また君と、今度はずっと   作:スターク(元:はぎほぎ)

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今度こそ終わりです。
そして、始まります。


【Epilogue.END】終わり、始まる物語

引っ越ししてまずしたのは、喧嘩を売り買いする事だった。

 

『はぁっ、はぁっ、はぁあっ……!!』

『うげぇぇ………ゲホッゲホッ!』

 

競い方は何個かあるけど、今回は(いなな)き合い。より多く息を吸い込んで、より大きい声を出して、より長く叫べた方が勝つ単純なルールだ。それで、勝った。

 

『なん、コホッ、お前、やば過ぎ……!!』

 

舐めるなよ。僕が、ううん俺がどれだけ長いレースを制したと思ってるんだ。分野こそ違っても、スカイの方がきっと君より遥かに手強かった。

………誇ってる場合じゃないな。

 

『これで、俺は、何番目だ』

『げほっげほっ。さぁ、なぁ。俺は下から数えた方が早いし、中の下くらいやろ』

『まだそこか………ッ!』

『ヒエッ』

 

入ってみて分かったのは、ぼ……俺がどれだけクロに守られていたか、という事。ウスイさんの所に入った時とは比べ物にならないぐらい突っかかられるし、舐められるし、嘲られるんだ。

僕が新入りだった時にそんな目に遭わなかったのは、ああっ、また“僕”って言っちゃった……ともかく、クロが作った座に含ませて貰えたからに他ならない。クロが安全地帯を作って、俺を守ってくれていたんだ。

正直大変。でも、疲れ果てて入ってくるだろうグラスにこんな苦労はさせたくない。そう思うだけで、やる気が漲ってくる。

さぁ、次に俺が挑むべき相手は誰だ?次は誰を制すれば良い。

僕はどんどんのし上がって──まただ!何度間違えれば気が済むんだ、“俺”だろ!?

 

『……何を急いでるんだい?』

『あ、ボス!』

『……ボス、だって?』

 

聞こえてきた声に振り向けば、大柄な馬が柵の外にいた。これから自分の放牧地(ばしょ)に向かう所のようで、でも纏う雰囲気の重さが“他”の奴らとは明らかに違う。現に、今僕と競ってた隣の柵の奴がヘラヘラと擦り寄り始めた。

 

『ちょっとボス!コイツなんとかして下さいよ、とてもじゃないけど生意気過ぎて』

『………うーん。遠くから見てたけど、君が売った喧嘩だったよね?だったら結果は受け入れなきゃ、というかそもそも迂闊に喧嘩売っちゃダメだって言っただろう?』

『ぐぐぐ……ごめんなさい』

『素直で何よりだよ、ポニー君』

 

この先輩。この青鹿毛を倒せば、長い時間をかけて居場所を作るまでも無い。僕がトップの位置から、グラスが安心出来る環境をすぐ用意できる。

そうと、決まれば……!

 

『先輩』

『ああ、君が噂の。初めまして、俺がここを仕切らせてもらってるフj───』

『御託はいいからその座、俺にくれませんか』

『───へぇ?』

『おまっ……!?』

 

キリリと尖る双眸に、やはり彼がトップなんだと確信を深めた。俺は対抗するように覇気を強める。

 

『……ふぅん。なるほど、ポニー君達がピリピリする訳だよ。飛んだじゃじゃ馬が、下剋上を執拗に狙ってくるんだから』

『オイお前!流石にそれは失礼やろ、それにこの群れ全体の問題に!』

『良いよ。君は下がっててくれ』

『せやかて!』

『彼と二頭っきりで話したいんだ。頼めるかい?』

『……分かり、ました』

『お〜いキセキ〜?動いてくれ〜』

 

二頭きり?望むところだ、なんならこの柵の扉を開いて迎え入れても良い。鍵の外し方は昔クロがやったのを見てる、真似すれば上手くいく。クロのやった事が成功しない筈が無い。

さぁ、勝負だ!

 

『あぁ、ごめんね。期待させたようで悪いけれど、まだ君はリーダーの座には就けないよ』

『……は?奪われるのが怖いんでs、怖いのか』

『それと、無理して強がるのはストレスだからやめといた方がいい』

『舐めるなッ!!』

 

はぐらかされて怒気が漏れる。でもまだ微塵も揺るがせない、でもまだ諦めない。まだ始まってもない喧嘩に負けられるもんか、そんなのでグラスを守れるか!

クロなら負けない!あの日、ゴールド先輩から苦も無く僕を庇ったクロだったら、こんな所で躓く筈が無いんだ!だから僕だって、俺だって……!!

 

『リーダーは()()物じゃない。()()()()者だ』

 

………え?

 

『考えてみてよ。群れを構成するのは君一頭かい?群れは安寧を目的とする者達によって築かれる者だが、そんな和を率先して乱す者がトップに立って……果たして、周囲はそれを認めてくれるだろうか』

 

先輩の言う事は……尤もだった。僕がトップを目指すのは誰にも有無を言わせない居場所を作る為だ。例え頂点に立ったからって、下から文句で突き上げられてたら意味が無い。

……でも!

