今日朝、Twitterでグラスのエッッッな絵(規約違反ではない範疇)を見た瞬間に筆が暴走した
性欲は正義
【Ep.121】有馬
《大歓声の中で本馬場入場が始まります……が、西さんちょっともう一回教えて下さい。何人入場したとおっしゃいましたか?》
《20万人近く、ですね》
《……とんでもなくないですか!?》
《いえ、妥当ですよ。なんたって秋古馬三冠を狙う生沿健司とスペシャルウィークに、同世代の雄が立ちはだかる総決算なんですから!》
「来ちゃったなぁ」
『来ちゃいましたねぇ』
《確かに。皐月でスペシャルに先着し菊花でワールドレコード勝ち、春の天皇賞でも追随してみせたセイウンスカイ。鞍上は激戦を共にしてきた縦峰!》
「掛かるなよ、スカイ。相手は生沿君とスペシャルだけじゃないぞ?」
『大丈夫ですってば。でも、スペ君達を度外視してたらオレ達はそもそもここにいないでしょ?』
「……脚、大丈夫か?」
『痛み、今日は無くて良かったぁ。もっと酷かったら出られなかったかもね、あー怖い怖い。
《数日前に体調不良の噂が流れましたが、杞憂のようですね。
《ああ、セイウンスカイのストレッチもどきですね。ダービーでクロスクロウが目の前でやってたのを盗んだようで、厩舎で定期的に足腰伸ばしてるそうですよ》
《もし不調が本当なら、出走可能な状態に持ってこれたのもそのお陰かもしれませんね》
《さてセイウンスカイに引き続き、次に本馬場へ踏み入るは──》
「飽きずにやってるなぁ、それ」
『……クロさんを倒す為に、手段は選ばないって決めてたから。これが彼の強さの一つなら、俺の物に出来たらって』
「………対抗心ってヤツか」
『叶いませんでしたけどね〜』
『腐ってる場合か。いや、お前の事だ。どうせ軽口なんだろうな』
『あっ!』
《スペシャルウィークとは7度の対決を経てきたキングヘイロー、跨るはマイルCSに続き福延優斗!気力に満ち満ちてます、悲願のGⅠなるか?》
《前走では頭を丸めて臨む覚悟を見せました福延ですが、その域はまだ萎えを見せません》
『キング!久し振りだねぇ』
『いつも
『にゃは、固くなっちゃって……うぅん、当たり前か』
『……いや、俺も一旦落ち着いてくる』
《本来出走予定だったのはスプリンターズSだったそうですが、スペシャルウィークとセイウンスカイが出走確定した折に福延騎手が有馬への路線変更を直訴したと聞いています。クラシック三冠のリベンジを果たしたいんでしょうね》
「今日は絶対にハイペース、確実に早い展開……どう足を残す、どこで残す……」
『───フクノベ』
「マークするにしてもライバルは多い、誰を……生沿君の位置にもよるけどやっぱり勇鷹さん………いやでも…………」
『フクノベ』
「窓葉さんの位置だって……縦峰さんがどう緩急付けてくるか…ああっ、どうするっ」
『フクノベッ!!!』
「っ?!」
《おや、キングヘイロー嘶きました。折り合ってるように見えましたが》
《いえ、今も特に荒れてる様子は……》
『息整えろ。思い詰めるのがお前の悪い癖だろ』
「…分かってるさ、俺が短所も直せない未熟者だなんて」
『!?そんな事h「それでもお前と勝ちたいんだ……!」──っ』
《さぁ続々と入場していきますが、先ほどからキングヘイロー動きません。福延騎手も何かする訳でもなく……?》
「身の程なんて思い知ったさ、そしてこれからも痛いぐらい思い知らされていくだろうさ。けどお前の最初の相棒として、このまま終われる訳無いだろっ」
『おま、え……』
「
『───はぁ……
……
「は?」
『くそっ、初めて勝敗を最優先じゃなく考えてたのに。グラスを止めるのと同列に考えなきゃいけなくなったじゃないか、お前の所為で』
「な、何だよ。何に怒ってんだお前!?」
