Ⅱ
勝ったッ!クロスクロウの馬生、完ッ!!
『いや天寿前に終わったらダメだろ!?』
『また独り言ですか?』
『セルフツッコミだ、覚えておいて損は無いぞ*1』
『いやぁ、僕はいいかなって*2…』
あれま残念。まぁ良いや、それよりも先にスペには伝えなきゃいけない事がある。
『スペ、ありがとうな。お前のお陰で勝てた』
『あはは、だったら頑張った甲斐があります。先行策してた時のクロ、目が血走ってて怖かったですもん』
『マジ?』
『マジですね』
言われてみれば切羽詰まってたからなぁ……自覚してないだけで、結構危ない精神状態だったのかも?
こりゃスペには一層感謝せんと。
『ふふん、僕がクロの恩人って事ですね!』
『なんだお前調子乗って〜?グラスに差されたって知らねぇぞ?』
『ぐむっ、クロが勝ったならボクも勝ちますもん!』
『いや無理だな』
即答に目を丸くするスペ。いやスマン、ちょっとそれは冗談でも肯定出来んわ。
朝日杯、アレはグラスが俺に失望しかけていたからこそ策を成功させられた。それを前提とした上での勝利で、そしてそれでも差し返されかけたんだ。真っ当な実力じゃ、今でも俺ら三頭の中でトップだと思う。
今のスペじゃ逆立ちしても無理。そうだな、敢えてこう言おうか。
『グラスを、
『……っ!』
受け売りだけど、俺なりの実感を込めたつもりではある。
グラスは近い内に怪我をするだろう。もしかしたら、もうしているかも知れない。けどそこから必ず這い上がってくるだろうし、それまでに練り上げられるであろう気力を思うと恐怖しか無ぇよ。
『アイツの強さ、忘れた訳じゃないだろ』
『……うん』
うん、若干まずい方向に調子乗ってたっぽいけど落ち着いたみたいだ。凹ませちまったけどダイジョーブ、お前ならな。
そう思いながら、柵越しに鼻を突き合わせた。
『クロ……さん?』
『安心しろ。走るの好きだろ、お前』
『はい』
『その初心を忘れない限り、お前は絶対にグラスに追いつけるさ』
中山を駆け抜けた最強の二頭。その一角として、お前は将来日本競馬に君臨する。
だからさ、自信を持てよな。
『俺なんか追い越してみせろよ、スペ』
『……!っ、はい!!』
おお?なんか今までの煽り合いとは気合が違うな。どっかにスイッチあったのか?
っと、臼井氏が来た。厩務員と話してる?
「クロスクロウ号を休養に?」
「ああ、前のレースじゃ無茶苦茶な走りしよったからなぁ。検査に異常は無かったけど、若干程度に足切れてたし、もしもの場合もある…と思うてな」
はぇー、休養。今までの調教漬けの日々から一転、暇まみれになるのか。ウマからヒマになるのか。ドッ!*3
「……で、本音は?」
「マスコミがうるさくてしゃーない。オグリの件を忘れてない分まだ控えめやけど、昨日からずっーっと取材の申し込みの電話が止まらんわ」
あー、マスコミかぁ。朝日杯の前哨戦、京成杯の時点で割とパシャパシャされた記憶。俺はヒトソウルがあるからまだマシだったけど、普通の馬だとどれくらいストレスになるか分からんしなぁ……。
オグリの時は、常時張り付いて食欲減退とかまで引き起こしたんだっけ?そのレベルは流石に御免
「馬主が馬主ですしね…エスカレートでもしようものなら、クロスクロウ号だけでなくスペシャルウィーク号他、厩舎所属馬にまで影響が及びかねません」
「そういう事や。まぁこんなんでもちゃっかり最優秀3歳牡馬に選ばれてもうてる*4し、宮崎は調子乗るしでホンマ忌まわしい……という訳で、身を隠す意味でも暫くリハビリテーションセンターに預けよかなと」
「温泉ですか」
「温泉や」
「
「うわぁ毎度何やお前!」
「人語を理解している……?」
たった4文字、されどその響きは元日本人の俺にとっては格別の一言だ。温泉いいぞ〜これ、漲って参りました!