 

『時間が無い、とでも言いたげだね』

『っ、なんで分かったんですか』

『仲が良い仔と引き離されて、連れて来られるのを待つポニー君……という事例は珍しくないんだ。差し詰め、その仔が来るまでに地位を確保したいって所だろう?』

『………』

 

ああ、ダメだ。喧嘩ならともかく、騙し合いでこの先輩には勝てない。大人しく打ち明けて、競うにしても別の土俵にしなきゃ。

 

『そうですよ。大切な()()がここに来るんです。俺が守らなきゃ、いけないんです』

『自分の口調も安定出来ない状態でかい?そんなに甘くないよ』

『それでも、そうするって約束したんです』

『…ふーむ』

 

僕の発露に、先輩は一拍の思慮を挟む。その後、『そうだ』と一声。

 

『一年間だ』

『一年?』

『ああそうだよポニー君。その間、俺の補佐として、群れのボスとしての俺の在り方をよく見て学ぶんだ。それなら門も立たないし、君が待ってる仔に対しても便宜を利かせられるだろう』

 

悪くない提案だ。俺は無理に事を荒立てる必要も無いし、グラスの安寧さえ約束してくれた。

なんならボスを目指す必要すら無くなる──けど、多分善意だけじゃない。

 

『即噂にまでなったぼ──俺を従わせてる姿を晒せば、先輩の支配も強くなるって算段ですか』

『口調。やっぱり合ってないよ』

『揶揄わないで下さい』

『失礼したね。そして質問に関してだけど、支配じゃなくて“秩序”と呼んでくれないかい?俺だけの物じゃない、これからそれを享受していく皆の物でもあるんだからさ』

『はぁ』

『“支配”は個によって行われ、後進には継がれない物だ。それじゃ長く続かないから、俺は俺がトップである内にある程度だけ体系化しておきたいんだよ』

 

先輩の言う事はよく分からない。けど多分、僕にも役立ちそうな事だろう。騙されないよう、見落としが無いよう気を付けなきゃいけない話だけれど。

でも、乗って損は無さそうだった。

 

『……よろしくお願いします先輩、いや()()。俺はスペシャルウィークです』

『フジキセキだ。こちらこそ、良い働きを期待してるよ新参(ニュービー)君』

 

 


 

 

走った。

走り続けた。

目的も、たどり着く場所も見えないまま。

彼の所へ行きたいと、ずっと願って生きていた。

まだ行けないと、喘ぎながら死に損なっていた。

 

ああ。苦しい。息が詰まりそうだ。

せめて、せめて。クロに会えないなら、せめて。

スペさんに、会わせて。

 

 

 

……。

 

 

 

 

僕は今、誰を誰の代わり扱いした?

 

 


 

 

 

───そして月が12度、同じ形になった。

どうやらその日が来たらしい。

 

『新入りだ』

『誰か来るぞ』

『どんな奴だ』

 

1週間(7日)前、イキゾイが訪ねて来た。もう繋がりも薄くなって、人馬一体にはなれなかった。だから彼の話す事はほとんど分からなかった、けど。

 

「アイツを、頼むっすよ」

 

きっと、そういう事。

ほら。耳を澄ませば、待ち侘びた脚音が近付いてくる。

 

『騒がしいぞ』

『『『──ッッッ……!』』』

 

不躾な目では見させない。グラスをそんな目で見て良いのはクロだけだと念じて、近くの奴らを一声で制圧してやった。俺もこの一年で、やっとここまで来れた。

 

『こらこら。悪い癖出てるよ』

『っ、すみません』

『まぁ、だいぶマシにはなった方だけれど……そんなに君を掛からせる仔がどんな顔をしてるのか、気になる所だね』

 

嗜められて、逸る心を落ち着ける。その間にも近付く気配。

……思えば、大変な一年だった。慣れない環境で、牝馬とも()()()やらなきゃいけなくて、先輩を真似するのも大変で。

でもこの日が来るって分かってたから、耐えられたんだ。

 

『───ヒューッ』

 

一番最初にその姿を目にしたであろうフジ先輩が、感嘆するように嘶く。俺が執着した理由、その一片でも理解して貰えたようで嬉しかった。

それに追随するように、厩舎(いえ)の皆が押し黙る。その美しさで圧倒されたように。

 

 

『…………っ』

 

栗毛の馬が立ち止まった。視線が、僕を捉えていた。

 

『ク……ロ………』

 

 

───やった。

 

やった!

心の中で盛大に歓喜を叫ぶ。君の目にクロとして映れた!纏う気配で()()して貰えたんだ、それだけでこんなにも嬉しいなんて!!

 

『……〜〜ッ!!すみません。久しぶりです、スペさん』

 

と思ってたら、思いっきり首を横に振ったグラスはすぐに訂正してしまう。まだまだって事か、もっとちゃんとクロにならないとな。

でも、まずはこの一言を。僕の為に、ずっと生きててくれた君に、心からの感謝と慕情を込めて。

 

『ようこそ、グラス!!』

 

待ってたよ。ずっと。

 

 


 

 

予想通りに、予想以上だった。

……期待通りだった。

そうあって欲しくなかった。

 

クロの空気がそこにあった。

クロだと認めたくなかった。

だというのに、心がクロを求めていた。縋りたがっていた。

求めて、思わず呼んでいた。

 

………ボクはスペさんを、どうしたいんだ?

 

 


 

 

『ここが出入り口で、あそこが水飲み場!まだ寒い季節だけど、熱くなったら氷とか(しょっぱい)塊とかもニンゲンがくれるから!』

『……うん』

『それとね、それとな!ここ、ほらタンポポ!ここに集まってるんだ、きっと綺麗に咲いてくれる!!』

『そう、ですね…ボクも楽しみです』

 

幸運にも隣の柵に放たれたグラスへ、俺はこの場所の事を教えていた。出来る限り、彼がここでの生活を楽しめるようにと思って。

 

『そういえばさ、キングも凄いよな!とうとう大舞台を勝つなんて、やっと努力が実を結んだって感じで』

『ええ。彼は……ボク以上に不屈ですから』

『そんな事無いよ!それにスカイだって、あんなに必死に痛いのを我慢して勝とうとしてるんだもn———勝とうとしてるんだ。諦めが悪いのは皆同じ、そこに優劣なんて無いって!』

『……そうかもですね』

 

……でも。

 

『…グラス』

『何ですか、スぺさん』

 

あと一歩、寄れない。

グラスが踏み込ませてくれない。どこか引き下がりたげに、距離を置こうとする。ただ、僕——じゃなくて、俺に対する嫌悪や憎悪は全く無くて、寧ろ欲求としては近付きたそうで。

……クロなら、どうしただろうか。

(スペ)の目指す(クロ)がもし、グラスから突き放されたとすれば。俺はどうする?

