【Epilogue】続き繋がる物語
『……、やったか』
座り込むグラスと、寄り添うスペを見て呟いた。スタミナは既に枯渇してて俺だってフラフラ、けれどそれがスペの勝利に繋がったのなら。グラスの救いに繋がったのなら、まずはそれで。
『そんな訳無いじゃん』
……俺のその思慮を穿ったのは、スカイ。
『スペ君、もうグラス君から離れられないよ。
歯軋りの音が聞こえてくるみたいに、食いしばられた歯の奥から発せられる言葉。お前が責めてるのはグラスか、それとも?
だけど、それよりも。
『終わった、だと?』
『そうだよ。もうスペ君は今までのスペ君じゃいられない、自分を捨ててグラス君に尽くすって決めちゃったんだよ』
『……』
それは否定しようの無い事実。結局俺達の援護だけではスペは届かなかった。グラスを止める為に、最後の最後でその身を生贄にするしかなかったんだ。
俺達が不甲斐なかった所為で、もうスペは戻って来れない。輝いていたスペにはもう、二度と会えない。
『ちくしょう……』
悔しい。そうだよ、俺だって悔しいんだよ。俺も喚きたいよ、泣きたいぐらいだよ。
強くなったと思ってたのに、こんなにも無力だったのか。友達を救う為に、友達を犠牲にしなきゃいけないくらい、俺達は弱かったなんて。
何が王だ。何が。くそっ、くそっ、くそっ……!
『まだだ』
『は?』
『まだ終わりじゃないっ!!』
絞り出せたセリフは苦し紛れ。でも、何も言えないよりかは余程マシだ。少なくとも、そう思う事にした。
『スペがグラスと一緒に沈むというなら、俺達が上から引っ張り続けるだけだ。俺達はまだ終わってないんだから、助けになり続けるんだ!』
『……ハッ』
『笑うな!俺は真剣に、』
『違う。違うんだよ、キング』
顔を上げたスカイの表情は、苦渋と失笑。それを向ける相手は───
『分かってるんだよ、それしか無い事なんて……!!』
自分自身、か。
そうだったよ。お前に分かってない筈がなかった、俺が言うまでも無かったんだな。俺達には、まだやれる事があるんだ。
スペを助ける事。
グラスに道を示し続ける事。
その為に、いつか
『走り切るぞ、スカイ……!』
『……りょーかい……!!』
大将達の逢瀬を見据え、見つめて、俺達は誓い合う。
やがて走り出す流星。その瞬間に巻き起こった大歓声の中でなお、俺達は揺らがなかった。
揺らぐ訳には、いかなかった。
クロ。見ているか。
お前に讃えられる俺には、未だなれないよ。なれる未来が見えないよ
けど、目指し続ける。絶対に諦めないから、だから。
……いつか必ず、“王”になる。
そうなるまで、お前には会わない、
だから首を長くして、楽しみに待っていろ……!
キツい。頭が痛い。ちょっと、走り過ぎましたかね。
『オイ』
……先輩?
ポスッ、と支えてくれる感触。見れば、さっきの黒くて怖い先輩が寄り添ってくれていて。
『……オイ。オイ待て、全体重預けるなバカ!体格差考えろ!!』
『ごめんなさい、もうダメ』
『うぉあァアッー潰されるゥうう!?』
『おおっと、なんだい先輩!ボクの切なくも届かなかった雄々しい走りに感極まってしまったのkちょ待ってボクも大きくないから受け止めきれなぁぁぁ』
「うわぁぁ圧死するううう!!」
「ちょちょちょクニヒコ君!?トプロなんとかしてくれええええ?!」
「今やってほゎぁぁああ!!!」
三頭揃ってタタラを踏んで、ようやく取り戻すバランス。辛くもドミノ倒しだけは免れて、皆で息を整えた。
……ありがとうございました、先輩。
『感謝するんじゃなくて謝れ。死ぬかと思ッたぞホント』
『いえ、それは申し訳なかったですが、そっちじゃなくて』
『は?』
『私の背中を、押してくれた事です』
このレース、先輩のおかげで見せ場を作れた。アレが無ければ、勝ちの目すら無く、その希望を抱く事すら出来ないまま木端のように負けて終わっていたでしょう。いやまぁ、結果は変わらず敗北なんですけど……。
『先輩が助けてくれたから走れたし、勝負に出れました。本当に、ありがとうございました!』
『……そんなンじゃねぇよ』
そんな私の感謝に対し、先輩は目を逸らし──次いで、私の後ろへと向けた。その先にいたのは、私達を諸共に制した勝者の姿。
『俺はただ、あの栗毛の阿呆に一泡吹かせたくて、お前らを利用しただけだッての』
見遣れば、座り込む栗毛の先輩の姿も見える。良かった、見たところ無事だ。体を痛めたかどうかは分かんないけど、助かったんだ。良かった。
でも、そんな彼に青鹿毛の先輩が向ける視線は厳しくて。
『だから、その、なんだ』
やっぱり怖い馬さんだなぁとか、恩馬にそんな事思っちゃいけないよなぁとか、そんな事を思っていたら。
『……ありがとな』
……へ?
