彼が、来た。
やはりここに、来た。
暗がりから日向へその姿を露にした、威風堂々たる鹿毛。敵地を統べる総大将。
『……』
『…フン』
無言のまま———当然だ、話す事など何も無い———歩み寄ってくる彼に、それでも挑発的に鼻を鳴らしてみる僕自身を奮い立たせる、その為にも。
そんな僕に構う事も無く、彼は通り過ぎていく。眼中にも無いのか。良いよ、この後目に物見せて………
『
………違った。彼の目は、確かに僕を捉えていた。
勝利は自分の物だと。すれ違いざまにそう、宣戦布告されたんだ。
『…ははっ』
わざわざ、僕の故郷の言葉で。僕に伝わるように、その為だけに!
ああ———あぁ、この野郎ッ!!
(
そんな所で余裕を見せつけてくるとは思わなかったよ!認めてやる、一本取られたって!
僕は自分の言葉で精一杯だったのに、お前はいつ学んだって言うんだ?いやそうか、“彼”か!あの“戦士”の下にお前がいたっていうのなら、何も不思議じゃなかったな、クソッ!!
『
戦士よ、貴方達にもう二度と持って行かせるか。もう二度とお前達に掠め取られて堪るか、スぺとやら!!
嗚呼受け取った。確かに勝ったこのケンカ、絶対に負ける訳にはいかなくなった。元からそうだったのが、より一層。
さぁニンゲン達に促され、いよいよスタートも目前だ。ここから先は言葉は不要、ただ己の脚で示すのみ。
(征くぞ———!!)
いざ。
《やはりアンブラスモアが逃げるとして、他の馬がどうついて行くかまたは大逃げになるのか。スペシャルウィークは、モンジューはどうするのか》
《二頭とも中団で控える馬ですから、展開の緩急にどう対応するかで明暗分かれますよ。もしそこで分からなければ……勿論芝への適応度の差も関係しますが、しかし》
《実力勝負、ということになりますか…!さぁ着々とゲート入りが進んでおります》
……言っちゃった。
あーあ、言っちゃったよ。これでもう後戻りはできないぞ。
クロから貰った勇気の言葉、呪文。その意味を分かった上で、叩き付けちゃった。言い過ぎだったかな、反省。
でも後悔は、少しもしてない。
(良いレースをしよう、だなんてさ)
モンジュー君から送られたあの文言。色んな強い思いが込められたそれを、でも僕は
僕達に必要なのは熱狂だ。酔って、鼓動を高鳴らせて、身体も心も熱くさせる闘争だ。そうやって自分を高め上げてこそ見える物があって、それを求めに
(僕だって、そうだから)
そうやって“彼”が、身体を熱く燃やして、掴んできたのを見てきたから。その背中を追いかけて、ここまで来たから。
そして今日、超える。その為に。
君を。
『まだかぁ?』
『ニンゲン多っ』
『
『…フン』
『
今か今かと時を待つ馬達、チラホラとその中に交じる見慣れない空気を纏う馬。モンジュー君と同じく海を渡ってきたのだろう、醸し出す覇気はやはり強者のそれ。
そしてステイゴールド先輩も。目が合った、やる気は無さそうだった。
ボルジアと呼ばれていた馬の視線を追う。エルと目が合った、馬道の奥で見てた。僕達を見る為に、ニンゲン達に抗ってここまで来てくれたのか。
次いで、見上げれば。
《騎手達の動向も気になりますが、やはり目を引くのは生沿健司!最年少にして前年度覇者となりますが、今年はどうか!?》
《願くば、彼への手向けとなる栄光を……そう思ってしまいます、どうしても!》
「負けんなー!」
「日本勢の意地見せてくれっ」
「クロスクロウ、すまない、見ててくれ……!!」
「……….勝て」
ニンゲン達の喧騒と、眼差しが。
うわぁ、僕とモンジュー君に凄い量……!
「いつもの事じゃないっすか」
『いつにも増して、って事』
頭上のイキゾイの弁に、ついムキになって言い返す。そんな事は分かってるよ、僕だって経験積んできたんだからさ。
……という思いを、彼は見越していたようで。
「そうっすね。でもその“いつも”が、無くなってた」
『……ぁ』
「俺達で取り戻した
そうだった。以前のレースの時、この騒がしさは無くなっていたんだ。しんと静まり返って、誰も彼も声を出す事が出来なかった。クロがいなくなったあの日から。
でも僕が、久しぶりに勝った
「ああ。誇ろうぜ、自意識過剰に」
陽気にふるまうイキゾイのその想いに触れた瞬間、
視線に対する捉え方が変わる。僕は言った、ついて来いって。そして今、僕を見てる皆が、その通りについて来てくれる。
こんなに頼もしい事、他にある?