 

『グラスの英語(ことば)、教えてよ』

『…ぇ……?』

 

閉ざされた扉を、こじ開けるまで押し続けるだろう。

クロはそういう馬で、そして今の(スペ)もそういう馬だから。一歩離された距離を、二歩詰め寄る馬だったから。

 

『俺、もっとグラスの近くにいたいんだ。体の距離も心の距離も』

 

クロはこう思っていただろう。

 

『だから、言葉の壁は邪魔なんだ』

 

だから僕もそう思う。

 

『でも、ボクはもうこっちの言葉も話せますし……』

『けど君にとっては、今も馴染み深い故郷の言葉なんでしょ?ぼ、ううん、俺もその世界に入りたいんだ。グラスの世界に入りたいんだ』

『……!!』

 

何か言いたげに、でも肝心の口を開けずに渋い顔をするグラス。何が彼を困らせているのかは分からない、もしかすると僕自身が悩みの種になってる?けど、僕は俺に出来る事を貫かせてもらうよ。

……貫くって、君と約束したから。

 

『———分かりました。こちらこそお願いしますね、スぺさん』

 

そう儚げに浮かんだ微笑に、不意に胸が疼いた。ときめきと呼ぶには閉じた、仄暗い熱の感情だ。

その笑顔を、もっと華やかに咲かせたいって。心臓の中から叫んでた。

 

 

 

昔を思い出す。クロがボクに、丁寧に丹念に日本(ここ)の言葉を教えてくれた日々を。

今は逆。ボクがスペさんに教えていた。クロにこうしたかった、それをスペさんが引き受けてくれた。

心が、安らいだ。

 

……ふざけるな。

本当にボクは、何をしてるんだ。

クロはいない。スペさんはクロじゃない、分かってるだろ!?

言え!言うんだ、もう良いって!もうやめてって、ただそう告げる事がなんで───

 

 

───出来ないよ。

クロの蹄跡(あしあと)を否定するなんて、今のボクにはもう無理なんだ。スペさんが齎してくれる生温い暖かさを、拒絶なんて出来なくなってしまったんだ。

だって、やっと思い出せた。もうずっと離されていた、求めていた温もりが確かにここにあるから。今更捨てられないよ。

 

 

そんな甘い事をほざくぐらい、ボクは弱くなった。

だから()()は、きっと、その罰。

甘んじて受けよう。

 

 


 

 

それは、空気が寒くなくなって、いよいよ()()()なる頃。正直言ってキツい季節の事だった。

だって、僕はもう好きな馬が決まってるんだ。なのに毎日毎日連れて来られる牝馬、僕だって……ああもう、“俺”!俺だって異性に興奮出来ない訳じゃないけど、それでも好き合ってもいない相手と()()のは気が引けるんだよ。去年はもっと酷くて体調すら崩しちゃったけど、グラスは大丈夫かなぁ。

 

なんて思いながら仕事を終えて、外に出された。

そんな僕の目に飛び込んで来たのは、

 

『おい(おんな)顔!お前ここに何しに来やがったんだ、ェえ!?』

 

隣の馬にがなり立てられて、俯くグラスの姿だった。

頭が真っ白になった。

 

『……は?』

 

なんで。僕はそれなりの地位を築いた筈だよ?そしてグラスが僕のお気に入りだって、今まで散々示したよね?

 

『ウンザリなんだよ、やっとこさ仕事終えたと思って出て来て見えたのがお前の小綺麗なツラ!ここは牡の場所だ、紛い物が来てんじゃねぇッ!!』

『………』

 

違う。

今僕が、俺がするべきは戸惑う事じゃない。思考停止する事じゃない。

 

()()()

 

『やめろォォォォおおおッッ!!!』

『え……?』

『ふぁっ!?』

『ちょ、えっ、スペシャァァ──っ!?』

 

自分でもびっくりするぐらい、“スイッチ”が入った。きっとこの時の僕はそれこそ、あの有馬のグラスと同じになっていたと思う。

全身隅々まで、怒りの化身。その情動の促すままに、引っ張っていたニンゲンを引きずり振り切り駆けた。

 

『何、して、るッ!?』

『ち、違……!!』

 

柵を飛び越え、グラスと()()()の間に降り立つ。知ってる。コイツ、僕と同じ時期に入って来た奴だ。

 

『違わない!許さない、お前、誰に何をしたか分かってるのかッ!?』

『俺は……俺だってもう、疲れて、嫌d』

 

 

ブツリ。

 

 

『調子に乗るなアアッッッ!!!』

『ヒッ……ぁああああ!!?』

 

噛みちぎってやろうと思った。脚を蹴り折って、トドメに頭を踏み潰してやろうかとすら思った。

何が疲れた、だ。何が嫌、だ。そんなの、クロを喪って、ずっとずっと苦しみ続けたグラスに比べれば何だって言うんだよ!?

 

『ご、ごめ、なさいいいい!!』

 

今更遅い!何もかも遅い、もう僕はお前を許さない!絶対に後悔させてやるぞ、2度とその口聞けなくしてやるからな!覚えてろ、覚えてろ、覚えて───!!