『怒ってるもんか!ああもうこのヘッポコ、火を付けるだけ付けて……!』
《……と思ってたら走り出しましたね。実に軽快です》
《調子が良いなら何よりではありますが……私の今週の食費賭けてますし》
《いや賭け金》
「あわわわっ……とぉ!」
『何だ、上達してるじゃないか』
「流石になんとか……うん、お前ならきっといける。勝てるさ、キング」
『ああ。それと、フクノベ』
「ん?どうした、キング」
『ありがとうな』
《さぁいよいよ残り3頭、他の馬には悪いですがこれからが本命と言っても過言ではありません。それぞれが因縁のライバル、運命のタッグ、親縁の師弟!!》
『あっ、話終わった?』
『まぁな。自分の中での優先順位を少しばかり変えてきた』
『つまりそのバチバチ具合を見るに、グラス君は二の次にして自分を優先すると?』
『そうじゃないし、揺さぶりは無駄だぞ。お前だってそのつもりだろう、スカイ』
『……グラス君を止めて、その上で自分が勝つ。いやはや厳しい話ですなぁ』
『だがどっちもやらなきゃいけない。負けないぞ、お前には』
『冗談。こっちだってこれ以上負けられないんで』
《さぁ入ってきました、前年度覇者!ヒットマンの意地は再び流星を射止めるか、最速の風を今度こそ切り裂くか!?》
『ていうかさ、スペ君まだ?早く合流したいんだけど』
『まぁそろそろだろ。そう急くな、もう焦ってどうにかなるタイミングじゃ──』
『ごきげんよう、御二方』
瞬間、空気が変わった。否、捻じ曲げられた。
その一声だけで、一瞬で周囲が重圧を帯びた。
『……グラ、ス、君』
『奇遇ですね、ここでお会いできるなんて。クロが引き会わせてくれたんでしょうか?』
既に
それを真正面から受けて、スカイは気圧される自分を自覚せずにはいられなかった。
『御託はいい。もうそれが必要な仲でも、それに割いてる状況でもないだろう』
『へぇ、こういう礼儀やら様式については敏感だったキング君がそんな事を言うなんて。心変わりするような出来事でもありましたっけ?』
『白々しい……単刀直入に聞くぞ。何を企んでる?』
切り込んだのはキング。動じずにいられるだけの度胸を育んできた甲斐あって、しかしそんな彼でも僅かに声が震える。
歴戦の彼らには、グラスと長く付き合ってきた彼らには、分かるのだ。これでもまだ、グラスは
『何って……既に貴方達が伝言で言い当ててるじゃないですか。自滅を目指してるって』
『だから、その具体的な手段とか!』
『止められると分かってて言うと思いますか?』
『ッ……!!』
これだ。絶対的な拒絶の色を乗せた、重く鋭い声音。平常の空気を分厚く纏わせてなお突き立ててくる、指向性の牙。
まだグラスは、微塵も本性を表してない。
「………」
(周りの馬はグラスの剣呑さに全く気付いてないし、もしかすると乗ってるニンゲンですら……なんて隠蔽術だよ、こんな状況でなきゃ教えを乞いたいぐらいだってのに)
スカイはそう考察しながら、グラスに跨る
いずれにせよ、連携には期待できそうもない。そう判断した彼は、意向を目配せでキングに伝えた。
(荒げかねない刺激は避けよう。時間稼ぎが吉だよ)
(そんな暇は無いだろ?)
(スペ君がもうすぐ来るからそれまでは。ほら、
『どうしたんですか、2頭揃って押し黙ってしまって。話す事はもうおしまいなんですか?』
『ええい、待て、待て!』
意を決してキングが深呼吸を行う。グラスに“未練”を植え付けるべく、スペから仕入れたとっておきの
『……
『───、』
『子に先立たれるだなんて、そんな親不孝があるか。親よりは長く生きる、それが子として生まれた奴の務めだろう?』
思う所があるのか、グラスが一頻り黙する。キングとスカイはその姿に、僅かな手応えを感じ取った。
(スペさん、ナイス情報提供。とはいえ盗み聞きは褒められないけど……!)