「無いな!」
『無いよねぇ……!』
心が燃える、勇気が燃える!ふつふつと湧き上がって、そしてこの胸の内で渦巻いて———
——————負ける気がしない。
《無事体制完了。またスペシャルな輝きを見たい、その一心で集まった
《今年のジャパンカップ──今、スタートですッ!!!》
瞬間、僕の
《全頭無理に前には行かない、だがやはり先を行くのはアンブラスモア!インディジェナスも外から続き、ステイゴールド 以下馬群を構成して第一コーナーに差し掛かっていきます──》
序盤はどうやっても混戦になる、だからこそ位置取りが大切だ。ここで囲まれたり前が塞がれたら、最悪の場合どこまでも尾を引いて最後まで抜け出せなくなる可能性があるから。僕みたいに、中団から抜け出すのが得意な馬は特にそう。
というのを踏まえて、今回は……ん?ああイキゾイ、今回もそうするのね。分かった、後ろから。無理に今の位置をキープせず、入ろうとしてくる他の馬に今は抗わず、周囲が落ち着くのを待っ……って、え?
「『あ、どうも』」
「『……
偶然だよね?いや偶然なんだろうけれど、君の驚く顔を見るに本当に意図してなくて、僕としても通じないのを忘れて挨拶しちゃうぐらい意外だったんだけど。まさかあんな
ねぇ、モンジュー君……!!
なんて情けない生返事だ。我ながら呆れ返る、そしてそのまま天を仰いだ。
教えてくれ天国のジェイミー!なんでよりによってコイツの隣に行ってしまったんだ僕はぁ!!?
「頭を冷やそうモンジュー。大丈夫、ライバルと隣り合うのなんて今に始まった話じゃないだろう?」
「分かってる、分かってるって……!」
跨ってるニンゲンの要請に、自分に言い聞かせる意味も兼ねてそう答えた。だがそれでも、己の中の蟠りが簡単には解けてくれなくて。
(意識してしまう……!)
向こうも同じなのだろう、ちらちらと横眼で確認してくる。また目が合った、何だコイツ!これも向こうは同じ事思ってるのか?!
「いや、これは幸運だぞ」
「は?」
「お前とスペシャルは、見たところ同じタイプの馬だからだ」
意味が分からず問い返そうとして、でもその瞬間にハッとさせられた。
スペシャル———恐らくこの馬、スぺとやらのもう一つの名前———は今、俺と同じ場所にいる。同じ場所に控えているという事はつまり、脚質や戦法が似通っているという事で。
僕は末脚に自信があるから、不慣れな地でも全員差せると踏んでこの後方に就けた。スペシャルとやらも同じだとしたら?
『
「相手が大失敗しなければ、の話だけどね!」
考えるじゃないかニンゲン!要はつまり、徹底的に合わせて競り合っていけと。そういう事だろう?
(望むところさ……ッ)
元よりスペシャルへの挑戦のつもりだったんだ。なるほど確かに幸運、僥倖ってヤツじゃないかこの状況は!?
さぁ勝負だ。僕が相乗りしてやるんだから、使い潰し切るまで沈んでくれるなよ……!
(へえ)
内心でそう呟く。真後ろで起こった事は、中々に興味深い現象だったから。
(逃げで張り合う奴らは見た事あるが、差し同士でッてのは……レアだな)
正確には、俺が知らないだけでよくある事なのかも知れないが。先頭でやり合うが故に、逃げ馬の張り合いは目立つ。一方で先行馬同士や差し馬同士での鍔迫り合いは、中団という紛れやすい位置で行われるから意識しにくいのかも知れん。
だがそれを踏まえてなお、このレベルの存在感同士が露骨にぶつかり合うのは。この俺——ステイゴールドの記憶には無ェな。
(どんな顛末になるやら)
いずれにせよ、競り合いは必ず敗者を生む。勝てれば飛躍、負ければ沈没、両方ともうまく立ち回るケースは稀有だ。最悪の場合、勝者無しで両方とも沈む場合だってあるしな。
圧勝を得るか惨敗を喫するか、共倒れになるかの危険な賭け。スペシャルの野郎は、モンジューとか抜かす青二才は、果たしてどうなる?