 

『スペさんっ!!!』

 

───声。

一瞬でそれは、僕の心を平常へと繋ぎ止める。

 

『お願いですから、もう、良いから!ボクは、平気ですから……!』

 

いつの間にか、同じように柵を飛び越えていたグラスが僕の鬣を舐める。押し留めるように、整えていく。

それだけで、僕は、俺は、充分だった。

 

『……本当に?無理とか、してない?』

『大丈夫です。さっきのだって、黙って聞いてみただけで、別に全然堪えてません』

『本当?』

『本当です。反論しようと思えば、いくらでも出来ましたけど、無駄な労力だと思ったので』

 

……グラスがそう思ってるなら、これ以上の何かを望まないなら、俺もそれで良いや。こうやってグラスがグルーミングしてくれるの、心から嬉しいし、なんならこんな状況なのに舞い上がりそう。能天気な自分が一周回って嫌になる。

 

 

でもね、グラス。

ならなんで俯いてたの。

言い返さず、傷付いてたのは事実でしょ。

僕は君に、もう欠片だって削れて欲しくないんだよ。

 

(……()()()()が必要だな)

 

グラスを傷付ける奴を、俺達の世界から消し去らなきゃ。

 

 


 

 

全ての誹りが事実だった。

僕は紛い物。牡のクセに牡に欲情する、どうしようも無い変態駄馬だ。存在するだけで目障りに決まってる、殊更この繁殖(せいこうい)の為の場所ならば。

 

信じたくないし、信じないけれど。もしかすると、クロも迷惑だったんだろうか。クロがボクを好きになってくれたのは、倒錯するボクを嫌いたくないが為の努力の結果であって、好きだから好きになってくれたのではないとしたら。

 

……弱い。クロの好意すら疑ってしまうくらい、ボクは本当に弱くなった。強く在って欲しいと願われたのに、そんなザマ。だからこの罵倒は、弱くなったボクへの罰。

 

そう、思っていた時だった。

スペさんが飛び込んで来たのは。

 

『調子に乗るなアアッッッ!!!』

 

ボクの為に、こんなにも怒ってくれて。

嬉しかった。

頼もしかった。

 

 

()()()()()()

 

 

(怖い……!)

 

違う。

ボクの知ってるスペさんじゃない。クロですらない。

スペさんの本質は、もっと柔くて、優しくて──!

 

『……本当に?無理とか、してない?』

 

──そうか。そうなんだ。

 

『良かったぁ』

 

ボクの為に変わってしまったんだ。

ボクが変えてしまったんだ。スペさんの中にいた筈の、本当のスペさんを。

 

『ずっと一緒にいような、グラス』

 

スペさんじゃない。

クロですらない。

もう……混ざり合って、戻らない。

 

『……はい。お願い、します……』

 

そしてボクも、戻れない。

クロですらなくとも、一度見出してしまったその面影が無ければ、ボクももう生きられない。スペさんとクロが混じった中に、その懐かしさの中に溺れなきゃ呼吸さえ出来ないから。

 

 

 

堕ちる。

 

 

二頭(ふたり)、温かい闇の底へ堕ちていく。

 

 

 


 

 

『スペシャル君。俺はどうやら、暫くここを離れるらしい』

『ボスの座はどうするんですか』

『順当に副リーダー……つまり、君の物だ』

『…………』

『ああ、良いよ。()()()()()

『先輩の構想、台無しになっちゃいますよ?』

『仕方ないよ、それもまた俺達馬の在り方の一つだ。ただ、グラス君が来てまさか更に尖るとは思わなかったなぁ』

『……やっぱり、力を示さないとグラスは守れませんでした。甘いやり方じゃ、どうやっても度を越す奴が出て来る』

『でもそのやり方、グラス君は望んでなさそうだよ?』

『そうだとしても、もうグラスが傷付けられる光景だけは見たくないから』

『………俺の負けだよ。せめて、悔い無き道を』

 

 


 

 

『“多分次が最後のレースになりますねぇ。気合い入れていきますよぉ〜”……ダッテサ!』

 

スカイの言葉を伝えてくれたのは、マンボ……じゃない。シーラでも、バードンでもバッサーでもヒドラでもない、野良のインコだ。

俺の引退後、マンボ達は他のインコ達にも馬語を広めて仲間を増やしたらしい。そのお陰で、俺達の厩舎(いえ)に留まらず、一厩舎につき一日五羽くらい行き来して、それぞれ様々な馬との絆と伝言を紡いでるみたいだった。ニンゲン達はそれを見る度に頭を抱えて複雑そうだった。

最近だと、栗毛さんからも時々伝言が飛んでくる。あっちは元気そうで何より、話題に出すとグラスの顔が引き攣るから隠れてコソコソせざるを得ないけど。

 

『“頑張って。君ならきっと、最後を栄光で飾れるよ”って伝えて』

『アイアイサー!』

 

それを最後に飛び立つ翼。俺も首の方向を180°変えて、反対側の馬房(へや)を覗き込み問う。

 

Are there Nothing (グラスはスカイに) to speak with sky?(伝言しなくて良かったの?)

What can I send,(ボクが今更、どんな声援を)I've done terrible things to him(送れると思うんですか).』

Don't mind!(だからそんな事ないってば!) He will surely be happy (スカイだって嬉しいと思うよ), if his rival cheers him on(だって鎬を削ったライバルなんだし).』

 

そう言うと、困ったような笑みではぐらかすグラス。でもその更に奥から、投げかけられる視線を感じた。

咄嗟に、静かに覇気を放った。

 

(オイ)

『あっ、ご、ごめんなさぃ……!』

『?Spe-san, what's happening?(スペさん、何を?)

