馬のプイノイ、遠征中での事
とある“戦士”がいた。
彼は怪物を討ち、怪鳥を落としその名を上げた。
異次元へと沈む逃亡者を掬い上げ、英雄となり────
英霊となってしまった。
遠く彼の地に、栄光を墓標として、彼は帰って来なかった。
かくして英雄譚は悍ましき呪いと化す。再び勝ち取るまで、彼の死力に報いるまで、日本競馬の挑戦は終わらない、終われない、終わってはいけない。
絶対に。
……人々の望みは償いである。しかし同時に、許されたいという自己満足でもあったのだろう。
それが皮肉にも、救うべき彼を繋ぎ止めてしまったのか?それとも、呪怨となった祈念が幻を見せているだけなのだろうか。
3年の時を経て送り込まれたマンハッタンカフェ。
更に2年後、乗り込んだタップダンスシチー。
マンボが両名から聞いた言は、完全に一致していた。
『水の味が違うねぇ』
『うん。ちょっと苦いね』
『草の味も違うねぇ』
『うん。心なしか柔らかいね』
『空気の匂いも違うねぇ』
『そうだね』
『もーっ!肯定ばっかりしないでよ~!!』
『理不尽ッ!?』
海を越え空を越え、遥々やってきた異郷。地を駆けるこの身がそんな旅をするだなんて思わなかった。そんな感慨を隣の彼女と分かち合う。
ノイちゃんはどうだろうか。
『キュームインさーん!!プイちゃんが生意気でーす、タカラヅカで私に負けたのに口答えしてきます~!!』
「ストップストップストップ!それ以上騒ぐと他の所に迷惑掛かっちゃうから落ち着いてぇ!!」
(……大丈夫そうだな)
見遣ってみれば、僕がいなくともなんだかんだ上手くやっていく、そんな姿が思い浮かぶような大騒ぎっぷり。頼もしいような寂しいような?
『ヤレヤレ。相変ワラズオ転婆ダナ、オマエハ』
『あっ……ワンコさん!』
『ヤッホー!マッピーも無事来れたんだね』
『アーッ!!ヨウムノマンボ、ダ!!!』
そこへ、キュームインさんと入れ替わりにやってきた一羽の大きな鳥さん。ここに来る前から僕達を繋いでくれて、目を掛けてくれる親切な……でも片言交じりな言葉の所為で名前を覚えられないのが難点な方だ。上手く聞き取れなくて申し訳ない。
『マッタク……マンボノ名前ヲ間違エマクル所マデ、
『うぅ、すみません……でもそんなに似てるんですか?僕とその、クロスさんって方は』
『……イヤ、ソレ程デモナイ。追込カタハ近イケドナ』
『ノイ知ってるよ!クロスクロウって、
『アア。ソシテ、ココハ──クロスノ
その内、話題に上った一つの名前。それは僕にとってとても縁深い、耳に馴染んだ言葉だった。
だって、ユタカさんと勝ち上がっていった時。
三冠、とやらを獲った時。
ニンゲンは僕を見て叫ぶんだ。クロスクロウの
褒めるんだ。クロスクロウの
そんな彼が、刻んだ証。
『────凱旋門。ガンバレヨ、ディープインパクト。ノイジースズカ』
『…………!!!』
『もっちのろーん!』
激励を噛み締め、僕は頷く。勝利の度に喜んでくれる、ニンゲンさんの姿を夢想しながら。
特に────ユタカさん!
『ゾイっぴも忘れずにね~!』
『彼に対してはどっちかと言うと同情の方が勝ると言うか……次は加減してあげてね』
『見テラレナイモンナ』
『どういう意味!?!』
拝啓
我が舎弟ことプイちゃんと共に海を越えた私ですが、ニンゲンさん方の手厚いサポートにより特に不自由無くノンビリしております。チヤホヤ通り越して姫です。そうです私がお姫様です、
総じて「あれ?