……あっ、でも話の流れ的にスペは一緒に行けないよな。うーん、それはなぁ。
『行ってきたら良いじゃないですか、温泉』
『……スペ?』
掛けられた言葉。その内容が意外過ぎて、俺は素っ頓狂な声で応じる事しか出来ない。
俺と離れる事をあんなに嫌がっていたスペが、こんなあっさり…?
『僕だって、いつまでもお子様じゃないんです』
『スペぇ…』
『だからお気になさらず。ただ、その間に追い抜かされても知りませんよ?』
『スペェ……!』
『うわぁ顔舐め過ぎです!』
ハッ!歓喜のあまり馬ソウルが溢れててしまった……しかしなんて事だ、知らない間にスペがここまで成長していたなんて。
これじゃあ….これじゃあ俺の方が子離れ出来てないダメ親みたいじゃねぇか*5!!
ここまで後押しされたんだ、存分に行ってきてやるか!
『よーし、こうなったら見せてやるぞ!温泉帰りの100%の力を!』
『いってらっしゃい!……ところで、温泉って何ですか?』
ズコーッ!
▼▲▼▲▼▲▼
僕は恐れた。
クロは元の自分を取り戻して、グラスに勝った。
でも同時に、彼は変わっていたんだ。
4戦の死闘。
2回の栄光。
そしてその内1回は、今の世代の頂点を決める戦いだったという。厩舎の他の先輩から、クロが赴いたレースがそうだと聞いた。
それを経たクロは……途轍も無い風格を、その内に備えていたんです。
『グラスを、なめるなよ』
勝てる、と根拠の無い自信に縋った僕に突きつけられた重い言葉。そこにあったのは勝ち取った重責と、ライバルを貶めるのは許さないという威厳。
それに気圧されて……どうしようもなく、焦がれた。
今までも『追い越す、追い抜かす』って挑発し合ったけれど、そこにはどこか気安さがあった。クロはいつまでも僕の傍で走ってくれる、どこまでも並んでいられるっていう安心感に甘えてました。
違うんだ。
頑張らなきゃ、置いていかれる。
『俺なんか追い越してみせろよ、スペ』
その上で、クロさんはこう言ってくれた。
僕が這い上がってきてくれると、信じてくれた。
その信頼に、応えたい。
友情は目標に変わった。
憧れは渇望に変わった。
クロさんが一緒にいるから、じゃない。クロと一緒にいる為に、僕自身の為に、僕は。
「さぁて、気合入れていくで。スペシャル」
クロが温泉に行った後、
あぁ、この人は僕と勝ちたいんだ、って。
「クロス号にも、宮崎にも、もうデカイ顔はさせん……目にモノ見せたるぞ!」
「
その意気に、鼻息で応えた。通じたかな?分かんないけど、まぁ良いや。
待ってて下さいクロ。帰って来た時、見違えた僕を見せてあげますから…!
▲▼▲▼▲▼▲
オンセン→オンセン→オンセン↑!!
オンセン→オンセン→オンセン↓!
オンセン!↓オンセン!↑
オン、セン、セーン!!!↑*6
という訳で来ました、温泉施設!正式名称は競走馬リハビリなんたら*7、らしいけど俺にとって重要なのは温泉だけなので割愛。
さぁて、暫しのバカンスを楽しみますかぁ!
とは言っても、普通に運動させられるんですけど。なんなら自分からも運動するんですけど。
リハビリメニューの合間、少しでも外に出されたら疲労を引きずらない程度に走り込み。母親が血統不明で強みが分からない以上、最低限のバランスは維持しとかなきゃ、どのタイミングでどのステータスが伸び悩んで足引っ張るか分かったモンじゃないし。
そうやって汗かいた後に、
カポーン
カーッ!浸かる風呂の気持ちよさったらありゃしねぇ!!