「グラスはクロに自分の母の話を嬉しそうに伝えていた」とは伝言で聞いていた。それを元手に揺さぶる作戦が効果を垣間見せた事に、スカイは内心でほくそ笑む。事前にキングと打ち合わせておいて良かった、と。
『グラス、お前は不義理を嫌ってただろう?だったら親に対してそれをしちゃいけないだろ』
『ママに対して不義理……ですか』
『そうだよグラス君、まさか君に限ってそんな失礼な真似しないよねぇ?』
機と見たスカイが表立ってキングの側に就く。ここで畳み掛けて引き止める、その一心で。
キングと微かに目が合い、お互い頷いた。同世代の仲間の中でも、彼ら特有の信頼があったから。
『だから、グラs』
『でも
『…………ぇ』
だが。
その信頼は、その上に成り立っていた打算は、見るも無惨に水泡に帰す事となる。
《グランプリ三連覇を目指すはグラスワンダーと窓葉一のコンビ!期待が掛かりますよっ》
《歓声にも動じない、絶好調のグラスワンダーです。これを破るのは相当厳しいかと……!》
彼らの間に座す停滞など知る由も無く──否、グラスが己の内を
それを背に受けるグラス、その有様に正面から対峙したキングとスカイは……思い知らされたように立ち竦むしか無い。
『他の事なんて、もうどうでも良いんです。未練がましくしがみついてたからダメだったんだって、気付いたから』
『何を言って……』
『ボクがクロの物になる為には、クロの心に届く為には。他の事なんて考えてちゃ、いけなかったんですよ』
だからもう他の物は要らないんです、と彼は笑う。抱え持った重圧とは裏腹に、軽快さすら漂わせて。
そしてグラスは告げる。キング達は知る。
『だからこそ、改めて──
(そこまで変わってしまったのか……!)
(道理で何一つ伝わらない筈だよ、この分からず屋ッ)
キングは歯噛みした。自身の無力、その悔しさを発露出来る訳も無い苛立ちが彼をそうさせた。
スカイは唾棄した。組み立てていた全ての説得案がゴミになった、その虚無感に苛まれていた。
共に競った仲間が、その矜持を完全に投げ捨ててしまった。そして捨てさせてしまった自分自身を、彼らは呪った。
言葉が届かないのも当然だ。クロの死を経て変わってしまったグラスに、変わる前の親愛を伝えて何になる?
………そんな朋友達と相反するかのように、グラスは。
「ありがとうございます、お
微笑んでいた。嘲りの無い真心を込めて、責める事も呪う事も無く。
『最後こそこんな形になってしまいましたが──それでも、皆に会えて良かった。スカイ君がいたから熱くなれて、キング君がいたから心強くて、そしてエルがいたから頑張れた。貴方達のおかげで、本当に楽しかった』
『……やめてよ。ねぇやめてよ、その言い草じゃホントに…本当に“おしまい”みたいじゃんか』
『……おしまいですから』
困ったような顔で、それでも笑顔だけは絶やさずに。それが自分の唯一の、最後に残された幸福であると疑わない表情で。
『後は……示すまでです。ボク達にお誂え向きのやり方で』
『何をする気だ?』
『アハッ、最初の話題に逆戻りですね。知りたければ見ていて下さい、見届けて下さい』
貴方達に出来るのはそれ以外無い。グラスが言外に含めたその意は、果たして本人も自覚していたのか否か。
どちらにせよ、キング達はこれ以上の歩み寄る手段を完全に封じられる運びとなる。彼らに打つ手は、無い。
『……ではこれで、さようなら。どうか貴方達は、これ以上悔いを残さないで下さいね』
『『〜〜〜〜っ!!!』』
言い残すその言葉に、今度こそ二頭の堪忍袋の緒が切れる。致命的な怒号が迸ろうとしたその瞬間、そしてそれを周囲の誰も勘付けない悍ましい刹那。
