また君と、今度はずっと   作:スターク(元:はぎほぎ)

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【Ep.119】懺悔

 調子はいい。

 

悪くない。

 

 スぺの調教は順当に進んでいる。

 

スズカのコンディションは取り戻された。

全盛期の9割。残りの10%も、本番までに 

十二分に間に合うだろう。        

 

 ただ最近、何かしら思う事が出来たようで。

 

しかしそれは同時に、調子に乗り過ぎて

しまう危険性も増えた……って事になる。

 

 走りに熱が入るのはいい。けれどちょっと、

必死過ぎじゃないかって。

 

僕もスズカも、速く走りたい気持ちは同じ

だから。                

 

 楽しさが薄まっていた。

 責務に迫られるような。

 義務に追われるような。

 

(はや)る衝動に押されて、強度超過を冒して

しまいそうになるんだ。        

 

 焦りの、疾走。

 スぺらしくもない。

 

どこまでもスズカらしい。

だからこそ逆に、()()()。 

 

 でもコイツは、意味も無くそんな事はしない

馬だ。俺がすべきは制止じゃない。

 

「よし、ここまでだ。このまま()()()いこう」

 

「力になるっすよ、スぺ」

 

本番までとっておこう、と。 

君が、僕達が、最も気持ち良く

なれるように。        

 

 共に在れるって。

独りにさせない、一緒にやろうって。

 

クロスが、僕達にそう望んだように。

 

 クロには、やってやれなかった事を。

 

重責だ。スズカのギリギリのラインを

見極め、二度と怪我させずに走り切らせ

るのは。              

 

 俺にだって重圧が掛かってる。史上初めての

秋古馬三冠、それまで目前だ。周囲からの期待

は勿論、マスコミからの突撃だって絶えない。

 

けれど、それでも見たいんだ。 

君がまた、トップでゴール版を割る

その光景を。          

 

 でも、お前と一緒なら。独り同士で背負い

込まず、分かち合えたなら、きっと。

 

『———しょうがありませんね』

 

『イキゾイのクセに、生意気だよ』

 

スぺは。

スズカは、

 

『でも…頼りにさせて』

『私が貴方(ユタカさん)の指示に、従わない訳無いじゃないですか』

 

応えてくれた。

 

 俺を必要としてくれてる。その事がどれ程

嬉しいか。

 

僕と君で走って行ける。それだけで良かった

のに、その先をさらに望んでしまう。    

 

 馬の言葉は分からない。でもそれは、

寄り添わない理由にはならない。

懸命にお前の声を聴いて、そして話し

合おう。その為にも、まずは今日の調教

も悔いを残さない。

 

僕が君を欲したように、君も僕を欲した。

それだけが事実で現実だ。それ以上必要な物

があるだろうか?            

 

 さぁ行くぞ、大将。古馬最後の一冠、世に

轟く有馬の栄達へ。

 

君には長い距離かも知れない、それでも……

……大丈夫。僕がいるから。        

 

 

———っ。

 

『イキゾイ?』

 

『ユタカさん?』

 

 ……いや。なんでもないさ、相棒。

一瞬見えただけだ。木々の向こう、別

の馬に跨ってた勇鷹さんの姿が。

 

些細な事だよ、スズカ。生沿君が—— 

——愛弟子の姿が見えたんだ、隣のコース

にチラリとだけね。          

 

 あの人とはまだ会えない。やっと煮え湯を

飲み干した所なのに、その達成感が抜けない

未熟さのまま会ってしまえば、喉元過ぎた熱さ

が逆流してくるだろうから。

 というか……逆流()()()()()()だろうから。

 

彼とまだ会う訳にはいかない。もし会って

しまえば、きっと僕は罪悪感が再発する。 

挫けてしまいかねない。         

……それを起こさない為に。僕はスズカと

共に、自分を磨き直しているんだから。  

 

「……代わりに、見せないとな」

 