そんな声が、口から漏れた。だってあまりに意外だったから。
あんなに怖かった先輩から、打って変わってそんな柔らかい声音で、優しい言葉が出てくるなんて。
『な、ンだよ。文句でもあンのかコラ』
『……!』
『何か言えよ!?、こッちは気が晴れちまッて居心地悪ィんだよ!』
気不味そうに、気恥ずかしそうに目のやり場を探す先輩。その姿が妙におかしくて、先輩なのに可愛いとすら思ってしまって。
私は満面の笑みと共に、こう言っていた。
『先輩!お友達になりませんか!?』
『はァ!?』*1
『私、今日のレースで先輩の事、かなり好きになりました!ぜひお願いします、仲良くしましょう!』
怖いけど優しい、その表裏の中からもっと掘り出したい。この馬の内面をもっと見てみたいと思ってしまったこの気持ちは止められない。
あっそうだ!お友達になるんだったら、まずは!
『私の名前はナリタトップロードって言います!先輩さんは?』
『す、ステイゴールド……って近ェんだよテメェ!離れろ、キレるぞ?!』
『ほらやっぱり律儀!名前教えてくれるし、怒るって警告してくれる!!』
『あ゛あ゛あ゛ぁ゛〜〜っ!!?』
名乗ったら名乗ったで逃げ回ってしまう。どうしよう、困らせたい訳じゃないんですけど。
だなんて困ってたら、口を開いたのは向かい隣の同期だった。
『ふむ、名乗るのが最後になったけど……大トリはやはりボクこそが相応しいということ!テイエムオペラオーだ、末長くよろしくっ!!』
『誰が末長くだボケッ!!』
『いいや、長くなるさ』
……ん?
妙に引っかかる、確信に満ちた言い草。オペラオー君には彼に、僕達に何が見えたんだろうか。
『何の事は無い、勘だよ二頭とも』
『勘かよ。テメェみてェなナルシスト、もう二度と見たくねぇンだが』
『そうもいくまい。現に僕達はこの大舞台で一堂に会してしまった、つまりその権利を既に得てしまってるんだよ』
『つまり……どういう事です?』
『また次の大舞台でも会うだろうって事さ!』
『なるほどぉ!!』
じゃあ、次も先輩さんと会える可能性が高いって事ですね!そういう事ならやる気が出てきました、次こそ勝つ為にも頑張りますよ!!ね、先輩さん!
『ええい、クソッ!お前らもう帰れ頼むから!』
『うわわっ!?押さないで下さいよ、まだここに居たいのに』
『さっき倒れかけてた奴がウダウダほざくなッ!!とっとと帰って休めこのバカども!』
うぐっ。そう言われては流石に逆らえない、というか反論を言いあぐねてる内に先輩はもう遠くに行ってしまった。あーっ、まだ話したい事あったのに〜!!