『脚を折りに来た』
再び、空気が変わった。その
『……違った?グラス』
『───ッ』
スカイ達にとっては、重く暗い夜の帷に一筋の光が差したような。星の光が舞い降りたような、そんな錯覚。
《そして来ました!生沿健司とスペシャルウィークッ!かつての相棒が、サンデーの血を分けた兄貴分が来れなかった大舞台に今、また伝説を築くか!!?》
鳴り渡る実況も、大地を震わす観客の興奮も気にならない。
そうなるぐらい、彼らにとってその姿は、最早“希望”そのものだったから。
『そのコンビは……
『偶然だよ。でも君を止める最適解で──今僕が君に見せられる、最高の相棒だ』
予想以上に予想通り……ううん、強がるのはやめよう。予想通りに、期待は外れたと。
僕が久しぶりに見たグラスは、もう“
『What the──はぁ…ッ』
胸に何かつっかえたような、そんな苛立ちの溜め息。君のそんな姿を見るなんて思わなかったし、思いたくなかった。
僕の知るグラスじゃない。でも、これもグラスなんだと思い知らされる。
『ええ、そうですよ。そこまで言い当てられては仕方がありません、ですがどこで
『イキゾイ。今僕に乗ってるニンゲンだよ。彼が、クロがどうやって消えちゃったか……教えてくれたんだ』
『……でしょうね。そのニンゲンは、クロを看取ったその1人ですから』
イキゾイがグラスを見に行ってくれた翌日の
見るに堪えなくて、イキゾイが一緒じゃなかったら目を瞑って逃避してたぐらいだった。直視なんて出来る物じゃなかった。
……イキゾイ曰く。グラスはこれを直に見てしまったと。そう聞いた瞬間、血の気が引いた思い。
(耐えられる訳ないよ……)
完全に見誤った過去の自分、それを悔やみに悔やむ。後悔は先に立たないけれど、それでも呪わずにはいられない。
好きな奴を
……でも、目を逸らさない。
『本当に、それで良いの?』
だからこそ問う。何度でも、何度同じ答えが返ってこようとも。
『グラスがそうしたいのは分かったよ。でも、クロに止められても同じ事をするの?』
『いえ。クロがいたら、止めたなら、しなかったでしょうね』
『じゃあ、』
『でもクロはここにいませんから』
ああ、やっぱり。最後まで、問答じゃ彼を止められなかった。でもまた一つ引きずり出せた。
『クロにとって嫌な事だというのなら、クロ本馬の口で止めて欲しかった』
『……』
『だから、“それ”を聞きに行く──と言えるかも知れません。ボクの行いがどうだったかを、直接問いに行くんです。クロのいる、ここじゃない
『まるで当てつけだな』
苦々しい口調で挟んだのはキング。対するグラスは、尚も笑って応じる。
『肯定はしませんが、否定もしませんよ。どちらにせよボクの結論は変わりませんから』
『ッ……』
『その為に、自分をイジメて、追い込んできたの?今日ちょうど壊れる為に、クロと同じように死ぬ為に』
『スペさん。その推察はお見事の一言ですが……量られる側の不快を考えた事はありますか?』
と思えば、怒気。余計な一言だっただろうか、ううんそうは思わない。
彼の剥き出しの感情を迎え撃つ、その目的を果たす為だから。
臆すもんか。
『──グラス』
『何ですかその眼差しは。クロの真似ですか?』
怖がるもんか。
君の心の悲鳴が聞こえるのに、耳を塞ぐもんか。
『…グラス』
『ええ、ええそうですよね。スぺさんはずっと、ずぅっとクロの隣にいましたもんね。ボクなんかよりもクロの事を知ってるし、代弁できるし、だったら真似事だって
『グラス』