もうあれだよな、「一度入ったら出て来れない」って意味じゃもう極楽じゃなくて
『ホーテールネーオあーわーじ〜』
『ここは洲本じゃなくていわきだけどな』
そうっしたね。まぁ良いじゃねぇですか、温泉である事に変わりは無ぇんですし。ふわぁー、欠伸が出る……。
あ、遅れましたが隣の馬さんオッスオッス!
『腑抜けた馬だな。若いようだが、そろそろ2年目か?』
『あー、朝日杯は終わったんで次の目標は皐月っすねぇ。セイウンスカイが怖いっすわぁ』
『……そうか。もう、1998年か』
そうそう、いよいよ1998よ。セイちゃんが2冠、エルがNHKマイルCとジャパンC。そしてスペがダービー、グラスが有馬で復活するバチバチのクラシックですよ。
いやぁ、地獄の蠱毒が始まった!って感じが実にするわ。
『そういや、えーと…先輩は何年前ぐらいに走った馬なんすか?』
『1991年デビューだよ。ブルボンを止められなかった』
『おぉサイボーグ…という事はバクシンオーとかとも同世代』
『前にテイオーとネイチャ、後ろにBNWがいた。皆強かったよ、特にあの復活劇は……』
スゲー!とんでもない世代を経てるじゃないですか!!話し振りから鑑みるに、この人テイオーの有馬も見てない?クソッ、羨ましい……!
『あっ、じゃあライスシャワーの菊花賞とかにも出てたり!?』
研ぎ澄まされた肉体に鬼が宿る!……だっけ?いやこれはマックイーンを破った春天か。でもブルボンに対して燃やした執念が結実した菊花賞、カッコいいんだよなぁ!
『………』
あれ?
もしかしてなんか地雷踏んじゃった…?
『時間のようだ。出る』
『なんかすみません』
『お前の所為じゃない。ニンゲンが引っ張ったからだ』
いやでもなんかお気を害しちゃったみたいで……。
妙に後味が悪くなってしまった雰囲気に縮こまる。そんな俺に、彼は一度立ち止まって振り返った。
『坊主』
『な、何ですか』
『後悔を残すような選択は、するなよ』
俺のようにな、という呟きは。
湯気を介して微かに、しかし確かに俺の耳に届いたのだった。
……あっダメだ。温泉が気持ち良過ぎてそれどころじゃねぇ!
〜〜〜
という訳で、目一杯癒して帰ってまいりました臼井厩舎。
いやぁ1ヶ月ぶりのこの空気、こっちもこっちで堪んねぇなぁ!!
「充実してますね、クロスクロウ」
「休養に出してたとは思われへんレベルやな。このじゃじゃ馬、自主練を向こうでも欠かさんかったらしい」
そりゃノンビリ休むのは引退後で幾らでも出来ますしおすし。さぁ、さっさと調教始めましょうや臼井氏!
「うわ、相変わらずこっちの事情とかお構いなしやな。馬主に似て鬱陶しいわ」
サーセン……その様子だと俺の休養中にも馬主がご迷惑をお掛けしたみたいで。
あっ着いた。1ヶ月ぶりの俺の
「む。スペシャルの方も終わったみたいやな」
ホンマや。連絡道の向こうに見える影、それは紛れも無くヤツ!
……ん?
あの、パッと見2割増しぐらい大きくなってね?
『あっ、クロ!お久しぶりです!!』
『』
……スペはね。俺より小さかったんよ。
小さい上で、調教で3ヶ月早くデビューした俺相手に張り合ってたんよ。
でね、今はもうフィジカルが互角になってるのよ。
『見て下さい、この肉体!
うん、脂肪じゃねぇ。筋肉だ。
……今度こそ。
『……クロさーん?』
今度こそ、決定的に抜かされたんじゃね?俺。
「すみません、あの馬はなんて名前なんですか」
「えぇと、予定的に今温泉に入ってるのは……クロスクロウ号ですね。ほら、恵まれない出生なのに“怪物”を討ち取ったのがまるで御伽話みたいだって話で、新聞にも取り上げられた朝日杯馬の」
「……!」
「何かあの馬について知りたい事でも?」
「…少し…いえ、色々知りたいですね。縁があるもので」