『なーんにも』

 

グラスに向けられる悪意は減った、でも()()は別だ。綺麗なグラスに惹かれる奴は少なからずいて、でも俺が幾ら“グラスは俺の物だ”ってアピールしても、同性でピンと来ないのか浸透し切ってない。だから時折、邪な視線が飛んで来ては威嚇で返してる。

 

……傲慢な話だよ。僕だって、グラスから真に好かれてる訳じゃないのにさ。

いや違うんだ、分かってるんだ。グラスが好いてくれてるのは、頼ってくれてるのは、飽くまで僕が被ったら(クロ)の皮。僕じゃない、俺であって僕じゃない。だから“僕”は、いても意味が無いから、要らないんだ。

 

「グラスワンダー号、今日の仕事だ。頑張ってくれよ……っと、スペは午前放牧だから待っててくれな』

『……It seems so(だそうです). It seems so. See you later, Spe-san(また後で、スペさん)

Yeah(うん). Let's run again, Grass(また走ろうね、グラス)

 

ニンゲンに連れられて、グラスが行ってしまう。その背中を、俺の物にはなっても僕の物には絶対にならない心を、学んだ英語と共に見送った。

……完全に、“俺”だけになれたら、苦労は無いのに。

 

(それにしても、なんか慌ただしいなぁ今日)

 

どこかニンゲンの動きが忙しない。大きなお客さんでも迎えたみたいに、テンヤワンヤと右往左往してる。

 

(まぁ、俺には関係ないか)

 

ニンゲンは大好きだけど、今の俺にとって一番重要なのはグラスを喜ばせる事だ。今日は何をしたら笑ってくれるかな、何をすれば明るくさせられるかな。落ち込ませずにいられるかな。

そうだ。今日の駆けっこでは、クロの走りを真似してみよう。それも末脚だけじゃない、一度逃げて先頭を取ってから、後ろに下がってまた追い抜かすヤツ!クロをずっと隣で見て来たんだ、俺ならきっと真似できるぞ。グラス、どんな顔をするかなぁ、楽しみだなぁ。楽しんでくれると良いなぁ……!!

 

 

 

 

『私を、グラスワンダーだと思って下さい』

 

 

その日。

 

僕は、甘い地獄を見た。

 

怒り、自責。その末に吐き出し叩きつけた、自分勝手な欲望。

 

 

『来て、スペさん』

 

 

グラスの鏡写しな、彼女を前に。

 

“俺”では到底、いられなかった。

 

 

 


 

 

 

母さんかと思った。一目見て、ボクの血縁だってすぐ分かった。

 

『うぁぁぁああああぁぁぁぁ………っ!!』

 

遠くから聞こえるスペさんの声。微かなそれは泣いてるようで、怒ってるようで。

それを聞いたボクの胸の内には──()()

 

『ワンダー、アゲイン』

 

初めて見た生き写しの相手。

噂にだけ聞いていた実の妹。

同じママの胎から生まれ、その息災を報せてくれた家族。

 

そんな彼女が、今、スペさんと交わっている。

 

『お願い……!』

 

その事実に祈った。どうか、どうか、スペさんの心がアゲインに向かいますようにと。

ボクなんかじゃなく、ボクよりも、彼が大事に想える相手が出来ますように。彼自身の恋に、彼が向き合えますようにと。

 

(ここまで頼り切っておいて、何様だ)

 

ボクの声がボクを詰る。祈るボクを罵っていた。

彼に依存したのはボクだ。

彼をボクに依存させたのはボクだ。

そのボクが、どのツラ下げて今更。だいたい、スペさんの心が彼女に向かったとして、ボクが今更スペさん無しで生きていけると思うのか。

 

(ボクを捨てて)

 

捨てないで。

 

(アナタ自身を取り戻して)

 

ボクの為に居て。

 

(離れて)

 

離れないで。

 

 

矛盾する願いを抱えたまま、日は落ちる。スペさんが帰ってくる。

結果は。

 

 

『──ただいま、グラス』

 

クロの面影。

それを垣間見て、安心した自分を、心から悍ましく思った。

 

 


 

 

エルが死んだ。

クロの生き様を伝えるって言ったのに。お腹を痛めて、あっという間に逝ってしまった。

 

『なんだよ!何だよアイツ、真っ先にクロの所に…!!』

『落ち着け!エルは、エルなりに走り切ったって事だろう!?』

 

鳥達が伝えるスカイとキングの嘆き。マンボは現れなかった、きっとエルにずっと寄り添ってるんだろう。

……グラスは。

 

『………っ、───』

 

 

黙って。

ポロポロと、宝石を瞳から零して。

 

『グラス』

 

語りかけずには居られなかった。いつか来るとわかっていた日、でも早過ぎたそれを、グラスの分まで受け止めたい。

 

『ちゃんと、泣いて』

 

放牧中だったのが幸いした。寄り添うや否や、グラスは崩れ落ちて体重を俺に預けてくれた。

さめざめと、泣きながら。その胸中に数多の言葉を発し、押し込め、泣いてくれた。

俺の胸で、泣いてくれたんだ。

 

エル。遺言くらい残してよ。

君が言うとしたら、グラスの心を持っていたクロへの憎まれ口?

グラスの隣に居座る俺への恨み言?

 

どっちでも良いよ。君には辛い役割を押し付けた、君には物申す権利がある。同じ、グラスを愛した者として。

代わりに、祈らせて。

君の今際の際が、苦しみではなく安らぎに満ちた物であった事を。

どうか向こうで、クロと仲良く走ってる事を。

 

グラスを無事に、そっちまで送り届けるから。

待ってて。

 

 


 

 

エルが死んだ。

ボクの事で苦しませたまま、逝かせてしまった。

会う事さえ出来なかった。面と向かって謝る事も出来ず、伝言でぎこちない挨拶を交わすぐらいしかしないまま──ううん、ボクが悲しんでるのはそんな殊勝な理由じゃない。

 

置いていかれた。また置き去りにされた。

それが、怖い。クロがボクを独りにしたように、エルにも独りにされてしまったんだ、と。

この先。スカイ君にも置いて行かれたら?

キング君にも先を逝かれたら?

もしも、スペ君にすら……Ah!!

怖い、こわい、こわいこわいこわい!!!

体が震える、恐怖に疼く。涙が溢れて止まらない、寒くて寂しくて仕方がない!想像するだけで、もう耐えられる気がしないっ!!

 

(やだ、やだやだ、やだ……!)

 

エルの事を真面目に悼む事すら許さない、絶大な恐怖。

スペさん、見抜いて。友達の冥福すらマトモに祈れないボクを見限って。早く、未練が出来る前に早く!!