 俺はもう貴方を…アンタを超えたって。

勇鷹さんに気を遣われるだけの小さい存在

じゃないんだぞって。

 彼が、罪悪感なんて抱かずに済むように。

 

「ちゃんと、示さないとなぁ」

 

生沿君が遠慮せずに済むように。   

“超えるべき壁”として僕を、後腐り無く 

見上げられるように。         

 

 俺の道は定まっている。

後悔はあるけど、もう憂いは無い。

 

僕の道は見えている。            

不安は数えきれないけど、後悔はもう済ませた。

 

だからふと、こう思うんだ。

 

「「宮崎さん、大丈夫かな(だろうか)……」」

 

最後に取り残された、ただ一人を。

 

 


 

 

「父さん、これ何?」

 

幼い頃に問うた事があった。目をパチクリと見開いた、父の顔をよく覚えている。

 

「父さんの事業、調べたよ。殆ど大黒字だった」

 

父は偉大だった。控えめに言って“偉人”だった。歴史に名を残すべき有能で、教科書に名を連ねるべき善人。

己が身一つで会社を立ち上げ、たった一代で日本経済に深く食い込むほど急成長させた。予知じみた先見眼で未来を見抜き、手を付けた事業の殆どを大成功させた。

窮した人々を、その手が届く限り掬い上げては支援した。的確に輝けるそれぞれの場へと斡旋し、その人生のことごとくを逆転へと導いた。その中にはつい喫緊の、ノーベル賞受賞者すら含まれるぐらいだ。

善意に溢れた笑顔で他者を巻き込み、引き摺り込み、諸共に高みへ駆け上がる。気が付いたら周りの人々は魅入られ、その下に集おうとする。

それが、宮崎斗真。

 

……子供として、憧れない訳が無かった。目指さない訳が無かった。神の手、神の目、神の頭脳。その血を引いていることが誇らしくて仕方が無かった。

 

 

だからこそ、不思議だったんだ。

 

「なんでこれだけ、赤字なの」

 

数ある分野、その中で唯一。生粋の商人である筈の父が、()()()()()()()()()()としか思えない領域があったから。

その正体は、馬。幼い私が突き付けた紙束、その資料に記された億単位の金の流れ先。

 

「採算を取る気が無いとしか思えないよ、だって投資した分が帰ってくる見込みが無い……どころか、これじゃもう寄付じゃないか。JRAどころか競馬場、牧場、騎手、調教師、馬主、トレーニングセンター……全体的な資産からすれば屁でもないし家計にも全然響かないけど、節操が無いっていうか。母さんならともかく父さんらしくないって、こんなの」

「えーとだな雄馬。まず一つ聞きたいんだけど、どうやってその資料を?」

「自分で調べたよ。父さんの、子供だもん」

「我ながらとんでもない子を生んじゃったかなコレ」

 

そう言いながらも撫でてくる手つきは、優しくて暖かくて。この手に見合うような息子でありたいと、思っていた。

 

「……雄馬は、嫌か。父親が競馬好きなのは」

「ううん、趣味は父さんの勝手だよ。そもそも父さんのお金だからね」

「道理の話じゃない。雄馬自身がどう思ってるか、だ」

「…受け入れ易くは無いかな。だって()()()()()だし」

 

勿論、事前に調べてはいた。ハイセイコーの競馬ブームはまだ()()に新しく、馬が走る事に血眼になる人が大勢いる。自らを破滅へ追いやった例だって、いやに詳細な話が探さなくても目に付く程度には。

父は絶対にそんな風にはならない。そう、分かってはいても……。

 

「雄馬は……13歳になったよな」

「…?うん」

「じゃあ、()()()()()

 

渋る私に、父はそう言って。

 

「百聞は一見に如かず。その目で見て、判断すると良い」

 

何も知らない私を、連れ出した。連れて行った。

芝が舞い、嘶きと歓声の迸るあの地へと。

 

