【Ep.116】強迫
「……ぐぬぬぬぬ」
12月初旬某日。私は空港のゲートの前に立ち、それを忌々しく思いながら睨みつけていた。理由は単純、本当なら堂々と
そう、その筈だった……!
「期末テストめぇ……!!」
流石に休めない。他の事にうつつを抜かせない、学生の本分が立ち塞がってきた。これさえ無ければ私も、またお母さんと合流してお父さんを探せたのに!
「通わせて貰ってる身でこれ以上すっぽかす訳にはいかないとはいえ、歯痒いよぉ」
独り愚痴ってはみるけれど、そんな事をしたって何も変わらない。いい加減、人の通行の邪魔になる前に退散しなきゃいけなかった。
折角、生沿さんとスぺちゃんの奮走に勇気付けられたというのに。この不完全燃焼、どう消化するべきか。
……と、いうか。お茶らけて回顧してみてるけど、やっぱりさ。
(普通に、心配なのよ)
お父さん。最後に見たその総身からは、かつて感じた気配も意気も全部抜け落ちてて——まるで、血潮が全部抜けちゃったみたいに。
私は自分勝手にも、それを置いてぬけぬけと帰ってきちゃったんだ。そして今になって、やっと余裕が出来たからって探そうとしてる。いつかは突き放したお母さんと、素知らぬ顔で並んで。
……我ながら面の皮が厚い。酷い子供だと自分でも思った。大人になれてない、という意味でも。
「……美鶴ちゃん?」
その時、呼び止める声。奇遇にも、踵を返そうとした瞬間の真正面から。必然的に、こっちからもその顔が見えていた。
「奥分さん、お久しぶりです」
「此方こそ。急に呼んでごめんね、驚かせちゃったかな」
「そんな事は。また会えて嬉しいですよ」
奥分幸蔵さん。まだ彼がクロの主戦騎手だった折、何度か会った事がある。競馬に関して点で素人だった私に、懇切丁寧に教えてくれた優しいおじさん。
……同時に、それ以上に、クロの可能性を最も見つめてくれた人でもあった。彼を信じてくれた人だった。
「………」
「君が気に病む事じゃないよ」
「ですが…っ」
クロはもういない。奥分さんが愛し、尊んでくれた名馬は、彼と所縁の深い血と共に天井へと走り去ってしまった。お父さんが、お母さんが、私がそうさせた。
でもそんな私の自責を、奥分さんは先んじて止める。
「“仕方がない”———あの一件はその一言に尽きるよ。それにもう過ぎた事だ、引き摺ってしまえばそれこそクロスに顔向けできない」
「…ありがとうございます」
「だから、君が気にする事ではないって」
そう庇ってはくれるけれど、それでもクロの死因の一助となった自覚はぬぐえない。でもあんまり表に出して周りに心配を掛けては本末転倒、奥分さんの言う通りにするのが一番なんだろう。心の奥底に抱えて、生きていこう。
……と考えていると、ふと疑問に思った事が一つ。
「そういえば、奥分さんはどんな用事で
「何って……君と同じさ、乗るんだろう?」
「いえ私は細やかな怨念を供養しに」
「落ちるレベルの呪いはやめてくれよ!?」*1
しませんよ!?と言おうとして思いとどまった。奥分さんに海外騎乗の予定なんてあったっけ、と。
騎手の海外渡航はそれなりに煩雑な手順を要した筈だ。そもそも国内での騎乗予定を押してまで、“伝説”と呼ばれた騎手を急かすような用事が海外にあるんだろうか。
「疑問かい?」
「というか、妙に引っ掛かるというか」
「何の事は無いよ。ちょっと
「はぁ……」
じゃ、と言ってゲートへ歩んでいく奥分さん。私は意図を掴めず、惚けたような声で応じる事しか出来ない。
すると彼は、中途で立ち止まって。
「そうだ。
「!」
落としていった特大のヒント。もう分かった、一瞬で分かった。
「ッ……お父さんに、」
なんて言おう。今更何が言える?