『プイちゃんが一緒だったから良かったものの、ゾイっぴも来てくれないってなってたら大変だったよ~……ね、ゾイっぴ★』
「」
『あれ?ゾイっぴ?』
『ノイちゃん……多分彼、息できてない』
『シニカケテル』
『あ、そっか』
幼馴染の忠告で初めて気付いた可能性。どいてみれば、それを証明するように息を吹き返してくれた。
ゾイっぴとはいえ、ニンゲンを抱き枕にするのは無理があったか~。
「ふひぁ~!死゛ぬ゛か゛と゛思゛っ゛た゛ッ゛」
『ごめんねー☆一生懸命走るから許して♡』
「や゛め゛ッ゛!゛唾゛液゛ッ゛ッ゛。゛溺゛ッ゛────」
『ノイちゃんはニンゲンへの愛情表現が過剰過ぎるのがなぁ……』
『次ノレースガ先カ、イキゾイガ壊レルノガ先カ。コレモウワカンネェナ』*1
折角馬房に入って来てくれたんだから、誠心誠意でおもてなし。10分ほどそれを続けたら
「ストップ!ストップだノイジー、やめてくれっす。そのスキンシップは俺に効く」
『なに拒んでるんですか、貴方がノイちゃんの
『こらプイちゃん、睨んじゃメっ、だよ。ゾイっぴがこうやって時々寄ってくれるの、嬉しいんだもん』
「おうおうよしよし……馬との触れ合いを是としてるとは言え、ノイジーの甘え方はいつも想像を超えて来るからなぁ。というかマンボ、いたなら助けてくれっすよ」
『オマエトモ長イ付キ合イニナルンダ。イマサラ野暮ナコトスルカ』
ねー、という合図に併せて首を撫でてくれる、そんなゾイっぴは私の相棒。彼に跨られた時の私が一番強くて、そんな私達に勝てる相手なんてそれこそプイちゃんとユタカさんのコンビぐらいなものだ。まぁ、プイちゃん達にももう負けるつもりは無いけどね!
『ここから先はもう連戦連勝!誰にも負けないもんねー、ゾイっぴ!』
「……ああ。ここから先が大事だ、頼むっすよ」
『………むぅ』
「そう睨むなって。お前から
しかし
それこそ、ゾイっぴとユタカさんみたいには……ん?
『あ、ユタカさん!』
「……!」
『ちょ、プイちゃんっ』
『あっ…ごめん……』
『……アーア』
「…………出直すか」
歴戦の勘と言うべきか相棒の縁ゆえか、一番最初にその存在に気付いたのはプイちゃん。でも同時に、嘶いてしまったのも彼で。
でも、彼とゾイっぴは……。
「勇鷹s──……間に合わなかった」
『ごめん。僕が叫んでイキゾイを刺激しちゃったから……』
『ううん、仕方ないよこれは。プイちゃんが黙れてても、私の反応で気付かれちゃってたかも知れないし』
『マダ拗レテンノカ、オマエ達』
「……気にさせて悪いっすね」
反省、慰め、呆れに謝罪と悲
だってあんなに陽気なゾイっぴが、ユタカさん関連の何かがある度に笑わなくなってしまうから。ユタカさんの方も、ゾイっぴと目が合うや否や今みたいにそそくさと逃げ出してしまう始末。もう10回ぐらい同じ流れ見たんですけど!!
『でも、ゾイっぴがあのヒトと仲良くしたいって思ってるのは分かってるから。ノイ、めっちゃ応援する!!』
「うん……うん。今はそのベロ舐めがホント助かるっす。ありがとな、ノイジー」
慰めるように顔を摺り寄せれば、通じたように添えられる掌。でも元気が無い。
どうすれば元気になるかな。
そうすれば喜んでくれるのかな。
考えて、考えて、考えて……そもそも出来る事なんて一つしか無い事に、夜になってやっと気付いた。
『プイちゃん』
『なぁに?』
『勝とうね』
そんな大事な大一番。勝てたら、ゾイっピは絶対に喜んでくれる。多分ユタカさんとも仲良くなれる。万事が全部うまくいく、そんな気がするの!!