《先頭は!先頭は!先頭はモンテプリンス!モンテプリンスが出た!サクラシンゲキ鞭が入った!オペックホースも来る、オペックホースが来る!!》

「わぁ……!!!」

 

引き摺り込んだのだ。

 

 

 


 

 

「雄馬!!」

 

来てしまった。とうとう追いつかれてしまったか、お前に。

なぁ、梓。

 

「どうして、来てしまったんだ」

「……あのまま引っ込んでろなんて、無理な事言わないでよ」

 

君は確かにそうだろうな。けどそれでも私は、()は、お前には()()()()()()であって欲しいんだ。

“絶対の被害者”というポジション程、この世で強い者は無いから。

 

「…あなたの辞任と同時に、私達の“事情”がどこからか噂になったのよ。どこからともなく唐突に、世間の各所で」

「ああ。俺自ら流した」

 

家庭内暴力で妻に逃げられたと。その旨で、流布した。社会中に根差させた()()から、市井に浸透させた。

 

「なのに、私には沙汰も無かった。あなたの辞任という特大のスキャンダルで世間が揺れたのに、その格好の餌である当事者へマスコミが来ないなんて!!」

「ああ。俺が牽制しておいた」

「だから私、()()を正す為に自分からマスコミに行ってやったわ。そしたらどうなったと思う?」

「門前払いだろう?」

「あなたの名誉はどうなるのよ!?」

 

当たり前だ。俺が徹底的に“悪”になるように、流す情報を絞った。嘘は無い、ただ添削しただけだ。俺にとって“言い訳”になりうる要素だけを、徹底的に。

あの(クズ)がそんな人間だとは知らなかった、とか。俺自身はDVに直接加担はしてなかったとか、愛を金で示そうとしてたとか。

そんな、市井にとって()()()()()要素をオミットしたから。

 

「俺の事なんかどうでもいいだろう」

 

そう、どうでも良い。お前たちが有利なポジションを得られるなら、寧ろそれが嬉しい。

実際、示せなかった愛は愛とは呼べない。結果論として俺はお前を愛していなかった、その事実があるのに今更何をためらう?

 

「そもそも、俺自身すでに行き詰ってたんだ。実は6月頃から俺を失脚させようとする動きが各所で目立ってきててな、対応しようにもその頃は……ちょっと仕事に手が付かなくて。だからお前が原因じゃない、気にしないでくれ。寧ろ勝手に広めて、本当にすまなかった」

()()()()()、バラしたの?」

 

……隠せない、か。

 

「私達の件を、その相手が掴んだのね。だから、相手の裁量で蒔かれる前に自ら蒔いた」

「……流石だ」

「何年あなたを追いかけ続けたと」

 

そうだ梓。お前はいつだって、俺に追随して、俺と共に在ってくれた。ずっと一緒にいてくれると、俺はそれに甘え切ってしまったんだ。

 

「でも———でもどうして、こんな自棄になったみたいに!」

「……」

「あなたならもっと、もっと上手くやれた筈でしょ!?」

 

どこから答えようか。どこまで答えようか。実際俺が商事のトップの座を保つなら他に幾らでもやりようはあって、それを梓達を守るのと両立させる事も不可能ではなくて、だがそうしなかった理由は一つ。

どう言葉を選ぶべきか?これ以上彼女に、余計な事で気を揉んで欲しくない。

 

「私の為ならそう言ってよ。私と美鶴の被害が一番軽いからこうしたのなら、私にも責任を頂戴よ。前もって私達にも何か言ってよ……!」

「それは違う」

 

不味いな、やっぱり判断力が鈍って遅れている。その所為で彼女に、自責させる隙すら与えてしまった。

だからもう、洗いざらい吐いてしまおう。

 

「本当に……本当にもう、()()()()()()んだ」

「……は?」

「自棄になったみたい、じゃない。もう全部自棄なんだ」

 