どんどん早まる口調。まるでグラスの胸を叩く鼓動に同調するみたいに、その苛立ちが伝わってくるようだった。僕の首筋を冷たい汗が流れ、でも相反するように瞳には熱が集中する。グラスを、見つめる。
『そうだ。いつだってボクは
『グラス……!』
『ああ、嗚呼、Ah———
『僕達を見ろッ!グラスワンダー!!』
そうやって、溜めて溜めて溜め切った常道を……叩きつけた。正面から、腹の底からの全力で。
グラスもまた臆さない、退いてくれない。息を荒げる僕と、未だ怒りを滲ませた彼の視線が衝突して……でも、僕の叱咤で発狂へ突き進んでいた心を止められたのは、確かな手応えで。
『今のは、僕と、キングと、スカイの……そしてエルの分だ』
『……は?』
『僕達の気持ちは一つだって事だよ。クロばかりに囚われさせない。僕達は君と戦って、君と共に生きたい』
キングは立ち直った。自らが目指す“王”の道を確かめ、クロとの別離を飲み込んだ。
スカイは背負った。クロとの過去を背負って、その重荷と共に歩き続けると誓ってくれた。
エルは座した。新しい時分の未来に、クロと築いた伝説を語り継いでいくと、覚悟を決めた。
もう皆とは、マンボ達を通じてその決意を確かめ合っている。グラス、後は君だ。
『僕達は生きてるんだよ。息してる時点で、既に過去から歩み始めてる。君だってそうなんだ』
後悔にこだわっているつもりでも、脚は自然に前を向く。時間が進む限り、過去は離れて未来が近づいてくる。
だったらもう、その事を自覚しなきゃいけない。それが“生きる”って事の筈だから。
ねぇ、グラス。
『一緒に、生きよう』
もしそれが嫌だと、君が言っても。
『僕達は絶対に、君を止めるよ』
僕の欲望。僕のエゴ。それでも、それを貫き通す強さを。
他ならない君から、教わったから。
『———っ、~~~……———!!!』
歩み寄った僕を視認して、堪えるように力むグラス。息の吐き方を、そこに乗せた感情のやり場を、見失っているようで。苦しそうで。
その苦しみの一因となった自覚はある。だからこそ寄り添いたい、分け合いたい、力になりたい。その為に、君の為に、僕は———!
『グラス…!』
『『『おおおぉぉおおおぉ————っっっ!!!!!!』』』
その瞬間だった。背後の人間達が、僕が出た時以上の大騒音を発したのは。
前触れの無い出来事に、僕たち全員が一瞬の膠着を見せる。最初に我に返ったのはグラス、次に立ち直ったのがキング、恥ずかしながら僕とスカイが同時の最下位。
そんな僕ら等置いてきぼりにして、ニンゲンの叫び声が轟いた。
《さぁ!さぁ、さぁ!!最後の入場となったのは、誰もが
《また見たかった、その願いが叶いました。この雄姿、
硬直から立ち直ったばかりで満足に反応できない僕の目の前で、グラスの目の色が変わる。僕の背後に
……僕は。感じ取った気配にビックリして。それどころじゃなくて。
でも不思議な納得が、そこにはあって。
『……スペシャルウィーク君、だね?』
『あなた、は……!?』
どうしてここに、だなんて事は聞かなかった。彼は守ってくれただけだ。“約束”を。
『
夢の中で、一緒にいた馬。夢の中で追い掛けた憧れ。
《サイレンススズカ!天才拓勇鷹!ここに復活!!》
クロが吹き荒れる烈風だとするなら、彼は柔らかく吹き抜けていくつむじ風。どちらも追い続けて、そしてやっと会えたんだ。
来てくれたんだ。
『栗毛先輩……!ユタカさんも…!!』
喜色を露にしそうになった。でも、それが出来たのは一瞬の事だった。
『……HAHA』
今までとはまるで種類の違う情動。
底冷えのするような、笑ってない笑い声。
グラ、ス?