向き合ってこなかった。どうせ分からない、伝わらないと決めつけて放棄した。そのクセ、いざ解放されたら“捨てられた”と思い込んで……本当に家族を捨てたのは、どっちだ。
あの人が抱えていた物に見て見ぬふりをして、好き勝手言ってきて、今更。
「そういうものだろう」
奥分さんは言う。ウジウジと悩む私に向けて、諭す。
「君は子供で、彼は親だ。甘えるのが仕事、違うかい?」
その言葉でようやくつく踏ん切り。やっぱりどこまでも他人頼りの甘ったれで、それでも前を向いて進むと決めたから。その勇気は、もう貰ってるから……!
「“文句言われる為に帰ってこい”、ってお願いします!」
「———ああ、承知した」
奥分さんは伝えてくれるだろう。きっとお父さんを探し出して、一言一句違わず言葉を運んでくれる、そんな予感があった。届けられる言葉があれでよかったのかは、自分の中でも未だ疑問だけれど。
(私とお父さんは、お母さんは、話し合わなきゃいけない事がいっぱいあるから)
それだけは確かだから、ああ言った。ちゃんと受け取ってくれれば嬉しいな。届くと、良いな。
「……よォーし!」
雑踏の中に消えていく奥分さんを見送って、私は今度こそ外に向けて歩み始めた。皆もう動き始めてる、お父さんだってきっと帰って来てくれる。お母さんと奥分さんが見つけ出して、連れてきてくれる。
だから私はそれまで、あの人の娘として恥じないよう、その本分を果たさなきゃ!!
(今はまだ子供でも、きっと)
大人にはなれなくとも。
子供としてやるべき事、出来る事はある筈だから。
『花』
『木』
一言、紡げば世界が広がった。
二言、繋げば世界が色付いた。
『芝』
『人間』
三言、転じて世界が繋がり。
四言、〆れば一つとなる。
気付けば彼の白黒を中心に、もう極彩色の新世界。痛い程に眩しく、なのに目に入れても痛くない程に。
『覚えたなぁ、アメリ』
愛おしい。
狂おしい程に、焦がれた。
まだ白銀に転ずる前の黒の陽。泣き咽ぶだけのボクの陰を包み、照らしてくれたから。
決して眩しくなかった。ただただ、暖かかった。
この熱があれば、寒い事なんてあり得ない。そう信じていた。
『クロの教え方が、上手だからデス』
『嘘こけ、俺が教え上手だったらこの世の全ての生物が大学で教鞭振えるっての』
『こけ?苔デスか?』
『しまったまだ教えてなかった』
温もりの中でボクが笑う。
その中にずっといられるって、疑わなかったから。
『……なぁ、アメリ』
『何デショう?』
『お前の“ママ”って、どんな馬なの?』
取り留めのない会話。ボクは、笑う。
何も分からないまま、嗤う。
『
甘え切った顔で。
何一つ不安なんて無い態度で。
『デモ、ボクのたった
『……そっか』
交わす言葉の意味も知らぬまま。掛けられた問いに隠された意義も知ろうとしないまま。
青い果実のまま、陽光に照らされたまま熟れたいと願い。
腐っていく。
『アメリ、もう機会は無いかもだけど……』
『クロの言うコトなら、なんでもやり遂げマス』
『そうじゃなくて……うん、本当に小さな事なんだ』
真っ直ぐな赤い目に射抜かれ、幼いボクが高揚した。そうですよね、嬉しくもなりますよね。透き通るような紅蓮の光沢に自分の総身が捉えられ、閉じ込められて。ボクだけが、彼の視界にいるから。独占できている気になって、そう思い上がって。
だから。
『
『……手遅れ?』
『気付いた時には間に合わない…って事があるんだよ。そういう愚か者が、どうしてもいるんだこの世には』
落とされた影の一つだって、見抜けやしなかった。欲望ばかりに曇ったボクの瞳は、クロのそれと違って何の役にも立ちはしなかった。
既にSOSは届いていたというのに。
『はい!勿論ママは大事にします、当たり前デス!』
『うん、当たり前だ。そうだ、当然の事だ……俺が言うまでも無かったな、スマン』
『ううん、思い返すコトは大切デスし。クロだって、ママの事を大事に想ってるんデショウ?』
『ッ……!!』
ああ。
嗚呼。
愚か者。
うつけ。
足らず。
『……そりゃ、そうだろ』
無理させるな。
笑わせるな。
何を暢気に微笑んでいる。たった今、自分がクロを傷付けた事も分からないのか!