このロンシャン競馬場で。この夕焼けよりもっと赤い落日を、この目で見た時。

 

「クロスクロウが、死んだ時」

「———!!」

「俺が死なせたんだって、気付いた時に」

 

俺が彼を追い立て、追いやり、追い詰めて。あそこまで焦らせた結果が、()()なのだと。その自覚に至った、あの日の夜に。独りくるまった毛布の、その中で。

 

「自分勝手な願いを、剰え押し付けて背負わせた。自分だけじゃ叶えられないからと、他力本願に終始したんだ」

 

これ程情けない話があるか。捨てられるに相応しい所業をしでかして、その通りに捨てられたのに縋り付いて。諦めきれないからと、クロスを買って走らせた。

最初に課した期待など、今となっては笑い話にしかならない。何が三冠だ。その難しさを本当に理解できていたのなら、決して吐かない戯言だ。父さんなら絶対に押し付けない無理難題だ。

……そんな事すら覚束ない時点で、きっと俺は、馬を好きですらなかったんだろう。

 

「やっと分かったんだ。そんな俺が何をしたって意味は無いって。会社を継いで大きくしたところで、死んだ父さんにそれは伝わらない。供養にはならない」

「ゆ、ま、」

「あれだけ俺に尽くしてくれたクロに、これから何したって届かない。俺の感謝にも後悔にも意味は無い」

「やめて」

「お前を、美鶴をどれだけ思っても、それはお前たちの幸せには繋がらなかった。だから、無意味だった」

「やめてっ!!」

「こんな無意味な行動しか出来てこなかった俺が、これから何をするんだ?どうせ無意味なのに」

 

制止も構わず、最後まで言い切った。スッキリした。

なぁ梓。だからせめて、お前が最後に一つだけ、俺に“意味”をくれないか。あの日のように。

 

「俺のやった工作(こと)を、受け入れてくれ」

 

これ以上動かないで、被害者としての地位を確立してくれ。

()に永遠にマウントを取れる地位を、手に入れてくれ。

 

「無理よ……だって私は、私はあなたの、つm」

「そういえば、お前は何でここに来たんだ?」

 

変だ。わざわざ日本から俺なんかの為に来るなんて。時間と金の無駄だろうに、何が目的だ?

あっそうか。アレがあった。

 

「“約束”の件だな?」

「何、言って」

「クロスが凱旋門で勝ったら、の件だよ!クロスが掴み取ってくれたから、君もその義理を通しに来てくれたんだな?」

 

そうだった、あの件がまだ宙ぶらりになっていたんだった。そんな物に彼女を縛り付けてる訳にはいかない、早く終わらせないと。

 

「すまなかった、あの約束はナシにしよう。元々私にしか利点の無い口約束だ、君としてもその方が良いだろう?」

「ま……待って!」

「君はもう俺に縛られる事は無いんだ。俺ももう()()()事にするから、そっちもきれいサッパリやり直しててくれ。その為の補填ならいくらでも出来る、金なら個人資産でどうとでもなるから」

「違う!」

 

何が違うんだ?あの日だってお前は、粘り付いてくる俺に辟易してる様子だったじゃないか。

 

「何より、クロスの犠牲で君を取り戻してしまったら……それは彼の死を肯定する事になってしまう。そんなのは祝福されるべきじゃないし、()として迷惑だろう」

「雄馬違うの、私は……!!」

「安心してくれ。君の姓はもうとっくの昔に“揚羽”だ。宮崎じゃない

「……~~〜〜っっっ!!!!」

 

そう言うと、何故か梓は歯を食いしばりながらコンクリートの地べたへ座り込んでしまった。かといって叫ぶわけでもなく、堪えるような嗚咽ばかりが聞こえてくる。おかしいな、嬉しくないのか?いや、私の存在が煩わしいのか。それはすまなかった、すぐに立ち去ろう。もうここには来ない、二度と会う事は無い。さようなら、俺の愛しいひt