『What a joke is this? All things I hate, one after another』
微かに覗かせていた光明が、まるで嘘だったみたいな黒色の声音。喉を滑って出てくるような実の無い哄笑ばかりが、僕達の肌をじっとりと撫でつけていく。
怒気じゃない。殺気が一番近くて、でも違う。
もっと粘ついた、より酷い何か。
『……fed, up』
……殺
『ッ!!!グラス———!』
動き出した時にはもう時間切れ。完全なる拒絶の空気を纏い、グラスは踵を返して歩き去ってしまった。僕達を、僕の後ろに控える栗毛さんを見たくも無いとばかりに去ってしまった。追いかける事など、その断絶を前に出来る筈も無かった。
『……ごめん。私、来ない方が良かったかな』
『そんな訳、無いじゃないですか』
所在無げな栗毛さんに心から申し訳なくなる。これはグラスの問題で、そして彼から一瞬でも気を逸らした僕の責任だ。正面からブチ当たるなら、他の出来事に注意を向けちゃいけなかったのに。
……僕達を見ろ、だなんて。どの口が。
『えぇと……暫定的に“先輩さん”と呼ばせてもらいますが、良いでしょうか』
『ん、何かな鹿毛君』
『いえ、今回の件は本当に間が悪かったと言うか……グラスがすみませんでした』
『いや………明らかに私の所為で拗れたのに謝らないでよ。邪魔だったら話は別だけれど、出来ることがあったら言って』
揺らいだ僕の代わりにキングが取り持ってくれた。甘えてられない、すぐ持ち直さなきゃ。過去は離れていくって、そう言ったのは僕自身だろ。まずは自分で示すべきだろう。
『栗毛さんは、ただ走って下さい』
『スペシャル君?』
『それだけで良いんです。それしか無いんです』
悔しいけれど、グラスのあのドロドロは僕じゃ引き出せなかった。あれこそが彼の奥底、一番深くに秘めていた感情だったら……尚更、それを達成させる訳にはいかない。
栗毛さんには、グラスの“前”を行って貰わなきゃいけない。
『……分かった』
そんな僕の願望を、栗毛さんは受け止めてくれた。無闇に踏み入って来ない配慮が有り難かった。
『私は走るよ。誰よりも先を』
『お願いします』
『頼まないで。自分自身の願いの為に走るんだから、恩とか思われたくないし』
一つ頷き、僕の横を通り過ぎていく。もっと朗らかに話したかった。
だから今は、これだけでも。
『せいぜい逃げて下さい。グラス諸共、差すのは僕ですから』
『良いよ。でも、先頭の景色は譲らない』
『スペ君、今の先輩さんって』
『え?あぁ、栗毛さん』
栗毛さんが去って──うぇっ、今度はステイゴールド先輩と話してる。今彼に構ってる暇は無いから申し訳ないけどスルーで──少し経った頃合いで、スカイが話しかけてきた。
『あのさ、変なことを聞くかも知れないけど……もしかして彼、逃げ馬?』
『うん。それもただの逃げじゃない、
『強いよ。栗毛さんは』
『………』
『……?』
『どうした、スカイ』
そんな風に彼の来歴に思いを馳せてたら、途中からスカイが黙りこくってた事に気付く。キングも同じタイミングで気付いたのか、声を掛けてる。
そんな中で、ようやく口を開いたかに思えば……出て来たのは。
『うん……うん。それなら
『何が?』
『グラス君対策を大まかに考えてたんだけど、大逃げ馬が加わるなら成功率が上がるかも……って話。オレ達それぞれの勝率も上がるけど、聞きたい?』
『なっ……早く言えよ、そんな物があるのなら!!』
驚愕と同時に、キングの言葉に全力で首を縦に振った。流石はスカイ、やっぱり作戦を考えさせたらズバ抜けてる!