(折角良いポジションを取れたンだ。高みの見物と洒落込ませてもらうぜ、俺は)
俺には勝つ気は無い。少し前に『走る気が無いならレースに出てくるな』と喚いてた
……生き抜くって、決めたからな。
(こんな所で無駄に脚使ってる場合じゃねェんだ)
十字の墓に、渾身の意趣返しを叩きこんでやる為に。ギリギリまで力を抜いて、限界まで生きるって、もう決めてンだ。残念だったな勝手に期待してくるニンゲン共!競いたがるだけの若造共!!
と、いう訳で。
(特等席から、せいぜい見届けてやるからさァ……!)
見せてみろよ。
負けんじゃねェぞ。
あの野郎の輝きを継いだお前。スペシャルウィーク。
(それで簡単に負けたら、今度こそ嚙み殺すからな)
「うぉっマジかぁ…!?」
『弱音吐いてる場合じゃないよ!』
「分かってるっすよ!」
横からのプレッシャーでイキゾイが揺らぐ、それを抑止する。僕が揺るがされた時にはイキゾイが立て直すからお互い様。
反撃?ちょっと経験が足りないかなぁ僕とイキゾイじゃ……っと!
「スぺ、今の」
『うん』
気付いてる。一瞬だけ前から押し寄せた気迫、そして眼差し。ステイゴールド先輩を起点とするそれら。
『半端は許さないってさ』
「言われたんすか?」
『ううん、推測』
だって直接聞こえたわけじゃないし?でも、なんとなくだけど分かったんだ。
全く失礼しちゃうよ、後ろから見ても本気で走る気無いのが丸分かりなのに。それでこっちには本気を要求するなんて、身勝手極まってるよねぇ。
「……でも、スぺは本気出したいんすよね?」
『当たり前じゃん』
「なら良し!」
それが僕の選んだ道だ。共に命を懸けてくれるニンゲンと一緒にこの道を誰よりも強く、速く。
そうだね先輩、この道に———妥協は要らなかった!
「『!!!!』」
横から動揺の気配。理由は一つ、僕達がギアを上げたから。
モンジュー君、君がマークしてくるのなら僕は振り回すまでだよ。ついて来れるかな。ううん、ついて来い!!
『
……うわぁ。本当について来ちゃった、どうしよう。なんてパワーと根性だ。
「嘘吐け、後悔なんかしてないクセに」
『えへ、バレた?』
「お見通しっすよ」
む、そっちこそイキゾイのクセに生意気な。でも言い当てられてちゃ仕方ない、実際僕に後悔なんて無いから。
実情としてはむしろ真逆、嬉しいくらいだよモンジュー君。君がクロを苦戦させた馬だって実感して、そんな奴と競えてるんだって思えて、肌がビリビリするぐらい興奮してるんだから!
『余裕は無い、分かってるよね!?』
「当然!」
上がりに上がってるテンションに対して、実は余力は全然無い!もうかなり全力、フルスピードに向かって渾身の力で地を蹴ってる状態だ。モンジュー君の方にどれ程隠してる力があるのかは知らないけれど、勝負はそれを含めた末脚勝負になる!!
『むり~!!!』
『
『ちっきしょおおおお!!』
《スペシャルウィーク上がってくる、後ろからモンジューも!!この二頭が躍り出ての一騎打ちとなるか!?いよいよ最終直線だっ!!!》
次々抜かす、最後のコーナー。その間も僕の目は彼に釘付けで、それは向こうも同じ事!
よし、ここから勝負だ。行けるねイキゾイ!?
「ああ、ぶちかませっ!!」
『うんっ!!!』
僕の
僕の番はこれで終わり。さぁどう出る?
『君はこのまま引き下がるような奴じゃないでしょ、モンジュー君……!!』
………強い。
貴方が呼ぶ訳だ。託す訳だ、神の戦士さんよ。スペシャルと呼ばれた彼は、間違いなく強者だ。
ハッキリ言おう、不調だったんだ。言い訳にはならないしするつもりも無い、けれど故郷にいた時からは程遠い。ここでの全力100%は、故郷での80%にも満たないだろう。その筈だった。
なのに僕は今、見事に100%の力で走れている、その理由は先述の通り、スペシャルに
(腹立たしいくらいだよ)
相手を威圧する訳でも、
……ああ、そうだよ。完全に整えられてしまった。
(応えなきゃ、な)
お前も、いや貴方もそれを望んでるんだろう?