 

 

「泣き崩れた女性を置いていくのは歓心しませんよ、宮崎さん」

「———ッ」

 

 

踵を返そうとしたその瞬間、視界に入ってきた人影。それを目にした瞬間、どこかハイテンションだった気分が一気に沈静化した。

 

「奥分さん……」

「……梓は分かる。だが貴方が何故ここにいる?」

「何故か、は詮無い事ですが……どうやって来たか、なら」

「いや。察しはつく」

 

凱旋門賞の少し後、美鶴の帰国と入れ替わるように梓が私を探しに来た。けれどどうせ私は彼女を傷付けるだけだから、今こうなってるような状況を避ける為に、逃げ続けた。躱し続けた。隠れ続けた。危ない所もあったが、最終的には撒き切ったと油断していた。

そこを、後から来た貴方の助力で捉えられた……という所か。

 

「貴方の父──トウさんの事はよく知っている。そして馬主としての貴方も見てきて、知っている」

「だからこの場所にいると、分かったのか?」

「ええ。父親の気質をよく継いでるとしたならば、愛馬の最期の地からは……離れられないだろうと。弔い続けずにはいられないだろうと」

 

その言葉を聞いて、仄かに喜ばしい気持ちになる自分が嫌になる。今更父に似た所で、何になる。簒奪者に過ぎない、この私が。

 

「……で。何しに来たんだ、貴方は。私は顔も合わせたくなかった」

「それはクロスの事ですか」

「他に何がある?」

 

クロスの元主戦騎手。クロスの血に深い所縁を持つ者。クロスを最初に導き、輝かせてくれた男。クロスの行く末を、最も憂いてくれた奥分幸蔵。

………合わせる顔など、ある訳が無かろう。

 

「凱旋門賞に無理やり出したのは私だ。私が殺した、スピードシンボリの直系を断ち切りハクセツの血を打ち捨てた」

「雄馬!それは私が──」

「梓。私が話してるのは奥分氏だ」

「ッ」

 

懺悔にもならない、ただの愚痴。堪えきれない感情は私の至らなさをこれでもかという程に表していて、それは傷付けたくない筈の梓もまた臆させてしまう。

そうか、奥分。こんな私に、貴方はトドメを刺しに来てくれたのか?

 

「トウさんの仇だものな」

「……?」

 

売女の血が二分の一も入っているこの身体は、あまり長くこの世にいない方が良かったか。今までは勇気が出なかったが、貴方に叱責されたなら踏ん切りがつくだろう。

ただ一つ悔いがあるとすれば、美鶴の身体にもその血を受け継がせてしまった事だが。けれど彼女は幸いにも、何故か父さんに似て育ってくれた。聡く、優しく、どこに出しても恥ずかしくない愛娘。

 

これ以上後悔が増えない、その内に。

 

「僕は責めに来た訳じゃないですよ」

 

───嗚呼。

ここに来てまた、私の願いは叶わないか。

 

「じゃあ、何をしに」

「……“メッセンジャー”に過ぎません。僕もまた当事者ですが、ね」

 

メッセンジャー。伝言。誰から。奥分の関係者?となれば、もしかすると。でも、彼の()()は。

 

「僕の同期達。特に、柴畑から」

 

私の望む言葉でない事だけは分かった。恨みつらみでない事、それだけは。

それどころか、もし万が一、謝罪でも貰ったら。

 

(耐えられないな)

 

柴畑氏からの敵意が嬉しかった。彼は宮崎商事を父さんの物だと思ってくれている、それが喜ばしかった。父さんを想ってくれる人がいる、それを確かめられて安心出来たのに。

それを保証していた私への敵意が、憐憫に変わってしまったら。

 

(まるで、母さんが赦されたみたいじゃないか)

 

あの糞アマに貶められた父さんの名誉は、どこに行くんだ。

 