 

『グラス。ちゃんと、泣いて』

 

……かなわない。

敵わなくて、叶わない。

エル。ごめんなさい、エル。

本当に、ごめんなさい。

 

 


 

 

『あっ』

『スペシャル君!』

 

栗毛先輩と会ったのは本当に久し振りの事で。インコ伝言で時折言葉を交わしてはいるけれど、顔を合わせるのは本当に何年振りだろうか?

 

『栗毛先輩、お久しぶりです。元気そうで何よりです』

『そっちこそ!最近どうなの、グラス君は大丈夫?』

『はい。最近なんとか、エルの件を飲み込めたようです』

『……そっか。アレからまだ半年も経ってないのに、頑張ったんだね』

 

労わる声音がありがたい。グラスとも一回会って話して欲しいけれど、苦手な以上無理は言えないな。

……ところで、栗毛先輩はなんだかご機嫌ですね。良い事があったんですか?

 

『それがね、それがね!私とエアグルーヴの娘がね、なんと牧場で一番速く走ったんだって!!』

『凄いじゃないですか!!!』

『うん!私達の娘、すごくすごい!』

 

本当におめでたい話題に、暫し会話に花が咲く。そっかぁ、先輩の娘さんってもうそんな年頃なのかぁ………アゲインちゃんと僕の子供も、同じ年齢になるのかな。今頃どうしてるんだろうか。

 

『…….ユタカさんには、会ってる?』

『時々来てくれますよ。撫でてくれます』

『私の方もおんなじ感じだよ。もっと気軽に会いに来て欲しいなぁ』

『イキゾイは結構な頻度で来ますよ?』

『それは羨ましい』

 

先輩の前では、“俺”を保ったまま“僕”でいられる。素直に世界を楽しめる。先輩は、意図してそうしてくれてるんだろうか。

分からないけれど、分からないなりに、素直に甘えさせてもらう事にした。グラスの前では、完璧な“俺”でいられるように。

 

『……ごめんね。私ばっかり、幸せになって』

 

 


 

 

『“ごめんね。後からゆっくり来て”』

 

今度去ったのは、スカイ。

遺言を伝えてくれたのは、マンボだった。

 

『……教えて。スカイは最期、どうだったの』

『ユイゴンノ、トオリダ』

『それは分かってるよ。けど、最期の“様子”を知りたいんだ』

『……クロヲ、サガシテタヨ。ボヤケタ()デ、モガイテ、トマッタ』

 

……あぁ。スカイ、君も苦しんだね。

ずっとずっと、クロにリベンジしたくて、クロを追いかけてたもんね。苦しかったよね、頑張ったよね。

僕だったら、走り続けてられないよ。絶対途中で立ち止まってたよ、凄いよスカイは。

 

『また、また、またボク達が……っ!!』

『グラス、今度こそ何か言ってあげよう』

『待って!心が、いっぱいで、もう!』

 

分かってるよ。本当にごめん、グラス。でも今しか無いんだ。

ねぇ、マンボ。

 

『……ナンダ』

『俺達に伝えそびれてる事、無い?』

『ッ!』

 

無理に聞き出そうとして、本当にごめん。でも久々に会えた君に、どうしても聞いておきたかった。グラスもいる、この場で。

 

『──グラス』

『マンボ……?』

『エルカラ、ユイゴン』

 

……やっぱり。

責めないよ、マンボ。君にしか言い残さなかったんでしょ?君だって一杯一杯で、エルの死を受け止めきれなくて、伝えるタイミングを逃しちゃったんでしょ。

でも、もう教えて。俺に、グラスに、エルの気持ちを伝えて。

 

『“グラス、好き”……ダト、サ』

『あ……ぁああ………!!』

 

………狡いなぁ。狡いよ、エル。そんな好意の伝え方、狡いよ。

でも最高だよ。グラスの気持ちを引き出すには、あまりにもうってつけだ。

 

『エル、エル!ごめんなさい、ありがとう、すみませ……あああ!!スカイさん、行かないで、置いて行かないでぇぇ……!!』

 

泣かせてごめん、グラス。こうでもしないと君、溜め込んじゃうから。

それに何より、送ってもらえないエルとスカイが可哀想だから。ね、泣こう。

一緒に、泣こう……!

 

 


 

 

『俺は易々と死ぬつもりは無い』

 

キング。俺もそのつもりだよ。

 

『……けど、幾らその“つもり”でも……現実がそう上手くいくとは限らない、違うか?』

 

………そうだね。よく分かってるつもり。

いくら頑張ったって、届かない願いはある。あの有馬で尋常な代償だけじゃグラスに届かなかったように、いくら望んだってクロもエルもスカイも帰って来てくれないように。

 

『その上で聞くぞ──“もしも”がお前に起こった時、グラスはどうする』

 

……どう、しよう。

 

 

キングは冷静に現実を見ていた。彼も戦友(スカイ)の喪失で打ちひしがれてるというのに、そんなの感じさせない聡明さで。

自分達が生き残る分にはまだ良い。まだ耐えられる可能性はある、比較論に過ぎないけどまだ“ある”。

 

グラスには、“無い”。

 

(グラスと一緒に、生きなきゃ)

 

置いて行って堪るか。

老いて逝って堪るか。

身体にボロが出つつある、でもそんなの関係あるもんか。俺はクロだぞ。誰よりも強く、誰よりも若く、誰よりもグラスを愛するクロスクロウだぞ。

 

……クロスクロウ。

 

 

 

クロの声って、どんなのだっけ。

 

 

『ッッッ!!!?!?』

 

ゾッとする。身体中を寒気が迸り、頭の中の記憶を司る部分が全回転で声を探す。

そして見つけた。良かった、そうだ、この声だ。僕を呼んで、導いてくれた優しい風!