『心配する事でもないさ。ボク達は絶対、また集う事になる』
『……そうですね』
今度は共感を伴って頷いた。これからどんな道が待ってるのか、どんな未来が待ってるのかは分からないけれど。
それでも、走り抜いて見せると誓いながら。
(星のように)
あの
どことなくアヤベさんを思わせるあの輝きを魅せてもらった。今回はすぐにかき消されちゃったけど、それでも。
次は私こそが、あの星みたいに輝いて見せる。
『あー災難だッた。ヤベェ奴らと関わっちまったな、クソッ』
『珍しいですね〜、貴方が後輩と仲良く接したなんて』
『ドワォ⁉︎ブライト、テメェ話しかける前に一声掛けろ!ホワホワなのはもう構わねェけどその分存在感薄いんだよッ』
『地味に酷い事言ってるけど自覚してます?……でも、良かったじゃないですか』
『あ゛?何がだ』
『グラス君を止めれた事』
『………あァ。そういうテメェは、災難だったな』
『えぇ。前にみたいに受け流せるかと思ったんですが、今回ばかりはちょっと無理でした』
『そうかい……』
『『………お疲れ
ちょっと、疲れた。
けどそれどころじゃなかった。
「はい。負けて正解でした」
テレビに映った窓葉さん、向けられたマイクへの言葉に凍りつく報道陣、既にインタビューを終えて疲労困憊の体を引きずりながらそのテレビを眺める俺。
「……」
その俺の隣で。
同じくインタビューを済ませ、その上で偶然出会した勇鷹さんも。
「………」
きっ……気不味い。口に出す言葉が一つも思い浮かばない。
そもそも俺、インタビューで何て言ったっけ?当たり障りの無いような事しか言えてなくね?これじゃあ形無しだ、アイツに見合わないし見合えないだろ。
「…君は」
そんな時、先に口を開いたのは勇鷹さんからだった。
「これから、どうする?」
………そんなの。
そんなの、決まり切ってる。
「勝てる騎手になります」
このレース、順当にいけば勝っていたのはグラスワンダーだった。
それを囲んで叩いて袋にして、その上でスペを犠牲にして得たのがこの結果だ。
だから。
「
彼が得るべきだった勝利を奪い取った者として。
『この冬のグランプリを掠め取るに値する男だった』と証明し、その事実を惨めな物にしない為に、俺はなるんだ。
「──だったら、僕はそれを阻む
俺の決意に応じるように、勇鷹さんはそう言ってくれた。
10月3日以来、ずっと逸らしていた視線を、合わせられた気がした。
『カッタッテ、スペ』
……ああ、良かったデス。
『グラス、イキテルッテ』
何よりデス。それが一番デス。
良かった、良かった、本当に良かった。これ以上の事はありマセン。
………そんなワケが無い。
『エル、
『無理デスよ、マンボ』
『………』
シーラから伝えられた結末は、スペ-サン達が上手くやってくれたという事を表していて、そしてそれ以上に“エルコンドルパサーは何も出来なかった”という事実を突き付けてきマシタ。
エルがやったのは、クロ-サンを死なせて、グラスを生き地獄に叩き落とした事。それだけ。
『でも……
『……アーッ。エルノ
『シーラモ、シーラモ……!』
床に横たえた視界を、優しい羽が覆ってくれた。この暗がりの中で、現実から逃げたかった。自分の罪と責任から目を逸らしたかった。
でも生きてる以上は、絶対に起きなきゃならない。向き合って、責務を果たさなきゃ。クロ-サンのライバルだった馬として、その栄光を語り継ぐ事を、この命尽きるまでずっと。
でも今は。
今、この時だけは。
『ふ、ぇ、うぇえええええ……ッ!!』
この情けないエルを、許して。
「窓葉、多くは聞かない」
「……ええ。全て答えましょう」
マドバさんと、調教師さんが話している。壁の向こうから、その声が聞こえる。
ボクの事で、マドバさんが責められている。
「二つ質問だ。今日のアレは、何だ」
「グラスは死に
「…なら、二つ目だ。そこまで分かっていたなら、何故止めなかった?」
「それに関しては全面的に私の責任です。止めるどころか、引き摺り込まれて意識すらありませんでした」
「……」
ボクの所為で、色んな馬やニンゲンに迷惑が掛かった。となれば、その責がボクを取り巻く皆に降り掛かるのは当然の帰結で。
嗚呼、本当に。なんて事をしてしまったんでしょう、ボクは。
「分かってる、分かってるさ。貴方ですら止められない状態のグラスを本番に送り込んだ、その時点で俺もまた調教師として失格なんだから」
「そんな事はっ、」
「慰めを聞きたい訳じゃない!———こんな事になるなら」
不退転も、不屈も為せず。
ボク自身に託された想いを踏み任じったまま。
クロの献身に、何一つ報いる事も出来ないまま。
アナタの所へ逝く事も。
歯を食いしばって生きる勇気も出せないまま、生き永らえてしまった。
———だって。だって、スぺさんが。