……諦念の中で待った言葉、その内容は。

 

 

「クロスクロウの馬主で、()()()()()()()()

 

 

期待した物ではなく。

恐れた物でもなく。

 

「……これが、僕たち馬事公苑15期生の最終的な総意だ」

「………は?」

 

たった一つの、要請。

拍子が抜けて腰も抜ける。意図が読めず、視線が右往左往する。

その中心で、また奥分が口を開く。

 

「“行くところまで行け”と。柴畑が貴方にそう言ったと聞きました」

「ぁ、ああ。末路を見届けると言っていた」

「その延長線上の話です。何の事は無い、今までと何も変わらない」

 

確かに不変だ。その約束自体は、何一つ。

だが……()()の方が、変わってるだろう。

 

「クロスはもういない」

 

いない馬の馬主で居続けろ、とは。どういう望みなんだ?

 

「いますよ」

 

私の反論に、奥分は返す。

 

「いましたよ。その過去は消えない」

「だが、」

「消してはいけないんです」

 

強まる語調に、自然と口を閉ざされた。有無を言わせぬその気迫に、目を見開く他無かった。

消しては、いけない……?

 

あの仔(クロス)が遺した記録は、歴史は、確かに僕達の胸にあります。そしてそれは、貴方が彼を(いざな)ったからこそ、この世に存在している」

「私が、クロスを、買ったから?」

「その貴方が投げ出してしまったら……残るのは“悲嘆”だけです。決してそれだけじゃない、その筈なのに」

 

そう、か。

クロスは俺達に残してくれたじゃないか。

 

「熱狂も、栄光も、歓喜も」

 

家族愛も。

思い出させてくれた。擦り切れた私に、喜びを取り戻させてくれた。

 

「良かった事全てが嘘になってしまう。貴方が()()()しまえば、ただそれだけで」

 

違う。それは違う。

クロスが遺してくれたのは呵責だけじゃない。

 

「それは……ダメ…だ」

 

やっと絞り出せた声。震えてたかも知れない。どこか意識がおぼつかない。それでも。

 

「彼は私に、夢をくれたんだ」

 

これだけは、譲れない。

この事実だけは。

この2年間、私の生きる力になってくれた、その現実だけは。

 

 


 

 

「だったら、頼みます。その自分を捨てないでください」

 

叶うなら謝りたかった。歩み寄る素振りすら無く、理解する余地など無いと切り捨てた僕達。

同期で唯一渡仏の都合が付いたのが僕だけで、だから皆から伝言だって預かってきた。あのジャパンカップでスペシャルの、生沿君の奮闘を見て、彼らに夢を見て、なんとか現実に戻って来れた花の15期生の仲間達。悔やみ、それでも前を向くと決めた。

そんな皆の最後の、最大の後悔。それが、辛く当たり続けた貴方への懺悔だったんだ。

 

「それに一体何の意味がある」

「クロスは今の貴方を構成する重要な一欠片(ピース)なんでしょう?それと同じように、クロスにとっても貴方は重要な、欠けてはいけない一欠片なんです」

 

でも実際に相対して、それを伝えるという選択肢は完全に消えた。やはりこれは当人達それぞれが面と向かって伝えるべき事で、皆もそれが分かっていたから多くは語らなかったし、自分が次に雄馬さんに会った時に自分の口で話し込むつもりだった。

でもそれすら告げないのは、今ここで言っても()()()()()からだ。

 

「悔やむなら、ずっと一欠片で在り続けて下さい。責任をとって下さい」

「……」

「日本を熱狂させた、その責任を」

 

やっと会えた雄馬さんは()()()つもりだった。消え失せた覇気、生気、放っておけばそのまま掻き消えてしまうような。枯れ草の方がまだマシなぐらいに。

このままでは死んでしまう。異国の地で独り自決か、もしくは野垂れ死か。

……止めるには。

 