 

───次の時、今度こそ忘れてる可能性。

 

『く、ろ……!!』

 

こんなんじゃ、クロになるどころじゃない。何も分からなくなってしまえば、何も残らない。俺は、俺だ、俺を保て!じゃないとグラスを救えないっ!!“僕”じゃ助けられない!!!

 

『………テメェ、スペシャルウィークだよな?』

『誰だッ?!』

『俺だよ。ステイゴールドだよ』

 

……えっ。

自問自答を繰り返してた所に来たのは、苦手極まる青鹿毛の先輩。栗毛先輩以上に久しい再会に、嫌悪を飛び越えてただただ唖然とした。

 

『な、え、……何の用ですか?』

『いや久ッしぶりに見たからつい声掛けただけだが……しかし、なぁ』

 

何か言いたげに、言葉を選ぶように逡巡する先輩。対する俺は、苦手意識も相待って構える。

やがて、飛び出て来た言葉は。

 

『テメェ、()()()()()なァ』

『──は?』

 

易々と、俺の防御体制をブチ抜いて。

軽々と、僕の芯を貫いてみせた。

 

『ありえ、ない』

『何言ってんだ、馬がそう簡単に変わる訳無ェだろが』

『あり得ないんだッ!!』

 

だって、だとしたら、これまでのここでの生活はどうなる。必死にクロをトレースした努力はどうなる!

あのグラスが、初見で僕をクロと見間違えたんだぞ!?変わってない筈が無いんだ、“僕”は“俺”になったんだ、それ以外有り得ちゃいけないんだ───!!

 

『なんだかよく分かンねェが、少なくとも“クロスクロウ”ではねェよ』

『そんな訳が……っ!!』

『鏡見ろ。少なくとも俺の知るあの芦毛糞野郎は、能天気のほほん自殺バカだった』

『クロを愚弄するなッッ!!!』

『今のテメェのそのツラは!“能天気のほほん”と口を裂いてでも呼べるのかよッ!?』

 

その瞬間、気付く。自分が今浮かべていた、顔全体の筋肉を引き攣らせた修羅の表情。

……僕の知るクロが、絶対にしない顔。

 

はは、何だ。

僕は、何だ?

 

『……目的は察しがつく。だがな、甘やかし過ぎだろ』

『は、は……』

『それじゃあ、いつまで経っても……グラスワンダーは立てねェだろうが』

 

僕のこれまでは、何だ?

 

 

 

気付けない筈が無い。

見抜けない筈が無い。

だって、グラスだ。

僕が恋焦がれ、“俺”になってまで手に入れようとした、鋭利で美しいグラスワンダーだ。

僕の欺瞞なんか、とっくの昔に見切って。

その上で、僕の“おままごと”に付き合わせてしまってたんだ。

 

(何が、クロになる、だ)

 

守るどころか、負担になっていた。

 

(何が……何が、俺だ)

 

存在意義は、何だ。

今更、何になるというんだ。

 

 

 

 

それでも。

 

『おかえりなさい、スペさん』

 

どうしても。その笑顔が嘘だと思えない。

きっと僕の願望混じりだ。結局満開の笑みにする事は出来なくて、影を落とした微笑みが限界で、それでも“俺”に手向けてくれるその花を信じずにはいられないんだよ。

グラス。嫌なら嫌って、そう言って。

 

──そうでないなら。

 

(俺、ずっと騙されるよ)

 

君が“俺”を求めてくれてるって、信じ続けるよ。

最後まで付き合うよ。

最後の最後まで、その瞬間まで。

 

 

 

 

 

ああ。

 

 

 

 

Ah.

 

 

 

 

嗚呼。

 

 

 

 

 

 

───もう、ダメか。

 

Spe(スペ)、さん………?』

 

ごめんね。本当にごめんね、グラス。

俺、もう俺じゃいられないや。

僕として、死ぬから。

 

Wait(待って)……ねぇ、待って下さい!ねぇってば!!!誰か、誰かぁ!!』

 

目が霞む、耳も徐々に遠くなる。けどまだだ、まだ君の声を取りこぼす訳にはいかない。

まだ聞こえるよ、グラス。僕はまだ、ここにいるから。

 

「スペシャルの様子はどうだ!?」

「……もう、ダメだ。心拍数を上げる手段が無い。()に連絡してくれ」

『助かって。助かって、独りにしないで』

「グラスは……どうしますか?」

「看取らせてやろう……」

 

ニンゲン達の溜息。それを掻き分けて響くグラスの必死の叫び。まだ聞こえる、答えたい。でも、もう力が無い。

まだダメだ。何か、残さなきゃ。

じゃなきゃ、グラスが凍えてしまう。遺される世界に、生きる希望を無くしてしまう。

ダメだ。グラスを、無事に送るって。

まだ止まらないで。まだ終わらないで。

クロ。あの日みたいに、僕に力を貸してよ。グラスの為なんだよ。

お願い、だ、から────

 

 

 

 

 

────────────────────────────────────────────────^────────────────────────────────────────────────

 

 

 

「聞こえるっすか、スペ」

 

───あ。

イキゾイだ。そこに、いるんだね。

 

「ああ、いる。お前が満足するまで、ここにいるっすよ」

 

ありがとう。心強いよ。

……ねぇ。欲張って良い?

 

「僕もいるよ、スペシャル」

 

ユタカさん。欲張るまでもなく、来てくれたんだ。

うん。2人がいてくれるなら、頑張れるよ。

グラス。聞いて。

 

『いやだ、聞かない!だから行かないで、お願い……っ!!』

 

いーや、言うよ。勝手に言う、そして僕は行く。だから勝手に聞いて。

 

 

()()で、また会えるから』

『───ぇ───?』

『深い意味なんか無いよ』

 

うん。本当に無い。深く考える余地なんて無いんだ。

だって、この言葉は。

 

 

『クロが、そう言ってたもん』

 

 

だから、君も。

 

生き抜いた先に、希望はある、って。

 

どうか。

 

 

どうか。

 

 

 

報われて。

 

 

 

 

薄暗くなっていく世界の中で。

最後まで聞こえたのはユタカさんの呼び声。最後まで感じていたのはイキゾイの掌。

最後まで見えてたのは……グラスの、泣き顔だった。

あーあ。君を笑顔に、したかったなぁ。

 

 

 

 


 

 

 


 

 


 




 


 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

「スペさんっ!!」

 

誰?