「出さなきゃ良かった……!」
「それは違う!」
「!?」
スぺさんが、希望を見せてくれたんだ。
ボクに、心残りを作ってしまったんだ。
ボクに残りの馬生を捧げるって、誓わせてしまったんだ。
「生沿君の誘いに乗って良かった。グラスは走って良かったんです」
「何を、言って、」
「心の迷いを晴らしてくれた。夜に閉じ込められたグラスの、その心に輝く星になってくれたんですよ。生沿君とスペシャルは!」
生きなきゃいけない理由が出来てしまった。これを放り出してしまったら、それこそ“グラスワンダー”じゃ居られないから。
クロスクロウを追いかけてきたグラスワンダー。
クロスクロウと一緒になりたいと願ったグラスワンダー。
クロスクロウの存在そのものを欲しがったグラスワンダー。
スぺさんは、そんな全てのボクを繋ぎ止める楔となったんです。僕の祈りだけを叶えようとする、願望の鏡に。
「グラスはもう前を向ける。その機会であるこの
「っ、走らせるつもりか!?」
そんなスぺさんを放っていくなんて、出来ない。
仮初と分かっていても、彼のその宣言に希望を見出してしまった自分がいるから。スぺさんにクロを重ねてしまった自分自身からは、逃れられないから。
「走らせます。走ります、お願いします!どうかグラスに、また栄光を掲げさせてください!彼がレースに抱いた想いを、ただ“痛み”だけで終わらせたくないんです!どうか、どうか……!」
……そんなスぺさんが。
もう、どこにもいないクロが。
それはきっと、生きる事だ。
走る事だ。
強いグラスワンダーを、取り戻す事だ。
「……馬主には俺から話を通しておく。だが期待はしてくれるなよ」
「!!!……っありがとう、緒方さん!!」
「やめてくれ、俺だって、グラスに夢を重ねてるんだから……!」
『———立たなきゃ』
辛い。苦しい、痛い、寒い、寂しい。早くクロに会いたい、スぺさんにクロの面影を見たい。そんな風にスぺさんの犠牲を求め、肯定する自分が悍ましく情けない。
それでも、生きなきゃ。
生きて。
生き抜いて。
生きて生きて、生きて。
————いつまで、死なずにいれば良いんですか?
「お疲れさまやで、スペシャル」
じゃあね、ウスイさん。
「飯食い過ぎるなよー!」
ありがとね、キュームインさん。
「お前の仔でまたウチを勝たせてくれよな」
元気でね、ウスイさんに
「……また絶対、会いに行くから」
ミツルちゃん、だっけ。また会おうね。
さよならだ。長くいたこの場所と、クロと青い春を過ごした僕の
でもクヨクヨなんてしてられない、クロなら絶対にしないから。新しい場所で、そこでの生活に意欲を燃やしていくんだ。
(グラスだって、きっと来る)
そう思い込むことで意気を保った。別に根拠がないわけじゃなくて、イキゾイにそうなりたいって伝えて、そして悪くない反応が返ってきたからだ。だったらやる事は一つ。
(グラスの居場所を、僕が作るんだ)
誰がいようと、誰が頂点にいようと関係ない。それがグラスを脅かす可能性があるなら、クロは絶対にそれを許さないだろう。なら僕もそれは同じだ。
命を燃やせ。怒りを燃やせ。グラスを無理やり繋ぎ止めるしか無かった過去の自分への恨みを燃やせ。その全ての熱を、クロのように燃え立たせて。
「射代スタリオンステーションに到着しました!降りられますか?」
「だってさ、スペシャル。行こうか」
『……!』
長く揺られ、その末に開けた視界。眩しい光に目を細め、そして僕の新しい家を目にする。
ここか、と。
(ここからだ)
ひしめく多くの馬の気配。クロと出会う前の弱い時分だったら、恐怖で足が竦んでたかな?
でも、もうその僕じゃないんだ。
その多くの馬達と、今までと違う戦いをしていかなきゃいけないんだから。
『いつでも良いからね、グラス』
いつ来てもいい。早く来ても良い、ゆっくりでも良い、君が来たいと思った時で良いよ。
それが例え、どんな時になったとしても、グラスを快く迎えられるように!
『俺、頑張るから!!』
まだ下手っぴだ。クロはこんなんじゃない、クロはもっと上手くやる。
だからもっと、もっと上手くならなきゃ。
君が求めるクロスクロウに、なる為に。
僕が、僕自身の憧れに、なれるように。
初めて来た場所だった。
少なくとも、私の記憶には無かった。
『————ぇ————』
それでも、敢えてこう言うよ。
ずっと私を待ってくれてた貴女に、こう言いたいって決めてたんだ。
『な…っは、は!ああ、そうか。そうなんだな———!』
私を想って、今目の前で涙をさえ浮かべて喜んでくれる貴女だからこそ。
ちゃんと噛まずに、
さぁ。
『ただいま、エアグルーヴ』
『おかえり、サイレンススズカ……ッ!!』
正直、これを単話のエピローグにしても良かった。
でももう1話だけ、馬編にお付き合いください。