15期生(僕達)を負かした勝者として、生き続けて下さい」

 

新たな呪いで、繋ぎ止める他無い。

元妻の梓さんなら何とか出来るんじゃないかと見守っていたが、ダメだったならこれしか無い。所詮は場当たり的な応急処置で、長期的には悪化させるとしても、何より仇に仇を重ねる人でなしな行為を自分が冒してるとしても。

 

「……は、は」

 

力なく笑う彼に対して、溢れそうになる罪悪感を飲み込んだ。最早謝罪する権利すら僕には無く、しかし生きている者としての義務がある。例え消滅のみが救いだとしても、それを容易く肯定してはならないんだ。

だから僕は、トウさんの息子を、生き地獄へと縛り付けるんだ

 

「楽に、なりたかったな」

「っ」

 

弱々しくも立ち上がる宮崎雄馬。願いは届いたのか、先ほどから変わらない様子では判別出来ない。

でも、僕が何か言えるのはここまでで。

 

「安心してくれ、死にはしないさ。生きるさ、ああ」

「!なら、是非有馬記念に来てくれませんか!?生沿君の姿を──」

「だが、すまない。まだここに居させてくれ」

 

そう言って、雄馬さんは歩み始めた。僕達から背を向けて、僕達のいない場所へ。

僕はただ見送った。拒絶を前に呼び止めるなんて出来なくて、それしか出来なくて、それだけが最適解だったから。

 

(貴方にこそ、僕達を呪って欲しかった)

 

何故これまで、放っておいてしまったんだろうか。こうなるまで放置してしまったんだろうか。よりにもよって、トウさんの子供を。

血が繋がってないなんて考えられない程の、競馬への愛を度外視して。

この悔いは、一生尽きる事など無い。あってはならない。

 

 

「……何も、出来ませんでした」

 

そんな僕の心を現実に引き戻したのは隣の女性の声。

 

「揚羽さん」

「彼にとって、今の私は家族じゃない。そんな私が掛けられる言葉なんてある筈がありませんでした」

「そんな事は……」

 

そもそも、今日ここで雄馬さんと会えたのは揚羽梓さんの奔走があってこそだ。彼女が事前に雄馬さんの居そうな場所を虱潰しに探し回り、彼の行き先を塞いだ。そこに後から来た僕が、“彼はきっとロンシャンに戻ってくる”という憶測を付け足しただけ。

だから先刻の言葉を告げられたのは彼女の功績だと、僕はそう思い自責を止めようとした。

 

「心配無用です、奥分さん」

 

……結論から言えば、余計なお世話だったようで。

 

「出来る事は必ずある。例えもう部外者でも、私は諦めません」

「何をするつもりですか…?」

「何も。ただここで、彼を待つだけです」

 

その目には色濃い悲嘆と後悔、でも希望の光が消えていない。自らがなすべき事をしっかりと見定めた、強い“女”がそこにいる。

少し、気圧された。

 

「寄り添う事は叶わなくても、彼が戻りたいと思った時──いつでも叶えられるように。迎えられるように、この地で待ち続けます」

「いつまで?」

「いつまでも」

 

それが彼女の選んだ道。彼女なりの、これまでの積み重ねに対する“精算”。

ならば僕も、遅れてはいられないか。

 

「……日本に戻ります。皆が待ってるので」

「ええ。お達者で」

「はい。揚羽さんもお元気で」

 

彼女を背に残し、僕は競馬場を去った。次の騎乗依頼が、僕の持ち馬が、レースの為に僕を待っている。これ以上寄り道している時間は無い。

奥分幸蔵としての決意。

伝説の騎手としての使命。

それらに報いる、その為にも。

 

(トウさん)

 

朋友よ。

 

(クロス)

 

戦友よ。

 

(償いだなんて言わないさ)

 

それでも、見ていて欲しい。

空の果てから僕達が得る結末を。




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