誘うように加速して、突き放すようにぶちかましてきたその末脚。縋ってみろと、そう抜かして。
注文の多い先達だ、全く。こんな未知の土地で、急拵えで自分の
そして──無理じゃない程に高められてしまったから、始末が悪いんだよ。
『準備は良いか!?』
「いつでもだ!!」
僕は将軍、
その指揮で、この異郷の大地に──一夜城を築くっ!!
(かの戦士は、やってみせたぞ)
なら僕にだって、僕達にだって、出来るだろう!?
『やれぇ!!』
「了っ解!!」
足元は出来た。次は土台だ。
礎を固めて、柱を立てて、煉瓦を積み上げ壁を打ち立てる。即席でも通用する威力、威容。
侵略しろ。平定せよ。この地平を、この大地を……!!
「『───ッ、
《モンジュー来た!モンジュー来たっ!!スペシャルどうだっ?!》
………勝てない。
膨れ上がった気配と加速に、そう思った。弱音じゃない、僕とイキゾイの冷静な分析の上でだ。
(相手は、年下なのに)
これが世界か。これが頂点か。エルを打ちのめし、クロを追い詰めた隔絶なのか。
一年の差すら覆す、これがレベルの差なのか。まるで絶望そのものじゃないか。嗚呼、くそっ。
僕達だけじゃ、勝てない。
僕達の力
『イキゾイ、腹を決めよう』
「……ああ」
もっと格好良く決めたかった。僕達だけの力で、君と彼に勝ちたかった。今はその時じゃなかったって事か。
格好悪くて、情け無くて──でも同時に、胸を張りたい。
君の走りに、胸を張りたいんだ。
「始めるっすよ」
イキゾイの“色”が変わる。乗り方が、さっきから変わっていく。
瞬間、重なった。僕の体に、白銀の風が。
(……クロ)
そうだった。君の走りはこうだった。昨日の事みたいに今でも思い出せるよ、前に君とここで走った事を。その背を、追いかけたあの日の記憶を。
そして今、改めて新しく知れた。これが君の走りか。こんなに強くて、苦しくて、こんな物を使いこなしてたんだ。
やっぱり凄いや。君は本当に、凄いんだ。
《……えっ……!?》
《あれ、は……!》
だからこそ、使いたくなかった。まだ君に甘えてるような気がして、だから。
「スペ、それは……違うぞ」
わかってるよ、相棒。そうならない為に、僕と君で考えてきたもんね。
そうだ。ただ受け継ぐんじゃない、《呑み込む》。クロの領域を、
君という過去を飲み込んで、飲み干して、僕達は前に進む。それを見せつける為に。
『貴方……まさか、それは……!!』
モンジュー君、違うよ。これは
ううん、大まかには君が見た物ではあるんだけど……でも、違うんだ。
クロの
星が駆け抜けていく夜空に、突如現れた白黒の太陽。そこ目掛けて、草原を七色の光が貫いていく。星が集い、束ねられ、一つの眩い極光となって総てを照らす。
築き上げられた牙城の、聳え立つ扉へ。
開城の時だ。何度でも、幾度でも……!
「『こじ開けろぉぉぉっっ!!!!』」
───その日。
東京競馬場に集まった人々は、光を見た。
銀の魂をその身に纏った、紫電の流星を見た。
《……!!スペシャルウィーク抜け出した、差し切った!!》
そしてその彼方に、帰れない過去を見た。
そこから続いていく、未来を見た。
『止まらない!その脚が止まる筈がない、私たちはそれを知っている!!』
幻覚だ。だが現実でもあった。
門は開かれたのだと。
彼らが、切り拓いたのだと。
《門を蹴破り、再び存在証明を!不滅の日輪を刻みつけるは総大将ッ!!!》
夜空の帷に瞬いた、星の導きを、確かに見たのだ。
なぜならこの瞬間。
彼らは、確かに。
《スペシャルウィーク1着ゥゥウウウ!!!!》
再び世界へと、その手を届かせたのだから。
| ジャパンカップ【G1】 1999/11/28 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 着順 | 馬番 | 馬名 | タイム | 着差 |
| 1 | 13 | スペシャルウィーク | 2:23.0 | |
| 2 | 7 | インディジェナス | 2:23.3 | 1.1/2 |
| 3 | 14 | モンジュー | 2:23.3 | ハナ |
| 4 | 12 | ハイライズ | 2:23.9 | 2.3/4 |
| 5 | 61 | ラスカルスズカ | 2:24.1 | 2 |
ジャパンカップ編は次回で終了です