『……うんっ!』
プイちゃんと強く頷き合い、決意を固める私達。同じレースに出るとしたら、勝利を得られるのは私とプイちゃんの片方になっちゃう訳だけど、そんなのはもう今更だ。
勝って、希望を皆に見せる。それが今の私達の使命、私達のやりたい事には違いないもの!!
行き場を失った足を、僕は他の厩舎に向けていた。目的なんか無く、ただ立ち止まって居られなかったから。
(勇を失ったなぁ)
こんな事で良いのか。いや良くない。そんな反語表現で茶化している場合じゃないくらい、さっきの僕の姿は醜態そのものだった。
ディープとノイジーに会いに行ったというのに、そこに生沿君がいると言うだけで。ボクの心は、後ろめたさという名の逃避でいっぱいになってしまったんだから。
「……ふぅーっ」
1999年の有馬記念。そこで「有馬記念で、もっと勝つ」と宣言した生沿君に対し、「それを阻む
それでも、
誰に?──ここに
クロスクロウに。
(……我が事ながら酷い
そうだ。
彼を、クロスを。その遺産を持って帰る。今度こそ日本競馬は、その実力で世界を制したのだと示す事によって。
馬を犠牲にせずとも手を届かせられるようになったのだ、と。それを魅せ付けなければ、挑戦の意味が無い。
「やる。やるんだ。やらねばならない」
あの日、クロスを犠牲にした自分にこそ責任がある。死んでも贖い切れない罪だけれど、なればこそ総力を挙げなければ……
……なんて、考えていた。
首に唐突な負荷。引き倒されて地に転がる、声を上げる暇さえ無い。
何が起こった、と見上げた頭上から視線が降りた。
馬だった。馬房から首を出して、通り過ぎた自分の襟へ噛みついたらしい。それだけなら自分の不注意を呪うだけで済んだだろう。
でも、その馬は。
その、姿は。
「ス……ぺ……?」
『────お前……』
彼は黒鹿毛で。目の前の馬は鹿毛。だというのに、それを塗り潰す程の面影がそこにある。
クロスと共に在って、僕にダービーをくれて、生沿と一緒に日本を救ってくれた。僕達の紛れも無い恩馬。
『俺と似た匂い、してるな?』
そんなスペシャルウィークと重なる彼の瞳が、ボクを捉えて離してくれない。そのまままっすぐと顔を近付け、鼻を寄せてくる。
『でも母さんの匂いじゃない。俺の匂いの、母さんじゃない部分……ああ、そうか』
「君は……?」
『父さんは何処だ?』
次の瞬間、浴びたのは憎悪。もしくはそれに近い悪感情。
どうして初めて会った馬からそんな物を喰らうのか分からず、そしてそれ以上にスぺの面影から負の情動を打ち付けられた衝撃が大きすぎて、僕は全く動けなかった。
『知ってるんだろ?触れ合ったんだろう?奴は何処にいる、答えろ』
「ッ、ぁっ……」
『答えろ、答えろ!早く、今ここで──』
『『ワンダーアゲインノ仔カ』
そこで聞こえてきたのは鳥の鳴き声。でもどこか馬の嘶きに近い高さの、不思議な呼び声で。
見上げれば、厩舎の梁に留まる一羽のヨウム。見た事がある。海老奈から、その存在の事を。
「マンボ……?」
『ユタカ、オマエハ下ガッテ……アーッ、ヤッパ人間ノ言葉ハ、ムリダナ』
『誰だ、お前。なんで母さんを知ってる』
『スペシャルウィークヲ知ッテルカラダ。イロイロ教エテヤルカラ、ソノ人間ヲ責メ立テルノハヤメロ』
『!!……良いだろう』
明らかに会話が交わされてから、ようやくその馬は僕から離れて首を引っ込ませる。それを追うようにマンボが馬房の中へ。
刹那、マンボと視線があった気がして……でもそれに、何一つ反応を返せないまま、終わった。
マンボ「ヤジューテー」
次回はフォア賞