『生物として当然の事、だもんな』
『ええ!だって、あんな大事に育ててくれたんデスから!』
コイツは。この餓鬼は、どこまでやらかせば気が済む。どうすればこの口を閉ざせる?
幾度もそう思っては、すぐに無理だと結論付けられた。これは過去、僕自身の思い出に過ぎないから。見ている事しか
それでも、それでも……!
(ふ……!)
喋るな。もうお前は喋るな!
頼むから、お願いだから!
『愛されたヨウに、愛するまで、デス!』
『ッッッ!!』
(ふざけるなァァァァッ!…………!!?』
クロの目が一層冷たい色を帯びたのを認めた瞬間、爆発した。同時に、この目に映る風景が変わっている事にも気付いた。
いつも変わらない
『ァ、え……ゆ、め?』
『なんだなんだ』
『だれ?』
『グラスだ』
『珍しいな』
『大丈夫か?』
壁越しに喧騒が聞こえる。今の叫びで起こしてしまったようで、顔を出せば心配そうな視線がいくつも突き刺さってきた。申し訳無さだけが胸に積もる。
『…すみません。もう、問題ないですから』
『ホントかぁ~』
『ならいいが』
『気を付けろよぉ』
一言告げれば、信じて引き下がってくれた。もう夜も遅い、これが続けば他の方の眠りを邪魔してしまいかねない。
夢は、
(次寝る時は、
苦笑する他無い。眠る度に蘇る思い出、また彼に会いたいという未練がここまでわかりやすく浮き出てくるとは。余りにも未練がましく、惨めったらしくて。
『———ハッ』
どの面、下げて。
『ァっ、はぁ、ハァッ……!』
息が荒く、浅く、激しくなる。これ以上はダメだ。落ち着けグラスワンダー。落ち着けアメリ。
『っあ……か、はッ』
ニンゲンにだけは気取られないように。折角ここまで進めてきた
ボクは大丈夫だと、走っても良い状態だと。むしろ絶好調だと、錯覚させるんだ。
『クロ、だって…!』
彼だってきっと、そうしていた。彼は自分の不調を晒すことを
(……愛されたように、愛し返すんだ)
自分でそう言っただろ、グラスワンダー。
クロはそうしてくれた。ならボクもそうする、そうしなければならない。
隠して隠して、隠し切って。
走って走って、走り抜いて。
彼がそうしたように、ボクもボクの持つ物全てを、放つべき
解き放って。
『アーッ!グラス!!』
……そろそろ来ると思ってましたよ。ええ、待っていました。
『ようこそ、マンボ君。エルが旅立って以来ですね』
『……カワラナイカ、キモチハ』
『ボクは依然、何も』
変わる訳が無い。何を以て変われと?
僕を変えられるとしたらそう、クロだけだ。そのクロを、追い掛けに行くんだから。
『オマエハ、ソウ
『お見通しでしたか』
『アーッ。マンボ
ならば何をしに来たのか、とはもう問わない。彼がする事、した事は分かっているから。
『スペカラ、デンゴン、ハコンデキタ……!』
『……ですよね』
さぁ、いよいよニンゲンを除けば最大の障害だ。ボクをよく知る彼ら、そしてボク以外で最もクロをよく知っている彼。
説得しに来る。止めに来る。
(……エルと出くわしたことが、こう響いてくるとは)
彼の出立の日、出会ったのは本当に偶然だった。その事自体に後悔は無い、別れの言葉だって言えた。けれど、その一回の擦れ違いで完全に見破られた代償がここにきて響くのか。
(揺らがずにいられるでしょうか)
彼らだって大事で、大切で、掛け替えの無い友で。そんな彼らから投げられる制止で、僕は思い直してしまうかもしれない。折れてしまうかもしれない。それが、怖い。
……それでも。
『良いでしょう。迎え撃ちますよ』
『‼︎』
真正面から撥ねつけ、跳ね退ける。それが出来ずに何が不屈か、何があの日の誓いだ。
何が……不退転か。
(待ってて下さい、クロ)
償いか。
けれどどうか、どうかお願いします。
最後に一つだけ、どうか。
去り逝く貴方の旅路に、貴方が教えてくれた“花”を。
ボクの死に華を、手向けさせて下さい。