それでも何よりグラスへの心配が勝る。
けれどそれ以上に、僕はグラスの強さを知ってるからね。
『グラスは“不屈”だもん。彼が心を閉ざすんなら、それは彼の中で答えを出そうと頑張ってるって事だから』
『デモ、』
『ごめんねマンボ。これはキング達と相談し合った上での結論なんだ、君も知ってるでしょ?』
キングも同意してくれた。その上で待って、彼が打ち明けてくれた答えを聞いて、その上で是非を問おうって。最も、“多分間違ってる”と予想するキングと“きっと良い答えを得る”と思ってる僕では、危機感の度合いが違ってるんだけどさ。
『だからまずは、僕は僕の事に集中しなきゃ』
最近ニンゲン達がまた慌ただしい。多分次のレースがあって、そして思い返せば去年の今頃もそうだった。
クロが伝説を残したあのレースが、近い。
『モンジュー君に勝つ為に、僕は僕に出来る事をする』
それだけだよ。今はただ、それだけ。
皆がついて来れるよう、一層輝くだけ!
……と、意気込んだのは良いんだけどさ。
「どーすんですかサブリーダー、予定グチャグチャですよ!?」
「うわぁぁぁん次走間に合わないぃいぃ」
知らなかったんだよねぇ……。
「俺だって限界じゃアアアア!!」
「うわぁこわれた」
「落ち着けェ!それ以上気分を高めるなぁ!!」
ニンゲン達が本当に大変になってた事だなんて。
その言葉が分かんない僕には、さ。
「「「早く帰ってきて