……でも、当の本人は奥歯に物が詰まったような表情で。
『その前に、スペさん』
僕に、問うた。
『本当に、救うんだね?』
『うん。グラスは、死なせないよ』
『
言葉に一瞬詰まる。それはこれまでの流れを踏まえれば、至極真っ当な質問だったから。
『勘違いしないでよ、オレだってグラス君には生きてて欲しいさ。けど……それはオレ達の幸せであって、グラス君の幸せじゃない』
『………』
『“クロスさんが欲しい”っていうグラス君の幸せは、もう叶わない。なら、本馬が楽になりたがってるのを……オレ達が止めて良いのかな』
僕達のエゴにグラスを巻き込む権利があるのか、そのジレンマが発露される。スカイも、僕も、キングも、自分なりの答えを持たなきゃその行使なんて出来やしない。
キングは……一つ、僕に目配せした。彼だけの結論を、すでに持ってるみたいだった。
なら、ここで真っ先に示すべきは。
『…スカイ。僕はね、“否定”したくないんだよ』
主導で先陣を切る、僕に他ならない。
クロなら、絶対にそうする。
『何を?』
『生きる事を。生きる意味を』
生きてたら苦しい事ばっかりで、全て手放して死んでしまえば確かに楽かも知れない。
でもそうしたら……今ここにいる僕達は、
『命を簡単に投げ捨てたら……投げ捨てれる物だって示しちゃったら。僕達がしてる“息”も、胸の
それは……ダメでしょ。これ以上は上手く言い表せないけど、それはダメだ。
生きることを諦める。それが例え、どんなに重大な事情を踏まえて選んだ決断だとしても──それを周りが簡単に肯定してしまうなんて、あっちゃいけないんだ。
『……ふぅん。それがスペさんの動く理由ね』
『付け加えて言えば、グラスにグラス自身の
『いや、それで良いよ。スペ君の気持ちは分かった』
聞き切って、スカイは自分の中のしこりを解すように首を回した。今の会話で、彼なりに覚悟を決めてくれたみたいだ。
『で、キングはどうなの?』
『俺は大した事も無い。ただあんなにも
『へ?』
『気にするな、やる事もやる気も変わらない。お前に協力して、お前と競って、お前達に勝つさ』
キングも、その瞳に気力を一層満ちさせて。二頭の視線が、僕へと熱く収束する。
──応えなきゃ。
『負けないよ』
『勝つさ』
『打ち倒す』
それぞれの想いを吐露し、目指す場所は同じ。
さぁ………決戦だ。
いよいよ迎えた有馬記念。グランプリ三連覇が懸かった、グラスワンダーの大一番……3年目の締めである事を踏まえれば、“集大成”と言っても過言じゃないだろう。
僕こと窓葉一は、そう考えていた。相棒の背に跨る、その時までは。
(怒っている……?)
グラスの様子がおかしい。昨日までなんともなかったのに、急にグツグツと内面を煮えたぎらせている。表面上はいつも通り落ち着いているのが、そのチグハグさを余計に強調していた。
まるで……その激情を
(不味いな)
今日に向けて調教を重ねて来た、走らせるべきだと
……今が、その時か。
(思い出すな)
責任を果たせなかったあの日の事を。ライスシャワーを。
出走前に止めるべきだった、走らせるべきじゃなかった。その最終判断を下せなかったから、ライスを帰らせてやれなかった。そんな彼と、今のグラスは余りにも似通っている。
(走らせるにせよ、辞めさせるにせよ……!)
罰則を食らっても良い。訴えられても良い。だから一旦降りて、グラスを仕切り直させる。
そう思って、そうしようとした。
(………ぁ?)
出来なかった。
体が動かない。
「ぇ、な……え?!」
気付けば視野の悉くが薄暗い。朽ち果てた木端が舞い、その出所が背にした枯れ木だと気付く。次いで、自分の足がその枯れ木の根に取り込まれている事を知る。
先程まで騎乗していたのに、この不可思議な景色。それが表すのは、つまり。
「領域──ッ!?!」
取り込まれた。だが、早過ぎる。ライスの時ですら最終コーナーに入ってからだったのに、レース前からこの引力はあり得ない!
そう喚く事すら、硬直の中ではままならなかった。木は渇いていきながらも無理にその枝を伸ばし、ヒビ割れも辞さずに根を張り、自らの内から花弁を引き出そうとしていた。
命と引き換えに、咲こうとしていた。
「グラス──ッ〜〜〜〜!!!」
漸く絞り出せたその名を、呼ぶ。届かずとも叫ぶ。予測が外れ、それにより何の対応も出来ないまま封じられ、それでも己の出来る事を最後まで、と。
『───ごめんなさい』
蠢く根の海に埋もれ果てる、その刹那。
霧散する意識で窓葉が微かに聞き止めたのは、誰かの謝罪だった。
暮れの中山に、徒花が咲かんと欲す。散らんと欲す。
止められるか、枯らせてしまうか。西の地に突き立てられた十字架へ、流星は覚悟を誓った。
有馬記念が、始まる。