あなたは、誰?

なんで私の名前を知ってるの?

 

「私です、ボクです!グラスワンダー、ですっ!!」

 

お母ちゃんの仕事で連れられて来た空港。そこで初めて出会った、お姉ちゃん以外の初めてのウマ娘。

綺麗な綺麗な、栗毛の可愛い子。でもその名前を、私は聞いた事なんて無かった。

 

「私、あなたと会うのははじめてだよ?」

 

そう言った瞬間、見る見る内に色が失われていくグラスワンダーちゃんの顔。ああっ、可愛いのに、綺麗なのに、勿体無い。

好きなのに。

 

 

……あれ?

今、胸の奥が、チクリって。

 

Sorry(ごめんなさい)……人ちがい、でした」

 

握られていた手が離れてしまう。呼び止めようとして時には、もう遅くて、小さい背中は尻尾を揺らして人混みに消えてしまった。

 

 

なんだか、追いかけなきゃいけない気がした。

 

「おーいスペぼーん。探したんだぞ〜、お母ちゃんだって仕事放り出してこっち来たんだからね」

「お姉ちゃん」

「ん?どしたの?」

「私、行かなきゃ!」

「おーい!?」

 

駆け寄って来たお姉ちゃんの手を振り切って、あの子が消えた方向に駆け出す。こんなに多い人の中を歩くなんて初めてで、でも怖がってなんていられない気がして。

走りたい。でも走っちゃいけない。それでも早く早く!

 

ロ!やっと、やっと……」

「え、何?俺、何かやった?

「そん……嘘だ、クロまで覚えてないなんて、そな……!」

「待てよ、何が何だか…

 

やがて聞こえて来た、雑音の中に紛れ言い合う声。さっきの子と、もう1人。

 

「ふん……ぬっ!!」

 

最後の人垣を、幼いながらもウマ娘パワーでこじ開けた先で。

その光景は、待っていた。

 

「俺、君みたいなウマ娘と会うのは初めてだよ。だって一度会ったら忘れる訳無ぇもん!!」

 

あの子が、絶望していた。

一際大きい頭痛が、私の頭に轟いた。

 

(違う)

 

銀色の、芦毛の子。ウマ娘。栗毛と向かい合って、手を握られてる子。

その手から今、望みが失われて、栗毛の子の手から力が抜けていく。離れる。

 

……違う。

 

(こんなんじゃない)

 

これは、()()光景だ。

2人は、こうなっちゃいけないんだ.

あなた達は、離れちゃいけないんだ。

 

 

 

気付けば走り出していた。

気付けば、離れた瞬間の2人の手を繋ぎ直していた。

 

「え……誰?」

「……スペ、さん?」

 

芦毛の子の質問が、()()()

栗毛の子の問いが、申し訳ない。

 

この感情。正体は分かんないけど、これは、そっか。

栗毛ちゃん。グラスワンダー、ちゃん。

私、きっと。

 

「ダメだよ……」

 

()は、あなた達を。

 

「2人は、一緒じゃなきゃ……!!」

 

助ける為に、生まれ変わったんだね。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

目の前で、2人の女の子が泣いていた。

 

1人は栗毛のウマ娘。俺を見つけて、グラスワンダーって言っていた。

もう1人もウマ娘、黒鹿毛。俺とグラスワンダーちゃんの手を繋ぎ直した。

今2人は、互いを見ている。お互いに訳が分からないように、何かを確かめ合うように、見つめ合ってる。

 

でも、その手は確かに、2人とも、俺の掌を掴んで離さなかった。

俺を求めて、2人は泣いていた。

 

(この子達には、俺が必要なんだ)

 

不思議な納得と共に、顔を上げる。この出会いが俺にとってどんな意味があるのか、まだ分からないけれど。

……君達にとって、意味があるのなら。

 

「よろしく、グラスワンダー。それと、スペちゃんで良い?」

 

4つの視線が一斉に俺の方を向く。何だかおかしくて、苦笑を交えながら、俺は決意と共に言い放った。

 

「俺はクロスクロウ。よろしくな!」

 

 

 

そう言った瞬間、栗毛のグラスちゃんがいよいよ盛大に泣き出しちゃった事を、この日記に書いておく。不思議な子達だった、笑ったり泣いたり忙しくて。

 

 

でもなんだか。何だか妙に懐かしくて。

会えて良かったって、そう思えたんだ。




……以上!馬編、今度こそエピローグも含めてここに完結です。ありがとうございました!
反省点なりなんなりを羅列して書き出したい所ですが、一々それやってたらキリが無いのでここでは省略。ウンスにキングやエル、サイレンススズカに関しても書きたい事が山ほどあったけど流石に長すぎるので省略!(なおこっちは後々短編として描写するつもりではあったりする)

兎にも角にも、スぺ君の物語はここまで。次は再び、()()()()()“彼”を中心とする物語となります。
どうか、お楽しみに。

ここまでで一番好きなキャラは?

  • クロスクロウ
  • スペシャルウィーク
  • グラスワンダー
  • エルコンドルパサー
  • キングヘイロー
  • セイウンスカイ
  • サイレンススズカ
  • ステイゴールド
  • ラストアンサー
  • 生沿健司
  • 拓勇鷹
  • 奥分幸蔵
  • 窓葉一
  • 臼井寿彦
  • 宮崎雄馬
  • 宮崎美鶴
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